京の道 今日の道 2018年03月
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第545回 法住寺の護摩焚き~法住寺節分会~その6

[法住寺] ブログ村キーワード
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法住寺護摩壇前で、修験者が立ち上がり法螺貝を吹いています。
いよいよ節分会の最後の行事「護摩焚き」が始まります。
撮影日は、2018年2月3日節分の土曜日午後2時半。
今回で節分行事も終わりますが、50枚以上写真を貼り付けました。


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護摩壇の脇に、水を張ったバケツが置かれています。
こちらは消火用水でもあるのですが、
護摩焚きの際の煙の方向を定めるのにも使われます。


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護摩壇前に、弓と矢を持った修験者が現れました。
先ずは、祭壇(または本堂?)に向かって一礼されました。


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弓を持たれた方の修験者が、護摩壇前で文を広げ読み上げます。
その文言から読経されているのではなく神道の祝詞に近いもので、
中国語やサンスクリット語ではなく日本語で奏上されていました。


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奏上が終わると、修験者がこちら(北)を向かれました。
護摩焚きの前に弓を撃たれますが、
第413回ブログの祇園祭後祭役行者山の護摩焚きも
第187回ブログの壬生寺節分会の護摩焚きも
同じように初めに矢を放たれました。



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修験者は先ず東に向かれました。
鏃が緑色なのは、東の守護神青龍を表しています。
弓弦を引き絞り、天に矢を放ちます。


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修験者が緑の矢を天に放たれました。
……のですが、弓弦が緩くてゆっくり飛びます。
この矢は地面にゆっくり落ちてくるので、
参拝者の一人が手で受け取られました。
まぁ普通に放てば、誰かに刺さって大惨事です。
ですから、祇園祭の役行者山や節分の壬生寺では
故意に矢を放つのを失敗されて、地面に落とされます。


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次は、南に向かって朱い矢を放たれます。
こちらは、南の守護神朱雀を表してます。


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さらに、西に向かって白い矢を放たれます。
こちらは、西の守護神白虎を表します。


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そして、修験者はこちら(北)を向かれました。
そこで、結界の折り紙と同じ色である紫紺の矢を放たれました。
紫紺はおそらく黒を表していて、北の守護神玄武を意味します。


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最後に北東の遥か彼方に、黄色い矢を放たれました。
矢は、いくつかある法住寺のお堂の一つの
屋根の上に突き刺さりました。(これは、普通に強く放たれました)
黄色は四神獣と関係ありませんが、不動明王を象徴します。
この法住寺のご本尊ですね。
(修験者の一人に、この後教えて頂きました)


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全ての矢を放たれた修験者は、祭壇に一礼されました。
そうして、護摩焚きは次の段階に入ります。


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今度は別の修験者が、来られました。
こちらは、護摩壇に立て掛けてあった松明を手にされます。
そう言えば、護摩壇に黄色い折り紙の付いた結界が敷かれています。


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修験者は、松明を護摩壇前で交差させてその位置を維持されます。
こうして見ると、本堂奥にいらした先斗町の舞妓さんは
この段階でもう堂内に入られたようです。


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代わって袈裟姿の住職が護摩壇前に立たれ、読経されました。
文言と読経時間の短さから、般若心経と分かります。


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住職の読経の後、修験者は松明を本堂脇に持って行かれます。
いよいよ松明の点火ですね。


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法住寺本堂内から、燭台とろうそくを持って来られました。
この火が結構風に強くて、時間をかけて松明に点火できます。


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松明の点火が終わりました。
火が付いた松明を護摩壇前に持ってきます。


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そして、火の点いた松明を護摩壇に突き刺します。
この辺の流れは、他の護摩焚きと同じです。
(第139回ブログ第187回ブログ参照)


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このままの状態で、約1分経ちました。
護摩壇内部の木が燃え出して、だんだん煙が立ち始めました。


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ところが護摩壇表面の松葉に火が付くと、
法住寺境内中に白い煙が立ち始めます。
この隙に、松明は本堂脇に片づけられます。


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その煙で、法住寺境内が満たされます。
もう何が何やら分かりません……
ただ、護摩焚きではどこでもこうなります。


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すると、修験者が護摩壇に水をかけられます。
これは消火のためではなく、煙の方向を限定しています。
その証拠に、護摩壇の煙が真上のみに上がるようになりました。


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煙が落ち着くのが、他の護摩焚きよりも早いですね。
それだけこちらの修験者の手際が良いようです。
他の修験者も、こちらに座ってそれぞれの役割を果たされます。
おりんや法螺貝を時折楽器として鳴らしておられます。


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こちらは、護摩壇正面に座られた修験者です。
数珠の珠を数えながら、般若心経を唱えておられました。


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先ほどおりんを鳴らされていた修験者が、
今度は鉄輪が付いた独鈷を振られていました。
こちらは独鈷鈴という仏具で、楽器の一種とも考えられます。


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法住寺の護摩焚きも、佳境に入ってきました。
こちらの修験者が、境内西側に置かれた護摩木を抱えられました。


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その修験者が、護摩木を護摩壇の火にくべられました。
これらの護摩木は、二人掛かりで次々と放り込まれます。


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こうして山と積まれていた境内西側の護摩木は、
約2分で全て護摩壇の火の中へと消えていきました。


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今度は、4人掛かりで境内東側の護摩木も火にくべられます。
そろそろ法住寺本堂の南側に控えられていた消防士さんが、
護摩壇前に姿を見せました。


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法住寺境内東側の護摩木も、すぐに護摩壇の火の中に消えました。
次は、祭壇脇の紙袋の許に修験者が集まられます。


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こちらの紙袋には、参拝者が持ってきた
旧年中のお札やお守りが入っています。
それらも、修験者は護摩壇の火の中に放り込まれました。


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その間、こちらの修験者は
ずっとこの位置で般若心経を唱えられておられました。
時折、こちらの棒状のものを手前で振られていました。


