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第519回 七瀬川は、紅葉間近

[七瀬川] ブログ村キーワード
前回ブログで「若宮通編」も終え、
11月23日以降の花園散策にはまだ日があります。
そこで、ここから数回京都市街地の紅葉を短期連載します。
今回は伏見区深草の七瀬川流域にお邪魔しましたが、
本格的な紅葉にはまだ時間があったようでした。


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第127回ブログ以来、久しぶりの京阪電鉄「藤森」駅です。
今回はここから本町通を南下して、七瀬川流域に向かいます。
撮影日は、2017年11月9日木曜日午後3時。
もしかしたら、紅葉の早さは平年並みかもしれません。


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京阪電鉄「藤森」駅ホームから、自分が乗っていた
淀屋橋行きの普通電車が出発しました。
この駅ホームの一部は、名神高速道路の高架下に位置します。


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「京阪電鉄「藤森」駅ホームから、改札口に向かいます。
隣の「墨染」駅同様、この駅も改札口は上りも下りも同じ場所です。
(反対側のホームと、地下道でつながっています)
(京阪電鉄「墨染」駅の様子は、第123回ブログ参照)


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では、こちらの改札口から京阪電鉄「藤森」駅を出ます。
ここがちょうど名神高速道路の高架下なので、暗く写ります。


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京阪電鉄「藤森」駅を出て、南を向いています。
琵琶湖疎水沿いに約50m進むと、その疎水を渡る橋があります。


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京阪電鉄「藤森」駅前から南に約50m進み、東を向いています。
琵琶湖疎水の橋の許に、元々中華料理店とレコード店がありました。
約50m先の東の突き当り本町通から西の師団街道まで、
約200mほどこの通りに駅前商店街が続きます。


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琵琶湖疎水から約50m東に進み、突き当りで南に向きました。
この本町通沿いは、別の商店街のただ中です。
(この辺りは、第126回ブログを逆行する道順ですね)


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今回は「道ブログ」ではないので、
本町通や商店街の様子は細かくは書いていきません。
ただこちらの「焼き芋屋さん」は気になったので、掲載します。
第24回ブログに掲載した焼き芋屋さんが閉めてしまっているので、
こういうお店は京都市街でも貴重になってきました。


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その焼き芋屋さんの前で、本町通を南に向きました。
この日(2017年11月8日)は木曜日だったのですが、
この商店街の定休日のようでした。
ですから、まるでシャッター商店街のようです。
普段は和菓子店が多い商店街で、「柏餅」はこの辺が発祥です。
また、この辺りは地域スーパーが多いですね。
本町通から約130m南下すると、T字路に出ます。
その西側に、小さな寺院が見えます。


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こちらが、その浄土真宗大谷派の西岸寺です。
親鸞臨終の地の説があるのは第517回ブログの光圓寺と同じですが、
そちらがもともとこの地にあったという説もあります。
また、近年の発掘調査でこの寺院に
九条兼実の娘で親鸞の夫人の一人でもある
玉白の遺骨が納められたお墓が見つかっています。
(詳細は、第126回ブログを参照)


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その西岸寺の前で、本町通を南に向いています。
目前の「直違橋1丁目」交差点で、本町通は大岩街道と交差します。


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本町通から、大岩街道を東に向いています。
右(東)側のマンションの奥に京都市伏見区深草総合庁舎があって、
そのさらに奥が京都国立病院です。
大岩街道はその辺りで東北東に進路をとり、
先程の西岸寺前の通りに合流します。
その辺りが京都市街地の東端で、大岩街道は東山を越え山科に至り
途中で勧修寺随心院の前を通ります。


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大岩街道から、本町通を南に向きました。
この辺りは、日中は長い渋滞ができます。


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大岩街道から、本町通を約50m南下しました。
大岩街道を先頭に、本町通はこの辺りまで渋滞が続きます。
その渋滞が途切れた辺りに、旧伏見街道第4橋が見えます。
そして、この橋の下を七瀬川が流れています。
つまり、この辺りが今回ブログのメインです。


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旧伏見街道第4橋の上から、七瀬川を東に向いています。
……のはずなのですが、
第125回ブログのときに思っていた眺めとちょっと違います。
紅葉は、まだまだのようですね。
2017年は例年より気温が低かったので、
紅葉も早く進んでいると思っていました。
けれど、どうやら平年並みのようですね。


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先ずは、旧伏見街道第4橋の東側を散策します。
七瀬川の南岸に、曹洞宗の了峰寺が見えますね。


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旧伏見街道第4橋の南詰に、七瀬川に下りられる小径があります。
では、今回ブログでもそちらに参ります。


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旧伏見街道第4橋から、七瀬川沿いに東に歩いています。
右(南)側の生垣の木は手前がカエデですが、まだまだ緑色ですね。
まただいぶ刈り取られているので、
第125回ブログで感じた鬱蒼とした感じが無いですね。


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その辺りで、七瀬川北岸を撮りました。
左側の木が桜で、右側がカエデです。
こうして見ても、カエデは完全に緑色ですね。


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さらに七瀬川沿いの道を東に進みます。
この辺りの生垣は、もうカエデではありません。
向こうに見える枯れ枝は桜なのですが、もう葉が付いていませんね。


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さらに、七瀬川沿いの道を東に進んでいきました。
ここで七瀬川は、北に折れます。
また川沿いの道もここまでで、この先は藤森神社方面に南下します。


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七瀬川沿いの元来た道を西に戻っています。
こちらから見た角度が、旧伏見街道第4橋のベストショットです。
この橋は別名が直違橋(すじちがいばし)なのですが、
この橋を境に少しだけ本町通が筋違いになっています。
もう少し日が経つと紅葉が紅く染まって絶景になるのですが、
まぁ自然のことですから今回はこういう写真ということで……


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では、こちらから、本町通に戻ります。
ただ、七瀬川散策は橋の西側がまだ残っています。


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七瀬川沿いの道から戻り、また東を見ています。
あちらの了峰寺の沿革は、よく分かりませんでした。
ただこちらは花がきれいな寺院なので、
どの季節に来てもこの寺院の周辺は楽しめます。


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では、こちらから本町通に戻ります。
次は、旧伏見街道第4橋の西側ですね。


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旧伏見街道第4橋から、七瀬川の西側を見ています。
こちらのカエデは少し紅葉が進んでいますが、
それでも3分と言ったところでしょうか。


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旧伏見街道第4橋北詰の西側に、浄土宗の誠心寺があります。
次は、こちらにお邪魔します。


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誠心寺の境内を奥(西)に進んでいます。
門をくぐってすぐに、納経塔と阿弥陀堂があります。
その裏に、大きなカエデが2本立っています。
こちらが、先ほどの橋の上から見えた木々です。


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誠心寺の本堂前に、こちらの低木が目立ちます。
こちらは椿で、桜の後に深紅の花を咲かせます。


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門から境内を西に進み、突き当りに浄土宗誠心寺本堂があります。
立札などがないため、こちらの沿革は分かりませんでした。
ただこちらも境内に様々な花々があるので、
季節ごとにいろいろ目を楽しませてくれます。


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誠心寺本堂から、南側(七瀬川沿い)を見ています。
七瀬川の向こうに崩れかけた民家が見えますが、
それがなかなかいい味を出しています。
手前の石仏群はおそらく無縁仏でしょうが、
こちらがいらっしゃるということはだいぶ古い寺院なのでしょうね。
(この寺院の墓地は、本堂の北側です)


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誠心寺本堂に背を向け、境内を東に向いています。
誠心寺の門越しに見える本町通に、
信号待ちで「直違橋1丁目」交差点から伸びる自動車が見えますね。


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誠心寺の前で、本町通を南に向いています。
ではここから旧伏見第4橋を渡り、本町通を南下します。
……と言いたいところですが、
この橋を境に本町通は南南西に筋違いをしています。
(「直違橋」の所以ですね)
その証拠に、ここから本町通のずっと先が見えません。


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旧伏見街道第4橋から、本町通を南南西に約50m進みました。
この辺りも商店街ですが、大岩街道以北のものとは別のようです。
では、こちらをずっと進んでいきます。


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さらに本町通を約50m南下しました。
この辺りは京都藤森郵便局もあって、さらに賑やかです。
その郵便局の南隣に、洋菓子店が建っています。
第125回ブログでは金銭的理由で諦めたのですが、
今回はかなり無理して(給料日直前で金欠です)お邪魔します。


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ここからは、お店に許可を頂いて書いています。
こちらは店頭でケーキなどの洋菓子を売っていて、
そこで注文してお金を先に払って店内に入るシステムです。
この時間帯は空いていたので、窓際に座りました。
左側の写真集は、最近のお気に入りなので常時携帯しています。
こちらは作庭家別日本庭園の写真集で、
自分はこちら以外に7代目小川治兵衛も持っています。


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エスプレッソと一緒に来た洋菓子をアップで撮りました。
こちらは、木いちごのタルトです。
タルト生地の上はカスタードクリームが載っており、
その甘味と木いちごの酸っぱさが程よく混じります。


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その洋菓子店を出て、本町通を南に向いています。
向こうに見える横断歩道をそのまま左(東)に進むと、
藤森神社の北端部分に出るのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、藤森神社の銀杏並木を散策します~

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第520回 藤森神社の紅葉事情

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前回ブログで、京阪電鉄「藤森」駅東約50m先に伸びる本町通を
約300m南下しました。
京都藤森郵便局の前で、本町通を南に向いています。
今回は、この先にいらっしゃる藤森神社にお参りします。
撮影日は、2017年11月9日木曜日午後4時。
カエデ以外の紅葉は、だいぶ進んでいました。


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先程の写真に写っていた横断歩道の辺りで、
本町通から右(東)を向きました。
住宅の先に大きな木々が見えますが、
あの辺りが藤森神社北端部分です。
ただ今回は一の鳥居をくぐるので、本町通をもう少し南下します。


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同じ場所で、本町通を南南西に向きました。
では、このまま本町通を南下していきます。


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先程の場所から、本町通を南南西に約50m進みました。
すると、向こうに「藤森神社」と書かれた看板が見えてきました。


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その看板の辺りで、本町通を東に向きました。
ではこちらの一の鳥居から、藤森神社境内に入ります。


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藤森神社一の鳥居をくぐて、境内を東に進んでいきます。
二の鳥居の手前に、大銀杏の木があります。
こちらは、もうだいぶ染まってきました。
カエデより銀杏は紅葉が早いので、もう見頃ですね。


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その大銀杏辺りで、藤森神社境内を北に向きました。
この辺りが鎮守の森で、その先が先程の写真で写っていた場所です。
(つまり、藤森神社境内最北端部分)
この辺りは日陰になるので、ちょっと紅葉は遅れています。


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藤森神社二の鳥居をくぐって、さらに東に向いています。
狛犬の向こうに、藤森神社拝殿が見えますね。


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その狛犬の辺りに来ました。
藤森神社拝殿が、はっきり見えますね。
手前の桜も、すっかり紅葉に染まっています。


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では、先ずは手水舎で手を浄めます。
この辺りは、藤森祭では露店に隠れて入れません。


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手水舎で手を浄めていると、こちらの方が通り抜けていかれました。
自分は動きが激しい方の撮影が苦手なのですが、
最近はウチのネコでだいぶ慣れてきました。


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手水舎の前で、南を向いています。
「藤森」神社だけに、藤棚がこちらの象徴です。


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その手水舎の脇から、藤森神社拝殿を見ています。
毎年5月3日に藤森祭の一環で藤森太鼓がこの前で演奏されます。


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拝殿の北側に、藤森神社本殿がいらっしゃいます。
早良親王が祈願されたことがある京都屈指の古い神社です。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)や舎人親王がご祭神ですが、
この辺りの産土神(土地神様)としての側面が大きく、
事実参拝者の大半が観光客ではなく、地元住民です。
また氏子地域も京都市東山区~伏見区にかけてで、
これは京都市内最大の松尾大社に次ぐ広大さです。
(詳しい沿革は、第124回ブログ参照)


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藤森神社本殿から、東を向きました。
この辺りは桜やカエデなど様々な木々が紅葉に染まってきています。


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さらに、その場所で北を向きました。
この辺りは、桜の紅葉がだいぶ進んでいますね。
この先(本堂の北側)に藤森神社の末社が並びますが、
今回はそちらには向かいません。


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今度は、藤森神社境内の北東端を見ています、
手前の湧水は京都市内屈指の名水で、確か飲んでも大丈夫です。


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その辺りで、南を向きました。
では、こちらからそちらに向かいます。


