京の道 今日の道 2016年08月
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第415回 八幡山の屏風祭~2016後祭散策~その3

[屏風祭] ブログ村キーワード

祇園祭宵山では、屏風祭というものも開かれています。
山鉾町の中心である問屋さんや旧家が、家宝の絵画や屏風などを
沿道の方々に見えるように展示する一種の催し物です。
バブル崩壊やリーマンショックを経て大半が辞めてしまいましたが、
それでも新町通沿いを中心に、まだまだ何軒かは続けておられます。
そして、これが新町通を中心に開催される後祭宵山の
自分にとっては最大の楽しみでもあります。


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三条通から、新町通を南に向いています。
八幡山の山町である京都市中京区三条町は、後祭宵山期間中
このようにつがいのハトを描いた幕で仕切られます。
(つがいのハトは、八幡社の象徴です)
この写真は、クリックすれば拡大されます。
今回は八幡山を通り過ぎ、六角通を東に進み
黒主山と浄妙山も見ていきます。
撮影日は、2016年7月23日土曜日午後3時半。
まだまだ日差しが強い日でした。


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三条通から、新町通を南へ約30m進みました。
こちらは、第407回ブログでも出てきた問屋さんです。
前祭のときとは違い、だいぶ周囲が賑やかになっています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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さらに新町通を約20m南に進みました。
八幡山が、だんだんはっきりと見えてきました。
新町通の両脇に、たくさんの方々が集まっておられます。
ちょっと混じって、一緒に眺めてみます。


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左(東)側の格子越しに屋内を見ると、こうなっています。
蒼い御座に箏を置き、左右に金と雲龍の屏風で
シンメトリーのコントラストを作られています。
そして、中央には祇園祭の象徴檜扇が生けてあります。
装飾品一つ一つも見事ですが、
それらの配置、色遣いに「町衆の心意気」を感じます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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右(西)側の町屋には、錦絵を貼り付けた屏風ですね。
確か昨年(2015年)は、書写を書いた屏風が展示されていました。


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さらに新町通を南下しています。目の前に八幡山が立っています。
八幡山の左(東)側に、たくさんの方々が集まっておられます。
そちらに、ちょっと立ち寄ってみます。


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こちらが、八幡山の会所です。
この奥に、ご神体でもある八幡社の社がいらっしゃいます。
前祭の2柱の天神山同様、こちらは、
神社の祠がそのままご神体となられた山です。
……ところが、今年(2016年)は八幡社の会所がいっぱいでした。
仕方なく、中に入らず先を急ぎます。


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八幡山会所の上部を撮りました。
南隣の京町家に、ブリキの表札が貼ってありました。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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八幡山会所から、新町通を南に約50m進みました。
呉服問屋さんの安売りなのですが、
たくさんの方々が立ち寄られていました。


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こちらは、その問屋さんの向かい(西)側のお店です。
店は閉店されていますが、大きな金屏風が置いてあります。
昨年(2015年)も、こちらの金屏風はここに飾ってありました。
こちらは、尾形光琳の代表作のレプリカです。
ただ、そのレプリカ作者が円山応挙となれば話が変わります。
若かりし円山応挙が、練習のために書いたものです。


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その円山応挙の金屏風の前で、新町通を南に向きました。
この先の「つがいのハト」の幕の辺りで、
八幡山の山町京都市中京区三条町が終わります。
その外側に、東西を貫く六角通が伸びています。


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「つがいのハト」の幕をくぐり新町通から六角通を東に向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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新町通から、六角通を東に約10m進みました。
六角通の右(南)側に、こちらのお店があります。
昨年(2015年)のブログにも出てきていますね。
こちらの屏風と檜扇も見事なのですが、
今年(2016年)は商品の衣服が邪魔でよく見えません……


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新町通から六角通を東に約50m進み、北を向きました。
ここから北に、衣棚通が伸びています。


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衣棚通から、六角通を東に約70m進みました。
この辺りで、また室町通と交差します。


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六角通から、室町通を北に向きました。
この先に、黒い山が見えますね。「黒」が象徴なのは、黒主山です。


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室町通を北上し、黒主山を見上げています。
黒い山に、造花の桜が映えますね。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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黒主山の北側に、帯問屋の誉田屋源兵衛ががあります。
店頭の登り鯉は、2008年の創業270周年記念に製作されました。
こちらは木村英輝画伯の作品で、毎年1匹ずつ増えているそうです。
祇園祭後祭期間中に、毎年展示されています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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誉田屋源兵衛の前で、室町通を南に向きました。
黒主山脇の提灯が飾ってある辺りが、ここの会所です。
次は、そちらに向かいます。


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黒主山の会所に入ってきました。
こちらがご神体で、桜を見上げる大友黒主像です。
六歌仙の一人で、このような歌が「古今和歌集」に残されています。

春雨の 降るは 涙の桜花 散るを惜しまぬ 人しなければ

こちらの山は、この歌を題材にしています。
(その歌を歌う様子は、謡曲「滋賀」に出てきます)
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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黒主山の会所では、様々なものが売られていました。
面白いのは、扇子も粽もたいていが黒く染め挙げられています。
昨年(2015年)黒胡麻を練り込んだ生八つ橋を買いましたが、
今年(2016年)は何も買いませんでした。

黒主山の会所を出て、室町通を南に向いています。
ここで、また六角通と交差する辻に戻ります。
このまま南に進むと、鯉山に行くことができます。
左(東)側には浄妙山がいらして、右(西)は八幡山から来た道です。


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室町通から、六角通を東に向いています。
次は、こちらの浄妙山に向かいます。


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室町通から、六角通を東に約50m進みました。
(烏丸通まで、あと50mほどです)
こちらに、浄妙山が立っています。


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浄妙山の手前(西)に、浄妙山の会所があります。
こちらも、昨年(2015年)と比べて人出が多いですね。
ただ、こちらは何とか中に入れそうですね。


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会所の中に、ご神体の一来法師(左)と浄妙(右)の像です。
こちらの山の沿革は、第329回ブログに詳細が載っています。


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浄妙山の会所前で、六角通を西に向いています。
次は室町通の鯉山に向かうのですが、だいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでとします。

~次回は、鯉山と橋弁慶山を回ります~

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第416回 鯉山と橋弁慶山~2016後祭宵山散策~その4

[鯉山] ブログ村キーワード
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浄妙山会所の前で、六角通を西に向いています。
今回はこの先の室町通を南下して人気の鯉山に向かった後、
蛸薬師通を散策します。
撮影日は、2016年7月23日土曜日午後4時。
まだまだ日が高いですね。


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浄妙山会所より2軒西隣に、小物屋さんがありました。
宵山のときには、こういうお店にも人が集まります。


