京の道 今日の道 京都駅周辺
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第107回 京都駅から東本願寺へ~京都駅散策~その1

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ここは、京都駅塩小路(北)側の改札を出た所です。
(第6回ブログ以来ですね)
京都駅はいろいろな観光地へ続く出発点なのですが、
今回から何回かに分けてこの周辺を散策します。
先ずは京都駅から東本願寺に向かいます。
撮影日は2013年2月11日月曜日の建国記念日午前11時23分。
晴れたり曇ったりの一日でした。


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京都駅の駅舎から外に出ました。
この瞬間は晴れていましたが、この日は突然雨が降ったりもしました。
ちょうど向かいに京都タワーホテルがあり、
その上に京都タワーが見えます。
ただ、京都タワーはエレベーター工事中で、
2013年4月まで中に入ることはできません。


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京都駅改札口から約50m北に進みました。
ここが、京都駅北側市バスターミナルです。
行き先別に、バス停が何か所かに分かれています。
(自分がYAHOO知恵袋への投稿でよく書いている所です)


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京都駅北側市バスターミナルの東側に、
塩小路烏丸の交差点が見えます。


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塩小路烏丸の交差点で、北の方を見ています。
京都タワーの右(東)側の通りが、烏丸通です。
京都市街地の中心を通り抜けるオフィスビル街です。
今回と次回ブログは、この烏丸通中心になります。


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塩小路烏丸の交差点から、烏丸通を北に向いています。
右(東)側に京都タワーホテルの1F部分が見え、
その北隣に、ヨドバシカメラビルがあります。
左(西)側は、京都銀行や京都中央信用金庫が並んでいます。


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こちらは、ヨドバシカメラビルの北隣です。
白い塀で覆われていますが、昨年までここは七条警察署でした。
現在は、第25回ブログに出てくる堀川警察署と統廃合されました。


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旧七条警察署から約10m北に行くと、七条烏丸の交差点に出ます。
ここ最近、この辺りには飲食店が増えました。


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烏丸七条の交差点から、七条通を西に向いています。
この少し先の「ゲーム」の看板は、
この辺りで数少ないゲームセンター「キング」です。
1Fは、パチンコ屋です。(この辺りには、パチンコ屋が目立ちます)


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今度は、七条通を東に向きました。
約2km先に京都国立博物館と三十三間堂があり、
そこで七条通は突き当ります。


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交差点を渡り、七条通から烏丸通を北に向いています。
もう東本願寺が見えてきました。


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七条通より少し北の方から、
烏丸通のど真ん中に公園が細長く伸びています。
(厳密には、花屋町通~下数珠屋町通間の烏丸通の路上)
ここは、1977年までこの辺りを走っていた
路面電車の巨大な停留所跡です。
東本願寺側の要求もあったのでしょうが、
安全面からこの広さが必要だったということです。
それだけ、この寺院に参拝する方が多いというエピソードです。


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七条烏丸の交差点から烏丸通を北に約10m進みました。
ここは、東本願寺の堀です。
ここには、鯉などいろいろな生き物が住んでいます。
自分が幼稚園児の頃、ここでたまにザリガニを釣っていました。
すると、東本願寺のお坊さんに見つかって怒られてしました。
「ここは聖地だ。生き物の捕獲は許さない」
そんなことを言われました。


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東本願寺周辺の街灯は、このようになっています。
ソーラーパネルで自家発電ですね。


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では、阿弥陀堂門から東本願寺に入ります。


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境内にあった東本願寺の地図です。上が西で、右が北、左が南です。
右下(南東)の阿弥陀堂門から境内に入り、
阿弥陀堂と御影堂に行くつもりです。


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東本願寺の境内に入ってきました。
現在東本願寺は、親鸞上人750年忌に向けて修復工事中です。


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東本願寺の境内で、南を向きました。
鐘楼越しに、京都タワーが見えます。


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阿弥陀堂門の正面に、阿弥陀堂があります。
本尊の阿弥陀如来がいらっしゃるのですが、
現在は修復中です。


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阿弥陀堂門の北側に、総合案内所があります。
周囲にハトが何羽もいますが、これは昔から変わりません。
自分が通っていた幼稚園が東本願寺系だったので、
幼稚園児の頃に来た時と同じ風景です。


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こちらは、総合案内所の屋根です。
ここにもハトがたくさんいます。


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総合案内所の中にあった自動販売機で、
このようなお茶を売っていました。
そう言えば、第14回ブログの知恩院でもお茶を売っていました。


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総合案内所の前にあった手水舎です。
ここで手を清めて、先に進みます。


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こちらは、阿弥陀堂の北隣御影堂です。
偶然ですが、この角度で撮ったら
ここの本尊親鸞聖人像が写ってしまっていました。
こちらは約1年前に修復が完了しました。


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では、靴を脱いで御影堂に久しぶりの参拝をします。
(写真はありません)
浄土真宗本願寺派は、親鸞の末娘真如が鎌倉時代に始めました。
室町時代~安土桃山時代は一向一揆の中心を担いましたが、
江戸時代初期に准如と教如が対立して、
西と東に本願寺は分裂しました。


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御影堂から、阿弥陀堂に移動しました。
ここは足場が組まれた状態です。
この日は祝日でしたが、平日には作業の様子が見られます。


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阿弥陀堂から、御影堂の廊下を見ています。
東本願寺では、自分はこの角度が一番好きです。


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御影堂の北の端から、大廊下に行けます。


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御影堂から、向かいの大廊下を写しています。
親鸞聖人などの言葉が書いた書画が展示されています。


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大廊下をずっと歩いていくと、この参拝接待所に着きます。
中は、参拝者のための休憩所です。
こういう大きな休憩所があること自体、
大人数が同時に参拝することを前提にしていることが分かります。


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参拝接待所から出ると、このような風景になります。
これで、東本願寺を軽く一周したことになります。


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では、御影堂前にある御影堂門から外に出ます。
慌てて撮ったら、少しボケてしましました。


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今度は烏丸通から御影堂門を撮りました。
親鸞上人750年忌事業は、約5年かけた大事業です。


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御影堂門前から、烏丸通を見ています。
今からこの横断歩道を渡って、向こう側に行きます。


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烏丸通を半分渡りました。ここは、烏丸通の路上公園です。
この噴水は、ここが路面電車の停留所だった頃からありました。


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烏丸通の路上公園は、ここが停留所だったころから
銀杏並木が続いていました。
自分が幼稚園児だった頃、ここに何度か銀杏を拾いに来ました。
(幼稚園の年中行事の一つでした)
今でも秋になると、
ここに銀杏を拾いに来る人がたくさんいらっしゃいます。


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そして、烏丸通の東側歩道に渡ります。


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烏丸通を東にわたって、北を向きました。
この辺は、仏具店がたくさんあります。
(やはり、門前町だからでしょう)
ここを北に進んでいくのですが、それは次回とします。

~次回は、東本願寺周辺を散策します~

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第108回 烏丸通から五条へ~京都駅周辺散策~その2

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ここは、東本願寺御影堂門から烏丸通を渡ったところです。
今回は、ここから五条富小路あたりまで歩いていきます。
大通りばかりでは面白くないので、東洞院経由で行きます。
撮影日は2013年2月11日月曜日の建国記念日午後0時半。
この時間帯は晴れていました。


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先ほどの写真から、約5m北に進み東を向きました。
ここは、正面通です。
東本願寺御影堂門から伸びたこの道は、
この先の渉成園の正門まで続きます。
そして、河原町通から再び復活して豊国神社の前まで続きます。
(その辺りは、第6回ブログで詳しく説明しています)
看板にある文子天満宮が近いのですが、
そこには次回ブログで行きます。


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正面通から、烏丸通を北に向かっています。
この辺りは仏具屋も多いのですが、実は旅館も多くあります。
これらの旅館は元々観光客のためではなく、
東本願寺に参拝に来た方のためのものでした。
今は、修学旅行生もたくさん引き受けています。


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正面通から烏丸通を約100m北に向かいました。
この上数珠屋町通より北は、烏丸通と不明門通が分裂します。
これは烏丸通の路上公園が終わり、元の道幅に戻るからです。
ちなみに、この角の仏具屋は
自分が以前友人の骨壺を買った店です。


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烏丸通から、上数珠屋町通を東に向いています。
この僧侶の銅像がある店も、仏具屋さんです。
ずっと先が道路工事で封鎖されているのが分かります。


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上数珠屋町通から烏丸通を北に進みます。
向こうに見える土塀は、東本願寺のものです。
その先に見える大きな建物は、予備校の代々木ゼミです。


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ここは、上数珠屋町通と花屋町通の間の烏丸通沿いです。
お昼時なので、このTe Concepcionに入ります。


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ここは、紅茶の専門店です。
ここで飲むこともできますが、茶葉を購入することもできます。
お昼時には食事メニューもありますが、
ここの名物はアフタヌーンティーセット(1500円)です。
(タワーには、なっていません)
セイロンのウバ茶をミルクティーでいただきます。


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プレートをアップにしました。
スコーンは、クロテッドクリームとジャムでいただきます。
他にはサンドイッチと、焼き菓子が付いています。
(手前はりんごのタルトです)
後は、果物とクリームチーズのアイスクリームですね。


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先ほどの「Te Concepcion」の前で北を向きました。
ついつい長居しすぎて、この時点で午後2時前です。
では、先を急ぎます。


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ここは、先ほどの店の北隣です。
こちらにも、ちょっと寄り道します。


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こちらは、東本願寺の総会所です。
独立した寺院ではなく、東本願寺の施設の一部です。
確か、門徒が一時待機するようなことに使われていたように思います。


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東本願寺の総会所は、この花屋町烏丸の交差点にあります。
ここから西に花屋町通が伸びています。


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烏丸通から、花屋町通を西に向きました。
ご覧のように、花屋町通は東本願寺の北端になります。
代々木ゼミの西隣に、「大谷会館」が見えます。
ここも東本願寺の施設の一つで、様々な催物が行われます。
(要するに、コンサートホールです)
ちなみに、花屋町通はJR嵯峨野線の線路でいったん途絶えますが、
(島原付近です)
京都市中央市場の中で復活し、さらに西に伸びています。
最終的には、阪急電車「西京極」駅前まで続きます。


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花屋町通より北は、
東本願寺の門前町からまたオフィスビル街に戻ります。
花屋町通から北に50mほど行くと、今度は六条通に出ます。


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烏丸通から、六条通を西に向きました。
六条通は、烏丸通より西はとても細い道になります。
実は商店街があったり、老舗がのれんを連ねたり、
結構面白いところなのですが、今回は寄りません。


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烏丸通から、六条通を東に向きました。
こちらは、烏丸通くらいの道幅があります。
ここで烏丸通から別れて、ここを進みます。


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烏丸通から、六条通を東に約30m進みました。
ここは、六条不明門通の角です。
烏丸通と比べて、六条通は人も自動車も少ないですね。


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ここは、六条不明門通の南東角にある神社です。
「菊姫稲荷神社」といいます。
いろいろ調べてみても、由来ははっきりしません。
「菊理媛」と習合しているというのが多数派の意見ですが、
実は「女性の名前」+「稲荷」というのは、
不幸な死に方をした女性の墓の跡だったり、
その女性の死体発見現場だったりして、
その祟りを恐れて神社が建っていることが多いのですが……
ここの場合は、本当によく分かりません。


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不明門通から、六条通を東に向いています。
不明門通から約50m東に行くと、東洞院通があります。
六条通もここから少し細くなります。


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六条通から、東洞院通を南を向いています。
ここを約700m進むと、京都駅の最東端に出ます。


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今度は、六条通から東洞院通を北に向いています。
右(東)側にある瀬川商店も、なかなかおいしい豆腐屋さんです。
(この日は祝日で、閉まっています)
ずっと向こうに五条通が見えます。
今から東洞院通を北上し、五条通に向かいます。


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六条通から、東洞院通を約100m北上しました。
左(西)側にある民家の前に、このような碑が立っていました。
赤松小三郎は、幕末の軍師です。(信州の上田藩士でした)
薩摩藩を英国式兵法で鍛え上げた人物でしたが、
1867年に暗殺されてしましました。


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石碑の前で、東洞院通を北に向きました。
左(西)側に、泉仙の本店が見えます。
(大徳寺の末寺大慈院などに支店があります)
ただ、ここは「仕出し屋」なので中で食事をすることはできません。
「仕出し屋」とは、旅館や料亭に料理を提供するお店のことです。
また、個人宅にも仕出し弁当やおせち料理・
法事の食事などを配送してくれたりします。


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こちらは、「泉仙」のほぼ向かいにある民家の窓辺です。
可愛らしい人形がいるので、撮りました。


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「泉仙」から東洞院通を北に約150m進みました。
左(西)側にお地蔵さんがいらっしゃいました。
お参りしましたが、
よく見るとお賽銭入れがあり、幾らか入れさせていただきました。


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お地蔵さんの前から、北を向いています。
いよいよ五条東洞院の交差点です。