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藤森神社拝殿に、戻ってきました。
よく見ると、中央をそのまま進むことができそうです。
ではあちらに向かって、拝殿内部を見に行きます。


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こちらが、藤森神社拝殿の内部の様子です。
この神社に初めて来てから約45年たちますが、
ここに入ったのは生まれて初めてです。


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藤森神社拝殿内部から、境内を真南に向いています。
ここから藤森神社境内が細長いのは、
この位置で毎年5月5日に駆馬神事が行われるからです。


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こちらは、藤森神社拝殿の真東です。
斎館の脇に、たくさんの菊の花が並んでします。


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こちらが、その菊の花の北半分です。
氏名が書いてあるので、たぶん品評会が行われていたのでしょうね。


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そして、こちらがその南半分です。
そう言えば、昨年(2016年)に泉涌寺にお邪魔したときも
菊の花の品評会が行われていました。


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藤森神社拝殿の前で、境内を南に向いています。
細長い馬場の向こうの両脇に、こちらの宝物殿と絵馬殿が見えます。


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では、藤森神社拝殿から境内を南下していきます。
左(東)側は宝物殿で、中には甲冑とか馬具とかに混じって
競馬の関連品が展示されています。
こちらの神社は馬の神様でもあるので、
昔から日本競馬協会との関わり合いが深いですね。
そう言えば右(西)側の駐車場の形態なら、馬も停められます。


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こちらは、藤森神社宝物殿前の自動販売機です。
白馬の写真が貼り付けてあるのは、先ほどの理由からでしょうね。


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藤森神社宝物殿の前で、境内を南に向きました。
先述の駆馬神事の際には、ここを馬が駆け抜けます。


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藤森神社宝物殿から、境内を約200m南下しました。
すると、西側に児童公園が現れました。
本当は数人の小学生がサッカーをしていたのですが、
そちらは写していません。


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その児童公園の前から、藤森神社境内を約100m南下しました。
では目の前の石製鳥居から藤森神社を出ます。


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藤森神社の南側石製鳥居をくぐり、南を向いています。
すると、目の前に東南東に伸びる道が現れました。


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藤森神社の前で、東北東を向いています。
では、この上り坂を進んでいます。


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藤森神社の前から、東北東に進んでいます。
こちらに、古い土蔵が見えます。
こちらの柿は果実が満開で、まるで花のようです。


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藤森神社の東隣に、京都教育大学があります。
この時間帯は何人も学生がおられて、
そこをフレームから外したため、看板が写っていません……


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京都教育大学の向かい(南)側に、紅葉が見事なお店があります。
第308回ブログでも出て来た「Blon」というパン屋さんですね。
その時は祝日でお休みでしたが、今回は中に入りました。


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自分が店内に入って途端、レジ脇にいらした店員さんが
「あと2分で授業!」
と叫びながら出て行かれました。
大学の向かいだからこその光景ですね。

こちらは菓子パンも充実していましたが、
やはり初めてのパン屋さんは食パンでしょう。
またバゲットが売り切れていたので、
少し太めのバタールも買いました。
帰宅後、それらのパンを調理して頂きました。
食パンは焼きそばパン、バタールはカニサラダサンドにしました。
こちらのパンは、バターがしっかり効いていますね。


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「Blon」の前で、東南東に向いています。
では、こちらの上り坂をまた進んでいきます。


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「Blon」の前から、東南東に約300m進みました。
すると、目の前に奈良線の「JR藤森」駅が見えてきました。


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こちらが、奈良線「JR藤森」駅です。
では、こちらからJR奈良線に乗って京都駅から帰宅します。

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第610回 智積院はぼちぼち染まる

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206系京都市バスの「博物館三十三間堂前」バス停から、
七条通を東に向いています……というのは嘘です。
もしそうなら、七条通でも反対車線にいないといけません。
三十三間堂廻りから七条通を東に進んでいるのは本当ですが、
自宅から「七条本町」交差点に出て、そのまま東に進んでいます。
今回は、七条通の突き当りでウチの近所の智積院にお邪魔します。
要するに、この辺りの紅葉状況を見てまいりました。
撮影日は、2018年11月12日月曜日午前11時半。
晴れたり雨が降ったり、「狐の嫁入り」だったり不思議な日でした。


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七条通を東に突き当たり、「七条東大路」交差点に来ました。
七条通の突き当りに智積院の勅使門があるのですが、
今まで書いてきた通り、こちらからは入れません。
では、いったんこちらの横断歩道を渡ります。


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七条通を東に突き当たり、東大路を南に向きました。
左(東)側の塀は、智積院のものです。では、こちらを進みます。


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七条通から東大路を約100m南下し、東を向きました。
では、こちらから智積院に入ります。


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智積院境内に入ってきました。
先ずは、こちらの石畳の道を東に進んでいきます。


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智積院のその石畳の道をずっと進むと、こちらに出ます。
この道の突き当り(東)に智積院金堂(本堂)がありますが、
手前の十字路で立ち止まります。


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先程の十字路で、北を向きました。
右(東)の受付で500円払い、この先に進みます。


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受付の北隣に、収蔵庫があります。撮影不可です。
元々はこちらの大書院に置かれていた長谷川等伯の障壁画が
国宝に選定されたために、こちらに保管されるようになりました。
こちらも自分のお気に入りの空間だったのですが、
いつの間にかここの中央に模型が置かれるようになりました。
ここは近付いて見るよりも、中央に座って遠くから見る場所です。
正直、模型が邪魔なのですが……


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所蔵庫を出て、西を向いています。
では、目の前の石畳の道に戻ります。


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その石畳の道に出て、北を向きました。
では、こちらの講堂と名勝庭園に入っていきます。


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先程の門をくぐって、東に向きました。
この日(2018年11月12日)の智積院のカエデは、
上の方は十分に染まっていましたが、
下の方はまだまだ青葉でした。
では、高浜虚子の句碑の脇から奥へ進みます。


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こちらの道は、智積院講堂沿いに東に進んだ後北上します。
ここからでも、名勝庭園が見えますね。


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この道の突き当りは、こちらの下足場です。
では、こちらから名勝庭園→講堂に向かいます。


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下足場の東に、こちらの部屋があります。
こちらが、智積院の大書院です。
先程の所蔵庫にあった長谷川等伯の障壁画は、
元々はこちらの障子や壁に描かれていました。
この日(2018年11月12日)は平日(月曜日)でしたが、
観光シーズンのせいか結構な観光客がいらっしゃいました。


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その部屋の縁側から、庭園の築山を見ています。
こちらの大半が常緑樹ですから、特に紅葉に染まりません。
ですから、まぁこんな感じですね。


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その築山の前で、智積院名勝庭園を北に向いています。
向こう(北側)の建物は、智積院の宸殿です。
そちらの障子に、堂本印象画伯の「婦女喫茶」が描かれています。
ではこの縁側を北上し、先に進んでいきます。


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その縁側は、すぐに西に折れます。
そして、このまま智積院の西の方に向かいます。


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名勝庭園に接している大書院の西側に、坪庭があります。
こちらのカエデは、そろそろ染まってきていますね。
向かい(西)側に見えるのは、智積院講堂です。


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では、その坪庭の脇に伸びる渡り廊下を西に進みます。
この渡り廊下の先から智積院講堂なのですが、
そちらは屋内撮影不可です。
講堂は田淵俊夫画伯初めさまざまの画家の襖絵があり、
おそらくその辺が撮影不可の理由でしょうね。
ですから、ここから先は暫く写真がありません。


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ただ屋内から屋外の写真撮影は、一応OKです。
こちらは、今回ブログ最初の方で出て来た勅使門です。
ただし、屋内から七条通を撮っています。


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その周囲の庭園も、撮りました。
紅葉は……本当に場所によりけりですね。


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写真はありませんが、智積院講堂から下足場に戻ってきました。
では、ここから外に出ます。


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下足場で靴を履いて、東を向きました。
左(北)側が名勝庭園と接する大書院で、右(南)側が智積院講堂です。
では、この石畳の道を戻っていきます。


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先程の石畳の道をずっと歩き続けて、南を向きました。
この左(東)脇が高浜虚子の句碑で、
門を出てすぐ左(東)に国宝を収める所蔵庫があります。
では目の前の門を出て、さらにこの道を南下します。


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南に伸びる石畳の道を十字路まで進み、東を向きました。
こちらは、最初に今回ブログで智積院に入った道の続きです。
突き当りには、智積院の金堂(本堂)が見えますね。
周囲のカエデは、本当に場所によっては染まっていますね。
では、そちらに向かっていきます。


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こちらは、智積院金堂の北側です。
こちらは、比較的紅葉が進んでいますね。
周囲の枯れ草に見えるのは、6月に紫陽花畑に変わります。


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こちらが智積院の金堂(本堂)です。ご本尊は大日如来像です。
真言宗智山派本山智積院の沿革は、第487回ブログ参照です。
ではこちらにお参りして、先に進みます。


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智積院金堂(本堂)を背に、西に向きました。
普段はこのまま帰っていたのですが、
今回はもう少し左(南)側にもお邪魔します。


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こちらは智積院金堂の南側で、ずっと進むと墓地があります。
その辺りが、毎年6月になると紫陽花の迷路になります。
(第487回ブログを参照)


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さらに南側に、智積院明王堂があります。
こちらには、不動明王像がいらっしゃいます。
では、こちらにもお参りしていきます。


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智積院明王堂の前で、北を向きました。
今まで、自分が辿ってきた道ですね。
約10m先に十字路があるので、そちらまで戻ります。


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その十字路で、西を向きました。
こちらから南西に道が伸びていますが、そちらに進んでいきます。


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南西の道は、すぐに真西に進路を変えます。
この辺りのカエデは、そこそこ紅葉に染まっています。
向こう(西)に見えるのは、宿坊の智積院会館です。


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こちらの道は、先程の地点からすぐに北に折れます。
そして向こうに見える鐘楼の前で、また西に曲がります。


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その鐘楼の前で、西を向きました。
こちらの道は、ここから東大路までまっすぐ伸びています。


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東大路まで進む手前の智積院会館1Fに、
食事処の「ききょう」があります。
桔梗(ききょう)は、智積院の寺紋ですね。
せっかくですので、ちょっと寄り道します。


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こちらは宿坊の食事処なのですが、知る人ぞ知る名店でもあります。
春限定のお弁当がなかなかおいしいのですが、
初冬でもあるこの時期は、こういう「うどん」がいいですね。


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うどんを大写しにしました。
こちらはこの店オリジナルの「ききょううどん」です。
湯葉(生湯葉ではなく)、ヨモギの生麩、とろろ昆布が見えますね。


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ちょっと箸で混ぜてみました。
とろろ昆布は塩辛いので、しっかり混ぜないと味にムラができます。
またしっかり混ぜると、汁に独特の粘りが出ます。
それに、生麩がよく合っています。
やはり、京都の冬は「うどん」ですね。


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「ききょううどん」を頂いて、外に出ました。
目の前に、東大路が見えます。
こちらから七条通に移り、帰宅しました。

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第611回 東本願寺の銀杏

2018年は、11月15日に紅葉散策へ行きました。
例年通り京都で一番紅葉がきれいな11月23日勤労感謝の日に
紅葉散策へ行かなかったのには、いくつか理由があります。

☆ 例年より長めの連載にしたかった。

☆ 久しぶりに相当メジャーな場所に行くので、日祝日は避けたい。

☆ 10月段階では、2018年の紅葉は早いと思っていた。
(一度組んだ予定は、なかなか変更できないもので……
まさか11月初旬がここまで暖かいとは思いませんでした)

そういう訳で当初の予定とはだいぶかみ合いませんが、
2018年の紅葉散策は京都駅から始めます。
今年(2018年)は相当歩いたように見えますが、
実は昨年(2017年)の紅葉散策ほど歩いていません。


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JR奈良線「東福寺」駅(自宅最寄り駅)から、
京都駅で降りて塩小路(北)側改札口を出ました。
北を向いているので、塩小路北側の京都タワーがよく見えます。
今回はここから烏丸通を北上し、先ずは東本願寺を目指します。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午前10時40分。
一日を通じて、快晴でした。


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京都駅の駅舎を出て、北を向いています。
蒼天に、白い京都タワーが映えますね。
この辺りから京都タワーがある塩小路までが、
京都駅北側市バスターミナルです。


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京都駅北側市バスターミナル脇を北上しようとしたのですが……
市バスターミナルの端の方でこの人出です。
この日(11月15日)は木曜日で平日なのですが、
シーズンオフの休日の何倍もいらっしゃいますね。


