第1041回 しまだやの桜餅~京都駅鴨東桜散策~その9
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前回ブログで鴨川西岸を南下して、
JRの線路前まで辿り着きました。
今回は鴨川沿いの「桜のこみち」を北上した後、
塩小路を三十三間堂南大門まで東に進みます。
撮影日は、2024年4月4日木曜日午後3時15分。
だんだん日が傾いてきました。

先程の位置で、「桜のこみち」を北に向いています。
左(西)側は京都市立美術工芸高校で、
右(東)側が鴨川です。
自分が「桜のこみち」と呼んでいる場所は、
塩小路~JR線路間の加茂川筋のことで、
100m程の鴨川沿いの道です。
濃密な桜並木がずっと続いていて、
京都市内では自分のいちばんのお気に入りです。
ちなみに行政的にはただの公道で、
特に地名はありません。
今回は、この「桜のこみち」を北上します。

「桜のこみち」を北上しつつ、右(東)を向きました。
ソメイヨシノの枝が、川面の方に枝垂れています。
鴨川の川原を散策されいる方がいらっしゃいますが、
そちら側からでもこの桜並木を堪能できます。

「桜のこみち」を北上しています。
「桜のこみち」は南下するときと北上するときで、
風景がだいぶ変わります。
最南端から北を見ると、
桜並木が何層にも重なっているように見えますね。

「桜のこみち」を北上しています。
桜の木の許に、あちこちベンチが並びます。
先程学生さんが、こちらで昼食を摂っておられました。

そのベンチに座って、鴨川を眺めています。
ここで休憩すると、こんな感じになります。

そのベンチの前で、「桜のこみち」を北に向きました。
左(西)側に、市立美術工芸高校の校舎が見えます。

先程の位置から、さらに「桜のこみち」を北上しています。
こちらにも、またベンチが置かれていました。
「桜のこみち」には、いくつもベンチが並んでいます。

最南端から、「桜のこみち」を約50m北上しました。
この辺りから北側に、散策されている方々が増えてきます。
ですから、写真撮影がちょっと難しくなります。

先程の位置から、「桜のこみち」を約50m北上しました。
「桜のこみち」の北側には、近所の方々と
ヨーロッパ系白人の家族連れがいらっしゃいました。
さらに学生さんのグループが、
花見をされていました。
「桜のこみち」は、目の前で交差する塩小路までです。

「桜のこみち」最北端から、塩小路を東に向いています。
ここからは、鴨川に架かる塩小路橋を渡ります。

「桜のこみち」から塩小路橋を渡り、
鴨川を南に向いています。
ここからも、桜並木がよく見えます。
背後のJRの線路もよく見えますし、
塩小路橋も鉄道撮影ポイントです。

鴨川に架かる塩小路橋を半ばまで渡りました。
この辺りで、下京区崇神地区から
東山区一橋地区に移動します。
塩小路橋を渡りきると北側に川端通が伸びています。
道路自体はずっと続きますが、
塩小路が川端通の最南端です。

鴨川に架かる塩小路橋を渡り切り、
塩小路から川端通を北に向いています。
この辺りが、川端通最南端です。
約200m先で川端通は、七条通と交差します。
(前回ブログの冒頭です)

今度は塩小路から、師団街道を南に向きました。
川端通は、塩小路以南は師団街道と名前を変えます。
現在の龍谷大学深草学舎の辺りに、
大日本帝国陸軍第16師団の練兵所がありました。
こちらは、その練兵所へと通じる道でした。
この辺は東山区一橋地区ですが、師団街道を南下すると
すぐに南区福稲地区、伏見区深草地区へと移動します。

師団街道の東側には、琵琶湖疎水が流れています。
琵琶湖疎水は三条通付近で暗渠化しますが、
塩小路付近で地上にまた姿を現します。
(三条通付近の川端通の様子は、第779回ブログ参照)

川端通から、塩小路を東に向いています。
今回ブログは、ずっと塩小路を東に進みます。

川端通から、塩小路を約30m東に進みました。
南北両側に緑地が見えますが、
この辺りに1989年まで京阪電鉄の線路が敷かれていました。
現在この辺の京阪電鉄は、地下鉄です。

