京の道 今日の道 2022年07月
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第840回 炎天下の八坂神社~祇園で夏越の祓い~その1

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6月30日は、夏越の祓いです。
元旦から半年経ったこの日、半年分の厄を払う儀式を行います。
この場合の「厄払い」とは、「疫病退散」を指します。
日本全国にある風習ですが、特に京都で盛んな行事です。
「京の道 今日の道」では毎年夏越の祓いに参加していますが、
2022年は2年ぶりに八坂神社に向かいます。
さらに、その後「東山区祇園地区」を練り歩きます。

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京都駅北側市バスターミナルから26系市バスに乗って、約25分。
こちらは、「祇園」バス停です。
今回はこちらから八坂神社に向かい、夏越の祓いに参加します。
撮影日は、2022年6月30日木曜日の午後2時25分。
6月なのに梅雨が明けていて、炎天下の大祓でした。


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「祇園」バス停から、東大路を206系市バスが北上します。
206系市バスは岡崎公園に近い「岡崎公園口・東山二条」バス停を
さらに北上して、北大路との交差点「高野」バス停で
北大路を西に曲がります。


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「祇園」バス停は、「よしもと祇園花月」の前に立ちます。
こちらは、京都市内にある吉本興業の寄席です。
また、北部祇園の歌舞練場「祇園会館」でもあります。
春になると、芸妓さんや舞妓さんの舞踊を見られます。
(厳密には、花街祇園は四条通を境に「北部祇園」と
「甲部祇園」に分かれます。
つまり、花見小路周辺が「甲部祇園」です)


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今度は「祇園」バス停から、東大路を南に向きました。
左(東)側に見える鎮守の森が、八坂神社です。
次は、ここから南下します。


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「祇園」バス停から、東大路を約100m南下しました。
ここで東大路は四条通と交差して、「祇園」交差点となります。


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「祇園」交差点の北側に、米屋さんの八代目儀兵衛があります。
京都駅前地下街PORTA玄米 ぎへえも、経営しています。


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「祇園」交差点北西角に、立っています。
この辺りは飲食店が多いのですが、どちらも賑わっていますね。


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「祇園」交差点で、東大路から四条通を西に向いています。
約700m先の京阪電鉄「祇園四条」駅近くに、
老舗蕎麦屋総本家 松葉レスラン 菊水など
京都を代表する飲食店が建ち並びます。


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「祇園」交差点で、東大路から四条通を東に向きました……
と言いますか、四条通はこの交差点で突き当たります。
その突き当りが、八坂神社西楼門です。(正門ではありません)
そのため、「祇園」交差点を「祇園石段下」とも呼びます。


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「祇園」交差点北西角で、東を向いています。
では目の前の横断歩道を渡って、八坂神社の前に進みます。


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その横断歩道を東に渡って、東大路を南を向きました。
目の前に、八坂神社西楼門が見えますね。


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八坂神社西楼門の辺りに、こちらの幟が立っていました。
こちらによると、この度八坂神社本殿が国宝に指定されたそうです。


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その位置から、八坂神社西楼門を見上げます。
では、この石段を登って八坂神社西楼門に向かいます。


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神社の楼門前には、狛犬が並んでいます。
右側の口を開けてるのは、「阿形」の狛犬です。


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そして対になるのが、「吽形」の狛犬です。
上御霊神社同様、角が生えた「吽形の狛犬」です。


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八坂神社西楼門の石段を上り切りました。
あと約30分で、大祓が始まりますね。
では、この西楼門をくぐって八坂神社境内に入ります。


840-17.jpg八坂神社西楼門をくぐり、境内を東に向いています。
ここからは、末社を回りつつ少しずつ本殿に向かいます。


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八坂神社西楼門の左(北)側に、手水舎があります。
まずは、そちらに向かいます。


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その手水舎に、近づいてみました。
コロナ禍の関係で、柄杓が置かれていません。
ぞこで、流れ出る水に直接手を漬けました。


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さらに手水舎の周囲に、風鈴が下がっていました。
……のですが、風に吹かれて揺れる風鈴がブレて写ってしまいました。


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その手水舎の前で、八坂神社境内を北に向きました。
この先に、八坂神社絵馬殿が見えますね。
そこで、この小径は東に折れます。
こちらは円山公園への近道ですが、本殿に向かうのは不向きです。
(第13回ブログ参照)


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八坂神社西楼門をくぐると、正面(東側)に疫神社がいらっしゃいます。
八坂神社の末社で、疫病をばら撒く神様がご祭神です。
逆に、人々を疫病から守る神様でもあります。
2020年はこちらにも茅の輪が付いていましたが、
今年(2022年)は付いていませんね。
(第747回ブログ参照)


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疫神社の右(南)側には、白髭神社と太田神社が合祀されています。
こちらにも、お参りして先へと進みます。


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白髭神社と太田神社の前で、八坂神社境内を南に向きました。
こちらだけでしたが、八坂神社境内に露店が戻っていました。
チョコバナナとかき氷の屋台ですが、
どうも同じ方がお店を経営されていました。
まぁこの炎天下ですから、かき氷は相当売れていました。
ここからは、こちらのルートを進みます。


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八坂神社西楼門から境内を約10m南下して、東を向きました。
ずっと先に、八坂神社拝殿が見えますね。
次は、ここを東に進みます。


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その八坂神社拝殿に進む前にも、末社が並びます。
こちらは、北向恵比寿社です。ご祭神は、恵比寿神ですね。
ただ、こちらは修復中です。
写真には写っていませんが、
この辺りで宮大工さんが作業されていました。


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北向恵比寿社の前で、八坂神社境内を東に向きました。
八坂神社拝殿が、だんだん近づいてきました。


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八坂神社境内の石段を上がったところに、
大国社がいらっしゃいます。
ご祭神は大国主命だけでなく、事代主少彦名も祀られています。


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大国社の前に、こちらが置かれています。
大国主命のご利益に、縁結びがあります。
諸説ありますが、大国主命はネズミが神使と考えられています。
ですから、こちらはネズミを模した縁結びのおみくじです。
全体を撮ろうとして、ネズミ型のおみくじが小さく写りました。
実は、結構可愛いおみくじです。


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また、大国主社の前にこちらが置かれていました。
因幡の白兎を描いた石造ですね。
ただ、ご時世からどちらもマスクをしています。


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さらに、ご時世から鈴の緒は手をかざすだけで音が鳴ります。
……ということでしたが、実は近づくだけで鈴の音がします。
手をかざす必要は、ありません。
では、こちらにお参りして八坂神社拝殿に向かいます。
とはいえ、だいぶ写真を張り付けたので今回はここまでです。

~次回は、八坂神社大祓に参加します~

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第841回 八坂神社 大祓~祇園で夏越の祓い~その2

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前回ブログで「祇園」バス停から、
八坂神社西楼門を経由して舞殿近くまで来ました。
今回は茅の枠くぐりの後八坂神社本殿に参拝して、
八坂神社大祓に参加します。
撮影日は、2022年6月30日木曜日午後2時40分。
炎天下で立ちっ放しは、相当きつかったです。


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先程の位置から東に進み石段を上がり、南を向きました。
こちらに、末社の大国社がいらっしゃいます。
こちらの詳細は、前回ブログを参照してください。


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その大国社の前で、八坂神社境内を南に向きました。
大国社の向かい(南)側に、八坂神社社務所があります。
破魔矢やおみくじ、お札は、ここで買い求めます。
また夏越の祓いごろから祇園祭の各粽(ちまき)も、
この社務所で買い求められるようになりました。


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八坂神社社務所の前で、境内を東に向きました。
目の前のテントはちょっとした日除けで、
こちらでおみくじなども買い求められます。
この東側に、八坂神社舞殿が立っています。


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八坂神社社務所の東側で、この水が売られていました。
神社で普段から飲まれているお水というわけではなく、
八坂神社のご祭神素戔嗚尊を「海神」と定め、
海洋深層水を「神様の水」として売り出されています。
価格も安いので、自分もたまに買います。


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八坂神社社務所の前で、境内を北に向きました。
八坂神社本殿の西側にも、末社の祠がいらっしゃいますね。


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さらに八坂神社社務所の前で、境内を東を向いています。
八坂神社舞殿の南側に、大きな茅の輪を立たせてあります。
その南側に、人が並んでいます。
おそらく、茅の輪くぐりの行列ですね。


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八坂神社舞殿前から南に伸びている茅の輪くぐりの行列は、
八坂神社南楼門(実は、こちらが正門)を出てさらに外に続いています。
ですから、いったんこの南楼門を出てこの行列の最後尾に並びます。


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八坂神社南楼門をくぐって、境内をさらに南に向いています。
向こうに見える石製鳥居の先(南側)は下河原通で、
もう八坂神社境内ではありません。
……とは言え、この写真で見える位置までは
茅の輪くぐりの行列が並んでいません。


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先程撮影した位置で、八坂神社境内を北に振り返りました。
茅の輪くぐりの行列の最後尾は、
八坂神社南楼門の真下にいらっしゃいます。
では、八坂神社南楼門の真下当たりの
茅の輪くぐりの行列の最後尾に並びます。


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……と言う訳で、八坂神社南楼門から北を向ています。
そこそこ長い行列ですが、当初はもっと長いと思っていました。


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八坂神社南楼門の石段を下りたところに、こちらの看板がありました。
この時点で、2022年6月30日午後2時45分です。
自分の前には、あと20人ほどいらっしゃいます。
たぶん、自分は午後3時前に茅の輪をくぐれます。



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八坂神社の神職さんが、順番待ち一人一人に話しかけられました。
「心を込めてくぐれば、1回だけでもご利益があります。
時間がないので、ご協力ください」
確かに自分は間に合うのですが、自分の後ろにも次々人が並ばれて
先程と行列の長さが変わっていません。
これは、自分も急がないと間に合わない方々が出てきます。
作法どおり、ゆっくりくぐっている時間はありませんね。


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先程の茅の輪の脇に、こちらの看板が立っていました。
大祓の神事や茅の輪くぐりの由来が、ここに書いてありますね。
まぁ「蘇民将来の神話」はもっと残虐で身の蓋もない話なのですが、
(特に、蘇民将来に茅の輪を授ける由来の辺りが……)
八坂神社の伝承ではその辺は簡略化されています。
(詳細は、今回ブログの「追記」に書きました)


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とうとう自分の茅の輪をくぐる順番が、回ってきました。
この時点で、2022年6月30日午後2時50分です。
自分の後方には、八坂神社南楼門まで長い行列です。
元梛神社の作法では何回か回るのですが、(第321回ブログ参照)
先程の神職さんの言葉通り1回だけくぐりました。
そうそう「我、蘇民将来の子孫也」を忘れてはいけません。


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八坂神社境内の茅の輪をくぐり、一礼をして頭を上げました。
八坂神社舞殿越しに、八坂神社本殿が見えます。
2020年の夏越の祓いでは、舞殿上で大祓が行われました。
神事10分前でこの状態ということは、
2022年は舞殿で大祓が行われないことは確定的です。
取り敢えず、その10分で先に本殿へお参りします。


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八坂神社間殿の北側に回り込み、八坂神社本殿に来ました。
大祓まで時間があるので、先に参拝を済ませます。

八坂神社のご祭神は……一応「素戔嗚命」(すさのおのみこと)です。
「一応」が付くのは、幕末の神仏分離令で
もともとのご祭神から素戔嗚命へ変更されたからです。
(八坂神社自体の見解では、初めから素戔嗚命がご祭神となります。
その辺は様々な方の立場や政治思想が絡むので、
深入りしないのが無難です)
江戸時代以前のご祭神は牛頭天王(ごずてんのう)で、
仏教由来の神様説や疫病をばら撒く疫病神など、
様々な側面がある神様です。
「疫病神」は「疫病を防ぎ治療する神様」と同一視されるので、
天然痘など伝染病が大きく流行り、
多数の死者を出すと信仰される神様です。
もともとは平安時代の初期に天然痘が大流行して、
多数の死者を出したときに創建された神社です。
祇園祭を取り仕切る神社で、
2020年にこの本殿が国宝に指定されました。


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京都市内の多くの神社では鈴の緒が取り外されているのですが、
八坂神社ではまだきちんと鈴の緒が取り付けてあります。
その代わり、こちらは抗菌コートを施しているそうです。


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八坂神社本殿前で、境内を東に向きました。
この先の朱い鳥居をくぐれば、円山公園です。
ですから、あの鳥居の先はもう八坂神社ではありません。

……と言いますか、時計を見るとそろそろ午後3時です。
いよいよ2022年の八坂神社大祓が始まります。


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八坂神社御南楼門の東側に能舞台があって、
そちらで2022年の八坂神社大祓が行われます。
さらに東隣の斎館から、来賓の参加者が出て来られました。
斎館には、神事の際に来られる方が待機される貴賓室があります。


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取り敢えず、自分も八坂神社能舞台に近づきます。
来賓の方々が着席されると、一般の参加者の受付が始まりました。


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すると八坂神社社務所前や本殿前にいらした方々が、
一斉に八坂神社の能舞台前に集結されました。
その一人一人に、小さな紙袋を神職さんが配られておられます。
近所に住む自分は遠方から来られた観光客に先を譲りましたが、
それでも相当数の紙袋が余っていました。
ですから観光客の後に続いて、自分も行列に加わりました。


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こちらが、その小さな紙袋です。
厳密には、1枚の紙を袋状に折ったものです。
こちらを戴いたとき、神職さんにこう尋ねました。
「神事中に、写真撮影はOKですか?」
すると、神職さんは苦笑いでお茶を濁されました。
「まぁ、常識では写真撮影はダメなんですけどね」
自分がそう水を向けると、神職さんはこう答えられました。
「はい、そういうことで」
……と言うことで、ここから大祓の神事は撮影していません。

そうそうウチのブログを訪問された方のブログに、
「夏越の祓いって、以前はそこまで盛んではなかった」
というようなことが書いてありました。
「追記」に、その辺の事情を書いています。
「追記」へは、今回ブログの巻末の
「続きを読む」をクリックしてください。


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神事の撮影がダメなことは最初から分かっていたので、
神事の前に(神職さんに尋ねる前に)能舞台を撮影しました。
結局大祓の一般の参加者は、この2倍ほどです。

自分たちが所定の位置に就くと、午後3時となりました。
すぐに神主さんが来られて、大祓の神事が始まりました。
一通りの挨拶が終わると、神主さんが祝詞(のりと)を唱えられました。
「高天原にかんずりまするカムロギ・カムロミ……」
と続く定型文の後、天岩戸伝説と
その後に素戔嗚命が高天原を追放される伝説を語られました。
八坂神社ご祭神に関する伝説ですが、
その後に蘇民将来が茅の輪を授かる伝説まで続きます。

まぁ自分はこういうお話が好きなのですが、
何しろ炎天下のお昼下がりです。
この間参拝者は一礼の格好を維持しなければならず、
これがかなり辛かったです。
後頭部と背中に当たる強い日差しがきつくなってきました。