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東洞院通から、五条通を西に向いています。
五条通は6車線で、京都で最も広い通りの一つです。
約100m先が五条烏丸の交差点で、
付近に地下鉄「五条」駅に続く階段があります。


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今度は東洞院通から、五条通を東に向きました。
南東角にあるのは、下京税務署です。
そう言えば、約60年前に若かりし三木元内閣総理大臣が
ここの所長を務めていたそうです。
今から、ここを進んでいきます。


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東洞院通から五条通を東に約50m進み、
間之町通との交差点まで来ました。
下京消防署が目の前に見えます。(もとは、下京保健所でした)
ここをさらに東に進みます。


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さらに五条通を約50m進み、今度は高倉通との交差点に来ました。
向こうに石の鳥居が見えます。
今からそちらに向かいます。


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ここは西念寺の末社の天満宮です。
こちらに寄ってみます。


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天満宮の祠です。こちらにも、お参りしました。
西念寺はここから奥の施設が、
住職のプライベートスペースと混在します。
そのため、ここから引き返して五条通に戻ります。


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西念寺を五条通から撮っています。
こうしてみると、まるで普通の民家です。
ただ、ファミリーレストランの手前にある竹垣の向こうは墓地です。
恐らく江戸時代くらいから、この辺り一体が墓地になっています。
五条通からは、塀やビルで直接見えないようになっています。


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ファミリーレストランから、北を向きました。
ここから北に、堺町通が伸びています。
ここから少し北に行った辺りに、鉄輪の井戸があります。
別れた夫との復縁を願った女性が後妻に呪いをかけたものの、
失敗して息絶えた死体が見つかった井戸です。
(井戸の前に、その女性を祀った命婦稲荷があります)


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ファミリーレストランから、100mほど東に進みました。
いよいよ富小路との交差点です。


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五条通から、富小路を北に向いています。
ここを約300m北に行くと、松原通との交差点です。
(第24回ブログの辺りに出ます)


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五条通から、今度は富小路を南に向きました。
京都市街地の寺院は寺町通に集中しますが、
五条通以南はこの富小路に集中します。
ここから神社仏閣が一気に出てくるのですが、
それは次回とします。

~次回は、市比売神社・長講堂・文子天満宮などを回ります~

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第109回 市比売神社と周辺寺院~京都駅周辺散策~その3

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五条通から、富小路を南西に向いています。
京都駅から出発してこのコースも、ちょうど折り返しですね。
実はこの辺りには、市比売神社初め多くの神社仏閣があります。
そのようなわけで、たった300m進むのに一回分使ってしましました。
撮影日は、2013年2月11日建国記念日の月曜日午後2時半。
この辺りからだいぶ晴れてきます。


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ここは、五条富小路の南東角にある浄土宗佛性山本覚寺です。
先ずは、こちらに入っていきます。


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本堂の方には入れないので、この境内までとなります。
本覚寺は、鎌倉時代初期に坊門信子(源実朝の後室)が建立しました。
一時期は多くの末寺を持つ大きな寺院でしたが、
応仁の乱などでどんどん小さくなってしまいました。
また、ここは江戸時代の「八文字屋本」の出版を行った
八文字屋自笑のお墓があります。


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こちらは、本覚寺の鐘楼です。
向こうに棕櫚(しゅろ)の木が見えますが、
日本の神社仏閣には特に多い木ですね。


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では、本覚寺を出ます。また富小路を南下します。


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京都市街地の道は基本きれいに南北に伸びているのですが、
五条通から六条通にかけての富小路は少し傾きます。
(東の方にある鴨川が傾いている影響です)
ですから、今は富小路を南西に向いています。
向こうに京都タワーが見えるのは、そのためです。


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本覚寺の斜め向かいに、徳林院があります。
ここは、10年くらい前まで洋裁学校でもありました。
寺院の中で、洋裁を教えていたようです。


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徳林寺の南隣に、浄土宗塩竃山上徳寺があります。
今から、こちらに寄ります。


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薬医門をくぐって、すぐに上徳寺の本堂があります。
こちらの本尊の阿弥陀如来は、快慶の作と言われています。
ここ上徳寺は、1603年に徳川家康が建立しました。
たびたび火災にあい、今の本堂は明治時代のものです。
ここは地蔵信仰の寺院で、この奥に地蔵堂があります。
安産のご利益があると言われていて、
今も多くの人の信仰を集めています。


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こちらは、本堂の奥の地蔵堂です。
上手く写さないようにしていますが、、
本当はたくさんの参拝者がいらっしゃいました。
とりあえず、ここにお参りします。
その後は、この周囲にいらっしゃるお地蔵さんにもお参りします。


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では、順番にお地蔵さんにお参りします。
(本当は順路が逆です。後で知りました……)
先ずは、地蔵堂の西側の身代わり地蔵尊です。
参拝者が受ける厄の身代わりになってくれるそうです。


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身代わり地蔵尊の南隣に、歓喜地蔵がいらっしゃいました。
お姿が、だいぶ変わっていらっしゃいます。


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次に、地蔵堂の南側にいらっしゃるお地蔵さんです。
右(西)側には、延命地蔵尊がお二人いらっしゃいました。


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地蔵堂の南(裏)側中央には、水子地蔵尊がいらっしゃいます。
こちらには、たくさんの小さな卒塔婆が立っていました。


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水子地蔵尊の左(東)隣りには、はがため地蔵尊がいらっしゃいます。
こちらは、歯と長寿のご利益があります。


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地蔵堂を一周しました。
では、本堂の脇を通り抜けて外に向かいます。


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では、上徳寺の薬医門を出て富小路の南下を続けます。


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上徳寺の前から、富小路を南西に向いています。
よく見ると、寺院の隙間を縫うように家具屋や建具屋が並んでいます。
五条通以南の富小路は、夷川通と並ぶ昔ながらの「家具屋街」です。
(この日は祝日なので、全ての店が閉まっています)


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上徳寺から、富小路を約50m南西に進みました。
左(東)側に路地が見え、その先に新善光寺が見えます。
長野県の善光寺の本尊を製作した仏師が、
こちらにも同じものを製作したので、この名称になりました。


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新善光寺のある路地の前から、富小路を南西に約50m進みました。
こちらは、律宗太子堂白毫寺です。
元々は知恩院の辺りにありましたが、
安土桃山時代末期の慶長年間にこちらに移ってきました。
ご自身の作と言われている聖徳太子像が本尊ですが、
こちらの寺院は非公開です。


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太子堂白毫寺の前から、富小路を南西に向きました。
この辺に、一番家具屋が集中しています。
約5m先にT字路が見えます。


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富小路から、T字路を南東を向いています。
左(北)側は家具屋ですが、右(南)側は空き家が続きます。
ずっと先に、河原町通が見えます。
今からこちらに寄ります。


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T字路から、南東に約50m進みました。
こちらは、金光寺です。時宗市屋派の本山です。
元々は、鎌倉時代半ばに一遍上人が七条堀川に建立しました。
鎌倉時代の絵巻物にも登場する寺院ですが、
残念ながらここも非公開です。


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そして、金光寺の東隣りに市比売神社があります。
この日(2月11日)は祝日でたくさんの方が参拝されていました。
では、この中に入っていきます。


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入り口近くの手水舎です。
先ずは、こちらで手と口を清めます。


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では、いよいよ奥に行って参拝です。
写真の方に向かうと末社になりますので、
先にここより右側の本殿に向かいます。


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こちらが、市比売神社の本殿です。
ちょうど祈祷中だったので、ここでお参りします。
市比売神社は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の妃である
神大市比売(カミオオイチヒメ)を初め5柱の女神を祀っています。
ここはかつて東側に遊郭があって、
そのため女人信仰の神社として多くの信仰を集めていました。
また神大市比売は「市」の神様でもあるので、
京都中央卸売市場の守護神社でもあります。


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続いて、末社を回ります。先ずは、ここの井戸ですね。
ここは「天之眞名井」(あめのまない)と言って、
洛陽七名水の一つにも数えられています。
浮かんでいる赤い人形の中にはおみくじが入っています。


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天之眞名井の奥にいらっしゃる祠です。
この井戸を守護しているものと思われます。


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天之眞名井の左側には、老松稲荷がいらっしゃいます。
こちらにも、参拝しました。


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老松稲荷の前で西を向きました。
アルミ製の箱みたいなものが、「カード塚」です。
その向こうに、たくさんの人が見えます。
この日は(2月11日)祝日だったこともあり、
ここはかなり賑わっていました。


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では、市比売神社の外に出ます。


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市比売神社から、富小路の方を向いています。
こうしてみると、西光寺が隣にあるのがよく分かります。
今から突き当りの富小路に向かいます。


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市比売神社から富小路に戻り、
先ほどのT字路から南西に向きました。
南西角の和菓子屋さんは、生菓子や懐中最中がおいしいです。
余談ですが、この店は夕方に閉まります。
ただ、ここの主人が店先で就寝までテレビを見ていることがあるので、
午後10時くらいまでなら運が良ければ和菓子を買うことができます。


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和菓子屋さんの南隣に、浄土宗連光寺があります。
残念ながら非公開ですが、ここに長宗我部盛親の首塚があります。
四国の戦国大名長宗我部元親の子で、大坂夏の陣で豊臣方に就き、
敗軍の将となって家族ともども斬首となりました。


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連光寺から、南西に約30m進みました。
ここは、浄土宗長講堂です。京都人は、「六条院」と呼んでいます。
もともとこの辺りは
平安時代源融(みなもとのとおる。光源氏のモデルの一人)の住居で、
(北は五条通、南は六条通、西は東洞院の辺り。
鴨川に隣接していて、当時は河原町通や高瀬川はありませんでした)
後に里内裏(大内裏の外にある天皇の住居)となりました。
それとは別に、後白河上皇はこの寺院をもっと西に建立したのですが、
豊臣秀吉が京都を再建した際にここに移りました。
内部には後白河上皇関連の文化財が多くあり、
庭園も見事なのですが、毎年4月13日以外は非公開です。


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長講堂の脇にある山茶花です。
きれいなので撮りました。この写真はクリックすると拡大されます。


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長講堂の外から中の庭園をとりました。
ここから見るだけでも見事です。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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ここは、長講堂の塀の上です。
スズメが何羽か寄り添っていますね。
瓦には、しっかり「菊の御紋」が入っています。


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この長講堂は、六条富小路の交差点にあります。
ここからさらに南に行って、文子天満宮に寄って
更に渉成園まで行きたいのですが、それは次回とします。

~次回はこの辺りをさらに散策しながら文子天満宮を目指します~

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第110回 文子天満宮へ~京都駅周辺散策~その4

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ここは前回最後の写真六条富小路の交差点です。
今回はここを南西に蛇行して、文子天満宮を目指します。
撮影日は、2013年2月11日月曜日の建国記念日午後3時。
また、だんだん曇ってきました。


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富小路から、六条通を西に向いています。
約200m先に前々回ブログで出てきた東洞院通との交差点に、
さらにもう100m進むと、烏丸通との交差点に出ます。
目の前の赤いレンガの建物は、「タキモト」という酒屋さんです。
日本中のお酒や世界各国のワインなどが売られています。
マニアックなお酒を買うときは、よく寄ります。


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今度は六条通を東に向きました。約100先の河原町通で突き当ります。
左(北)側に、前回ブログで紹介した長講堂の庭園が塀越しに見えます。
右(南)側も万年寺という寺院になります。
実はその先も寺院で、六条通から墓石や卒塔婆が見えます。
ちなみに、突き当りは元々は京都市立菊浜小学校でしたが、
廃校後は「京都ひとまち館」になりました。


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六条富小路のお地蔵さんです。ここにもお参りしました。
よく見ると、消火器が設置されています。
お気づきの方も多いでしょうが、
京都の消火器はお地蔵さんに設置されていることが多いです。


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六条通から、富小路は真南に曲がります。
六条通から富小路を南に約50m進みました。
富小路は、約100m先の上数珠屋町通で終わります。
(突き当りに見えるのは、渉成園の土塀です)
目の前から、花屋町通が西に伸びています。



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花屋町富小路のT字路を西に向いています。
花屋町通は、ここから始まります。
今から、この道を西に進みます。


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ここは、花屋町富小路の南西角にある児童公園です。
「雅松公園」(わかまつこうえん)という名前は、
かつてここに京都市立雅松小学校があった名残です。
(京都市立六条院小学校と呼ばれたこともありました)
この日は祝日(2月11日)なのでたくさんの子供が遊んでいましたが、
だれも写らない角度から撮っています。


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「雅松公園」の幅だけ(約50m)西に進みました。
花屋町通に、高倉通が南北に伸びています。
ここを右(高倉通を北)に進むと、四条大路で大丸百貨店の前に出ます。


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花屋町高倉の角に、このような看板がありました。
鉄製なので、割と古いものです。「區」(区)の文字でも分かります。
昔の看板は、「森下仁丹」の広告が必ず入っています。


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高倉通から、花屋町通を少し西に進みました。
北側にこのような町家がありました。(普通の民家です)
写真の中央に、折り畳み式の縁台があります。
ワンタッチで座れるようになります。
(昔の町家には、よくあったものです)