その辺りで、塩小路から北を向いています。
左(西)側に細長い児童公園がありますが、
京阪電鉄線路跡がそのまま公園になりました。

今度は同じ位置で、塩小路から南を向きました。
左(東)側の駐車場が、京阪電鉄の線路跡です。
現在の京阪電鉄の線路は、この真下を通っています。
(約50m先で、地上に出てきます)
右(西)側に見える白いプレハブの裏(南)側に、
八王稲荷大明神がいらっしゃいます。
稲荷神社なのですが、ご祭神は八王という狸神です。
(詳細は、第289回ブログ参照)

京阪電鉄の線路跡から、塩小路を東に向いています。
約20m先で、塩小路は鞘町通と交差します。
鉄製階段で見えにくいですが、
鞘町通との角に白いテントが見えます。
その辺りに、今回ブログのメイン
和菓子匠の「しまだや」が建っています。

他のお客さんがいらした関係で、
「しまだや」全体を撮った写真がありません。
そのお客さんを撮らないように、
店内を撮影しています。
こちらが他店と違うのは、一部洋菓子も売ることです。
ちなみにロシアケーキとはクッキーの一種で、
ジャムや生クリームを使用したものもあります。
(京都には、ロシアケーキの専門店もあります)

しまだやには、これらのケースも置かれていました。
この辺りの商品は、だいたい一つ180円です。
しまだやは、典型的な「京都の町の和菓子匠」です。
土産物や茶席を前提とした高級和菓子に対して、
小さな子供のお小遣いで買える金額に抑えた
庶民の和菓子を売るお店です。
他地域の駄菓子屋さんに近い形態です。

京都駅鴨東桜散策を終えて帰宅した後、
ウチの母としまだやの和菓子を戴きました。
ウチの母はカフェインが苦手なので、
ホットミルクを飲んでいました。

こちらは、桜餅(一つ180円)です。
桜の葉の中に桜色に着色して蒸した糯米が入っていて、
中心には小豆餡が入っています。
京都の桜餅は琴きき茶屋のような形態もありますが、
「町の和菓子匠」ではこの形態が多いです。

そして、こちらはわらび餅です。
1パック400円ですが、これはその半分です。
(これは、自分が戴いた分です)
黄な粉が大量にかかっていますが、
砂糖は一切含まれていません。
わらび餅の甘さで戴きます。

多少ボケましたが、わらび餅の断面図です。
多少濁った色をしていますが、
これがわらび粉本来の色です。
透明なものは、ジャガイモ由来の
デンプンを使用したものです。

ここからは、桜散策の取材に戻ります。
塩小路から、鞘町通を北に向いています。
この左(西)側が、和菓子匠のしまだやです。
約100m先が、お好み焼き屋さんの銭座庵です。
……実はこのまま北上すると、数分でウチに帰れます。
「和菓子も買ったし、もう帰ろうか?」
と言う母を説得しつつ、先に進みます。

鞘町通から、塩小路を東に向いています。
約40m先にマンションが建っていますが、
約10年前までそちらは桜湯という公衆浴場でした。
自分にとってはそちらが一番便利だったのですが、
もう辞められたので今はサウナの梅湯と
大黒湯に通っています。

鞘町通から、塩小路を約50m東に進みました。
ここで塩小路は、本町通と交差します。

塩小路から、本町通を南に向いています。
ここで、本町通は分岐します。
左(東)側の道が本町通なのですが、
右(西)側は新本町通です。
本町通は約100m先でJRの線路とぶつかり、
そこから先へは歩道橋を渡ります。
ですから自動車用のう回路として、
新本町通が存在します。
(本町通の詳細は、第145回ブログ参照)

今度は塩小路から、本町通を北に向きました。
約200先で、本町通は七条通と交差します。
(そのルートは、第145回ブログ参照)

さらに本町通から、塩小路を東に向いています。
京都駅前と比べて、だいぶ道幅が狭くなりました。
左(北)側の地域スーパー「やすやす」は
シャッターが降りていますが、
塩小路側から入れるようになっています。
右(南)側はデイサービスの施設ですが、
2Fは「本町館」という映画館です。