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すると、こちらの修験者が護摩木を一束手にされました。
右手に小刀を持ち、護摩木を包む紙束の封を切られます。


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そして、封を切った護摩木を手にされて
それらの束をまとめて護摩壇の火の中に放り込まれます。


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法住寺の護摩焚きも、だんだん終わりに近づいています。
今まで座られていた修験者が立ち上がり、法螺貝を演奏されました。


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そして、般若心経の読経も終わりました。
その場で合唱される方や、手印を結ばれる方がいらっしゃいます。


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そして、修験者の皆さんが一礼されました。
これで法住寺の護摩焚きが終了しました。


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御座に座られていらした修験者が、立ち上がられました。
こうして、護摩焚きの後片付けが始まります。


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護摩焚きが終わったことで、結界内に入ることができます。
松葉や石が、地面にまだ置かれています。

今回貼り付けた写真が40枚を越えますが、
久しぶりにまだまだブログは続きます。


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そして、自分はこちらの紫紺の折り紙を頂きました。
こちらは、現在自分の財布の中に収められています。
このように護摩焚き終了後は、
結界内に入ってこのような小物を持って帰ることができます。


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修験者総出で、後片付けが進みます。
こちらの松葉は、周囲にいらした参拝者に配られました。
(遠慮して結界内に入って来られない方が、割といました)


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とは言え、さすがに石を持って帰られる方はいらっしゃいません。
ですから、この位置に戻されていきます。


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続いて、結界内に消防士の皆さんが入って来られました。
いよいよ護摩壇の消火が、本格的に始まります。


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消防士の鉤棒によって、護摩壇が崩されていきます。
護摩壇の周囲を結んでいた黄色い折り紙が、(不動明王の象徴)
修験者によって参拝者に配られます。


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そして、護摩壇の周囲の結界も崩されます。
これで、主だった後片付けが終わりました。


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同じ位置で、法住寺境内を北に向きました。
ここまで残られていた参拝者が、家路に就きます。
この段階までおられる方々は、基本的に自分も含めた地元民です。


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法住寺節分会の行事は、まだ一つ残っています。
法住寺境内北側の寺務所前に、天狗がいらっしゃいます。
そちらに、多くの方々が並ばれています。


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天狗は節を取った竹を持っておられます。
こちらに日本酒が入っていて、笹酒を頂くことができます。


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こちらが、天狗に注がれていた笹酒です。
盃に入っているので少量なのですが、自分はこの後仕事です。
まぁこの量なら大丈夫と思い、こっそり飲んでから先に進みます。


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法住寺節分会のすべての行事が、済みました。
では、この北側の門からこの法住寺を出ます。


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法住寺を出て、三十三間堂廻りを南に向きました。
重要文化財の三十三間堂南大門越しに、
第288回ブログに出て来た喫茶店「舞阪」が見えますね。


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同じ位置で、今度は北を向きました。
三十三間堂廻りの左(西)側に三十三間堂の勅使門が、
右(東)側に養源院が見えますね。


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法住寺門前から三十三間堂廻りを約150m北上し、西を向きました。
こちらは、三十三間堂の門です。
第540回ブログに出て来たときと様子が変わっていません。
平日でも節分でも、ここはたくさんの参拝者がいらっしゃいますね。


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その三十三間堂の門前から、三十三間堂廻りを北に向きました。
この三十三間堂廻りは、目の前の七条通で突き当たります。


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三十三間堂廻りから、七条通を西に向きました。
約100mほど西に進み坂道を下ると、
その位置に「博物館・三十三間堂」バス停があります。
そちらから206系市バスに乗って京都駅に向かい、
勤務地に出社します。

これで、2018年の節分の連載を終了します。

~次回は、若宮通最北端から裏道を通って四条通を目指します。
「若宮通編」と「釜座通編」とのつなぎを連載し始めます~

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第546回 杉本家のひな祭り~若宮通南から北EX~その1

[杉本家住宅] ブログ村キーワード
2018年も初詣10日ゑびす節分と続いてようやく平常運転です。
昨年(2017年)秋に「若宮通編」を連載した続きから
今回は若宮通の北側を書いていきます。
若宮通の真北に釜座通が伸びていて、
ここから暫くはそちらに移行するまでのつなぎ回です。


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京都駅北側市バスターミナルから、第283回ブログ掲載の
堂本印象美術館や立命館大学方面の50系市バスに乗って、
そのずっと手前の「西洞院仏光寺」バス停で降りました。
こちらは、文字通り西洞院通と仏光寺通との交差点です。
今回はここから北上して綾西児童公園の東側に回り込み、
そのまま北上して重要文化財京町家杉本家を訪れます。
撮影日は、2018年3月1日木曜日午後4時。
急に花粉が、大量に飛来しております。


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「西洞院仏光寺」バス停の西洞院通の向かい(東)側を見ています。
ずっと南側に、菅大臣神社の桜の木が見えますね。
あちらに南(京都駅)行きの59系市バスに乗れるバス停がありますが、
第518回ブログでは、最後にあちらから京都駅に戻りました。


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「西洞院仏光寺」バス停の前で、北を向きました。
こちらが、「仏光寺西洞院」交差点です。
北東角のお蕎麦屋さんは、第518回ブログ最後の写真に出てきます。
では、そのお蕎麦屋さんの前に移動します。


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「仏光寺西洞院」交差点北東角のお蕎麦屋さんの前で、
西洞院通を北に向いています。
では、ここを北上します。
今回ブログの最初は、第518回ブログの最後から逆行します。


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「仏光寺西洞院」交差点から、西洞院通を約50m北上しました。
右(東)側の金網越しに、綾西児童公園が見えます。
桜並木がきれいな公園ですが、今は枯れ枝並木です。


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西洞院通から、綾西児童公園入口を東に向いています。
ここは児童公園の南端なのですが、
このままずっと東に小径が伸びています。
では、次はこちらを進んでいきます。


