第1123回 羅城門遺祉~七本松通南から北~その14
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九条通から、東寺南大門を見上げています。
第1117回ブログから前回ブログまで、
ブログ6回分を消費して東寺を散策しました。
今回は東寺南大門から九条通を西に進み、
七本松通に戻ります。
撮影日は、2024年11月5日火曜日午後0時半。
急に気温が、下がってきました。

東寺南大門から、九条通を東に向いています。
約100m先で九条通は大宮通と交差して、
大宮通から約200m先に近鉄「東寺」駅があります。
写真には残していませんが、
今回は近鉄「東寺」駅から徒歩で来ました。

今度は東寺南大門を背後に、
九条通を南に向きました。
南大門から南に、櫛笥通が伸びていますね。

さらに東寺南大門から、九条通を西に向いています。
今回は、このまま九条通を西に進みます。

東寺南大門から、九条通を西に約50m進みました。
左(南)側に、「九条南門」バス停が立っています。
右(北)側の堀に錦鯉は見えませんが、
白鷺などの鳥がよくいるので、
何か魚はいるのでしょうね。

「東寺南門」バス停から、
九条通を西に約50m進みました。
東寺西端近くに、大きな歩道橋があります。

その大きな歩道橋を回り込むと、
九条通は壬生通と交差します。
壬生通は、九条通以南で名称が変わります。

九条通から、壬生通を北に向いています。
壬生通は東寺の西側を通る道で、
約500m先の南梅小路で突き当たります。
約250m先の木津屋橋通からこの道は復活しますが、
木津屋橋通以北は「壬生川通」と名称を変えます。

今度は九条通から、壬生通を南に向きました。
九条通以南の壬生通は急に広い道になりますが、
地元民は九条通以南を壬生通と呼びません。
「京阪国道」国道1号線」と通常呼んでいます。
滋賀県大津市から京都市に入った国道1号線は、
五条通→大宮通→九条通と移動して、
この交差点で大阪市内まで南下します。
ちなみに、この先に名神高速道路
京都南インターチェンジがあります。
ですから、この辺は大型車の交通量が多いです。

壬生通から九条通を西に進むところですが、
その場でちょっと振り返ってみました。
ブログ6回分消費した東寺散策も前回ブログで終わり、
これで暫く五重塔ともお別れです。

信号も青に変わりましたので、
横断歩道を渡ります。
ここからも、九条通を西に進みます。

壬生通から、九条通を西に進んでいます。
東寺の北東部にかつての繁華街がありますが、
九条通の南側にも商店街があります。
商店舗もだいぶ減りましたが、
まだまだ現役で営業中のお店も多いです。

例えば、こちらはおもちゃ屋さんです。
かなり昔からあるお店ですが、
この瞬間も普通に営業中でした。

壬生通から、九条通を約150m西に進みました。
こちらに、京都府立鳥羽高等学校の校門があります。
こちらは、「ウナギの寝床」状の敷地です。
九条通沿いには校門しか見えませんが、
実は、奥はかなり広いです。
校舎に加えて、グラウンドに
ラグビー場やサッカー場があります。

京都府立鳥羽高等学校の向かい(北)側に、
こちらが置かれていました。
京野菜の即席販売所ですね。
普通の民家の玄関に置かれているので、
周囲を写さないように撮りました。

さらに九条通を西に進んでいます。
こちらに、米屋さんが建っています。
今回ブログでは第1116回ブログとは
なるべく掲載するお店を変えていますが、
こちらは近所では大きなお店なので、
どちらのブログでも掲載しました。