本町通から、塩小路を東に向いています。
この辺りから、塩小路は急な上り坂になります。
家屋が建ち並んでいるので分かりにくいですが、
この辺から東山を登っています。

本町通から塩小路を約20m東に進み、北に向きました。
こちらは、浄土宗西山禅林寺派専称寺です。
ご本尊は、馬頭観世音菩薩です。
元は、聖宝(理源大師)の持念仏でした。
ただ、こちらは江戸時代初期に建立されました。

本町通から、塩小路を約100m東に進みました。
ここで塩小路は、大和大路と交差します。

塩小路から、大和大路を北に向いています。
右(東)側に見える塀の向こうは、三十三間堂です。
大和大路をこのまま北上するルートは、
(第223回ブログを参照してください)

今度は塩小路から、大和大路を南に向きました。
塩小路以南の大和大路は、
道幅がせまくて自動車が通れません。
(第221回ブログ参照)

さらに大和大路から、塩小路を東に向いています。
左(北)側の塀の向こうは、三十三間堂です。
今回は、こちらを進みます。

大和大路から、塩小路を約80m東に進みました。
こちらに、三十三間堂南大門が建っています。
南大門と周囲の塀が、重要文化財です。
この辺りは豊臣秀吉が建立したままです。
元々は大仏殿の南大門や塀として建造されました。
(三十三間堂は、安土桃山時代は大仏殿境内にありました)

こちらが、重要文化財の三十三間堂南大門です、
三十三間堂南大門をくぐると、
「三十三間堂廻り」という道が貫いています。
「三十三間堂廻り」の左(西)側が三十三間堂で、
右(東)側には法住寺と養源院が建っています。
どちらも、桜の名所ですね。
先ずは法住寺から散策しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回こそ、法住寺の枝垂れ桜に向かいます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
和菓子匠のしまだやが、起点です。
~追記 その2~
「京都駅鴨東桜散策」編は、あと3回
京都駅から蛇行しながらも東に進み、
ようやく三十三間堂南大門まで辿り着きました。
あとは法住寺、三十三間堂、智積院です。
残り3回で、「京都駅鴨東桜散策」編を終了します。
その後は、2日後に散策した「祇園白川桜散策」編に入ります。
~追記 その3~
桜タルトを作ろう その4

桜タルトを焼き上げた後、
プリン型から抜いて皿に並べました。
焼いた直後は熱くて持てませんが、
すっかり冷えてしまうと崩れやすくなって
型抜きを失敗してしまいます。
その辺の加減がポイントです。

ではコーヒーを淹れて、桜タルトを戴きます。
材料があるので、さらに30個焼いています。
食べきれない分は、妹と甥にあげてきました。

こちらが、桜タルトです。
例年よりココナッツ生地が白いのは、
カスタードパウダーを入れていないからです。

こちらが、桜タルトの断面図です。
いつもは桜餅を入れていますが、
今年(2024年)は桜餡で仕上げました。
~追記 その4~
自信がなくなっています
2024年4月20日土曜日に、J1リーグ第9節が行われました。
我らが京都サンガは京都府亀岡市のサンガスタジアムで
アルビレックス新潟と対戦し、0-1で敗戦しました。
これで京都は、1勝3分け5敗で勝ち点6の19位。
だんだんJ2リーグ降格圏に定着しそうです。
パリ五輪最終予選に選ばれた川崎主将がいないため、
京都サンガは相当厳しい状態でした。
守備陣は明らかに動揺して安定せず、
FWにパスを供給できない状態になって、
ジリ貧で失点してしまっています。
特に金子選手や武田選手など中盤が自信喪失して、
バックパスがファーストチョイスになっていて、
攻撃する機会自体が激減しています。
武田選手は京都サンガがJ1リーグに昇格した際、
強引なシュートを何度も決めて、
チームの救世主として活躍していました。
金子選手はカードの多い選手ですが、
積極的なプレーで試合の流れを変えることができます。
こういった選手たちが委縮している状況こそが、
京都の危機的状況を生み出しています。
(選手の能力が、問題になっているのではありません)
選手個人が自覚して自分で自信を取り戻して、
積極的なプレーを心掛ける……
それができればいいのでしょうが、
現実問題として、選手に自信を取り戻させる
第3者が必要なのでしょうね。
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前回ブログで鴨川西岸を南下して、
JRの線路前まで辿り着きました。
今回は鴨川沿いの「桜のこみち」を北上した後、
塩小路を三十三間堂南大門まで東に進みます。
撮影日は、2024年4月4日木曜日午後3時15分。
だんだん日が傾いてきました。