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祝詞が終わると、参拝者は小さな紙袋を開けます。
中には1㎠位の小さな紙片とオガクズ、紙製人形が入っていました。
小さな紙片とオガクズは、3回に分けて自分に振りかけます。
そのあと紙製人形に自分の息を大きく吹きかけます。
これで自分の厄が、紙製人形に憑りつきました。
最後に残った紙製人形は神職さんに手渡し、
八坂神社できちんと厄を払って戴きます。


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こちらは、大祓が終了した後の八坂神社能舞台です。
写真中央の椅子に、神主さんが座っておられました。
左(東)側のパイプ椅子には、来賓が座っておられました。
一般の参拝者(自分も含む)は、さらに東側で立ち見でした。
八坂神社の会計者や来賓は斎館に戻られましたが、
自分は能舞台から移動します。


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大祓の神事の間、中断していた茅の輪くぐりが再開されました。
大祓の神事に参加されていた来賓の方々も加わったので、
相当長い行列になっています。
実は大祓の神事の後に茅の輪をくぐるのが、正式な作法です。


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その茅の輪から、八坂神社境内を南に向きました。
先程の約2倍もの長さの行列ができています。


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八坂神社南楼門の真下から、境内を北に向きました。
この後ろに、まだまだ順番待ちの行列が続きます。


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茅の輪くぐりの行列の最後尾を背後に、
八坂神社境内を南に向いています。
先に1回茅の輪をくぐっていますし、
だんだん自分の体温が上がってきましたので、
もう茅の輪くぐりはやめて先に進みます。


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八坂神社南楼門の南側で、境内を東を向きました。
八坂神社境内に、中村楼が建っています。
中央の茶店も、右(南)隣の最高級料亭も、閉まっています。
たぶん今自分が参加した八坂神社大祓の来賓に、
このお店の方々もいらっしゃたのでしょうね。

今回は、ここまでです。

~次回は、東山区祇園地区の南東部を散策します。
ただ、このままだと熱中症になるので近くのお店で休憩しました~

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第842回 ジュバンセルに避難~祇園で夏越の祓い~その3

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前回ブログで八坂神社の大祓に参加して、
八坂神社南楼門からさらに南に向いています。
石鳥居の向こう(南)側に下川原通が伸びており、
そこから先は八坂神社境内ではありません。
今回は東山区祇園地区南東部を散策します……
と言いたいところですが、この炎天下です。
まずはエアコンの効いたカフェに避難します。
撮影日は、2022年6月30日木曜日午後3時半。
この時間帯が、いちばん暑かったですね。


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八坂神社南楼門から見えた八坂神社石鳥居に移動して、
その真下から南を向いています。
ここから南に、下河原通が伸びていますね。


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八坂神社の石鳥居から、西を向いています。
約100mこの坂道を下ると、東大路と交差します。


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今度は八坂神社石鳥居から、東を向きました。
こちらの坂道を約100m上ると、円山公園です。


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八坂神社石鳥居から、下河原通を南下しています。
この写真の中央で、人力車の車夫さんが客引きをされています。
この後自分にも勧誘されたのですが、
逆にいろいろ質問してみました。
2020年辺りと比べると、現在の売り上げは約2倍だそうです。
ただ、インバウンド需要只中と比べてまだ半分くらいだそうです。


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その辺りで、下河原通から東を向きました。
もう東山の中ですので、ここから先は山道です。
この山道を東に約30m登ると、大谷祖廟に辿り着きます。
(東本願寺の墓地ですね)


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八坂神社南楼門前の石鳥居から、下河原通を南下しています。
この辺りは完全に花街祇園の一部なので、
下河原通沿いの両側に、料亭や料理旅館が並びます。


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八坂神社南楼門前の石鳥居から、約80m東に進みました。
左(東)側に、秋葉大権現を祀る尼寺東景寺が建っています。
ただし、こちらは非公開寺院です。


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一方、東景寺の向かい(西)側に、緑色の暖簾が見えます。
こちらが、京洋菓子司ジュバンセル 祇園店です。
ジュバンセルは大半が持ち帰り専門店なのですが、
こちらは店内飲食が可能なお店です。


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前回ブログで八坂神社の大祓神事に参加した際、
自分は体温がどんどん上がってちょっと体調が悪くなりました。
ですから、ちょっとジュバンセルで休憩します。
京のお店 今日のお品で紹介したとおり、
ジュバンセルへはテナントビル内のエレベーターを利用します。
こちらは、そのエレベーターに貼られたチラシです。
この日は2022年6月30日なので、6月メニューが出ます。
今回ブログ掲載時期の2022年7月はレモン三昧のようですね。


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そのエレベーターの扉が開くと、エアコンの冷風が入ってきました。
熱中症寸前の自分には、極楽に到達した気分です。
先ずは、足踏み式のアルコールジェルで手指消毒します。


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「京のお店 今日のお品」取材以来のジュバンセル祇園店です。
店内には全盛期ほどではありませんが、お客さんがいらっしゃいます。
まぁ、大半はテイクアウト目的の方々でした。
自分と同じ八坂神社大祓の神事に参加直後の方も、
テイクアウトのお客さんの中に見掛けました。
ですから、そちらは一切撮影していません。
こちらは、自分が就いた席の近くです。


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店内の窓から、南側を見ています。
先程自分がいた八坂神社南楼門が、向こうに見えますね。


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結局自分は、その窓が見える席に就きました。
メニューを見ると、夏用に変わっていますね。


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さらにメニューをめくると、6月用のものが出てきました。
新茶の季節ですから、抹茶中心ですね。


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注文から、約10分経ちました。
すると、注文していた抹茶パフェセット(950円)が来ました。


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抹茶パフェを注文したのですが、
セットということで紅茶も付きます。
ちょうどいい温度でしっかり淹れているので、
深みのあるおいしい紅茶です。
ですから、何も入れなくても甘味と旨味が強いですね。


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そして、こちらが抹茶パフェです。
ホイップクリームの上に、抹茶の入った
ババロアとムースが載っています。
いちばん上には、甘く煮た栗とホイップクリーム、
ゼラチンで固めた小豆餡がトッピングされています。


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こちらを約30分かけて戴きました。
ただ長い間炎天下にいたので、
この時の自分はだいぶ消耗していました。
そのため、さらに約30分ジュバンセルで待機しました。


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自分が京洋菓子司ジュバンセル祇園店を出たのは、
2022年6月30日木曜日午後4時半でした。
現在ジュバンセル祇園店の前で、下河原通を南に向いています。
では、ここから下河原通を南下します。


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ジュバンセル祇園店から、下河原通を南下しています。
右(西)側に、こちらのお店が見えます。
確か骨董店だったと思うのですが、
GOOGLEの地図上では飲食店に登録されています。


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そのお店の向かい(東)側は和菓子匠の若菜屋なのですが、
こちらは閉まっていました。
どうも、2022年1月からずっと休業のようです。
(扉に貼ってある紙に書いてありました)


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その和菓子匠の栗阿彌の右(南)側から、
東へ伸びる小径があります。
登りの山道ですが、市街地の一部ですので
周囲には飲食店を初めとする京町屋が建ち並びます。
それらの飲食店はお酒を提供するお店なので、
午後5時前の時間帯ではすべて閉まっています。


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さらに、下河原通を南下しています。
こちらは確かホテルだったはずですが、
もう潰れてしまっています。
東山区祇園地区は、新京極と並び
京都市街地でも特に不景気だった地区ですが、
まだまだ倒産件数が多いままです。
……と言いますか、むしろ今の方が倒産が多いように思います。
(統計を正確に取っていませんので、はっきりと言えませんが)


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そうはいっても、その分新しいお店も増えています。
こちらのフランス料理店は、ここ最近できました。
今は午後4時半ですから閉まっていますが、
午後5時になると開店されるようです。


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フランス料理店の向かい(西)側にはこの老舗骨董店があります。
こういうお店の大半は、不景気に強いですね。


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ジュバンセル祇園店から、下河原通を約150m南下しました。
右(東)側にも京町屋のようなものが見えますが、
そちらから東に石塀小路が伸びています。
ちなみに下河原通は、約200m南に建つ
八坂の塔(法輪寺)で突き当たります。
(八坂の塔は、第103回ブログ参照)
また、ここで下河原通は安井通と交差します。


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下河原通から、安井通を西に向いています。
ちなみに、この位置が安井通最東端です。
この辺りの安井通沿いにも飲食店や
ホテルが多いのですが、そのどちらも健在でした。
さらに、うちのネコがお世話になっている獣医さんも健在です。


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下河原通から、安井通を約100m西に進みました。
ここで安井通は、東大路と交差します。


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安井通から、東大路を南に向いています。
ここを約100m進むと、「東山安井」バス停です。
建仁寺への最寄りバス停ですね。
では、そちらから206系市バスに乗って帰宅します……
という設定で、もうちょっと東山区祇園地区を散策します。
ただだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、東大路より西の祇園を散策します~

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第843回 安井金毘羅宮~祇園で夏越の祓い~その4

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京都駅北側市バスターミナルから206系市バスに乗って、約20分。
こちらは、東山区祇園地区南部の「東山安井」バス停です。
……と言う設定で、本当は前回ブログから歩いてこちらに来ました。
今回はこちらの近所にある安井金毘羅宮で、
夏越の祓いの茅の輪をくぐります。
撮影日は、2022年6月30日木曜日午後4時45分。
夕方になって日差しが弱くなり、体調が戻りました。


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「東山安井」バス停から、東大路を北に向いています。
206系市バスは、次の「祇園」バス停に向かいました。
自分も、東大路をこのまま北上します。


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「東山安井」バス停から、東大路を約100m北上しました。
ここで東大路は、安井通と交差します。
要するに、こちらが「東山安井」交差点ですね。


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「東山安井」交差点で、東大路から安井通を東に向きました。
前回ブログではこの安井通を西に進み、
「東山安井」交差点まで来ました。
ですから、本当は「東山安井」交差点から
「東山安井」バス停まで歩いて移動して、今回ブログを始めました。


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今度は東大路から安井通を西に向きました。
この辺りは花街祇園の只中ですので、飲食店が建ち並びます。
今回は安井通をこのまま西に進んで、
東山区祇園地区南西部を散策します。



東大路から、安井通を約150m西に進みました。
ここで、安井通は南北に伸びる道と交差します。


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その交差点で、安井通から南を向いています。
こちらに、安井金毘羅宮の石製鳥居が見えます。
では、こちらをくぐって安井金毘羅宮に向かいます。


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安井通から石製鳥居をくぐって、南を向いています。
この辺は「ラブホテル街」ですから、
そういうホテルが建ち並んでいますね。
では、さらにこちらを南下します。


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安井通から、こちらの道を約50m南下しました。
ではこちらの朱い鳥居をくぐって、
2012年以来の安井金毘羅宮にお邪魔します。


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赤い鳥居をくぐって、安井金毘羅宮境内に入ってきました。
その鳥居の許に、末社の天満宮がいらっしゃいます。
2012年では、こちらに猫がお昼寝していました。


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その天満宮の前で、安井金毘羅宮境内を南に向いています。
目の前で、神職さんや宮司さんが茅の輪を編み上げられています。
安井金毘羅宮の夏越の祓いは、夕方以降に行われます。


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茅の輪の近くはたくさんの方々がいらっしゃるので、
撮影をしていません。
その代わり、その脇の貼り紙を撮影しました。
こちらをくぐるときは、特別な和歌を歌うようですね。
(通常は、「我は蘇民将来の子孫也」です)
そうそう、安井金毘羅宮の大祓は午後6時からです。
この日は午後7時までに夕食を作らないといけないので、
こちらの大祓の神事に参加できません……


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その茅の輪の前で、安井金毘羅宮境内を南に向きました。
東(東)側に絵馬殿、右(西)側に拝殿が建っています。
その絵馬殿前の藤棚が、とても立派ですね。
とは言え、その周囲には葉桜並木が続いています。
安井金毘羅宮は藤の花で有名ですが、
桜シーズンの祇園でも人気スポットですね。


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安井金毘羅宮絵馬殿を背に、西を向き拝殿を臨みます。
こちらにお賽銭を入れて、安井金毘羅宮本殿前へ進みます。


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安井金毘羅宮拝殿から境内を西に進み、本殿前へ来ました。
安井金毘羅宮のご祭神は、大物主です。
「金毘羅」宮ですから、ワニ神の金毘羅大権現とも考えられます。
いずれにしても、香川県の金毘羅宮と同じ神様ですね。
ただし、こちらは崇徳上皇源頼政も合祀されています。
どちらも、平清盛に敗れて非業の死を遂げた方々ですね。
また、こちらは縁結びと縁切りのご利益があるとされています。


その本殿の前に、大祓の神事について書いた紙が貼ってありました。
八坂神社同様、紙製人形に息を吹きかけて
それを供養することで厄を落とすようです。


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安井金毘羅宮拝殿前に戻って、境内を南に向きました。
では、さらにこちらを南下します。


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安井金毘羅宮境内最南端には、縁切り縁結びの碑があります。
こちらの中央に人間が一人通れる穴があって、
その穴をくぐると、悪縁が切れ新たに良縁を得るご利益があります。
こちらは安井金毘羅宮の象徴的存在で、
こちらを目当てに安井金毘羅宮に参拝される方も多いですね。


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安井金毘羅宮境内を一通り回って、茅の輪の前に戻りました。
もう茅の輪が完成されていたので自分はくぐりましたが、
周囲にまだ神職さんや宮司さんがおられて、
茅の輪周辺の写真撮影ができませんでした。
その茅の輪をくぐり、境内を北に向きました。
こちらに、久志塚(櫛塚)と八大力尊社が並びます。
久志塚は、その名の通り櫛を供養されているのでしょうね。


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安井金毘羅宮の茅の輪をくぐりましたが、
時間的に厳しいので大祓には参加しません。
境内を一通り散策しましたので、
自分は2022年安井金毘羅宮の夏越の祓いを終了します。


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末社の天満宮の前から、そのまま北を向きました。
安井金毘羅宮の正門はもっと南の東大路沿いなのですが、
今回は来た道から、そのまま安井通へと戻ります。


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安井金毘羅宮の朱い鳥居をくぐり、北上しています。
「ラブホテル街」を抜けて約50m北上すると、
安井金毘羅宮の石製鳥居に当たります。


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安井金毘羅宮の朱い鳥居から北上して、
「ラブホテル街」を抜けました。
目の前の石製鳥居を抜けると、安井通に戻ります。


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安井金毘羅宮の石製鳥居の前で、安井通を西に向きました。
夕方なので西日がまぶしいですが、
八坂神社にいたときの凶悪な日差しは和らぎました。
ここからは、このまま安井通を西に進みます。


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安井金毘羅宮の石製鳥居の前から、安井通を西に約150m進みました。
安井通は、臨済宗建仁寺派本山建仁寺の門前で突き当たります。


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安井通の突き当りで、南を向いています。
こちらは、臨済宗建仁寺派本山建仁寺北門です。
午後5時を回り境内散策が厳しいので、
今回はこちらをお邪魔しません。
この時期は、塔頭寺院両足院の半夏生が見事です。
また、建仁寺放生池のハスが満開ですね。


