第170回 若冲の石峯寺石仏~深草紅葉見物~その4

荷田春満のお墓から、急な坂道を西に下りてきました。
この四つ辻を右(北)に曲がると、約50mで前回ブログのぬりこべ地蔵、
さらに北の伏見稲荷大社に通じています。
一方、左(南)に進むと約80mで石峯寺の前に出ます。
今回は石峯寺に訪れて、
伊藤若冲作製の石仏群と伊藤若冲のお墓にお参りします。
撮影日は、2013年11月23日勤労感謝の日土曜日午後0時15分。
ここの紅葉は、この日が見頃でした。

先ほどの四辻で、南を向きました。
この背後に攝取院の墓地があって、50mほど先がぬりこべ地蔵です。
では、こちらを進んでいきます。

先ほどの四辻から、南に約50m進みました。
この先に男の人が立っていますが、あの辺りも四つ辻になっています。
とりあえず、そこまで進みます。

男の人がいらした四辻から、東を向きました。
急な坂道の上のカエデ並木が見頃になっています。
あちらは、「深草墓園」になります。
この辺の墓地は、風光明媚なところが多いですね。

同じ地点の四辻で、南を向きました。ここから急な下り坂になります。
右(南)側の看板に「石峯寺」という文字が見えます。
この坂を下ったところが、石峯寺の入り口です。

坂を下った後で、左(東)を向きました。ここが、石峯寺の入り口です。
「百丈山五百羅漢」という石碑がありますが、
これは伊藤若冲作製の石仏群を指します。
この石峯寺は、伊藤若冲の「終の棲家」でした。

初めの石段は、5mほどで終わります。
塀越しの紅葉がきれいですが、ここは石峯寺でも末寺でもありません。
こちらは、普通の民家です。
石峯寺に続く石段の周囲には民家があって、
市民が普通に生活されています。

先ほどの位置から3mほど南に、また東へ伸びる石段が現れます。
今度はだいぶ上ります。
ここの紅葉もきれいですが、こちらも3軒ほどの民家になります。
では、こちらを上っていきます。

石段を上りきりました。こちらが、石峯寺の赤門です。
一見すると中国にある寺院のようですが、
それは、この石峯寺が黄檗宗に属しているからです。
だいぶ年月がたって、それがこの門に風格を与えていますね。

赤門をくぐって、石峯寺の境内に入ってきました。
約5カ月前に来たときは草花が生い茂ってまるで山野の中でしたが、
今はだいぶすっきりしています。
咲いていた花はすべて散っていますが、代わりに紅葉が鮮やかですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。

赤門の前で、石峯寺境内を北に向きました。
紅葉の脇に、柑橘系の果実が生っている木もあります。
こうして見ると、果実も花のようですね。
この奥に墓地があるのですが、先ずはそちらに向かいます。

石峯寺の北側の墓地に入ってきました。
ここから、京都市街地が一望できます。

カメラの望遠を最大にして、
石峯寺北側の墓地から北東方向を撮りました。
写真中央に見えるのは、東寺の五重塔です。
左に見える赤い建物「パールハイツイナリ」付近に
京阪電鉄「伏見稲荷」駅があります。
ずっと先に見える向こう側の山は、嵐山や小倉山です。
昨年11月23日に訪れた常寂光寺の風景の
ちょうど反対側になります。
この写真も、クリックすれば拡大できます。

同じ地点で、南を向いています。
向こうに見えるカエデの赤が見事ですね。
では、石峯寺境内の奥に入っていきます。

墓地の東側に、寺務所がありました。
こちらで、拝観料を支払って「五百羅漢」を見に行きます。
ここで同行者の母が手洗いに行ったので、
ここの方と少しおしゃべりをしました。
廃仏毀釈で明治時代初期にここはだいぶ壊されましたが、
それでも石仏以外にも伊藤若冲の掛け軸が残っているそうです。
たまに虫干しするときに、それらを公開されているそうです。

寺務所前から、東を向きました。
こちらが黄檗宗石峯寺の本堂です。
この寺院の沿革は、第132回ブログに詳しく載っています。
この本堂は、近年再建されたものです。
本当なら、ここの天井画は伊藤若冲の物だったのですが……
本堂の前に柿が生っています。
そう言えば、寺務所の壁一面に干し柿がつるしてありましたね。
ただ、こうしてみるとこの柿もまるで花のようです。
この写真も、クリックすれば拡大できます。