先程の位置で、「桜のこみち」を北に向いています。
左(西)側は京都市立美術工芸高校で、
右(東)側が鴨川です。
自分が「桜のこみち」と呼んでいる場所は、
塩小路~JR線路間の加茂川筋のことで、
100m程の鴨川沿いの道です。
濃密な桜並木がずっと続いていて、
京都市内では自分のいちばんのお気に入りです。
ちなみに行政的にはただの公道で、
特に地名はありません。
今回は、この「桜のこみち」を北上します。

「桜のこみち」を北上しつつ、右(東)を向きました。
ソメイヨシノの枝が、川面の方に枝垂れています。
鴨川の川原を散策されいる方がいらっしゃいますが、
そちら側からでもこの桜並木を堪能できます。

「桜のこみち」を北上しています。
「桜のこみち」は南下するときと北上するときで、
風景がだいぶ変わります。
最南端から北を見ると、
桜並木が何層にも重なっているように見えますね。

「桜のこみち」を北上しています。
桜の木の許に、あちこちベンチが並びます。
先程学生さんが、こちらで昼食を摂っておられました。

そのベンチに座って、鴨川を眺めています。
ここで休憩すると、こんな感じになります。

そのベンチの前で、「桜のこみち」を北に向きました。
左(西)側に、市立美術工芸高校の校舎が見えます。

先程の位置から、さらに「桜のこみち」を北上しています。
こちらにも、またベンチが置かれていました。
「桜のこみち」には、いくつもベンチが並んでいます。

最南端から、「桜のこみち」を約50m北上しました。
この辺りから北側に、散策されている方々が増えてきます。
ですから、写真撮影がちょっと難しくなります。

先程の位置から、「桜のこみち」を約50m北上しました。
「桜のこみち」の北側には、近所の方々と
ヨーロッパ系白人の家族連れがいらっしゃいました。
さらに学生さんのグループが、
花見をされていました。
「桜のこみち」は、目の前で交差する塩小路までです。

「桜のこみち」最北端から、塩小路を東に向いています。
ここからは、鴨川に架かる塩小路橋を渡ります。

「桜のこみち」から塩小路橋を渡り、
鴨川を南に向いています。
ここからも、桜並木がよく見えます。
背後のJRの線路もよく見えますし、
塩小路橋も鉄道撮影ポイントです。

鴨川に架かる塩小路橋を半ばまで渡りました。
この辺りで、下京区崇神地区から
東山区一橋地区に移動します。
塩小路橋を渡りきると北側に川端通が伸びています。
道路自体はずっと続きますが、
塩小路が川端通の最南端です。

鴨川に架かる塩小路橋を渡り切り、
塩小路から川端通を北に向いています。
この辺りが、川端通最南端です。
約200m先で川端通は、七条通と交差します。
(前回ブログの冒頭です)

今度は塩小路から、師団街道を南に向きました。
川端通は、塩小路以南は師団街道と名前を変えます。
現在の龍谷大学深草学舎の辺りに、
大日本帝国陸軍第16師団の練兵所がありました。
こちらは、その練兵所へと通じる道でした。
この辺は東山区一橋地区ですが、師団街道を南下すると
すぐに南区福稲地区、伏見区深草地区へと移動します。

師団街道の東側には、琵琶湖疎水が流れています。
琵琶湖疎水は三条通付近で暗渠化しますが、
塩小路付近で地上にまた姿を現します。
(三条通付近の川端通の様子は、第779回ブログ参照)

川端通から、塩小路を東に向いています。
今回ブログは、ずっと塩小路を東に進みます。

川端通から、塩小路を約30m東に進みました。
南北両側に緑地が見えますが、
この辺りに1989年まで京阪電鉄の線路が敷かれていました。
現在この辺の京阪電鉄は、地下鉄です。

