第128回 深緑の真宗院 嘉祥寺~本町通南から北~その9

こちらは、浄土宗西山深草派真宗院の総門です。
ここのカエデ並木は、二尊院に似ています。
今回は真宗院と嘉祥寺を回って、本町通に戻ります。
撮影日は、2013年5月16日木曜日午後4時。
少し曇り空の日でした。

真宗院の総門をくぐりました。
門からは東に向かって、細い道が続きます。
左(北)側の植え込みに、ツツジが咲いていました。

細い道は、約30m続きます。
突き当りを左(北)を向くと、中門があります。
ここをくぐると……

このように、カエデ並木が続きます。
枝が頭上に来るので、まるでカエデのドームになっています。
自分は深緑のカエデが好きなのですが、
秋の紅葉もまた格別でしょうね。
この写真は、クリックすると拡大されます。

ドーム状のカエデを過ぎても、20mほどカエデ並木が続きます。
ここのカエデは背が低くて、
歩いていると葉がちょうど目の高さにきます。
そこが二尊院との共通点です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

カエデ並木を通り過ぎると、広く見渡せるようになります。
本堂に行く前に、あちこち回ります。

境内に入ると、まずはこの小さな石仏が目に入ります。
涅槃でしょうか、とても穏やかな表情をされています。

境内の中央に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
横に謂れが書いてあったのですが、
どうやら水子地蔵尊のような方のようです。

境内の東側に、比較的新しい石仏がいらっしゃいます。
こちらは、観世音菩薩のようです。

観世音菩薩の北側には、
小さな庭園の脇に薬師如来がいらっしゃいました。

薬師如来の北側に鐘楼があり、そのさらに北側に石段があります。
その上は、墓地になっています。
実は家に帰ってから知ったのですが、
そこに山脇東洋のお墓もあったそうです。
「解体新書」の著者杉田玄白に影響を与えた人ですね。

そして、こちらは方丈です。
実は、寺務所とくっついています。

こちらが、真宗院の本堂です。
ご本尊は阿弥陀如来ですが、中には入れません。
浄土宗西山深草派真宗院は、後深草天皇の勅願により
1248年円空立信が開山しました。
その後応仁の乱などで焼失して荒廃しましたが、
江戸時代に再興しました。
方丈や総門、中門は江戸時代に堺の商人の寄進で再建され、
本堂はたびたび焼失した後、1935年に再建されました。
後嵯峨天皇や山脇東洋の一族や堺の豪商雑賀氏の帰依を受けました。

本堂を背に、南を向いています。
では、カエデ並木を抜けて中門を出ます。

中門を通り抜け、西を向きました。約30m先に総門があります。
門自体は閉まっていますが、脇の小さな門から外に出ます。

真宗院の総門を背に、西を向いています。
住宅の向こうに、前回ブログで紹介した十二帝陵があります。

ここは、先ほどの写真に写っていた住宅の北隣です。
(真宗院の北西斜め向かいに当たります)
細い道の先に見える藪も、十二帝陵のものです。
「歓喜天」と大きく書かれた石碑が見えます。
こちらは、「深草聖天」の名で親しまれている嘉祥寺です。
(第117回ブログでも紹介した「山科聖天」雙林寺同様、
聖天が祀られた寺院ですね)
ちなみに、「歓喜天」とは「聖天」の別称です。

先ほどの細い道を突き当り、右(北)を向きました。
ここから、「深草聖天」天台宗嘉祥寺に入っていきます。

門を入ってすぐに、手水舎があります。
こちらは口に含んではいけないそうなので、手だけ清めました。

手水舎の西側に、歴代和尚のお墓がありました。
先ずは、こちらにお参りします。

お墓の右(北)隣りには、小さな祠がありました。
その右(北)側に、立派なカエデが伸びています。
こちらも、秋には紅葉が楽しめる寺院です。
ちなみに、向こうに見えるのは十二帝陵です。