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京都駅北側市バスターミナルの東端を北上しています。
こちらのターミナルは意外に広くて、南北に約100mあります。


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京都駅北側市バスターミナルの北側は、塩小路と接しています。
いったん塩小路まで北上して、
そのまま「塩小路烏丸」交差点まで東へ移動しました。
信号が青に変わりましたので、塩小路を北に渡ります。


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塩小路から、烏丸通を北に向いています。
左(西)側のスターバックスは、京都タワービルのテナントです。
では、この烏丸通を北上していきます。


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塩小路から、烏丸通を約50m北上しました。
京都タワービルとヨドバシカメラとの間に、木津屋橋通があります。


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烏丸通から、木津屋橋通を西に向いています。
左(南)側の京都タワービルと右(北)側のヨドバシカメラに
飲食店が多く入っているので、
夜になるとこの辺りはとても賑やかになります。
(第591回ブログを参照)


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木津屋橋通から、烏丸通を北に向いています。
では、このままヨドバシカメラの東側を北上していきます。


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木津屋橋通から、烏丸通を約80m北上しました。
ヨドバシカメラの北側には、かつて七条警察署がありました。
今は派出所とベトナム料理店、東本願寺の施設など
さまざまなものが入ったビルになっています。


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烏丸通をさらに約50m北上しました。
ここで烏丸通は、七条通と交差します。


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烏丸通から、七条通を東に向いています。
七条通は約1300m続いて、そこに前回ブログの智積院があります。


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そうこうしているうちに、信号が青に変わりました。
では、七条通を北側に渡ります。


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七条通から、烏丸通を北に向いています。
この辺りから、烏丸通の西側は東本願寺の堀が続いていきます。


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その東本願寺の堀を覗いています。
こちらは空堀ではなく、しっかり水が張ってあり
中にはさまざまな生き物がいます。
実は小学生のころ、ちょうどこの位置でザリガニ釣りをしました。
すると東本願寺の僧侶がやって来て、
自分を捕まえると御影堂まで連れていき説教しました。
「イタズラをしたことを叱っているのではない。
生き物で遊ぼうとしたことを叱っている」
そうおっしゃったのを覚えています。


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その辺りで、烏丸通を北に向いています。
左(西)側は東本願寺の堀ですが、右(東)側は烏丸通ではあるのですが
現状では観光バスなどの駐車場です。
事実上の烏丸通は、中央分離帯の右(東)より向こうです。


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七条通から烏丸通を約100m北上して、東を向きました。
烏丸通より東に、下珠数屋町通が伸びています。
渉成園の南端の道ですね。
下珠数屋町通は、ここから約400m先の土手町通まで続きます。


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同じ位置で、反対(西)側を向きました。
こちらは、東本願寺の阿弥陀門です。
まぁ東本願寺の正門の一つですが、こちらからは入りません。


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東本願寺阿弥陀門前から、烏丸通を北に向きました。
向こう(北)側に、東本願寺御影門が見えますね。
次は、そちらに向かいます。


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東本願寺阿弥陀門から、約100m北上しました。
では、東本願寺御影門から、東本願寺境内に入っていきます。


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東本願寺境内に入ってきました。
その東本願寺境内中央に、手水舎があります。
先ずは、こちらで手を浄めます。


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東本願寺御影門前に戻り、北を向いています。
次は、あちらに見える総合案内所に向かいます。


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東本願寺総合案内所まで来ました。
こちらで靴を脱いで、この位置まで上がります。
(靴は、東本願寺が用意された靴袋に収めます)
自分はいつも東本願寺参拝は、
こちらからスロープや渡り廊下を利用していきます。


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東本願寺総合案内所の縁側を西に歩いて行くと、こちらに出ます。
こちらは渡り廊下で、最終的に東本願寺御影堂に続いています。
では、こちら(西)に進んでいきます。


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その渡り廊下を進んでいます。
総合案内所から、約40m西に進みました。
実は、その手前から東本願寺の美術館や映画館に入れます。
そちらで浄土真宗関連のものが見られるのですが、
今回は先を急ぐのでそちらには進みません。


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先程の渡り廊下の先からスロープになっていて、
すぐ脇のこちらから南側の東本願寺御影堂まで続いています。
この日(2018年11月15日)は、
スロープ脇に日本全国の小学生の絵画が展示されていました。


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東本願寺御影堂に移ってきました。
先ずは、こちらの周囲を歩きます。


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東本願寺御影堂の東側に、回ってきました。
個人的には、ここが東本願寺でいちばんお気に入りです。
この中央に障子があって、そこから御影堂内に入れます。

こちらにお参りしましたが、内部は撮影不可で写真はありません。
こちらは、二つある東本願寺本堂の一つです。
御影堂には親鸞像が祀ってあり、
「見真」と書かれた扁額が飾ってあります。
(親鸞は、「見真大師」とも呼ばれました)
ちょうど法要の最中だったのですが、時間がないので先を急ぎます。


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東本願寺御影堂を出ました。
向かい(東)側に、東本願寺御影門が見えますね。


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同じ位置で、南を向きました。
では、ここから御影堂の縁側越しに歩いて行きます。


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東本願寺御影堂前の縁側を南に進み、いちばん端まで来ました。
ここから、もう一つの東本願寺の本堂である阿弥陀堂の縁側に続く
渡り廊下が見えますね。
では、そちらに向かいます。


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こちらが、その渡り廊下です。
こちらには、いろいろな資料が展示されています。
東本願寺はつい最近まで修復が行われており、
このブログでも何回かその様子を載せたのですが、
その頃からこの辺りには明治時代の修復の際の資料が
いくつか展示されています。
(第107回ブログを参照)


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渡り廊下を南下して、東本願寺阿弥陀堂に来ました。
東本願寺のもう一つの本堂ですね。
取りあえず、この縁側を南に進みます。


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東本願寺阿弥陀堂の東側に回り込んできました。
では、こちらから阿弥陀堂内部に参拝します。

東本願寺阿弥陀堂には、ご本尊の阿弥陀如来像が祀ってあります。
大阿弥陀経に書いてある通り、仏壇は黄金色に染まっていました。


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参拝を終えて、東本願寺阿弥陀堂を出ます。
では、こちらを降りて靴を履きます。
(今まで靴袋に入れて、持参していました)


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東本願寺阿弥陀堂前で、東を向きました。
正面(東)に、東本願寺阿弥陀門が見えますね。
御影堂に御影門、阿弥陀堂に阿弥陀門が相対しています。
その右(南)に、東本願寺の鐘楼があります。


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東本願寺阿弥陀門の右(北)側に、東本願寺御影門が見えます。
これで、東本願寺を1周しました。
今回ブログでは、あちらの御影門から外に出ます。


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東本願寺御影門を目指し、東本願寺境内の中心を歩いています。
この辺りは、一面の砂利ですね。
すると、その砂利を2羽の鳩が追いかけてきました。
東本願寺は、京都市街地でも屈指の鳩が多い寺院です。


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ちょうどそのとき、先ほど出て来た手水舎がこんな状態でした。
皆、水を飲みに来たのでしょうね。


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そして、東本願寺御影門に戻ってきました。
次はこちらを出て先を進むのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は正面通を進み、渉成園を目指します~

続きを読む

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第612回 渉成園の紅葉は……

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前回ブログで参拝した東本願寺御影門から、東を見ています。
まだまだ午前中ですので、どんどん参拝者が来られますね。
今回は、東本願寺の東にある渉成園に向かいます。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午前11時半。
終始快晴の一日でした。


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東本願寺御影堂の前で、烏丸通を北に向いています。
左(西)側に東本願寺の堀が見えますが、
この風景は約200mほど続きます。
その花屋町通から京都御苑のある丸太町通まで
烏丸通はオフィスビル街になります。
(第212回ブログを参照)


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東本願寺御影門前の信号が、青に変わりました。
では、烏丸通を西に渡ります。


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上珠数屋町通~下珠数屋町通間の烏丸通に、
東西幅約30m、南北の長さ約200mの中央分離帯があります。
1976年まで、烏丸通には市電が走っていました。
こちらは、市電時代「東本願寺前」停留所だった場所です。
かつて相当数の門徒がこちらに参拝に来られたため、
安全のためにこちらの停留所が巨大化しました。
ちなみに、目の前の噴水は停留所だったころからありました。


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その中央分離帯で、南を向きました。
現在の中央分離帯は公園になっていて、
春には桜、秋には銀杏並木がきれいですね。
自分は幼稚園時代、よくここでギンナンを採りに来ました。
桜は完全に紅葉から落葉に変わってきましたが、
カエデが見ごろになるのは桜の葉が完全に落ちてからです。
イチョウに至っては、まだまだ青葉ですね。

約200m先に「七条烏丸」交差点が見えていますが、
その先に京都タワーも見えます。
前回ブログでは、京都駅からこの辺りまで来ました。


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では信号が青になりましたので、烏丸通東側歩道まで渡ります。
こちら側の烏丸通は、自動車が多く通るので賑やかですね。


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横断歩道を渡り切って、烏丸通を北に向きました。
この辺りは、仏具屋さんと旅館が多いですね。
では、目の前の正面通に向かいます。


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烏丸通から、正面通を東に向いています。
この辺りも、仏具屋さんが多いですね。
数珠や法衣など、僧侶が日常的に使われるものも売られています。
では、こちらを進んでいきます。


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烏丸通から、正面通を東に約50m進みました。
こちらの数珠屋さんのように仏具を売る店が多いのは、
この辺りが東本願寺の門前町だからでしょうね。
その先(東)で、正面通は東洞院通と交差します。


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正面通から、東洞院通を南に向いています。
左(西)側の倉庫に見えるお店はテントなどを貸し出していて、
ウチの町内でも地蔵盆でお世話になっています。
約200m先の「七条東洞院」交差点に、飲食店が増えてきました。
自分も、たまにそちらに寄らせていただきます。


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今度は正面通から、東洞院通を北に向きました。
すぐ先に、並河商店というなかなかおいしい豆腐屋さんがあります。
自分はたまに自転車でここまで来て、豆腐を買います。


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さらに東の法院通から、正面通を東に向いています。
正面通は、あと約50mで渉成園で突き当たります。


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東洞院から、正面通を東に歩いています。
左(北)側は表具屋さんで、仏壇に飾る仏画を売っています。
右(南)側は東本願寺の社宅で、僧侶とその家族が住んでいます。
正面通は渉成園の前でいったん突き当たり、間之町通と交差します。


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正面通から、間之町通を南に向いています。
もし東本願寺を経由せずに京都駅に行くのであれば、
この道が近道ですね。


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間之町通沿いで、正面通の突き当りから渉成園に入れます。
渉成園は、東本願寺の庭園ですね。
ここを入ったらすぐに、受付で500円納めて奥に進みます。


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受付から、真北を向きました。
渉成園の中に入る前に、ちょっとここに寄り道します。


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先程の位置から北に進むと、こちらに突き当たります。
自動販売機があって、休憩用の椅子も用意されています。


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その椅子に座って、ジュースを片手にこちらを見ています。
これから何時間も歩き続けるので、休めるときに休みます。
では、受付に戻って先を進みます。


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受付の東に、こちらの枝垂桜があります。
こちらは、正面通や間之町通からでも見えますね。
ある意味、渉成園の象徴ですね。


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その枝垂桜の東側にはこちらの石垣があって、
その手前に小さなカラタチ並木が続きます。
カラタチは漢字で枳殻と書き、
京都の地元民はこの渉成園を「枳殻邸」(きこくてい)と呼びます。


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その位置から、石垣伝いに50mほど北に向かいました。
これ以上北に進むと、渉成園の駐車場に入ってしまいます。


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その位置から、東を向きました。
では、こちらを通って渉成園内部に入っていきます。


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渉成園内部に入ってきました。
庭園入り口をくぐり、先ずは北を向きます。


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庭園入口から北に向かうと、すぐに臨池亭があります。
池を臨む茶室ですね。
第349回ブログではこちらでお茶とお菓子を頂きましたが、
普段はこのように非公開で中には入れません。


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臨池亭から南東部は、渉成園屈指の桜並木です。
この日(2018年11月15日)の桜は、紅葉から落葉に転じていました。
ただ、これは例年よりは紅葉の進みが遅いです。


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その桜並木の先に、傍花閣が建っています。
2F建ての楼閣ですね。現在も茶室などに利用されていますね。