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こちらは、先程のお店よりほぼ向かい(北)にある自転車屋さんです。
祇園祭期間中は、注連縄(しめなわ)をされているようですね。


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浄妙山会所の前から、六角通を西に約30m進みました。
ここで室町通と交差します。
左(南)を進むと鯉山が立っています。
右(北)に進むと、前回ブログで訪れた黒主山が立っています。


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六角通から、室町通を南に向いています。
左(東)側に、「そうめん」の幟が見えます。
鯉山にちなんで、「出世そうめん」ということだそうです。
では、こちらを進んでいきます。


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六角通から、室町通を南に約80m進みました。
こちらに、鯉山と鯉山会所があります。


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……で、こちらから鯉山会所に入っていくのですが、
「ウナギの寝床」の土間部分どころか、
その先の室町通の路上にまで順番待ちの行列が続きます。
今年(2016年)は諦めようかとも思ったのですが、
少しずつですが人の流れもあったので、
ちょっとこの行列に並んでみることにしました。


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案の定、10分ほどで室町通の路上から
「ウナギの寝床」に入ってきました。
ここを抜けたら、いよいよ鯉山の会所内部です。


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鯉山会所の脇に、坪庭がありました。
その坪庭に、こちらの瓦が置いてありました。
「鯉」をモチーフにした京都市中京区鯉山町の紋が入っていますね。
この写真からしばらく、クリックしたら拡大されます。


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こちらが、鯉山の会所です。
鯉山ではお守りやお札以外にも手拭いや扇子も売っていますが、
特に手拭いのデザインがいいんですよね。
昨年(2015年)ここで買った手拭いも良かったですが、
今年(2016年)のものもなかなかですね。


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会所の奥に、鯉山のご神体の鯉像がいらっしゃいます。
こちらは、左甚五郎作の重要文化財です。
さらに奥に展示されている見送りは18世紀ベルギー産で、
大きなタペストリーを箟で切り取ったものです。
こちらも、重要文化財です。
クリックすれば写真が拡大するのは、ここまでです。


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鯉山会所から、室町通に出てきました。
鯉山の南側に、役行者山同様御献酒が飾ってありますね。


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鯉山の前で、室町通を南に向きました。
京都市中京区鯉山町の沿道には、提灯が並んでいますね。
では、ここを進んでいきます。


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鯉山から、室町通を南に約20m進みました。
こちらに、先ほどの鯉山への御献酒神蔵の出店があります。
今年(2016年)も昨年(2015年)同様、ここでコップ酒を買います。


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こちらが、今年(2016年)買った神蔵のコップ酒です。
昨年(2015年)同様、これで500円です。
甘くてフルーティーですが、実は微炭酸です。
お米独特の香りがいいですね。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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ではここから左手に神蔵、右手にカメラで歩いていきます。
つまり、ここから一杯やりながらべろべろになって歩いていきます。
神蔵の出店の前で、室町通を南に向いています。
ここで室町通は、蛸薬師通と交差します。


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室町通から、蛸薬師通を東に向きました。
向こうに、祇園祭の山が見えます。次は、あちらの方に向かいます。


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室町通から、蛸薬師通を東に約70m進みました。
こちらは、橋弁慶山です。


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橋弁慶山の東側に、橋弁慶山の会所があります。
会所の2F部分から、橋弁慶山のご神体が見えます。
左が武蔵坊弁慶で、右が牛若丸です。
こちらは、五条大橋上の両者の決闘を模しています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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橋弁慶山の前から、蛸薬師通を東に向いています。
前田コーヒーの先は、烏丸通との交差点です。
ここより先に、祇園祭後祭の山鉾は立ちません。


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橋弁慶山の会の前から、蛸薬師通を西に向きました。
では、今度はこちらを進んでいきます。


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橋弁慶山会所の前から、蛸薬師通を約50m進みました。
こちらの京町家は、小間物屋さんです。
こちらには祇園祭期間中、多くの方が訪れます。


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さらに、蛸薬師通を西に進みました。
ここで、室町通に戻ってきました。


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蛸薬師通から、室町通を南に向いています。
前祭ではここから南に山伏山が立ちますが、
後祭期間中は何も立ちません。


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室町通から、蛸薬師通を西に向きました。
これで、室町通以東の後祭の山鉾は全て見ました。
次は、ここを西に進みます。


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室町通から、蛸薬師通を西に約30m進みました。
こちらは、本門仏立宗の誕生寺です。
……なのですが、現在本堂を修復中です。
実は前祭中はこちらから工事車両が出てきて、
少しひやりとしました。


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誕生寺の前から、蛸薬師通を西に向いています。
もう目の前に、新町通が見えます。


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さらに蛸薬師通を西に進み、新町通まで来ました。
今年(2016年)は、布袋山が後祭には立たないようです。


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新町通から、蛸薬師通を西に向いています。
ここから蛸薬師通は急に狭くなり、
西の突き当りの後院通までこの狭さのままです。


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今度は蛸薬師通から、新町通を北に向きました。
目の前に、北観音山が立っています。
次はあちらに向かうわけですが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでとします。

~次回は、北観音山と南観音山に向かいます~

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第417回 南北観音山の屏風祭~2016後祭散策~その5

[屏風祭] ブログ村キーワード

姉小路からあちこち散策して、新町通に戻ってきました。
第415回ブログでも書いたように、
新町通は祇園祭山鉾町でもいちばん屏風祭が多い地域です。
ですから、今回もその屏風祭に向かいます。


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蛸薬師通から、新町通を北に向いています。
今回は向こうの北観音山に寄った後、この新町通を南下します。
撮影日は、2016年7月23日土曜日午後4時半。
今年(2016年)は、まだまだ日が高いようです。


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蛸薬師通から新町通を北に約20m進み、
西側にある呉服問屋さんの中を覗きました。
店先から奥の坪庭まで、左右に金屏風が並びます。
中央には、北観音山の模型と檜扇が飾ってあります。
こちらには、2012年にお邪魔しました。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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こちらは、その呉服問屋さんの北隣です。
どうもこちらも、先ほどの呉服問屋さんの同じお店のようです。
こちらにもたくさんの方々が訪れておられるので、覗いてみます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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こちらがその店内です。こちらには昨年(2015年)にも訪れましたね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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同じお店の北側は、このようになっています。
金屏風の絵柄と檜扇が、見事なバランスで配置されています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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呉服問屋の前で、新町通を北に向きました。
青空に、北観音山が映えますね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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こちらが、北観音山です。
後祭には大船鉾しか「鉾」が立ちませんが、
その分「山」の中でも大きな「曳山」がたくさん立ちます。
そう言えば、復活を目指す鷹山も「曳山」でした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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北観音山の南側で、新町通を南に向きました。
次は、蛸薬師通より南に見える南観音山を目指します。


