京都駅北側市バスターミナルから101系市バスに乗って、
「北野天満宮前」バス停まで来ました。
前回ブログで「五辻通編」が終了し、
北野天満宮東端の御前通経由でこのバス停から帰宅しました。
今回は、その北野天満宮自体に参拝しようと思います。
撮影日は2019年6月25日火曜日午後1時。
敢えて「25日」に参拝するには、理由があります。
「北野天満宮前」バス停は、京都市上京区の西端に当たる
「北野天満宮前」交差点(「今出川御前」交差点)に立っています。
西行きの「北野天満宮前」バス停から、今出川通を西に向きました。
北野天満宮に行くには反対方向ですが、
北野天満宮参拝前にちょっとだけ寄り道をします。
「北野天満宮前」バス停から、西に約100m進みました。
今出川通沿いの南側歩道に、こちらの茶店があります。
粟餅専門店の「澤屋」ですね。
では、また今回もこちらに寄り道します。
澤屋の店内に入ってきました。
店内は4人掛けのテーブル6卓並んでいますが、
平日の昼下がりでも、数卓埋まっていました。
こちらの店で注文できるのは、粟餅一択です。
注文から数分後、こちらが給仕されました。
こちらが、その粟餅です。
穀物の
粟を蒸して搗いて餅状にしたものです。
小豆に包まれたものと、きな粉が掛かった棒状のものがあります。
……で、食べかけの粟餅です。
これが自分の好みなのですが、先にきな粉餅を戴いて
小豆餡餅に残ったきな粉を付けます。
汚い食べ方ですが、これがまた美味しいのです。
「澤屋」で、約30分休憩しました。
では、その「澤屋」から今出川通を東に進みます。
先程の「北天満宮前」バス停まで戻ってきました。
そのバス停の南側に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいます。
この「お別れ地蔵」の沿革は、
第113回ブログに掲載されています。
「北野天満宮前」バス停と言いますか、
「お別れ地蔵」の東隣にこのような人だかりができています。
こちらは
とようけ屋という京豆腐の老舗で、
本店は七本松通沿いなのですが、こちらは直営の飲食店です。
まだギリギリランチタイムなので、店先に行列がでいています。
とようけ屋の前で、今出川通を東に向きました。
この目の前が「北野天満宮」交差点なのですが、
御前通沿いに露店が立っています。
「北野天満宮前」交差点で、今出川通から御前通を南に向きました。
すっと南の方まで、露店が並んでいますね。
毎月25日に上立売通~一条通間の御前通は
車両通行止めになり、このように露店がずっと並びます。
「北野天満宮前」交差点で、今度は北を向きました。
北野天満宮の大きな石製鳥居が見えないくらい、
たくさんの露店が並んでいますね。
前回ブログに掲載された
北野天満宮の日常風景と全然違いますが、
別にこの日が北野天満宮の例祭という訳ではありません。
毎月25日になると北野天満宮境内で、
室町時代以来の
定期市ががまだ続いています。
これを京都人は、「天神さん」と呼んでいます。
毎月22日に東寺の境内で行われる「弘法さん」と並んで、
京都でも古くから続く定期市ですね。
暫くして、「北野天満宮前」交差点の信号が変わりました。
では、こちらの横断歩道を渡り今出川通北側歩道に移動します。
「北野天満宮前」交差点の信号を北側歩道に渡り切りました。
その位置から北を向くと、
北野天満宮参道の西側にも露店が並んでいることが分かります。
ただそちらからではなく、この東側の石製鳥居の前に移動します。
先程の位置から東進し、石製の北野天満宮一の鳥居前に来ました。
北野天満宮参道沿いに、露店がずっと並んでいますね。
次は、こちらを北上します。
北野天満宮一の鳥居をくぐり、参道を北上しています。
まだ写真には「たこ焼き」の屋台が見えますが、
北に進むほど飲食物の「屋台」の姿が少なくなり、
代わりに「古道具」の露店が増えていきます。
その中に、こちらの露店が立っています。
個人的に、昔から「天神さん」は古着の露店が多い気がしています。
その古着屋の露店の前で、北野天満宮参道を北に向きました。
だんだん「お祭りの縁日」の雰囲気ではなくなってきて、
「古道具」屋さんが増えてきました。
この先に、北野天満宮二の鳥居が立っています。
「北野天満宮前」交差点から約100m北上し、西に向きました。
北野天満宮二の鳥居の手前に、末寺の東向観音寺が立っています。
その間に、植木の露店が立ち並んでいますね。
北野天満宮二の鳥居をくぐり、北を向きました。
すぐ目の前に、北野天満宮三の鳥居が立っていますね。
北野天満宮二の鳥居の許に、大工道具の古道具屋がが立ちます。