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西洞院通から、綾西児童公園南端の小径を約70m進みました。
ですからこの左(北)側には綾西児童公園があって、
そちらではたくさんの小学生が遊んでいます。
取りあえず、写真右側に写るお地蔵さんにお参りします。


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そのお地蔵さんの裏手から東へは、少し小径がカーブします。
その先に綾西児童公園の南東門があって、その先の小路に続きます。
第518回ブログは若宮通最北端菅大臣神社から小路を北上して、
その突き当りを西に折れこの位置に来ました。


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同じ位置で、北を向きました。
綾西児童公園東端に北に伸びる小径があります。
この児童公園は、南側と東側に周囲の小路への抜け道があります。
では、この小径を北上していきます。
(ここで、第518回ブログ逆行ルートから分岐します)


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先程の位置から綾西児童公園東端の小径を約50m北上しました。
ただその辺りには小学校高学年の児童がたくさんいらしたので、
写真はありません。(小学生は、なるべく撮らないようにしています)
ですからその北側に回り込み、さらに北を撮っています。
この先にお地蔵さんがいらして、
その右(東側)にまた綾西児童公園の門があります。


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綾西児童公園の北東端の門から東に向いて、外に出ます。
目の前にマンションが建っていますが、
ここから左(北)にまだ小路が続きます。


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そのマンションの前で、北を向きました。
この小路は、約30m北の綾小路まで続きます。
では、その綾小路まで北上します。


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その小路の突き当りの綾小路沿いに京町家が建っています。
こちらは、かつての呉服店奈良屋つまり重要文化財の杉本家です。
祇園祭では伯牙山の会所ですね。


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杉本家住宅の前から、綾小路を東に向いています。
ここから約70m先に新町通との辻があって、
その北側に大船鉾が祇園祭後祭に立ち、
逆に綾小路以南には船鉾が祇園祭前祭に立ちます。
そして、ここから綾小路沿いに約100m先に
綾傘鉾が祇園祭に立ちます。
要するに、この辺りは祇園祭山鉾町の中心部です。


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杉本家邸宅は祇園祭の時期は公開されているのですが、
普段は閉まっています。
ですからこの日(2018年3月1日)も閉まっていると思ったのですが、
驚いたことに戸が開いていました。
どうやら、有料で中に入れるようです。


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玄関に、このようなものが建っていました。
2018年3月いっぱいの期間に、こちらのひな人形が公開されます。
まぁ杉本家といえば京都の商家でも老舗で、
有形無形を問わずいろいろな古いものが残されています。
ですから、そのような昔のひな人形を公開されているようです。
時間があったので、1500円の拝観料を支払って入ってみます。


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この杉本家邸宅には祇園祭の際に何回か取材しています。
勝手知ったる場所ですが、一応取材許可を求めました。
やはり、以前の取材と基準は変わりません。
屋内撮影は一切不許可なのですが、
こうしてパンフレットを撮影した写真の許可はもらいました。
また、このブログ名を出した上でブログ掲載許可も貰いました。
一通り手続きをすましたので、中の様子を書いていきます。

今回は祇園祭の際に公開されているときの
半分ほどの場所が公開されていました。
ひな人形は新妻さんがこちらに嫁がれるたびに増えますので、
6セット程飾ってありました。
「三人官女」や「五人囃」は相当新しい風習らしく、
こちらにはいらっしゃいませんでした。
「お内裏様」「お雛様」以外は左大臣右大臣が控えており、
その外側に「左近の桜」「右近の橘」が並びます。
その代わり、こちらのひな人形1セットにつき
市松人形が1体付いてきます。
こちらは「お迎え人形」とも呼ばれて、
お嫁さんがひな人形を持ってくるのに対して、
お婿さんが結婚式直前に市松人形を用意するのだそうです。

ウチはせいぜい100年も続かない商家ですが、
妹のひな人形は「三人官女」「五人囃」付きの7段飾りで、
(つまり、戦後に買った新しいものです)
兵庫県民と結婚したので市松人形は付いてきません。
(そちらに、「お迎え人形」の風習がありません)


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杉本家邸宅には、約30分いました。
午後5時を回って、閉館時間なので外に出ました。
杉本家邸宅の門前で、綾小路を西に向いています。
約50m先に西洞院通との交差点があって、
その西には祇園祭前祭に芦刈山が立ちます。
ちなみに、その辺りに何故か理髪店が集中します。
(第233回ブログを参照)


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杉本家邸宅の門から綾小路を約20m西に進み、北に向いています。
杉本家邸宅沿いに、石畳の小路が北に伸びています。
こちらは、「膏薬辻子」(こうやくのずし)という小路です。


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「膏薬辻子」最南端に、こちらの表札が掛かっていました。
矢田町は、杉本家邸宅がある町内ですね。
ではここから「膏薬辻子」を北上しますが、
切れ目が良いので今回はここまでです。

~次回は「膏薬辻子」を北上し、四条通を目指します~

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第547回 膏薬辻子の京町家~若宮通南から北EX~その2

[膏薬辻子] ブログ村キーワード
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前回ブログに訪問した杉本家住宅の西隣に、石畳の小路が見えます。
こちらは「膏薬辻子」(こうやくのずし)と呼ばれる道で、
綾小路~四条通間を蛇行しながら伸びています。
今回は、綾小路から膏薬辻子を四条通まで北上します。
撮影日は、2018年3月1日木曜日午後5時。
京町家が並ぶ古い家並みですが、様々なお店も並びます。


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綾小路から、膏薬辻子を北上しています。
膏薬辻子は、石畳が敷き詰められた約3mの道幅の小路です。
お気づきでしょうが、自動車は絶対に通れない道幅です。
この辺りは文化庁や京都市が定めた保存地区ではありませんが、
こちらの町内(下京区新釜座町)の方々のご努力によって
京町家の家並みが続いています。
(下京区にはそういう地区が他にいくつかあります)

