京の道 今日の道 2022年02月
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DRAGON BURGER

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店名:DRAGON BURGER  業種:ハンバーガーショップ
営業時間:午前10時半~午後9時半(ラストオーダー午後9時)
※ コロナウィルス蔓延防止特別措置期間中は、
 午前11時~午後8時に営業
定休日:不定休         座席数:60
デリバリー:UBER EATS   テイクアウト:あり
住所:東山区本町通九条上る本町13丁目243
(地図で確認されたい方は、ここをクリックしてください)


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京都駅からJR奈良線に乗って、1駅。
こちらは、JR奈良線「東福寺」駅です。
臨済宗東福寺派本山東福寺の最寄り駅ですね。
今回は、その途中にあるハンバーガー屋さんに向かいます。


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JR奈良線「東福寺」駅ホームを南に向いています。
JR奈良線「東福寺」駅ホームの右(東)側が、
京阪電鉄「東福寺」駅ホームと繋がっています。
ですから、この先にJR奈良線側から
京阪電鉄側に乗り換える改札口があります。


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JR奈良線「東福寺」駅から、普通電車が出発します。
ちなみに、この駅には「みやこ路快速」も停まります。
では、この階段を上って陸橋の上に進みます。


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先程の階段を上ると、陸橋の上に改札口があります。
先ずはこちらから、JR奈良線「東福寺」駅を出ます。


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JR奈良線「東福寺」駅改札を出て、陸橋の上で東を向きました。
この陸橋は、JR奈良線と京阪電鉄の線路の上に架かります。
次はこの陸橋を渡り、京阪電鉄「東福寺」駅前に向かいます。


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陸橋を東に渡り、階段を降りてきました。
「←出口」を進むと、京阪電鉄「東福寺」駅改札口の前に出ます。


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京阪電鉄「東福寺」駅改札口の前で、東を向いています。
このまま看板の通り本町通を進むと、東福寺に辿り着きます。
その前に、目の前の本町通に出ます。


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京阪電鉄「東福寺」駅改札口の前で東に進み、
本町通に出て北を向いています。
ここから約150m先に、瀧尾神社がいらっしゃいます。
さらにずっと北上し続けると、ウチの家の近所に出ます。


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今度は同じ位置で、本町通を南に向きました。
このまま本町通を南下すれば、東福寺に辿り着けます。
この辺りは東福寺への観光客目当ての店が並びますが、
シーズンではないので何軒かは閉まっています。
寿司屋さんのいづ松は、定休日で閉まっています。
(こちらは、木曜日が定休日でした)


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その「いづ松」の2軒南隣に、電気屋兼レコード店があります。
さらにその南隣が、今回ブログのメインハンバーガー屋さんの
DRAGON BURGERが建っています。


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DRAGON BURGERの店頭に回り込んできました。
こちらは、本町通と九条通との交差点の北西角です。
店頭に、お店紹介とメニューが並んでいますね。


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さらに、店頭には消毒用アルコールジェルが置かれています。
こちらで手指の殺菌をした後、このお店に入店します。


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DRAGON BURGERに入店しました。
どうも、元々は京町家だった家屋を改装されたようです。
つまり、典型的な「町屋カフェ」ですね。
ちなみに、この左側にカウンターがあって
そちらで注文と会計を先に済ませます。


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また、そのカウンターの向かい側にはTシャツなど
さまざまなお店のロゴ入りのグッズが並んでいます。
これらは、このお店で販売されているようです。
また、こちらの階段から2Fに上がれます。
そちらにも座席があるのですが、自分は上がったことがありません。


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1Fのいちばん奥に坪庭があって、そちらにこの燈籠が立っています。
この位置の座席が結構絶景なのですが、
先客がいらっしゃるのでこれ以上撮影できません。
実はこの位置は人気のある席ですので、滅多に座れません。


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坪庭前の席の手前に、こちらの席があります。
床の間があって、まるで座敷ですね。
坪庭前の席に就けない時は、いつもこの席を利用しています。


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今回も、この床の間のある席に就きました。
この左手が、床の間です。
この位置で、注文を待ちます。


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注文してから、約10分が経ちました。
カウンターからの呼びかけに応じて、こちらを持って来ました。
こちらは、ドラゴンバーガーのセットです。
セットの場合、3品の合計金額から200円が値引きされます。
その条件で、合計¥1,710支払いました。


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今回、ドリンクはホットコーヒー(¥380)を頼みました。
しっかり苦味のあるドリップコーヒーですね。
自分は、いつもコーヒーに何も入れません。


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さらに、こちらはオニオンポテト(¥510)です。
普通のフライドポテトと異なり、洋葱入りは多少高め設定です。
ただ自分は洋葱のフライが好物なので、
ちょっと値が張るのを前提で注文しました。
油で揚げると、洋葱の甘味が前面に出ますね。
さらにフライドポテトは67DINERと比べて、だいぶ細いですね。
ただ、中はホクホクしていて甘味がありました。


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そして、こちらがメインのドラゴンバーガー(¥1,020)です。
バンズに挟まれた中は、下からレタス、パテ2枚、チーズです。
さらにチーズの上から香辛料の効いたソースが掛かっています。
そうそう、チーズの真下にキュウリの漬物が入っています。
その微妙な塩加減が、全体の味を引き締めています。
注目は、2枚のパテ(ハンバーグ)です。
粗みじん切りにしたミンチ肉をあまり固めずに調理して、
ミデアムレア(やや生肉)で焼いています。
つまりパテの中心は、やや赤い部分が残っています。
ただし、しっかり赤身の部分に火が通っています。
(レアやミデアムレアは、生焼けではありません。
しっかり中まで火が通っているうえで、赤身が残っているのです)
この焼き方が、いちばんお肉の旨味と甘味を感じますね。


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2024年1月8日月曜日は、成人の日でした。
毎年成人の日に泉涌寺周辺で七福神巡りが催されます。
その七福神巡りの帰りに、こちらに立ち寄りました。
今回は、ワサビバーガー(1,300円)を注文しました。


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こちらが、ワサビバーガーです。
2024年1月段階で、こちらが一番の人気メニューです。


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ワサビバーガーのバンズを剥がしてみました。
パテの上に、マヨネーズベースのソースが掛かっています。
そして、そのソースにワサビが練り込まれています。
ワサビ入りですから多少は辛いのですが、
辛いのが少々苦手な方でも大丈夫な辛さです。
むしろ辛さよりも、ワサビの香りを感じます。


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サイドメニューは、フライドオニオンを頼みました。
フライドポテトより少し高めの500円前後でした。
スライスされた洋葱をしっかり揚げています。


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さらに、ジンジャエールも注文しました。
生姜風味ですが、辛くありません。
こちらも、500円くらいしました。


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1時間弱かけて、こちらを戴きました。
では会計を済ませて、帰宅します。

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さまざまなお店の検索が、可能です。

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第806回 コロナ禍での法住寺節分会 その1

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「節分」は、元々旧暦の大晦日に当たります。
中国などの国では太陽暦の大晦日以上に祝賀ムードになりますが、
日本でも祝賀ムードになる地域もあって、
特に京都では様々な神社仏閣が節分会を開催します。

ところがコロナウィルスの変異種のオミクロン株が蔓延する中、
2021年同様、2022年も各神社仏閣が節分会を中止したり、
神官や僧侶のみで行う「居祭」にしたりしたところが大半です。
そういう状況の中ウチの近所の法住寺の様子を見に行ったのですが、
かなり規模を縮小して節分会を開催されていました。
その様子を短期連載します。


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京都駅から206系や208系など
七条通を東に進む市バスに乗って、約12分。
こちらは、「博物館・三十三間堂」バス停です。
今回は、三十三間堂の東隣の法住寺に向かいます。
撮影日は、2022年2月3日節分の木曜日午後1時。
観光客は皆無でしたが、地元民が30人ほど来ていました。


