第847回占出山の国宝~2022年祇園祭前祭宵山散策~その3
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進みたい方は、ここをクリックしてください。

前回ブログで「四条烏丸」交差点から四条通を西に進み、
約100m先の「四条室町」交差点で四条通から室町通を北上しました。
現在菊水鉾を背に室町通を北に向いています。
今回ブログと次回ブログを使って、
約50m北の「錦室町」の辻周辺の山鉾を散策します。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後3時半。
だらだら雨が降り続いています。

菊水鉾から、室町通を約50m北上しました。
ここで室町通は、錦小路と交差します。
左(西)側に見える呉服問屋優彩が露店を出しています。
祇園祭期間中は、こちらで浴衣や和服を売り出しています。
この辺りは西陣織など和装や和服の問屋街で、
あちこちの会社が祇園祭期間中に大売り出しをします。
江戸時代以前は祇園祭を経済面で支えているのが、
この室町通や新町通に点在する呉服問屋でした。
そして各山鉾はその問屋の潤沢な資金を得て、
徐々に豪華な装飾を付けるようになりました。
今でも呉服問屋が和装和服販売の会社となって、
祇園祭を支えています。

室町通から、錦小路を東に向いています。
今回は、先ずこの占出山に訪れます。

室町通から、錦小路を東に進んでいます。
第605回ブログに書いてあるように
この辺りの錦小路沿いはちょっとした呑み屋街なのですが、
コロナ禍ではそこそこ激震が走った場所です。
こちらのお店も数年前とは違うお店に変わっていましたが、
この日は結構流行っていました。
さらに店頭で露店を出して、
宵山を散策する方にビールや揚げ物を売っていました。

その東隣の焼肉屋さんも、白いテントを出しています。
こちらの露店ではビールを出されていますが、
他は何でしょうか?よく調べていません。

室町通から、錦小路を東に約50m進みました。
こちらに、占出山が立っています。
占出山の手前に白いテントが立ってますが、
こちらで占出山の和菓子が売られています。

2017年7月16日に、占出山の和菓子を買いました。
大極殿本舗が製造した京菓子ですね。
「若あゆ」という銘が付いています。

そして、こちらが袋を開けた「若あゆ」です。
鮎を模した和菓子で、実は京都では有名な和菓子です。
(京和菓子匠では、よくある和菓子です)
カステラ生地の中に、小豆餡が詰まっています。
まぁ占出山は鮎にちなんだ山ですから、
このような京菓子を売られているのでしょうね。

ここから、2022年7月14日の写真に戻ります。
占出山に、近づいてみました。
雨の中でまだ7月14日ですから、装飾品は一切付いていません。

占出山の南側に、こちらの路地が見えます。
目の前の方に体温を計ってもらい、
アルコールジェルで手指消毒したら、
この奥の占出山会所に向かえます。

占出山会所前に、こちらが立っていました。
この辺りが、木下順庵の邸宅址です。

自分も検温してもらい、アルコールジェルで手指消毒しました。
では錦小路から路地を南下して、占出山会所に向かいます。

こちらが、占出山会所の西半分です。
こちらには、雨天で取り付けられていない装飾品を展示しています。

では、占出山の装飾品を見ていきます。
先程の占出山に、こちらを取り付けて巡行します。
上部の横に細長いのが、山の上部にまかれる水引です。
そちらには、三十六歌仙の肖像が和歌とともに描かれています。
下部は、占出山の周囲に取り付けられる胴掛です。
占出山の胴掛は日本三景が描かれていて、
こちらはそのうちの松島を描いています。

こちらは、占出山の正面部分の前掛です。
三十六歌仙の水引の下は、宮島が描かれています。

そして、こちらは先程の反対部分の胴掛です。
三十六歌仙の水引の下は、天橋立が描かれています。

さらにその南側には、占出山の見送り(後部)が展示されています。
さらにさらに会所の最南端に、様々な小道具が展示されています。

占出山会所の最南端に、やって来ました。
こちらにも、新調された前掛けと胴掛が展示されています。
現在では、こちらの方が山鉾巡行の際に使用されています。
ただ、ここでいちばん目を引くのは
この脇差(小型の日本刀)ですね。

こちらが、その脇差です。
ご神体の神功皇后が山鉾巡行の際に、身に着けられます。
平安時代の鍛冶師三条宗近の作品です。
三条宗近は1,000年以上前の名工ですので、
彼の作品はほとんど現存しません。
そのため、こちらは国宝に指定されています。