膏薬辻子の左(西)側には呑み屋さんがありますが、
この地区には飲食店が何軒か並んでいます。
また右(東)側の塀は、前回ブログで訪れた杉本家のものです。


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この辺りで、東を向きました。
こちらのブリキ製表札には、「下京区矢田町」と表示されています。
膏薬辻子の大半が新釜座町なのですが、
先程の写真が写っていた呑み屋さんと杉本家は矢田町です。
つまり、この辺り以北が新釜座町です。


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その表札の辺りから、北を向いています。
つまり、この写真の辺で矢田町から新釜座町に移ります。


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ですから、この辺りでまた表札を調べると
「下京区新釜座町」と書かれていました。


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綾小路から、膏薬辻子を約50m北上しました。
ここで膏薬辻子はいったん突き当たりますが、
まだまだ右(東)の方に伸びる道が続きます。

……とその前に、左(西)側の赤い布が気になります。
ちょっとこちらを覗いてみます。


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こちらが、その京町家です。
赤い布に「ぜんざい」と書かれているように、
こちらは「喜多西」という喫茶店です。
ただ、残念ながら2018年3月1日午後5時現在
こちらは閉店していました。


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……で、2018年3月8日木曜日午後1時に再訪問しました。
こちらは喫茶店なのですが、ランチメニューも充実しています。
時間帯もあって、喫茶メニューよりも食事を頂きました。
隣の方が食べられていたカレーが美味しそうだったのですが、
ちょっと気が変わって鍋焼きうどんセットを頂きました。

右脇に、「黒七味」と書かれた七味があります。
確かに通常よりも黒い七味でしたが、
赤唐辛子よりも黒胡椒が多いのでしょうか?


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その鍋焼きうどんをアップで写しました。
「京風」と書かれていたのですが、
それはうどんつゆの味からでしょうか?
それとも、銀杏が入っているからでしょうか?
ちょっと熱かったので、時間をかけて頂きました。


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セットメニューなので、食後にコーヒーが付いています。
右脇のチョコレートは、店の方のサービスでした。
(この瞬間にお話して、ブログ掲載の許可を頂きました)
ちなみに、左側のパウンドケーキは別売りです。


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こちらが、そのパウンドケーキです。
自分が食事していたテーブルに乗っていたので、
つい勢いで買ってしまいました。
ここのお店の方が焼かれた自家製ですね。
油分が多くて、甘くしっとりしていました。


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喜多西には、約30分いました。
店を出て、膏薬辻子を東に向いています。
この右(南)側にも道が伸びていて、
綾小路からそこを通ってここまで来ました。

右(南)側の京町家もお店のようです。
衣斐茶色の暖簾が、きれいですね。


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こちらが、そのお店です。
木版画ということは、錦絵を販売しているのでしょうね。
灯りは点いていたのですが閉まっていたので、
中には入りませんでした。


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その木版画屋さんの前で、膏薬辻子を東に向いています。
膏薬辻子は、ここでまた突き当り、北へと進路を変えます。


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その角で、膏薬辻子を北に向いています。
この道は、約70m先の四条通まで続きます。


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その角の辺りに、こちらの張り紙はありました。
こちらに、新釜座町町内会の決まりが書いてありました。
やはり京町家の家並みを保存していくためには
地域住民互いの協力が必要なのでしょうね。
この張り紙が斜めになっていますが、
それは張り紙自体が斜めだからです。


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こちらは、その張り紙の向かい(東)側です。
2Fには虫籠窓がついていて、
1Fは犬矢来が付いていないものの、出格子状になっています。
こちらは典型的な京町家で、この町内の標準的な仕様です。


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その京町家の前で、膏薬辻子を北に向いています。
この辺りの京町家の大半は、民家ではなく
飲食店やホテル・小売店舗です。
右(東)側に注連縄が付いた町家がありますね。


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こちらが、その注連縄の付いた京町家です。
こちらは、小さいながらも京都神田明神という神社で
東京の神田明神同様平将門がご祭神です。

平安時代前半の935年に起こった平将門の反乱の後
日本各地で天災や疫病が流行りました。
これを処刑された平将門の怨念が原因と恐れた人々が
平将門の首塚(要するに、お墓)に参拝し始め、
その信仰が日本全国に広がりました。
(これが、東京の神田明神の由縁)
京都でも平将門のご遺体が納まっていないものの、
首塚を立てる機運が高まり、
空也が音頭を取って平安時代の半ばにこちらが創建されました。

ところが時代を経るごとに「平将門」という名前が薄れて、
こちらが「空也の塚」と呼ばれるようになって、
それが訛って「膏薬辻子」(こうやくのずし)という
現在の地名となりました。
膏薬辻子はこの神社の別称で、道の名称で、町内の別称です。


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京都神田明神の手前で、膏薬辻子を北に向いています。
もう間もなく、こちらも四条通に出ます。


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こちらは、その辺りの京町家です。
2Fは虫籠窓ではありませんし1Fに犬矢来も無いですが、
窓は出格子上ですし、入り口から
中に走り庭が細長く伸びていると想像されます。


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その位置で、膏薬辻子を北に向きました。
四条通も、もう目の前ですね。


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その辺りで膏薬辻子の東側を向きました。
看板から、こちらの京町家は呑み屋さんだと分かりますね。



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そして、ここが膏薬辻子の最北端四条通との交差点です。
左(西)側の京町家は、祇園祭前祭で郭巨山の会所になります。
(自分がいつも粽を買う会所です。第499回ブログ参照)
そうそう、右(東)側に立札が立っていますね。


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こちらが、その立て札です。
前述の膏薬辻子の由来は、こちらを参考にしました。


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膏薬辻子から、四条通を東を向いています。
約50m先が「四条新町」交差点で、
そこより北に放下鉾、南に大船鉾が祇園祭に立ちます。
(それぞれ前祭と後祭の鉾なので、同時には立ちません)