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カメラの用意をもたもたしていたら、自分が乗っていた206系市バスが
「東山七条」交差点を左折してしまいました。
現在「博物館・三十三間堂」バス停から、七条通を東に向いています。
約300m先の智積院勅使門前で、七条通は突き当たります。
ここから、目の前の横断歩道に進みます。


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その横断歩道を渡らずに、七条通から北を向いています。
こちらから、京都国立博物館に入れます。


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京都国立博物館に背を向け、七条通から南に向きました。
七条通から南に、2車線の道路が伸びています。
こちらの道を「三十三間堂廻り」と呼びます。
豊臣秀吉はこの辺一帯を
「大仏殿」を中心にした一大宗教施設にしましたが、
「三十三間堂廻り」は、当時から残っている道です。


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七条通から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
右(西)側の塀の向こうが、その三十三間堂です。


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七条通から「三十三間堂廻り」を約50m南下して、西を向きました。
三十三間堂には、こちらから入れます。
まぁ、ウチにいちばん近い国宝です。
三十三間堂は現在天台宗蓮華法院と呼ばれて妙法院の一部ですが、
元々鴨川以東の五条通~塩小路間は
今回ブログのメインの天台宗法住寺でした。
つまり、この三十三間堂は元々法住寺境内のお堂でした。
三十三間堂の庭園を「法住寺殿址」と呼ぶのは、
三十三間堂が法住寺の一部だった名残です。
(三十三間堂の様子は、第720回ブログ参照)


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三十三間堂の門前から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
目の前に、この辺りに数少ない公衆トイレがありますね。
ずっと先に、「三十三間堂廻り」最南端の
三十三間堂南大門が見えます。
その門をくぐると、塩小路に突き当たります。
こちらは、元々豊臣秀吉が建立した大仏殿の南大門でした。
ちなみに南大門近くの土塀は安土桃山時代のものなので、
「太閤塀」と呼ばれて重要文化財に指定されています。


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七条通から、「三十三間堂廻り」をずっと南下しています。
この道を境に右(西)側は三十三間堂ですが、
左(東)側にも様々な寺院が建っています。


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七条通から、「三十三間堂廻り」を約180m南下しました。
「三十三間堂廻り」より東側が、浄土真宗遣迎院派養源院です。
「浄土真宗遣迎院派」は天台宗からの分派で、
実は浄土真宗とはあまり関係がありません。
浅井長政の菩提を弔うためにお江の方が建立した寺院ですが、
淀殿の遺志を引き継ぐ形で江戸時代に入ってから完成しました。
俵屋宗達の絵画を日本一収蔵している寺院ですが、
伏見城の切腹現場の床をそのまま天井にした「血天井」でも有名です。
ただコロナウィルス蔓延防止特別措置発令により、
コロナウィルス蔓延が治まるまで拝観停止です。
(2022年1月から拝観停止です)


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浄土真宗遣迎院派養源院の南側に、東に伸びる通路があります。
こちらを進むと、後白河天皇陵がいらっしゃいます。
今回ブログのメインの法住寺は平安時代末期に「法住寺殿」と呼ばれ、
後白河上皇が居住する「外御所」でした。
ですから、後白河上皇はこの法住寺で院政を行っていました。
その後法住寺は明治時代の「神仏分離令」まで、
法住寺は後白河天皇陵を守る「宮寺」として機能していました。


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後白河天皇陵へ通じる通路の間に隣に、
今回ブログのメイン天台宗法住寺が建っています。
「三十三間堂廻り」最南端の寺院なので、ここからでも
三十三間堂南大門より南の塩小路の様子が見えます。
バス停からゆっくり歩いていると、修験者装束の方々が
法住寺の南側の唐門から出て来られました。
サイトに中止と書いてありませんでしたので半信半疑でしたが、
予定とだいぶ異なるタイミングで節分会の行事が行われていました。
ここから慌てて、この行列の後を追います。


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修験者の行列から、法螺貝の音が大きく鳴り響きます。
その修験者たちやご住職の後から、
天狗と鬼の姿をした方々が北上されています。


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その行列は法住寺の北側の門から、境内に入られました。
自分も、このままこの門をくぐります。

天台宗法住寺は、平安時代中期の988年藤原為光が建立しました。
この寺院の全盛は、平安時代末期1180年ごろです。
後白河上皇はこの地を気に入り、ここを「外御所」としました。
つまり、この寺院に後白河上皇が居住して政治を行いました。
ただ法住寺合戦の後は徐々に衰退して、
境内のお堂であった三十三間堂も同じ場所にありながら、
年代ごとに所属寺院を変えることになりました。
鎌倉時代以降は後白河天皇陵を守る「宮寺」として機能しましたが、
明治時代以降の「神仏分離令」によって
後白河天皇陵とこの寺院も塀によって分離されてしまいました。


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先程の門から、法住寺境内に入ってきました。
鬼装束の方々が、境内最南端の本堂に入っていかれます。
ここから暫く本堂での祈祷ですから、参拝者はその場で待機です。
右(西)側を見ると、甘酒の屋台が並んでいます。
釜の数から、餅搗き後のお汁粉は中止されていると分かります。


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その甘酒を提供する屋台を大写しにしました。
毎年湯呑みで甘酒を提供されているのですが、
コロナ禍の2022年は紙コップで提供されていました。
また、その紙コップを触る前に屋台におられる方々が
アルコールジェルで手指消毒されていました。
ただ法住寺節分会の行事が継続中でしたので、
今年(2022年)は甘酒を戴きませんでした。


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甘酒の屋台の前を南下して、護摩壇の北側で立ち止まりました。
護摩壇の南側に法住寺本堂があって、
中でご住職と修験者が祈祷されています。
本堂の外には、鬼装束の方々が待機されていました。
周囲を見ると、参拝者は約30人ですね。
全盛期の2020年はもちろんのこと、2015年の半分以下ですね。
「餅つき」やお汁粉を振る舞うなどの行事が中止されているため、
前倒しで例年よりも進行が早くなっていました。


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お汁粉用のお餅を丸めるのに、
例年花街から舞妓さんを呼ばれています。
今年(2022年)はその作業は無いようでしたが、
一応花街の舞妓さんを呼ばれてはいたようです。
確かサイトでは島原の太夫さんを呼ばれると書かれていましたが、
どう見てもこちらは、舞妓さんです。
祇園か先斗町か、宮川町上七軒かまでは分かりませんが……


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修験者とご住職の祈祷が、終わりました。
すると法螺貝を鳴らしながら、修験者が境内に出て来られました。


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修験者たちは護摩壇や自分たち参拝者の脇を通り過ぎ、
甘酒の屋台前に移動されます。
その後ろから錫杖を持たれた天狗装束の方が付いて行かれます。


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天狗装束の方の後からは、赤鬼装束の方が付いてこられます。
赤鬼は、宝剣と松明を両腕に持たれていました。
赤鬼の後から、青鬼が付いてこられます。
青鬼は黒い斧を両手で持たれています。


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青鬼装束の方の後には、修験者と黒鬼が付いてこられます。
黒鬼装束の方は、黒い小槌を持たれています。


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黒鬼の後、最後列はご住職がいらっしゃいました。
ご住職も、参拝者の北側に回り込まれて、
そこから境内西側へ移動されます。


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この行列は、境内北側から護摩壇の西側に回り込まれました。
そして、その護摩壇西側から
護摩壇の前に修験者たちが入って来られます。


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修験者たちとご住職が全員護摩壇前に入って来られると、
護摩壇南側で法螺貝、銅鑼、独鈷の鈴で演奏を始められました。
すると、天狗装束の方が錫杖を振りながら護摩壇前に現れます。


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天狗装束の方が、楽曲に合わせて錫杖を振い舞い踊られます。
そして、そのまま時計回りに護摩壇の周囲を移動されます。