本堂の右(南)側を通って、先に進みます。
ただ、ここから先は撮影不可になっています。
(よって、パンフレットの写真でごまかします)
実は、本堂の南側にも墓地があって、
そこに伊藤若冲のお墓がありました。
本当はそこにも線香をあげたかったのですが、
この時点ではもう切らせていました。
(ぬりこべ地蔵の小屋で、もっと買えばよかったです)
そして墓地の脇にあるカエデの下を通って、石仏群に向かいました。
(実はこのカエデは紅葉の盛りで、この辺りは絶景でした)

「五百羅漢」の石仏は、本堂の裏手(東側)にいらっしゃいます。
初めてここに来たときは、ちょっとした登山を覚悟していたのですが、
せいぜい50㎡くらいの広さに、数百体の石仏がいらっしゃいます。
一つ一つ表情が豊かで、少しユーモラスなのが特徴です。
(同じ伊藤若冲の作品でも、絵画とは少し作風が違います)
面白いのは単に石仏が並んでいらっしゃるのではなく、
順番に巡っていくと、きちんとストーリーがあるところです。
(仏教開祖から涅槃までのお釈迦さんの半生を描いています)
伊藤若冲がここに来たのは、50歳を過ぎ晩年になってからです。
天明の大火でそれまで住んでいた錦市場の商家が焼けて
(実は、伊藤若冲は錦市場の町衆の一人でした)
避難所としてここに来たのですが、
ここの住職と懇意になった後は錦市場には戻らずに
生涯をここ石峯寺で暮らしました。
その際数年をかけてこの石峯寺山にある石を拾ってきて、
一つ一つこのような仏様を彫っていったそうです。
ですから、これが最晩年の作品と言えます。

「五百羅漢」の石仏群に参拝して、本堂前に戻ってきました。
本堂の脇に休憩所があって、
ここで休むことができるようになっていました。
ただ先を急ぐので、今回はそのまま石峯寺を出ていきます。

石峯寺の赤門を出ました。
ここから、京都市街地が一望できます。
目の前の赤い建物は龍谷大学深草学舎で、
その手前に京阪電鉄「深草」駅があります。
この写真は、クリックすると拡大されます。

石峯寺の石段も、あと数段で終わりです。
アスファルトになっている歩道のすぐ右(北)側から、
この石峯寺にやって来ました。
目の前で近所の子供たちが遊んでいますが、
このまま西に進んでその子供たちがいる場所の先に向かいます。

石峯寺から西に進み、子供たちがいる場所を通り過ぎました。
約50mほど進むと、向こうに自動販売機が見える四辻が現れます。

自動販売機がある四辻で、北を向きました。
こちらに、児童公園があります。
よく見ると遊具もあるのですが、
きれいに色づいた木々の方が目立っていますね。

同じ場所で、今度は南を向きました。
駐車所があって、そこから先は住宅街になっています。
とは言え、この道沿いに南に進むと様々な寺院にたどり着きます。
ここから数回分のブログは、この道をずっと南へ進むことになります。

先ほどの四辻から、南に約50m進みました。
道の両側に、庭木がきれいな民家が続いています。
この日は休日だったせいか、自動車の通行量が少なかったですね。

さらにこの道を約50mほど南に進みました。
道の脇に、赤いかわいらしい花が咲いていました。
残念ながら、花の名前は知りません……

そしてさらに約50m南に進みました。
左(東)側ののれんのある家屋は飲食店に見えますが、
実は墓石などを売っている石材店です。
(この辺に、飲食店は一切ありません)
その石材店の向こう側に、紅葉に染まった木があります。
次は、そちらに向かいます。

その赤く染まった木の許にまで来ました。
時計が、ちょうど午後1時を差していますね。
向こう側に、大きな寺院の入り口が見えます。

大きな寺院の正面に回り込みました。
こちらは日蓮宗の宝塔寺です。
次はこの宝塔寺に参拝するのですが、それは次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回は宝塔寺と七面宮の紅葉見物です~