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その町家の向かいには、米屋さんがありました。
こちらもなかなか味のある建物です。
オレンジジュースの「プラッシー」は
昔は米屋で売られていましたが、今も売っているのでしょうか?
(この日は祝日なので、閉まっています)


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高倉通から花屋町通を西に約50m進み、花屋町間之町の角に来ました。
だんだんこの先の烏丸通との交差点が見えてきました。


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花屋町通から、間之町通を南に向いています。
ずっと先の七条通で突き当ります。今度は、ここを南に進みます。


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花屋町通から、間之町通を南に約40m進みました。
ここは、「かに船満」というカニ料理屋です。
と言っても、だいぶ前に閉店しています。
ただ、このカニの看板はよく目立ち、七条通からでも見えます。


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「かに船満」の向かいに、このような看板がありました。
これはプラスティック製なので、新しいものです。
「下京区間之町花屋町下る 天神町」とあります。
つまりここは間之町通沿いで、花屋町通より南になります。


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「かに満満」から、間之町通を南に約30m進みました。
先ほどの看板に「天神町」とありましたが、
この町内に「文子天満宮」(あやこてんまんぐう)があります。
この日は祝日(2月11日)ということもあって、
「日の丸」が上っています。


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文子天満宮を入ったところの左(南)に、手水舎がありました。
こちらも、龍をあしらっています。


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手水舎の向かいに、白滝稲荷神社があります。
先ずは、こちらから参拝です。


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白滝稲荷社の西隣に老松社・福部社・白大夫社がいらっしゃいます。
そして、こちらにも参拝です。


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さらにその西側には、多治比文子の像がありました。
菅原道真の乳母ですから、
もっとお年を召したイメージがあるのですが……


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そして、こちらが文子天満宮の本殿です。
ここは、元々菅原道真の乳母多治比文子の邸宅でした。
菅原道真の死後、夢に現れた菅原道真の言葉を受けて、
多治比文子が自宅に祠をたてたのが始まりです。
実は、その前後に京都では
藤原氏の貴族や醍醐天皇らが次々変死して、
更に疫病も流行り、
多くの人々が菅原道真の祟りを恐れていました。
それがこの祠をたてた途端に収まりました。
その祠はのちに菅原道真の邸宅跡に移され、
それが今の北野天満宮になりました。
(ただし、「天神信仰」自体は奈良時代からあります)


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本殿の南側の「文子殿」です。祭神は、もちろん多治比文子です。
今ではなぜか「縁結びの神」として信仰を集めています。


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では、文子天満宮を出て間之町通をさらに南下します。


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文子天満宮から、間之町通を南に向いています。
約50m先に、上数珠屋町通があります。


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文子天満宮の南側に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
また、こちらも参拝します。


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間之町通から、上数珠屋町通を西に向いています。
約200m先に東本願寺が見えます。
(前々回ブログで紹介した僧侶の銅像がある辺りになります)


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今度は、上数珠屋町通を東に向きました。
右(南)側の土塀は、渉成園のものです。
その先で、工事中のため道路が封鎖されています。
(更新日の2013年3月2日現在も、封鎖されています)


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上数珠屋町から、間之町通を南に向いています。
ここの道幅が急に太くなったのは、
明治時代~大正時代ここに路面電車が通っていた名残です。
では、ここを南下して渉成園の入り繰りに向かいます。


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上数珠屋町通から、間之町通を南へ100mほど移動しました。
いよいよ渉成園の入り口です。
……と思ったらこの時点で午後3時半、渉成園が閉まる時間です。
仕方がないので、今回はここまででにして
この続きは後日に訪問です。

~次回は、渉成園から京都駅に向かいます~

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第111回 桜間近の渉成園~京都駅前散策~その5

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前回ブログで、目前に閉まってしまった渉成園です。
日を改め、翌週に再挑戦です。
今回はまだ午後2時なので、今日は中に入れます。
撮影日は、2013年2月17日日曜日。
晴れていましたが、かなり寒い1日でした。


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渉成園の門をくぐりました。
この右(南)に受付があって、そこで500円以上払って中に入ります。
ここは東本願寺の別邸で、
江戸時代はこの辺りまで東本願寺の境内が続いていました。
今も東本願寺が管理していて、
「真宗大谷派の門徒ですか?」と聞かれました。


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門をくぐったところにある枝垂桜です。
このブログを書くようになってたくさん見てきましたが、
これはなかなかの枝ぶりです。
ここは、京都随一の桜の名所でもあります。


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枝垂桜を通り過ぎた後、いったん北に向かっています。
今でこそきれいに整備されていますが、
昔はここはもっと荒れていました。
自分が子供のころは「これ幸い」とここに友人と遊びに来ていました。
(当時から市街地の遊び場は少なくて、自転車でわざわざ来ていました)
もちろん、当時はタダで入れました。


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渉成園境内にも、棕櫚(シュロ)の木がありました。
幹が蛇の皮膚に似ているので、宗教的意味を持つ木です。


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では、いよいよ渉成園内部に入っていきます。
ここの桜も、見事な木ですね。


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庭園北門をくぐると、向こうに桜の木が並んでいます。
もうすぐここも、一面に桜の花が咲き乱れます。


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では、渉成園を散策します。
先ずは北の端を東へと進みます。


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ここは渉成園の北西端臨池亭と滴翠軒です。
池越しの風景が見事です。


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臨池亭と滴翠軒の前にある池には、鯉がたくさん泳いでいました。
そのうちの何尾かを撮りました。


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では、臨池亭と滴翠軒を通り過ぎ、桜並木を抜けます。
つまり、東へ東へと向かいます。


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ここは、先ほどの池から流れ出た川です。
この辺りも、もうすぐ絶景になります。


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桜並木を抜けると、このような窪みがありました。
ここは、「亀の甲の井戸」という井戸です。


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先ほどの写真の位置からこの辺りまで、
山茶花の花が咲いています。
ただ、この辺りは人が少なくなりました。
更にここを東へ進みます。


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渉成園の東端まで来ました。
この塀の向こうは、河原町通です。
風景自体は寂しいのですが、
実はこの辺りは自動車の騒音がかなり大きくなります。
今度は、右(南)側の土手を越えていきます。


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土手を越えると、こうなります。
目の前の池は、印月池といって渉成園の南半分に広がります。
なかなかの風景ですが、
少し上を見たら京都タワーや高層ビルが見えます。
この写真はクリックすると、拡大されます。


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同じ地点から、少し東の方を見ました。
この橋は、「回棹廊」といいます。
今から、ここを渡ります。


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「回棹廊」の上から撮りました。
では、今度はこの浮島の方に向かいます。


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浮島を南の方に歩いています。
向こう岸に、先ほどの桜並木が見えます。


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浮島の南端に、橋が架かっています。
では、この「侵雪橋」を渡ります。



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侵雪橋を渡っています。
松林の向こうに、閬風亭(ろうふうてい)が見えます。
今からそちらに向かいます。


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侵雪橋から、印月池の方を向きました。
南西の方角なので、ここからも京都タワーが見えます。


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侵雪橋を渡りました。
ここからは、松林と桜並木を通り抜けて
最西端に向かいます。


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最西端に出た後、少し南に向かいます。
目の前に、閬風亭が見えてきました。


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閬風亭の縁側に座り、東を向いています。
印月池に浮かぶ南大島と石塔が見えます。
ここと先ほどの北大島は、「御土居」の跡とわかっています。
豊臣秀吉が京都を囲むように作った土製の城壁跡です。
ちなみに、もともと高瀬川はもっと西の方を流れていたのですが、
この渉成園を造営するために
高瀬川の流れを今の位置に付け替えさせました。
当初の高瀬川は、現在は土手町通という道になっています。
(河原町通は、もっと後にできました)
この写真も、クリックすると拡大されます。


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では、最西端を北に進み、桜並木を抜けます。


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更に、庭園北口から外に出ます。


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庭園北門付近の駐車場に、三毛猫がいました。
毛並みがいいので、この辺で飼われているのでしょうか?


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ただ、5m以内に近づくと、さっさと逃げました。
もしかして、この渉成園で飼われているのでしょうか?


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そして、この渉成園から外に出ます。
警備員と受付の方がとても丁寧で、
自分が出るときもきちんと一礼をしてくださいました。


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渉成園の入り口から、間之町通を南に向きました。
今からこちらを進み、京都駅を目指します。


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渉成園の入り口から、間之町通を南に約100m進みました。
ここは、下数珠屋町通との交差点です。
左(東)側に下京年金事務所があり、
さらに下数珠屋町通を挟んだ南側に下京渉成小学校があります。
(かつての京都市立皆山中学校です)


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間之町通から、下数珠屋町通を東に向きました。
右(南)側に下京渉成小学校のグランドが見え、
さらにその東にNTT七条ビルが見えます。
河原町通を越えて、ここから約200m先でこの道は突き当ります。
そのあたりに、かつて高瀬川が流れていた土手町通があります。


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今度は、間之町通から下数珠屋町通を西に向きました。
この角のお寿司屋さんは、京都でも屈指の名店です。
握りずしもおいしいですが、
ここの恵方巻きはゴボウと穴子の入ったなかなかの絶品です。
(その巻きずしは、節分のとき限定らしいです)
では、今度はこちらを進みます。


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間之町通から、下数珠屋町通を約50m進みました。
ここは、東洞院通との角です。
この辺りから、また東本願寺の門前町になります。
真宗大谷派門徒のための旅館が軒を並べます。


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東洞院通と烏丸通は、約50m離れています。
この二つの道の間に、また仏具屋さんが並んでいます。
下数珠屋町通は、烏丸通で突き当ります。


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烏丸通まで来ました。ここで、下数珠屋町通が突き当ります。
向こうに見えるのは、東本願寺の阿弥陀堂門です。
第107回ブログでは、ここから東本願寺の境内に入りました。
さらにその向こうに、修復中の阿弥陀堂が見えます。


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下数珠屋町通から、烏丸通を南に向きました。
少し先で、烏丸通を分岐しています。
ここをまっすぐ進むと不明門通になり、
烏丸通は右(西)に分かれていきます。


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下数珠屋町通から烏丸通を南に約50m進み、
七条烏丸の交差点に来ました。
右(西)側に、ヨドバシカメラビルや京都タワーが見えます。
京都駅まで、もうすぐです。


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烏丸通を進み、七条通より南を越えました。
あと50mで、京都駅ですね。
写真の枚数も増えてきましたので、今回はここまでとします。

~次回は、……まだ未定です。
桜が咲いたら行きたいところも多いのですが、
それまで何回かありますし……~

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第591回 盆休みの京都タワー~京都駅から島原へ~その1

[京都タワー] ブログ村キーワード

前回ブログで、ようやく2018年祇園祭の連載が終わりました。
その後は、この時期の例年通り夏休み散策に出かけます。
まぁいろいろ考えたのですが、「京の夏の旅」企画に乗っかって
炎天下の島原に向かいます。
ただその前に西本願寺に立ち寄る予定にしたのですが、
それをするくらいならと京都駅から始めたいと思います。


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本当は徒歩圏内なのですが、
わざわざ奈良線「東福寺」駅から京都駅に来ました。
8番ホームから高架橋で塩小路へと移動し、
正面口改札から北に出ました。
今回は、目の前に見える京都タワーに登ります。
撮影日は、2018年8月13日月曜日午後1時47分。
ちょっと出発が遅れました。


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京都駅舎から出て、北を向いています。
駅舎北側に市バスターミナルがあって、さらに北が京都タワーです。
では、今からあちらのタワーの赤い楕円形の部分に行きます。


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京都駅北市バスターミナルの脇を歩いています。
この辺りは、206系市バスなど東大路方面の停留所です。
停留所の上の方から、ミストが降り注いでいます。
2018年は7月は体温(37℃)を越える日々が続きましたが、
8月に入って少し暑さが和らいできました。
それでも最高気温が35℃を越える日々が続いています。


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京都駅前で北に伸びる歩道は、市バスターミナルの東側を進み
約50m先の塩小路でいったん突き当たります。
その東側約10m先に、「塩小路烏丸」交差点があります。
こちらは、烏丸通編第216回ブログ
塩小路編第290回ブログに出てきましたね。
では信号が青に変わりましたので、
「塩小路烏丸」交差点で塩小路を渡っていきます。


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横断歩道の先に、京都タワーへの入り口があります。
そう言えば、数年ぶりにお化け屋敷が復活しています。


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先程の入り口を入ると、このように土産物屋さんが並びます。
昨年(2017年)の途中まではこちらは観光デパートだったのですが、
今はKYOTO TOWER SANDOとして生まれ変わりました。
まぁ観光客や修学旅行生対象の土産物屋街ということは
前と同じなのですが。


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KYOTO TOWER SANDOの1F西側が、京都タワーの切符売場です。
例年にない長い行列ですね。
実は、京都タワーそのものよりもお化け屋敷に人気がありました。


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こちらが、京都タワーのチケットです。
夏休みなので、TVのアニメ番組とのコラボ企画があるようです。


