第156回 電気屋街「寺町」前編~寺町通南から北~その3
東京の「秋葉原」、大阪の「日本橋」のように、
京都の家電量販店が集中する地区を「寺町」と言います。
これは、高辻通~四条通間の寺町通沿いを指します。
ただ近年は郊外型の家電量販店に圧されて
「寺町」は家電量販店の大半が姿を消しました。
この辺も、「秋葉原」「日本橋」と似た経緯をたどっています。
約5日ぶりの松原寺町です。
今回は、この松原通から高辻通を通り過ぎ、仏光寺通を目指します。
撮影日は、2013年10月1日午後1時半。
この時間くらいから、だんだん晴れてきました。
寺町通から、松原通を東に向きました。
約30m先に、河原町通が見えます。
その河原町通との角に、和菓子屋さんの「幸福堂」があります。
第24回ブログでも紹介しましたね。
幸福堂は、江戸時代から続く和菓子屋さんです。
「義士最中」が有名ですが、女将さんが勧められたのは栗大福でした。
「これからは、栗がおいしくなりますよ」
とのことでした。
今度は、寺町通から松原通を西に向きました。
このまま松原通を進めば、第24回ブログの道順になります。
寺町松原の北西角に駐車場がありますが、
ここは10年くらい前まで「志津屋」というパン屋さんがありました。
中高生のころ、よくここに買いに来ました。
寺町松原郵便局の西隣に、「はやし」という焼き芋屋さんがあります。
第126回ブログの「はやし」、第136回ブログの「こにしいも」同様、
きちんと窯で焼いた焼き芋を売っています。
こちらが、その「はやし」の焼き芋です。
徳島産の金時イモを窯でじっくり焼いています。
これで500円くらいでした。
ホクホクしたイモもおいしいですが、自分は皮も好物です。
松原通から、寺町通を北に向いています。
繁華街が近づいて、自動車量が増えてきています。
少し先に右(東)側に見える駐車場のようなところは、
「京都西川」という布団メーカーのトラックのターミナルです。
その「京都西川」の壁に張り付いていた表札です。
「京極町」(「京都の端」という意味)という地名は、この寺町通が
「東京極通」(ひがしきょうごくどおり)だった名残でしょうか?
松原通から、寺町通を約50m進みました。
また仏具屋さんの老舗がありました。
その北側に、「AJANTA」というインド料理店があります。
ちょっとここに寄ってみます。
寺町通に用事があるときは、なるべくここに寄るようにしています。
ここのランチは、価格の割には充実しています。
今回は、1100円くらいの「Bランチ」を頼みました。
先ずは、前菜です。サラダとスープです。
銀製のポットの中にスープが入っていて、
一テーブルに一つ付きます。
(つまり、一人で行くとおかわりできます)
そして、こちらがメインです。
カレー二種(羊肉のカレー・じゃがいもとほうれん草のカレー)に
タンドリーチキン・サフランライス・ナンが付いています。
30分ほどして、「AJANTA」から出ました。
高辻寺町交差点が目の前ですが、
ここから2軒北に小さな寺院があります。
こちらがその「小さな寺院」浄土宗蓮池山浄国寺です。
元は五条西洞院(この「五条」は今の松原通)にありました。
(「五条天神」の近くですね)
それが豊臣秀吉の政策の一環でここに移転しました。
(この辺の大半の寺院と同じです)
ここは、「罪人受戒の寺」で有名でした。
江戸時代、処刑される人はここでいったん受戒を受けて
鴨川の川原や粟田口に向かったそうです。
移動しようとすると、
高辻通からこちらに一匹の猫がやって来ました。
その猫は塀を上ると、そのまま浄国寺の境内に消えていきました。
たぶん、この寺院で飼われているのでしょう。
そして、高辻寺町交差点です。日陰に入ると、途端に暗く写ります。
左(西)側の店は、「井上文鴻堂」という本屋です。
寺町通から、高辻通を西に向きました。
高辻通は西端の梅津までずっとこの幅を保ちます。
(番外4では、この高辻通を自転車で移動しました)