大きなものから小さなものまで、様々な道具が売られていますね。
さらに北の天満宮参道を約30m北上し、
北野天満宮三の鳥居前が近づいてきました。
そろそろ北野天満宮楼門が近いので、
また飲食物の露店の割合が増えてきました。
北野天満宮三の鳥居前で、西を向きました。
こちらに、末社の伴氏社がいらっしゃいます。
北野天満宮のご祭神
菅原道真の生母伴氏がこちらのご祭神です。
本当はこちらの鳥居とともに写真を撮りたかったのですが、
白人の家族連れがこの前で休憩されていて、
頼んで移動して頂いたのですが、鳥居とは分けて撮ります。
……以前は特にヨーロッパ系の方中心に、
このような場所を参拝する際に移動して頂けなかったのですが、
ここ数年は今回のように快く移動して頂ける方々が増えました。
(アジア系の方々の場合、このようなトラブルは
今まで一例もありませんでした)
こちらが、伴氏社の石製鳥居です。
その白人の家族連れに不思議そうにされていたのは、
自分が本殿よりもこちらの鳥居を丁寧に撮っていたからです。
実は、こちらの鳥居は京都三珍鳥居の一つです。
鳥居の島木(いちばん上の横棒の下)に、額束がめり込んでいます。
確かこの形状の鳥居は、日本唯一です。
他の三珍鳥居は太秦にいらっしゃる蚕ノ社木嶋神社の
三柱鳥居、
(
第419回ブログを参照)
京都御苑内にいらっしゃる厳島神社の
破風型鳥居です。
(
第201回ブログを参照)
北野天満宮三の鳥居の許で、こちらの露店が立っていました。
線香や蝋燭(ろうそくな)どの仏具中心に売られており、
よく見るとマッチや蚊取り線香までありました。
北野天満宮三の鳥居から約10m北上し、西を向きました。
こちらは、新築された北野天満宮の文道会館です。
以前訪問させていただいたときは
建築中でしたが、とうとう完成したようです。
(
第510回ブログを参照)
その北野天満宮文道会館の前で、参道を北に向きました。
参道の突き当りに、北野天満宮楼門があります。
では、こちらをくぐり北野天満宮境内に入っていきます。
北野天満宮楼門をくぐり、境内を北に向いています。
毎年2月~3月にこの辺りは紅梅白梅が盛りになりますが、
6月であるこの日はそれらが青葉に包まれています。
(
第113回ブログを参照)
その位置で、北野天満宮境内を右(東)に向きました。
向こうに、手水舎が見えますね。
こちらが、北野天満宮の手水舎です。
注ぎ口の上に、この神社の象徴でもある牛の像がいます。
ではこちらで手を浄めます。
北野天満宮手水舎の前で、境内を西に向きました。
では、こちらを進んでいきます。
北野天満宮楼門の西側に、大きな絵馬殿があります。
その絵馬殿前で、猿回しが行われていました。
自分も覗きに行こうとしたのですが、
まさに今終わったところのようです。
北野天満宮絵馬殿の前で、境内を北に向きました。
周囲に短冊が付いた笹が並んでいますが、
それは7月7日の七夕祭のためのものです。
では、こちらを北上します。
北野天満宮絵馬殿~三光門の間に、様々な末社がいらっしゃいます。
そのうち、南西側にこちらの福部社がいらっしゃいます。
北野天満宮ご祭神菅原道真の家臣の一人がご祭神です。
その向かい(東)に、こちらの白太夫社がいらっしゃいます。
こちらのご祭神は、菅原道真に付き従った老臣です。
こちらは、その白太夫社の祠の上部です。
そのような末社にも、このような丁寧な細工がしてあります。
福部社の北隣に、こちらの老松社がいらっしゃいます。
やはり、こちらも菅原道真の家臣がご祭神です。
これらの神社は、天満宮に多くいらっしゃいますね。
白太夫社の北隣に、火之御子社がいらっしゃいます。
こちらは、ここに北野天満宮が建立される前から
この位置にいらっしゃる神様です。
この辺りの土地神様でもあります。
火之御子の前で、北野天満宮境内を北に向いています。
こちらに北天満宮三光門が立っています。
こちらをくぐると、北野天満宮本殿に行けます。
北野天満宮三光門には、様々な細工が施されています。
こちらは徳川家康の依頼を受け、
豊臣秀頼が修復した際
掘り込まれたものです。
なかなか見事ですが、やはり日光東照宮のものと似ていますね。
こちらからいよいよ北野天満宮本殿に参拝しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回も、北野天満宮東端の御前通をうろうろします。
「天神さん」中の定期市がもっとも密集しています~
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