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新町通と蛸薬師通との辻の北西角に、こちらの呉服問屋があります。
この日(2016年7月23日)は、こちらで大安売りをされていました。
たくさんの方が、こちらに立ち寄られていました。


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今度は蛸薬師通から、新町通を南に向きました。
次は、向こうに見える南観音山に向かいます。


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新町通と蛸薬師通との辻の南西角から2軒南に、
こちらの小間物屋さんがありました。
くまモンのグッズがたくさん並んでいますね。
祇園牛頭天王が「天災の神様」である側面もあるので、
祇園祭保存会と熊本市は互いに交流があるようです。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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さらに新町通を3軒ほど南に進みました。
こちらの小間物屋さんには、
前祭と後祭の山鉾のミニチュアが飾ってありました。
こちらには、昨年(2015年)も訪れました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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その小間物屋さんの向かい(東)側に、こちらの飲食店がありました。
店頭で、飲み物を販売していますね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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そのお店でこちらを買いました。紙コップに抹茶が入っています。
もうソルティーライチが切れていたので、ここで水分補給です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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そのお店の前で、新町通を南に向きました。
目の前に、南観音山が見えます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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前祭で立ち寄った南観音山会所の前に
南観音山の大きな曳山が立ちます。
有料ですが、この2Fから南観音山に上がることができます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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こちらが南観音山です。
都合により、今年(2016年)も山には上がりません。
水引の天人図が、新調されて真新しいですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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南側に回って、南観音山を見ています。
提灯の「百」は、京都市中京区百足屋町を表しています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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同じ場所で、新町通を西に向きました。
こちらのお店も、大安売りをされていました。
こちらは、傘と暖簾を売っておられました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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南観音山の南側に、こちらの展示がありました。
色とりどりの団扇が飾ってありますね。
こちらは、自分が子供のころには毎年恒例になっていました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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こちらが、その展示されている団扇です。
製作される作家さんごとに枠組みが作られているようですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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南観音山から新町通を南下すると、すぐに錦小路との辻に出ます。
この辺りは、後祭でも結構な賑わいです。


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新町通から、錦小路を西に向きました。
前祭のときは、ここを進み、蟷螂山へ向かいました。


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今度は新町通から、錦小路を東に向きました。
前祭のときはこの先に霰天神山が立っていました。
その前の中華料理屋さんは、
後祭には名物の浸みだれ肉まんを販売していません……


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錦小路から、新町通を南に向いています。
前祭のときはここから南に放下鉾が立ちますが、
後祭中には何もありませんね。
では、ここを南下していきます。


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こちらは、放下鉾会所脇に立ってるお店です。
4年前にこちらに来たときはイタリア料理店でしたが、
今は韓国料理屋さんに変わっていました。
ただ、ワインの豊富な種類は当時と変わりません。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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その韓国料理屋さんで、こちらの海鮮チジミを買いました。
前回ブログ神蔵の肴にしたら最高でしょうね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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放下鉾会所の前から、新町通を南に向いています。
四条通が間もなくですね。
さらに南の大船鉾が、かすかに見えますね。


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その辺りの新町通の地面を撮りました。
アスファルトに、4つの石が埋まっています。
この石の辺りに、前祭中に放下鉾が立っていました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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その辺り(四条通と錦小路の中間の新町通沿い)に、
こちらのお店がありました。
割烹と居酒屋さんの中間のようなお店です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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その「いち」というお店で、こちらを買いました。
先程の写真に写っていた店先の席に座って、頂けます。
こちらは、鱧フライのハンバーガーです。
ハモ以外には、トマトと梅肉入りタルタルソースが入っています。
「祇園祭と言えば、ハモ」
そう言われるくらいこの時期の定番の魚ですが、
ハンバーガーで食べるのは初めてです。
一見単なる白身魚なのですが、そこはハモの食感が残っています。
ただ、ハモ独特の小骨はありませんでした。
自分は知らなかったのですが、もう何年も出しているそうです。
放下鉾前のため前祭中にも出しているそうで、
来年(2017年)もここに寄ろうと思います。
(こちらも、祇園祭名物になりそうですね)
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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その「いち」の向かい(東)側に、こちらのはんこ屋さんがあります。
店頭に祇園祭の山鉾のミニチュアを販売しているので、
たくさんの方々が訪れています。
こちらにも、昨年(2015年)に立ち寄りました。


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新町通を南下してきて、ようやく四条通との交差点に来ました。
信号が変わると、多くの方々が一斉に四条通を横断します。
ここを渡ると、京都市中京区放下鉾町から
区境を越えて京都市下京区四条町に変わります。


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新町通から、四条通を東に向きました。
向こうに、月鉾の会所があります。
前祭とは異なり、後祭では静かなものです。


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四条通から、新町通を南に向ています。
すぐ先に、大船鉾が見えますね。
昨年(2015年)とは異なり、ここに来ても日が高い時間帯です。
「現在大船鉾見物の順番待ちは、約1時間です」
大船鉾が立つ四条町の町衆の方がそうおっしゃいました。
それでもまだ日の高い(撮影可能な)時間なので、
順番待ちに参加して今年(2016年)は
大船鉾に上がってみようと思います。
ただ、今回もだいぶ写真を貼り付けたので
その場面は次回に掲載します。

今回は、ここまでです。

~次回は大船鉾に上り、綾傘鉾に立ち寄って帰宅します~

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第418回 大船鉾に登る~2016後祭宵山散策~その6

[大船鉾] ブログ村キーワード
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四条通から、新町通を南下しています。
この京都市下京区四条町に、大船鉾が立っています。
この時点で、2016年7月23日土曜日午後5時です。
日没までに、まだ2時間近くあります。
ですから、諸々の事情で昨年(2015年)は諦めた大船鉾拝観を
今年(2016年)は順番待ちをした後に行います。


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大船鉾は、北側に向いた船の形をした鉾です。
「鉾」の名前はありますが、槍状の矛を装着していません。
船首には木製の龍頭が装着されています。
これは昨年(2015年)のものとは、大きく異なります。
この写真から、暫くクリックすれば拡大されます。


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祇園祭後祭屈指の人気のある大船鉾ですから、
鉾に登ろうとする方は相当数いらっしゃいます。
この辺の交通整理をされている町衆によると
だいたい1時間待ちなのだそうですが、
思ったよりも人の流れは早いようです。
船首下から船腹下までだいたい15分掛かりました。
見上げると、大船鉾に町衆が20人ほど乗られていました。
そこで、祇園囃がまた響いてきます。


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大船鉾の下の方を見ています。
車輪の軸に、こちらの紋章が見えます。
これが、大船鉾が立つ京都市下京区四条町の紋なのでしょうね。