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傍花閣の南東に、印月池に架かる侵雪橋が見えます。
この印月池の北東岸にカエデ並木が続きます。
……ところが、こちらのカエデは完全に青葉です。
この様子なら、11月23日でも紅葉の盛りにはならないでしょうね。
2018年の紅葉は、12月初旬でも十分に楽しめそうですね。


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印月池沿いに、東に進んでいきました。
そろそろ回棹廊という屋根の付いた橋が見えるはずなのですが……
その回棹廊は修復中で、渡ることができませんでした。
2018年は大きな台風がいくつも京都市街を直撃して、
多くの文化財が修復しなければならなくなりました。
こちらも、その一つです。


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同じ位置で、渉成園内部を西に振り返りました。
これ以上東に進めないので、こちらに見える侵雪橋に戻ります。

……しかし結構日が当たっているのですが、
2018年11月上旬の気温が平年より高かったこともあり、
2018年の紅葉は例年より大幅に遅れているようです。


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印月池沿いに西に戻り、侵雪橋の袂まで来ました。
では、ここから印月池を渡ります。


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侵雪橋を歩いて、印月池を渡りました。
この先は、印月池に浮かぶ島に辿り着きます。
ここから渉成園散策の後半ですが、だいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

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第613回 渉成園から文子天満宮へ

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東本願寺庭園である渉成園のほぼ中央にある侵雪橋の上にいます。
ここから、印月池に浮かぶ小島に進みます。
今回は、渉成園散策の後半と北隣の文子天満宮の様子を載せます。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午前11時半。
少し曇ってきますが、全般としては快晴でした。


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侵雪橋の上から、印月池の東側を見ています。
印月池に架かるもう一つの橋である回棹廊は、修復中です。
前回ブログでも書きましたが、
2018年は京都市街地に台風がいくつか直撃したこともあって、
あちこちの文化財が現在修復中です。
こちらのその一つですね。

回棹廊の周囲にカエデ並木があるのですが、
この日(2018年11月15日)は完全に青葉でした。
2018年は、紅葉が例年より遅いですね。


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侵雪橋から、大きい方の浮島に着きました。
では、浮島の南側から東へ進みます。


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その浮島の最南端から、さらに南を見ています。
印月池にはいくつか浮島が並んでいますが、
人が入れるのは一番大きなこの島だけです。
この辺りが印月池が広いので、絶景になりますね。


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さらにその浮島の最東端に回り、さらに東を見ています。
この塀の向こうは河原町通で、外のマンションも見えます。
渉成園自体は静かですが周囲が京都市街地の中心部で、
高層ビルが借景となるのがこちらの最大の特徴です。


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その辺りで、この浮島を見上げてみました。
築山の頂上に、縮遠亭という茶室があります。
普段は非公開なので、ここから見るだけにします。


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浮島の侵雪橋の袂に戻ってきました。
では、こちらを渡り渉成園の残りの部分を回ります。


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侵雪橋を渡り、西を向いています。
前回ブログは右(北)側から来たので、今回は左(南)側を進みます。


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先程の位置から南西に進むと、閬風亭(ろうふうてい)の前に出ます。
よく見ると、この写真は京都タワーが借景になっています。
実は京都タワーが一番きれいに写るのは、この渉成園内です。


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閬風亭の東側は大きな広場になっているのですが、
この日(2018年11月15日)は縁台がいくつも用意されていました。
どうやらお汁粉のサービスがあったようなのですが、
自分と母は先を急ぎますのでここでは待ちません。


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その縁台にちょっと座って、印月池の浮島を見ています。
こちらの浮島は直線状にきれいに並んでいますが、
元々は豊臣秀吉が建設した御土居でした。
御土居の東側は現在の河原町通の真上に造られていました。
河原町通は五条通~上珠数屋町通間で南南西に曲がりますが、
それはその東を流れる鴨川に沿って造られたからです。
上珠数屋町通以南の河原町通はまた鴨川沿いに真南に伸びますが、
安土桃山時代の御土居はその先も南南西に伸びていました。
こちらの浮島は、その名残です。

ちなみに、江戸時代に入り徳川家康は
この辺り(東側)の御土居をほぼ破壊しました。
(西側や北側は、割とそのまま残しました)
そして渉成園を造営し河原町通や土手町通を作った際、
御土居の一部をこのように浮島として利用しました。


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同じ位置で、南西を向きました。
では、そろそろ先に進みます。


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閬風亭の南側にある門をくぐると、こちらに出ます。
こちらは渉成園の大玄関で、中で閬風亭とつながっています。
(第349回ブログを参照)
また、左(西)側の建物が自分の知らない間に売店になっていました。
土産物と何故かソフトクリームが売られていました。


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その売店の左(西)側が、渉成園の最西端です。
今度は、こちらを北上します。


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先程の位置から約50m北上し、西を向きました。
向こうに渉成園の入り口が見えます。
これで、前回ブログと合わせて渉成園を一周したことになります。
では渉成園を出て、間之町通に戻ります。


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渉成園を出て、間之町通から正面通を西に向いています。
約200m先に、東本願寺御影門が見えますね。
前回ブログではその東本願寺御影門から、この位置まで来ました。


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同じ位置で、間之町通を北に向きました。
右(東)側に、渉成園の塀が続きますね。
では、こちらを北上していきます。


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渉成園の入り口から、間之町通を約100m北上しました。
ここで間之町通は、上珠数屋町通と交差します。

向こうに厚い雲が見えますが、これは一時的なものでした。
この日(2018年11月15日)は、一日を通して快晴でした。


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間之町通から、上珠数屋町通を東に向いています。
この辺りは東本願寺門前町なので、京町家と仏具店が並んでいます。


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今度は上珠数屋町通から、間之町通を北に向きました。
間之町通は、上珠数屋町以北でこの道幅に変わります。
では、約40m先の「文子天満宮」と書かれた看板の許に向かいます。


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上珠数屋町通から、間之町通を約40m北上しました。
では、こちらから文子天満宮にお参りします。


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先程の石製鳥居の左(南)側に、こちらの手水舎があります。
先ずは、こちらで手を浄めます。


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こちらは、文子天満宮境内の北側です。
さまざまな末社が祀られていますね。
左(西)から順に、多治比文子像、老松社福部社(これで1社です)、
白太夫社、白滝稲荷社ですね。


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先程の石製鳥居を真っすぐ西に進むと、
こちらの文子天満宮本殿に向かいます。

平安時代半ばの903年に菅原道真が亡くなりましたが、
その直後から政敵の藤原氏の人々が次々病死し、
さらに京都市街地で天然痘の大流行で多くの方々が亡くなりました。
当時の京都人は「菅原道真の祟り」と恐れたのですが、
その頃にここに住んでいた多治比文子という女性が
「ここに神社を建て、菅原道真を祀るように」と神託を受けました。
当時貧しかった多治比文子は自宅に祠を作り、
それがこの文子天満宮の発祥です。
そして、これが日本全国の「天神信仰」の発祥とされています。
ですから、こちらのご祭神は菅原道真です。


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文子天満宮本殿の南隣に、文子殿がいらっしゃいます。
ご祭神は、多治比文子(たじひのあやこ)です。

さて、問題はその多治比文子自身です。
彼女は、いったい何者でしょうか?
菅原道真の乳母という説がかなり有力なのですが、
菅原道真とは縁も所縁も何も無かった占い師という説も有力です。
菅原道真の乳母ならここを建立したときは老婆だったでしょうが、
占い師説なら10歳くらいの童女ということだそうです。
実は当時の年齢すら、よく分かっていません。


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文子天満宮本殿に背を向け、東を向いています。
では、ここを出て間之町通に戻ります。


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文子天満宮を出て、間之町通を南に向きました。
では、ここを南下して上珠数屋町まで戻ります。


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間之町通から、上珠数屋町通を東に向いています。
この道は、京都市街地としては大通りです。
(平均的な京都市街地の道幅は、文子天満宮前の間之町通くらいです)
渉成園を囲む道は東側の河原町通はもちろん、
北側の上珠数屋町通、南側の下珠数屋町通、
西側の間之町通が全て大通りなのは、理由があります。
実は、明治時代の半ばまでここに市電が通っていました。
当時人通りの多かった「七条河原町」交差点や
「七条烏丸」交差点を避けるためだったようです。
(まぁ路面電車ですから、繁華街のど真ん中を避けたかったようです)
では、この上珠数屋町通を東に進みます。


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間之町通から、上珠数屋町を約50m東に進みました。
右(南)側は、渉成園の塀ですね。
こちらから、横断歩道が左(北)に伸びています。


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その辺りで、北に向きました。
ここから高倉通が北に伸びていますね。(404回ブログ参照)


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高倉通から、上珠数屋町通を東に約50m進みました。
右(南)側に渉成園の塀がまだまだ続きますが、
左(北)側から、富小路が伸びています。
つまり、こちらが富小路最南端です。


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富小路から、上珠数屋町通を約80m東に進みました。
ここで上珠数屋町通は、河原町通と交差します。


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「上珠数屋町河原町」交差点にまで来ました。
上珠数屋町通は、約30m先の土手町通まで続きます。
そろそろ信号が青くなったので、横断歩道を渡ります。


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横断歩道を渡って、上珠数屋町通から河原町通を北に向いています。
こうして見ると、この上珠数屋町通以北の河原町通が
北北東に曲がっていることが分かりますね。


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上珠数屋町通から、河原町通を南に向いています。
左(東)側は商店や住宅が続きますが、
右(西)側は渉成園の塀が続きます。
では、こちらを南下していきます。


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上珠数屋町通から、河原町通を約50m南下しました。
右(西)側は渉成園の塀が続きますが、
左(東)側はここから東に正面通が復活します。
ちなみに、この正面通は先程の正面通を
そのまま東に伸ばした場所から伸びています。
ここからはこの正面通をどんどん東に進んでいくのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は……この近所を載せますが、「紅葉特集」ではありません。
1回分だけ、別の内容を載せます~

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ジャンル : 地域情報

第615回 鴨川越えて、正面通を東へ

[正面通] ブログ村キーワード

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第613回ブログの最後、河原町通と正面通とのT字路です。
右(西)側に、渉成園の塀が見えますね。
今回はこのまま正面通を東に進み、豊国神社の前まで進みます。
第6回ブログ以来の6年ぶりの道でもあります。
撮影日は、2018年11月15日木曜日正午。
だんだん2018年紅葉散策のメインに近付いてきました。


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河原町通から、正面通を東に向きました。
では、この正面通を今回は東端まで進みます。


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河原町通から、正面通を東に約30m進みました。
ここで正面通は、土手町通と交差します。


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正面通から、土手町通を南に向いています。
安土桃山時代、この土手町通に高瀬川が流れていました。
そして、この右(西)側の河原町通が御土居でした。
左(東)側には当時から家屋が並んでいて、
この辺の古い家屋には舟を停めるための船泊の跡が、
つい最近まで残っていた場合もありました。
(現在はその家屋は全て壊されたので、現存していません)
江戸時代にこの辺りの御土居が壊されると、
河原町通ができて高瀬川ももっと左(東)に付け替えられました。
そして、河原町通から鴨川にかけてが繁華街になりました。


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正面通と土手町通との辻に、こちらの石が残っています。
まだ日本で自動車がほとんど普及していなかった頃、
都市部の運搬は荷車を利用していました。
その荷車が通りの辻で方向転換する際、
荷車の車輪をこの石に当てていました。
(この石を支点に、てこの原理で方向転換します。
もう亡くなった自分の祖父が教えてくれました)
このような石も、京都市街地では
自分の知る限り、あと2カ所だけしか残っていません。


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土手町通から、正面通を東に向いています。
もう30mほどで、正面通は急に道幅が広くなります。


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土手町通から、正面通を約30m東に進みました。
左(北)側に、前回ブログでもお邪魔した正面児童公園があります。
京都でも屈指の桜がきれいな児童公園で、
このブログでも特集を組みました。


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正面児童公園の右(東)側に、西木屋町通が伸びています。
そのさらに右(東)側の高瀬川と相まって、
毎年春になるとこの辺りは桜並木で絶景に変わります。


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正面通から、西木屋町通を南に向きました。
文字通り、「西」木屋町通は高瀬川西岸の道です。
こちらの辻に、最近Mur mur cafeができました。


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今回ブログでは先を急ぐので素通りしましたが、
前回ブログではこちらに寄りましたので、
その際に注文したハニートーストスープ&コーヒーセットを
今回ブログにも載せます。
こちらの店はオリジナルブレンドのコーヒーがメインで、
自分は深煎り苦味重視の「菊浜ブレンド」を頼みました。
トーストは蜂蜜が塗ってあって、結構甘かったですね。