さらに、占出山会所の東半分を見ています。
形状からこちらが神社の社であるとわかりますが、
こちらのご神体は、占出山のご神体でもある神功皇后の神像です。
また占出山の粽(ちまき)や手拭いなども、社で買い求めます。
占出山は神功皇后が新羅に攻め込む前に、
鮎を釣って占いを行った故事を取材しています。
(古代日本では、戦争前に鮎を釣って
その鮎の数でその戦争に勝つかどうか占っていました)

占出山の社の前で、北を向きました。
では路地を北上して、占出山を出ます。

占出山会所に通じる路地から、錦小路を西に向きました。
では、いったん室町通まで戻ります。

占出山から、錦小路を約50m西に進みました。
こちらで錦小路は、室町通と交差します。
つまり、「錦室町」の辻に戻ってきました。

「錦室町」の辻で、室町通を北に向いています。
前回ブログで南側の菊水鉾を散策して、
東側の占出山にはたった今訪れました。
次は、この辻の北側に立つ山伏山に向かいます。

錦小路から、室町通を約30m北上しました。
こちらに、かつての京都市立明倫小学校が建っています。

京都市立明倫小学校だった建物は、
現在は京都芸術センターに変わりました。
お金を払えば誰でもアトリエやギャラリーをここで持てます。
そういう施設のほか、こちらには芸術に特化した図書室や
コンサートホール、カフェなども併設されています。
(詳細は、第605回ブログ参照)

京都芸術センターには、前田珈琲 明倫店が入っています。
祇園祭期間中にも、かなりの人が入店されていました。

京都芸術センターの前で、室町通を北に向いています。
約30m先に、山伏山が立っていますね。

こちらが、祇園祭前祭では最北端の山鉾である山伏山です。
おおよそですが、この北で東西に延びる蛸薬師通が
前祭と後祭の山鉾町の境界線です。
つまり山伏山より北側は、すべて後祭の山鉾町です。

そして、こちらが山伏山です。
と言いましても、結構の大雨の中装飾品は一切付いていません。

その山伏山の北側に、山伏山の会所が建っています。
1Fで粽(ちまき)や手拭いなどが売られていて、
2Fでご神体や装飾品が展示されています。
こちらも、祇園祭会所ではよくある形式ですね。

先程の位置で、山伏山会所の2Fを大写ししました。
こちらが、山伏山のご神体である浄蔵貴所の神像です。
浄蔵貴所は、平安時代に活躍した修験者(山伏)です。
念力で法観寺の八坂の塔を修復したという伝説が残っています。

山伏山会所から、室町通を南に向いています。
ここより北に前祭の山鉾が立たないので、
ここから室町通を南下します。

山伏山から、室町通を南に向いています。
では京都芸術センターも通り過ぎ、
さらに室町通を南下します。

山伏山から、室町通を約50m南下しました。
ここでまたまた「錦室町」の辻に戻ってきました。
この先に、前回ブログで訪れた菊水鉾が見えますね。
今回ブログの冒頭に出てきた和服和装の会社優彩の露店も、
だいぶ繁盛しているみたいです。

今度は室町通から、錦小路を西に向きました。
この先に、霰天神山(あられてんじんやま)が立っています。
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けています。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、ちょっと特殊な記事を掲載します。
その後、こちらの続きの連載を再開します。
霰天神山と放下鉾に向かいます~
~追記 その1~
今回散策した場所の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
占出山会所が、起点です。
~追記 その2~
2022年7月21日で
ぴのぴなが脳出血になって3年が経ちました
2019年7月21日日曜日に、
「京の道 今日の道」の管理者ぴのぴなが
脳出血となって約2週間入院しました。
それから3年経ちました。
そのことを次回ブログに書きます。
祇園祭前祭宵山散策の続きは、その後に書きます。
~追記 その3~
7月14日のウチのネコ その2

自分が帰宅しても暫く寝ていたウチのネコは、
起きてもすぐには目がはっきり覚めていませんでした。
ただ、10分もすれば目がしっかり覚めます。
この直後に、ウチのネコが餌を求めてきました。
~追記 その4~
京都サンガ 準々決勝に進出
2022年7月13日水曜日に天皇杯の4回戦が行われ、
我らが京都カンセキスタジアムとちぎで、
栃木SCに1-2とイスマイラ選手の終了間際のゴールで、
何とか勝ちました。
これで、京都は12年ぶりの準々決勝進出です。
取り敢えず、行けるところまで行きたいですね。
進みたい方は、ここをクリックしてください。