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さらに約10分かけて行列が進み、大船鉾の船尾に回ってきました。
黒漆塗りの舵を持つ前祭の船鉾に対して、
この大船鉾は朱塗りの舵を有しています。
大船鉾の後掛けの飛龍図をこのブログに載せるのは、
そう言えば今回が初めてですね。
この時点で祇園囃も終わり、また大船鉾に登れるようになりました。


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大船鉾の船尾から、西側に回り込みます。
こちらの町屋の2Fから渡り廊下を伝って、
大船鉾に乗り込むことができるようですね。


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最初に大船鉾の拝観の行列に並びだしてから、約30分が過ぎました。
(結局、思っていた時間の半分で入れました)
では、この注連縄のある門から大船鉾に向かいます。
家の奥まで続く細長い土間は、京町屋の典型ですね。


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土間から上がり、表の間の奥にある細長い急な階段を上ります。
この「箱階段」も、京町屋の典型ですね。


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この京町屋の2Fに上がってきました。
奥の神棚に、こちらの掛け軸が祀ってありました。
中央に八坂神社の主神「祇園 牛頭天王」の名があります。
左の「水将(水晶)弁財天王」が、妻の頗梨采女でしょうね。
となると、右の「八大王子」も息子たちの八王子のことでしょうね。


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こちらは、階段を上ったところにある胴掛や水引です。
だいぶ古いものなので、今は使われていないようです。


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その脇には、前掛と後掛が展示されていました。
こちらも古いもので、今は使われていません。


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2Fで、外側に向きました。
人が何人も通れるくらい大きな窓が付いています。
右側に大きな紙垂が置いてありますが、
こちらが昨年(2015年)までの大船鉾の船首でした。
今年(2016年)から、大船鉾の船首は
先程の龍頭とこちらの紙垂と交互に装着されるそうです。
(少しずつ、どんどん焼け以前の状態に戻っていきます)


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その窓の端に、渡り廊下が取り付けられています。
こちらから、大船鉾の上に向かいます。


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その渡り廊下の上で、北を向きました。
ここは新町通上で、ずっと先に四条通が見えます。
2016年も祇園祭後祭宵山は、とても賑やかですね。


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同じ場所で、大船鉾の船首を撮りました。
後で知ったのですが、
こちらは滝尾神社龍の彫刻を彫られた彫刻家の末裔が
製作されたそうです。
この後こちらの龍頭は彩色されるそうで、
2018年にはまた違った大船鉾になることでしょうね。


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では、大船鉾内部に上がります。
10人も入れば満員だと思うのですが、
祇園囃の囃手さんは数十人はいらしたように思います。
(つまり、それくらいぎゅうぎゅう詰めになるということです)


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大船鉾に上がりました。こちらは、大船鉾の床の部分です。
場所を間違わないためでしょうか、
墨できちんと番号が書かれていますね。


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大船鉾の船首側に回り込みました。
先程から出てきている龍頭の背後を撮りました。


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こちらが、大船鉾の天井部分です。
よく見ると、金箔を施してあります。


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大船鉾の船尾部分に回ってきました。
この先に神棚がありますが、
こちらにご神体の神功皇后が入られるのでしょうね。


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では、大船鉾内部を一通り見て回ったので
渡り廊下から町家の方に向かいます。


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渡り廊下の先に、先ほどとは別の少し大きな階段があり
そちらから1Fに下ります。
下りたところが細長い土間の奥で、初めに脱いだ靴を受け取ります。


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奥の土間は、台所になっていました。
これも、典型的な京町屋の形式ですね。
台所には、火災除けの愛宕神社のお札が貼ってありました。
(ウチは、霰天神山のお札が貼ってあります)


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大船鉾に上がれる町家を出ました。
その南隣の町屋が、大船鉾の会所です。
こちらの奥にご神体の神功皇后がいらっしゃるのですが、
こちらと鈴鹿山のご神体鈴鹿権現は何となく写真に撮るのが憚られて
この位置から撮るだけにします。
クリックすると写真が拡大されるのは、ここまでです。


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大船鉾から、新町通を南に向いています。
目の前で、東西に伸びる綾小路が交差しています。
前祭ではここより南に船鉾が、綾小路の西に伯牙山が立ちますが、
後祭期間中はとても静かなものです。


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新町通から、綾小路を東に向いています。
すぐ先に、綾傘鉾の会所が見えます。
綾傘鉾は前祭の山鉾ですが、後祭も会所だけ開けておられます。


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その綾傘鉾の会所は、こちらの大原神社境内になります。
こちらは、京都府福知山市にいらっしゃる大原神社の分社です。
これ以降、暫く写真をクリックすると拡大されます。


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先ずは、こちらの手水舎で手を浄めます。
なんだかんだで、ここには毎年来ていますね。


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手水舎の脇に、こちらの稲荷社がいらっしゃいます。
先ずは、こちらからお参りです。


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これはうっかりなのですが、大原神社本殿を撮っていません。
(しっかりと、お参りはしました)
本殿の西側に、八坂神社御祭神の牛頭天王の掛け軸があります。
おそらく、これ自身がご神体です。
次は、こちらにお参りです。
その脇に、綾傘鉾の模型が飾ってあります。
こちらは現在の綾傘鉾と大きく異なりますが、
近年中にこの模型の形になっていくそうです。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。


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綾傘鉾会所である大原神社の前で、綾小路を東に向きました。
では、ここを進んでいきます。


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大原神社から、綾小路を東に約50m進みました。
こちらは、焼肉屋さんの「はやし」です。
第317回ブログに」出てきた大香園、
第399回ブログに出てきた水月亭と並ぶ
個人的に選んだ「京都3大焼肉」の1軒です。
ただし、ここの本店は近鉄「東寺」駅前です。


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この辺りで、綾小路は室町通と交差します。
前祭では賑やかでも、後祭中はとても静かですね。


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綾小路から、室町通を北に向いています。
前祭中は、こちらに鶏鉾が立ちます。


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今度は綾小路から、室町通を南に向きました。
前祭中は、こちらに白楽天山が立ちます。


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さらに、室町通から綾小路を東に向いています。
では、こちらを進んでいきます。


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室町通から、綾小路を東に約100m進みました。
ここで室町通は、烏丸通と交差します。


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室町通から、烏丸通を北に向きました。
約100m先に、京都屈指の繁華街「四条烏丸」交差点があります。
この辺りはたくさんの商業施設が並び、
京都でも一番二番の賑やかな場所ですね。


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烏丸通の横断歩道を東に渡り、
「綾小路烏丸」交差点北東角に来ました。
ここから階段を利用して、地下鉄烏丸線に乗ります。
お酒を飲んでいるので、自転車は鞍馬口に放置して
いったん帰宅します。
(自転車は、翌日回収しました)