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建仁寺北門を背に、安井通最西端で北を向いています。
ここから北に、花見小路が伸びています。
京都五花街の一つ甲部祇園の中心街ですね。
花見小路の左(西)側は建仁寺の白壁で、
右(東)側は塔頭寺院の大中院の土塀です。
どちらからも、葉桜並木が見えていますね。
東山区祇園地区は、どこも桜の名所でできています。


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安井通から、花見小路を約50m北上しました。
ここで花見小路は、団栗通と交差します。


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団栗通から、花見小路の東側を見ています。
こちらは祇園甲部歌舞練場で、祇園コーナーとも呼ばれています。
ただご時世から現在閉鎖されていて、
ついでに改装工事中のようです。


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団栗通から、花見小路を北に向いています。
ここから四条通までの約200mの花見小路が、
多くの方々が想像する「祇園」の街並みです。


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こちらが、花見小路の街並みです。
京町屋の飲食店やお茶屋さんが建ち並んでいます。
この時点で午後5時を回りましたので、
そろそろ芸妓さんや舞妓さんがうろつき始めます。
ただ、自分はポリシーとして
芸妓さんや舞妓さんは撮影しないことにしています。
(インバウンド需要華やかな頃に、芸妓さんや舞妓さんに
無理やり撮影を強要する事件が頻発していたので)


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今度は花見小路から、団栗通を西に向きました。
この辺りから西は、東山区祇園地区の飲み屋街があります。
ここから帰宅しながらそちらを取材したのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、団栗通と大和大路の
東山区祇園地区の飲み屋街を取材します。
次回が、「祇園夏越の祓い編」最終回です。

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第844回 祇園の呑み屋街~祇園で夏越の祓い~その5

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

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京都の花街である甲部祇園の中心街花見小路から、
西日が差す団栗通を西に向いています。
今回はこのまま京阪電鉄「祇園四条」駅まで進みますが、
その間の街並みの様子を取材します。
撮影日は、2022年6月30日木曜日午後5時15分。
昨年(2021年)より、深刻な状況かもしれません。


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花見小路から団栗通を西に約30m進み、北を向きました。
こちらの路地の奥に、京町屋の飲食店が並びます。
その大半が、高級料亭やお茶屋さんですね。
午後5時を回りましたので、芸妓さんや舞妓さんも闊歩し始めます。


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その路地の前から、団栗通を西に向きました。
左(南)側に、臨済宗建仁寺派本山建仁寺の白壁が続きます。
また約20m先に、右(北)に伸びる小路が見えます。


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先程の路地から団栗通を約20m進み、北を向きました。
約30m先から、建仁寺の塔頭寺院正伝永源院に入れます。
(ただし、正伝永源院は通常非公開寺院です)


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その小路から、団栗通を西に向いています。
左(南)側が建仁寺の白壁で、右(北)側が正伝永源院です。
ここからも、団栗通を西に進みます。


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先程から団栗通を西に進んでいますが、
建仁寺の白壁の上に1羽のカラスが止まっていました。
この辺は飲食店が多いので、
残飯を狙うカラスが多かったりします。


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先程の小路から、団栗通を西に約50m進みました。
ここで、建仁寺の白壁と正伝永源院が途切れます。
代わりに、その西側で南北に伸びる小路が伸びています。


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団栗通から、その小路を南に向きました。
門がありませんが、ここから南が建仁寺境内です。
第625回ブログではこの小路を通って団栗通を西に進み、
京阪電鉄「祇園四条」駅に向かいました。


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その小路の西側に、豊川稲荷社がいらっしゃいます。
「稲荷神社」の中でも、豊川稲荷は陀枳尼尊天をご祭神とする
「仏教系」の神社です。
豊川稲荷の通常は大きな寺院の鎮守社なのですが、
こちらも建仁寺の鎮守社です。
(詳細は、第228回ブログ参照)


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豊川稲荷社の前から、団栗通を西に向いています。
左(南)側に大きな金物屋さんがありますが、
たぶん問屋さんも兼ねています。
この金物屋さんより西側が、「祇園の呑み屋街」なのですが……
まぁ詳細はここから書いていきます。


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豊川稲荷社から、団栗通を西に約50m進みました。
ここで団栗通は、大和大路と交差します。
途中にあった「翡翠」という喫茶店は、健在でした。
同じコロナ禍の飲食店でも、喫茶店は比較的まだ耐えています。


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団栗通から、大和大路を南に向いています。
約80m先に臨済宗建仁寺西門があって、
さらに約100m南下するとゑびす神社がいらっしゃいます。
建仁寺西門以北が、「祇園の呑み屋街」です。
この辺りは、毎年10日ゑびすでよく通るのですが……


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シャッターで半分閉じていましたが、
大和大路沿いの花屋「花重」さんは健在です。
コロナ禍で多くの花屋さんが閉まってしまい、
こちらがウチから2番目に近い花屋になりました。
(一番近いのはハッピー六原の向かいです)
また写真には写っていませんでしたが、花重さんの向かい(西側)の
ホルモン鍋屋さんも健在でした。


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「団栗大和大路」交差点南東角に串カツ屋さんがあったのですが、
大衆食堂に変わっていました。
まぁ単なる定休日の可能性もあるのですが、
午後5時を回ってもその大衆食堂が閉まっています。
コロナウィルス感染「第6波」が治まって以降
徐々に飲食店への客足が戻って入るのですが、
自分の実感として昨年(2021年)より今の方が
潰れていくお店が増えています。
(統計は取っていません。あくまで、自分の実感です)


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今度は大和大路から、団栗通を西に向きました。
この辺は焼肉屋さんやホルモン焼き屋さんが建ち並ぶのですが……


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大和大路から、団栗通を約50m西に進みました。
こちらに自分がよく通っていたジンギスカン専門店があったのですが、
看板がもうありません。
中を覗くとカウンターや調理器具もなくなっています。
「京の道 今日の道」でも10日ゑびすの帰りに、
何度か立ち寄っていたお店だったのですが……
(第282回ブログ参照)
この向かい(北)側に、焼肉屋さんとホルモン焼き屋さんがあります。
そちらの2軒は健在でしたが、
この辺りの3割前後が潰れていました。


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先ほどの位置から団栗通を東に進み、大和大路まで戻りました。
現在、団栗通から大和大路を北に向いています。
道(東)側の飲食店は、午後5時を回り明かりが点きました。
今回ブログでは、ここから大和大路を北上して四条通に進みます。


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団栗通から、大和大路を北上しています。
左(西)側のレコード店は、午後5時を回って
この日の営業時間が終了しました。
右(東)側の料理旅館は、シャッターなどが完全に閉じています。
おそらく、もう辞められたのだと思います。


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団栗通から、大和大路を約150m進みました。
右(東)側に小路が伸びていますが、
こちらにたこ焼き屋さん兼居酒屋があります。
ただ、2020年の10日ゑびすのころは
こちらにギョーザ屋さんがありました。
(詳細は、第716回ブログ参照)


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ちょっと気になって、この近くのビルの看板をを覗いてみました。
こちらは、バーやキャバレーが入るテナントビルです。
約4割が空欄ですね。
ただインバウンド需要華やかな頃でも
10割が埋まっていたわけではないでしょうし、
これがその頃と比べてどうなのかはっきりしませんが……


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そのテナントビルの向かい(東)側の履物屋さんは、健在でした。
(靴屋さんではありません。和服用の履き物を売っています)
こういうお店は、コロナ禍でも強いですね。
またその左(北)隣に、洋食屋さんが新規開店しました。
この辺りは潰れたお店も多いのですが、
徐々に新規開店される飲食店も増えてきました。


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団栗通から、大和大路を約200、北上しました。
ここで大和大路は、四条通と交差します。


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四条通から、大和大路を北に向いています。
大和大路右(東)側の一銭洋食は、今日も元気に営業中です。
一銭洋食以北の大和大路は、
「接待を伴うお酒を提供するお店」が並びます。
ただ今回ブログではこれ以上北上していませんので、
そちらの様子はわかりません。


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大和大路から、四条通を西に向いています。
では、ここからは四条通を西に進みます。


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大和大路から、四条通を西に約30m進みました。
すると左(南)側に、歌舞伎小屋の南座が建っています。


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歌舞伎小屋の南座の東側には、テナントが入っています。
まぁ「テナント」と言っても、そのすべてが「老舗」なのですが……
(京都府では、老舗を自称できません。
創業100年以上のお店が京都府知事の許可を得て、
初めて「老舗」と名乗れます)
そのいちばん左(東)側に、和菓子匠の「祇園饅頭」があります。
外郎(ういろう)の一種「志んこ」が主力のお店なのですが、、
この日は、2022年6月30日木曜日の夏越の祓いです。
いつも以上に水無月の売り上げが良かったようです。


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こちらが、「祇園饅頭」の水無月です。
米粉と砂糖を混ぜたものを水で練り上げられて、蒸されたものです。
外見は外郎(ういろう)と似ていますが、
原材料が違うので食感と味は外郎と異なります。
形状が正三角形なのは、氷に似せているからです。
冷たくすると美味しい夏越の祓いに戴く京菓子ですが、
冷蔵庫に長時間入れると固くなって不味くなります。
戴く約30分前に冷蔵庫に入れるのが、美味しくなるコツです。


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テナントのいちばん右(西)側に、総本家 松葉があります。
にしんそば発祥の老舗蕎麦屋ですが、
現在東山区祇園地区の営業は、約100m北にある
「松葉 北店」に集約されています。
ですから、こちらの店舗は当面の間閉まっています。

~2022年7月18日月曜日午前11時半 追記~
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2022年7月17日日曜日に祇園祭神輿巡行を見物した際、
こちらの「総本家 松葉」が開店していました。
しかも中は超満員で、店員さんによると
「40分待ち」とのことで、その日は入るのを諦めました。
そこで詳細を訪ねると、店員さんはこうおっしゃられました。
「祇園祭期間中はこちらを開けています。
それ以降はコロナウィルスの感染者状況で変わります。
かなり流動的なので、サイトには開店状況を載せていません。
もしこちらに来られたいのであれば、
その日にこちらまで電話して開店しているか確かめてください」
とのことでした。


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祇園饅頭の左(東)側に、京阪電鉄「祇園四条」駅へ
降りる階段があります。
(「七条」駅以北の京阪電鉄は、地下鉄です)
では、こちらから京阪電鉄に乗って帰宅します。

~これで、「祇園夏越の祓い」編は終了です~

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祇園饅頭

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店名:祇園饅頭     業種:和菓子匠
営業時間:午前10時~午後5時半ごろ(はっきりしていません)
定休日:木曜日など(詳しくは、ここをクリックしてください)
喫茶スペース:なし(持ち帰り専門店です)
住所:東山区四条通川端通東入ル大井手町103
(地図で確認されたい方は、ここをクリックしてください)


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京都駅からJR奈良線に乗って、1駅。
「東福寺」駅で、京阪電鉄に乗り換えます。
(同じホームで乗り換え可能です)
さらに京阪電車出町柳行きの電車に乗って、3駅。
こちらは、「祇園四条」駅です。
(京阪電鉄は、「七条」駅以北が地下鉄です)
今回は、東山区祇園地区の老舗和菓子匠に向かいます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅改札口から、北を向いています。
目の前が、「四条川端」交差点の真下に当たります。
この辺りは、東山区祇園地区最西端に当たります。


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「四条川端」交差点の真下で、東を向いています。
この辺りは様々なお店がテナントとして入っていて、
ちょっとした地下街を形成します。
ここからは、この地下街を東に進みます。


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「四条川端」交差点の真下から、地下道の最東端まで進みました。
目の前に、京阪電鉄「祇園四条」駅6番出口が見えます。
では、こちらから地上に向かいます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅6番出口の階段を上っています。
こちらを上りきると、東山区祇園地区最西端に出ます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅6番から、東を向いています。
目の前の「四条京阪」バス停に、
四条通を走る京都市バスが停車していますね。
京阪電鉄「祇園四条」駅6番の東側に、
歌舞伎小屋の南座の出入口が見えますね。


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京阪電鉄「祇園四条」駅6番出口から、四条通を西に向きました。
この辺りから川端通(鴨川)まで、南座のテナントが並びます。
まぁテナントと言っても、
どのお店も江戸時代からここにある老舗ですが……
そのテナントのうち、一番手前が1819年創業の祇園饅頭です。
(ちなみに、いちばん奥が老舗蕎麦屋さんの総本家 松葉です)


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祇園饅頭店頭にあるショウウィンドウを撮影しています。
こちらは木曜日定休なのですが、
2022年6月30日木曜日夏越の祓いは開いていました。
と言いますのも、この日は京都市内で水無月が食されるからです。
毎年6月30日に戴く京菓子の水無月は、こちらの名物です。
事実自分と共に結構な方々が並んでおられたのですが、
その大半(自分も含めて)がこの水無月目当てでした。


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ただ夏場は、この「志んこ」もこのお店の名物です。
水無月よりも外郎(ういろう)に近い食感ですが、
小麦粉が原料で水引を結んだ形状をしています。


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その「志んこ」は、シナモン味と抹茶味もあります。
秋や冬でも戴くこともありますが、
自分は「志んこ」を夏によく戴きます。

ちなみに、右京区北嵯峨鳥居本地区の平野屋でも
この「志んこ」を戴けます。
そちらでは、大根炊きセットの水物(デザート)として戴きました。


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祇園饅頭から、帰宅しました。
このお店で購入したものを包装した紙に、
こちらの紙が付いていました。
このお店の京菓子は冷たくしても美味しいのですが、
長時間冷蔵庫に入れると固くなってしまいます。
ですから、冷やす場合は戴く約30分前からがいいでしょう。
また祇園饅頭は、京都御苑約1㎞西側の出水店と
東山区三条通東大路東入ルの製造工場が支店です。


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包装紙を取ると、こちらが出てきます。
この日(2022年6月30日木曜日)に購入したのですから、
もちろん京菓子の水無月を選びました。
お店の奥で店員さん総動員で製造されていましたが、
作っても作ってもすぐに売り切れていました。
それだけ京都の夏越の祓いには、水無月が欠かせません。


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こちらが、自分が戴いた分の水無月です。
(残りは、ウチの母の分です)
手前が白いプレーンタイプで、奥が抹茶味です。
形状が直角二等辺三角形なのは、
もともと京都の夏越の祓いでは氷を戴いていた名残です。
(つまり、この形状は氷を模しています)
そして水無月は夏の京菓子ですので、
敢えて冷茶を添えました。
プレーンタイプが、いちばん原料の米粉歯触りを味わえますね。
抹茶味の方は、お茶の香りと味を堪能できます。

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第845回 初めは長刀鉾~祇園祭前祭散策2022~その1

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4年ぶりの祇園祭宵山散策です
2019年は脳出血で緊急入院したため、
2020年と2021年はコロナ禍で、祇園祭取材ができませんでした。
このところコロナウィルス新規感染者が急増していて、
土壇場までかなり心配していましたが、
いろいろ対策を凝らしたうえで改めての開催です。
今回はかなりの分量の写真を撮影しましたので、
例年より長めの連載になるでしょう。
また、2022年は7月17日と7月24日が日曜日です。
前祭宵山以外も取材予定ですので、
2022年度の祇園祭連載は9月以降も続きます。
(まぁいくつかのカテゴリーに分けて連載しますが……)