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天狗装束の方が、本堂前に移動されました。
そして、本堂や参拝者に対して錫杖を振り回されます。
たぶん、この辺りの厄を払っておられるのでしょう。


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天狗装束の方が護摩壇を1周されて、2周目に入られます。
すると、赤鬼装束の方が持たれていた松明に、火が灯されました。


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左手に松明、右手に宝剣を持たれた赤鬼は、
銅鑼や鈴のリズムに合わせて、足踏みをされます。
続いて、赤鬼も舞い踊られます。


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松明と宝剣を掲げて、赤鬼がリズムに合わせて
足を踏みしめてゆっくり歩かれています。
こちらも、護摩壇の周囲を時計回りに周回されます。


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赤鬼に続いて、青鬼の登場です。
青鬼は、両手で斧を振り翳されています。


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銅鑼や鈴のリズムに合わせて、青鬼は斧を振り下ろされます。
こちらも演奏に合わせて、舞い踊られながら時計回りをされます。


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そして、最後は黒鬼の登場です。
黒鬼は、右手に小槌を持たれています。


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黒鬼も銅鑼や鈴に合わせて、小槌を振われます。
……のですが、他の方よりも振りが小さいですね。
「小槌」という性質からでしょうか?


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天狗と鬼たちが、護摩壇の周囲を時計回りに周回されます。
ただ黒鬼が登場した直後に、天狗が周回を終えました。


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周回を終えた天狗装束の方が、護摩壇から去られます。
この方は、今年(2022年)はここでお役御免です。


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ただ鬼の皆さんは、この位置で引き止められました。
実は次回ブログまで、鬼の皆さんは登場します。


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すると修験者の皆さんとご住職が、本堂前に集結されました。
代わりに、鬼の皆さんが護摩壇の北側に集結されます。


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本堂前で、ご住職が桝を片手にMCをされています。
ご住職は、今後の予定を話されていました。
どうも参拝者に向けの豆まきが今年(2022年)は中止で、
境内に関係者が捲く豆まきだけを行われるそうです。
その後護摩壇で加持祈祷を行って、節分会が終了だそうです。
例年より、行事が半分になっていました。
そのため、かなりハイペースで行事が進んでいます。
ただ、だいぶ写真を貼り付けたので
今回はここまでです。

~次回は法住寺節分会の豆まきを取材します~

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第807回 コロナ禍での法住寺節分会 その2

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国宝の三十三間堂の東向かい天台宗法住寺境内にいます。
前回ブログで鬼装束の方々が奉納舞を行い、
その直後にご住職がこの後の予定を説明されています。
今回は、豆まきとその後取り仕切られた破魔矢の斉射を取材します。
撮影日は、2022年2月4日節分の木曜日午後1時半。
今年(2022年)は、かなり進行が早いです。


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今年(2022年)はコロナ禍の「第6波」の最中、
参拝者への豆まきが中止されています。
ご住職、修験者、舞妓さんが豆まきの準備を終えると、
護摩壇より北側にいらした鬼装束の方々が本堂前に向かわれます。


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「鬼は外」
ご住職の一言を合図に、本堂前に集結された皆さんが
鬼装束の方々に豆を投げつけられます。


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豆を投げつけられた鬼装束の方々は、護摩壇前から退散されます。
これで鬼装束の方々も、今年(2022年)の出番が終わりました。


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豆まきが終わって、舞妓さんが護摩壇前を退出されました。
そして、ご住職と修験者の皆さんが護摩炊きの定位置に就かれました。
ここから、護摩焚き前の厄払いが始まります。


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右側の修験者さんが、護摩壇の前にマイクを設置されました。
こちらの方が、護摩焚き中のMCをされます。
ご住職は、他の重要な役目を果たされます。


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先ずは、修験者の皆さんで九字祈祷を始められます。
しかも略式ではなく、正式な作法によるものです。


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その間、本堂脇の窓から舞妓さんが護摩壇を覗かれています。
ここ数年、舞妓さんたちは最後までいらっしゃいます。


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修験者のうち2名が、弓と破魔矢を手に祭壇前にいらっしゃいました。
そこで、本堂前の祭壇に向かってお参りです。


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そして、弓を持たれた修験者を先頭に時計回りに護摩壇を回られます。
ここから、破魔矢による厄払いが始まります。


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……と思いきや、先に護摩壇前でお祈りです。
般若心経などのお経ではなく、祝詞のように日本語で唱えられます。


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お祈りを終えた修験者さんが、再び弓を握られます。
東に向かって、緑(青)色の矢をつがえられます。
緑(青)は、東の守護獣青龍を表します。
修験者さんは、この矢を遠くに向かって斉射されました。
(近くに斉射されたら、参拝者に当たって大惨事です)


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続いて、本堂(南)に向かって朱い矢をつがえます。
朱は、南の守護獣朱雀を表します。
修験者さんは、こちらを高く天に斉射されました。


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さらに、参拝者の多い西に向かって白い矢をつがえられます。
白は、西の守護獣白虎を表します。
こちらは弓を緩く絞って、斉射されました。
すると白い矢は勢いなく真上に上がって、すぐに落下しました。
落ちた破魔矢は、早い者勝ちで参拝者のものになります。


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さらにさらに、こちら側(北側)に向かって黒い矢をつがえられます。
黒(玄)は、北の守護獣玄武を表します。
こちらも弓を緩く絞られて、斉射されました。
こちらの黒い矢も、自分の周囲で取り合いが始まりました。
ただ自分はカメラ片手なので、争いには不参加でした。


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そして、護摩壇(中央)に向かって、黄色い矢をつがえられます。
2018年に修験者さんに教えて戴いたのですが、
黄色は、不動明王さらには護摩壇自体を表しているそうです。
この直後に修験者さんは弓を下に構えられて、
護摩壇そのものに黄色い矢を斉射されました。


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最後に、全ての色が混じった矢を北東に向かってつがえられます。
北東は、鬼門にあたります。
要するに、これで完全な厄払いが済みました。


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全ての矢を射終えた修験者さんは、ご住職に黙礼されました。
すると、ご住職も一礼を返されました。


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弓と矢を持たれていらした修験者さんが、
火の付いていない松明を持ってこられました。
このまま引火されれば、マイクも燃えてしまいますが……


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さすがに松明をこちらに持ってこられただけで、
松明に火は灯りません。
護摩焚き直前の行事も、もうこれで最終です。


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この状態でご住職が立ち上がり、お祈りを始められました。
ご住職もお経ではなく、祝詞のように日本語で唱えられます。
法住寺の寺史や不動明王の教え、
今日(2022年2月4日)の日付と護摩焚き成功への祈願などですね。


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ご住職のお祈りが終わると、修験者さんが松明片手に
ランタンの方に向かっていかれました。
さらに、松明に半紙を取り付けておられます。
これは松明が燃えやすくなるように、されたことです。
つまり、護摩焚き点火の下準備が整われたようです。
ここから本格的に護摩焚きが始まりますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は護摩焚きを取材して、法住寺節分会が終了します~

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第808回 コロナ禍での法住寺節分会 その3

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国宝三十三間堂の東隣りの天台宗法住寺の節分会を連載しています。
前回ブログで護摩壇への厄払いが終わり、
いよいよ松明にランタンから点火されようとされています。
今回はここから護摩焚き祈祷を取材して、帰宅します。
撮影日は、2022年2月3日木曜日午後2時半。
久しぶりに、貼り付ける写真が40枚を越えました。


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松明に点火されようとされていた修験者さんが、
半紙に火を点けてその半紙を床に放り投げられました。
その火が消える前に、松明に取り付けた半紙に引火されました。


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松明に取り付けた半紙が燃え上がり、そのまま松明に引火しています。
松明への引火を確認され、修験者さんはその松明を掲げられました。