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同じ場所で、四条通を西に向きました。
ここから約70m先が「四条西洞院」交差点で、
祇園祭前祭では四条傘鉾や蟷螂山が立ちます。
(第499回ブログを参照)


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さらに、同じ位置で北を向きました。
四条通以北はもう膏薬辻子ではないのですが、
それでも小路がまだまだ北に伸びています。
ですから、次回以上はこちらの道を北上していきます。

今回は、ここまでです。

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第548回 浦島伝説の亀龍院~若宮通南から北EX~その3

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前回ブログで散策した膏薬辻子最北端で、さらに北を向いています。
その位置で四条通を北に向きますと、
さらに北に小路が伸びています。
今回はこの小路の突き当りまで進みます。
撮影日は、2018年3月8日木曜日午後2時。
珍しく小雨の日だったので、花粉は少なめでした。


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膏薬辻子最北端から、四条通を東に向いています。
目の前に、「四条西洞院」バス停が見えますね。
こちらの32系市バスは、このまま西に進み
「四条葛野大路」交差点の京都外国語大学に向かいます。
この位置から約100m東に進みますと、
新町通の先に祇園祭前祭で月鉾が立ちます。
(第496回ブログを参照)


548-3.jpg
同じ位置で、四条通を西に向きました。
少し錆びていますが、ブリキ製の表札には
「下京区 四条通西洞院東入 郭巨山町」と書かれています。
目の前の京町家は普段は空き家ですが、
毎年祇園祭前祭になると郭巨山の会所が立ちます。
(毎年、自分が粽を買っている山です。第499回ブログを参照)


548-4.jpg
膏薬辻子以北には四条通に横断歩道がないので、
四条通を西約70m先にある「四条西洞院」交差点に向かいます。
膏薬辻子から四条通との間に、
「UNIZO」と書かれたホテルがあります。
こちらは南側が膏薬辻子に面していて、
そちら側は外壁が京町家の形状をしています。


548-5.jpg
「四条西洞院」交差点南東角に、こちらの和菓子店があります。
こちらは祇園祭期間中に、特別な和菓子を出しています。
自分も、何回かこちらで買ったことがあります。


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西洞院通から、四条通を北に向いています。
ここから約250m先に、「四条堀川」交差点があります。
祇園祭前祭に「四条西洞院」交差点の西側に、四条傘鉾が立ちます。
(第499回ブログを参照)


548-7.jpg
今度は四条通から、西洞院通で南を向きました。
約200m先が、第546回ブログの出発地点です。
つまり、ここから約100m南下して左折すると杉本家の前に出ます。


548-8.jpg
さらに、四条通から西洞院通を北に向いています。
この約100m先に、祇園祭前祭では蟷螂山が立ちます。
(御所車の上にカマキリのからくりがいます。第499回ブログ参照)


548-9.jpg
では、信号が変わりましたので
西洞院通で四条通北側歩道に移ります。


548-10.jpg
西洞院通から、四条通北側歩道を東に向いています。
では、ここから先程の位置にまで進みます。


548-11.jpg
「四条西洞院」交差点から、四条通北側歩道を東に進んでいます。
こちらは、毛糸や手芸用品のお店です。
そう言えば、四条通には洋裁や手芸のお店が多いように思います。


548-12.jpg
その手芸店から、四条通北側歩道を東に向いています。
「四条烏丸」交差点から「四条新町」交差点までは
飲食店など繁華街らしい町並みなのですが、
そちらより西は、このように地域住民のための商店が続きます。


548-13.jpg
とは言え、そこは四条通ですから飲食店が何軒か並んでいます。
「四条西洞院」交差点から、四条通北側歩道を約70m東進しました。
この辺りが、今回ブログで最初に写っていた場所です。


548-14.jpg
その位置で、南を向きました。
四条通越しに、今回ブログ最初に写っていた郭巨山会所と
前回ブログで散策した膏薬辻子の石畳の道が見えますね。


548-15.jpg
四条通から、その位置で北を向きました。
今回ブログの最初に写っていた小路の様子です。
この小路をこのブログでは、「若宮通」と表記します。
(その理由は、第518回ブログ参照)
では、ここからこちらを北上していきます。


548-16.jpg
四条通から、「若宮通」を約20m北上しました。
この辺りで、「京都市下京区」から「京都市中京区」に移ります。
こちらの居酒屋さんは虫籠窓が付いていることから、
京町家であることが分かりますね。


548-17.jpg
その居酒屋さんの前で、「若宮通」を北に向いています。
鉄筋コンクリートの住宅の増えてきましたが、
まだまだ京町家の家屋も残っていますね。


548-18.jpg
さらに「若宮通」を北上しています。
この辺りの住宅は新築に見えますが、
よく見ると看板建築(元京町家)が多いですね。


548-19.jpg
ただ、「若宮通」の西側には鉄筋コンクリートの新築も見られます。
京都では珍しい外に面した庭が特徴的ですね。
その間を縫うように、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらにもお参りして、先を進みます。


548-20.jpg
そのお地蔵さんの前で、「若宮通」を北に向いています。
この辺りから、また京町家や看板建築が目立ちます。


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四条通から、「若宮通」を約100m北上しました。
「若宮通」は、ここ錦小路で突き当たります。


548-22.jpg
「若宮通」最北端から、錦小路を西に向いています。
約50m先で、錦小路は西洞院通と交差します。
この場所から約20m先に、寺院の境内が見えます。
ちょっと、そちらを覗きます。


548-23.jpg
こちらが、その寺院です。延命山亀龍院という真言宗の寺院ですね。
智山派なので、智積院が本山です。
亀龍院の西側に路地が見えますが、
多分私有地なので「若宮通」とは考えにくいです。