これで、2016年祇園祭関連の記事のすべてを終えます。

~次回は、まだ高倉通には戻りません。
夏休みを利用して、母を太秦に案内してきました~

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第419回 深緑の蚕ノ社~太秦の夏休み~その1

[蚕ノ社] ブログ村キーワード

2016年も祇園祭の取材が終わり、ようやく「通常版」に戻ります……
と言いたいところですが、今年(2016年)はまだまだ変則的です。
全ては、7月半ばKBS京都のCMを見ていた母の一言でした。
「そう言えば、『東映太秦映画村』に行ったことないわ」
「へぇ~広隆寺の北隣なんや。広隆寺にも暫く行ってないなぁ~」
で、その場で観光コースを頭の中で組み上げて
「じゃぁ、盆休みに行ってみる?
お墓参りに行かない13日とか、まる1日空くし」
という自分の言葉で、今回ブログの記事を書くことになりました。


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京都駅から地下鉄烏丸線に乗り、「烏丸御池」駅で降ります。
そして、地下鉄東西線に乗り換えて、
終点の「太秦天神川」駅まで来ました。
今回は、ここから「蚕ノ社」木嶋神社を目指します。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午前11時。
この日も京都は、炎天下の猛暑でした……


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「太秦天神川」駅は、地下鉄東西線の終点です。
すぐに電車が出たりしないので、他の乗客がいなくなってから
ゆっくりと駅のホームを撮影しています。
では、こちらの階段を上りコンコース階に向かいます。


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その階段を上がり、コンコース階に来ました。
では、「太秦天神川」駅の改札を抜けて
向こうに見えるエスカレーターでさらに地上を目指します。


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そのエスカレーターは、途中からこのように吹き抜けになります。
このエスカレーターの先は右京区総合庁舎で、
その脇にかなり大きな市バスターミナルがあるので、
この辺りが京都市右京区で一番の交通の要所と言えます。


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「太秦天神川」駅から、地上に上がってきました。
目の前が右京区総合庁舎で、フレームから外れてしまいますが
左(東)側に京都市バスの大きなターミナルがあります。
右(西)側に三条通が走っていて、
その路上に京福電車(嵐電)の「嵐電天神川」駅があります。
(第54回ブログ参照)


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ほぼ同じ場所で、振り返りました。
この辺りの三条通は、北西ー南東方向に伸びています。
地下鉄東西線の「太秦天神川」駅から地上に出て、
僅か5mほどで、三条通上の「嵐電天神川」駅に辿り着きます。
ですから、ここからすぐに嵐山に向かうことができます。
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅が渡月橋から離れているため、
京都駅から大堰川沿岸の渡月橋や天龍寺に向かうには
地下鉄→嵐電の方が早く着きます。
(第398回ブログでも、このルートで進みました)


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「太秦天神川」駅のエスカレーターから、北西に約50m進みました。
ここで三条通は、御池通と交差します。
京都中心街ではどちらも東西に平行に伸びている道ですが、
この辺りの三条通は北西-南東方向に曲がっているので、
「三条御池」交差点という
京都市民には違和感のある場所になっています。
では、ここを渡り「太秦天神川」駅前から離れていきます。


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御池通から、三条通を北西に向いています。
4年前に訪れた第53回ブログには無かった建物に、
洋服屋さんの「しまむら」のテナントが入っています。
では、この三条通を進んでいきます。


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御池通から、三条通を北西に約100m進みました。
今回の道順は、第53回ブログとはちょうど逆ルートになります。
目の前に、真北に伸びる木嶋大路が見えてきました。


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三条通から、木嶋大路を北に向きました。
ここに、「蚕養神社」(こかいじんじゃ)と書かれた扁額の付いた
大きな石製の鳥居が現れます。
「蚕養神社」とは、「蚕ノ社」のことです。
つまり、ここが「蚕ノ社」木嶋神社の一の鳥居です。


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その鳥居をくぐり、木嶋大路を北に向いています。
こちらは、平安京造営の際に造られた最西端の道です。
(足立建亮著/講談社学術文庫「地図から読む歴史」参照)
2車線の道が、ほぼ真北に伸びています。
では、ここを進んでいきます。


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この間ここに来たのは約4年前ですが、
その頃と比べて新しい住宅がどんどん増えています。
ただこの辺りだけ、4年前と同じ建物が残っています。
では、向こうに見える森の辺りまで進みます。


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三条通から、木嶋大路を北に約200m進みました。
ここで、東西に伸びる太子道と交差します。
(京都市街地から、聖徳太子を祀る広隆寺への参道ですね)
「蚕ノ社」木嶋神社の鎮守の森「元糺の森」で
木嶋大路が突き当たるように見えますが、
本当はこの東側に狭い道がまだ伸びています。


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木嶋大路と太子道との交差点南東角に、こちらの建物があります。
4年前は、ここはコンビニエンスストアでした。
潰れたのかと思いましたが、「バイト募集」の看板が出ています。
どうやら、単に改装中みたいです。


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木嶋大路から、太子道を東に向いています。
太子道は、千本通から何度も筋を替えてここを通って
最後は三条通と合流して広隆寺に向かいます。


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木嶋大路から、太子道を西に向いています。
元糺の森の向こうに、鳥居が見えますね。
ちなみに、下鴨神社南側の糺の森は
平安京遷都以前はこちらにありました。
ですから、ここを「元糺の森」と呼びます。


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木嶋大路から太子道を西に約30m進み、北を向きました。
こちらから、木嶋坐天照御霊神社・蚕ノ社に入ります。
普段自分が「蚕ノ社」木嶋神社と呼んでいる神社です。
……しかし、ここの鳥居は伊勢神宮と同じ神明式なのですね。
この写真以降、クリックすれば全て拡大されます。


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神明式の鳥居をくぐりました。
さらに北を向くと、「蚕ノ社」木嶋神社の境内がよく見えます。
この小さな橋を渡ると、もう周囲は一変して神様の世界ですね。


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境内に入り、すぐに西に向きました。
4年前はこの神社が経営する「このしま保育園」があったのですが、
更地になっていました。
これは閉鎖されたのではなく、現在改築中のためです。


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境内の東側には社務所がありますが、誰もいらっしゃいません。
それは、4年前と同じです。

ここで、ウチの母が突然自動販売機のおみくじを引きました。
広げると「大吉」だったそうで、そのまま持って帰っていました。


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社務所の南側に、「かいこのやしろ」と書かれた手水舎があります。
その脇には風水羅盤もあって、
陰陽道マニア垂涎の様相を呈しています。