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松明を掲げられた修験者さんが、護摩壇の前に移動されました。
そしてご住職や他の修験者さんの前で、
2本の火の点いた松明を交差されます。


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さらに松明の交差を解かれると、
護摩壇に松明を槍のように突き刺されました。
写真では見えませんが、護摩壇の右側にも松明が刺さっています。


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護摩壇に松明が突き刺さって暫くすると、
護摩壇から白い煙が上り始めました。
どうやら、護摩壇への着火に成功されたようです。


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この白い煙は、松葉が燃えていることを示しています。
護摩壇は材木で組まれていますが、
その中には松葉がびっしり敷き詰めてあります。
松葉が次第に燃え上がると、
濛々と白い煙が立ち込めてきました。
すると、ご住職が護摩壇前から立ち去られました。
ご住職は、この後の仕事に備えられます。


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そして、その白い煙で急に視界がなくなりました。
ただ、これはいつものことです。
祇園祭の役行者山のときも壬生寺の護摩焚きもこんな感じでした。


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とは言え、他の修験者さんも煙まみれです。
よく見ると、髪の毛に煤が付き出しています。
そんな中でも、この状態でお祈りを始められています。
鈴の付いた独鈷を楽器のように用いて、お鈴も鳴らして
「六根清浄 疫病退散 交通安全 家内安全」
と繰り返しておられました。


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さらに白い煙が、視界を遮ります。
修験者さんの一人が護摩壇に向かって祈祷されておられるのですが、
もう何が何やら全然わかりません。


808-11.jpg
そこで先程松明を持たれていた修験者さんが、
柄杓に入った水を護摩壇に撒かれます。
すると護摩壇の白い煙が治まって、こんな状態になります。
これで落ち着いて祈祷を続けられますが、
ここまでの流れも例年通りです。


808-12.jpg
煙が落ち着いてくると、護摩焚き祈祷も本格化します。
左の修験者さんが、中央の修験者さんに
護摩木を差し出しておられます。


808-13.jpg
中央の修験者さんが護摩木の封を小刀で切られると、
直後に護摩木を護摩壇に投じられました。


808-14.jpg
そして、それが終わると修験者さんが
また新たな護摩木を護摩壇に投じられていきます。
この護摩木には、予め参拝者がお祈りの言葉を書かれています。


808-15.jpg
すると他の修験者さんが独鈷やお鈴を手放して、
全員で九字祈祷を唱えられました。
中央の修験者さんは、まだ火に投じていない護摩木を
大きな枝で打ち付けておられます。


808-16.jpg
そして中央の修験者さんは、護摩壇にもその枝を打ち付けられます。
祈祷はこのように続けられているのですが、
例年よりも煙が黒いようにも思います。
あとで分かったのですが、護摩壇には
松葉以外にも小枝なども入っていました。


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ここで修験者さんのうちの2人が、法螺貝を吹かれました。
ここから修験者さんたちは九字祈祷を止められて、
般若心経を唱え出されました。


808-18.jpg
すると中央の修験者さんは長い数珠を取り出されました。
そして、他の修験者さんと一緒に般若心経を唱え出されました。


808-19.jpg
とは言え、般若心経はいちばん短いお経です。
すぐに唱え終わられると、また独鈷とお鈴を持ち出されました。
そして、また楽器のようにリズムを取って
「六根清浄 疫病退散 交通安全 家内安全」
とお祈りの言葉を唱え出されました。


808-20.jpg
ここで暫くは、同じ状態が続きます。
例年なら人混みで移動は無理なのですが、
2022年は参拝者が少ないので、西側に回り込んでみました。
角度を変えると、こんな感じで祈祷されています。


808-21.jpg
その後、他の修験者さんの後ろにも回り込んでみました。
修験者さんが祈りながら、楽器のように法具を扱われています。
左右の修験者さんが、鈴の付いた独鈷を上下に振られています。
すると、独鈷の先の鈴がお祈りのリズムに合わせて
高らかな音色を出します。
中央の修験者さんは、お鈴をリズムに合わせて鳴らされていました。


808-22.jpg
その直後に独鈷を振られていた修験者さんのお一人が、
席を立たれて護摩木が積まれていたところに移動されました。


808-23.jpg
さらに数人の修験者さんが護摩壇前に集結されると、
護摩壇の周囲に積まれた護摩木を次々護摩壇に投じられました。
先程の修験者さんは1本1本祈祷しながら投じられておられましたが、
こちらは大量の護摩木を一気に投じられています。
……そうしないと、全ての護摩木を投じるのに
あまりにも時間がかかります。


808-24.jpg
そのうち、修験者さんのお一人が法螺貝を吹かれました。
すると修験者さんのお祈りが終了して、
修験者さん全員で護摩木を護摩壇に投じられます。


808-25.jpg
護摩木を投じられる修験者さんの人数が増えたので、
護摩壇の周囲に積まれていた護摩木がどんどんなくなっていきます。
その間、中央の修験者さんは休憩ですね。


808-26.jpg
そして、護摩壇周囲の護摩木は全て護摩壇に投じられました。
ただ、まだまだ護摩焚きは続きます。


808-27.jpg
護摩木を護摩壇に投じられた修験者さんたちが、
また元の席に就かれました。
そして、再び独鈷とお鈴で演奏されながらのお祈りが始まります。


808-28.jpg
するとMCを兼ねておられる修験者さんが、本殿脇に移動されます。
向かわれた先は一見するとゴミの山ですが、
旧年中にここで発行されたお守りやお札、破魔矢が入っています。


808-29.jpg
その直後に、修験者さんがそこで九字祈祷を始められました。
指を立てた右腕を振り回されておられるので、
略式だと分かりますね。


808-30.jpg
九字祈祷が終わると、修験者さんがこちらを持ち運ばれました。
そして、そのまま護摩壇に向かわれます。


808-31.jpg
さらに、その修験者さんは護摩壇の前に来られました。
そして、持たれていた紙かばんを護摩壇に投じられていきます。
先述の通り、紙かばんの中には旧年中のお守りお札、破魔矢などです。
この節分会は、収めたものを護摩壇で浄化する側面もあります。


808-32.jpg
その直後に、修験者さんのうちの2人が法螺貝を吹かれました。
その合図でお守りやお札などを護摩壇に投じられていた修験者さんが、
他の修験者さんがいらっしゃる場所に移動されてきました。


808-33.jpg
護摩壇前から戻って来られた修験者さんが、マイクを持たれました。
「以上を持ちまして、法住寺の節分会の護摩焚きは終了します」
そうおっしゃると、マイクを机の上に置かれました。


808-34.jpg
すると、今まで護摩壇の火加減を調節するため水を掛けられていた
修験者さんが一礼されました。
これで、2022年度の法住寺節分会はほぼ終了です。


808-35.jpg
その直後に修験者さんは、全員席を立たれました。
そして、護摩壇前に集結されました。
ここから、護摩焚きの後片付けが始まります。
先ずは、護摩壇を取り囲む結界を外されていますが……


808-36.jpg
さて、こちらは黒に見立てた濃紺の護符です。
黒(玄)は、北の守護神玄武を表しています。
後片付け中に使われなかった松葉やこのような護符など、
この後廃棄される呪術道具は
参拝者が持って帰ってもいいことになっています。
厄払いに財布に入れたり、かばんに収めたり、
燃え残った護摩壇に投げ込んだり、いろいろ用途があります。
自分もこの護符を持って帰ろうとしたのですが……
自分の脇にいらしたお年を召したご婦人が
修験者さんに、こうおっしゃいました。
「護符を持ち帰りたいのですが、残っていませんか?」
修験者さんたちが辺りを見回されたのですが、
もう護符は残っていません。
こういうものは、早い者勝ちが公然のルールです。
修験者さんたちが頭を下げて、
「もう残っていません。残念ですが……」
そう返事されました。
そうなると、一瞬の差で護符を手に入れた
自分にプレッシャーが掛かります。
まぁ毎年護符を持って帰っている自分は、今年は諦めます。
「こちらを差し上げます」
そう言って、こちらをこの直後に差し出しました。