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西木屋町通から、正面通を東に向いています。
こちらは、高瀬川に架かる正面小橋ですね。
この写真は前回ブログの10日前(2018年11月15日)なので、
11月23日~11月25日に行われたライトアップの片鱗はありません。


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正面小橋から、高瀬川を南に向いています。
この辺りは川の両側から桜並木が押し寄せて、
春になると川に桜のドームが掛かります。


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そのとき、ちょうど1羽の鳩が高瀬川を歩いていました。
高瀬川はとても浅い川なので、
水面がハトの足首の高さまでしかありません。


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高瀬川東岸に、木屋町通が伸びています。
この写真は、正面通から木屋町通を北に向いています。
こちらは、前回ブログでも通りました。
約150m先に、銭湯の梅湯があります。


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木屋町通から、正面通を東に向いています。
約40m先で、三ノ宮通と交差していますね。
では、この正面通を進んでいきます。


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正面通から、三ノ宮通を南に向いています。
すぐ先に京都米浜郵便局がありますが、
元々こちらの郵便局は正面児童公園前にありました。
この三ノ宮通は約200m先の七条通以南で、
須原通と名称が変更されます。


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三ノ宮通から、正面通を東に向いています。
左(北)側は元々奥沢眼科という眼科医でしたが、
代替わりして約400m南東の本町通沿いで開業されています。
現在こちらは、医療用品の博物館です。
また、右(南)側の洋品店「大吉」さんと時計屋の「ヤマゲン」さんは
この日(2018年11月15日)この時間帯は開店中でした。


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三ノ宮通から約20m東に、二ノ宮通が伸びています。
二ノ宮通は、正面通~七条通間の短い道です。
正面通と二ノ宮通の辻に、ブリキ製の看板がありました。


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二ノ宮通から、正面通を約20m東に進みました。
ここで正面通は、鴨川に架かる正面大橋に出ます。
では、こちらを渡りさらに東に進みます。


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先程の写真の中央をアップで大写ししました。
こちらは、清水寺の三重塔です。
清水寺は東山の一つ音羽山の中腹にあるので、
「五条高倉」交差点の歩道橋からもよく見えます。
(第405回ブログを参照)


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正面大橋を渡っている途中で、鴨川を北に向きました。
約400m先に、五条大橋が伸びています。
正面通は、五条通と七条通との中間に位置します。


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この辺りの鴨川は区境なので、正面大橋を渡っているうちに
「京都市下京区」から「京都市東山区に移ってきました。
鴨川東岸は、川端通が伸びています。
そうこうしてうちに、「正面川端」交差点の信号が青くなりました。
では、川端通の横断歩道を東に渡ります。


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「正面川端」交差点の北東角に、藤棚があります。
こちらの位置に、元々「正面公設市場」がありました。
「公設市場」は京都市が運営する商業施設で、
ウチのブログで出て来たエビスクメッサ北野の前身でもあります。
藤棚の東側の道が、元々の川端通です。
今の川端通は、元々琵琶湖疎水でした。
(現在、琵琶湖疎水は暗渠となっています)


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川端通から、正面通を東に向いています。
東山区の正面通も商店街を形成していますので、
ここからも様々な商店が並びます。


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川端通から、正面通を約10m東に進みました。
ここにT字路がありますが、
この問屋町通は約400m先の五条通まで続きます。
そして、その五条通付近に半兵衛麩本店があります。
向こうに見える青いテントの店は電器店で、
その先の赤いテントは自転車屋さんです。
こちらは自転車の販売もされていますが、
自転車修理もしてくれます。
ペダルや荷台など、自転車の部品を売ってくれたりもします。
どちらも、ウチの馴染みの店です。


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その位置から、正面通を東に約40m進みました。
ここで、正面通は鞘町通と交差します。


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正面通から、鞘町通を南に向いています。
右(西)側に見えるのは、旧京都市立貞教小学校ですが、
現在は、京都芸術工芸大学の京都東山キャンパスです。
前回ブログの「菊浜高瀬川せせらぎナイト」の主催者ですね。
ここから約200m先の七条通に、第149回ブログでも出て来た
喫茶店アマゾンがあります。


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鞘町通から、正面通を東に向いています。
右(南)側に道楽という料亭があって、
たまに祇園などから芸妓さんが来られています。
この辺りから、東に進むと上り坂になります。


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先程の写真ではトラックに隠れていましたが、
その東側に川魚屋さんの「大国」があります。
ウチは、ウナギとかこちらで買ったりします。
その東側に、本町通が伸びています。


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正面通から、本町通を南を向いています。
第149回ブログでは七条通から本町通を北上し、ここまで来ました。


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今度は、正面通から本町通を北に向きました。
ここを進むと、第150回ブログのルートになります。


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本町通から、正面通を東に向いています。
ここから東端の豊国神社まで、正面通は4車線に広がります。


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本町通から、正面通を約50m東を進みました。
左(北)側に、浄土宗西山壇林派熊谷山専定寺があります。
京都の地元民は、「烏寺」(からすでら)と呼んでいます。
こちらの沿革は、第149回ブログの追記に載っています。


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「烏寺」の東側に、大黒通が伸びています。
大黒通を北上すると、約700m先の松原通まで続きます。
(第153回ブログを参照)


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今度は、正面通から大黒通を南を向きました。
こちらは耳塚です。豊臣秀吉関連遺跡の一つですね。
その脇に、大黒通が伸びています。
大黒通は、南側は約200m先の七条通で突き当たります。


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耳塚の向かい(北)側に、こちらのお店があります。
こちらは、甘春堂の東店です。
本店は、川端通との交差点の正面通沿いにありましたね。


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では、ちょっとこちらに寄ってみます。
2Fの方は修学旅行生の予約があったらしく、
(そちらで和菓子作成教室が開かれます)
1Fの椅子席でこちらを頂きました。


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ウチの母は、こちらの善哉を頂きました。
小豆の皮が全然破れていないのは、こちらの店の技ですね。


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自分は、抹茶と茶菓子を注文しました。
茶菓子は、「練り切り」と干菓子です。
「練り切り」とは様々な彩色をした餡を皮にした饅頭で、
色や形は作られた方のセンスが窺えます。
またこちらの店は干菓子が美味しくて、
こちらでよく買って帰ります。


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この後、本当に持ち帰りの和菓子を買いました。
そちらを帰宅後抹茶で頂きました。


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こちらが、その持ち帰った和菓子です。
左側は、有平糖(ありへいとう)です。
一種の飴細工で、優しい甘味が特徴です。
ただ結構手間がかかるので、この店でしか売られていません。
干菓子も、秋らしいデザインのものが売られていました。


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甘春堂東店を出て、正面通を東を向きました。
この先の大和大路で正面通が突き当たり、
そちらに、豊国神社があります。


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正面通と大和大路との交差点の北西角に、
こちらのお地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらに来るたびに撮らせていただいていますので、
今回も写真を載せてみました。

ここから豊国神社に参拝するのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回で豊国神社に参拝し、
2018年紅葉散策のメインに近付いていきます~

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第616回 豊国神社 大仏殿跡緑地公園

[豊国神社] ブログ村キーワード

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前回ブログから正面通を東に歩き続けて、最東端まで来ました。
正面通は、こちらの豊国神社で突き当たります。
今回はこの豊国神社を通り抜け、さらに北東に進みます。
撮影日は、2015年11月15日午後0時半。
だんだんと2018年紅葉散策のメインに近付いてきました。


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先程と同じ位置で、南を向きました。
豊国神社正面であるこの位置は、
正面通と大和大路とのT字路でもあります。
この位置から、豊国神社南隣の京都国立博物館が見えますね。
ここから約200m先に七条通が伸びていて、
その七条通沿いに三十三間堂があります。
さらに三十三間堂の東に、智積院ですね。
これらの施設以外に、新日吉神宮・京都女子学園・豊国廟を含めた
東山の一つ阿弥陀ヶ峰(日吉ヶ丘)西麓を
豊臣秀吉が広大な宗教施設にしようとしていました。
それが江戸時代に入り徳川家康がこれらをそれぞれ別施設として、
現在に至っています。
(ちなみに三十三間堂は後白河上皇が建立したもので、
豊臣秀吉は自分が作ろうとしたその宗教施設に融合させました。)
これらの位置関係は、第223回ブログを参照してください。


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今度は、正面通から大和大路を北に向きました。
このまま大和大路を北上すると、六原(六波羅)や祇園に至ります。
(第224回ブログを参照)


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大和大路の横断歩道を渡り、正面通最東端まで来ました。
では石段を上り、豊国神社「一の鳥居」をくぐります。


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その鳥居をくぐってすぐに、こちらの手水舎があります。
「ここで米を洗わないでください」と書かれた看板が
近年までありましたが、今は無くなっています。


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こちらは、豊国神社境内の南側です。
南端にある社務所との間の砂利が敷き詰められている場所が、
駐車場として利用されています。
実はウチの亡くなった父が、この駐車場を利用していました。
その縁で、約45年前自分はここで「七五三」を行いました。
(妹は、確か八坂神社でしたが……)


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先程の鳥居からそのまま東に進むと、
豊国神社本殿がいらっしゃいます。
ご祭神は、豊国大明神(豊臣秀吉)です。
元々この位置には、豊臣秀吉が建立した大仏殿がありました。
江戸時代に入りその大仏殿は放置されましたが、
江戸時代半ばに落雷により焼失しました。
この神社は、元々はその大仏殿の鎮守社でした。
現在の豊国神社は、明治時代に入って再建されたものです。


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豊国神社本殿前で、北を向きました。
こちらに、北に隣接する寺院へ続く石畳の道が伸びています。
次は、こちらを進みました。


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その石畳の道の途中に、こちらの神社がいらっしゃいます。
豊国神社の末社である稲荷社ですね。
ちょっとこちらにお邪魔して、お参りしました。


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その稲荷社の北隣の仕切り以北が、こちらの寺院です。
大仏殿の後継寺院である方広寺です。
先ずは、目の前の鐘楼に向かいます。


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こちらは、方広寺の鐘楼です。
こちらの鐘が1614年に完成し、
その後の大坂冬の陣の端緒となった「国家安康の鐘」です。


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その「国家安康の鐘」の一部を大写ししました。
後の方広寺の僧侶がこちらをチョークで囲まれたようです。
「国家安康」が徳川家康の死を願う呪いと疑われ、
「君臣豊楽」がその後の豊臣氏の平安を願ったものとされ、
徳川家康はこれを作った豊臣氏を滅亡させました。


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こちらは、方広寺鐘楼の天井部分です。
このように、飛天が描かれています。


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方広寺鐘楼の北側に、方広寺本堂があります。
中を拝観すると、大仏の焼け残りの足の部分などが拝観できます。
江戸時代半ばに、いったんその大仏が再建されて
(だいぶ小さな「大仏」でしたが)
自分もそちらを拝観したことがありましたが、
今から50年ほど前1970年ごろに火事で焼失しました。


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こちらは、豊国神社末社の稲荷社と方広寺鐘楼の間です。
狭い路地に見えますが、
こちらから豊国神社の裏(東)側に通り抜けできます。


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方広寺鐘楼の脇を通り抜けました。
方広寺所有の駐車場と豊国神社との間に、
まだ東に抜ける路地が伸びています。
では、こちらを通って豊国神社と方広寺境内を出ます。


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先程の位置から、約100m東に進みました。
ここで豊国神社と方広寺境内を通り抜け、住宅地に出ます。


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住宅地に出ても、そのまま東に進みます。
あちこちの街路樹が、落葉していますね。


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豊国神社の裏(東)側に、こちらの公園があります。
入り口の表札には、「大仏殿緑地」と書かれています。
では、こちらにお邪魔します。


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公園内に入ってきました。
あちこちに、ベンチ(石製の椅子)などもあります。
現在のこちらは、散歩などにちょうど良い緑地公園です。


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緑地公園の真東から、西を向きました。
豊国神社本殿のちょうど真裏(東)に位置していることが分かります。
目の前の膨らんでいる地面は、かつて大仏がいらした位置です。


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撮影日の218年11月15日木曜日は、紅葉がまだまだでした。
そのため、2018年12月2日日曜日に再訪し撮影しました。
結局2018年の紅葉具合は、例年通りでした。


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2018年12月2日の写真をもう1枚貼り付けます。
紅葉以外にも、様々な植物が植わっています。
時期的には、コスモスがきれいですね。