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このしま保育園の北側には、こちらの大きな蔵があります。
多分、神輿とか入っているのでしょうね。
その北側に、西に向かって小さな橋があります。


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こちらが、その小さな橋です。
有名な「正三角形の鳥居」から流れ出した川に架かります。
(まぁ、その水は今涸れていますが)
橋の両脇に、狛狐がいらっしゃいます。
この先は、「蚕ノ社」木嶋神社から独立した稲荷社です。
では、先にこの橋を渡ります。


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では、その小さな川を渡ってそちらの稲荷社に向かいます。
先ずは、この石製鳥居をくぐります。


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川を渡ると、この辺りは元糺の森になります。
まずは、こちらの小さな稲荷社の祠にお参りします。


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その西隣にも、祠がいらっしゃいます。
小さな狛狐がいらっしゃるので、稲荷社でしょうね。


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さらに西隣にも、小さな狛狐がいらっしゃる祠がいらっしゃいます。
こちらも稲荷社でしょうが、
小さな鳥居がまるでこちらの祠を封じているようにも見えます。


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この稲荷社は約50㎡の広さで、その周囲が元糺の森です。
その一番奥に、こちらの石碑が立っています。
この「白塚」というのが、こちらの元々の名前なのでしょう。


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その石碑の南隣に、こちらの塚がいらっしゃいます。
こちらは古墳の横穴石室が崩れて玄室が露出したものです。
4年前と比べて、盛り土がさらに崩れている気がするのですが、
本当のところは分かりません。


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こちらが、その塚が神社化した「白清稲荷社」です。
「白清さん」と「お稲荷さん」は全然違う神様です。
(それぞれ主神は、菊理媛宇迦御霊神などです)
4年前と異なり、中は神棚や祠が置かれていました。
4年前のブログでは、「分からない」を連発しましたが
いろいろ調べて一応全貌が分かりました。

実は、こちらの古墳は明治時代半ばまで元糺の森に囲まれて
存在が知られていませんでした。
盗掘などされていて玄室内の石棺などは喪失しており、
そのことで誰の墓なのかは今も不明です。
ここが神社となったのは、その明治時代半ばのことです。
ここの発掘(とその後の破壊や解体)を防ぐため、
太秦の近隣に拠点を持っていた右翼団体が
こちらに賽銭箱を置いて
「ここは神社だ」と主張したのがその起こりです。
そういう感じでできた神社のせいか、ここの沿革は
あまりあちこちのサイトや書物には記載されていないようです。
自分も、数年間いろいろサイトを探して偶然見つけました。


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では、こちらの鳥居からここを出て行きます。
向こうに見える橋を渡ると、「蚕ノ社」木嶋神社拝殿前です。


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稲荷社から橋を渡り、こちらに来ました。
北を向くと、大きな拝殿があります。


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拝殿の西側、本殿より手前に別の鳥居があります。
次は、そちらに寄ります。


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鳥居をくぐると涸れた小川があって、
その奥に格子で囲まれた場所があります。


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格子の先に泉があるのですが、数年前に涸れてしまいました。
元々の泉に、紙垂が突き刺さっていますね。
そこを囲むように、鳥居が正三角形状にくっ付いています。
こちらが「京都三珍鳥居」の一つで、
その中でもいちばん有名な「三柱鳥居」です。

この鳥居が結構「謎」とされて、様々な本のネタになっています。
(極端なものは、ユダヤ教起源説や宇宙人作製説)
とは言え、この鳥居はここだけではなく
京都でも大寧軒などにもあります。
要するに、こちらは泉を神格化した場所に建てられるもので
そう言った場所には普通に建てられているようです。


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そして、拝殿の北側に木嶋神社の本殿がいらっしゃいます。
木嶋坐天照御霊神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は
604年創建説が有力視されているものの、さらに古い説もあります。
つまり、こちらに秦氏がこの神社を創建したのがその頃ですが、
こちらには太秦に秦氏が渡来する以前から集落遺跡や古墳があり、
それを考えると弥生時代起源の可能性もあります。
御祭神は天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)など5柱ですが、
創建時の御祭神は不明です。
(来歴がはっきりしないくらい、古い神社です)
平安時代末期にはかなり大きな勢力を誇りましたが、
承久の乱で焼失後は一気に衰退しました。
それがここ数年、どんどん参拝者数を伸ばしています。

また、こちらの東隣にもう一つ社がいらっしゃいます。
こちらが「蚕養神社」(こかいじんじゃ)で、通称「蚕ノ社」です。


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木嶋神社本殿を背を向け、南を向いています。
では、目の前の拝殿より南に進みます。


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拝殿の前から、南に向いています。
ここからさらに南に進み鳥居をくぐり、この神社を出ます。
クリックすすると写真が拡大されるのは、ここまでです。


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神明式の鳥居の下で、南を向いています。
太子道の向かい(南)に、このしま保育園のプレハブが見えます。
改築中は、こちらが仮の保育園のようです。


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太子道に出て、このしま保育園の西側を撮りました。
この涸れた小川は、三柱鳥居から流れていた場所です。
先述の「地図から読む歴史」に出てくる御室川は、
この川ではないかという気がします。
現在の御室川(天神川)はもっと東を通っていますし、
昔はこの川はもっと水量が豊かだったっでしょうし、
それを考えればそうだろうと思います。

では、ここ太子道を西に進み
ここから広隆寺を目指すのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は、広隆寺を訪れます~

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第420回 広隆寺の葉桜~太秦の夏休み~その2

[広隆寺] ブログ村キーワード420-1.jpg
「蚕ノ社」木嶋神社の前で、太子道を西に向いています。
右(北)側の工事現場は、改装中の「このしま保育園」です。
今回はここを西に進み、「太秦」交差点の広隆寺を散策します。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午前11時半。
猛暑の中の炎天下でした。


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「蚕ノ社」木嶋神社の前から、太子道を西に進んでいます。
右(北)側の民家の庭先で、百日紅が満開ですね。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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「蚕ノ社」木嶋神社から、太子道を西に約200m進みました。
ここで太子道は、少しだけ南に折れます。


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太子道は南に折れると、すぐに左(南)側の道に吸収されます。
こちらが三条通で、ここから西は太子道であり三条通でもあります。


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太子道と三条通との合流点で、三条通を東に向いています。
このすぐ先で、三条通は南東に大きくカーブします。


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さらに同じ場所で、三条通を西に向きました。
ここは、「三条太秦繁栄会」という商店街のただ中です。
では、ここを進んでいきます。4年前を逆行するルートですね。


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先程の合流点から、三条通を西に約10m進みました。
こちらは、駄菓子屋さんの富士屋さんです。
第52回ブログで初めて訪問して以降、たびたびお邪魔しています。
ただ約1年ぶりに訪れたところ、
たこ焼きの販売をやめておられました。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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代わりに、富士屋さんではこれを買いました。
本当はソルティーライチがほしかったのですが、
無かったので代わりにスポーツドリンクを買いました。