808-37.jpg
修験者さんたちが後片付けをされている中、
ご住職と舞妓さんが本堂前に戻って来られました。
そして、MCがご住職に戻ります。
ご住職は、この後の動きを説明されました。
この時点で、法住寺の節分会はほぼ終了しています。
ただ2022年は、法住寺側がお汁粉や豆を振る舞っておられません。
2022年2月上旬はコロナ禍の「第6波」のただ中でしたから、
これは当然の処置なのですが、
袋に詰めた丸餅と煎り豆が人数分用意されているそうです。
帰る前に、こちらを戴けるとのことでした。


808-38.jpg
その直後に境内南側の唐門から、こちらの方々が姿を現されました。
制服から消防署員ではなく、この地区の消防団員と分かります。


808-39.jpg
消防団員の方々は法住寺境内に入って来られて、
そのまま護摩壇を解体されました。
護摩壇を解体された後、組木と燃えている部分を分けておられます。
ここから、護摩壇の消火に入られるのでしょうね。


808-40.jpg
護摩壇の前から、法住寺境内を北に向いています。
この先に、舞妓さんや修験者さんたちが向かわれています。
そちらに、たくさんの参拝者が集結されていますね。

なお今回ブログは、久しぶりに写真を40枚以上掲載します。


808-41.jpg
法住寺境内の北側に、参拝者の皆さんが並んでおられます。
先述の袋入りお餅と煎り豆を求められる方々の行列ですね。


808-42.jpg
法住寺正門前に法住寺の方丈があって、
そちらの前にテーブルを置かれて、お餅と煎り豆が載っています。
さらにご住職以外に、舞妓さん天狗装束の方が一緒におられます。
そして、舞妓さんが袋詰めの丸餅と煎り豆を参拝者に手渡されます。


808-43.jpg
そのテーブルを大写ししました。
丸餅と煎り豆以外に、鏡餅やお酒、醤油もありますね。
実は袋の中に福引も入っていて、
(全員分ではありません。入っていない方もあります)
そちらで鏡餅やお酒、醤油などが景品として当たります。


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袋詰めの丸餅と煎り豆を受け取った参拝者が、次々帰られます。
という訳で、自分も正門から法住寺を出ます。


808-45.jpg
天台宗法住寺の前で、三十三間堂廻りを北に向いています。
では、この三十三間堂廻りを北上します。


808-46.jpg
法住寺の前から、三十三間堂廻りを約200m北上しました。
この左(西)側から三十三間堂に入れますが、
今回はこのまま三十三間堂廻りを北上して、七条通に出ます。


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三十三間堂廻りから、七条通を西に向いています。
左(南)側の塀の先が三十三間堂で、右(北)側が京都国立博物館です。
ここからは、この七条通をそのまま西に進みます。


808-48.jpg
三十三間堂廻りから、七条通を約100m西に進みました。
こちらが、西向きの「博物館・三十三間堂」バス停です。
今回は、こちらから206系市バスに乗って京都駅に向かいます。

~これで、「2022年の法住寺節分会取材」を終えます~

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WALDEN WOODS KYOTO

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店:WALDEN WOODS KYOTO     業種:町屋カフェ
営業時間:午前8時~午後7時     定休日:不定休
デリバリー:なし        オンラインショップ:あり
住所:下京区花屋町通富小路西入ル栄町580-1
(地図で確認したい方は、ここをクリックしてください)


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京都駅北側市バスターミナルから4系や205系など
河原町通を北上する市バスに乗って、約10分。
こちらは、北行きの「河原町正面」バス停です。
今回は、ここからサウナの梅湯に近い町屋カフェに向かいます。


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「河原町正面」バス停から、河原町通を北に向いています。
右(東)側に、今まで乗っていた4系市バスが見えますね。
左(西)側の土塀は、渉成園のものです。
では、ここから河原町通を北上します。


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「河原町正面」バス停から、河原町通を約50m北上しました。
ここで河原町通は、上珠数屋町通と交差します。


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河原町通から、上珠数屋町通を西に向いています。
こうしてみると、上珠数屋町通は渉成園北端の道だと分かります。
このまま上珠数屋町通を西に進むと、
文子天満宮や渉成園正門に辿り着けます。
(第686回ブログ参照)


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河原町通から、上珠数屋町通を東に向きました。
このまま東に進むと、約50m先で土手町通で突き当たります。
土手町通は、豊臣秀吉の治世に高瀬川が流れていた道です。


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上珠数屋町通に架かる横断歩道を渡り、河原町通を北に向いています。
ここで河原町通は北北東に曲がって、
真北に進むなら左の道を進むことになります。
目の前のビルが三角形なのは、それが原因です。
本当は左側の道を進むと近道なのですが、
今回はまだ右側の河原町通を進みます。


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上珠数屋町通から、河原町通を北北東に約50m進みました。
ここで河原町通は、上ノ口通と交差します。


walden-9.jpg
河原町通から、上ノ口通を東に向いています。
約100m先に高瀬川が流れていて、
その上ノ口橋の袂に公衆浴場のサウナの梅湯が建っています。
(この写真の正面にも、写っていますね)
給料日直後でお金があるときは、サウナの梅湯に入った後に
mur mur coffeeか今回ブログのメイン
WALDEN WOODS KYOTOにお邪魔します。


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今度は河原町通から、上ノ口通を西に向きました。
河原町通以西の上ノ口通は、この道幅に変わります。
今回ブログでは、ここからは上ノ口通をこのまま西に進みます。


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河原町通から、上ノ口通を約100m西に進みました。
上ノ口通は、目の前の富小路で突き当たります。


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上ノ口通から、富小路を南に向いています。
右(西)側はかつての京都市立雅松小学校で、
いったん京都市立六条院小学校に改名した後
現在は下京区「高倉七条」交差点にある
京都市立渉成園小学校の運動場になっています。
富小路は、約50m先の渉成園で突き当たります。


walden-13.jpg
今度は上ノ口通から、富小路を北に向きました。
左(西)側に、雅松児童公園が広がっています。
元々小学校の北側だった位置の児童公園ですから、
昔はたくさんの子供が常時遊んでいました。
そして、この辺にはその小学生をターゲットにした
様々な小売店が集中して、そこそこ賑やかな場所でした。


walden-14.jpg
上ノ口通から、富小路を約50m北上しました。
富小路から西に、花屋町通が伸びています。
花屋町通は、ここから阪急電車「西京極」駅まで伸びています。
(花屋町通最西端の様子は、第771回ブログの最後を参照)


walden-15.jpg
富小路から、花屋町通を西に向きました。
左(南)側が、先程の雅松児童公園です。
1軒先の白い建物が、今回ブログのメインの町屋カフェ
WALDEN WOODS KYOTOです。
確か約50年前は、この位置に駄菓子屋が建っていました。
その西隣は自転車屋さんで、(こちらは、現在も営業されています)
さらにその西隣が文房具屋さんだったと記憶しています。
では、WALDEN WOODS KYOTOに入店します。


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WALDEN WOODS KYOTOに、入店しました。
かつての京町家を改装したカフェですが、
屋内を白で統一したためよく見ないと「町屋」と分かりません。
ただ、壁などを触ると木造と分かります。
当初はこの辺りを撮影しようと思っていましたが、
平日で昼下がりなのに結構混んでいました。
他のお客さんを写すわけにはいかないので、
かなり端の方ばかりの撮影となりました。