その辺りで、塩小路から北を向いています。
左(西)側に細長い児童公園がありますが、
京阪電鉄線路跡がそのまま公園になりました。

今度は同じ位置で、塩小路から南を向きました。
左(東)側の駐車場が、京阪電鉄の線路跡です。
現在の京阪電鉄の線路は、この真下を通っています。
(約50m先で、地上に出てきます)
右(西)側に見える白いプレハブの裏(南)側に、
八王稲荷大明神がいらっしゃいます。
稲荷神社なのですが、ご祭神は八王という狸神です。
(詳細は、第289回ブログ参照)

京阪電鉄の線路跡から、塩小路を東に向いています。
約20m先で、塩小路は鞘町通と交差します。
鉄製階段で見えにくいですが、
鞘町通との角に白いテントが見えます。
その辺りに、今回ブログのメイン
和菓子匠の「しまだや」が建っています。

他のお客さんがいらした関係で、
「しまだや」全体を撮った写真がありません。
そのお客さんを撮らないように、
店内を撮影しています。
こちらが他店と違うのは、一部洋菓子も売ることです。
ちなみにロシアケーキとはクッキーの一種で、
ジャムや生クリームを使用したものもあります。
(京都には、ロシアケーキの専門店もあります)

しまだやには、これらのケースも置かれていました。
この辺りの商品は、だいたい一つ180円です。
しまだやは、典型的な「京都の町の和菓子匠」です。
土産物や茶席を前提とした高級和菓子に対して、
小さな子供のお小遣いで買える金額に抑えた
庶民の和菓子を売るお店です。
他地域の駄菓子屋さんに近い形態です。

京都駅鴨東桜散策を終えて帰宅した後、
ウチの母としまだやの和菓子を戴きました。
ウチの母はカフェインが苦手なので、
ホットミルクを飲んでいました。

こちらは、桜餅(一つ180円)です。
桜の葉の中に桜色に着色して蒸した糯米が入っていて、
中心には小豆餡が入っています。
京都の桜餅は琴きき茶屋のような形態もありますが、
「町の和菓子匠」ではこの形態が多いです。

そして、こちらはわらび餅です。
1パック400円ですが、これはその半分です。
(これは、自分が戴いた分です)
黄な粉が大量にかかっていますが、
砂糖は一切含まれていません。
わらび餅の甘さで戴きます。

多少ボケましたが、わらび餅の断面図です。
多少濁った色をしていますが、
これがわらび粉本来の色です。
透明なものは、ジャガイモ由来の
デンプンを使用したものです。

ここからは、桜散策の取材に戻ります。
塩小路から、鞘町通を北に向いています。
この左(西)側が、和菓子匠のしまだやです。
約100m先が、お好み焼き屋さんの銭座庵です。
……実はこのまま北上すると、数分でウチに帰れます。
「和菓子も買ったし、もう帰ろうか?」
と言う母を説得しつつ、先に進みます。

鞘町通から、塩小路を東に向いています。
約40m先にマンションが建っていますが、
約10年前までそちらは桜湯という公衆浴場でした。
自分にとってはそちらが一番便利だったのですが、
もう辞められたので今はサウナの梅湯と
大黒湯に通っています。

鞘町通から、塩小路を約50m東に進みました。
ここで塩小路は、本町通と交差します。

塩小路から、本町通を南に向いています。
ここで、本町通は分岐します。
左(東)側の道が本町通なのですが、
右(西)側は新本町通です。
本町通は約100m先でJRの線路とぶつかり、
そこから先へは歩道橋を渡ります。
ですから自動車用のう回路として、
新本町通が存在します。
(本町通の詳細は、第145回ブログ参照)

今度は塩小路から、本町通を北に向きました。
約200先で、本町通は七条通と交差します。
(そのルートは、第145回ブログ参照)

さらに本町通から、塩小路を東に向いています。
京都駅前と比べて、だいぶ道幅が狭くなりました。
左(北)側の地域スーパー「やすやす」は
シャッターが降りていますが、
塩小路側から入れるようになっています。
右(南)側はデイサービスの施設ですが、
2Fは「本町館」という映画館です。

本町通から、塩小路を東に向いています。
この辺りから、塩小路は急な上り坂になります。
家屋が建ち並んでいるので分かりにくいですが、
この辺から東山を登っています。