今度は、高辻通を東に向きました。
河原町通が、もう100mくらい離れています。
ここから北は、だいたいこのくらいの距離を保って
両方の道が伸びています。
高辻通から、寺町通を北に向いています。
ここから北に四条通までの約400mが、
「寺町の電気屋街」と呼ばれた場所です。
先ほどの写真に写っているお寿司屋さんの南隣に、
浄土宗称明山永養寺があります。
元は今の京都市下京区永養寺町にありました。
(高辻通沿いの西洞院通より西。鉾町の岩戸山町と隣接)
それが豊臣秀吉の政策でここに移転してきたのは、
この辺の寺院の大半と同じ事情です。
ここはいろいろな花が綺麗なのですが、
残念ながら非公開です。
ちなみに、ここは住友銀行創業者の菩提寺でもあります。
永養寺から寺町通を北に向いています。
ここから「フレスコ」や「TSUTAYA」が見えますが、
数年前までこれらはすべて家電量販店でした。
繁華街に近いこともあって、家電量販店がなくなっても
すぐに他の店が入ってきます。
先ほど写っていた地域スーパー「フレスコ」の2軒北に、
茶道具の老舗があります。
次々と建物が変わっていく中で、
こういう老舗が何軒か残っているのも寺町通の特徴です。
茶道具屋さんの向かい(東)側に、浄土宗乗願寺があります。
ここは門が開いているので、お邪魔します。
こちらが乗願寺の本堂です。多くの寺院同様、棕櫚の木があります。
こちらも元は仏光寺の北側にありましたが、
豊臣秀吉の政策でここに移転しました。
本当はもっと大きかったのですが、
大火や明治政府による寺領没収でこの大きさになりました。
加藤清正の家臣で「加藤家三傑」と呼ばれた
森本一久の菩提寺でもあります。
乗願寺から、寺町通を北に向いています。
今「業務スーパー」になっているところは、
数年前まで「中川ムセン」という家電量販店でした。
その向こうに、仏具屋の老舗とパソコンショップが
仲良く並んでいます。
それがこの寺町通の特徴ですね。
乗願寺から、寺町通を北に約20m進みました。
家具がメインのアンティークショップの隣に、
ゲーム屋さんがあります。
家電量販店が次々消えていく中、
パソコンショップとゲーム屋さんはまだまだ元気です。
「YAHOO知恵袋」でゲーム屋さんを聞かれたら、
自分はこの辺を勧めています。
さらに10mほど北に進みました。
今度は古書店とパソコンショップです。
昭和初期、この辺りは古書店が建ち並ぶ地区でした。
今も古書店が数軒残っています。
その古書店の前で、寺町通を北に向きました。
もうすぐ仏光寺通との角になります。
ただ古書店から10mほど北に寺院があります。
(写真のすぐ右なのですが、フレームから外れています)
こちらがその寺院浄土宗空也寺です。
では、こちらにも寄っていきます。
空也寺の境内に入ってきました。
お地蔵さんにはさまれて布袋さんの像があります。
布袋さんの中央に穴がありますが、
七五三のときにここを幼児に通り抜けさせると
御利益があるそうです。
(小学生児童は大きさ的に厳しいでしょうね)
布袋さんの右(南)側に、お墓が並んでします。
多分ここの檀家さんのお墓でしょうね。
こちらが、浄土宗光勝山空也寺の本堂です。
浄土宗なので阿弥陀如来が本尊ですが、空也上人像もあります。
開基は空也自身で、元は錦小路西洞院にあった天台宗の寺院でした。
(移転の理由は、他の寺院と同じ)
何度も火災にあって、その度に再興してきました。
(その際に浄土宗に改宗)
空也自身が開基ということで、
第151回ブログの六波羅蜜寺とも深い関係にあります。
空也寺の前から寺町通を見ています。
「西村彌兵衛」と屋号がありますが、こちらは刷毛の老舗です。
そこから西に仏光寺通が伸びています。
この辺で、電気屋街「寺町」の半分くらい来ました。
ここから先は、次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回は電気屋街「寺町」の北半分を進みます。