前回ブログで「四条烏丸」交差点から四条通を西に進み、
約100m先の「四条室町」交差点で四条通から室町通を北上しました。
現在菊水鉾を背に室町通を北に向いています。
今回ブログと次回ブログを使って、
約50m北の「錦室町」の辻周辺の山鉾を散策します。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後3時半。
だらだら雨が降り続いています。

菊水鉾から、室町通を約50m北上しました。
ここで室町通は、錦小路と交差します。
左(西)側に見える呉服問屋優彩が露店を出しています。
祇園祭期間中は、こちらで浴衣や和服を売り出しています。
この辺りは西陣織など和装や和服の問屋街で、
あちこちの会社が祇園祭期間中に大売り出しをします。
江戸時代以前は祇園祭を経済面で支えているのが、
この室町通や新町通に点在する呉服問屋でした。
そして各山鉾はその問屋の潤沢な資金を得て、
徐々に豪華な装飾を付けるようになりました。
今でも呉服問屋が和装和服販売の会社となって、
祇園祭を支えています。

室町通から、錦小路を東に向いています。
今回は、先ずこの占出山に訪れます。

室町通から、錦小路を東に進んでいます。
第605回ブログに書いてあるように
この辺りの錦小路沿いはちょっとした呑み屋街なのですが、
コロナ禍ではそこそこ激震が走った場所です。
こちらのお店も数年前とは違うお店に変わっていましたが、
この日は結構流行っていました。
さらに店頭で露店を出して、
宵山を散策する方にビールや揚げ物を売っていました。

その東隣の焼肉屋さんも、白いテントを出しています。
こちらの露店ではビールを出されていますが、
他は何でしょうか?よく調べていません。

室町通から、錦小路を東に約50m進みました。
こちらに、占出山が立っています。
占出山の手前に白いテントが立ってますが、
こちらで占出山の和菓子が売られています。

2017年7月16日に、占出山の和菓子を買いました。
大極殿本舗が製造した京菓子ですね。
「若あゆ」という銘が付いています。

そして、こちらが袋を開けた「若あゆ」です。
鮎を模した和菓子で、実は京都では有名な和菓子です。
(京和菓子匠では、よくある和菓子です)
カステラ生地の中に、小豆餡が詰まっています。
まぁ占出山は鮎にちなんだ山ですから、
このような京菓子を売られているのでしょうね。

ここから、2022年7月14日の写真に戻ります。
占出山に、近づいてみました。
雨の中でまだ7月14日ですから、装飾品は一切付いていません。

占出山の南側に、こちらの路地が見えます。
目の前の方に体温を計ってもらい、
アルコールジェルで手指消毒したら、
この奥の占出山会所に向かえます。

占出山会所前に、こちらが立っていました。
この辺りが、木下順庵の邸宅址です。

自分も検温してもらい、アルコールジェルで手指消毒しました。
では錦小路から路地を南下して、占出山会所に向かいます。

こちらが、占出山会所の西半分です。
こちらには、雨天で取り付けられていない装飾品を展示しています。

では、占出山の装飾品を見ていきます。
先程の占出山に、こちらを取り付けて巡行します。
上部の横に細長いのが、山の上部にまかれる水引です。
そちらには、三十六歌仙の肖像が和歌とともに描かれています。
下部は、占出山の周囲に取り付けられる胴掛です。
占出山の胴掛は日本三景が描かれていて、
こちらはそのうちの松島を描いています。

こちらは、占出山の正面部分の前掛です。
三十六歌仙の水引の下は、宮島が描かれています。

そして、こちらは先程の反対部分の胴掛です。
三十六歌仙の水引の下は、天橋立が描かれています。

さらにその南側には、占出山の見送り(後部)が展示されています。
さらにさらに会所の最南端に、様々な小道具が展示されています。

占出山会所の最南端に、やって来ました。
こちらにも、新調された前掛けと胴掛が展示されています。
現在では、こちらの方が山鉾巡行の際に使用されています。
ただ、ここでいちばん目を引くのは
この脇差(小型の日本刀)ですね。

こちらが、その脇差です。
ご神体の神功皇后が山鉾巡行の際に、身に着けられます。
平安時代の鍛冶師三条宗近の作品です。
三条宗近は1,000年以上前の名工ですので、
彼の作品はほとんど現存しません。
そのため、こちらは国宝に指定されています。