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京都駅から京都市営地下鉄烏丸線に乗って、2駅。
こちらは、地下鉄烏丸線「四条」駅です。
今回は、こちらから祇園祭前祭に立つ長刀鉾を目指します。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後3時。
雨が降ったり止んだりの一日でした。


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今まで自分が乗っていた京都市営地下鉄の車両が、
「烏丸御池」駅に向かいます。
実はこちらは新車両で、座席の位置が今までと異なります。


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そして、その新車両が地下鉄「四条」駅を出ます。
こちらは、おそらく終点の「国際会館」駅まで向かいます。


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車両から降り、地下鉄烏丸線「四条」駅ホームを南に向いています。
地下鉄烏丸線駅ホームには、転落防止の柵が付いていますね。


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先程の位置から地下鉄烏丸線「四条」駅ホームを約10m南下して、
ホーム中央で北を向きました。
では、この階段を上ってコンコース階を目指します。


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地下鉄烏丸線「四条」駅ホームから先程の階段を上り、
「四条」駅コンコース階に上がってきました。
では、目の前の北改札口から「四条」駅を出ます。


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地下鉄烏丸線「四条」駅北改札口から、地下道を北に向きました。
この辺りには様々なテナントのお店が入っていて、
ちょっとした地下街を形成していますね。


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地下鉄烏丸線「四条」駅北改札口から、地下道を約50m北上しました。
目の前の階段を上ると、「四条烏丸」交差点の真下に出ます。


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先程の階段を上がって、「四条烏丸」交差点の真下に来ました。
この辺りから、地下道の壁が急に古めかしくなります。
先程までの地下道は1980年ごろの完成なのですが、
この辺は1960年ごろの完成です。
ここで京都市営地下鉄烏丸線「四条」駅前から、
阪急電車「烏丸」駅前に変わります。
駅名が違うのでわかりにくいですが、
地下鉄「四条」駅も阪急電車「烏丸」駅も、
どちらも「四条烏丸」交差点にある駅です。
(目の前に、阪急電車「烏丸」駅切符売り場があります)


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「四条烏丸」交差点の真下で、東を向きました。
この地下道は、ここから約1㎞先の木屋町通まで伸びています。
では、ここからはこの地下道を東に進みます。


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「四条烏丸」交差点の真下から、地下道を東に約30m進みました。
すると、こちらに20番出口が見えます。


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その地下道の20番出口で、北を向きました。
京都三井ビルの地下には飲食店が多数入っていますが、
その飲食店街の脇に続く上ります。


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京都三井ビル脇の階段を上がり、地上に出ました。
ここを出ると、四条通沿いですね。


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20番出口から、四条通に出ました。
目の前に、お神酒に使用される酒樽と提灯が並びます。
これは、祇園祭の山鉾が近い証拠ですね。


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20番出口の前で、四条通を東に向いています。
この先に、長刀鉾が立っています。


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その提灯の東側に、(車道上ですが)テントが立っています。
こちらで、長刀鉾の
粽(ちまき)やお札を購入することができます。


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そのテントの東側に、長刀鉾が立っています。
この瞬間も雨が降っているのですが、
「鉾」のほうは前掛けや水引、見送りなど装飾品が既に付いています。

祇園祭は八坂神社の例祭ですが、
祇園祭の各山鉾は独立した神社でもあります。
(本社と末社の関係でしょうか)
長刀鉾は、必ず先祭山鉾巡行の先頭を進みます。
天頂部に長刀が取り付けられており、
「長刀で先陣を切って、魔を祓う」役割を果たしています。
ご神体の人形を持たない鉾で、
唯一生きている人間を生稚児として搭乗させています。
ちなみに、どちらの方を向いても
八坂神社に長刀の刃先が向かないように作られています。


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長刀鉾の北側に、長刀鉾の会所が建っています。
各山鉾町には会所が必ずあって、
こちらで粽(ちまき)や手拭いなどを買えます。
会所によっては、独自の和菓子を売っていたりもします。
さらに会所の中には、脇の鉾に入れるところもあります。


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長刀鉾と会所の脇から、四条通を西に向きました。
ここからは、四条通を烏丸通に向かって歩きます。


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長刀鉾から、四条通を約100m西に進みました。
ここで四条通は、烏丸通と交差します。
この辺りが、京都市街地屈指の繁華街「四条烏丸」交差点です。
烏丸通より西には、次回ブログで立ち寄る函谷鉾が見えますね。


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四条通から、烏丸通を北に向いています。
この辺りで、京都市下京区から京都市中京区へと移ります。


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四条通から、烏丸通を約100m北上しました。
ここで烏丸通は、錦小路と交差します。
「錦烏丸」交差点の南東角に、
老舗和菓子匠の胡月 四条烏丸店が建っています。


845-23.jpg
その胡月 四条烏丸店の店頭なのですが……
和菓子を載せる蒸篭の脇に、ビール用冷蔵庫があります。
この時点で2022年7月14日木曜日午後3時半です。
おそらく午後5時以降なのでしょうが、
老舗和菓子匠が店頭でビールを販売するのでしょうか?


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錦小路から、烏丸通を北に向いています。
この辺りから雨が強くなって、雨傘を差す方が増えてきました。
(自分も、この時点で雨傘を差しました)
そのせいで見えなくなりましたが、
この先に御手洗井があります。
祇園祭期間中限定で開放される名水の井戸です。
(詳細は、第610回ブログ参照)


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今度は烏丸通から、錦小路を東に向きました。
右(南)側に、先程の胡月 四条烏丸店が見えます。
(喫茶室に上がれる階段も見えます)
烏丸通以東の錦小路に祇園祭の山鉾は立たないのですが、
ちょっと用事があるのでこちらを進みます。


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烏丸通から、錦小路を約50m東に進みました。
こちらに、紅茶専門店 烏丸錦店が建っています。
ウチで紅茶が切れて数か月経ちましたが、
この辺に来る用事がなくて放置していました。
そのため、近くまで来たこの日に立ち寄りました。


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紅茶専門店 烏丸錦店から、帰宅した後の写真です。
こちらで、この紙カバンの中身を買いました。


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紙カバンの中身は、スリランカ産のウバ茶です。
インド産のニルギリと迷ったんですが、
やはり自分の好みはセイロン茶です。


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ウバ茶をティーカップに淹れました。
ウバ茶などセイロン茶は味が濃いので、ミルクティーが合います。
ただ、今回はそのままストレートで飲んでみます。


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紅茶専門店 烏丸錦店から、錦小路を東に向ています。
約150m先で錦小路が突き当たっているように見えますが、
あちらから東が錦市場です。
錦市場に祇園祭の山鉾は立ちませんが、
祇園祭の神輿巡行で錦神輿会として西御座の神輿を担ぎます。


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今度は紅茶専門店 烏丸錦店から、錦小路を西に向きました。
では、ここから烏丸通に戻ります。


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紅茶専門店 烏丸錦店から、錦小路を約50m西に進みました。
ここで錦小路は、烏丸通と交差します。
要するに、「錦烏丸」交差点に戻ってきました。


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ちょうど信号が青くなったので、そのまま横断歩道を渡りました。
烏丸通以西の錦小路に、占出山が立っています。
祇園祭の山鉾の中でも特に胴掛がきれいな山で、
会所には国宝の脇差が展示してあります。
ただ、先に烏丸通沿いの2022年「山1番」孟宗山や
函谷鉾、菊水鉾を見て回ります。
とは言えだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、孟宗山、函谷鉾、菊水鉾を見て回ります~

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第846回孟宗山の会所~2022祇園祭前祭宵山散策~その2

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

845-30.jpg
前回ブログで長刀鉾を拝観した後、
「四条烏丸」交差点を錦小路まで北上して西を向きました。
今回は、「四条烏丸」交差点周辺の山鉾を見て回ります。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後3時15分。
だんだん雨足が強くなってきました。


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烏丸通から、錦小路を西に向いています。
この先に占出山が立っているのですが、
2022年前祭宵山散策では
「四条烏丸」交差点周辺の山鉾を先に回ります。


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錦小路から、烏丸通西側歩道を南に向いています。
烏丸通沿いに、祇園祭の山が立っていますね。


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その山に、近づいてみました。こちらは、孟宗山です。
この日(2022年7月14日木曜日)は一日雨天でしたから、
山の中央がテントで覆われて、装飾品も付けられていません。


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その孟宗山会所は、提灯の取り付け作業中でした。
「午後5時から、開所です」
こちらの町衆がそうおっしゃられたので、
この時点で会所に入るのは諦めました。


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先に他の山鉾を散策して、約3時間経ちました。
この時点で、2022年7月14日木曜日午後6時15分です。
では、開所された孟宗山会所に向かいます。

こちらに書いてある通り、
孟宗山は2022年の山鉾巡行で「山1番」を引きました。


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先程の入り口から、路地を通って会所に向かいます。
京町屋によくある路地の先に家屋がある構造です。


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その路地の先は、このようになっています。
孟宗山だけに、左(南)側に孟宗竹を生やしています。
そして右(北)側が、孟宗山の会所です。


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祇園祭の各会所では、粽(ちまき)やお札、手拭いなど
各山鉾オリジナルグッズが販売されています。
こちらは、2017年7月16日に購入した孟宗山の手拭いです。


501-25.jpg
細長い手拭いの下の方は、こんな感じです。
「孟宗」山ですから、「竹」をイメージした手拭いです。
ちなみに、詳細は第501回ブログを参照してください。


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さらに各会所には、山鉾巡行の際に取り付けられる
各種装飾品が展示されます。
孟宗山の名物は、平山郁夫画伯が描かれたものです。


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そして、こちらも平山郁夫画伯による胴掛です。
平間屋郁夫画伯の画題と言えば、砂漠とラクダですね。


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日没近くに撮影していることもあり、写真がボケました。
こちらは、孟宗山のご神体孟宗の神像です。
祇園祭は八坂神社の例祭ですが、各山鉾も独立した神社です。
(八坂神社と各山鉾は、本社と末社の関係です)

孟宗山は、「三国志演義」呉の文官孟宗がモデルです。
孟宗は親孝行で有名な人物で、
「タケノコを食べたい」との病に臥せった母親に、
雪山を彷徨って冬でもタケノコを取った逸話が知られています。
その際のタケノコの品種が、「孟宗竹」と呼ばれるようになりました。
(日本に生えている竹の大半が、この孟宗竹です)
またその母親が亡くなったとき、主君孫権の言葉を無視して
喪に服して戦に参戦しませんでした。
(つまり母親の葬式を行うため、戦に参戦しませんでした。
この時、呉は蜀と荊州を巡り戦争をしていました)
これを孫権は「敵前逃亡」と断じて死刑を命じますが、
上司の陸遜による必死の助命嘆願で死刑は免れました。
孫権の死後、孟宗は呉末期の宰相となり
安定した治世を築きました。


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では孟宗山の会所を一通り見てきましたので、
そろそろこちらを出ます。
ということで、またこの路地を通ります。


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その路地を出たところで、もう一度孟宗山を撮ります。
この時点で日没直前でしたので、提灯に電気が燈ります。


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こちらは、巡行中の孟宗山の写真です。
こちらも夕方なので写真がボケましたが、
2022年7月14日午後6時15分の写真はここまでです。


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この写真から、2020年7月14日木曜日午後3時15分に戻ります。
孟宗山から、烏丸通を南に向いています。
では、ここから「四条烏丸」交差点まで南下します。


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孟宗山会所から、烏丸通を約100m南下しました。
こちらで烏丸通は、四条通と交差します。
右(西)側に、ショッピングビルのLAQUE四条烏丸が見えます。
2Fスターバックスの座席の一部には、
充電用コンセントが付いています。
祇園祭散策中にデジタルカメラの充電が切れたら、
いつもこちらにお邪魔しています。


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烏丸通から、四条通を東に向いています。
約100m先に、前回ブログで訪れた長刀鉾が立っています。


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今度は烏丸通から、四条通を西に向きました。
この先に、函谷鉾が立っていますね。


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函谷鉾の先端部分を大写ししました。
「山」は松の大木を中心に立てますが、
「鉾」は文字通り長い鉾を中心に立てます。
鉾とは中国などによくある槍の一種ですが、
(要するに武器と言いますか刃物の一種です)
祇園祭の鉾は各「鉾」ごとに形状が異なります。
函谷鉾の刃先は、直角三角形の上に三日月です。


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烏丸通から、四条通を約30m西に進みました。
函谷鉾の手前で、車道上に白いテントが張られています。
こちらで、粽(ちまき)や手拭いなどが売られています。


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だんだん函谷鉾が、近づいてきました。
(まぁ近づいているのは、自分なのですが……)
鉾の上と会所が、渡り廊下でつながっています。
会所で一定金額(1,000円くらい?)を納めれば、
この渡り廊下から鉾の中に登れます。

函谷鉾は、中国の長安と洛陽の間にある函谷関がモデルです。
そう書くと「三国志演義」に取材したように見えますが、
実は史記に取材した鉾です。


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そして、こちらが函谷鉾の会所です。
先程の渡り廊下が、繋がっているもう一方ですね。
こちらでも、粽(ちまき)や手拭いを購入できます。


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函谷鉾から、四条通を西に向いています。
この辺りで、四条通は室町通と交差します。


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四条通から、室町通を南に向いています。
約100m先の綾小路沿いに、鶏鉾が見えますね。
鶏鉾には、前祭宵山散策のほぼ最後の方で行きます。


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今度は室町通から、四条通を西に向きました。
この約30m先に、月鉾が立っています。
月鉾も、今回連載のずっと後に向かいます。


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さらに四条通から、室町通を北に向きました。
約50m先に、菊水鉾が立っていますね。
実は「四条室町」交差点は、前祭宵山で
勇壮な鉾を数多くみられる格好の絶景ポイントです。
今回ブログでは、この菊水鉾に向かいます。


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四条通から室町通を北上して、菊水鉾に近づきました。
菊水鉾の会所は、目の前の大松株式会社の本社ビルのようです。


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こちらが、その大松株式会社本社ビルです。
要するに、菊水鉾の会所です。
店頭にいらっしゃる方の説明では、
菊水鉾の粽(ちまき)などを購入すると菊水鉾の上に登れるそうです。
ウチはここ何年も、同じ山から粽を購入しています。
そちらで粽を買うので、ここで粽を買わないつもりです。
そういう訳で、菊水鉾の上に登ることは諦めました……
しかし、よく考えたら粽でなくても別のものを買えばよかったのです。
そのことに、これを書いている時点で気づきました。


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こちらが、その菊水鉾です。
「山」と異なり、「鉾」は雨天でも装飾品を付けています。
よく見ると、胴掛などはビニールシートで保護しています。


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菊水鉾が立つ位置の脇に、こちらの碑がありました。
どうやら、この位置にかつて「菊水の井戸」があったようです。
この菊水鉾は他の山鉾のように物語に取材したのではなく、
名水と評判だったこの「菊水の井戸」がモチーフです。
(「菊水の井戸」は、現存しません)
1864年のどんどん焼けで菊水鉾は消失しましたが、
1952年に再興されて現在に至ります。
(祇園祭の山鉾の中には、1864年に1回焼失した後
昭和時代に復興して現在に至るものが幾つかあります)


