第265回 広沢池のコスモス畑~きぬかけの路散策~その11
前回ブログで立ち寄った遍照寺の前で、北を向いています。
今回は、この脇道を北上して児神社に寄った後広沢池に戻ります。
その前に、目の前のパン屋さん(黄色いテントの店)に寄ります。
撮影日は、2014年10月23日木曜日午後4時20分。
もう夕方ですが、広沢池で一人茶会をします。
その「パンの森 ぐぅぐぅ」で菓子パンを3個買いました。
(そのパンは、あとで出てきます)
そのパン屋さんから北に約100mすると、
こちらも前回ブログで出てきた「富岡大明神」の前に来ました。
ここでY字路になりますが、そのまま北に進みます。
「富岡大明神」がいらっしゃる円墳を背に、北を向いています。
右(東)側が京都府立堀川高校のグランドで、左(西)側は住宅地です。
ここをさらに北上します。
先ほどの地点から、さらに100m北上しました。
右(東)側はまだ堀川高校のグランドですが、
左(西)側は佛教大学の付属博物館になります。
もうすぐ広沢池最南端の一条通です。
ようやく一条通に戻ってきました。また、広沢池南西端でもあります。
もう4時半近くになって、だんだんと夕焼けに染まり出しました。
広沢池南西端の西隣にある藪は、児神社(ちごじんじゃ)です。
一条通側からも、入ることができます。
一条通を北に渡り、広沢池との間の道から
児神社境内に入ることができます。
先ずは、この一の鳥居をくぐり境内に入ります。
一の鳥居から、児神社境内を西に約10m進みました。
こちらに井戸がありますが、どうやら水が涸れているようです。
手水社の向いに社務所があるのですが、誰もいらっしゃいません。
ここは、かなりひっそりとした神社です。
社務所の前から、境内を西に向きました。
目の前に拝殿があって、その先に児神社本殿があります。
元々この辺一帯は前回ブログでも出てきた遍照寺でした。
その開祖寛朝僧正が998年(平安時代初期)に亡くなると
その僧正に仕えていた児子の一人がその悲しみのあまり
広沢池に身を投げてしましました。
その児子の霊を弔うために建てられたのが、この児神社です。
子供が御祭神なので、安産のご利益があります。
本殿の北側に、こちらの石製椅子があります。
平安時代当時、御祭神となられた児子がよく座られていたそうです。
児神社拝殿に背を向け、東を向きました。
では、この児神社を出ます。
児神社を出て、広沢池西側の道で北を向きました。
この背(南)の方に、一条通があります。
右(東)側が広沢池で、左(西)側が児神社です。
では、この広沢池西側の道を北に向かいます。
一条通から広沢池西側の道を北に約50m進むと、
左(西)側は児神社から田園風景に変わります。
そして、この道沿いにコスモスが並んで咲いています。
このコスモス畑は、この日(10月23日)が盛りでした。
ただ、この後2014年11月6日木曜日に
鳥居本への事前調査の帰りにここに寄ったのですが、
そのときもコスモスはまだまだ盛りでした。
たぶん更新日の2014年11月14日現在も咲いているでしょうね。
この写真は、クリックすると拡大されます。
コスモスの向こうには田園と点在する民家や山があり、
「里山風景」が垣間見えます。
どこかのブログに「京都らしくない風景」と書かれていましたが、
嵯峨野北部はどこもこんな感じです。
個人的には、この風景を結構気に入っています。
この写真も、クリックすると拡大されます。
広沢池西側は、ずっとコスモス畑が続きます。
……と言いますか、北嵯峨の田園は
稲刈り以降このようにコスモスでいっぱいになります。
たぶん何か理由があるのでしょうが、広沢池のコスモス畑は
紅葉前の京都観光の名物の一つのなってきています。
コスモス畑の東側はこの道1本を隔てて広沢池なのですが、
その間に桜並木が続きます。(一条通沿いと同じです)
この道は広沢池北端から約500m先で突き当り、(後宇多天皇陵付近)
さらに西に500mほど進むと直指庵があります。
ただ、そこまで行くと一条通から外れてしまうので
今回はこれ以上北上しません。
一条通から、広沢池西側の道を約200m北上しました。
桜並木がこの辺りだけ途切れて
池の方に入ることができるようになっています。
小さな丸木の柵を越えると小さな橋があって、
その先に広沢池の浮かぶ小島があります。
では、この橋を渡って旧遍照寺跡に向かいます。
小さな橋の上から、旧遍照寺跡境内を見ています。
ここのカエデは、この10月23日段階ではまだまだ青いままでした。
境内には、石仏や祠が並んでいますね。
こちらは、ここのご本尊千手観音の石仏です。
そう言えば、前回ブログ登場の今の遍照寺も千手観音がご本尊です。
この日は平日でもう夕方なので周囲には誰もいませんが、
普段は常に何人かの参拝者がいらっしゃいます。
この小島の東端に突き出たところがあって、
そこに弁財天の祠がいらっしゃいます。
ここが突き出ているのは、こちらが広沢池の守護神だからでしょうか?