四条通まで進むことになります~
京都の家電量販店が集中する地区を「寺町」と言います。
これは、高辻通~四条通間の寺町通沿いを指します。
ただ近年は郊外型の家電量販店に圧されて
「寺町」は家電量販店の大半が姿を消しました。
この辺も、「秋葉原」「日本橋」と似た経緯をたどっています。
約5日ぶりの松原寺町です。
今回は、この松原通から高辻通を通り過ぎ、仏光寺通を目指します。
撮影日は、2013年10月1日午後1時半。
この時間くらいから、だんだん晴れてきました。
寺町通から、松原通を東に向きました。
約30m先に、河原町通が見えます。
その河原町通との角に、和菓子屋さんの「幸福堂」があります。
第24回ブログでも紹介しましたね。
幸福堂は、江戸時代から続く和菓子屋さんです。
「義士最中」が有名ですが、女将さんが勧められたのは栗大福でした。
「これからは、栗がおいしくなりますよ」
とのことでした。
今度は、寺町通から松原通を西に向きました。
このまま松原通を進めば、第24回ブログの道順になります。
寺町松原の北西角に駐車場がありますが、
ここは10年くらい前まで「志津屋」というパン屋さんがありました。
中高生のころ、よくここに買いに来ました。
寺町松原郵便局の西隣に、「はやし」という焼き芋屋さんがあります。
第126回ブログの「はやし」、第136回ブログの「こにしいも」同様、
きちんと窯で焼いた焼き芋を売っています。
こちらが、その「はやし」の焼き芋です。
徳島産の金時イモを窯でじっくり焼いています。
これで500円くらいでした。
ホクホクしたイモもおいしいですが、自分は皮も好物です。
松原通から、寺町通を北に向いています。
繁華街が近づいて、自動車量が増えてきています。
少し先に右(東)側に見える駐車場のようなところは、
「京都西川」という布団メーカーのトラックのターミナルです。
その「京都西川」の壁に張り付いていた表札です。
「京極町」(「京都の端」という意味)という地名は、この寺町通が
「東京極通」(ひがしきょうごくどおり)だった名残でしょうか?
松原通から、寺町通を約50m進みました。
また仏具屋さんの老舗がありました。
その北側に、「AJANTA」というインド料理店があります。
ちょっとここに寄ってみます。
寺町通に用事があるときは、なるべくここに寄るようにしています。
ここのランチは、価格の割には充実しています。
今回は、1100円くらいの「Bランチ」を頼みました。
先ずは、前菜です。サラダとスープです。
銀製のポットの中にスープが入っていて、
一テーブルに一つ付きます。
(つまり、一人で行くとおかわりできます)
そして、こちらがメインです。
カレー二種(羊肉のカレー・じゃがいもとほうれん草のカレー)に
タンドリーチキン・サフランライス・ナンが付いています。
30分ほどして、「AJANTA」から出ました。
高辻寺町交差点が目の前ですが、
ここから2軒北に小さな寺院があります。
こちらがその「小さな寺院」浄土宗蓮池山浄国寺です。
元は五条西洞院(この「五条」は今の松原通)にありました。
(「五条天神」の近くですね)
それが豊臣秀吉の政策の一環でここに移転しました。
(この辺の大半の寺院と同じです)
ここは、「罪人受戒の寺」で有名でした。
江戸時代、処刑される人はここでいったん受戒を受けて
鴨川の川原や粟田口に向かったそうです。
移動しようとすると、
高辻通からこちらに一匹の猫がやって来ました。
その猫は塀を上ると、そのまま浄国寺の境内に消えていきました。
たぶん、この寺院で飼われているのでしょう。
そして、高辻寺町交差点です。日陰に入ると、途端に暗く写ります。
左(西)側の店は、「井上文鴻堂」という本屋です。
寺町通から、高辻通を西に向きました。
高辻通は西端の梅津までずっとこの幅を保ちます。
(番外4では、この高辻通を自転車で移動しました)
今度は、高辻通を東に向きました。