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先程の切符売り場の西側に、階上へのエレベーターがあります。
そちらに乗って扉が開きました。
KYOTO TOWER SANDOの階上に京都タワーホテルがありますが、
こちらはさらに階上の部分です。
先程の写真で写っていた蝋燭の赤い燭台の部分で、
京都タワーの最下層にもなります。
右側の行列はお化け屋敷の順番待ちで、
この時点で「40分待ち」の札が出ていました。


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お化け屋敷にいかない自分は、待ち時間0秒で
向かいのエレベーターに向かいます。
こちらから、京都タワーの上層に向かいます。


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エレベーターで京都タワーを約100m上昇しました。
エレベーターの扉が開き、いよいよ京都タワー展望台に向かいます。

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先ずは、京都タワー展望台の南側に向かいました。
あちらに、京都駅が見えます。
今回ブログ最初の地点を反対側から見ています。
ずっと南に烏丸通が伸びています。


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そのとき、名古屋方面から新幹線が入ってきました。
向こうに、大谷中学校・高等学校のグランドと校舎が見えますね。
(第221回ブログを参照)


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その北側の塩小路を撮っています。
鴨川の先にある手前の緑地は三十三間堂で、その奥が智積院です。


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写真中央に、清水寺が見えます。山奥にあるのが分かりますね。
(周囲が住宅地で、その場所にいると気づきませんが)
こちらの多宝塔はとても大きくて、
京都市街地からでもよく見えます。
(第405回ブログで五条通に架かる歩道橋などのことです)


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その北側を撮りました。霊山観音八坂の塔が見えますね。
左(北)の端に、知恩院が見切れて写っています。


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京都タワー展望台の北側に回ってきました。
烏丸通が、ずっと先まで伸びていますね。
目の前に大きく見える寺院は、東本願寺です。


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その西側を撮りました。
右(東)側の端で、東本願寺が見切れていますね。
写真中央は、これ以降の回で向かう西本願寺です。


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そして、京都タワー展望台の西側に回り込みました。
向こうに見える緑地が梅小路公園です。


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京都タワー展望台を1周しました。次は、この階段を降ります。
向こうに見えるのは、東本願寺ですね。


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京都タワー展望台は2層構造なのですが、その階下部分に来ました。
元来はここは何もないのですが、
この日(2018年8月13日)は結構混んでいました。
お化け屋敷開催の関係で階下の写真サービスがここに上がってきて、
それでこの人混みになったようです。


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京都タワー展望台階下部分に、こちらがありました。
京都タワーのゆるキャラたわわちゃんのガチャと
ジュースの自動販売機ですね。


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このあと島原まで歩くので、ここでちょっと休憩です。
こちらを飲む間、この辺で一休みしました。


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本当なら展望台の階下部分は東寺がよく見えるのですが、
写真サービスのパーティションで見えませんでした。
それで、このまま下に降りることにしました。
この下へは、このエレベーターで降ります。


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エレベーターが、京都タワーの下に降りてきました。
周囲は、まだお化け屋敷の順番待ちですね。


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ただ自分はお化け屋敷にいかないので、そのまま進みます。
すると、脇にこのような蝋人形がありました。
普段とはだいぶ仕様が違います。


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蝋人形のさらに先に進みます。
昨年(2017年)までなら、ここから
1F下のビアガーデンに続く階段に行けたのですが、
そこが今年(2018年)は封鎖されていました。
ですから、ここからそのまま1Fへとエレベーターで降ります。


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KYOTO TOWER SANDOの1Fに降りてきました。
向かい(南)側のエレベーターは、ビアガーデン専用のものです。
今年(2018年)は京都タワーとビアガーデンが完全に分かれています。


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先程の写真からKYOTO TOWER SANDOを通り抜け、
先ほど通った入り口前に来ました。
本当はその途中も撮影したのですが、
たくさんの人の顔を写したので廃棄します。


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KYOTO TOWER SANDOを出て、「塩小路烏丸」交差点にいます。
今、塩小路から烏丸通を北に向いています。
では、こちらを進んでいきます。


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塩小路から、烏丸通を約50m北上しました。
ここで烏丸通は、木津屋橋通と交差します。


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烏丸通から、木津屋橋通を西に向いています。
左(南)側にはマクドナルドがあって、
右(北)側は京都ヨドバシカメラですね。
では、ここからは近道でこちらに向かいます。


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烏丸通から、木津屋橋通を西に歩いています。
京都ヨドバシカメラの入り口は、
北側と先程の交差点付近にしかありません。
その代わり、ヨドバシカメラの南側と東側には飲食店が並びます。
さらに、この道の南側も京都タワービルの北側なので
そちら側にも様々な飲食店のテナントが入っています。
ですからこの辺は京都でも屈指の飲食店街なのですが、
その中でもヨドバシカメラ側にあるこちらは、特に名店ですね。
こちらのバーは、ヱビスビールの直営店です。
なかなかにおいしいお店ですが、ちょっと値段は高め設定です。
と言いましても、お金がないときは自分はビール2杯と
ポテトサラダだけで済ませますが、
それだけで飲食すればそんなに高いお店ではありません。


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ヱビスビールの2軒西には、HUBというスポーツバーがあります。
自分の大好物ギネスビールが美味しいお店なのですが、
野球中心でサッカーはまったく流してくれません。
2018年のW杯すら1試合も放映されませんでした。
その代わり、同じHUBのCOCON烏丸店はサッカー専門です。
京都サンガの試合をよく放映してくれるので、
そちらの常連になっています。
そのHUBの西側で京都ヨドバシカメラの店舗が途切れ、
別の道と交差します。


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烏丸通から木津屋橋通を約100m西進し、その辻で北を向きました。
この南北に伸びる小路は、特に名前がありません。
左(西)側に小さなお店が見えますがこちらは立ち呑み屋さんです。
京都にも何軒か立ち呑み屋さんありますが、
そのうちの何軒かはこの辺の小路や路地に集中します。
右(東)側は、先ほどの京都ヨドバシカメラです。
ヨドバシカメラの西側は、配送トラックが出入りする場所です。


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木津屋橋通から、その小路を約30m北上しました。
自分がYOHOO知恵袋でよく紹介している日本館が
向こうの辻に建っているのが見えます。
左(西)側は、約30年前から駐車場でした。
右(東)側は、ヨドバシカメラの西側ですね。


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その辺りで、今度は西に向きました。
(京都ヨドバシカメラを背にしています)
駐車場の間に道が西に伸びています。
実は、ここもこの駐車場より先(西)は飲食店街です。
さらに、こちらを進んでいきます。


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先程の道から西に進み、飲食店街に入ってきました。
その中でも、こちらも相当美味しい名店です。
「石庵」と書いて、「いっしゃん」と読みます。
中に入ると焼いた高温の石が差し出され、
その上に肉や魚を載せて焼いて食べるお店です。
個人的には、マグロは刺身よりしっかり焼いた方が好きです。
事実ここで焼いたときは、刺身よりも旨味が増していました。
また、ここのご飯は1人分ずつその場で炊いてくれます。
ここの釜の底のご飯のおこげは、絶品ですね。


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「石庵」の前で西を向きました。約100m先に新町通が見えます。
右(北)側に、URが経営する賃貸住宅が建っています。
その1Fに、第507回ブログで訪れたエビスクが
テナントとして入っています。
数年前までこの位置からでも入れたのですが、
そこは閉鎖されて西側からしか入れなくなりました。
(駐輪所になっている辺りから、以前は入れました)


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先程位置から約100m西に進みました。ここで新町通と交差します。
右(北)側のエビスクにはこちらから入ります。
今開店中のようで、ちょっと賑やかですね。
では、ここから新町通を北上して正面通で左折し
正面通から西本願寺に行きたいと思います。
ただ今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、
ここまでとします。

~次回は、「ご縁町」経由で西本願寺に向かいます~

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第592回 西本願寺前ご縁まち~京都駅から島原へ~その2

[ご縁まち] ブログ村キーワード

西本願寺の東側正面通周辺を「ご縁まち」と言います。
元は西本願寺の寺領だった土地で、
現在も仏具店が立ち並ぶ独特な街並みが続きます。
「西本願寺を散策するなら、ここを通らないと」
そう考えて、今回の連載記事を京都駅からの始まりにしました。


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前回ブログで、京都タワーからその北側の小路をくねくね曲がり、
右(北)側に地域スーパーのエビスクが見える位置に来ました。
今回は目の前の新町通を北上し、
正面通経由で西本願寺の東側の門前町「ご縁まち」に向かいます。
撮影日は、2018年8月13日月曜日午後2時半。
曇りの多い日でしたが、この時間は晴れ間が出ました。


592-2.jpg
先程の位置からそのまま新町通を出て、北を向きました。
右(東)側に、エビスクの「鮮魚」と書かれた電光掲示板が見えます。
では、この新町通を北上します。
(第507回ブログ後半とほぼ同じコースを歩みます)


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エビスクから、新町通を約20m北上しました。
こちらは507回ブログに出て来ましたが、何の花か分かりません。


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その花の前で、新町通を北に向きました。
目の前で、新町通は七条通と交差します。


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新町通から、七条通を東に向いています。
約200m先に、京都駅前ともいえる「七条烏丸」交差点があります。
この「七条新町交差点」を中心に、
東は向こうの「七条烏丸」交差点辺りまで
お酒を呑ます飲食店が建ち並んでいます。
この写真中央に見える京町屋も、全て飲食店です。
その中の一軒が、第508回ブログでも立ち寄った北側の茶花です。
一応お好み焼き屋さんですが、
京料理を中心にしたお惣菜を出すお店です。


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そして、新町通から七条通を西に向きました。
こちら側も、約100m先の西洞院との交差点まで呑み屋街です。
またこの辺りは築100年前後の洋館も多く、
写真中央の白い洋館は、文化庁登録有形文化財です。
その西側から、若宮通が北に伸びています。(第508回ブログを参照)


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では、「七条新町」交差点を北に渡ります。
いつの間にか、晴れ間が見えてきましたね。


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横断歩道を渡り、「七条新町」交差点北東角で西を向いています。
ここから新町通は、自動車がやっと1台通れる道幅になります。
(通常の京都の道幅ですね)
「七条新町」交差点北西角に京町家が並んでいますが、
手前が焼肉屋で、奥が海鮮居酒屋の「ニューエビスノ」です。
「ニューエビスノ」も、第508回ブログで立ち寄りました。
こちらは、マグロのカマ焼きが名物です。


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七条通から、新町通を北に向いています。
ここから、新町通界隈の雰囲気が変わりますね。
では、ここを北上します。


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七条通から、新町通を北上しています。
その辺りで東を向くと、駐車場の先に大きな寺院が見えます。
あちらは、東本願寺ですね。


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さらに、新町通を北上しています。
この辺りは、昔ながらの京町家が建ち並ぶ街並みです。


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その一角に、浄土真宗本願寺派覚林寺があります。
境内に取材すれば分かるのですが、詳しい沿革は現状分かりません。


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七条通から、新町通を約150m北上しました。
こちらにも、浄土真宗本願寺派妙覚寺があります。
東本願寺に接しているのでその塔頭寺院と思っていたのですが、
西本願寺の系列寺院のようです。
こちらは、ホームページを開設されています。
詳しくは、こちらをクリックしてください。


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明覚寺の前で、新町通を北に向いています。
約50m先に浄土真宗本願寺派金寳寺が建っていますが、
そこから左(西)へ正面通が伸びています。
正面通はたびたび途切れて、新町通から西に伸びています。


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浄土真宗本願寺派金寳寺の前で、新町通から西を向きました。
ここから西に伸びるこの道が、正面通です。
ずっと向こうに、西本願寺が見えています。
今度は、こちらを西に進みます。


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新町通から、正面通を西に歩いています。
こちらの青い町家は、ちょっと拘りのコーヒーを出すお店です。
だいぶ心惹かれましたが、急いでいるので先に進みます。


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新町通から、正面通を約50m西に進みました。
ここで正面通は、若宮通と交差します。
第509回ブログではこの左(南)側の若宮通から来てここで折れ、
正面通経由で西本願寺に向かいました。
今回も、ここからそのときと同じ道を辿ります。


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「正面若宮」の辻北西角の京町家に、こちらが置かれていました。
魔除けの鍾馗さんですね。京町家の屋根によく見かけます。


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若宮通から、正面通を西に向いています。
右(北)側に、小さな祠が見えていますね。


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こちらが、その蛭子(えびす)神社です。
とても小さな神社で、この裏は住宅地で神社ではありません。
では、こちらにお参りして先へ進みます。


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こちらは、蛭子神社の向かい(南)側です。
こちらは一見すると寺院なのですが、仏像の製作所です。


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その位置で、正面通を西に向きました。
ここで正面通は、西洞院通と交差します。


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正面通から、西洞院通を北に向いています。
明治時代京都駅から西洞院通経由で市電が開通したため、
西洞院通はちょっと道幅が広がります。


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西洞院通から、正面通を西に向いています。
右(北)側はかつての京都市立植柳小学校ですが、
京都市街地の人口減少で他の小学校同様廃校になりました。


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京都市立植柳小学校跡の向かい(南)側は、児童公園です。
たくさんの児童が遊んでいましたが、その辺りは撮れません。