こちらは、平安時代初期の829年に淳和天皇の勅命で
空海が愛染明王をこの地に安置したのが由縁と言われています。
ただ、こちらのご本尊は亀薬師如来で
亀の甲羅の上に乗った薬師如来像です。
(太平洋戦争中に喪失したものを後に復元したものです)
元の亀薬師如来は、浦島太郎の子が
竜宮城より持ち帰ったという変わった伝説が残されています。


548-24.jpg
亀龍院の境内に入ってきました。
境内の西側に、こちらの祠がいらっしゃいました。
多分お地蔵さんが、いらっしゃると思います。
こちらもお参りして、先に進みます。


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亀龍院境内の錦小路側に、こちらのお堂があります。
本堂とも思ったのですが、「不動堂」との木札が掛かっていました。
多分こちらに不動明王がいらっしゃるのでしょうね。
中には入れないので、こちらに賽銭を納めてここでお参りしました。


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亀龍院の前で、錦小路を東に向いています。
約20m先に、先程まで北上していた「若宮通」最北端が見えます。
では、「若宮通」最北端よりも東に錦小路を進みます。


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「若宮通」最北端から、さらに錦小路を東に進んでいます。
この辺の京町家は、様々な商店が多いですね。
こちらは染物屋さんらしいですが、詳しくは知りません。


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その店の前で、錦小路を東に向いています。
右(南)側の京町家は民家に見えますが、
カレーライスの専門店です。
その辺りから少しずつ、道幅が狭くなっていきます。


548-29.jpg
錦小路はどんどん狭くなって、
自動車がやっと1台通れるくらいになります。
ちなみに、左(北)側の塀の先はお医者さんです。
そして、その辺りで錦小路は新町通と交差します。


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新町通から、錦小路を東に向いています。
錦小路も四条通同様、新町通以東は飲食店が並びます。
この約80m先に、祇園祭前祭で浸みだれ肉まんを出す
「膳處漢(ぜぜかん)ぽっちゃり」という中華料理店があります。
その東隣に、祇園祭前祭で錦天神山が立ちます。
(第238回ブログを参照)


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今度は錦小路から、新町通を南に向いています。
この辺は西陣織など呉服問屋が並ぶのですが、
だんだんと違う会社も増えてきています。
祇園祭前祭では、この辺りに放下鉾が立ちます。
(第231回ブログを参照)


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さらに錦小路から、新町通を北に向きました。
祇園祭鉾町には呉服問屋が並びますが、
この辺りには特に大手の老舗呉服問屋が並びます。
祇園祭後祭には、ここに南観音山が立ちます。
(第417回ブログを参照)

これから新町通を三条通まで北上し、
そこから西に進み釜座通最南端を目指しますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

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第549回 祇園祭鉾町の日常~若宮通南から北EX~その4

548-32.jpg
錦小路から、新町通を北に向いています。
この辺りは毎年祇園祭にウロウロする場所ですが、
普段は呉服問屋などの和装のお店が多い商業地です。
今回は、ここから釜座通最南端を目指します。
撮影日は、2018年3月8日木曜日午後2時。
だんだん雨が強くなってきました。


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錦小路から、新町通を約30m北上しました。
新町通の右(西)側の京町家の1Fに、カフェが入っています。


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こちらは、その町屋カフェの南側です。
路地の奥が、祇園祭後祭時に南観音山の会所になります。
北側のカフェは前祭に露店を出して、抹茶を販売しています。
(第407回ブログを参照)


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南観音山会所の前で、新町通を北に向いています。
この辺りの京町家は、呉服問屋や和装屋さん以外にも
飲食店の割合も増えています。


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その辺りで、新町通を西に向きました。
石畳の京町家に囲まれた路地が伸びています。
地図によるとここは前回ブログ亀龍院脇の路地に出るのですが、
私有地なので進入禁止です。


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その路地の前で、新町通を北に向いています。
この日(2018年3月8日)は一日中雨模様で、
写真も夕方のように暗く写ります。


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先程の路地の北側がくろちくという和装雑貨などの販売をしている
お店の本店で、さらにその北側の店舗との間にこちらがあります。
1857年に、本門仏立宗が開かれた場所です。
(本山は、宥清寺です)


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その向かい(東)側には、浄土真宗大谷派瑞蓮寺があります。
近江(滋賀県)の戦国大名浅井氏に連なる建立した寺院です。
(第331回ブログを参照)


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瑞蓮寺の前で、新町通を北に向いています。
ここで新町通は、蛸薬師通と交差します。


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新町通から、蛸薬師通を西に向いています。
新町通以西の蛸薬師通は、せまい小路で急な下り坂になります。
これはこの先の西洞院通がかつて川だった名残で、
この辺の東西の道は、新町通以西は同じようになります。


549-11.jpg
同じ場所で、新町通から蛸薬師通を東に向きました。
辻の角に立っている京町家に何人かの行列ができていますが、
こちらにちょっと有名な飲食店があります。
ただ、今回は雨の強いので先を急ぎます。
(そろそろ写真に、雨粒が写り出しました)


549-12.jpg
本来ならここで「蛸薬師通から北を向いた新町通」の
写真を載せるべきなのですが、
たまたま建築工事が行われていたので、
その位置から約10m北上してから撮りました。
(そのため、京都新町蛸薬師郵便局が写っていません)
この辺りから、京町家よりもマンションが目立っていますね。


549-13.jpg
とは言え、まだまだ京町家が何軒も並んでいます。
新町通左(西)側に京都逓信病院が見えますが、
その辺りの新町通上に祇園祭後祭で北観音山が立ちます。


549-14.jpg
京都逓信病院の向かい(西)側の京町家の窓脇に、
こちらのブリキ製表札がありました。
六角町は北観音山が立つ山鉾町なのですが……
写真の雨粒がだいぶ大きくなってきましたね。


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京都逓信病院の前で、新町通を北に向いています。
この新町通は、次に六角通と交差します。