さらに、占出山会所の東半分を見ています。
形状からこちらが神社の社であるとわかりますが、
こちらのご神体は、占出山のご神体でもある神功皇后の神像です。
また占出山の粽(ちまき)や手拭いなども、社で買い求めます。
占出山は神功皇后が新羅に攻め込む前に、
鮎を釣って占いを行った故事を取材しています。
(古代日本では、戦争前に鮎を釣って
その鮎の数でその戦争に勝つかどうか占っていました)

占出山の社の前で、北を向きました。
では路地を北上して、占出山を出ます。

占出山会所に通じる路地から、錦小路を西に向きました。
では、いったん室町通まで戻ります。

占出山から、錦小路を約50m西に進みました。
こちらで錦小路は、室町通と交差します。
つまり、「錦室町」の辻に戻ってきました。

「錦室町」の辻で、室町通を北に向いています。
前回ブログで南側の菊水鉾を散策して、
東側の占出山にはたった今訪れました。
次は、この辻の北側に立つ山伏山に向かいます。

錦小路から、室町通を約30m北上しました。
こちらに、かつての京都市立明倫小学校が建っています。

京都市立明倫小学校だった建物は、
現在は京都芸術センターに変わりました。
お金を払えば誰でもアトリエやギャラリーをここで持てます。
そういう施設のほか、こちらには芸術に特化した図書室や
コンサートホール、カフェなども併設されています。
(詳細は、第605回ブログ参照)

京都芸術センターには、前田珈琲 明倫店が入っています。
祇園祭期間中にも、かなりの人が入店されていました。

京都芸術センターの前で、室町通を北に向いています。
約30m先に、山伏山が立っていますね。

こちらが、祇園祭前祭では最北端の山鉾である山伏山です。
おおよそですが、この北で東西に延びる蛸薬師通が
前祭と後祭の山鉾町の境界線です。
つまり山伏山より北側は、すべて後祭の山鉾町です。

そして、こちらが山伏山です。
と言いましても、結構の大雨の中装飾品は一切付いていません。

その山伏山の北側に、山伏山の会所が建っています。
1Fで粽(ちまき)や手拭いなどが売られていて、
2Fでご神体や装飾品が展示されています。
こちらも、祇園祭会所ではよくある形式ですね。

先程の位置で、山伏山会所の2Fを大写ししました。
こちらが、山伏山のご神体である浄蔵貴所の神像です。
浄蔵貴所は、平安時代に活躍した修験者(山伏)です。
念力で法観寺の八坂の塔を修復したという伝説が残っています。

山伏山会所から、室町通を南に向いています。
ここより北に前祭の山鉾が立たないので、
ここから室町通を南下します。

山伏山から、室町通を南に向いています。
では京都芸術センターも通り過ぎ、
さらに室町通を南下します。

山伏山から、室町通を約50m南下しました。
ここでまたまた「錦室町」の辻に戻ってきました。
この先に、前回ブログで訪れた菊水鉾が見えますね。
今回ブログの冒頭に出てきた和服和装の会社優彩の露店も、
だいぶ繁盛しているみたいです。

今度は室町通から、錦小路を西に向きました。
この先に、霰天神山(あられてんじんやま)が立っています。
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けています。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、ちょっと特殊な記事を掲載します。
その後、こちらの続きの連載を再開します。
霰天神山と放下鉾に向かいます~
~追記 その1~
今回散策した場所の地図を貼り付けます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
占出山会所が、起点です。
~追記 その2~
2022年7月21日で
ぴのぴなが脳出血になって3年が経ちました
2019年7月21日日曜日に、
「京の道 今日の道」の管理者ぴのぴなが
脳出血となって約2週間入院しました。
それから3年経ちました。
そのことを次回ブログに書きます。
祇園祭前祭宵山散策の続きは、その後に書きます。
~追記 その3~
7月14日のウチのネコ その2

自分が帰宅しても暫く寝ていたウチのネコは、
起きてもすぐには目がはっきり覚めていませんでした。
ただ、10分もすれば目がしっかり覚めます。
この直後に、ウチのネコが餌を求めてきました。
~追記 その4~
京都サンガ 準々決勝に進出
2022年7月13日水曜日に天皇杯の4回戦が行われ、
我らが京都カンセキスタジアムとちぎで、
栃木SCに1-2とイスマイラ選手の終了間際のゴールで、
何とか勝ちました。
これで、京都は12年ぶりの準々決勝進出です。
取り敢えず、行けるところまで行きたいですね。
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