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菊水鉾から、室町通を北に向いています。
菊水鉾から約50m北で、室町通は錦小路と交差します。
その辺りに山鉾が集中して立っていますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。

今回は、ここまでです。

~次回は占出山、山伏山、霰天神山に向かいます~

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第847回占出山の国宝~2022年祇園祭前祭宵山散策~その3

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前回ブログで「四条烏丸」交差点から四条通を西に進み、
約100m先の「四条室町」交差点で四条通から室町通を北上しました。
現在菊水鉾を背に室町通を北に向いています。
今回ブログと次回ブログを使って、
約50m北の「錦室町」の辻周辺の山鉾を散策します。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後3時半。
だらだら雨が降り続いています。


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菊水鉾から、室町通を約50m北上しました。
ここで室町通は、錦小路と交差します。
左(西)側に見える呉服問屋優彩が露店を出しています。
祇園祭期間中は、こちらで浴衣や和服を売り出しています。
この辺りは西陣織など和装や和服の問屋街で、
あちこちの会社が祇園祭期間中に大売り出しをします。
江戸時代以前は祇園祭を経済面で支えているのが、
この室町通や新町通に点在する呉服問屋でした。
そして各山鉾はその問屋の潤沢な資金を得て、
徐々に豪華な装飾を付けるようになりました。
今でも呉服問屋が和装和服販売の会社となって、
祇園祭を支えています。


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室町通から、錦小路を東に向いています。
今回は、先ずこの占出山に訪れます。


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室町通から、錦小路を東に進んでいます。
第605回ブログに書いてあるように
この辺りの錦小路沿いはちょっとした呑み屋街なのですが、
コロナ禍ではそこそこ激震が走った場所です。
こちらのお店も数年前とは違うお店に変わっていましたが、
この日は結構流行っていました。
さらに店頭で露店を出して、
宵山を散策する方にビールや揚げ物を売っていました。


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その東隣の焼肉屋さんも、白いテントを出しています。
こちらの露店ではビールを出されていますが、
他は何でしょうか?よく調べていません。


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室町通から、錦小路を東に約50m進みました。
こちらに、占出山が立っています。
占出山の手前に白いテントが立ってますが、
こちらで占出山の和菓子が売られています。


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2017年7月16日に、占出山の和菓子を買いました。
大極殿本舗が製造した京菓子ですね。
「若あゆ」という銘が付いています。


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そして、こちらが袋を開けた「若あゆ」です。
鮎を模した和菓子で、実は京都では有名な和菓子です。
(京和菓子匠では、よくある和菓子です)
カステラ生地の中に、小豆餡が詰まっています。
まぁ占出山は鮎にちなんだ山ですから、
このような京菓子を売られているのでしょうね。


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ここから、2022年7月14日の写真に戻ります。
占出山に、近づいてみました。
雨の中でまだ7月14日ですから、装飾品は一切付いていません。


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占出山の南側に、こちらの路地が見えます。
目の前の方に体温を計ってもらい、
アルコールジェルで手指消毒したら、
この奥の占出山会所に向かえます。


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占出山会所前に、こちらが立っていました。
この辺りが、木下順庵の邸宅址です。


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自分も検温してもらい、アルコールジェルで手指消毒しました。
では錦小路から路地を南下して、占出山会所に向かいます。


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こちらが、占出山会所の西半分です。
こちらには、雨天で取り付けられていない装飾品を展示しています。


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では、占出山の装飾品を見ていきます。
先程の占出山に、こちらを取り付けて巡行します。
上部の横に細長いのが、山の上部にまかれる水引です。
そちらには、三十六歌仙の肖像が和歌とともに描かれています。
下部は、占出山の周囲に取り付けられる胴掛です。
占出山の胴掛は日本三景が描かれていて、
こちらはそのうちの松島を描いています。


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こちらは、占出山の正面部分の前掛です。
三十六歌仙の水引の下は、宮島が描かれています。


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そして、こちらは先程の反対部分の胴掛です。
三十六歌仙の水引の下は、天橋立が描かれています。


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さらにその南側には、占出山の見送り(後部)が展示されています。
さらにさらに会所の最南端に、様々な小道具が展示されています。


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占出山会所の最南端に、やって来ました。
こちらにも、新調された前掛けと胴掛が展示されています。
現在では、こちらの方が山鉾巡行の際に使用されています。
ただ、ここでいちばん目を引くのは
この脇差(小型の日本刀)ですね。


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こちらが、その脇差です。
ご神体の神功皇后が山鉾巡行の際に、身に着けられます。
平安時代の鍛冶師三条宗近の作品です。
三条宗近は1,000年以上前の名工ですので、
彼の作品はほとんど現存しません。
そのため、こちらは国宝に指定されています。


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さらに、占出山会所の東半分を見ています。
形状からこちらが神社の社であるとわかりますが、
こちらのご神体は、占出山のご神体でもある神功皇后の神像です。
また占出山の粽(ちまき)や手拭いなども、社で買い求めます。

占出山は神功皇后が新羅に攻め込む前に、
鮎を釣って占いを行った故事を取材しています。
(古代日本では、戦争前に鮎を釣って
その鮎の数でその戦争に勝つかどうか占っていました)


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占出山の社の前で、北を向きました。
では路地を北上して、占出山を出ます。


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占出山会所に通じる路地から、錦小路を西に向きました。
では、いったん室町通まで戻ります。


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占出山から、錦小路を約50m西に進みました。
こちらで錦小路は、室町通と交差します。
つまり、「錦室町」の辻に戻ってきました。


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「錦室町」の辻で、室町通を北に向いています。
前回ブログで南側の菊水鉾を散策して、
東側の占出山にはたった今訪れました。
次は、この辻の北側に立つ山伏山に向かいます。


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錦小路から、室町通を約30m北上しました。
こちらに、かつての京都市立明倫小学校が建っています。


847-25.jpg
京都市立明倫小学校だった建物は、
現在は京都芸術センターに変わりました。
お金を払えば誰でもアトリエやギャラリーをここで持てます。
そういう施設のほか、こちらには芸術に特化した図書室や
コンサートホール、カフェなども併設されています。
(詳細は、第605回ブログ参照)


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京都芸術センターには、前田珈琲 明倫店が入っています。
祇園祭期間中にも、かなりの人が入店されていました。


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京都芸術センターの前で、室町通を北に向いています。
約30m先に、山伏山が立っていますね。


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こちらが、祇園祭前祭では最北端の山鉾である山伏山です。
おおよそですが、この北で東西に延びる蛸薬師通が
前祭と後祭の山鉾町の境界線です。
つまり山伏山より北側は、すべて後祭の山鉾町です。


847-29.jpg
そして、こちらが山伏山です。
と言いましても、結構の大雨の中装飾品は一切付いていません。


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その山伏山の北側に、山伏山の会所が建っています。
1Fで粽(ちまき)や手拭いなどが売られていて、
2Fでご神体や装飾品が展示されています。
こちらも、祇園祭会所ではよくある形式ですね。


847-31.jpg
先程の位置で、山伏山会所の2Fを大写ししました。
こちらが、山伏山のご神体である浄蔵貴所の神像です。
浄蔵貴所は、平安時代に活躍した修験者(山伏)です。
念力で法観寺の八坂の塔を修復したという伝説が残っています。


847-32.jpg
山伏山会所から、室町通を南に向いています。
ここより北に前祭の山鉾が立たないので、
ここから室町通を南下します。


847-33.jpg
山伏山から、室町通を南に向いています。
では京都芸術センターも通り過ぎ、
さらに室町通を南下します。


847-34.jpg
山伏山から、室町通を約50m南下しました。
ここでまたまた「錦室町」の辻に戻ってきました。
この先に、前回ブログで訪れた菊水鉾が見えますね。
今回ブログの冒頭に出てきた和服和装の会社優彩の露店も、
だいぶ繁盛しているみたいです。


847-35.jpg
今度は室町通から、錦小路を西に向きました。
この先に、霰天神山(あられてんじんやま)が立っています。
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けています。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、ちょっと特殊な記事を掲載します。
その後、こちらの続きの連載を再開します。
霰天神山と放下鉾に向かいます~

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脳出血から3年経ちました

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本来は「2022年祇園祭前祭宵山散策」を掲載するのですが、
今回は諸事情で臨時にこちらを掲載します。

2019年7月21日日曜日に、
「京の道 今日の道」の運営者ぴのぴなが、
脳出血で2019年8月6日まで入院しました。


さらに、今回ブログの更新日が
2022年7月21日火曜日で
その脳出血から3年経ちました。


そう言えば、3年前は午後6時になって
「参議院議員選挙に行こう」と思って立ち上がった瞬間、
頭蓋骨から1㎝奥の前頭葉が、約1㎝切れました。
約30分後選挙から帰ってきたウチの母が異常に気付いて、
そのまま近所の武田病院で検査の後入院しました。
もう1時間治療が遅れていたら、死亡していたそうです。
ですから、3年前は参議院議員選挙に投票できませんでした。
先日2022年7月10日日曜日の参議院議員選挙は、
かなり感慨深いものがありました。

祇園祭後祭への取材もできませんでした
自分は、宵山散策を前祭と後祭とで交互に行っていました。
2017年祇園祭前祭宵山散策はトラブル続きだったので、
2018年も前祭宵山散策を行いました。
ですから2019年の宵山は前祭ではなく、
後祭の方を散策しようとしていたのですが、
脳出血のためにそれができませんでした。
その分2020年の宵山は後祭を散策しようとしたのですが、
2021年とともにコロナウィルス蔓延で叶いませんでした。
2022年は前祭と後祭両方の宵山散策を予定しています。
後祭宵山散策の取材ができれば、6年ぶりになります。

リハビリに約1か月かかりました
2019年8月6日火曜日に退院してからは、
約1か月仕事をせずにリハビリに専念しました。
当初はお医者さんから長距離歩行を止められていたのですが、
リハビリセンターに通ううちにだんだん歩行距離も伸びてきました。
さらに歩行距離が延びると、正面通編の取材もなんとかできました。
そうこうしていると、職場から電話がありました。
自分の職場復帰についてのお話があり、
今もその会社に勤めています。
正直長期離職したので、退職せざるを得ないと思っていました。
ですから、結構うれしかったのを覚えています。
結局2019年9月に職場復帰して、現在に至ります。

できないことも増えてきましたが……
リハビリを終えて脳出血が完全に治ったかと言いますと、
決してそうではありません。
実は、できないことも増えてきています。
まず下あごの左の方が、いまだに動きません。
ですから、食事や会話で多少苦労しています。
まぁ全く動かないわけではなく、以前ほど動かない程度です。
ただ、誤飲で気管に食べ物が流れたり、
ときどき何を言っているのか分かりにくかったりするだけです。
また、物忘れをすることも増えました。
こちらは、年々ひどくなっています。
とは言えそれで苦悩しているかと言えば、
むしろ逆にその状態を楽しんでいます。
できないなりに何とかするのは、面白いです。
まぁ周囲の人には、多大な迷惑をかけていますが……

8月に入ったら、更新ペースが落ちます
長々と自分自身のことを書きましたが、
ここからはこのブログの話です。
2022年7月は週3回~4回ペースですが、
2022年8月になると週2回前後に
更新ペースがだいぶ落ちます。
これは自分の仕事が立て込んできて、
ブログを書く時間が大幅に削られるからです。
(決して、脳出血が原因ではありません)
まぁここ数日は祇園祭後祭も取材して、
祇園祭関係の記事は相当先まで続けるつもりです。
下手したら、2022年9月以降も連載が続くかもしれません。
2022年紅葉散策は、下嵯峨(車折神社周辺)を予定しています。

依然と比べてできないことが増えてきましたが、
歩行距離は今でも1日10kmくらいは平気です。
ですから、体力が続く限りはこのブログを続けようと思います。

今回は、ここまでです。

~次回は、祇園祭前祭宵山散策を続けます。
霰天神山(あられてんじんやま)と放下鉾に向かいます~

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第848回 霰天神山のお札~祇園祭前祭宵山散策~その4

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現在室町通から、錦小路を西に向いています。
要するに烏丸通より1本西の通りから、
四条通より1本北の通りを西に向いています。
この辺りに祇園祭前祭の山鉾が集中していますが、
南側の菊水鉾は第846回ブログで散策して、
東側の占出山と北側の山伏山は第847回ブログで散策しました。
残るは、西側の霰天神山(あられてんじんやま)ですね。
今回はその霰山天神山でいつもの買い物をした後、
室町通の1本西の新町通に立つ放下鉾に向かいます。
また、この辺で値の露店にも立ち寄ります。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後3時45分。
ここで雨足が、弱くなってきました。


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室町通から、錦小路を西に進んでいます。
錦小路の北側に、和服販売の野田株式会社があります。
こちらも、会社の前に露店を出していました。
前回ブログで書いたとおり、この辺りは
江戸時代以前からの呉服問屋街です。
それらの呉服問屋が持つ潤沢な資金で、
祇園祭の山鉾が経済面で支えられてきました。
これらの呉服問屋の多くが室町通や新町通沿いに
今でも残っていて、西陣織など和服や反物を販売しています。
そういう会社は、祇園祭期間中に露店で大売り出しをします。


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その野田株式会社の前で、錦小路を西に向きました。
目の前に、霰天神山の会所が見えます。


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こちらが、霰天神山の会所です。
表で粽(ちまき)や手拭いなどが売られていますが、
右(東)側の路地の奥にも会所が続きます。


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霰天神山の会所に入り、路地を北上しています。
この奥に、霰天神山の装飾品が展示されています。
そういえば、いつまにか雨が止んでいますね。


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霰天神山会所の路地を北に抜けました。
こちらが、霰天神山会所の奥です。
霰天神山の装飾品が展示されていて、
粽(ちまき)や手拭いなどが売られています。


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こちらには、霰天神山の前掛けや胴掛以外に
霰天神山の上に乗る様々な装飾品が並んでいます。
こちらの新調された龍神の見送りが見事なのですが、
角度的に写真撮影ができませんでした。
そちらは、山鉾巡行の際に撮影できました。
このずっと後の記事に掲載します。


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そして、霰天神山会所のいちばん奥に
こちらの天神社がいらっしゃいます。
この天神社の社自体が、霰天神山のご神体です。
京都市街地には、数多くの小さな神社が点在します。
祇園祭の山鉾町の中には、
その神社の社をそのまま「山」に乗せていることが多いです。
この霰天神山も、そういう山の1基です。

ただ、この霰天神山には以下の伝説があります。
確か天明の大火だったと思うのですが、
江戸時代に京都市街の大半が焼失した際、
この天神社付近に突然あられが降って、
この付近だけは焼失を免れました。
それ以来、こちらは天神社ですが
火災除けのご利益があるとされています。


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その霰天神山の社の前でも、粽や手拭いが売られています。
しかし、自分は毎年こちらでお札を買っています。
祇園祭前祭宵山散策から帰宅後、
ウチの台所の壁にこちらを貼り付けました。
先述のように、霰天神山には火災除けのご利益があります。
京町屋の台所には通常愛宕神社の火災除けのお札を貼りますが、
ウチは霰天神山の火災除けのお札を貼り付けます。