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写真は、2018年11月15日撮影分に戻ります。
では、緑地公園を出て住宅地に進みます。


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緑地公園を出て、東を向きました。
左(北)側は住宅地ですが、右(南)側は緑地公園です。
取りあえず、こちらを突き当りまで進みます。


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先程の道を突き当りまで約50m進み、左(北)を向きました。
次は、こちらを突き当りまで進みます。


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先程の位置から約20m北上して、西を向きました。
約100m先に、方広寺の駐車場が見えます。
豊国神社や方広寺から、もうこれだけ移動しています。


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同じ位置で、東を向きました。
次は、このままこの上り坂を進みます。


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先程の位置から、約70m東に進みました。
先程の上り坂の先で、この道は東大路と交差します。


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先程の道から、東大路を南に向きました。
約200m先の七条通沿いに、智積院があります。


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同じ位置で、東大路を北に向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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先程の位置から、東大路を約50m北上しました。
こちらは、東大路と渋谷街道が交差する「馬町」交差点です。


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「馬町」交差点で、渋谷街道を東に見ています。
渋谷街道は東山を途中国道1号線と絡みながら、
京都市街地から京都市山科区の中心街に抜ける道です。
いずれ、このブログでも特集しようと思っています。


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東大路は、「馬町」交差点より先は北北東に進路が変わります。
では、こちらの道を進んでいきます。


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「馬町」交差点から、東大路を北北東に約100m進みました。
ここで東大路(東山通)が五条通と交差するので、
「東山五条」交差点と呼ばれています。
目の前の高架が、国道1号線です。


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東大路から、五条通を西に向いています。
国道1号線の高架はだんだん低くなって、
約200m先でこの道と合流します。
ちなみに、こちらは8月の陶器市の南半分に当たります。


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今度は東大路から、五条通を東に向きました。
五条通の上に国道1号線の高架が通っているように見えますが、
ここから東の五条通は、すぐに高架上に吸収されます。


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五条通から、東大路を北に見ています。
そうこうしているうちに、こちらの信号が青くなりました。
ではこちらの横断歩道を渡っていきますが、
さすがにもうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

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第617回 紅葉の大谷本廟

[大谷本廟] ブログ村キーワード

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前回ブログで豊国神社の裏(東)に抜けて、東大路を北上しました。
そして、今いるのは「東山(東大路)五条」交差点南西角です。
今回はこの東側の大谷本廟から、その墓地を東に抜けていきます。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午後1時。
信号が青くなりましたので、横断歩道を北に渡ります。


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五条通の長い横断歩道を渡り、東大路を北上しています。
国道1号線の高架をくぐり、6車線の五条通を渡り切りました。
ここから、五条通北側歩道に移ります。


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五条通を横断歩道で北側歩道に渡り、西を向きました。
ここから約400m先に伸びる大和大路以東からこの辺りまで、
大小の清水焼小売店が何軒も並びます。(第239回ブログ参照)


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同じ位置で、東を向きました。
では、歩道沿いに五条通から東大路を東から北へ移動します。


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その途中で、向こう(東)側の東大路を撮りました。
そちらに、今回ブログのメイン大谷本廟があります。
では、こちらから向こうに横断歩道を渡っていきます。


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2018年11月15日では紅葉が全然染まっていませんでしたから、
2018年12月2日日曜日に、この大谷本廟に再訪しました。
桜は落葉が済んで枯れ木でしたが、カエデとイチョウは見頃でした。


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先程の位置から北に回り、東大路の横断歩道を東に向きました。
「五条坂」バス停から市バスを降りて来られた方々で、
この日(2018年11月15日)は平日でも人でいっぱいでした。
そのため、この辺りには飲食店や土産物屋さんが並んでいます。


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先程の横断歩道を東に渡り、南に向きました。
今度は、この横断歩道を南下します。


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横断歩道を渡る途中で、東を向きました。
東大路から東に、2本の道が伸びていますね。
左側の道は五条坂で、大和大路から五条通経由でここまで来て
北東にさらに約400m伸びています。
清水寺への参道では唯一観光バスなど大型車が通行可能な道です。
右側は大谷本廟の墓地へと続く道で、
約45年前にウチの祖父とよく墓参りに利用しました。


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東大路東側歩道で横断歩道を南下して、ここに来ました。
向こう(南)側に、国道1号線の高架が見えますね。
では、約30m先の多くの人々が出入りしている場所に向かいます。


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先程の位置から約30m南下して、東を向きました。
太鼓橋の先の石段を上ると、大谷本廟に入れます。


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同じ位置を2018年12月2日に撮りました。
この大谷本廟の池付近が、紅葉の名所です。
12月2日にも、たくさんの観光客が来られていました。


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20118年11月15日に、太鼓橋を渡っている途中で北を向きました。
この辺りが、大谷本廟でいちばん紅葉がきれいな場所です。


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2018年に再訪したときに、同じ位置で写真を撮りました。
すっかり紅葉すると、このようになります。


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太鼓橋を渡って、東を向いています。
約30m石畳の道を上り、その先の石段を上って大谷本廟に入ります。


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2018年12月2日に、同じ場所で撮りました。
だいぶ紅葉に染まると、この道もなかなかの絶景になります。


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ここからは、また2018年11月15日撮影分です。
大谷本廟の総門をくぐり、境内を南に向きました。
こちらに、本廟会館があります。
この下に、(地下ではありません。ここは山の斜面なので)
駐車場があり、この先には飲食スペースやトイレがあります。
五条坂の陶器祭でトイレに困って、ここに立ち寄りました。


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大谷本廟総門の真東に、仏殿(本堂)があります。
中には、ご本尊の阿弥陀如来像がいらっしゃいます。


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この辺りの石畳の道を大写ししました。
あちこちの木々から、団栗が落ちてきていました。


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その石畳の道の先は、仏殿の北側に回り込みさらに東に進みます。
そしてこの二天門をくぐり、その東に行きます。


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二天門をくぐり、東を向きました。こちらに、明著堂があります。
西本願寺の歴代宗主とお裏方様(宗主の奥方)の墓所ですね。
その右(南)側に、納骨堂があります。
中には浄土真宗本願寺派の寺院ごとに仏壇があって、
そちらに門徒の遺骨が納められています。
お墓を建てられない方々の中には、
こちらで済まされる場合もあるようです。


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二天門から、左(北)を向きました。
こちらに北門があって、ここから大谷本廟の外に出られます。
北門の外に、花屋さんが見られます。
大谷本廟の場所が近いので、こちらで仏花以外にも
線香やお供え物を買うことができます。


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大谷本廟を北門から出て、東を向いています。
右(南)側は大谷本廟ですが、
左(北)側はその大谷本廟の墓所が続きます。


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大谷本廟北門から東に約70m進み、北に向きました。
ここから直線距離で約50m先に、(蛇行するのでもう少し先に)
親鸞のご遺体を火葬された場所があります。
ちなみに、この辺はかつて豅(おおたに)と呼ばれていました。
浄土真宗関連の方の姓が大谷さんが多かったり、
施設の名称に「大谷」や「龍谷」が付くのも、その辺が理由です。


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同じ場所で、東を向きました。
ここから、右(南)側にもお墓が並ぶことになります。
道が分岐しますが、左側の急な上り坂を進んでいきます。


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先程の分岐点から、急な上り坂を進んでいます。
その分岐点から、東北東に進路が変わります。
右側の墓所に、時折細長い墓石が見受けられます。
それらはすべて、過去の戦争で亡くなった方々のお墓です。


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先程の分岐点から、東北東に約20m進みました。
上り坂の途中で左を向くと、小さなの寺院があります。
こちらは、日蓮宗鳥辺山帝釈天王通妙寺です。
東京の柴又帝釈天を江戸時代に勧進しました。
この辺りは浄土真宗本願寺派の墓所ですが、
元々この鳥辺山(音羽山)は平安京遷都以来の墓所です。
ですから、この周辺にはさまざまな寺院や墓所があります。


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通妙寺の門前で、東を向きました。
では、この上り坂をどんどん上っていきます。
その進路も、東北東から真東に変わっていきますね。


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通妙寺門前から約50mかけて、急な上り坂を上りきりました。
ずっと先に朱い塔が見えますが、あちらは清水寺多宝塔です。
第615回ブログでは鴨川に架かる正面大橋の上から、
こちらが見えていました。
この道は、この辺りにいくつかある清水寺参道の一つでもあります。


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急な上り坂を上りきった時点で、左を向きました。
こちらは、日蓮宗鳥辺山本壽寺です。
日蓮の弟子の一人日親が開基の寺院です。
こちらに、その日親のお墓もあります。


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本壽寺門前から、平坦な道となり真東に進みます。
本壽寺門前から東に約50m進むと、また花屋さんがあります。
こちらでは、仏花や線香の購入以外にバケツも水も借りられます。
今は亡き祖父とこちらに墓参りに来たときは、
こちらでお花と線香を買って、バケツを借りました。
その水道に、「清水寺まで3分」と看板が出ていますね。


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その花屋さんの前で、南を向きました。
お墓とお墓の間が路地になっていて、そちらから各お墓に進めます。


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お墓のいちばん端まで来て、南東を向きました。
お墓の端は崖になっていて、その下も墓地が続きます。
向こうに国道1号線の高架が見えますが、
その辺りまで墓地が続きます。
とは言え、これでこの墓地のほんの一部です。
この音羽山は鳥辺山でもあって、
南隣の阿弥陀ヶ峰、稲荷山も合わせて
平安時代~室町時代は「鳥辺野」と呼ばれる墓所でした。
(この位置は、六原の東隣に位置します)
ですからここは浄土真宗本願寺派の墓所ですが、
この近くに別の宗派の墓所もたくさんありますし、
さらに東(清水寺より東)に市営の火葬場もあります。


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先程の花屋さんまで戻って、東に進みました。
その花屋さんの東隣に、こちらの鳥居が見えます。
こちらは、妙見宮ですね。日蓮宗寺院によくいらっしゃいますね。
(第469回ブログの本満寺を参照)


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妙見宮の前で、東を向きました。平坦な道が続きますね。
向こうの花屋さんの先で、左側にも墓地が続くようになります。


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その花屋さんの東側で、左側にも墓地が見えてきました。
この墓所は多少迷路状なのですが、
このアスファルトの道を進む限り道に迷うことはありません。


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大谷本廟の墓所を歩いていると、戦没者のお墓をよく目にします。
明治38年ということは1905年ですから、
こちらは日露戦争で亡くなられた方ですね。
通妙寺から蛇行しながら約200m東に進んでいたのですが、
この辺りからアスファルトの道が北東に進路が変わります。


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その辺りから今度は右側の墓地が消えて、崖が広がります。
その崖の下には、比較的新しいお墓が建ち並びます。
個人的には、お墓が並ぶ景色を「美しい」と思います。


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その位置で、北東に向きました。
この先に、崖下に降りるスロープが見えます。


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大谷本廟の墓所を貫くアスファルトの道が、石段に変わります。
ここで、大谷本廟の墓所の突き当りに来ました。
では、この石段を上ってこの墓所の北東側にある場所に進みます。


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石段を上ると、こちらの茶店があります。
今は亡き祖父と約45年前に大谷本廟の墓所に来たとき、
墓参りの後にこちらの茶店に連れて来られました。
ここでうどんを食べてその後この周囲の散策をして、
最後は「祇園」交差点から市電に乗って帰宅しました。
その茶店がまだ残っているのが、とてもうれしいです。


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2018年11月15日はウチの母がこの脇の公衆トイレに行ったため、
その間ちょっと時間ができました。
そのため、こちらでジュース買って飲んでいました。
2018年12月2日に再訪したときは、こちらを注文しました。


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こちらが、2018年12月2日に注文した甘酒です。
京都では甘酒は酒粕からは作りません。必ず米麹を原料にします。
そのため、ノンアルコール飲料です。
木匙が付いているのは、底に溜まった米麹を食べるためです。


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その茶店の縁台に座って、甘酒を飲みながら見た風景です。
向こうの朱い塔は、清水寺の多宝塔です。
つまり、もう既に清水寺境内に入っています。


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2018年12月2日に、再訪した際の写真です。
桜の木は、紅葉から落葉が終わって枯れ枝でした。
ただ、この日がこの清水寺のカエデの盛りでした。