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西洞院通から正面通を西に約50m進みました。
京都市立植柳小学校跡地の西側で、
正面通は東中筋と交差しています。


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その東中筋から、正面通を西に向いています。
「ご縁まち」が近くになり、西本願寺関連施設や仏具店が増えます。
左(南)側の洋館は西本願寺伝道院で、
浄土真宗本願寺派僧侶の修行・教化に利用されています。
元は1895年建造の浄土真宗本願寺派門徒専用の生命保険会社でした。
伊藤忠太が設計し、竹中工務店が建設しました。


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西本願寺伝道館が石柱に囲まれていて、
その上部に石像が付いています。
手前のものは象の像ですが、
その向こうはガーゴイルの像でしょうか?
ただ、いくつかは経年劣化で壊れています。


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こちらは、その西本願寺伝道院の向かい(北)側です。
仏具店が、何軒も並んでいますね。
この先で、正面通は油小路と交差します。
おそらくですが、もうこの辺りから西が
西本願寺の門前町の「ご縁まち」なのだと思います。


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油小路から、正面通を西に向いています。
ここから約30m先に、西本願寺の総門が見えますね。

ここから左(南)に約150mが、「七条油小路」交差点です。
その辺りが、油小路の変の現場です。
(伊東甲子太郎暗殺現場は、もう少し南の油小路木津屋橋下るです)
つまり、良くも悪くも新撰組はこの辺りに多く出没していました。


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正面通から、油小路を北に向きました。
「ご縁まち」である周辺に、仏具店が並んでいますね。
ここから約1㎞北上すると、第582回ブログの
祇園祭前祭の太子山の前に出ます。


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油小路から正面通を西に向いています。
仏具店に囲まれて、もう完全に「ご縁まち」の中ですね。
では、ここから目の前の西本願寺総門に向かいます。


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こちらが、重要文化財の西本願寺総門です。
ここで正面通は一旦突き当たり、「ご縁まち」もここで終わります。
元々は西本願寺の入り口だったのですが、
明治時代半ばの堀川通拡張工事により、
堀川通で西本願寺境内と分断されてしまいました。

つまり元々の堀川通は、現在の堀川通東側歩道だけでした。
これは特別という訳ではなく、
自動車が普及する前の日本の道はこのくらいの幅でした。


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西本願寺総門をくぐり、西を向きました。
ここでこの横断歩道を渡り、堀川通を越えます。


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横断歩道で、堀川通を西に渡りました。
その突き当りに、西本願寺御影門があります。
ここをくぐり西本願寺境内を取材しようと思いますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
以降は、次回です。

~次回は、西本願寺を散策します~

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第593回 夕立前の西本願寺~京都駅から島原~その3

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「堀川正面」交差点で、西を向きました。
ここで正面通はいったん突き当たり、
西本願寺御影門が聳え立ちます。
今回は、このまま西本願寺境内を散策します。
撮影日は、2018年8月13日月曜日午後2時半。
急に雲行きが怪しくなりました。


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西本願寺御影門をくぐると、すぐに白壁が立ちはだかります。
ちょっと見るとここで突き当りに見えますが、
本堂に当たる御影堂や阿弥陀堂はこの塀の向こうにあります。


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西本願寺御影堂をくぐった地点で、北を向きました。
この先に、総合案内所があります。
西本願寺境内を参拝する際は、ここが起点になります。
こちらは各施設への案内も行いますが、
参拝前にちょっと休憩するスペースがあって、
さらにたびたび行われる「境内案内ツアー」の起点にもなります。
(境内のツアーの詳細は、第510回ブログ参照)
ですから今回もこちらに向かいますが、
空が急に厚い雲に覆われだしました。


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西本願寺総合案内所を北に抜けました。
この総合案内所では自動販売機でジュースを買って、
中の縁台に座って5分ほど休憩しました。
右(東)側が、西本願寺阿弥陀門です。
西本願寺のもう一つの正門ですね。


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西本願寺境内で阿弥陀門の前に立って、西を向きました。
石畳の道のずっと先に、西本願寺阿弥陀門が見えます。
では、この石畳の道を進んでいきます。


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その石畳の道を西に進み、西本願寺阿弥陀堂の前に来ました。
この階段を上れば堂内に入ることができますが、
この中は撮影禁止です。

西本願寺に限らず、東本願寺佛光寺など浄土真宗の本山は、
阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂と親鸞を祀る御影堂と
本堂が二つあるのが特徴です。


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西本願寺阿弥陀堂で、阿弥陀如来像に参拝しました。
午後3時が近づき法要と講話が始まるのですが、
それに参加したら午後4時を回ります。
そうすれば島原輪違屋の特別公開が終わってしまいます。
ですから、泣く泣く阿弥陀堂を去りました。

西本願寺阿弥陀堂を出て、廊下を撮っています。
こちらに、板の木目が腐ったところを修理した跡があります。
大工さんがその際、遊び心で様々な形にしています。


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他の浄土真宗の本山同様、
西本願寺も二つの本堂が渡り廊下でつながっています。
では西本願寺阿弥陀堂からその渡り廊下を南下して、
もう一つの本堂御影堂に向かいます。


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西本願寺御影堂も、内部は撮影禁止です。
御影堂は、親鸞像と「見真」という扁額が祀ってあります。
(親鸞は、「見真大師」とも呼ばれます)
御影堂で参拝した後、御影堂を南側に抜けました。
その辺りの欄干越しに、さらに南を見ています。
門徒の読経・参拝施設の龍虎殿が右(東)側に見えます。
目の前の塀の向こう(南)側は、
北小路越しに興正寺があります。


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同じ場所で、南東側を撮りました。
あちらが国宝の飛雲閣ですすが、現在修復中です。
第510回ブログでは修復の様子が公開されていましたが、
この日(2018年8月13日)は非公開でした。


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今度は、東の方を向きました。
ずっと向こうに、今回ブログ最初の御影門が見えますね。


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回廊を歩き、西本願寺御影堂の東側に回り込んできました。
では階段を下りて、石畳の道に戻ります。


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御影堂の階段を下りて、西本願寺境内を東に歩いています。
塀の手前に銀杏の木が立っていますが、
こちらは天明の大火にも耐えた樹齢300年以上の古木です。
京都市下京区の象徴が銀杏の葉なのは、こちらに由来します。


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さらに西本願寺境内を東に進みました。
目隠し塀と呼ばれる白壁(こちらも重要文化財)の向こうは、
今回ブログ最初に出て来た西本願寺御影門です。
これで、西本願寺境内を1周しました。
では、こちらから西本願寺を出ます。


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西本願寺御影門を出て、堀川通を北に向いています。
前回ブログで紹介させていただいた通り、
この辺りは西本願寺の門前町なのですが、
こうも雲が厚いと何が何やら訳が分かりません。
実は、撮影中もゴロゴロ雷が鳴り続けていました。
夕立が間近なようです。


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西本願寺御影門から、堀川通を約100m北上しました。
こちらに、先ほど出て来た西本願寺阿弥陀門があります。


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西本願寺阿弥陀門から西を向き、西本願寺境内を見ています。
先程のここをほぼ真西に進み、阿弥陀堂に向かいました。


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その西本願寺阿弥陀門から北を向き、
堀川通沿いにある市バスの「西本願寺前」バス停を見ています。
今回の連載記事ではここから花屋町通を西に進み
島原大門前に至るのですが、
この時点で夕立が降ってきました。
雨傘を持っていたので自分の体やカメラは無事だったのですが、
分厚い雲の下では明度が低く写真が真っ黒けになってしまいました。
(つまり、このブログで採用できる写真は撮れませんでした)
仕方ないのでこの日(2018年8月13日)の写真撮影を諦め、
ここから先は後日に撮り直しました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、島原商店街経由で島原に入ります~

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第594回 嶋原商店街散策~京都駅から島原へ~その4~

[嶋原商店街] ブログ村キーワード
594-1.jpg
前回ブログの最後の写真と同じ、「西本願寺前」バス停前です。
前回より6日経って、すっかり快晴ですね。
今回は、ここから島原に入っていきます。
江戸時代末期に、新撰組の隊士が闊歩した場所ですね。
撮影日は、2018年8月19日日曜日午後2時半。
7月ほどではありませんが、まだまだ暑い日が続きます。


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そのバス停の前で、南西に向きました。
向こうに、西本願寺阿弥陀門が聳え立っています。
前回ブログでそちらにお邪魔しました。


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さらに同じ位置で、北を向きました。
西本願寺の東側は、堀川通に接しています。
その堀川通の向かい(東)側は、西本願寺関連で仏具店が並びます。
(第592回ブログを参照)
では、こちらを北上します。


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「西本願寺前」バス停前から、堀川通を約50m北上しました。
西本願寺北東端に、重要文化財の太鼓楼があります。
新撰組が闊歩したころには、
時報のための太鼓が2時間に1度鳴らされていました。
新撰組が西本願寺にいた跡は
全て焼失や破壊されていて何も残っていないのですが、
唯一の例外がこちらの太鼓楼です。
こちらにも新撰組隊士が生活していたらしく、
当時の刀傷などが今もきちんと残っています。


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その太鼓楼の前で、堀川通を北に向きました。
ここで堀川通は、花屋町通と交差します。
ここから北に伸びる堀川通は6車線となり、
五条通と並ぶ京都市街地最大の道となります。


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堀川通から、花屋町通を東に向いています……
と言いたいところですが、ここからではよく分かりません。
向こうに見えるローソン付近が堀川通以東の花屋町通です。
歩道の付いた2車線の道なのですが……
(第513回ブログを参照)


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堀川通から、花屋町通を西に向いています。
横断歩道が斜めなのは、花屋町通以北の堀川通が
4車線から6車線になった影響です。
では、西本願寺の最北端の道を西に進んでいきます。


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堀川通から、花屋町通を西に約100m進みました。
ここに横断歩道があって、西本願寺から人が出入りしていますね。


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その横断歩道で、南を向きました。
こちらは西本願寺の伝道本部で、他の寺院の寺務所に当たります。
この南隣が西本願寺阿弥陀堂で、自動車で参拝に来られた方々は
横断歩道からこちらの脇を通って境内に入っていかれます。


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今度は、横断歩道の北側を見ています。
この先に見える広場が、西本願寺の駐車場です。
さらに見える(東)側に見えるのが、
聞法会館という西本願寺の施設です。
中には結構おいしい飲食店が入っているのですが、
時間がないので素通りします。


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その横断歩道の前で、花屋町通を西に向きました。
左(南)の白壁の向こうは西本願寺ですが、
右(北)側の白壁の向こうは西本願寺の駐車場です。
では、またここを進んでいきます。


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その横断歩道から、花屋町通を約100m西に進みました。
ここで花屋町通は、猪熊通と交差します。


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花屋町通から、猪熊通を北に向いています。
ここから約2㎞先が三条会商店街の中に出て、
三条通との辻に魏飯夷店が建っています。
個人的に、京都市街で一番おいしいと思っている中華料理店です。


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猪熊通から、花屋町通を西に向いています。
では、またここを西に進んでいきます。


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猪熊通から、花屋町通を西に約50m進みました。
左(南)側に見える高い石垣は、西本願寺の塀です。
右(北)側は、約30年前まで京都市立淳風小学校でした。
今はこの地域の方々が体育館を利用されています。
季節柄、百日紅(さるすべり)の花が盛りですね。


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猪熊通から、花屋町通を西に約100m進みました。
ここで花屋町通は、大宮通と交差します。


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花屋町通から、大宮通を北に向いています。
大宮通は、歩道の付いた4車線の道です。
約900m先に「四条大宮」交差点があって、
その交差点の地下に阪急電車「大宮」駅があります。


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同じ場所で、大宮通を南に向きました。
左(東)側の塀の向こうは、西本願寺です。
ここをずっと南下すると約500m先に京都水族館があって、
さらに500m南下するとここからは見えませんが東寺があります。
約10m先に筋違いの横断歩道があって、
その先に「島原口」バス停が見えます。
つまり、この大宮通より西がかつての京都の花街「島原」です。


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その横断歩道の袂に、こちらの標識が立っていました。
七条通や五条通といった大通りとの位置関係が、よく分かりますね。


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では、信号が変わりましたので大宮通の横断歩道を渡ります。
ここから西の花屋町通が、今回ブログのメイン嶋原商店街です。


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大宮通から、花屋町通を西に向いています。
こちらが嶋原商店街です……と言いたいのですがどこも休業です。
左(南)側の牛乳販売所は開いていますが、
その奥(西)側の京町家の商店は、どこも休業のようです。
まぁ、日曜日ですからね。


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こちらが、その京町家の商店です。
普段は畳屋さんとかですが、どこも閉まっています。
それは、向かい(北)側の店舗も同じです。


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大宮通から、花屋町通を西に約20m進みました。
ここで花屋町通は、南北の道と交差します。


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花屋町通から、その道を北に向いています。
おそらくこの道には、名前がありません。
ちなみに、この道は約600m先の松原通で突き当たります。
(第26回ブログに出て来た「keep out」と書かれた
黄色いテープが張られた寺院の脇の道のことです)