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ではお札も買い求めましたので、
この路地から霰天神山の会所を出ます。
この路地を出ると、錦小路に戻ります。


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霰天神山会所から、錦小路に戻ってきました。
霰天神山の西隣に、高級中華料理店膳所漢ぽっちゃりがあります。
こちらは毎年祇園祭前祭期間中に露店を出していますが、
2022年もその露店は健在でした。


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膳處漢ぽっちゃりの露店は、祇園祭の名物と言われています。
2012年以来、こちらの露店に並びました。
こちらの露店は人気店なので、毎年2時間以上待たされます。
ですから、毎年自分はこちらを諦めていました。
まぁ雨模様で平日のこの日は、祇園祭前祭宵山に
それほど多くの方が来られていませんでした。
そのせいか、2022年は今この位置が行列の最後尾です。
たったの数分で、この露店で注文ができました。

ちなみに、2日後の2022年7月16日の夕方に
こちらの露店に再訪しました。
その際は例年通りの長い長い行列ができていました。


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ご時世から、この日は祇園祭前祭宵山での
食べ歩きが禁止されていました。
ですから遠くへは行かず、膳處漢ぽっちゃりの店頭で立ち食いします。
(店頭にゴミ箱が並んでいたのは、そういう事情でしょうね)


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先程のレジ袋を開けると、こちらの紙袋が出てきます。
膳所簡ぽっちゃりの象徴でもある「浸みだれ豚まん」ですね。
豚まん1個で、500円します。


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先程の紙袋をかけると、浸みだれ豚まんが出てきました。
おそらく叉焼を漬け込む甘ダレに、豚まんが漬け込んであります。
「浸みだれ豚まん」自体は、実はあちこちの屋台にあったりします。
ただ、ここまでタレを浸み込ませている豚まんは珍しいですね。


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その「浸みだれ豚まん」を半分に割ると、こうなります。
ただこの豚まんは甘ダレでベトベトですので、
本来は直接手で触るのはお勧めできません。

御覧の通り、豚まんの皮の奥まで甘ダレが浸みこんでいます。
ですから、この皮は完全に甘ダレの味がします。
そして、おそらく餡の部分も成形前から甘ダレに漬けられています。
さらにこの餡は豚ミンチ肉ではなく、
ブロックの豚の肉塊を包丁で切り刻んでみじん切りしています。
そうする方が、豚肉の食感と旨味を味わうことができます。
そして、こちらは通常の豚まんの2倍以上の大きさです。
正直、これ1個で満腹です。


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膳所漢ぽっちゃりの店頭から、錦小路を西に向きました。
膳處漢ぽっちゃりの西側に、霰天神山が立っています。


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こちらが、霰天神山です。
「山」としては珍しく、雨天でも前掛けや胴掛が付いています。
先程のものは古い方で、こちらは近年新調された新しい方です。
この中央に先程の社が鎮座して、7月17日巡行します。


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霰天神山の西側に、こちらの中華料理店がありました。
こちらは、近年コロナ禍以降に開店されたお店です。
ただ、こちらのお店も相当賑わっていました。
また雨が止むと、急いで露店を設置され始めました。

お気づきかもしれませんが、2022年7月14日の宵山では
露天商による屋台は一切立っていません。
まぁ2日後の2022年7月16日には様々な露店が立ったのですが、
この日は飲食店が店頭で屋台を立てたものが主流でした。


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さらに錦小路を西に進むと、子供用の和服を売るお店がありました。
2012年には、可愛いマネキン人形が
ショウウィンドウを飾っていました。


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室町通から、錦小路を約50m西に進みました。
ここで錦小路は、新町通と交差します。


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新町通から、錦小路を西に向いています。
この先の様子は、第606回ブログを参照してください。
ただ、これ以上西の錦小路には山鉾が立ちません。
ですから、今回ブログではこれ以上錦小路を進みません。


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今度は錦小路から、新町通を北に向きました。
後祭では、こちらに南観音山が立ちます。
ただ前祭は、新町通ではこれ以上北に山鉾が立ちません。
(後祭の様子は、第417回ブログ参照)


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さらに錦小路から、新町通を南に向いています。
この先に、放下鉾が立っていますね。
ここからは、新町通を南下します。


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錦小路から新町通を南下して、放下鉾に近づいてきました。
放下鉾は放下僧をモチーフにしています。
放下僧とは、大道芸など行う僧侶を指します。
ですからそちらを祀った鉾であるのは確実なのですが、
それ以上詳しいことは自分はわかりません。


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そして、こちらが放下鉾の刃先です。
正直あまり切れ味がよさそうには見えませんが、
こちらは武器として使用されている訳ではないので、
これで問題がある訳ではありません。


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放下鉾の前で、新町通の左(東)側を見ています。
この先に放下鉾の会所があって、
そこから放下鉾の上にも上がれます。


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ただ、2022年は新町通の右(西)側を通ります。
放下鉾会所の向かい側に、ちょっと用事がありまして……


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放下鉾会所の向かい(西)側に、
「いち」という割烹料理店があります。
こちらは、祇園祭期間中に毎年露店を出しています。
(ちなみに、後祭期間中も露店を出します)
そして、こちらの名物がハモカツバーガー(600円)です。
さらに、この奥にテーブルがあって
その奥で座って戴けます。
今年もこちらで戴こうと思ったのですが、
先程の「浸みだれ豚まん」でこの時点で満腹でした。
それで2日後の2022年7月16日土曜日に、
再訪してハモカツバーガーを戴くことにしました。
……ところが、その2022年7月16日は
新町通に露店が立ち並び、「いち」の露店も満員でした。
ですから、2022年前祭宵山散策では
ハモカツバーガーを戴けませんでした。


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こちらは、2016年7月23日に
「いち」で戴いたハモカツバーガーです。
先述の通り、こちらの露店は後祭宵山にも立ちます。
文字通り鱧(ハモ)の切り身を揚げてカツにして、
そちらをバンズに挟んでいます。
タルタルソースに梅肉(梅干し)が入っているのが、特徴ですね。
(ハモには梅肉が合います。
ハモカツバーガーを戴いた詳細は、第417回ブログ参照)


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放下鉾の前で、新町通を南に向いています。
では、ここから新町通を南下します。


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放下鉾から、新町通を南下しています。
新町通沿いに、こちらの露店が出ていました。
普段はガレージなのですが、
小型のプールに様々なものが浮かんでいます。
左から、金魚すくい、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくいです。
こちらは有料で遊べるのですが、
毎年結構な方がいらっしゃいます。


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遊技場の露店の前から、新町通を南に向きました。
ここで新町通は、四条通と交差します。
ちなみに、この辺から中京区から下京区に移ります。


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新町通から、四条通を東に向いています。
この先に、祇園祭最大の月鉾が立っています。
ただし、月鉾にはこのずっと後で回ります。


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そうこうしているうちに、横断歩道の信号が変わりました。
では、ここで四条通の南側歩道へ渡ります。


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四条通から、新町通を南に向いています。
この先に立つ大船鉾は後祭の鉾なので、
この日(2022年7月14日)には何もありません。
さらに約100m先に船鉾が立っているのですが、
この位置からは見えませんね。


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今度は新町通から、四条通を西に向きました。
ここから四条通沿いの山鉾へと向かうのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は郭巨山、蟷螂山に向かいます~

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第849回 郭巨山の粽~祇園祭宵山散策~その5

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新町通から、四条通を西に向いています。
第845回ブログから、祇園祭前祭に立つ山鉾を8基回りました。
これで、前祭山鉾の約25%回ったことになります。
残り約75%のうち、今回は四条通沿いの山鉾を中心に回ります。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後4時。
ここから、雨が降ったり止んだりを繰り返します。


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新町通から、四条通を西に進んでいます。
烏丸通~西洞院通間の四条通沿いには、
居酒屋やお酒を提供する飲食店が多く、
ちょっとした呑み屋街を形成しています。


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新町通から、四条通を約100m西に進みました。
四条通から南に伸びる膏薬辻子という通りに、
郭巨山の会所があります。


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郭巨山の会所では、粽(ちまき)や手拭いなどが売られています。
ただ最初はそちらに立ち寄らず、会所内部に入ります。


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郭巨山内部には、郭巨山のご神体郭巨の神像などが置かれいます。
そして、中央には「祇園牛頭天王」と書かれています。
八坂神社のご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)となっていますが、
祇園祭の各山鉾の多くは今でもご祭神を牛頭天王としています。
牛頭天王は、神仏分離令で明治政府によって否定された神様です。
仏教系の日本の神様という考えが定説ですが、
疫病をまき散らす疫病神という説もあります。
(疫病神は、疫病から人々を守る神様という側面もあります)


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こちらが、郭巨山のご神体郭巨とその息子の神像です。
郭巨は、今から1000年ほど前にいたとされる中国人の農夫です。
そして、約500年前の日本ではよく知られていた物語の主人公です。
郭巨が自分の息子と山の中に入ったとき、
郭巨の息子が、地面が光っていることに気づきます。
そこで郭巨が息子に言われるままに鍬で地面を掘ると、
黄金が詰まった釜を掘り当てました。
そのことで、郭巨は突然富豪になったそうです。
ですから、江戸時代以前はこちらを「釜掘り山」と呼んでいました。


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郭巨像の奥には、郭巨山の装飾品が並びます。
こちらの前掛や胴掛はだいぶ古いので、
今は郭巨山に付けられずに保存されています。


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さらに郭巨山会所の奥に、出口があります。
では、こちらから郭巨山会所を出ます。


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郭巨山出口から、膏薬辻子(こうやくのずし)を南に向きました。
膏薬辻子は、新町通と西洞院通の中間に伸びる道です。
ずっと南は若宮通と重なり、北は釜座通と重なります。
石畳の道沿いに様々な飲食店が建ち並んでいますが、
そもそもは空也が建てた平将門を鎮魂する祠への参道でした。
(「空也の厨子」が訛って、膏薬辻子」です)
実はその平将門の祠は、この写真にしっかり写っています。
現在の膏薬辻子は、京町屋でできた飲食店が建ち並ぶ石畳の道です。
(膏薬辻子の詳細は、第547回ブログ参照)


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今度は郭巨山会所の出口の前から、膏薬辻子を北に向きました。
では、いったん四条通まで膏薬辻子を北上します。


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そして、膏薬辻子から、四条通を西に向いています。
では、このタイミングで郭巨山会所のお買い物をします。


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郭巨山会所では、こちらを買い求めました。
今年(2022年)分の粽(ちまき)ですね。
2012年にこちらの町衆と親しくなり、
それ以来10年間こちらを買い続けています。
郭巨は、一獲千金を成し遂げた人物です。
ですから、こちらの山は金運のご利益があります。
そのため、粽に紙製の大判が付きます。
その大判を落とさないため、ビニール袋に入れたまま飾ります。


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郭巨山会所から、四条通を西に見ています。
では、ここから四条通をさらに西に進みます。
そういえば、この時間からまた雨が強くなってきました。


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その辺りで、四条通北側歩道に向きました。
こちらに、郭巨山が立っています。
こちらは「山」ですが、雨中で装飾品の前掛や胴掛が付いています。


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郭巨山会所から、四条通を約100m西に進みました。
ここで四条通は、西洞院通と交差します。


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「四条西洞院」交差点で、北を向いています。
ここでこの横断歩道を渡り、四条通北側歩道に移ります。


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先程の横断歩道を四条通北側歩道に渡り、西を向きました。
ここからは、目の前の西洞院通を北上します。


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四条通から、西洞院通を北に向いています。
この先にも、祇園祭の山が立っていますね。


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四条通から、西洞院通を約20m北上しました。
右(東)側にあった蟷螂山(とうろうやま)会所が、
2014年にマンションになりました。
そのため、マンション1Fの駐車場で
蟷螂山の粽(ちまき)や手拭いなどが売られています。


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その会所から、西洞院通を北に向いています。
約50m先に、蟷螂山が立っていますね。


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先程の会所から、西洞院通を約50m北上しました。
こちらに、蟷螂山が立っています。


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蟷螂山は「山」ですが、豪雨の中でも宵山では
構造上必ず「山」を完成させた状態になります。
御所車の上部に、カマキリの仕掛け人形が乗ってます。
蟷螂山の「蟷螂」の訓読みは、「カマキリ」です。
こちらの「山」には、特に題材となった物語はありません。
カマキリの前足は、刃物である鎌の形状をしています。
(実際カマキリの前足に、刃が付いているわけではないのですが……)
そのため、昔から日本ではカマキリは
「厄や疫病など、悪いものを切り払う虫」と考えられてきました。
蟷螂山も、そのような願いを込めて作られています。
ちなみに、こちらのカマキリは前足、首、羽が動きます。
カマキリの体内に糸が張られていて、
外から操ることが可能です。


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蟷螂山から、西洞院通を北に向いています。
右(東)側のマンションの1Fにショウウィンドウが取り付けてあって、
そちらに蟷螂山の装飾品が飾られています。


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こちらが、そのショウウィンドウの中です。
金色に光るカマキリが、並んでいますね。
山鉾巡行時には、こちらも御所車の上に取り付けられます。


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その背後に、蟷螂山の胴掛が飾られています。
オシドリが描かれていますが、実はこちらは先代の胴掛です。
古くなってきたので、今ではこちらに保存されています。


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さらに胴掛の右(北)側には、先代の見送りが飾られていました。
こちらも、現在は使われていません。


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ショウウィンドウの右端に、蟷螂山の模型が飾られていました。
こちらが、蟷螂山の全体です。
おそらくですが、この模型も何100年前かの作品です。


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さらに西洞院通を北上して、蟷螂山北部に回り込んでみました。
こちらの行列は、蟷螂山北側で実施されている
「かまきりみくじ」の順番待ちです。
小さな子供に結構人気があるのですが、
まだ小学生がこの辺りに来ていない時間帯ですから、
この行列は全員成人です。


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2022年7月14日木曜日は雨模様だったため、
「かみきりみくじ」の写真がボケました。
そのため、こちらは2018年7月15日に撮影した写真です。
向こうの赤い木箱におみくじが入っていて、
からくり人形のカマキリが
赤い木箱からおみくじを持ち運んでくれます。


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蟷螂山から、西洞院通を南に向いています。
では、ここから西洞院通を南下します。


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蟷螂山から、西洞院通を約70m南下しました。
また「四条西洞院」交差点に、戻ってきました。


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今度は西洞院通から、四条通を西に向きました。
ここからは、四条通をさらに西に進みます。
こちらに、地域スーパーのフレスコ四条店がありますね。
2018年には祇園祭期間中は店頭でスイカを売っていましたが、
2022年は特に何もありません。
(2018年の様子は、第584回ブログ参照)


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西洞院通から、四条通を西に進んでいます。
この先にも、祇園祭先祭の鉾が立っています。

巡行するお湯になったのは、
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西洞院通から、四条通を約50m西に進みました。
こちらに、四条傘鉾が立ちます。
「傘鉾」は「鉾」の一種ですが、
中国の槍の一種である「鉾」は立っていません。
代わりに、平安時代以来の傘が1本立ちます。