549-16.jpg
新町通から、六角通を西に向いています。
やはり、六角通も新町通以西は狭く急な下り坂です。
もちろんその理由も蛸薬師通と同じで、
この先の西洞院通がかつて川だったことの名残です。


549-17.jpg
今度は、新町通から六角通を東に向きました。
ここから約200m先に、祇園祭後祭で浄妙山が立ちます。
(第415回ブログを参照)


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六角通から、新町通を北に向いています。
雨が激しくなって、アスファルトの路面に雨水が浮いています。


549-19.jpg
六角通から、新町通を約50m北上しました。
新町通の右(東)側のマンションと京町家との間に、
ちょっとした空き地のような場所がありますね。


549-20.jpg
こちらが、その一瞬空き地に見えたところです。
注連縄がしてある場所が、祇園祭後祭の八幡山会所です。
(第415回ブログを参照)


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そちらを新町通からズームして撮りました。
祇園祭当日には向こうの黒い板塀を取り払って、
その奥に八幡様の祠を祀ったり、
八幡山の水引や見送り・胴掛を展示したりします。
(第60回ブログ参照)


549-22.jpg
八幡山会所の向かい(西)側に、こちらの建物があります。
町家と洋館が同じ施設内に建っていますね。
こちらは旧川崎家邸宅で、京都市の指定文化財でもあります。
有料で中を覗けますが、今まで入ったことがありません。
(ちょっと、拝観料が高いもので……)


549-23.jpg
八幡山会所の北隣は、マンションです。
壁際に鉄製の犬矢来が付いています。ちょっと、変わっていますね。


549-24.jpg
そのマンションの北隣が、こちらの京町家です。
祇園祭になると、この辺の京町家の屋内に
屏風や襖絵などの美術品が飾られます。
その中でも、こちらの屏風が特に見事ですね。


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その京町家の前で、新町通を北に向いています。
では、ここを北上していきます。


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六角通から、新町通を約100m北上しました。
ここで、新町通は三条通と交差します。
この交差点の北東角に、洋菓子店のトゥレ・ドゥーがあります。
個人的に、京都で一番おいしいケーキ屋さんと思っています。


549-27.jpg
新町通から、三条通を東に向いています。
ここをまっすぐ進めば、第59回ブログのルートですね。


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新町通から、三条通を北に向いています。
ここから約2㎞先で、上立売通と交差します。


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さらに新町通から、三条通を西に向きました。
道幅は狭くなりませんが、西洞院通まで急な下り坂です。
これは、六角通や蛸薬師通と同じですね。


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新町通から、三条通を西に進んでいます。
この辺は、ビルも京町家も飲食店だらけです。


549-31.jpg
新町通から、三条通を約50m西に進みました。
三条通の右(北)側に、京都信用金庫三条支店が見えますね。
その辺りから北に、釜座通(かまんざどおり)が伸びています。


549-32.jpg
釜座通から、三条通を東に向いています。
約300m先で三条通が突き当たっているように見えますが、
そこから西に三条会商店街が伸びています。(第58回ブログを参照)
三条通は京都屈指の長い道で、嵐山の西端まで続いています。


549-33.jpg
その位置で、三条通を南に向きました。
こちらの建物は、大西清右衛門美術館です。
歴代の大西清右衛門の手による茶釜が展示されているようです。
(今回は、お邪魔していません)
また、この辺りに室町時代茶釜の座が開かれていました。
それがここから北に伸びる「釜座通」の由来です。


549-34.jpg
三条通から、釜座通を北に向いています。
ここから北に進めば、「釜座通編」の始まりとなります。
ただ、それは2018年度の桜散策を終えてからにします。
今回は、ここまでです。

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第550回 京都銀行西陣支店~蓮台野桜野辺送~その1

[京都銀行] ブログ村キーワード
野辺送(のべおくり)とは、古代~中世の葬式のことです。
平安時代くらいから始まり、
江戸時代初期に徳川秀忠の法令で廃止されるまで
亡くなった方のご遺体は京都市街地から郊外へ運んでいました。
(死体を放置することで発生する疫病を防ぐためです)
その一連の儀式を「野辺送」と言って、平安京郊外に当たる
千本通北部周辺の「蓮台野」は代表的な埋葬地でした。
(他にも、化野六原およびその東隣の鳥辺山周辺などがありました)
蓮台野の野辺送は千本釈迦堂から順に千本通を北上し
釘抜き地蔵→千本ゑんま堂→歯形地蔵→九品蓮台寺と参拝して、
そのまま蓮台野の埋葬地に向かいました。
蓮台野は現在普通の住宅地ですが、多くの桜の名所を抱えています。
また蓮台野に至るまでの各地も、大半が桜の名所として有名です。
そこで2018年の桜散策は、その野辺送が行われた場所を
当時の順番通りに巡ろうと思います。


550-1.jpg
笹屋町通から、千本通を北を向いています。
元来はこの辺りに206系市バスの停留所があったのですが、
いつの間にか廃止されていました。
そこで、「千本中立売」バス停から笹屋町通まで歩いた後
この位置から2018年の桜散策を始めます。
今回は、ここから北上し、千本釈迦堂の前まで進みます。
撮影日は、2018年3月29日木曜日午前11時半。
暑くて、上着を脱ぎました。まるで、夏でした。


550-2.jpg
千本通から、笹屋町通を東に向いています。
約200m先の浄福寺通沿いに浄福寺や慧光寺が並びます。
(第354回ブログを参照)


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笹屋町通から、千本通を北に向いています。
この先の青い看板を見ていると、今出川通が近いことが分かります。


550-4.jpg
笹屋町通から、千本通を約50m北上しました。
ここで千本通は、元誓願寺通と交差します。


550-5.jpg
元誓願寺通から、千本通を約50m北上しました。
ここで千本通は、今出川通と交差します。
よく見ると、交差点の南西角に桜が咲いていますね。


550-6.jpg
「今出川千本」交差点の南西角に来ました。
こちらで、大桜が満開でした。
ここ最近、京都の街路樹は銀杏から桜に変わりつつありますが、
その中でもこの交差点は桜の木の本数も多く、きれいに咲きます。