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富士屋さんから、三条通を西に約50m進みました。
こちらは、浄土宗の常楽寺です。
第52回ブログ同様、こちらの沿革は分かりませんが、
門前の百日紅は見事ですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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常楽寺の前から、三条通を西に向いています。
約70m先に、交差点の信号が見えますね。


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三条通を約70m進み、その交差点で北を向きました。
ずっと向こうに高架が見えますが、
あちらにJR嵯峨野線が走っています。
そして、その高架付近に東映太秦映画村があります。
ただそちらには次回ブログで向かいますので、
今回は三条通を西に進みます。


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同じ場所で、三条通を西に向いています。
目の前に、「右京簡易裁判所」が見えますね。
では、この道を進んでいきます。


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「右京簡易裁判所」の前から、三条通を西に約120m進みました。
この辺りが、「三条太秦繁栄会」の最西端です。
こちらは、「太秦」交差点です。複雑な五叉路です。
北西角には、広隆寺の仁王門が見えますね。
ここから暫く、クリックすれば拡大されます。


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「太秦」交差点で、三条通を南に渡りました。
こう撮ると、広隆寺の仁王門がよく見えますね。
この交差点は五叉路の上に線路が走っています。
京福電車(嵐電)は、この「太秦」交差点上だけ路面電車になります。
(嵐電は、他に三条通も路面電車です)


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さらに、「太秦」交差点の西側を見ています。
嵐電の線路を境に、左が大映通で右が三条通です。


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同じ場所で北を向きました。こちらが太秦広隆寺の仁王門です。
では横断歩道を渡って、広隆寺の仁王門をくぐります。


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広隆寺の仁王門をくぐりました。松と桜の木々が並んでいますね。
広隆寺は、南北に細長い境内を持っています。
では、北の方に伸びる石畳の道を進んでいきます。


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広隆寺境内の石畳の道を北上しています。
炎天下の中、木陰を選んで歩いていきます。


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石畳を北上し、それぞれをお堂を回ります。
先ずは、桜に囲まれた講堂です。
広隆寺は、京都屈指の桜の名所でもあります。


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講堂の裏(北)側に、こちらの手水舎があります。
こちらで、手を浄めます。


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その北隣には、秦氏の祖霊神を祀った祠がいらっしゃいます。
秦河勝を祀った太秦社と言います。


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太秦社の前で、北を向きました。
こちらは「上宮王院太子殿」で、事実上広隆寺の本堂です。

真言宗蜂岡山広隆寺は、
飛鳥時代7世紀初めに建てられた京都最古の寺院です。
ちなみに、真言宗には平安時代に改宗されました。
近年多くの文献から794年の平安京遷都以前は
平野神社付近に建っていたという説が有力視されています。
もしそうなら、前回ブログに出てきた「蚕ノ社」木嶋神社とで
形成しているとされているレイラインやらパワースポットなども
非常に疑わしいものになってきますね。


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「上宮王院太子堂」には入れませんが、手前までは上がれます。
こちらにはご本尊は安置されておらず、
代わりに聖徳太子像がいらっしゃいます。
(こちらの寺院は聖徳太子から下賜された弥勒菩薩像を祀るため、
秦河勝が建立したという説もあります)

こちらの周囲には、多くの絵馬が奉納されています。
ただし描かれているのは馬の絵ではなく、
「聖徳」や「一心」などの文字です。


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「上宮王院太子殿」の前で、西に向きました。
ここから石畳の道が続いていて、その先に駐車場があります。
その向こうが三条通り沿いで、
第50回ブログで出てきた「太秦開日町」交差点に辿り着きます。


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「上宮王院太子殿」の西側に、南北を貫く石畳の道があります。
こちらは、広隆寺の仁王門から続く道でもあります。
この少し先で、西側に広隆寺の庫裏があります。
そこで拝観料を払えば、広隆寺最北端の霊宝殿に入れます。


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700円を払って、第51回ブログ以来の広隆寺霊宝殿に入りました。
ここから先は撮影不可なので、パンフレットを掲載します。

先程の石畳の道の最北端に、霊宝殿が建っています。
蓮の花咲く池を通り過ぎた辺りに建っているので、
「御仏の世界に、苦界の者がお邪魔する」という気がします。
霊宝殿内には30数体の仏像がいらして、
その全てが国宝か重要文化財です。
実は「国宝」という制度自体、この寺院のために作られたものです。
中でも有名なのはパンフレットにも載っておられる弥勒菩薩像で、
こちらが日本の「国宝第1号」です。
ただ、自分のお気に入りはその向かいにいらっしゃる
大きな木造千手観音像です。
長い年月の中、多くを欠損されて「十手観音」になられていますが、
それが却って重厚さと荘厳さを醸し出される要因になっています。


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広隆寺霊宝殿を出て、石畳の道を南へ進んでいます。
では、ここからに仁王門へと向かいます。


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石畳の道を南下しています。
約200m進むと、広隆寺仁王門が見えてきました。


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広隆寺仁王門をくぐり、「太秦」交差点に出ました。
東西に細長い「太秦」交差点の南東角に、
京福電車(嵐電)の「太秦広隆寺」駅があります。


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こちらが、京福電車(嵐電)「太秦広隆寺」駅です。
いろいろと変わった駅なので電車で移動するわけではないのですが、
ちょっとこちらに寄り道します。

……と言いたいところですが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
これ以降は、次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回はこの辺で昼食を摂った後、大酒神社経由で
東映太秦映画村に向かいます~

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第421回 八角鳥居の大酒神社~太秦の夏休み~その3~

[大酒神社] ブログ村キーワード
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広隆寺門前の「太秦」交差点前から東を向いて、
京福電車(嵐電)「太秦広隆寺」駅ホームを見ています。
(ここから暫く、クリックすると写真が拡大されます)
今ちょうど四条大宮行の電車が、駅から出発します。
今回はこの駅を少し覗いてみた後、
ここから北東にいらっしゃる大酒神社に立ち寄ります。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午後0時半。
そろそろお腹が、空いてきましたね。


421-2.jpg
京福電車(嵐電)は切符の購入や改札業務を全て車内で行いますので、
(京都市の市バスなどと同じシステムです)
終点の「四条大宮」駅・「嵐山」駅・「北野白梅町」駅(北野線)と
本線と北野線を乗り換える「帷子ノ辻」駅を除けば、
基本的に無人の駅です。(「御室仁和寺」駅も無人駅でした)
駅ホームに入って、向かい側の嵐山行のホームを撮っています。
駅ホームの奥に薬局が見えますが、
こちらは駅構内のテナントではありません。
つまり、駅ホームと公道との境界がいい加減になっています。