ではここから清水寺散策なのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、清水寺を散策します~

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第618回 清水の舞台と地主神社

[清水寺] ブログ村キーワード

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前回ブログで大谷本廟の墓所から石段を上り、茶店で休んでいます。
目の前に、清水寺の多宝塔が見えますね。
ここは、もう清水寺境内です。
今回はこのまま仁王門前に回って、清水寺と地主神社を散策します。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午後1時45分。
ちょうど600回ぶりの清水寺に向かいます。


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先程の茶店の東側で、清水寺境内を大きく回り込む道が
東と北に分かれて伸びています。
こちらは、そのうち北に伸びる方の道です。
この先を進むと、清水寺正面の松原通方面です。


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北に向かう道を約30m進み、西を向きました。
石段の下に茶店がありますが、
春になるとあの辺りが桜で絶景になります。
そこから西に、「ちゃわん坂」が伸びています。
「五条坂」から途中で分岐する清水寺への近道ですね。


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その位置から、北を向きました。
向こうに、清水寺仁王門が見えますね。
では、このまま松原通まで進みます。


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さらにこの道を北上します。
ちゃわん坂から約20m進むと、この道は松原通で突き当たります。
向こうに、松原通最東端が見えます。
松原通を西に約200m進むと、産寧坂に出ます。(第18回ブログ参照)


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松原通最東端から、東を向きました。
では、こちらの清水寺仁王門から本堂の方に向かいます。


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2018年12月2日に、こちらに再訪しました。
桜は落葉が終わって完全に枯れ枝並木ですが、
カエデは紅葉が見ごろでした。


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清水寺仁王門の真下で、東を向きました。
では、向こうに見える石段の方に向かいます。


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その石段の許まで来ました。
こちらを上ると、こちらの多宝塔の脇に行けます。


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こちらが、清水寺の多宝塔です。中は非公開なので、入れません。
建物自体が高いだけでなくこの辺りは標高が高いので、
第615回ブログなど京都市街地からでも見えていました。


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清水寺多宝塔の東側に、南側に進む道があります。
次は、こちらに進みます。


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清水寺多宝塔の南側に回って、東を向きました。
この向こうに、清水寺の切符売り場があります。

手前に、「開門時間は、午前6時です」と書いてあります。
清水寺はライトアップを除けば午後5時には閉まりますが、
その分夜明け前に門が開きます。


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先程の地点から、約50m東に進みました。
こちらが、清水寺の切符売場です。
拝観料が大人一人300円なのは、京都では相当安い方に入ります。
(その分、拝観者数が多いですが……)


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こちらが、清水寺の拝観チケットです。
これを持ち帰った後、そのまま栞として使えますね。
紅葉がモデルになっていますが、
春には桜をモチーフにしたものに変更されます。
(清水寺は、紅葉と桜と両方の名所です)


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切符売場の東側から、清水寺本堂に入ります。
実は拝観料が発生するのは、この本堂だけです。


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清水寺の本堂は、初めはこの渡り廊下を進みます。
この先東に進むと清水寺本堂に辿り着きますが……
本堂南半分に当たる「清水の舞台」にシートが掛けられてあります。

2018年は、京都市街地に大きな台風が何度か襲来しました。
その結果京都市街地の多くの文化財が被害を受け、
その多くが現在も修理中です。
(第612回ブログでは渉成園の回棹廊も修復中でした)


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その渡り廊下から、南を向きました。
向こうに、子安塔が見えますね。(重要文化財です)
清水寺は音羽山の中腹に立てられており、
その地形の関係であちこちに風光明媚な場所があります。


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先述の通り、清水寺は現在修復中です。
あちこちにシートが掛かり参拝者も多いことから、
あまり自由に中を歩き回ることができません。
(特に制限はありませんが、障害物が多くて身動きができません)
そのため、奥の仏様の方には向かいませんでした。
取りあえず、こちらの線香だけ捧げました。


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線香が置いてあった場所の近くに、こちらの香炉がありました。
そういう訳で、自分と母とで1本ずつ線香を奉げました。

北法相宗音羽山清水寺は、平安京遷都以前の778年創建です。
日本有数の観音信仰の寺院で、こちらのご本尊も千手観音像です。
平安時代になって、坂上田村麻呂の帰依を受けて大きくなりました。
清水寺は何度も焼失しており、現在の本堂は江戸時代のものです。
実は、創建当時の建物はほぼ残っていません。


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清水寺本堂から、南を向きました。
清水寺本堂は南半分が屋外で、舞台になっています。
普段はもっと広々としていて動きやすいのですが、
修復中なのでこんな感じです。


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清水の舞台から、京都市街地を眺めてみました……
と言いたいところですが、建築現場の足場しか見えません。
第9回ブログでもこの舞台から京都市街地を眺めたのですが、
今回は無理そうです。


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今度は、清水の舞台の真下を見ました。
あちらに、音羽の滝が見えますね。
そちらには、清水寺参拝の最後に向かいます。


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清水の舞台を東に進むと、こちらから外に出られます。
一度出るともう舞台の方には戻れませんので、注意が必要です。


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清水の舞台を東側から出て、すぐに北を向きました。
清水寺境内に、こちらの地主神社がいらっしゃいます。
第9回ブログでは素通りしましたが、今回はこちらにお邪魔します。


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2018年12月2日に、こちらに再訪して撮りました。
地主神社前も紅葉が進むと、風景が変わりますね。


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2018年11月15日撮影分に戻ってきました。
石段を上りきると、地主神社の本殿が見えます。


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地主神社は恋愛運にご利益があるので、
そういうことに関連したものがたくさんあります。
本殿前を横切るように、「恋占いの石」が二つ並んでいます。
(写真には東側のものだけ写っています)
目を閉じてこちらの石から石まで到達できたら
恋愛成就という占いなのですが、(よく修学旅行生が試されています)
この日(2018年11月15日)は参拝者が多くて、
それを行うことはできないでしょうね。


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そして、こちらが地主神社本殿です。ご祭神は、大国主命です。
夫婦円満、縁結び、恋愛運のご利益があるとされますが、
元々はこの辺の土地神様と考えられています。


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地主神社本殿前で、西を向いています。
目の前に、もう一つの「恋占いの石」が見えますね。
このすぐ先は崖になっていて多分風光明媚なのでしょうが、
絵馬が並んでいるので眺めることはできません。
その先に、先程の清水寺多宝塔が見えますね。


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そして、地主神社境内の北側に回り込んできました。
こちらに地主神社の末社や社務所が並ぶのですが、この人出です。
こちらに進むのは諦めて、地主神社の石段を降ります。


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地主神社の石段を降りてきました。
ここから、清水寺境内に戻ります。


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地主神社から、清水寺境内に戻ってきました。
この背後(北側)に地主神社の石段があって、
右(西)側に、清水寺本堂(清水の舞台)があります。


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先程の位置で、東を向きました。
この先に清水寺随一の絶景ポイント奥の院がありますが、
これで清水寺散策の半分が終わりました。
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、清水で散策の残り半分を進みます~

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第619回 清水寺 奥の院から見た紅葉

[奥の院] ブログ村キーワード

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清水寺の舞台(本堂)の東側で、さらに東を向いています。
ここは、清水寺境内の北東端です。
今回は、清水寺散策の後半を掲載します。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午後2時半。
清水寺前回ブログの方が有名ですが、絶景なのは今回です。


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その辺りに、南へ向かう急な下りの石段があります。
ここを下りると、音羽の滝があります。
自分が小さなころはこの石段を使っていましたが、
今回はこちらではなく第9回ブログ同様奥の院経由で進みます。


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2018年12月2日日曜日午前10時に、こちらに再訪しました。
実は、この石段は清水寺の中でも紅葉の絶景ポイントです。
上から見たらこんな感じですが、ここをゆっくり歩くと
紅葉がドーム状になって、それがここの醍醐味です。


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2018年11月15日撮影分に戻ります。
清水寺境内北東端で、南を向いています。
この辺りから音羽山の斜面に貼り付くように、
さまざまなお堂が並んでいますね。


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阿弥陀堂の前で、清水寺境内を南に向きました。
こちらが、重要文化財清水寺阿弥陀堂です。
この地で法然が初めて念佛法要を行ったため、
江戸時代初期の1633年に建立されました。
その南隣に、重要文化財清水寺奥の院があります。


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奥の院には多くの参拝者がいらして、そのものの写真はありません。
……で、参拝者がたくさんいらっしゃる理由ですが
それはこの奥の院から西を向いたときに見える眺望です。
清水寺境内は桜や紅葉の名所で絶景ポイントがあちこちあるのすが、
この奥の院から見たこの眺めが随一ですね。
実は清水寺を撮った写真の多くが、清水の舞台上のものではなく
この奥の院から向こうの清水の舞台を撮ったものでした。
一緒に京都市街地が一望できるのが、またいいですね。
どの分、舞台に掛かったシートがちょっと残念です。
いずれは修復も終わりますし、そのときの再訪がまた楽しみですね。


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先程の写真のほぼ中央を大写ししました。
こうすると、こちらに京都タワーがあることが分かりますね。
第591回ブログではあちら側からこちらを写しました。


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2018年12月2日に再訪した際の奥の院から見た眺望です。
清水の舞台の下が清水寺境内でいちばん紅葉が濃いので、
こちらから見ると紅葉と清水の舞台の両方を楽しめます。


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さらに2018年12月2日に撮影した写真です。
京都タワーを意識して、写真を撮りました。
清水の舞台下の紅葉がきれいですが、
写真の中央には桜の枝が横切っていますね。
清水寺は紅葉シーズンだけでなく、桜のシーズンも楽しめます。


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2018年11月15日撮影分に戻ってきました。
奥の院から北上して今回ブログ最初の地点に戻る道もありますが、
今回ブログも第9回ブログ同様奥の院から南下します。


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こちらは、清水寺奥の院の南側です。
音羽山の斜面にずっとシートが掛かっていますが、
おそらくこちらも2018年9月に京都を襲った台風の影響でしょう。
では、こちらを南下していきます。


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清水寺奥の院から、音羽山の斜面を約100m南下しました。
こちらに、何人か人が集まっています。
ちょっと、ここで立ち止まってみます。


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その位置で、清水寺多宝塔方面に向きました。
京都市街地も一望できて、なかなかの絶景ですね。


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そちらからさらに、音羽山の斜面を南下しています。
写真では分かりにくいですが、ここは相当急な下り坂です。
音羽山斜面に、桜並木が続きます。
清水寺の桜並木は、奥の院付近とこの辺りに広がります。


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清水寺奥の院から、音羽山斜面の道を約200m南下しました。
この道は、ここで突き当たります。
重要文化財の子安塔からこちらに降りてくる道があるのですが、
この道はそちらに合流していきます。


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清水寺奥の院から南下してきた下り坂から、
子安塔から北上してきた下り坂に移ってきました。
今度は、こちらを北上していきます。


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先程の合流点から、約50m南下しました。
ここで北上する道が分岐しますが、右側の平坦な道を進みます。


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先程の位置から、平坦な山際の道を北上しています。
だんだん清水の舞台が近づいてきました。


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その音羽山斜面に、こちらの石仏が時折並んでします。
(こちらは、たぶんお地蔵さんではありません)
多分ですが、この辺りで行路病死された方々のために
こちらが作られたのだと思います。
(今はともかく、大昔にはそう方もいらしたでしょうから)
この辺りに、だいたい20基くらいいらっしゃいます。



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先程の地点から、さらに約100m北上しました。
先程分岐した道が、ここで合流します。
また、この左(東)側に公衆便所があります。
(こういうところには数が少ないので、
予め場所を把握しておかないといけません)


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その公衆便所の北隣に、茶店があります。
右(東)側で注文をして、左(西)側の縁台で飲食します。
ところが、この日(2018年11月15日木曜日)は休まれていました。
まぁ観光シーズンとは言え、平日だからでしょうか?
風光明媚なので、観光客の何人かが
閉鎖されていた縁台のある場所に入って撮影されていました。


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その茶店の北隣に、音羽の滝があります。
ただ、平日なのに相当の時間待ちですね。
第9回ブログでは約30分待ちでしたが、今回はそれ以上ですね。
ですから、今回は音羽の滝を諦めました。
普段でしたら、こちらの水を柄杓で採って飲みます。
こちらの真上に祠がありますが、あちらに水源があります。
ですからこちらは自然の水を直接飲むのですが、
定期的に京都市水道局が水質検査をしており、
浄水しなくても安全が確保されています。
(第601回ブログ錦の水と同じですね)


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音羽の滝の前から、北を向きました。
こちらの石段は、今回ブログの最初に出てきましたね。
下側から見上げると、こんな感じです。