さらに北隣にも、法華塔とカエデの木がありました。
こちらのカエデも、見事な枝ぶりです。
この写真も、クリックすれば拡大できます。

法華塔の向かい(東)側に寺務所がありましたが、
だいぶ遅い時間(この時点で午後4時半)のせいか、
中にはだれもいらっしゃいません。
ショウウィンドウには、人形型の土鈴が売られていました。
「土鈴」ということは、伏見人形の可能性が高いです。

そして、こちらが「深草聖天」嘉祥寺の本堂です。
聖天(歓喜天)は、密教(真言宗や天台宗)では
「護法の仏様」(仏教の戒律を守る仏様)
として信仰を集めています。
元々ヒンドゥー教のガネーシャが仏教にとりいれられたために、
象の頭を持つ姿をしておられます。
ちなみに、ここ嘉祥寺が日本の聖天信仰発祥の地とされています。

では、嘉祥寺の門を出ます。
細い道が続いているように見えますが、
ここで左(東)にいったん折れないと先に進めません。

嘉祥寺の門の前から、左(東)を向きました。
向こうに見える藪は、真宗院のものです。
とりあえず、向こうの太い道に出ます。

太い道に出て、右(南)を向きました。
左(東)手に、真宗院の総門が見えます。
真宗院の前を通り過ぎ、南へと進みます。

先ほどの写真から南に約100m進み、右(西)を向きました。
(前回ブログに出てきた土塀を背にしています)
向こうに見えるJR奈良線の踏切に向かって進みます。

先ほどの地点から、西に約50m進みました。
住宅地と十二帝陵との間のフェンスにカラスが一匹とまっていました。
くちばしが細いので、日本に昔からいる種でしょうね。

カラスのいたフェンスから、約50m西に進みました。
この右(北)に、十二帝陵があります。
ちょうど踏切の辺りに来たときに、
JR奈良線の奈良行電車が入ってきました。

電車が行ったので、踏切を渡ります。
ここから、さらに西に進みます。

踏切から約50m西に進み、道が突き当りました。
本町通へは右(北)に進むのが正解なのですが、
ここはいったん左(南)に曲がります。

突き当りで、左(南)を向きました。
緑のテントの理髪店の向かいに、小さな寺院があります。

ここは浄土宗西山深草派地福寺です。
同じ宗派なのでピンと来られた方もいるでしょうが、
ここは真宗院の末寺に当たります。
1287年に真宗院第2代住職真空如円が隠居した際に
終の棲家として建てたのが始まりです。
残念ながら、ここも中には入れません。

地福寺の前から、北を向いています。
約50m先にある東に伸びる道のT字路からここに来ました。
次は、さらに50mほど先にある西に伸びるT字路まで進みます。
(今、白い自動車が曲がってきている辺りです)

その西に伸びる道とのT字路まで進み、そこで西を向いています。
後ろに、JR奈良線の線路と十二帝陵を背負っています。
ここから急な下り坂になっているのが分かります。
少し先に深草保育園があり、突き当りは本町通と交差します。
では、この道を進み本町通を目指します。

約100m西に進み、バス停の前まで戻ってきました。
この辺りでまた道幅が広がります。
左(南)側に、愛徳修道院と京都聖母女学院の校舎が見えます。

さらに約100m西に進みました。
左(南)側に、京都聖母学院の校舎がはっきりと見えます。
そろそろ突き当りの本町通が見えてきました。

なおも西に100m進むと、この道も突き当ります。
ようやく本町通とのT字路に到着しました。
右(北)側に、前回ブログでも登場した
木造のオートバイ販売店があります。

T字路から、本町通を北に向いています。
ここからやっと本町通をまた北上するわけですが、
これ以降は次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回も本町通を北上すると見せかけて、
途中でまた東に曲がっていって瑞光寺・宝塔寺を回ります~
~追記~
この辺りの周辺地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
JR京都駅からこの辺りに来られる場合は、JR奈良線「東福寺」駅で
京阪電鉄に乗り換えられた方が便利です。
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