壬生通から、九条通を約250m西に進みました。
こちらに、「羅城門」バス停が立っています。

「羅城門」バス停から、九条通を西に向いています。
では、赤い幟が立っている辺りに向かいます。

赤い幟の辺りに、矢取地蔵尊がいらっしゃいます。
こちらは、第1116回ブログで参拝しましたが……

矢取地蔵尊の東側に、こちらが立っています。
この奥(北側)に、羅城門跡があります。

九条通から、矢取地蔵尊東側を北に向いています。
この奥(北側)に、児童公園があります。

その児童公園の中央に、こちらが立っていました。
羅城門遺祉を表す石碑です。
現在は十条通までありますが、
もともと京都市街地最南端は九条通でした。
羅城門は九条通沿いの朱雀大路の前に、
平安京の入り口として建造されました。
この位置は、羅城門の東側を支える柱の
礎石があった場所です。
東西幅が100m以上で高さは20m以上あって、
寺院の三門のような2F建ての楼閣だったようです。
かなり立派な建造物でしたが、
平安京は城壁に囲まれていなかったため、
あまり機能的ではなかったようです。
そのため建造直後から荒廃していき、
芥川龍之介の羅生門のように
墓を建てられない貧困者の死体が、
この門の中や周囲に捨てられていました。
羅城門はそのような扱いでしたから、
816年に倒壊して再建されるも
980年に再び倒壊すると、もう再建されませんでした。

その石碑の西側にシーソーが置かれており、
さらに西側にベンチが置かれています。
羅城門遺祉は、児童公園として機能しています。

さらにシーソーの北側に、すべり台があります。
とは言えこちらはそこまで規模が大きくないので、
他に遊具はありません。

さらに石碑の前で、南を向いています。
では、九条通に戻ります。

羅城門遺祉から、九条通に戻ってきました。
こちら側から見れば、地図の裏側が見えます。
東寺は、前回ブログまで散策しました。
矢取地蔵堂は、これから参拝します。
西寺跡には、次回ブログ以降に向かいます。

先ほどの位置の西側に、
矢取地蔵尊がいらっしゃいます。
ここから、第1116回ブログ以来の参拝です。

矢取地蔵堂の手前に、
お地蔵さんが並んでおられます。
ただ形状から見て、こちらは石仏でしょうね。
日本の古代や中世のお墓ですね。
羅城門の周辺は死体置き場でしたから、
石仏がここにいらしても不思議ではありません。

そして、こちらには
大きめのお地蔵さんがいらっしゃいます。
以前JCOMの「京上ル下ル」という番組で、
こちらのお地蔵さんを調べておられました。
矢取地蔵尊ではなく、こちらのお地蔵さんは
最後まで由来が不明のようでした。

そして、こちらが矢取地蔵堂です。
堂内には、矢取地蔵尊がいらっしゃいます。
守敏が空海を矢で射殺しようとしたところ、
こちらのお地蔵さんが空海の前に立たれて、
空海の身代わりに矢を受けて、
空海は助かったという伝説があります。
この事件を境に空海が管理していた東寺は繫栄し、
守敏が管理していた西寺は
衰退して廃寺になりました。
これは平安京遷都を境に、
空海が開いた真言密教は繁栄を続けて、
守敏が所属していた法相宗と言いますか
南都六宗が衰退したことに関連します。

矢取地蔵尊から、九条通を西に向いています。
矢取地蔵堂の西隣は、乾物屋さんです。

乾物屋さんの前で、九条通を西に向いています。
ここで九条通は、旧千本通と交差します。

九条通から、旧千本通を北に向いています。
朱雀大路は、現在の千本通に相当します。
(詳細は、第313回ブログ参照)
朱雀大路は約100mの道幅でしたが、
旧千本通は朱雀大路の東側部分約5mです。

旧千本通から、九条通を西に向いています。
ここからも、九条通を西に進みます。

旧千本通から、九条通を約80m西に進みました。
ここで九条通は、新千本通と交差します。

九条通から、新千本通を北に向いています。
新千本通は、朱雀大路の西側約10mに相当します。
つまり朱雀大路の中央に住宅が建って、
東端と西端が新旧千本通として残りました。
七条通以北は、旧千本通を「千本通」と呼びます。
そうそう、約50m先に餃子専門店の
ミスターギョーザが見えますね。