河原町通が、もう100mくらい離れています。
ここから北は、だいたいこのくらいの距離を保って
両方の道が伸びています。
高辻通から、寺町通を北に向いています。
ここから北に四条通までの約400mが、
「寺町の電気屋街」と呼ばれた場所です。
先ほどの写真に写っているお寿司屋さんの南隣に、
浄土宗称明山永養寺があります。
元は今の京都市下京区永養寺町にありました。
(高辻通沿いの西洞院通より西。鉾町の岩戸山町と隣接)
それが豊臣秀吉の政策でここに移転してきたのは、
この辺の寺院の大半と同じ事情です。
ここはいろいろな花が綺麗なのですが、
残念ながら非公開です。
ちなみに、ここは住友銀行創業者の菩提寺でもあります。
永養寺から寺町通を北に向いています。
ここから「フレスコ」や「TSUTAYA」が見えますが、
数年前までこれらはすべて家電量販店でした。
繁華街に近いこともあって、家電量販店がなくなっても
すぐに他の店が入ってきます。
先ほど写っていた地域スーパー「フレスコ」の2軒北に、
茶道具の老舗があります。
次々と建物が変わっていく中で、
こういう老舗が何軒か残っているのも寺町通の特徴です。
茶道具屋さんの向かい(東)側に、浄土宗乗願寺があります。
ここは門が開いているので、お邪魔します。
こちらが乗願寺の本堂です。多くの寺院同様、棕櫚の木があります。
こちらも元は仏光寺の北側にありましたが、
豊臣秀吉の政策でここに移転しました。
本当はもっと大きかったのですが、
大火や明治政府による寺領没収でこの大きさになりました。
加藤清正の家臣で「加藤家三傑」と呼ばれた
森本一久の菩提寺でもあります。
乗願寺から、寺町通を北に向いています。
今「業務スーパー」になっているところは、
数年前まで「中川ムセン」という家電量販店でした。
その向こうに、仏具屋の老舗とパソコンショップが
仲良く並んでいます。
それがこの寺町通の特徴ですね。
乗願寺から、寺町通を北に約20m進みました。
家具がメインのアンティークショップの隣に、
ゲーム屋さんがあります。
家電量販店が次々消えていく中、
パソコンショップとゲーム屋さんはまだまだ元気です。
「YAHOO知恵袋」でゲーム屋さんを聞かれたら、
自分はこの辺を勧めています。
さらに10mほど北に進みました。
今度は古書店とパソコンショップです。
昭和初期、この辺りは古書店が建ち並ぶ地区でした。
今も古書店が数軒残っています。
その古書店の前で、寺町通を北に向きました。
もうすぐ仏光寺通との角になります。
ただ古書店から10mほど北に寺院があります。
(写真のすぐ右なのですが、フレームから外れています)
こちらがその寺院浄土宗空也寺です。
では、こちらにも寄っていきます。
空也寺の境内に入ってきました。
お地蔵さんにはさまれて布袋さんの像があります。
布袋さんの中央に穴がありますが、
七五三のときにここを幼児に通り抜けさせると
御利益があるそうです。
(小学生児童は大きさ的に厳しいでしょうね)
布袋さんの右(南)側に、お墓が並んでします。
多分ここの檀家さんのお墓でしょうね。
こちらが、浄土宗光勝山空也寺の本堂です。
浄土宗なので阿弥陀如来が本尊ですが、空也上人像もあります。
開基は空也自身で、元は錦小路西洞院にあった天台宗の寺院でした。
(移転の理由は、他の寺院と同じ)
何度も火災にあって、その度に再興してきました。
(その際に浄土宗に改宗)
空也自身が開基ということで、
第151回ブログの六波羅蜜寺とも深い関係にあります。
空也寺の前から寺町通を見ています。
「西村彌兵衛」と屋号がありますが、こちらは刷毛の老舗です。
そこから西に仏光寺通が伸びています。
この辺で、電気屋街「寺町」の半分くらい来ました。
ここから先は、次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回は電気屋街「寺町」の北半分を進みます。
四条通まで進むことになります~