1Fに厨房とカウンターがあるのですが、
お客さんを店員さんがいらして、そちらの撮影はできません。
ただ、その端にこちらがありました。
このお店にはオンラインショップがあるのですが、
(今回ブログの冒頭参照)
そちらで買える商品がここに並んでいます。
様々なコーヒー豆が売られていて、白磁の食器もあるのですが、
Tシャツなどのグッズも売られていました。


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その商品棚の隣に、階段がありました。
分かりにくいのですが、京町家の形式を守る箱階段ですね。
ですから、少し急なので気を付けましょう。


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入店して最初に1Fで注文して、そこで会計まで済ませます。
ブログ掲載の許可は、この時取りました。
注文したものが出来上がると、トレイ片手にこちらを上がります。
飲食スペースは、2Fだけです。


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このお店の2Fは、10畳以上のそこそこ広い部屋が一つだけです。
(ここは、土足で移動します)
部屋にはテーブルやイスはなく、
代わりに部屋の隅が階段状になっています。
まるで大きなすり鉢ですね。
そしてその階段状の部分を利用して、
テーブルとイスの代わりにします。


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自分が2Fに上がったときは、ちょうど満席でした。
ところが暫く待つと、ここが空席になりました。
そこで、自分はここを利用します。


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こちらにトレイを置いて、食事を始めます。
この位置でしたら、雅松児童公園がよく見えます。
これが、意外と絶景だったりします。


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こちらは、チョコレートのカヌレ(¥350)です。
生地に甘いチョコレートが入っており、
さらに表面をココアパウダーでコーティングしています。
チョコレートの甘味だけでなく、香りまでも感じ取れます。


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そして、こちらがインドネシア産の深入りコーヒー(¥500)です。
自分の好みで、ガツンと苦いコーヒーを頼みました。
先程のカヌレが相当甘いので、バランスが良かったですね。
また写真では紙コップに見えますが、本当は白磁のカップです。
お店の紋章入りで、ちょっと洒落た食器ですね。


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約30分かけて、ゆっくりと戴きました。
では、こちらを回収棚において帰宅します。

「京のお店 今日のお品」カテゴリーに
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乙羽すし

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店名:乙羽すし         業種:寿司屋さん
営業時間:午前11時~午後9時   定休日:月曜日
デリバリー:なし     テイクアウト:折詰寿司
住所:中京区新京極通四条上がる中之町565
(地図で確認されたい方は、ここをクリックしてください)


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先ず京都駅から地下鉄烏丸線に2駅乗って、「四条」駅で降ります。
さらに「四条」駅北側改札口から約100m北上し、
阪急電車「烏丸」駅から1駅乗り、「河原町」駅で降りました。
阪急電車京都線の京都側の終点ですね。
今回は、京都随一の繁華街新京極名物の寿司屋さんに向かいます。


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阪急電車京都線「河原町」駅に停車した特急電車から降りました。
1駅だけ、特急電車用のソファのようなイスに座っていました。
なお、「西院」駅以東の阪急電車は四条通の地下を走ります。


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阪急電車「河原町」駅ホームを移動して、こちらに辿り着きました。
では、こちらの階段から「河原町」駅のコンコース階へ上ります。


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先程の階段で、阪急電車京都線「河原町」駅の
コンコース階に上がってきました。
では、この先の改札口から阪急電車京都線「河原町」駅を出ます。


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阪急電車京都線「河原町」駅中央改札口から、
四条通の地下道を西に向いています。
この位置の地上が、「四条河原町」交差点の西側です。
京都市内で、いちばん賑やかな場所ですね。
切符売り場の脇には、阪急電車の観光案内所や
コンビニエンスストアがあります。


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その位置で、南側に向きました。
「四条河原町」交差点南西角に京都高島屋があって、
この地下道からも、直接そちらに入ることができます。


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京都高島屋地下1Fの前で、西を向きました。
ここから地下道が、急に古めかしくなります。
この辺りから「四条烏丸」までの地下道(約700m)は、
1963年に開通しました。
阪急電車京都線の線路が、地下に潜ったタイミングですね。
次は、ここを西に進みます。


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阪急電車京都線「河原町」駅中央西改札口から、
約70m西に進みました。
ここで目の前の9番出口から、地上に向かいます。


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その9番出口の階段を上っています。
この先の踊り場にテナントのお店があって、
通常は何らかのお店が開いているのですが、
ご時世からか既に潰れていて今は空き店舗です。


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その空き店舗を背に、さらに上の階段を見ています。
ここを上がりきると、地上に出られます。


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9番出口から地上に出て、南に向いています。
こちらは、四条通沿いです。
横断歩道が見えますが、この右(西)側で寺町通と交差します。
つまり、この辺りが「四条寺町」交差点です。


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今度は9番出口の前で、北を向きました。
四条通から北に、新京極通が伸びています。
この新京極通沿いが、京都市街地随一の繁華街新京極です。


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四条通から、新京極通を約50m北上しました。
ここから東に、花遊小路という商店街が続きます。
その北西角に、台湾料理と唐揚げの屋台が立ちます。
お客さんが多くて、結構流行っていますね。


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その台湾料理の屋台の北隣が、大判焼のロンドンヤです。
そして、その北隣が今回ブログのメイン京寿司屋さんの乙羽です。


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お店に入る前に、こちらのアルコールジェルを使うのですが……
その脇に大きな蒸し器が置いてあります。
これが、こちらの名物と関係しています。


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お店の脇に、こちらのショウウィンドウがあります。
中には、蝋で作られた折詰寿司のサンプルが入っています。
こちらは店内飲食がメインのお店ではありますが、
その店内飲食同じくらいの需要がテイクアウトにあります。
まぁ京都には仕出し文化があって、
出前や持ち帰りはコロナ禍以前から盛んでした。


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京寿司屋の乙羽の店内に入ってきました。
座敷席といいますか、これでも土足厳禁の席です。
その向こうに坪庭があって、その先が手洗いです。
つまり、京町家の構造そのままですね。


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では靴を脱いで、こちらの席に就きます。
4人ですとちょっと狭いですが、
2人くらいで座るなら横にカバンを置いても大丈夫です。


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こちらの席に就くと、店員さんが注文を取りに来られました。
その際ブログ取材の許可を取ると、快諾して戴きました。


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注文したものが届くまで、暫く時間があります。
そこで、店内をあちこち撮影します。
座敷席は、このようにパーテーションで区切られています。


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さらに、壁際を撮りました。
いろいろな調度品が並んでいますが、
このお店は自分が生まれる以前からあります。
少なくとも50年前から開店されていますが、
100年以上かどうかは知りません。
京都府では、創業100年以上のお店を
「老舗」と京都府知事が認定します。
つまり、京都では「老舗」を自称できません。


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注文してから、約10分が経ちました。
すると、店員さんがこちらを持ってこられました。
お寿司屋さんでは珍しい丼物2品ですね。
こちらのお店は、冬になると丼物が名物になります。


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まずは、こちらの茶わん蒸しです。
乙羽では、冬になると蒸し料理がお勧めです。
店頭の蒸し器が、この乙羽の象徴ですし……
ウチで作る茶わん蒸しより出汁の塩気が強いですが、
その分卵が多く入っています。
具には、キノコ、鶏肉、銀杏と百合根です。
個人的には、茶わん蒸しには銀杏と百合根が欠かせません。


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そしてメインの丼は、この乙羽の象徴でもある蒸し寿司です。
途中まで完成した状態で店内に置かれて、
注文を受けてから店頭の蒸し器で温められます。
つまり、こちらは温かいお寿司です。
自分は幼少期から冬に新京極に来ると、
こちらをよく戴いていました。
錦糸卵が上に張ってあるので、ちらしずしに見えますが……