550-7.jpg
「今出川千本」南西角から、東を向きました。
この交差点の面白いのは、南西角だけでなく
交差点のすべての角に桜並木が続いていることです。


550-8.jpg
「今出川千本」交差点南西角から横断歩道を渡って、
その交差点の南東角から西を向いています。
南西角の大桜の枝が、左(南)の方の建物の前に掛かります。
こちらの建物も、白亜色のとてもきれいな外壁を持っています。


550-9.jpg
こちらが、その白亜色の建物です。
看板にある通り、こちらは京都銀行西陣支店です。
デザインに優れ、さらにそれぞれの壁や窓・柱の形状も美しく
個人的には京都で一番の外観を持つ銀行と思っています。
その建物の前で大桜が咲き誇っているわけですから、
単なる大通りの交差点が一転して絶景に変わります。
本当は桜の枝がもっと長かったのですが、
3年前の銀行の改装の際に、少し切られてしまいました。
ところが、桜は植物です。
年々枝が長く伸びて、もう数年すれば更に絶景になるでしょうね。


550-10.jpg
では、横断歩道を渡り再び「今出川千本」交差点南西角に移ります。
入り口から銀行内に入り、ブログ掲載の許可を取りに行きました。
ところが、銀行内はお客さんだらけで大忙しです。
行員さんに許可を求めたところ、こちらに目も合わせずに
「はい、掲載されても大丈夫です」
そうおっしゃってくれました。
……という訳で、遠慮なく今回ブログのタイトルにしました。


550-11.jpg
京都銀行西陣支店を出て、
「今出川千本」交差点北西角の方を向いています。
向こうの角も、桜並木が満開ですね。
では、今出川通を渡り、ここを北上します。


550-12.jpg
その横断歩道を北上中に、少し西を向きました。
「今出川千本」交差点の西側に上善寺が見えますが、
そちらまで寄っていれば時間がかかるので
今回ブログは飛ばします。
(第375回ブログで、この上善寺に寄りました)


550-13.jpg
横断歩道を渡って、交差点の南西角に振り向きました。
京都銀行西陣支店の写真は、この構図の桜がいちばん映えます。


550-14.jpg
今出川通から、千本通を北北西に向いています。
船岡山を避けるため、千本通はこの辺りでだんだん傾いていきます。


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今出川通から、千本通を北北西に約50m進みました。
ガソリンスタンドの前に、「千本今出川」バス停があります。
千本釈迦堂に向かう場合は、
いつもここからブログ連載を始めていました。


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こちらは、そのガソリンスタンドから2軒北のお店です。
おいしそうな和菓子屋さんですが、時間がないので先に急ぎます。


550-17.jpg
今出川通から、千本通を北北西に約100m進みました。
五辻通近くは五辻昆布の本社ビルが目立ちますが、
それ以外はシャッターで閉まったお店も目立ちます。


550-18.jpg
ただ、よく見ると「五辻千本」交差点南西角の玩具店は営業中です。
ここは将棋とか囲碁とかかるたとか、ゲームの類が売られています。


550-19.jpg
そして、こちらが「五辻千本」交差点です。
今回ブログでは、こちらから五辻通を西に進みます。


550-20.jpg
千本通から、五辻通を西に向きました。
こちらから見ると、京町家と町工場が混在します。
この辺りは花街の上七軒に近いのですが、西陣の一部でもあります。


550-21.jpg
千本通から、五辻通を西に約30m進みました。
塀の向こうは在日韓国居留民団西陣支部ですが、
そこの桜も今ちょうど満開ですね。


550-22.jpg
その2軒ほど西に、浄土真宗三會寺があります。
なかなか風情のある寺院ですが、詳しい沿革は分かりませんでした。


550-23.jpg
その三會寺の前で、五辻通を西に向いています。
この少し先で、五辻通は六軒町通と交差します。


550-24.jpg
五辻通から、六軒町通を北に向いています。
六軒町通は約200m先で上立売通と交差し、突き当たります。
(第488回ブログを参照)


550-25.jpg
今度は五辻通から、六軒町通を南に向きました。
六軒町通は、約100m先で今出川通と交差します。


550-26.jpg
さらに六軒町通から五辻通を西に向きました。
辻の角にある京町家は改装が終わり、旅館として営業中のようです。
(第488回ブログを参照)


550-27.jpg
その京町家から、五辻通をさらに30m西に進みました。
第488回ブログではこの京町家を「改装中」と勘違いしていました。
また五辻通の左(南)側は町工場が並び、忙しく稼働されていました。


550-28.jpg
その京町家の東側に、路地が北に伸びています。
こちらを進めば、くねくね曲がった末に
六軒町通最北端(上立売通との辻です)に達しますが、
相当複雑なので道に迷う危険があります。
(行こう行こうと思いつつ、目の前のお好み焼き屋は
今回も時間がなくて素通りしました……)


550-29.jpg
その位置から、五辻通を西に約70m進みました。
ここで五辻通は小路と交差し、T字路を構成します。


550-30.jpg
そのT字路で、五辻通を西に向きました。
「上七軒」交差点から、七本松通は北北西に曲がりますが、
そこから真っすぐ約100m北上すると、ここに着きます。


550-31.jpg
今度はその位置で、北を向きました。
こちらは、真言宗智山派大報恩寺です。
国宝の本堂から、「千本釈迦堂」と呼ばれています。
ここからこの「千本釈迦堂」に参拝するのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、こちらの千本釈迦堂を参拝します~

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プロフィール

ぴのぴな

Author:ぴのぴな
ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

リンク・カテゴリの説明
いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
☆リンク
「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
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いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
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「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
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「幼児連れで
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不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
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「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
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「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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