新千本通から、九条通を西に向いています。
では、さらに九条通を西に進みます。

新千本通から、九条通を約150m西に進みました。
こちらに、「九条七本松」バス停が立っています。

「九条七本松」バス停から、
九条通を西に向いています。
ここで九条通は、七本松通と交差します。
……ようやく今回連載メインの道に戻ってきました。
ここから七条通を北上して西寺跡に向かいますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は西寺跡に隣接する
鎌達稲荷神社に立ち寄ります~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
くわしくは、ここをクリックしてください。
唐橋羅城門公園が、起点です。
~追記 その2~
紅葉の時期が微妙で……
「2024年の紅葉は、平年並み」
前回ブログの追記で、そのように書きました。
ただTVなどの予報では、ちょっと異なります。
「2024年紅葉の見ごろは、11月27日前後」
これだと、平年より少し遅くなります。
実は2024年の紅葉散策は
11月21日を予定していたのですが、
それでは紅葉に染まりだしたくらいになります。
まぁあくまで予想ですが、気象予報士はデータから
個人的には経験と勘で述べています。
根拠の信用度にだいぶ差がありますが、
実際に日が近付いたら調査する必要があります。
そこで11月16日土曜日に今回紅葉散策予定地へ
訪れて、紅葉の様子を確かめてみます。
11月21日木曜日が早いようでしたら、
11月28日木曜日に変更します。
ただそうなると、ブログ数回分が宙に浮きます。
まぁどうするかは、来週に決めます。
~追記 その3~
またウチでティータイム

2024年11月3日日曜日午後4時ごろ、
自分で作ってティータイムにしました。
最近の収入源で、飲食店へ出る機会が減りました。
そうは言ってもいろいろ食事はしたいので、
安い原材料費で自作して戴いています。

井上製パンの食パンで、
サンドイッチを作りました。
左がキュウリが入った野菜サンドイッチで、
右がオムレツ入りの卵サンドイッチです。
井上製パンは、頼めば8枚切りにしてくれます。
ちなみにトースト用は分厚く、
サンドイッチ用は薄く切ってもらっています。

こちらは、自動パン焼き機のアラカルトで
バナナケーキを作りました。
自動パン焼き器は原材料を入れて
きちんと設定すれば、
後は全自動で作ってくれます。

さらに、こちらは梨タルトです。
近所のおばさんから(幼馴染のお母さん)
幸水を戴きました。
半分はウチで戴いて、
残りはおばさん(と幼馴染)にお返ししました。
刻んだ幸水に砂糖を混ぜて、
水分が出たら煮込んでジャムを作り、
自作のタルト生地、梨ジャム、プリン生地を
順番に入れてオーブンで焼きました。
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九条通から、東寺南大門を見上げています。
第1117回ブログから前回ブログまで、
ブログ6回分を消費して東寺を散策しました。
今回は東寺南大門から九条通を西に進み、
七本松通に戻ります。
撮影日は、2024年11月5日火曜日午後0時半。
急に気温が、下がってきました。

東寺南大門から、九条通を東に向いています。
約100m先で九条通は大宮通と交差して、
大宮通から約200m先に近鉄「東寺」駅があります。
写真には残していませんが、
今回は近鉄「東寺」駅から徒歩で来ました。

今度は東寺南大門を背後に、
九条通を南に向きました。
南大門から南に、櫛笥通が伸びていますね。

さらに東寺南大門から、九条通を西に向いています。
今回は、このまま九条通を西に進みます。

東寺南大門から、九条通を西に約50m進みました。
左(南)側に、「九条南門」バス停が立っています。
右(北)側の堀に錦鯉は見えませんが、
白鷺などの鳥がよくいるので、
何か魚はいるのでしょうね。

「東寺南門」バス停から、
九条通を西に約50m進みました。
東寺西端近くに、大きな歩道橋があります。

その大きな歩道橋を回り込むと、
九条通は壬生通と交差します。
壬生通は、九条通以南で名称が変わります。

九条通から、壬生通を北に向いています。
壬生通は東寺の西側を通る道で、
約500m先の南梅小路で突き当たります。
約250m先の木津屋橋通からこの道は復活しますが、
木津屋橋通以北は「壬生川通」と名称を変えます。

今度は九条通から、壬生通を南に向きました。
九条通以南の壬生通は急に広い道になりますが、
地元民は九条通以南を壬生通と呼びません。
「京阪国道」国道1号線」と通常呼んでいます。
滋賀県大津市から京都市に入った国道1号線は、
五条通→大宮通→九条通と移動して、
この交差点で大阪市内まで南下します。
ちなみに、この先に名神高速道路
京都南インターチェンジがあります。
ですから、この辺は大型車の交通量が多いです。