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蒸し寿司の錦糸卵をずらしてみると、こんな感じです。
ウナギの短冊切りと酢飯が混ぜられたものが、
海苔の下に詰まっています。
関西ではウナギ丼のことを「まむし」と呼ぶ方もいらっしゃいますが、
厳密にはこの状態のことを「まむし」といいます。
ただしご飯が酢飯ですから、
「まむし」ではなく蒸し「寿司」です。
ウナギのタレも掛かっていますが、
お味は「まむし」よりも「ちらし寿司」に近いです。

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スタンド

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※ この店は飲酒を前提としますので、未成年は入店できません。
店名:スタンド     業種:洋食屋さん(飲酒を前提とします)
営業時間:正午~午後9時15分(ラストオーダー:午後8時45分)
※ 京都府からの時短要請などで、変更あり。
定休日:火曜日         座席数:42
デリバリー:なし         テイクアウト:なし
住所:中京区新京極通四条上がる中之町546
(地図で確認されたい方は、ここをクリックしてください)


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京都駅から地下鉄烏丸線に乗って、2駅先の「四条」駅で降ります。
さらに「四条」駅北側改札繰りから約100m北上して、
阪急電車京都線「烏丸」駅から1駅乗って、
京都側の終点「河原町」駅で降りました。
今回は京都市内随一の繁華街「新京極」内で、
もっともガイドブックに載っている洋食屋さんに向かいます。
……と言いましても飲酒前提のお店なので、
ガイドブックによっては「居酒屋」と書かれています。


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こちらは、ここまで乗ってきた(と言いましても1駅だけですが)
阪急電車の特急車両です。
結構ソファが、心地よかったです。(まぁ1駅だけですが)
では、「河原町」駅のホームを移動します。


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阪急電車京都線「河原町」駅ホームを移動して、
こちらの階段の前に移動しました。
次は、この階段を上ります。


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駅のホームから先程の階段をのぼり、
阪急電車京都線「河原町」駅コンコース階へ辿り着きました。
では、この先の改札口から阪急電車京都線「河原町」駅を出ます。


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阪急電車京都線「河原町」駅前の中央改札口から、
四条通の地下に伸びる地下道を西に向いてます。
この辺りは、京都でいちばん賑やかな「四条河原町」交差点の
西側の真下に相当します。
右(北)側に切符売り場が見えて、
さらに西側にこの駅の観光案内所がありますね。


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その位置で、南側に向きました。
こちらから、京都高島屋の地下に直接進めますね。


otowa-8.jpg
京都高島屋の前で、地下道を西に向いています。
この辺りから、地下道が急に古めかしくなりました。
ここから先の地下道は、阪急電車が地下に潜った
1963年に完成しました。
この地下道は、ここから約700m西の
「四条烏丸」交差点地下まで続きます。
ここからは、このままこの地下道を西に進みます。


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阪急電車京都線「河原町」駅中央改札口から、
四条通の地下道を約70m西に進みました。
では、この9番出口から地上に上がります。


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四条通の地下道から、9番出口の階段を上っています。
この階段を上ると、京都市街地随一の繁華街「新京極」です。


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9番出口を出て、南を向いています。
すぐ目の前に、四条通が東西に伸びています。
横断歩道が見えるのは、この脇で寺町通と交差しているからです。
つまり、その位置に「四条寺町」交差点があります。


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今度は9番出口の前で、北を向きました。
四条通から三条通まで新京極通が伸びていて、
その辺りが京都市街地随一の繁華街「新京極」です。


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9番出口から、新京極通を約50m北上しました。
ここから東に、花遊小路という別の商店街が伸びます。
新京極通沿いに台湾料理や唐揚げの屋台があって、
結構お客さんが入っていました。


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その台湾料理の屋台の北隣が大判焼のロンドンヤで、
さらにその北隣が寿司屋さんの乙羽です。


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乙羽すしの前で、新京極通を北に向いています。
以前書いた記事よりは新しいお店も増えてきましたが、
コロナ禍の影響は現在進行形で続いています。
まだまだシャッターが閉じられたままの店も多いですね。


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乙羽すしの前から、新京極通を約50m北上しました。
新京極通の東側に、今回ブログのメイン
洋食店の「スタンド」が建っています。
1927年創業ですから、もう少しで「老舗」認定されます。
(京都では創業100年以上のお店を
京都府知事が「老舗」と認定します。
つまり、京都では「老舗」を自称できません)


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こちらは、スタンドの店頭です。
ショウウィンドウには蝋でできた見本が並び、
黒いイーゼルにはメニューが載っています。
その周囲にはお酒の看板もありますが、
このお店は、飲酒が前提になります。
ですから、未成年はこちらに入店できません。



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スタンドに入店しました。
こちらのお店は、常識の範囲内で写真撮影がOKです。
つまり他のお客さんを撮ってはいけませんが、
それを避ければ店内撮影がOKです。
こちらは昭和時代初期の創業ですが、
店内の雰囲気は、創業当時のままですね。
こちらの日本酒は月桂冠(京都伏見の醸造所)で、
ビールはキリンのようですね。
他にも、ウィスキーなどの洋酒も置いてあります。


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さらに、お店の壁を撮ります。
黒いプラスチックの板に書かれたものは、
このお店の創業当初からあるメニューです。
周囲のホワイトボードに書かれていたり貼られているものは、
比較的新しいメニューだそうです。
酒の肴も充実していますが、食事をしっかり摂れますね。


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店員さんに誘導されて、こちらの席に就きました。
店内には細長い大理石製のテーブルが2枚あって、
そこを取り囲むようにイスが並びます。
広い意味では、全員相席ですね。
このスタイルも、創業以来変わっていません。


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自分が席に就くと、すぐにこちらがやって来ました。
飲酒を前提とするお店ですから、久しぶりにアルコールを飲みます。


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そういうわけで、キリンの黒ビールの小瓶(¥500)を手酌で戴きます。
焦がした小麦で醸造するので、独特の苦みがありますね。
それが、自分の大好物です。


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黒ビールの小瓶を飲み終わらないうちに、
この日の日替わり定食(¥900)がやって来ました。
しっかり、ご飯もついていますね。


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グリーンピースと炒り卵とが盛られています。
醤油ベースの味付けなので、どちらかといえば和食寄りの食べ物です。
ただ、酒の肴にはちょうどいいですね。
自分の隣の席の男性が、こちらを単品大盛りで注文されていました。
「これ、自分の大好物」とかおっしゃっていました。
一度食べると、クセになりそうです。


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定食には、わかめのお味噌汁と紫葉漬けも付いてきます。
まぁ京都の洋食屋のお味噌汁ですから、
そこまで塩辛くありません。
つまり紫葉漬けも含めて、自分好みの味付けです。


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そして、こちらが日替わり定食のメインディッシュです。
上から、エビフライ、マヨネーズ味のスパゲッティ、焼売、
デミグラスソースが掛かったハンバーグですね。
ちょっと自分には多いくらいですが、どれもおいしかったですね。
ハンバーグは、ますやレストラン菊水よりも柔らかかったですね。
先述の通りスパゲッティにはしっかり味が付いているので、
デミグラスソースに絡めるのはお勧めしません。
代わりに残ったソースは、ご飯かけて戴きました。
するとご飯にハンバーグの肉汁が掛かるので、
いろいろおいしくなります。


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自分には量が多かったので、約1時間かけてこちらを戴きました。
このまま会計を済ませて帰宅しようとしたのですが、
その時自分が学生時代にこちらに通っていた記憶が甦りました。
「社会人になったら、ここでビフテキを食べよう」
当時そんなことを考えていたことを思い出しました。
これは近日中に、再訪しなければなりませんね。

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第809回 七條甘春堂の竹の子~大黒町通南から北~その1

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今回からは、約2年ぶりに「道ブログ」を連載します。
本来なら「道ブログ」の~その1~は写真を掲載しないのですが、
今回紹介する大黒町通はとても短い道で、(七条通~松原通間です)
そういう時は~その1~でも写真を掲載する記事を載せます。