本町通から塩小路を約20m東に進み、北に向きました。
こちらは、浄土宗西山禅林寺派専称寺です。
ご本尊は、馬頭観世音菩薩です。
元は、聖宝(理源大師)の持念仏でした。
ただ、こちらは江戸時代初期に建立されました。

本町通から、塩小路を約100m東に進みました。
ここで塩小路は、大和大路と交差します。

塩小路から、大和大路を北に向いています。
右(東)側に見える塀の向こうは、三十三間堂です。
大和大路をこのまま北上するルートは、
(第223回ブログを参照してください)

今度は塩小路から、大和大路を南に向きました。
塩小路以南の大和大路は、
道幅がせまくて自動車が通れません。
(第221回ブログ参照)

さらに大和大路から、塩小路を東に向いています。
左(北)側の塀の向こうは、三十三間堂です。
今回は、こちらを進みます。

大和大路から、塩小路を約80m東に進みました。
こちらに、三十三間堂南大門が建っています。
南大門と周囲の塀が、重要文化財です。
この辺りは豊臣秀吉が建立したままです。
元々は大仏殿の南大門や塀として建造されました。
(三十三間堂は、安土桃山時代は大仏殿境内にありました)

こちらが、重要文化財の三十三間堂南大門です、
三十三間堂南大門をくぐると、
「三十三間堂廻り」という道が貫いています。
「三十三間堂廻り」の左(西)側が三十三間堂で、
右(東)側には法住寺と養源院が建っています。
どちらも、桜の名所ですね。
先ずは法住寺から散策しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回こそ、法住寺の枝垂れ桜に向かいます~
~追記 その1~
この辺りの地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
和菓子匠のしまだやが、起点です。
~追記 その2~
「京都駅鴨東桜散策」編は、あと3回
京都駅から蛇行しながらも東に進み、
ようやく三十三間堂南大門まで辿り着きました。
あとは法住寺、三十三間堂、智積院です。
残り3回で、「京都駅鴨東桜散策」編を終了します。
その後は、2日後に散策した「祇園白川桜散策」編に入ります。
~追記 その3~
桜タルトを作ろう その4

桜タルトを焼き上げた後、
プリン型から抜いて皿に並べました。
焼いた直後は熱くて持てませんが、
すっかり冷えてしまうと崩れやすくなって
型抜きを失敗してしまいます。
その辺の加減がポイントです。

ではコーヒーを淹れて、桜タルトを戴きます。
材料があるので、さらに30個焼いています。
食べきれない分は、妹と甥にあげてきました。

こちらが、桜タルトです。
例年よりココナッツ生地が白いのは、
カスタードパウダーを入れていないからです。

こちらが、桜タルトの断面図です。
いつもは桜餅を入れていますが、
今年(2024年)は桜餡で仕上げました。
~追記 その4~
自信がなくなっています
2024年4月20日土曜日に、J1リーグ第9節が行われました。
我らが京都サンガは京都府亀岡市のサンガスタジアムで
アルビレックス新潟と対戦し、0-1で敗戦しました。
これで京都は、1勝3分け5敗で勝ち点6の19位。
だんだんJ2リーグ降格圏に定着しそうです。
パリ五輪最終予選に選ばれた川崎主将がいないため、
京都サンガは相当厳しい状態でした。
守備陣は明らかに動揺して安定せず、
FWにパスを供給できない状態になって、
ジリ貧で失点してしまっています。
特に金子選手や武田選手など中盤が自信喪失して、
バックパスがファーストチョイスになっていて、
攻撃する機会自体が激減しています。
武田選手は京都サンガがJ1リーグに昇格した際、
強引なシュートを何度も決めて、
チームの救世主として活躍していました。
金子選手はカードの多い選手ですが、
積極的なプレーで試合の流れを変えることができます。
こういった選手たちが委縮している状況こそが、
京都の危機的状況を生み出しています。
(選手の能力が、問題になっているのではありません)
選手個人が自覚して自分で自信を取り戻して、
積極的なプレーを心掛ける……
それができればいいのでしょうが、
現実問題として、選手に自信を取り戻させる
第3者が必要なのでしょうね。
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