壬生通から九条通を西に進むところですが、
その場でちょっと振り返ってみました。
ブログ6回分消費した東寺散策も前回ブログで終わり、
これで暫く五重塔ともお別れです。

信号も青に変わりましたので、
横断歩道を渡ります。
ここからも、九条通を西に進みます。

壬生通から、九条通を西に進んでいます。
東寺の北東部にかつての繁華街がありますが、
九条通の南側にも商店街があります。
商店舗もだいぶ減りましたが、
まだまだ現役で営業中のお店も多いです。

例えば、こちらはおもちゃ屋さんです。
かなり昔からあるお店ですが、
この瞬間も普通に営業中でした。

壬生通から、九条通を約150m西に進みました。
こちらに、京都府立鳥羽高等学校の校門があります。
こちらは、「ウナギの寝床」状の敷地です。
九条通沿いには校門しか見えませんが、
実は、奥はかなり広いです。
校舎に加えて、グラウンドに
ラグビー場やサッカー場があります。

京都府立鳥羽高等学校の向かい(北)側に、
こちらが置かれていました。
京野菜の即席販売所ですね。
普通の民家の玄関に置かれているので、
周囲を写さないように撮りました。

さらに九条通を西に進んでいます。
こちらに、米屋さんが建っています。
今回ブログでは第1116回ブログとは
なるべく掲載するお店を変えていますが、
こちらは近所では大きなお店なので、
どちらのブログでも掲載しました。

壬生通から、九条通を約250m西に進みました。
こちらに、「羅城門」バス停が立っています。

「羅城門」バス停から、九条通を西に向いています。
では、赤い幟が立っている辺りに向かいます。

赤い幟の辺りに、矢取地蔵尊がいらっしゃいます。
こちらは、第1116回ブログで参拝しましたが……

矢取地蔵尊の東側に、こちらが立っています。
この奥(北側)に、羅城門跡があります。

九条通から、矢取地蔵尊東側を北に向いています。
この奥(北側)に、児童公園があります。

その児童公園の中央に、こちらが立っていました。
羅城門遺祉を表す石碑です。
現在は十条通までありますが、
もともと京都市街地最南端は九条通でした。
羅城門は九条通沿いの朱雀大路の前に、
平安京の入り口として建造されました。
この位置は、羅城門の東側を支える柱の
礎石があった場所です。
東西幅が100m以上で高さは20m以上あって、
寺院の三門のような2F建ての楼閣だったようです。
かなり立派な建造物でしたが、
平安京は城壁に囲まれていなかったため、
あまり機能的ではなかったようです。
そのため建造直後から荒廃していき、
芥川龍之介の羅生門のように
墓を建てられない貧困者の死体が、
この門の中や周囲に捨てられていました。
羅城門はそのような扱いでしたから、
816年に倒壊して再建されるも
980年に再び倒壊すると、もう再建されませんでした。

その石碑の西側にシーソーが置かれており、
さらに西側にベンチが置かれています。
羅城門遺祉は、児童公園として機能しています。

さらにシーソーの北側に、すべり台があります。
とは言えこちらはそこまで規模が大きくないので、
他に遊具はありません。

さらに石碑の前で、南を向いています。
では、九条通に戻ります。

羅城門遺祉から、九条通に戻ってきました。
こちら側から見れば、地図の裏側が見えます。
東寺は、前回ブログまで散策しました。
矢取地蔵堂は、これから参拝します。
西寺跡には、次回ブログ以降に向かいます。

先ほどの位置の西側に、
矢取地蔵尊がいらっしゃいます。
ここから、第1116回ブログ以来の参拝です。

矢取地蔵堂の手前に、
お地蔵さんが並んでおられます。
ただ形状から見て、こちらは石仏でしょうね。
日本の古代や中世のお墓ですね。
羅城門の周辺は死体置き場でしたから、
石仏がここにいらしても不思議ではありません。

そして、こちらには
大きめのお地蔵さんがいらっしゃいます。
以前JCOMの「京上ル下ル」という番組で、
こちらのお地蔵さんを調べておられました。
矢取地蔵尊ではなく、こちらのお地蔵さんは
最後まで由来が不明のようでした。