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今度はその道から、花屋町通を西に向いています。
手前にいつもは安い八百屋があるのですが、
やはりこの日は休業でした。


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先程の道から、花屋町通を約50m西に進みました。
櫛笥通との辻に、こちらのお店がありました。
琵琶湖が商標のようですが、近江牛の販売店です。
しかも、ホルモンが一通り全部あるようです。
これは、いい店を見つけました。
この日は日曜日で休業でしたが、
別の日に買いに来て、ホルモン鍋の具材にします。


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櫛笥通から、花屋町通を西に向きました。
う~ん、どの店も閉まっていますね。
仕方がないので、このまま西に進みます。


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櫛笥通から、花屋町通を西に約10m進みました。
こちらに、和菓子屋の伊藤軒老舗があります。


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こちらが、伊藤軒老舗の店内の様子です。
こちらは、和菓子販売以外にも茶店もやっているようです。
この日(2018年8月19日日曜日)は暑かったので、
かき氷や冷やしあめをこちらで頂けるようでした。


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とは言え、こちらの名物はずっと太夫最中です。
ここで買った後、家に帰ってからこちらを撮影しました。
緑茶を切らしているので、紅茶を日本茶風にして飲みました。


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こちらが、その太夫最中です。
最中の皮の中は、とても粘り気のある漉し餡です。
その餡が、パリパリした最中の皮に合いますね。


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伊藤軒老舗の前で、花屋町通を西に向きました。
この商店街は観光客目当てのお店も多いのですが、
この辺りは化粧品店など地域住民が利用するお店も多いですね。


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櫛笥通から、花屋町通を西に約120m進みました。
右(北)側の洋品店は、日曜日でも開いていました。
そして、ここで花屋町通は壬生川通と交差します。


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花屋町通から、壬生川通を北に向いています。
この辺りの壬生川通沿いはマンションも多いですが、
島原地区内に当たるため、飲食店も多いですね。
ここから約400m北に五条通があって、
そこより北が壬生になります。
こうして見ると、新撰組が闊歩した
壬生―島原―西本願寺が隣接していることが分かります。


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今度は花屋町通から、壬生川通を南に向きました。
約200m先になかなかおいしいお好み焼き屋があるのですが、
その東側にかつて「島原湯」という銭湯がありました。
サウナ風呂に行く途中に金魚が泳ぐ水槽があったり、
熱帯魚が泳ぐ水槽を湯船に浸かりながら眺められたり、
かなり変わった珍な作りの銭湯でした。
(今は、駐車場ですが……)


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壬生川通から、花屋町通を西に向いています。
そう言えば、この先の児童公園で地蔵盆が行われていました。
ウチの町内は、この次の週の2018年8月26日日曜日に
地蔵盆をしました。
多分どちらも延命地蔵尊を祀っているはずですが、
なぜ日が違うのでしょうね?
次は、こちらを進んでいきます。


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まさかその地蔵盆で遊ぶ子供を撮るわけにもいかないので、
この辺りの写真がちょっと飛んでいます。

その児童公園の前から花屋町通を撮っています。
こちらにも、まだまだ商店舖が続きますね。


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壬生川通から花屋町通を約50m進んだところに、
こちらのあられ屋さんがあります。
いろいろ魅かれますが先程買った最中片手ですし、
ここは素通りします。


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そのあられ屋さんの向かい(北)側に、また和菓子店があります。
正直心が魅かれますが、さっき太夫最中を買ったばかりです。
ですから、ここも素通りします。


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壬生川通から西約50m進むと、花屋町通は突き当たります。
ただしそこから南に島原大門があって、
そこをくぐりさらに西に進むと、そこはかつての花街島原です。
特別公開の輪違屋も、あと約50mです。
ここから輪違屋まで行きたいのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、輪違屋の特別公開を見に行きます~

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第595回 島原輪違屋特別公開~京都駅から島原へ~その5

[輪違屋] ブログ村キーワード

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壬生川通から、花屋町通を約50m西に進みました。
道のど真ん中に大きな門がありますが、
あちらが島原大門で江戸時代からこの位置にありました。
つまり、門をくぐったあちら側が花街の島原です。
今回は、「京の夏の旅」企画の一環で行われている
花街島原の置屋「輪違屋」(わちがいや)の特別公開を見に行きます。
撮影日は、2018年8月19日日曜日午後3時。
やはり島原は、炎天下が似合います。


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島原大門をくぐり、花屋町通を西に向いています。
ここから西は、江戸時代の花街だった場所です。
そのような地域は道路がアスファルトではなく、
石畳で敷き詰められています。
現在は太夫の詰め所である置屋は1軒だけで、
お客さんが太夫と出会える揚屋は残っていません。
ただ元々そういうお店だった京町家が数多く残っており、
それらの家屋が独特の街並みを作っています。


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島原大門から約30m西に進むと、花屋町通は坊城通と交差します。
こちらは、その辻の南西角の京町家です。
以前こちらを訪れた第315回ブログでは改装中でしたが、
3年経った現在はそれももう完成していました。


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その京町家の前で、花屋町通を西に向いています。
目の前で、花屋町通は坊城通と交差しています。


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花屋町通から、坊城通を南に向いています。
かつての花街島原だった地域は、花屋町通でなくても石畳の道です。
この坊城通は約100m南の正面通でいったん途切れますが、
その辺りまで石畳の道は続きます。
(坊城通最南端は、約400m先の七条通です)


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今度は花屋町通から、坊城通を北に向きました。
約30m先に、たくさんの方々が出入りしている京町家があります。
灯りに付いた二つの輪がズレて重なっている家紋から、
こちらが置屋の「輪違屋」(わちがいや)だと分かります。


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花屋町通から、坊城通を約30m北上しました。
入口からここに入り、土間で入場料を支払いました。
そして、靴を脱いでここから屋内に入りました。
祇園や先斗町・上七軒にしてもそうですが、京都の花街には
お客さんがいらっしゃる揚屋(またはお茶屋)と、
料理を調理してその揚屋に持ってくる仕出し屋と、
舞妓や芸妓(島原では太夫)の詰め所である置屋があります。
このうち、こちらの輪違屋さんは置屋に分類されます。
京都市指定文化財ではあるのですが、
考えようによっては「太夫さんの生活の場」でもあるので、
普段は公開していません。


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こちらに詰めていらっしゃる学芸員さんに訊いたのですが、
輪違屋では1Fの撮影は自由にできるそうです。
(2Fの写真撮影は、全面的に不可です。
そちらにはより重要な文化財があります)
そこで1F限定ですが、写真を何枚か撮りました。

障子と木戸の間がガラス戸になっていて、
ガラスの部分にこの輪違屋の家紋が彫られています。
こちらの家屋が今の形になったのは江戸時代末期なので、
一部が洋風に改装されています。


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こちらは玄関奥の少し広くなった部屋の奥の床の間です。
この左(西)に階段があって、そこから2Fに行けます。
ただし、そちらは前述のように撮影不可で
しかも一度に上がれる人数が限られるので、
(無理に上がると、重さで2Fの床が抜けるそうです)
先に1Fの方を回ります。


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その階段の脇に、廊下がありました。
では、こちらの奥に進みます。


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この廊下は、約5m続きます。
その先に中庭があって、この廊下はそのまま縁側になります。


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廊下から、その縁側に移ってきました。
拝観者は、この中庭に入ることができません。
ですから、ここからお稲荷さんにお参りします。


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縁側から、天井を見ています。
家屋の中心から外に向けて、梁が等間隔に並んでいます。
こちらはデザインではなく、この梁が家屋全体を支えています。
ですから、あまり大人数が2Fに上ると
床が抜けて家屋が倒壊してしまいます。
(この家屋が古いからではなく、元々そういう構造です)
では、障子を開けてこちらのお座敷に入っていきます。


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そのお座敷に入ってきました。
元々は、輪違屋所属の太夫さんたちはここで生活されていました。
(今は、別の部屋を使われているそうです)
鷹峯常照寺を建立した学者としても有名な吉野太夫
江戸時代末期に活躍した桜木太夫は共に輪違屋所属でしたので、
おそらくこの部屋で生活していたのでしょうね。


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その部屋の襖を写真に撮りました。
文字が書かれた和紙が何枚も貼られていますが、
こちらは全て、代々の輪違屋所属の太夫さんが書かれたものです。
このように残されると何か特別なものに見えますが、
実はこれらは全て手紙の失敗作です。
ただ高価な紙を使っていて、捨てるには惜しいものだそうです。
それでも、こうして見ると立派な文化財ですね。


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障子の隅には、こちらの屏風がありました。
こちらは元々は手紙で、筆者は新撰組局長近藤勇です。
どうやら近藤勇は「筆まめ」だったらしく輪違屋所属の太夫さんに
何通も熱心に手紙を書いていたようです。
明治時代に入って、新撰組は京都では賊軍として扱われ
近藤勇の手紙も島原の太夫さん自身が処分してしまったものが多く、
このように残っているものは例外中の例外だそうです。
(こちらの学芸員さんに、教えて頂きました)
ただ、この文を読んでみますと……
「婦人好色」(女性は、いやらしい人が多く)
から始まるように、とんでもない「下ネタ」です。


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こちらは、その向かい側の床の間です。
こちらにも掛け軸が掛かっています。
その右(東)側に、坪庭があるようです。


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こちらが、その坪庭です。
この日(2018年8月19日)は快晴で、この時点で33℃くらいでした。
ところがこの部屋で両方の障子を開けておくと、
エアコンがない輪違屋屋内でも涼しく感じました。
町家造の面目躍如ですね。


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これで、輪違屋1Fを一通り見て回りました。
次は階段から2Fに上がりますが、そちらは撮影不可です。


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輪違屋2Fは撮影不可なので、ここからはパフレットで紹介します。
都合により、次回ブログで訪れる角屋の地下っとも写っています。
和傘が二つ並んで貼られた襖がある部屋が、2Fで最大でした。
(この写真の左下のチケットに写った部屋です)
ただその先は太夫さんが生活されている部屋もあって、
撮影だけでなくそちらに行くこと自体不可でした。


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一通り見て回ったので、輪違屋の外に出てきました。
輪違屋の店先で撮影されている方々も多かったですが、
輪違屋に来られた大半の方々はこのまま帰られたようです。
ただ、島原の観光ポイントはこの周囲にもあります。
取りあえず、輪違屋前の坊城通をこのまま北上します。


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輪違屋の前から、坊城通を約50m北上しました。
坊城通は約500m先の京都産業大学付属高校で突き当たりますが、
約100m北の松原通で復活し、その約300m北に壬生寺があります。
つまり新撰組屯所があった壬生と、この島原は隣接しています。
(第26回ブログ参照)

写真中央の京町家の北隣が、京都市島原地域包括支援センターです。
(写真左側の平屋の建物のことです)
元々、こちらに島原の歌舞練場がありました。
(歌舞練場は、祇園や先斗町・宮川町・上七軒には現存します)
確かこちらの桜は立派だそうですが、確認したことはありません。
次回ブログに出てくる幸天満宮も、
元々はこちらにいらっしゃいました。


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京都島原地域包括センターの向かい(西)側に、
日蓮宗成就山法華寺があります。
では、こちらにお参りします。


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法華寺境内の北側に、妙見宮があります。
妙見宮は妙見菩薩を祀っていますが、
本満寺など日蓮宗寺院に、妙見宮は多いですね。


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こちらが、日蓮宗成就山法華寺の本堂です。
釈迦如来像が、ご本尊です。

こちらは、813年に真言宗東寺の塔頭として建立されました。
それが鎌倉時代の1281年当時の住職の真広法印が
日蓮の弟子となってこちらは日蓮宗になりました。
京都の日蓮宗は延暦寺の僧兵などに度々攻撃を受けましたが、
それはこちらも例外ではありませんでした。
ただ一貫して東寺の北側に位置していたのですが、
現在の位置に移ったのは1963年の東海道新幹線線路建設のためです。


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京都市島原地域包括センターと法華寺前で坊城通を南に向きました。
では、こちらから花屋町通に戻ります。


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法華寺から、坊城通を南下しています。
輪違屋の北側は更地ですが、
そこから輪違屋の西側に煙突が見えます。
あの辺りに銭湯があるのですが、今からそこに向かいます。


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輪違屋の前で、坊城通を南に向いています。
この先で坊城通は、花屋町通と交差します。


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坊城通から、花屋町通を西に向いています。
ちなみに京都の島原は、行政的には「西新屋敷」です。
次は、こちらを西に向かいます。


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坊城通通から、花屋町通を西に歩いています。
左(南)側に「松栄」という旅館があって、
修学旅行生などがよく宿泊しておられるようです。
また、こちらの浴室は料金を支払えば
宿泊客でなくても入浴でき、事実上スーパー銭湯です。
とは言え、先ほどの煙突はこちらのものではありません。


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その「松栄」の向かい(北)側に、こちらの町家があります。
この辺りの京町家は民家が大半ですが、
こちらは陶磁器やガラス器を販売するお店です。
この時間帯でも営業されていましたが、
時間帯が無くなっているので先を急ぎます。