祇園祭で現在のように山鉾が立ち巡行するようになったのは、
約500年前の室町時代中期以降です。
平安時代と言いますか祇園祭が始まった当初は、
白鷺の扮装をした少年少女が踊ったり、
このような傘を持った人々が巡行したりしていました。
つまり四条通と綾小路に立つ2基の傘鉾は、
祇園祭が始まった当初の平安時代の様子を残しています。
また2基の傘鉾はそれぞれ独特の踊りを残していますが、
それはこの後の祇園祭前祭山鉾巡行の連載で詳細に紹介します。
(「祇園祭前祭吉山散策編」が終了した直後に載せます)


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四条傘鉾の西側に、白いテントが立ちます。
こちらで、四条傘鉾の粽や手拭いなどが売られています。


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四条傘鉾の白いテントの脇で、四条通を東に向きました。
ここから、また西洞院通に戻ります。


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四条傘鉾から、四条通を約50m東に進みました。
ここで、またまた「四条西洞院」交差点に戻ってきました。


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「四条西洞院」交差点北西角から、南西角を見ています。
今度は、こちらの横断歩道を渡ります。


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先程の横断歩道を渡り、「四条西洞院」交差点南西角に移り、
四条通を東に向きました。
和菓子匠の若菜屋四条西洞院店が「四条西洞院」交差点南東角から、
「四条西洞院」交差点南西角に引っ越していますね。


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西洞院通から、四条通を東に向いています。
元々若菜屋が建っていた場所は、空きビルになっています。


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今度は四条通から、西洞院通を南に向いています。
ここからは、ここから西洞院通を南下します。


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四条通から、西洞院通を約100m南下しました。
ここで四条通は、綾小路と交差します。
この綾小路沿いにも祇園祭前祭の山鉾が立ちますが、
もうだいぶ貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、祇園祭前祭宵山散策の南西端を回ります~

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第850回 油小路の山鉾~祇園祭前祭宵山散策~その6

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前回ブログで、四条通の西側に立つ山鉾を散策しました。
そして四条通から西洞院通を約100m南下して、
西洞院通が綾小路と交差する場所まで来ました。
今回は、西洞院通より西の山鉾をすべて回ります。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後4時15分。
雨足が、徐々に強くなってきました。


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西洞院から、綾小路を東に向いています。
約50m先に、伯牙山が見えますね。
ただし、伯牙山には次々回ブログで訪れます。


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今度は西洞院通から、綾小路を西に向きました。
今回は、目の前の芦刈山から散策します。

ここから西洞院通以西の山鉾を見て回りますが、
この辺りは他の山鉾と離れた孤立した山鉾町です。
祇園祭に訪れた観光客の中には、
この辺りの山鉾の存在自体気づかない方もいらっしゃいます。
ですから、ここは他の山鉾町にない牧歌的な場所です。


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西 洞院通から、綾小路を西に約20m進みました。
右(北)側に白いテントがあって、
そこで芦刈山の粽(ちまき)や手拭いが売られています。


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その白いテントから、さらに綾小路を約30m西に進みました。
こちらに、芦刈山が立っています。
ただ大雨の中、装飾品のすべてが掛かっていません。


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芦刈山から、綾小路を西に向きました。
約10m先に、赤い提灯が立っているのが分かります。


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こちらが、その赤い提灯が建つ家屋です。
こちらは芦刈山の会所で、屋内に芦刈山の装飾品が並びます。


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こちらが、その屋内の装飾品です。
左側は、芦の模造品です。実物ではありません。
「芦」刈山ですから、こちらは必需品です。
右側の前掛や胴掛は、現在使用されていません。
現在の前掛と見送りは、日本画家山口華陽の動物画です。


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「芦刈山」の扁額の下に、芦刈山のご神体がいらっしゃいます。
お供え物に隠れていますが、鎌を持つ老人の姿をされています。

芦刈山は、謡曲(中世日本の物語)の「芦刈」から取材しています。
芦を刈って生計を立てていた貧しい男性が、
養うことができなくなって妻と離縁します。
やがて年老いてこの夫婦が再会して、
また復縁をするまでの物語です。


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芦刈山のご神体老人像の脇に、こちらが置かれています。
こちらは、初代ご神体の頭部です。慶派の一人康運の作品です。


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芦刈山会所を出て、綾小路を西に向いています。
次は、このまま綾小路を西に進みます。


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芦刈山会所から、綾小路を西に約50m進みました。
ここで綾小路は、油小路と交差します。


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油小路から、綾小路を西に向いています。
約100m先で、綾小路は堀川通と交差します。
ちなみに、油小路より西に祇園祭の山鉾が立ちません。


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「綾小路油小路」の辻北東角に、こちらの理髪店があります。
なかなか雰囲気のある洋館ですが、この時点で営業中です。
結構安いお店なのですが、ご主人が一人で切り盛りされています。
常時満員のお店なので、こちらは予約が必要です。


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さらに綾小路から、油小路を南に向いています。
「綾小路油小路」の辻南東角に、小さな神社がいらっしゃいます。
では、こちらにお参りします。


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こちらが、その小さな神社「火尊天満宮」です。
元々こちらには、愛宕神社の境外末社がいらっしゃいました。
江戸時代にこの辺の土地所有者である風早氏が、
こちらに菅原道真像を安置されたことから、
強引に天神社へ変更されました。
ですから、こちらは天神社でありながら火災除けの神社です。


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火尊天満宮の前で、油小路を南に向いています。
この先に、祇園祭の山鉾が見えますね。


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火尊天満宮から、油小路を約50m南下しました。
こちらに、油天神山の会所があります。
「油天神」という名の通り、こちらのご神体は
先程の「火尊天満宮」の小さな社そのものです。
ですから、この時点で「火尊天満宮」の中は空です。
現在火尊天満宮の社は、この会所内に安置されています。
小さな神社がそのまま祇園祭の山になっているのは、
第848回ブログの霰天神山と同じですね。

そういえば、2017年はこちらに大変お世話になりました。
夕立で立ち往生していた自分と母に、ビニール傘を貸して戴きました。
その際、先代デジタルカメラを壊しておろおろしていた自分に
声をかけてくださり、とても助かりました。


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そうそう、油天神山の手拭いは結構格好いいですね。
2016年に、こちらでこの手拭いを購入しました。


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こちらは、その手拭いの上部です。
火尊天満宮の社が、そのまま山の上に載っていますね。


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そして、こちらが同じ手拭いの下部です。
この辺の通りと、祇園祭前祭と後祭に立つ山鉾の地図ですね。
担ぎ山は四角く、鉾と曳山は丸く囲ってあります。
ちなみに2016年製ですから、
2022年に復活した鷹山は書かれていません。


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油天神山会所の前で、油小路を南に向いています。
この先に、油天神山が立っています。


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こちらが、油天神山です。
強い雨の中ですので、装飾品は一切付いていません。


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油天神山から、油小路を南に向いています。
ここからは、この油小路を南下します。


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油天神山から、油小路を約50m南下しました。
ここで油小路は、仏光寺通と交差します。
ここからは、このまま油小路を南下します。
仏光寺通以南の油小路沿いに、太子山が立ちます。


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仏光寺通から、油小路を南に向きました。
辻の南西角に、こちらの京町屋が建っています。
wikiの京町屋の例に載っている秦家住宅が、こちらです。
もともと薬問屋でしたが、現在は誰も住んでいません。
例年こちらは太子山の会所でしたが、
今年(2022年)は閉められています。
撮影日(2022年7月14日)が前祭宵山初日だったためか、
コロナウィルス感染者急増で閉鎖されているのか、
取材できませんでした。


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こちらは、2018年7月15日に撮影した写真です。
太子山内部を撮影しています。
こちらのご神体は、神格化された聖徳太子です。
古来より、聖徳太子は知恵の神様として信仰を集めています。


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こちらは、太子山の胴掛です。2018年に新調されました。
もともとはベトナム製の刺しゅうされた絨毯で、
発注から数年かけて製作されました。


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そして、こちらが反対側の胴掛です。
ベトナム製絨毯の製作過程が、当時NHKで放送されていました。
この辺の詳細は、第582回ブログを参照してください。


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太子山会所から、油小路を南に向いています。
向こうに、太子山が立っています。
この辺りで、2時間ほど雨が止みました。
(つまり前祭宵山散策中は、最後まで雨が降りませんでした)


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太子山から、油小路を南に向いています。
この先の高辻通以南には、祇園祭の山鉾が立ちません。
元来なら太子山の南側には、丸太製のベンチが並びます。
そちらに座ると頭が良くなるご利益があるのですが、
2022年は何も置いてありません。


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今度は太子山から、油小路を北に向きました。
では、ここから仏光寺通まで戻ります。


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太子山から、油小路を約50m北上しました。
ここで油小路は、再び仏光寺通と交差します。


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油小路から、仏光寺通を西に向いています。
約100m先で、仏光寺通は堀川通と交差します。
祇園祭山鉾町は油小路が最西端ですので、
こちらに山鉾は立ちません。


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今度は油小路から、仏光寺通を東に向いています。
この先に、木賊山(とくさやま)が立ちます。
右(南)側に、また理髪店が見えます。
実はこの「仏光寺油小路」の辻周辺には、理髪店が多いです。
自分が脳出血を患う前は、自転車でこの辺の理髪店に通っていました。
(現在自分は、お医者さんから自転車の運転を止められています)


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油小路から、仏光寺通を約20m東に進みました。
目の前の内科のお医者さんが、木賊山会所です。
木賊は、漢方薬の材料として昔からよく使われています。
その関係でお医者さんが会所なのかと思い、
以前町内の町衆に尋ねたことがあります。
すると、「全然関係ない」とおっしゃっていました。
そもそもこの会所の先代は、西陣織の職人さんだったようです。


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木賊山の会所では、手前の白いテントで
粽(ちまき)や手拭いが売られています。
そう言えば、2014年にはこちらで木賊の切れ端を売っていました。
木賊はシダ類の植物ですので、切れ端を地面に刺すと
そこから根が生えて成長するそうです。
(被子植物ですが、ジャガイモに似ていますね)
では、屋内の会所に入ります。


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屋内には、木賊山の装飾品とご神体が並びます。
こちらのご神体も、鎌を持つ男性像です。

木賊山は、謡曲の「木賊」を取材しています。
かつて息子を誘拐されてその息子を探す男性が、
生計のために木賊を刈りながら、
息子の無事を祈り続けるお話です。
今ではあまり知られていませんが、
この山ができた当初は京都の町衆なら
誰でも知っていたお話でした。


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木賊山会所から、仏光寺通を東に向いています。
目の前に、木賊山が立っています。


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こちらが、木賊山です。
先程まで雨が降っていたので、装飾品は一切付いていません。


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木賊山の北側に、こちらの路地が伸びています。
仏光寺通より南はもう少し広い道幅で、東中筋という道でした。
こちらは綾小路までは伸びておらず、途中で西に曲がります。


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木賊山から、仏光寺通を東に向いてえます。
これで、西洞院通以西の山鉾はすべて回りました。


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木賊山から、仏光寺通を約50m東に進みました。
ここで仏光寺通は、再び西洞院通と交差します。


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仏光寺通から、西洞院通を北に向いています。
この辺りは、第546回ブログでも訪れています。
では、仏光寺通から西洞院通を北上します。


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仏光寺通から西洞院通を北上していると、
西洞院通の東側にこちらの児童公園が見えてきました。
第518回ブログ第546回ブログで出てきた綾西児童公園ですね。


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仏光寺通から、西洞院通を約50m北上しました。
ここで、綾西児童公園方面に渡る横断歩道があります。
さて、この横断歩道を渡って……どうしましょうか?
道に迷ったわけではないのですが、
この辺りで山鉾を回る順番が、訳分からなくなりました。
綾西児童公園から北上して伯牙山に向かおうとしたのですが、
(第546回ブログと完全に同じルートです。
京町家杉本家住宅が、伯牙山の会所です)
そうすると最後に保昌山が宙に浮いてしまいます。
(保昌山へ向かうルートが、途切れてしまいます)
いろいろ迷って、結局綾西児童公園の中を南下して
そのまま菅大臣神社経由で高辻通まで南下することにしました。
とは言え、もうだいぶ写真を貼り付けましたので
今回はここまでです。

~次回は菅大臣神社経由で高辻通に南下して、
そこから新町通に向かいます~

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第851回ぎょうざ処亮昌で休憩~祇園祭前祭宵山散策~その7

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
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前回ブログで、西洞院通以西の山鉾をすべて回りました。
木賊山を散策し、仏光寺通から西洞院通を約50m北上しています。
実はここから伯牙山に向かおうとしたのですが、
すると最後に保昌山へ向かう道が途切れることに気付きました。
そこで西洞院通東側の綾西児童公園を南下して、
高辻通を東に進み先に岩戸山を目指します。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後4時45分。
今回ブログでは、岩戸山には辿り着けませんでした。


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先程の写真に写っていた横断歩道の信号が、青く変わりました。
そこでこの横断歩道を渡り、西洞院通東側歩道に移ります。


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横断歩道を渡り、西洞院通を東に向いています。
では、ここから綾西児童公園に入ります。
普段は小学生がたくさんいらっしゃいますが、
雨が止んだ直後なので誰もいませんでした。


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撮影日が7月中旬ということもあって、
百日紅(さるすべり)が五分咲ですね。
8月になったら、こちらは満開になります。

ここから左(北)に向かえば、約50m先が伯牙山です。
京町家で重要文化財の杉本家邸宅が、伯牙山会所です。
(杉本家邸宅の詳細は、第546回ブログ参照)
ただ今回は右(南)側に曲がって、
第518回ブログのルートを逆に進んでいきます。


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綾西児童公園の東端まで進み、右(南)に向きました。
では百日紅の先を通過して、綾西児童公園南端まで南下します。


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先程の綾西児童公園の小径を南下して、
綾西児童公園の最南端で左(東)を向きました。
では目の前の車止めをすり抜けて、
綾西児童公園を出ます。


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綾西児童公園を東に抜けて、小径を約20m進みました。
左(北)側の美容院を見ながら、小径を突き当たりました。
こちらに、石製鳥居があります。


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こちらが、その石製鳥居です。
扁額に「紅梅殿」と書かれていますが、
要するに菅原道真の邸宅が、こちらにありました。
と言いましても、ここというよりはこの辺一帯です。
(もちろん祇園祭の山鉾町も含みます)
また、平安時代の貴族は京都市内に多数邸宅を持っていました。
こちらも、その中の1軒です。


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その石製鳥居を背に、路地を南に向きました。
ではこのまま路地を南下して、仏光寺通に進みます。


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先程の石製鳥居から、路地を約50m南下しました。
この仏光寺通で、路地が突き当たります。
ただ、その右(西)側にも別の石製鳥居が見えますね。


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仏光寺通から南に向いて、その石製鳥居を見ています。
こちらは、菅大臣神社です。
春になると、桜並木が絶景になる神社ですね。
先程の「紅梅殿」同様、菅原道真の邸宅跡の一部です。
(要するに、同じ邸宅の一部です)
ではこの石製鳥居をくぐり、菅大臣神社を南へ通り抜けます。