そして、こちらが矢取地蔵堂です。
堂内には、矢取地蔵尊がいらっしゃいます。
守敏が空海を矢で射殺しようとしたところ、
こちらのお地蔵さんが空海の前に立たれて、
空海の身代わりに矢を受けて、
空海は助かったという伝説があります。
この事件を境に空海が管理していた東寺は繫栄し、
守敏が管理していた西寺は
衰退して廃寺になりました。
これは平安京遷都を境に、
空海が開いた真言密教は繁栄を続けて、
守敏が所属していた法相宗と言いますか
南都六宗が衰退したことに関連します。

矢取地蔵尊から、九条通を西に向いています。
矢取地蔵堂の西隣は、乾物屋さんです。

乾物屋さんの前で、九条通を西に向いています。
ここで九条通は、旧千本通と交差します。

九条通から、旧千本通を北に向いています。
朱雀大路は、現在の千本通に相当します。
(詳細は、第313回ブログ参照)
朱雀大路は約100mの道幅でしたが、
旧千本通は朱雀大路の東側部分約5mです。

旧千本通から、九条通を西に向いています。
ここからも、九条通を西に進みます。

旧千本通から、九条通を約80m西に進みました。
ここで九条通は、新千本通と交差します。

九条通から、新千本通を北に向いています。
新千本通は、朱雀大路の西側約10mに相当します。
つまり朱雀大路の中央に住宅が建って、
東端と西端が新旧千本通として残りました。
七条通以北は、旧千本通を「千本通」と呼びます。
そうそう、約50m先に餃子専門店の
ミスターギョーザが見えますね。

新千本通から、九条通を西に向いています。
では、さらに九条通を西に進みます。

新千本通から、九条通を約150m西に進みました。
こちらに、「九条七本松」バス停が立っています。

「九条七本松」バス停から、
九条通を西に向いています。
ここで九条通は、七本松通と交差します。
……ようやく今回連載メインの道に戻ってきました。
ここから七条通を北上して西寺跡に向かいますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は西寺跡に隣接する
鎌達稲荷神社に立ち寄ります~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
くわしくは、ここをクリックしてください。
唐橋羅城門公園が、起点です。
~追記 その2~
紅葉の時期が微妙で……
「2024年の紅葉は、平年並み」
前回ブログの追記で、そのように書きました。
ただTVなどの予報では、ちょっと異なります。
「2024年紅葉の見ごろは、11月27日前後」
これだと、平年より少し遅くなります。
実は2024年の紅葉散策は
11月21日を予定していたのですが、
それでは紅葉に染まりだしたくらいになります。
まぁあくまで予想ですが、気象予報士はデータから
個人的には経験と勘で述べています。
根拠の信用度にだいぶ差がありますが、
実際に日が近付いたら調査する必要があります。
そこで11月16日土曜日に今回紅葉散策予定地へ
訪れて、紅葉の様子を確かめてみます。
11月21日木曜日が早いようでしたら、
11月28日木曜日に変更します。
ただそうなると、ブログ数回分が宙に浮きます。
まぁどうするかは、来週に決めます。
~追記 その3~
またウチでティータイム

2024年11月3日日曜日午後4時ごろ、
自分で作ってティータイムにしました。
最近の収入源で、飲食店へ出る機会が減りました。
そうは言ってもいろいろ食事はしたいので、
安い原材料費で自作して戴いています。

井上製パンの食パンで、
サンドイッチを作りました。
左がキュウリが入った野菜サンドイッチで、
右がオムレツ入りの卵サンドイッチです。
井上製パンは、頼めば8枚切りにしてくれます。
ちなみにトースト用は分厚く、
サンドイッチ用は薄く切ってもらっています。

こちらは、自動パン焼き機のアラカルトで
バナナケーキを作りました。
自動パン焼き器は原材料を入れて
きちんと設定すれば、
後は全自動で作ってくれます。

さらに、こちらは梨タルトです。
近所のおばさんから(幼馴染のお母さん)
幸水を戴きました。
半分はウチで戴いて、
残りはおばさん(と幼馴染)にお返ししました。
刻んだ幸水に砂糖を混ぜて、
水分が出たら煮込んでジャムを作り、
自作のタルト生地、梨ジャム、プリン生地を
順番に入れてオーブンで焼きました。
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