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末裔とその陶磁器店の前で、花屋町通を西に向いています。
ここでまた花屋町通は、南北の道と交差します。


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花屋町通から、南北に伸びる道を南に向いています。
左(東)側は、駐車場の先に旅館「松栄」の本館が見えます。
(松栄には、こちらから入ります)
右(西)側は百日紅(さるすべり)がきれいですが、
こちらは第二次世界大戦のころまで揚屋でしたが、
現在は旅館兼カフェです。(詳細は、次回ブログで)


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今度は同じ位置で、北を向きました。
左(西)側の家屋は民家に見えますが、実は製本所です。
では、こちらの道を少し北上します。


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花屋町通から、この南北に伸びる道を約30m北上しました。
すると、「島原温泉」という銭湯があります。
(関西では、時折「温泉」と名の付く銭湯があります)
こちらは京都市街地としては割と遅くまで営業されているので、
仕事帰りにここまで自転車で来ることがあります。
実は次回ブログの角屋での取材の後、ここで入浴しました。
(ここからは、時間軸が実際と異なります)


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その島原温泉の前に、このような張り紙がありました。
やはり、この日(2018年8月19日)に地蔵盆があるようです。
ウチの町内より1週間早いです。
ウチの母に聞いたところ、どうもウチの町内会長さんが
仕事の都合で地蔵盆を1週間ずらしていたようです。
ですからこの日に地蔵盆をすることが通常で、
ウチの町内が特殊だったようです。
ただもともと地蔵盆は毎年8月21日に固定されていたもので、
その感覚から8月19日は早いようにも思います。


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島原温泉の前で、石畳の道を南に向いています。
花屋町通に戻るまでに、右(西)側に京町家が見えます。
こちらが第315回ブログ以来時折自分が通い詰めているhyggeです。
島原の花街内では2軒ある町屋カフェのうちの1軒です。
こちらにも、入浴の帰りに立ち寄りました。


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こちらが、hyggeの店内の様子です。
こちらの土間の先に座敷があって、さらに先には坪庭があります。
典型的な京町家の作りですね。
自分がこの店に入ったとき、ちょうど満員で
入るのを諦めようとしていました。
ところが、その時カウンターにいらした小父さんが
「ほな、帰りますわ」
そう言い残されて席を立たれました。
和服姿がちょっとかっこいいなと思っていたのですが、
こちらの店主曰く、その方が先述の輪違屋の主人だったそうです。


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いつもはここで凍頂烏龍茶など中国茶を頼むのですが、
この日は宇治金時のかき氷を頼みました。
輪違屋のパンフレットと一緒に写してみました。


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こちらが、注文した宇治金時です。
かき氷に掛かっているのは、純然たる抹茶です。
シロップではないので、甘味は強くありません。
その代わり、器の下に小豆餡と甘味の付いた白玉が入っています。
それをかき氷に混ぜて食べると、ちょうどいい甘さになります。
自分は、これを約30分かけて食べました。
とてもゆっくりですが、まぁ本を読みながらでしたから……

こちらを食べ終わった後、こちらを出ました。
あと残っているのは角屋の拝観だけですが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ここから先は、次回とします。

~次回は、角屋に拝観して帰宅します~

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第596回 島原角屋特別公開~京都駅から島原~その6

[角屋] ブログ村キーワード

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前回ブログで訪れた町屋カフェhyggeの前で南を向きました。
目の前を花屋町通が通っていますね。
今回は、もう一つの島原の「京の夏の旅」企画角屋に訪れます。
撮影日は、2018年8月19日日曜日午後3時半。
貼り付けた写真が多すぎて、今回以降も「島原編」は続きます。


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hygge前の通りから、花屋町通を西に向いています。
島原は、東側より西側の方が京町家の密度が濃くなります。
では、こちらを進んでいきます。


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その辻の北西角に製本所があって、
その店先で、和紙のメモ帳を売っています。
第315回ブログでも登場しましたが、
今回は夏場なので日除けのすだれが掛かっています。


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こちらは、その製本所の向かい(南)側です。
今回ブログ最初に写っていた百日紅が立っていた場所です。
三つ巴の家紋の付いた暖簾には、錦清と書かれています。
こちらは「きんせ旅館」で、元々はここ島原の揚屋でした。
今は旅館ですが、昼間はカフェで夜はバーでもあります。
引き戸を開けて中に入り、少し薄暗い場所を左手に向かうと
その奥がカフェ兼バーになっています。
自分はカフェしか行ったことがないのですが、
こちらのシフォンケーキはなかなかの美味です。
ただし、洋酒がたっぷりかかっているので
20歳未満ならその旨を店主に言わなければなりません。
こちらは元々揚屋ということで、
内装は和洋折衷で、大正時代くらいの雰囲気です。
店内の正面に閑院宮載仁親王による一筆が、額に飾ってありました。


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きんせ旅館の前で、花屋町通を西に向いています。
ここから島原の西半分ですが、
だんだん旅館をはじめとした店舗の割合が増えてきます。


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先程の写真に写っていた旅館の屋根に、鍾馗さんが飾られています。
京都では、鬼瓦の代わりに屋根によくいらっしゃいます。


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その旅館の前で、花屋町通を西に向きました。
目の前の南北に伸びる道は、特に名前がありません。
北小路から北へこの辻を通って、約350mの短い道です。


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花屋町通から、その道を南に向きました。
両側の京町家は、どちらも角屋の所有地です。
今回ブログのメインに近付いてきました。


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先程の辻から、南北に伸びる道を約20m南下しました。
右(東)に、角屋の特別公開の看板が立っていますね。


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先ほどの写真に写っている門をくぐると、
すぐにこちらの玄関が見えます。
元来はこちらから入っていくのですが、
現在はこの左手(南側)の勝手口から入るようになっています。


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角屋の勝手口に入ると、その周囲は厨房でした。
こちらは、石製の流し台ですね。
ここで野菜を洗ったり、切ったりしたのでしょうね。
……ただ角屋は揚屋なので、
お客さん用の料理は作っていなかったはずです。
(お客さんの分は、仕出し屋さんに頼んでいました)
たぶん、奉公人(従業員)の分でしょうね。


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その向かい(西)側には、竈とその上の釜が並んでいました。
ただ、こんなに並んでいるということは
余程の大人数を想定していたと思われます。
やはりこちらのお店は、
お客さんにも食事を調理していたのでしょうか?


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土間のいちばん奥(南)側に、板の間があります。
こちらで靴を脱いで、その先に進んでいきます。


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板の間で靴を脱ぎ、西を向きました。
では、この先の畳の部屋に進みます。


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こちらが、その畳の間です。
先程の玄関は、このずっと奥の階段の辺りに続いています。
その手前であるこちらは、奉公人や店主が働く場所です。


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お客さんが通る廊下と奉公人が詰めたこちら側との間に、
この台所(帳場)があります。
この時代の台所とは調理の場ではなく、
店の売り上げを載せた帳簿や金銭が置いてある場所のことです。

新撰組局長の一人芹沢鴨は角屋の帳場で店主に乱暴狼藉を働き、
そのことを知った松平容保の逆鱗に触れ、
命令を受けた近藤勇らによって暗殺されてしまったようです。
この場にいらした学芸員さんが
「角屋開店以来、帳場の位置は変わっていない」
そうおっしゃっていたので、ここが角屋の主が芹沢鴨から暴行を受け
瀕死の重傷を負った現場で間違いありません。


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帳場の向かい(南)側に、刀箪笥が置かれていました。
玄関から入って来たお客さんは、ここで自分の刀を店に預けました。
……と言いますか、ここに来るお客さんは帯刀が前提なのですね。


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先程の部屋を出て、玄関から続く廊下に移ってきました。
ここからは、奉公人目線からお客さん目線で店内を移動します。
刀箪笥の辺りで廊下を西に折れ、その突き当りに来ました。
中庭の脇に、大きな部屋があります。



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こちらが、その中庭です。
灯りと涼をとるための庭ですが、縁側に座って寛ぎたくなります。


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中庭から大きな部屋に入ってきました。こちらはその天井部分です。
前回ブログに出て来た輪違屋と同じ構造ですね。
ですから、おそらくここも大人数で2Fに上がったら
大変なことになるのでしょうね。


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こちらが、その部屋の床の間です。
なかなか落ち着いた書画が掛かっていますね。


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こちらが、この部屋の襖絵です。
長谷川等伯の系譜を受け継ぐ長谷川等雲の作品ですが、
だいぶ煤けています。
角屋では夜間にだいぶ行燈を使用してきたので、
蝋燭の火から出た煤がこちらに溜まってようです。


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その部屋を出て、角屋店内をあちこち散策しました。
一部写真不可の場所もあったので、
それほど詳しい写真は撮っていません。


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それでは閉館時間の午後4時半になりましたので、角屋から出ます。
こちらは、角屋の入り口の裏側です。
紙製の白い仮面が貼り付けてありました。
こちらの学芸員さんに質問したところ、
やはり大酒神社(広隆寺)の牛祭りの際に被る仮面のようです。
とにかく縁起のいいものを手あたり次第ここに貼り付けてあって、
牛祭りの仮面はその一環で貼られているとのことです。


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角屋を出て、北を向いています。
この両側とも角屋の敷地ですが、自分は左(西)側から出てきました。
では、こちらを北上していきます。


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角屋を出て約20m北上して、花屋町通で西に向きました。
この先で花屋町通は突き当たりますが、
約100m西の新千本通よりまた西に伸びています。
この辺りは花街島原の西端に位置しますが、
まだまだあちこち観光地があります。
これからそちらに向かおうとしていますが、
それはまた次回にします。

今回は、ここまでです。

~次回は、島原西端部分を散策して帰宅します~

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第597回 島原住吉神社~京都駅から島原~その7

[島原住吉神社] ブログ村キーワード

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前回ブログ角屋から北上し、花屋町通に戻って西に向きました。
こちらは、京都の花街島原のほぼ西端に当たります。
今回はここから島原西門跡から島原を出て、
JR嵯峨野線「丹波口」駅から帰宅します。
撮影日は、2018年8月19日日曜日午後5時半。
前回ブログ撮影後、第595回ブログの島原温泉と
町屋カフェのHyggeに寄り道したので、ここまで遅くなりました。


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先程の辻から、花屋町通を西に約30m進みました。
ここで、花屋町通はいったん突き当たります。
ただ、花屋町通はJR嵯峨野線の高架や京都中央市場の西
ここから約100m先からまた西に伸びています。
最終的に、花屋町通は阪急電車「西京極」駅付近で突き当たります。

さて、花屋町通がいったん突き当たっている場所に
こちらの石碑が立っています。
かつての島原(行政的には、「京都市下京区西新屋敷」)周辺は、
平安時代に鴻臚館(こうろかん)がありました。
要するに、外国向けの大使館ですね。
とは言え当時の中国は唐が滅んで宋が建国される前の混乱期で、
外交ができる状態ではありませんでした。
また朝鮮半島にはたびたび日本と戦争をしていた新羅があって、
こちらとも「友好」外交ができる状態ではありませんでした。
(この直後に建国された「高麗」とは、日本は友好関係にありました)
ですから、この頃国交があった外国とは渤海のことでした。


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その鴻臚館跡の石碑がある地点で、北を向きました。
ここの地面が石畳であるように、この辺りも江戸時代は島原でした。
では、こちらを北上していきます。


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鴻臚館跡の石碑から、石畳の道を北上しています。
途中に、こちらの飲食店がありました。
時間帯の関係で閉店していますが、店先によく行列ができています。
この近くに京都中央市場があるので、
そちらから鮮魚などを仕入れておいしいものを提供してくれます。


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鴻臚館前から、石畳の道を約50m北上しました。
ここで、その石畳の道も突き当たります。
ただ、その突き当りにあるマンションの脇に
小さな神社がいらっしゃいます。
ちょっとそちらに立ち寄ってみます。


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こちらが、その脇の小さな神社です。
では、今回ブログのメイン島原住吉神社にお参りします。
(第314回ブログ以来ですね)


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先程の鳥居をくぐってすぐに、手水舎があります。
先ずはこちらで、手を浄めます。
そう言えば、神社の周囲の石柱に人名が彫られてあります。
おそらく、こちらの再建に尽力された方々の名前なのでしょうね。


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その手水舎の前で、西を向きました。
拝殿越しに、島原住吉神社本殿を見ています。
こちらのご祭神は、おそらく住吉三神です。
元々は島原の商人住吉屋太兵衛宅の鎮守社でしたが、
江戸時代半ばに太兵衛自身の手によって、
この地に移ってきました。
当時はこの辺1区画を有するかなり大きな神社だったようで、
いくつか末社も擁していたようです。
ただ、明治時代に入った1868年に太政官より発せられた
神仏分離令によりいったん廃社に追い込まれました。
(神仏分離令では、社格が低い神社を一斉に廃社しています。
もっとも、その大半は数十年かけて再興しています)
その後、この辺地域の方々の尽力によって
明治時代後半の1903年に島原住吉神社は再興されました。
ただその敷地は、往時の半分以下になりました。