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先程の石製鳥居をくぐり、菅大臣神社の境内を南下しています。
菅大臣神社の境内が広いこともあって、
境内北側と南側に民家が並びます。
また、周囲の道(仏光寺通、西洞院通、高辻通)の近くに
お地蔵さんがいらっしゃいます。
おそらく、結界の役割を果たしています。


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そのお地蔵さんの前で、菅大臣神社境内を南に向ています。
右(西)側の民家が途切れた辺りが、菅大臣神社境内の中心です。


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その民家が、途切れた場所です。
社務所(普段は閉まっています)の右(北)側は、
小径を隔てて手水舎と末社の稲荷社が並びます。


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菅大臣神社境内の中央から、その小径を西に向きました。
左(南)側の社務所と右(北)側の手水舎との間に、
先述の小径が西洞院通まで西に約50m伸びています。
その間の桜並木が見事ですね。
ちなみに、菅大臣神社は「桜の名所」として勇名です。
(菅大臣神社の桜並木は、第390回ブログ参照)


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菅大臣神社境内の中央で、今度は東に向きました。
この奥に、菅大臣神社の本殿がいらっしゃいます。
「菅大臣」とは、菅原道真を指します。
つまり、こちらは「天満宮」の一種です。
もちろんご祭神は、菅原道真です。
先述の通り、この辺一帯は菅原道真の旧邸宅です。
そのため、この辺りに平安時代以来の天満宮がいらっしゃいます。
第234回ブログなど、祇園祭策祭散策の際には
必ずこちらに立ち寄っています。
そのため、今回はこの奥は撮影しません。
(写真はありませんが、今回も本殿で参拝は済ませました)


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菅大臣神社本殿前で、境内を南に向いています。
実は、こちらの桜並木も見事です。
では、こちらを南下します。


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菅大臣神社本殿から、境内を南下しています。
この辺りは左(東)側が、桜並木です。
ここからは、この桜並木を南下します。

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菅大臣神社本殿から、約50m南下しました。
目の前の石製鳥居以南は、石畳と民家だけが続きます。


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先程の石製鳥居から菅大臣神社境内を南下すると、
こちらのお地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらが、高辻通に近いお地蔵さんです。


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そのお地蔵さんの前で、菅大臣神社境内を南に向きました。
目の前の石製鳥居をくぐると、菅大臣神社を出て高辻通です。
その高辻通から南に、若宮通が伸びています。


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菅大臣神社から、高辻通を西に向いています。
ここからは、こちらを西に進みます。


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菅大臣神社から、高辻通を西に約50m進みました。
ここで高辻通は、西洞院通と交差します。
この辺りの高辻通沿いには、様々な飲食店が建ち並びます。
それらのお店は、祇園祭期間中に屋台を出します。
「高辻西洞院」交差点北西角の飲食店も、
ビールと酒の肴の屋台を出しています。


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さて西洞院通~菅大臣神社間の高辻通沿いに、
餃子専門店の「ぎょうざ処亮昌(すけまさ)」が建っています。
個人的には、こちらは南区にあるミスター・ギョーザと並ぶ
京都を代表する餃子専門店の双璧と思っています。
ただ自分がいつもこちらに訪れると、
今までこのお店に縁がなくて入店できませんでした。
(定休日だったり、営業時間が合わなかったりとか)
今回も準備中でしたが、開店間近の様子です。
ですから数分待って、午後5時に入店しました。


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ぎょうざ処亮昌に入店すると、こちらの席に案内されました。
さすがに自分がこの日の入店第1号でしたが、
開店から5分もしないうちに、座席の半分が埋まりました。


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注文した品物がやってくるまで、
テーブルの上にある調味料を覗きました。
手前から、自家製辣油、塩山椒、酢醤油です。
どちらも、餃子を漬ける調味料ですね。


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座席に就いてから、約10分が経ちました。
すると、注文していた品物がやって来ました。


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まずは、こちらの縮緬雑魚と大豆の炊いたんです。
京料理と言えば高級料理と思われる方も多いですが、
個人的には魚の乾物と野菜の煮物が京料理の根本と考えます。
そして、このような惣菜がこのお店のもう一つの名物です。
この惣菜は、季節に合わせて日替わりで出てきます。
こちらはウチの味付けよりも濃いのですが、
お酒の肴としてはこれでちょうどいいのでしょうね。


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続いては、生ビールの中サイズです。
時間が経って、泡が少なくなってきています。
脳出血以来、自分は1か月にビール1杯しかお酒を飲みません。
ですから、これが2022年7月に飲む唯一のビールです。


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そして、こちらがメインの餃子です。
手前の小皿には、先程の3種の調味料が入っています。
チェーン店の餃子には化学調味料が多量に入っていますが、
こちらの餃子の餡には一切味が付いていません。
そして、餡の豚肉は粗みじん切りされています。
(ミンチ肉ではありません)
そのため、肉の食感と旨味を十分味わえます。


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約20分かけて、こちらを戴きました。
真ん中のコップには、ただのお水が入っています。
こちらを使って、血圧を下げるお薬を飲みました。


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ぎょうざ処亮昌を出て、高辻通を東に向いています。
ここから新町通まで高辻通を東に進み、
曳山の岩戸山を目指すのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、岩戸山、船鉾、伯牙山を回ります~

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第852回 岩戸山と船鉾に登る~祇園祭前祭宵山散策~その8

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前回ブログでお邪魔した「ぎょうざ処亮様」の前で、
高辻通を東に向いています。
約30m西の西洞院通から約350m東の烏丸通まで、
高辻通にはお酒を提供する飲食店が建ち並びます。
右(南)側に見える京町家は、すべて内装は飲食店です。
今回はこのまま高辻通を東に進み、
約100m先の新町通を北上して、岩戸山に向かいます。
撮影日は、2022年7月14日午後5時15分。
今回は、山鉾に登った過去の写真も掲載します。


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ぎょうざ処亮昌の2軒東隣が前回ブログで訪れた菅大臣神社で、
その東隣が半兵衛麩の卸売問屋です。
半兵衛麩 本店は麩や湯葉の製造販売兼飲食店ですが、
こちらは麩や湯葉を日本全国に配送する拠点です。
祇園祭期間中はお休みなので中には入れませんが、
毎年祇園祭期間中は店頭に洛中洛外図を飾っておられました。
(第582回ブログ参照)
ただ、2022年はそういうものを配置されていませんでした。


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ぎょうざ処亮昌から、高辻通を約100m東に進みました。
ここで高辻通は、新町通と交差します。
左(北)側に見えるコンビニエンスストアでは、
毎年熱中症対策で水分を購入していました。
2022年は雨模様ですから、その心配は不要です。


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高辻通から、新町通を北に向いています。
新町通には、祇園祭期間中たくさん山鉾が経ちます。
まずは、あちらに見える岩田山に向かいます。


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高辻通から、新町通を北上しています。
新築のビルの一角に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
多分、こちらのお地蔵さんの祠は撤去されたのでしょう。
まさかお地蔵さん自体を撤去できませんので、
このような状態なのでしょうね。


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高辻通から、新町通を約50m北上しました。
こちらに、岩戸山が立っています。


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岩戸山の右(東)側に、黒檀製の京町家が立っています。
まずは、こちらに入ってみます。


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黒檀製の京町家の玄関には、岩戸山の見送りが置かれています。
実は両方現役の見送りで、1年ごとに付け替えられます。
実は最近この岩戸山に能楽を奉納された方がいらして、
こちらの写真はその時の様子だそうです。


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その脇に、岩戸山の模型が置かれていました。
岩戸山のような形状を「曳山」といいます。
「山」には「担ぎ山」と「曳山」があって、
お御輿のように数人で担ぎ上げるのが「担ぎ山」で、
鉾と同じくらい大きくて車輪が付いたものを「曳山」と言います。
曳山も「鉾」と同様、山鉾巡行では「辻回し」が存在します。
後祭には、北観音山、南観音山、鷹山の3基が曳山ですが、
前祭唯一の曳山がこの岩戸山です。


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黒檀製の京町家を出ました。
その京町家の北隣が、駐車場です。


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その駐車場も、臨時の岩戸山会所です。
次は、そちらにお邪魔します。


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その駐車場の会所には、岩戸山のご神体がいらっしゃいます。
「岩戸山」は、古事記や日本書紀の
「天岩戸伝説」が元になっています。
悪逆の限りを尽くす素戔嗚尊のために天岩戸に天照大神が隠れて、
その天照大神を田力男などの神々が呼び起こす物語です。
最終的に、死神で疫病神でもある素戔嗚尊は追放されます。
つまり、こちらは厄や疫病に克つことを象徴する山です。


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駐車場の会所を背に、西を向いています。
この先に、岩戸山が立っています。
岩戸山など曳山も上に登ることができますが、
会所から岩戸山につながる通路はありません。
ですから、脇にあるかなり急な階段で上っていきます。


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ここから、しばらくは2018年7月15日の写真です。
当時はコロナ禍前ですから、たくさんの方々がいらっしゃいます。
岩戸山を囲む格子の一部が引き戸になっていて、
300円納めるとその中に入って、岩戸山の上に登れます。
(第581回ブログ参照)


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300円納めて格子の引き戸を開けて、岩戸山の真下に入りました。
そこから、急な階段を上ったのですが……
かなり急でしたから両手が離せず、カメラを握れませんでした。
ですから、階段を上り終えてから撮影しました。

まずは、岩戸山の派風の近影です。
こちらには、八岐大蛇(やまたのおろち)が掘られています。
天岩戸伝説の最後で高天原を追放された素戔嗚尊に、
退治された8つの頭を持つ大蛇ですね。
(邪神として描かれていた素戔嗚尊が、一転英雄になるお話です)
さらに屋根裏には、明治時代の日本画家中島華風による
セキレイが描かれています。


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岩戸山の庇(屋根の裏)の周囲を撮りました。
こちらは、先述の中島華風の師匠今尾景年による花々です。



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ちょっと岩戸山の上から半身を乗り出し、庇を撮りました。
今尾景年の日本画が、より大きく見えます。
岩戸山の上で祇園囃子を演奏されておられる方々は、
こういう光景を見ておられるのでしょうね。


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岩戸山の上から、新町通を北に向いています。
ずっと先に、船鉾が見えますね。
あの船鉾が前祭山鉾巡行の最後尾で、
この岩戸山がその1基手前で巡行します。
(船鉾と岩戸山の巡行順は決まっていて、順番のくじを引きません)

この写真はコロナ禍以前の2018年7月15日のものですから、
露店が立ち並び、かなりの賑わいですね。


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岩戸山の上で寝転がり、天井を写しました。
岩戸山は次に登った船鉾よりはせまくて、
月鉾の上と同じ3畳ほどの広さです。
自分一人でしたから寝転がれましたが、
ほかに人がいればかなり厳しかったですね。

天井画は、様々な色の雲が描かれています。
下地には、文様を押された金箔が敷き詰められています。
……見かけ以上に高価ですね。


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一通り撮影しましたので、岩戸山を下ります。
この急な階段の下には、茣蓙(ござ)が敷かれています。
そちらまで下りて、靴を履き直して引き戸から外に出ました。
2018年7月15日の写真は、ここまでです。


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ここから、2022年7月14日木曜日の写真に戻ります。
岩戸山から、新町通を北に向いています。
目の前の白いテントで、
岩戸山の粽(ちまき)や手拭いが売られています。


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岩戸山から、新町通を北上しています。
こちらの黒檀製の京町家に、縁台が出ていました。
そして、こちらの檜扇が活けられていました。
檜扇(ひおうぎ)は祇園祭を象徴する花で、
山鉾町の京町家では祇園祭期間中活けられています。


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岩戸山から、新町通を約50m北上しました。
ここで新町通は、仏光寺通と交差します。
この約200m西に、木賊山が立っています。(第850回ブログ参照)


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仏光寺通から、新町通を北に向いています。
向こうに、船鉾が立っていますね。


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仏光寺通から、新町通を北上しています。
こちらは、白生地の卸問屋醍醐正です。
この界隈に多い典型的な呉服問屋ですが、
コロナ禍以前は祇園祭期間中に絵画を展示されていました。
現在もこちらは営業されていますが、
絵画の展示は2022年は中止されています。


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醍醐正の向かい(東)側に、白いテントが立ちます。
こちらでは、船鉾の粽(ちまき)と手拭いが売られています。


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その白いテントの前で、新町通を北に向いています。
こちらが、船鉾です。


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船鉾の右(東)側に、船鉾の会所があります。
お金を納めて、こちらから船鉾の上に上がれます。

実は、この奥にご神体の神功皇后像がいらっしゃいます。
ただ、ご神体の神功皇后像は撮影禁止です。
船鉾を含めて神功皇后をご神体とされる山鉾町の多くは、
ご神体を撮影することに厳しいです。


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ここからは、2017年7月16日に撮影した写真です。
(第497回ブログ参照)
先程の位置から船鉾会所に入り、2Fに上がってきました。
この先から、通路を渡って船鉾の上に登ります。


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船鉾の2Fに上がっても、コロナ禍以前はかなり賑わっていました。
実は、船鉾会所入り口からここまで約15分かかりました。
ここで、さらに約30分待ちました。


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船鉾に登るまで暫くありましたので、
会所の2Fから船鉾を撮影しました。
こちらは舳先部分ですね。
鷁(げき)という中国の架空の水鳥が、模られています。


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さらに、こちらは船鉾の後ろ部分です。
黒漆塗りの舵の上には、山鉾巡行時には
ご神体の神功皇后が納められます。


497-20.jpg
約30分待って、順番が巡ってきました。
では、船鉾の上に登ります。


497-22.jpg
2017年7月16日は、約20人で中に約20分いました。
岩戸山より広い約4畳の面積は、風が吹いていて快かったです。
金箔地に様々な花を描く天井画は、とても豪華に見えます。


497-24.jpg
船鉾の上から、北を向いています。
……のはずが、舳先の鷁が大きくて先が見えません。


497-25.jpg
船鉾の上には、約20分いました。
時間が来たので、船鉾の上から会所の2Fに移り
こちらの階段で下ります。
2017年7月16日の写真は、ここまでです。


852-23.jpg
ここからは、2022年7月14日の写真に戻ります。
船鉾の会所の脇から、船鉾を見ています。
前祭山鉾巡行の最後尾の鉾ですね。
船鉾は、神功皇后が朝鮮半島の新羅に攻め込んだ船を表しています。
厳密にはその船自体が神格化された天鳥船を模っています。


852-22.jpg
船鉾から、新町通を北に向いています。
では、また新町通を北上します。


852-24.jpg
船鉾から、新町通を北上しています。
左(西)側に、花屋さんが見えますね。


852-25.jpg
こちらが、その花屋さんです。
「花屋さん」は、コロナ禍でいちばん損害を受けた業種です。
ウチの近所でも、何軒も潰れました。
ただ、こちらは無事に営業を続けられています。


852-26.jpg
その花屋さんの店頭で、檜扇が売られていました。
祇園祭期間中は、こちらの花が山鉾町のあちこちに飾られます。
さてここから新町通を北上して伯牙山経由で月鉾に向かうのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、伯牙山、月鉾に向かいます~

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生まれたときから50数年
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「蹴上・鹿ヶ谷散策」
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「太秦散策」
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映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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