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京都駅北側市バスターミナルから、206系や208系など
七条通を東へ進む市バスに乗って、約12分。
こちらは、「博物館・三十三間堂」バス停です。
今回はここから七条通を西に進み、その後大黒町通を北上します。
撮影日は、2022年2月26日土曜日午後3時。
1936年に東京で大きな事件があった日でありますが、
三浦知良選手の誕生日でもあります。


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「博物館・三十三間堂」バス停の前で、七条通を東に向いています。
目の前に、「三十三間堂前」交差点がありますね。
右(南)側に208系市バスが停まっていますが、
こちらは自分が乗ってきた市バスではありません。
自分が乗っていた206系市バスは、数分前に出発しています。


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「三十三間堂前」交差点で、七条通を北に向きました。
こちらは、京都国立博物館です。
ただこの日はコロナウィルス蔓延防止特別措置が発動中なので、
特別展は催されていません。
代わりに、前田珈琲 京博店のイーゼルが目立ちますね。


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「三十三間堂前」交差点で、七条通から南に向きました。
七条通以南に、塩小路まで「三十三間堂廻り」という道が伸びます。
この辺りには、安土桃山時代に豊臣秀吉が作り上げた
大仏殿を中心とした一大宗教施設が並んでいました。
この「三十三間堂廻り」も、その当時からある道です。
ですから、この道の周辺には三十三間堂だけでなく
2022年の節分会を取材した法住寺もあります。
(詳細は、第806回ブログ参照)


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「三十三間堂前」交差点で、七条通を西に向いています。
では、ここから「博物館・三十三間堂」バス停に戻ります。


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「博物館・三十三間堂」バス停に戻って、
その位置で七条通を西に向いています。
左(南)側の塀の向こうは、三十三間堂です。
右(北)側の赤煉瓦の向こうは、京都国立博物館です。
既に東山の阿弥陀ヶ峰(日吉ヶ丘)の稜線に入っているので、
西に向かうと相当急な下り坂ですね。


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「博物館・三十三間堂」バス停から、
七条通を西に約100m進みました。
ここで七条通は、大和大路と交差します。


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七条通から、大和大路を南に向いています。
大和大路が、三十三間堂境内の最西端です。
その向かい(西)側の病院が、工事中ですね。


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さらに七条通から、大和大路を北に向きました。
こちらも、京都国立博物館の最西端ですね。
京都国立博物館の北隣は豊国神社ですが、
そちらへは次回ブログで参拝します。
(大和大路の詳細は、第223回ブログ参照)


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今度は大和大路から、七条通を西に向いています。
では、大和大路の横断歩道を西側に渡ります。


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大和大路の横断歩道を渡って、七条通を西に向いています。
北が五条通、東が東大路、南が塩小路に囲まれた地域で
鴨川より東なので、この辺りを東山区鴨東(おうとう)地区と呼びます。
平安時代は後白河上皇が院政を行った地域で、
安土桃山時代は豊臣秀吉が宗教施設群を建てた場所です。
大和大路~鴨川間の七条通は「七条鴨東商店街」を形成しています。
観光地なので、飲食店が多い商店街ですね。
「大和大路七条」交差点北西角に、七條甘春堂本店があります。
甘春堂とは、また別の和菓子匠です。
(たぶん暖簾分けされたのでしょう)


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七條甘春堂の店頭を覗いています。
こちらのショウウィンドウに食べられる茶器が置かれています。
甘春堂の名物商品ですが、七條甘春堂でも昔から作られています。
多分大昔は同じ店だったので、どちらも権利を有しているのでしょう。


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自分も東山区鴨東地区の住人ですが、こちらのお店は初来店でした。
特に他意はないのですが、いつも正面通の甘春堂を利用していました。
七條甘春堂よりも、ウチとの距離が近いからでしょう。
今回は熟考の末、こちらを購入しました。
上から、和菓子の「桜はんなり」と「竹の子」です。
こちらは、抹茶を点てて戴きました。


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では包装を取って、中を出します。
上から、「桜はんなり」と「竹の子」です。


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その「桜はんなり」を大写ししました。
饅頭の皮には、おそらく卵黄が入っています。
「おそらく」というのは、自分がこちらを戴いていないからです。
(こちらは、ウチの母が戴きました)
ウチの母は、「おいしいけど、いつもの饅頭とは違う」
と言うだけで、具体的なことは聞けませんでした。
ですから、お味はよく分かりません。


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そして、こちらが「竹の子」です。
白餡を白餡で包んでいるのですが、練り切りではありません。
外は、しっかりと焼かれています。
上の部分が黄色いのは、焼く前に卵黄が塗られていたからです。
しかも中の白餡に、筍のみじん切りが入っています。
形だけでなく、お味も「竹の子」を感じます。
まぁ和菓子ですので、しっかり甘いですが……


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七條甘春堂の入り口は、西隣にもあります。
こちらは、同じ七条甘春堂でも「喫茶室」に行けます。
コーヒー、抹茶、お汁粉などもありますが、
注文すれば「釜揚げうどん」も戴けます。


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七條甘春堂本店の前で、七条通を西に向いています。
では、このまま七条通を西に進みます。


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駐車場を挟んで七條甘春堂本店の西隣は、
ウナギ専門の本格的京料理屋さん「わらじや」です。
「う雑炊」(ウナギ入りの雑炊)が名物ですが、
自分の財布ではちょっと手が届かないお店です。
まぁ、本格的京料理の料亭ですからね。


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その「わらじや」さんの前で、七条通を西に向いています。
目の前で右(北)に伸びる小路が、大黒町通です。


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大黒町通から、七条通を西に向いています。
この先の店先にテントが張ってあるお店は、八つ橋屋さんです。
自分は焼いた八つ橋が好物なので、ここの常連です。
ただ、京のお店 今日のお品掲載を断られてしまいました。
ですから、屋号は書きません。
そして、その西隣はココ一番館です。
約40年前は、ここは8番らーめんでした。


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今度は、その位置で南を向きました。
七条通の向かい(南)側に、つるき餅本舗 七条店が見えますね。


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そして七条通から、大黒町通を北に向いています。
では、ここからは大黒町通を北上します。


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七条通から、大黒町通を北上しています。
多少建物の移り変わりはありますが、
この辺りの雰囲気は約40年前と大きくは変わりません。
新しい住宅も建っていますが、京町家もかなり残っています。


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七条通から、大黒町通を約100m北上しました。
左(西)側には新しい住宅が並びますが、
右(東)側には京町家が建ち並びます。


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京町家の壁に、京都市の広報からの掲示板があります。
また、右(南)側のブリキ製の表札には
「東山区大黒町通正面下がる下蛭子町」そう書かれていました。


809-27.jpg
先の程の京町家から、大黒町通を約50m北上しました。
右(東)側の京町家の東隣の家屋も、
その形状から元々は京町家と分かります。


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こちらは、先程の京町家から斜め向かいに位置します。
この京町家は、看板から酒屋さんと分かります。
この日(2022年2月26日)は、お店を閉められていました。


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その酒屋さんから、約50m大黒町通を北上しました。
こちらの数珠屋さんは、この時間帯は開いていました。
店内でお店の方が数珠を製造されていましたが、
さすがに中を覗き込んでの撮影は、やめました。


809-30.jpg
その数珠屋さんの前で、大黒町通を北に向いています。
大黒町通が耳塚に道幅を狭められていますが、
その先で大黒町通は正面通と交差します。
ここからはこの正面通周辺を散策しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、豊国神社を参拝します~

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

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いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
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京都市内の今の天気と
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「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
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こちらも
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「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
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「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
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「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
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こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
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こちらも許可をいただいて
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布袋山保存会
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こちらからお願いして、
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「春夏秋冬 京のくらし」
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この度、相互リンクさせて
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☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
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他の「道ブログ」とは
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「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
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閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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