広沢池の対岸に見えるのは、
前回ブログで少しだけ触れた茶室「聴松亭」です。
小島の東側には、広沢池に向けてベンチが並んでいます。
では、そのうちの1脚に座ります。
ベンチに座って、お茶と先程「ぐぅぐぅ」で買ったパンを出します。
奥の左側はパイ生地に生クリームが挟んであります。
右側はハムと玉ねぎのサンドイッチで、手前はクロアッサンです。
お茶は第161回ブログで買った雲露を入れました。
お茶を飲みながら、この風景を見ています。
北側に見える弁財天の祠の向こうには、遍照寺山が見えます。
旧遍照寺はこの小島だけではなく、
先ほどのコスモス畑一帯からあの遍照寺山のふもと周辺が寺域でした。
第261回ブログの御室仁和寺と同じくらいの広さがあったそうです。
寛朝上人がここに遍照寺を建てた最大の理由は
広沢池の絶景に惚れ込んだからなのですが、
ここを見ていればそれも頷けますね。
この写真は、クリックすれば拡大されます。
パンを食べ終わって、次は家で作ってきた抹茶タルトを頂きます。
タルト生地の中に、抹茶プリンが入っています。
……のはずなのですが、タルトがだいぶ壊れています。
ここまで運ぶ途中で、あちこちぶつかったようです。
食べていると、ボロボロ崩れてしまいました。
第260回ブログで0時半ごろ「ファミリーキッチンPu」で食べた
カレー以来4時間ぶりの食事でした。
今度は池の向い(東)岸の茶室「聴松亭」を見ています。
2014年10月19日日曜日正午ごろ、勤務中に窓の外の青空を見て
このピクニックを思いつきました。
青空の下で行うはずが、夕焼けの下で行うようになりましたが……
まぁ、これはこれでいいものです。
この写真も、クリックすると拡大されます。
では、この橋を渡って旧遍照寺跡を出ます。
西を見ると、夕焼けから日の入りが始まろうとしています。
小さな橋から池を見下ろすと、この看板がありました。
ここは、釣りなどをしてはいけないようです。
小さな橋を渡り、広沢池西側の道に戻り南を向きました。
枯れ枝の桜並木の向こうに見える白い壁は、
先ほど立ち寄った児神社のものです。
先ほどの地点から、南に約100m進みました。
コスモス畑の先に児神社があって、その先に一条通が見えます。
旧遍照寺跡から南に約200m進みました。この先に一条通が見えます。
ここで、広沢池とお別れします。
広沢池西側の道から、一条通を西に向いています。
右(北)側に、児神社が見えます。
だんだんと小倉山に夕日が沈もうとしていますね。
先ほどの地点から一条通を西に約50m進み、南に向きました。
ここは佛教大学の付属博物館なのですが、そこにバス停があります。
この59系市バスの「広沢池・佛大広沢校前」バス停が、
一条通最先端になります。
(59系市バスは、ここでUターンして「山越中町」バス停で終点)
一条通はここからまだ1kmほど続きますが、
ここから西は一切の交通機関が通らない道になります。
まぁここからラストスパートですが、それは次回以降とします。
今回は、ここまでです。
~次回は宝筺院前まで進み、「きぬかけの路編」を終わらせます~