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ですから、こちらの民家は玄関先が「太秦広隆寺」駅ホームです。
(「駅まで徒歩0分」の物件です!)
さらによく見ると、駅ホーム自体が路地の一部になっています。
無人駅でなければ、この駅の構造は無理ですね。


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今度は、「太秦広隆寺」駅の四条大宮行ホームを撮っています。
向こうに、三条通が見えますね。
駅ホームから、直接「うどん・そば」と書かれたお店に入れます。
こういう構造なら「立ち食いそば」を想像するのですが、
こちらは京都市内でも屈指の手打ちうどんの名店です。
では、第52回ブログ以来の「京富」に入店します。
(撮影許可も、お店の主人にもらいました)


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こちらには久しぶりの入店だったのですが、
お昼時とも相まって超満員でした。
(第52回ブログ取材時は、お客は自分一人だけしかいませんでした)
うどんを注文して暫くして追加でビールを注文したのですが、
だんだん泡がなくなってきました……
元々こちらは最低でも10分くらいは待つのですが、
(手抜きなしの手打ちうどんは、時間がかかります)
店の外に立って待っておられる方が数人いらしたので、
予想よりはだいぶかかりそうです。


421-6.jpg
どんどん泡が消えていくので、
仕方なくうどんが来る前にビールを飲んでいます。
店内は家族連れでいっぱいでした。
その大半が、観光客です。
そちらを写すわけにはいかないので、こちらを写します。
「茶ノ木人形」とありますが、
どうやら本当にお茶の木で作った細工のようです。


421-7.jpg
約30分待って、こちらが来ました。
ビールは、全て飲み干してしまいました。
これが、この日(2016年8月13日)の日替わりランチです。
ウチの母も、同じものを注文しました。これで一人950円でした。


421-8.jpg
こちらは、漬け(マグロの醤油漬け)の丼です。
母は上から順に食べていましたが、
自分は搔き混ぜてから頂きました。
ワサビが効いていますが、ご飯は白米で酢飯ではありません。


421-9.jpg
こちらが、本日のメイン生湯葉と温泉卵のぶっ掛けうどんです。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、
こちらは食感やのど越しが讃岐うどんに近いです。
とにかく、コシが強いですね。
他のどの店よりも、母の反応が良かったのが印象的でした。
個人的には、ここが京都で一番おいしいうどん屋だと思っています。
クリックすると写真が拡大するのは、ここまでです。


421-10.jpg
「京富」を出て、「太秦」交差点で北を向いています。
目の間を三条通が横切り、左(西)に前回ブログで訪問した広隆寺
右(東)に右京消防署が見えます。
では、この北に向かう府道131号線を進みます。


421-11.jpg
「太秦」交差点の北西角に渡り、府道131号線を北上しています。
左に見えるのは、広隆寺の白壁です。
「太秦」交差点を北に進んでいくと、
府道131号線は東にカーブし始めて急な上り坂になります。


421-12.jpg
「太秦」交差点から、府道131号線を約100m進みました。
この辺りで、進路は真北から東北東に変わっています。
広隆寺の最東端を通り過ぎた辺りで、上り坂が平坦になります。
右側が端の欄干のようになっていますが、
こちら側には「広隆寺橋」という表札があります。
おそらく数十年前まで、広隆寺東端に川が流れていたと思われます。


421-13.jpg
「広隆寺橋」から、府道131号線を東北東に約100m進みました。
左(北)側に、森が見えてきます。
こちらが、大酒神社の鎮守の森です。


421-14.jpg
鎮守の森の最東端に、こちらの石製鳥居が立っています。
では、こちらから大酒神社に入って行きます。
また大酒神社境内の写真は、クリックすると拡大されます。


421-15.jpg
大酒神社境内に入って行く前に、石製鳥居の根元を撮りました。
この鳥居の柱は、正八角柱です。(通常は、円柱です)
おそらく、この形状は日本で唯一です。
こちらの方が「京都三珍鳥居」よりも珍しいと思うのですが……

~2016年9月5日訂正~
今回ブログの猫舌さんのコメントで知ったのですが、
八角柱の鳥居は、大阪府などを中心にいくつかあるそうです。
ですから、大酒神社の鳥居が「日本唯一」ではないそうです。
ご指摘いただいたので、訂正します。


421-16.jpg
鳥居をくぐると、すぐにこちらが見えてきます。
確かこちらは摂社や末社ではなく記念碑だったはずなのですが、
何の記念碑だったかは覚えていません。
(その場には書いてあったのですが、書き写し忘れです)


421-17.jpg
こちらが、大酒神社の本殿の祠です。
御祭神は、秦氏の開祖秦酒公(はたのさけきみ)です。
また、秦氏が朝鮮半島から渡来した際の主の弓月君と
中国にいたころの始祖秦始皇帝も祀ってあります。
江戸時代以前は摂社が4柱もいらした大きな神社だったのですが、
明治時代初期の神仏分離令以後はとても小さな神社となりました。
(もともとは、今の広隆寺駐車場にいらっしゃいました)

飛鳥時代、太秦一帯を支配していたのは秦氏でした。
ですから、「蚕ノ社」木嶋神社や広隆寺といった
秦氏が建立した神社仏閣がこの辺に集中します。
……と言いたいところですが、
前回ブログでも紹介した広隆寺はもっと東の方にあったわけですし、
松尾大社伏見稲荷大社も秦氏が建立した神社です。
ですから、本当は必ずしも太秦=秦氏ではありません……


421-18.jpg
大酒神社本殿の祠前から、東を向きました。
現在この神社はとても小さいので、
ここから先程の鳥居と府道131号線が見えます。
では、ここから出て先を進みます。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。


421-19.jpg
大酒神社の前から、府道131号線を東に向いています。
目の前が交差点で、
北東角と南西角にコンビニエンスストアが並んでいます。
この府道131号線は、このまま進むと
JR嵯峨野線「花園」駅(妙心寺の前)まで続いています。


421-20.jpg
その交差点で南を向きました。約100m先の信号が三条通です。
前回ブログでは、三条通からこちらを見ていました。


421-21.jpg
今度は、同じ交差点で北を向きました。
約300m先に、JR嵯峨野線の高架が見えます。
その高架の先は、丸太町通を越えた後は蛇行し始め
最終的には天神川通に吸収されます。
また、あちらの高架付近に東映太秦映画村があります。
次はそちらに向かうわけですが、今回はここまでです。

~次回は、東映太秦映画村に向かいます~

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生まれたときから50数年
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「京都駅前散策」
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「蹴上・鹿ヶ谷散策」
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哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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