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島原住吉神社境内の西側に、こちらがいらっしゃいます。
幸天満宮(さいわいてんまんぐう)という名称ですので、
ご祭神はおそらく菅原道真です。
こちらは元々第595回ブログ島原歌舞練場にいらっしゃいましたが、
島原住吉神社がこの地に移った際にこちらも移ってきて、
島原住吉神社の末社となりました。
ただそのために1868年の神仏分離令では
この島原住吉神社と運命を共にしました。
ですから1903年の島原住吉神社再興の際に、
こちらの幸天満宮も再興されました。


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その島原住吉神社から出て、石畳の道を西に向きました。
島原住吉神社の西側は千本通と接していて、
その千本通の手前で道路が石畳からアスファルトに戻ります。
江戸時代まではこの境目付近に島原西大門がありました。
つまり、この千本通はかつての花街島原の外ということになります。


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石畳の道を出て、千本通を南に向いています。
左(東)側に京都中央信用金庫丹波口出張所があります。
おそらく島原は、京都中央卸売市場と隣接しているからでしょうね。
右(西)側にはJR嵯峨野線の高架が続いています。
この千本通は、約400m先の七条通まで続いています。
(第314回ブログを参照)


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今度は同じ位置で、千本通を北に向きました。
左(西)側のJR嵯峨野線の高架下が、
そのまま京都中央卸売市場の施設になっています。
(たくさんの大型トラックが停まっていますね)
右(東)側は先程の島原住吉神社で、
そのまま島原最西端沿いに歩くことになります。
では、この千本通を北上していきます。


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先程の位置から、千本通を約50m北上しました。
第315回ブログでは、この交差点の南東角に
ちゃんこ屋さんがありました。
それが今は更地になって、駐車場です。


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その交差点で、千本通から東を向きました。
駐車場の先に、朱い鳥居が並んでいる場所があります。
では、ちょっとこちらに立ち寄ります。


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一見稲荷神社に見えますが、こちらは歳白弁財天女です。
もちろんご祭神は弁財天ですが、
ご神体は背後の大きな銀杏の木です。

元々こちらは先述の島原住吉神社の境内で、
こちらの歳白弁財天女もその末社でした。
1868年の神仏分離令で島原住吉神社は廃社になりましたが、
こちらの銀杏は御神木なのでそのまま維持され、
その際こちらの歳白弁財天女も
島原住吉神社から独立して現在に至ります。


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そして、こちらがその御神木の銀杏です。
西本願寺など京都市下京区には、見事な銀杏が多いですね。
そう言えば、京都市下京区の象徴も銀杏でした。


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かつてちゃんこ屋だった駐車場の前で、千本通から北を向きました。
ここから北は右(東)側も花街の島原ではなく、
京都中央卸売市場の施設が並びだします。


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その辺りで、千本通から位から西を向きました。
JR嵯峨野線の高架下に京都中央卸売市場の施設が並びます。
とは言え、この時間帯は事実上空洞になっているので
向こう側(新千本通付近)が丸見えです。
ここに深夜や早朝に、一面に魚とかが並ぶのでしょうね。


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先程の駐車場の前から、千本通を北に向きました。
京都中央卸売市場の施設に囲まれていますが、
時間帯の関係で今は静かですね。
では、ここを北上します。


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先程の位置から、千本通を約200m北上しました。
この先で、千本通は中堂寺通と交差します。


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千本通から、中堂寺通を東に向いています。
この先に繁みが見えますが、
あちらが「中堂寺児童公園」という大きな公園です。
こちらから遊んでいる小学生が見えましたので、
これ以上先は撮りませんでした。


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中堂寺通から、千本通を北に向きました。
JR嵯峨野線の高架の上に電車が止まっていますが、
この辺りはJR嵯峨野線「丹波口」駅のホームです。
今電車が止まっているということは、
自分はこの電車には乗れないということですね。


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中堂寺通から、千本通を約70m北上しました。
「五条千本」交差点南西角に、
JR嵯峨野線「丹波口」駅があります。
では、こちらから京都駅経由で帰宅します。

これで、「京都駅から島原」編を終了します。

~次回は、若宮祭を取材します~

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第788回 PORTA KITCHEN散策

「京のお店 今日のお品」カテゴリーに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

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こちらは、京都駅2番ホーム兼3番ホームです。
JR京都線・JR琵琶湖線・JR湖西線のホームですね。
今回は、こちらから2021年7月15日にオープンした
PORTA KITCHENにお邪魔します。
テイクアウト専門の飲食店街ですね。
撮影日は、2021年9月16日木曜日午後1時40分。
今回は、店内の様子中心に掲載します。


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京都駅2番ホーム兼3番ホームで、東を向きました。
次は、地下へと続く階段へ進みます。


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その階段を下りています。
すると、目の前に南北に伸びる地下道が見えてきました。
この地下道は、京都駅の最南端から最北端まで伸びています。
ですから、どのホームに降りても
京都駅に着いたらこの地下道を目指すと、
今回ブログのメインPORTA KITCHENに辿り着けます。


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階段を下りて地下道に到達し、北を向いています。
ここからは、この地下道最北端を目指します。


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先程の位置から、地下道を約100m北上しました。
では、目の前の京都駅地下東口から京都駅を出ます。


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京都駅地下東口を出て、北東に向いています。
この地下道の東端は、JRや京都市営地下鉄の切符売場です。
いったん、その付近に向かいます。


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JRの切符売り場の前で、北を向きました。
北隣に、市営地下鉄の切符売場がありますね。
柱の陰で見えませんが、その先はパン屋さんの志津屋ですね。
では、ここからさらに北上します。


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先程の位置から、地下道を約50m北上しました。
ここより北が、京都駅前地下街PORTAです。


788-9.jpg
その位置から、地下道を約30m北上しました。
こちらが、今回ブログのメインPORTA KITCHENです。
テイクアウト専門の飲食店街ですね。
では、ここからはこのPORTA KITCHENを散策します。


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PORTA KITCHENの南西端は、551の蓬莱です。
大阪市に本店がありますが、京都市内でもおなじみのお店です。
結構な方が並ぶので、このように誘導線が設けられています。


788-11.jpg
もともと551の蓬莱各店舗はアイスキャンディも売っていたり、
店内飲食もあったりするお店です。
ただ、こちらはテイクアウト専門の飲食店街です。
ですから、この写真に写っている商品が
このお店で売られている商品の全てで、店内飲食はできません。
肉まんでも有名なお店ですが、粽(ちまき)や餃子、焼売もあります。


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551の蓬莱の向かい(北)側は、「玄米 京都ぎへえ」です。
玄米を使った小振りの稲荷ずしを売るお店です。


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「玄米 京都ぎへえ」の店頭を写しています。
このように、とても小振りの稲荷ずしを売っています。
2個で、おにぎり1個分のすし飯が入っています。
その分単価が安くお買い得感があるのですが、1個買いも可能です。


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そして、稲荷ずしは6種類あります。
「ゆず」はすし飯に柚子皮が練り込まれていて、
口に入れると柚子の香りが立ち上がります。
「じゃこ」には、ちりめん山椒が練り込まれています。
ですから、こちらを戴くと山椒の香りがします。


788-35.jpg
さらに、その右側には「しば漬け」と「牛しぐれ」です。
「しば漬け」は、文字通りすし飯に
しば漬けのみじん切りが練り込まれています。
とにかくしば漬けの味と香りが前面に出た稲荷ずしです。
「牛しぐれ」は……すいませんが食べていないので分かりません。


788-36.jpg
さらに、「ごま」と「わさび」もあります。
通常稲荷ずしのすし飯には、胡麻と芥子の実が入っています。
ですから、「ごま」がいちばんスタンダードな稲荷すしです。
「わさび」には、すし飯に葉ワサビが練り込まれています。
ですから、ワサビの香りと辛味が特徴の稲荷ずしです。
ただし、あくまで葉ワサビですからそこまで辛くはありません。


788-37.jpg
こちらが、「玄米 京都ぎへえ」の小型稲荷ずしです。
京都の稲荷ずしは三角形が多いのですが、
こちらは関西では珍しい俵型です。


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551の蓬莱と玄米 京都ぎへえの間から、東に向きました。
左(北)側は「カレーパンだ。」というお店ですが、
こちらはお店の裏側です。


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先程の位置から、約10m東に進みました。
これでPORTA KITCHENの最東端に辿り着きました。
その向こう(東)の通路の先は、輸入食料品店のJupiterですね。


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PORTA KITCHEN最東端で、北を向きました。
こちらには、土井しば漬け本舗のテナントが入ります。
もちろん「しば漬け」の販売がメインなのですが、
PORTA KITCHENではこのようにお惣菜も売っています。
……とは言うものの、こちらはしば漬けがメインのお店です。
ですからこちらのお惣菜も、基本しば漬けで味付けられています。


788-15.jpg
こちらのお惣菜は、さらに揚げ物もあります。
やはり、こちらもしば漬け味のものが多いですね。


788-14.jpg
さらに、野菜の即売会も行われています。
いずれも、本店のある大原や近所の洛北で採れた野菜ですね。


788-16.jpg
PORTA KITCHENの東端で、西を向いています。
(輸入食料品店のJupiterの前でもあります)
今度はPORTA KITCHENの北側を東から西へと抜けていきます。


788-17.jpg
PORTA KITCHENの北側を東端から西へを歩いています。
PORTA KITCHENは東西約15mの通路が南北に2本あって、
その通路沿いに様々なお店が並んでいます。

この左(南)側が先程の土井しば漬け本舗で、
右(北)側も西利というお漬物屋さんです。
さらに西側には漬物屋の大安です。
この辺は、お漬物屋さんが林立しています。
その分、各店舗には強い個性があります。
土井しば漬け本舗はお惣菜に特化し、
西利は食パンやお酒も売っています。
大安は、お店の代名詞千枚漬けの大々的に売っていました。


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お漬物屋さんの「大安」の西隣は、「カレーパンだ。」です。
そのままカレーパンの専門店ですね。


788-19.jpg
ですから、こちらは313円のカレーパン1択です。
通常は何個か買うのですが、
その際に紙袋かレジ袋を選択して包装してもらうことが可能です。


788-20.jpg
「カレーパンだ。」の向かい(北)側に、KYKが入っています。
大阪市に本社があるトンカツの専門店ですね。
大阪中心に関西全域で展開していて、
京都ではPORTAの飲食店街のお店が有名ですね。
そのKYKがこちらにテイクアウト専門店を展開しています。
店頭には、揚げたてのトンカツやエビフライが並びます。


788-21.jpg
こちらではトンカツやエビフライの販売もされていますが、
ご飯が入ったお弁当も販売されていて、
むしろそちらがこの店舗の主力商品のようでした。


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先程のショウウィンドウの左(西)側も、商品サンプルが並びます。
かなり種類が豊富ですが、よく見ると飲食店で売られているものと
同じカツやフライが販売されています。
こちらの商品は、PORTA西端の飲食店街にある
KYK PORTA店で製造されておられるようです。


788-23.jpg
さらに、こちらがこのお店で売られているお弁当の現物です。
こちらがなくなると、KYK PORTA店から
新たにお弁当を持ってこられます。


788-24.jpg
KYKの西隣は、鶏肉専門店の「鶏太郎」です。
焼き鳥や唐揚げを販売していますね。
このお店では、唐揚げメインのお弁当を販売されていました。


788-25.jpg
その隣で、唐揚げが文字通り山と積まれています。
そして、その周囲にその唐揚げを材料に作られたお惣菜が並びます。


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そして、その隣に焼き鳥各種が並びます。
これを見ていると、お弁当というよりお酒の肴ですね。
お酒を買った後こちらで焼き鳥を買って、家飲みもありですね。


788-27.jpg
「鶏太郎」の向かい(南)側で「カレーパンだ。」の隣(西)は、
フルーツサンド専門店の「京都 古都果」が入っています。


788-28.jpg
こちらの最大の特徴は、絵を描くような盛り付けです。
左からみかん・イチゴ・マスカットがメインなのですが、
茎や枝はキウィーフルーツで描かれています。


788-29.jpg
「京都 古都果」の向かい(北)側で
「鶏太郎」の西隣は、「織寿司 むさし」です。
京都市内中心に展開される回転ずしチェーン店寿司のむさし
テイクアウト専門店です。
海鮮魚メインですが、このようなお惣菜も売られています。


788-30.jpg
とは言え、やはりここはお寿司屋さんです。
ですから、こちらの主力商品は各種お寿司です。
しば漬け入りの新子巻きや抹茶味の稲荷ずしが面白そうです。


788-31.jpg
そして、こちらには各種握りずしも並びます。
さらに、各種巻き寿司も種類が豊富ですね。


788-32.jpg
これで、PORTA KITCHEN全10店舗を回りました。
今回は店内の様子が中心に掲載したので、
こちらで購入した商品はあまり掲載していません。
そちらは、今後「京のお店 今日のお品」カテゴリーで
随時紹介していこうと思います。

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「京都のお祭り」
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「松尾散策」
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松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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