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2018年12月2日に再訪したときの写真です。
この石段の真下から見上げる風景を撮るはずが、
間違えて石段の中段から音羽の滝を撮ってしまいました。
まぁこちらの方が絶景なので、これはこれで良しでしょう。
(個人的は、奥の院から見た清水の舞台と
この石段の中段からの風景が、清水寺絶景の双璧です)


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音羽の滝の前から、清水の舞台を見上げました。
石垣にカエデ並木が続きますが、
清水寺境内でこの辺りがいちばん紅葉が濃いですね。


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音羽の滝から、清水の舞台の奈落を西に進みました。
このカエデ並木の上に、舞台修復のための足場が組まれています。
2018年11月15日の段階ではまだ紅葉が進んでいませんでしたね。


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2018年12月2日日曜日に再訪したときに、
音羽の滝の前で清水の舞台の奈落がある西を向きました。
すっかり紅葉に染まると、この辺はこんな感じです。
実は、この辺もなかなかの絶景ポイントだったりします。


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こちらも、2018年12月2日撮影の写真です。
先程位置よりは、もう少し西に進んだところを撮りました。
左(南)側が崖で、そこからカエデが伸びてきています。
この辺りは、紅葉がドーム状になります。


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その西へ進む道の途中に、こちらが立っていました。
阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)の供養塔です。
この清水寺は平安時代初期に坂上田村麻呂の帰依や寄進を受け、
現在の大きさに巨大化しました。
坂上田村麻呂は桓武天皇に重用された武人ですが、
桓武天皇死後の810年に起こった平城太上天皇の変
802年から803年に起こった阿弖流為の乱の英雄です。
当時の東北地方は福島県以南しか日本ではなかったのですが、
蝦夷の王であった阿弖流為と副官の母礼は、
一時期は東北地方どころか北関東まで支配しました。
それを倒した英雄が、征夷大将軍の坂上田村麻呂です。
これで日本は、東北地方最北端まで広がりました。
坂上田村麻呂は阿弖流為や母礼を近畿地方まで護送したのですが、
その際田村麻呂は二人と仲良くなって
桓武天皇に二人の助命を訴えました。
ところが助命は許されず、阿弖流為も母礼も直後に処刑されました。
そこで、坂上田村麻呂はこの清水寺境内に
この二人のお墓を立てたようです。
お墓そのものは度重なる災害や戦災で跡形もなくなったため、
近年このように供養塔が立てられました。


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2018年12月2日に再訪した際の供養塔です。
この辺りは紅葉に囲まれていますから、
この供養塔も絶景の一部になります。


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阿弖流為と母礼の供養塔の前で、西を向きました。
こちらに、また茶店があります。
清水寺では、絶景ポイントごとに茶店がありますね。


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その茶店の西側で、南を向きました。
この辺りは崖と言いますか、谷と言いますか、
とにかくその辺り一帯にカエデ並木がずっと続いています。
この辺りが、また紅葉の絶景ポイントですね。


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茶店から、さらに西に進みました。
左に見える石塔の向こう(西)側が、前回ブログの最初の写真です。
つまり、これで清水寺境内をほぼ1周しました。


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さらにこの道を西に進むと、こちらの池があります。
この近くも紅葉が濃いので、それはそれで絶景になります。


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2018年12月2日に再訪した際に、こちらの池を撮りました。
この辺は日がよく差すので、もう落葉が進んでいました。


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この西に進む道は、池の先で別の道と合流します。
では、そちらに向かいます。


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音羽の滝から西に進んだ道を突き当り、北を向きました。
こちらは、前回ブログでも通った道ですね。
向こうに、清水寺仁王門が見えますね。


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先程の位置から、そのまま北上しました。
この道の突き当りが、松原通最東端です。
そこを右(東)に向くと、清水寺仁王門前に出ます。


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松原通最東端から、西を向いています。
この背後(東)に、清水寺仁王門があります。
ここから西に約200mが、京都でも最大規模の土産物屋街です。
次に松原通を西に進むわけですが、だいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

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第620回 二年坂のかさぎや

[かさぎや] ブログ村キーワード

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清水寺仁王門に背を向け、松原通を西に向きました。
ここは、松原通の最東端です。
今回は清水寺の参道から、高台寺方面に抜けます。
要するに、産寧坂と二年坂を通ります。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午後2時。
今回は、途中まで第10回ブログ第18回ブログと同じコースです。


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清水寺仁王門前から、清水寺参道(松原通)を西に進んでいます。
……この日は平日なのですが、(2018年11月15日木曜日)
ほとんど立錐の余地がないくらいの人出です。
まぁこの辺りが、京都の観光地でいちばん混むところですね。
そのため昔ながらの土産物屋さんもありますが、
京都中の土産物屋の有名店がここに進出しています。


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清水寺参道(松原通)は清水寺仁王門から西に約50m進むと、
北西に進路が曲がり、急な下り坂になります。
すると、この辺りから道の先を見ると京都市街地が一望できます。


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清水寺さん(松原通)沿いに、何軒か小さな寺院があります。
そのうち、こちらは浄土宗西山深草派宝徳寺です。
浄土宗ですからご本尊は阿弥陀如来像なのですが、
沿革は諸説いろいろで不明です。
(古いもので鎌倉時代一遍の創建など。他に2説あります。
ただ江戸時代1786年発行の「京都洛中洛外図絵」に載っており、
その時点の存在は確実です)


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宝徳寺の西隣に、マールブランシュ清水坂店があります。
京都随一の洋菓子店ですね。
ただこちらは喫茶と生菓子がなく、焼き菓子の販売のみです。
マールブランシュのオリジナル焼き菓子と言えば、
「茶の菓」の言うランドグシャですが、
この店限定で清水焼に入ったものが売られていました。
第10回ブログ掲載当時の2011年では
「茶の菓」は「新しい京土産」でしたが、
2018年段階では「京土産の定番の一つ」となりました。


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マールブランシュ清水坂店から、さらに北西に進んでいます。
清水寺参道(松原通)は歩行者が左側通行で進んでおられますが、
実は特にそういう法律や条例があるわけではありません。


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清水寺仁王門から、清水寺参道(松原通)を北西約200m進みました。
ここで、清水寺参道(松原通)は四辻に出ます。
ここから正面(北西)に向かうと、そのまま松原通です。
(第18回ブログ参照)
左(南西)に向かうと五条坂で、
このまま進むとすぐに4車線の大通りとなり
第617回ブログの最初の地点に出ます。


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その四辻の北角に、こちらのお店があります。
七味唐辛子専門店の七味家ですね。七味唐辛子発祥の店ですね。
元々七味唐辛子は、清水寺参拝者の疲労回復のために
(ここまでの徒歩は、事実上音羽山登山ですし)
白湯に溶いてそのまま口にするお薬でした。


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ちょっとその七味家に立ち寄ってみました。
店内では七味唐辛子だけでなく、
「七味」それぞれが個別に売られていました。
ですから、お客さんの好みに合わせて店内でも調合も可能です。


620-33.jpg
結局、自分は山椒だけ買いました。
いつもは伏見稲荷大社の境内で買うのですが、
ここまで来たついでですし、ここで買ってみました。
山椒は鶏を焼いたり炙ったりしたものに合いますが、
自分が使うのはほぼ麻婆豆腐の薬味ですね。
(山椒がよくなくなるくらいには、麻婆豆腐を作ります。
まぁ、自分が作る料理は基本中華料理です)


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七味家を北東側に出ました。
こちらが、四辻のもう一つの道ですね。
今回は第10回ブログ同様、こちらを進んでいきます。


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こちらの道に、このような道標が立っていました。
ちなみに、護国神社は今の霊山観音の位置にいらっしゃいました。
清水寺から霊山観音経由で祇園の八坂神社までの散歩道は、
今から約100年前に大正天皇が散策されてとても喜ばれた道です。
大正時代末期から昭和時代初期に大流行した道ですが、
今現在も京都でいちばん人気がある観光地です。


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四辻から、北西に約10m進みました。
七味家の前を通り過ぎると、すぐに下りの石段になります。
この石段が、産寧坂と書いて「さんねんざか」です。
右側の寺院が修復中なので鉄板で囲われていますが、
この辺りは古い家屋に囲まれたいかにも「京都らしい」街並みです。


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産寧坂の写真をもう何枚か撮ったのですが、
残りは誰かの顔のアップやひじが写真の左半分に写り込んだり、
写真が斜めに歪んだりして採用できないものばかりでした。
ですから、産寧坂の写真は先程の1枚だけです。

産寧坂を下り終わると、進路が真北に変わります。
次は、この京町家に囲まれた石畳の道をまっすぐに進みます。
おそらく、この辺が京都市内でいちばん「京都らしい町並み」です。


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産寧坂から、約5m北上しました。
こちらは、昔ながらの清水焼の小売店です。
自分が生まれる何年も前から、こちらにあります。


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その清水焼の小売店の前で、北を向きました。
ここで、また四辻と出会います。


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その四辻で東を向きました。
先程の清水焼の小売店の向かい(東)側が、興正寺本廟です。
興正寺は「七条堀川」交差点北西角にありますが、
この奥にその興正寺の墓地があります。
この辺りは京都でも随一の観光地ですが、
その周囲は大昔の「鳥辺野」で、京都有数の埋葬地です。


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その四辻で、北を向いています。
この東側は約10年前は大きな料亭があったのですが、
そちらを改装して様々なテナントが入るようになっています。
四辻沿いにイノダコーヒーの支店があって、
目の前にもよ~じやの支店があります。


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そのテナントの北端に、一見すると土蔵のような建物があります。
こちらは、宇喜屋吉清庵ですね。
有喜屋は、先斗町北端にある京都を代表する老舗蕎麦屋の双璧です。
朝から第615回ブログの甘春堂東店での抹茶と和菓子以来
今日は何も食べていません。
ですから、こちらに入ろうとしたのですが……
時間帯が悪くてギリギリ満員でした。
そのため、この日(2018年11月15日)の入店は諦めました。


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どうしても諦められず、2018年12月2日に再訪したときに
有喜屋吉清庵に立ち寄りました。
店員さんにこのブログの掲載許可を取ったところ、
快く請けて頂きました。
そこで、こちらの冬の京都の定番ニシンそばを掲載します。


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そのニシンそばです。京都人のソウルフードと思っています。
汁を張った蕎麦に、身欠き鰊の煮込んだものが載っています。
ネギなどは小皿に別盛りです。
最初は汁がとても澄んでいるので、先ずはその汁から飲みます。
やがてニシンも食べますが、
そのときニシンの身から魚の出汁が出て、また別の味に変わります。
ネギはこちらに入れず、そばを食べながら
時々そのまま口にします。
食べ方は本人の勝手ですが、個人的にはこれが美味しいと思います。


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また2018年11月15日撮影分に戻ります。
有喜屋吉清庵の向かい(西)側に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
第10回ブログ以来、時々掲載させて頂いています。


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有喜屋吉清庵の前で、北を向きました。
この辺りは、古い京町家の土産物屋さんが多いですね。


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産寧坂から、約100m北上しました。
ここで、この道は北西に曲がっていきます。


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この道を北西に曲がってみました。
約30m先で、また真西に曲がっていますね。
そして、その辺りで石段で下りる道が真北に伸びています。


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その石段の前で、西を向きました。
こちらはここから八坂通になり、臨済宗の建仁寺で突き当たります。
今進んでいる道は、第104回ブログのコースを逆行しています。
また、この写真をよく見ると法観寺の八坂の塔の端が見えますね。


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同じ位置で、北を向きました。
こちらの石段は「二年坂」と呼ばれています。
では、この二年坂を下りていきます。


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二年坂の石段を下りている途中に、こちらの平屋家屋があります。
ここは「かさぎや」という茶店で、第104回ブログ以来の掲載です。


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では、6年ぶりの「かさぎや」です。
すると店の主人が代替わりしていて、若夫婦が経営されていました。
自分が学生時代に初めてここに訪れたときは、二代目の主人でした。
その後主人の奥さん一人だけになられて、
その娘さんに代替わりされたのが20年くらい前で、
今の若夫婦にまた替わられました。

こちらに入ると、先ずはこちらのお茶が出てきました。
それは、何代も前から変わりません。


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こちらには何十年も通い続けていますが、
いつも自分が注文するのはこちらの「はぎ餅」です。
要するに、「おはぎ」ですね。
母はいつも違うものを頼みますが、
今回は母も「はぎ餅」を頼みました。


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こちらが、はぎ餅のアップです。
ここの特徴がこの粒餡のはぎ餅です。
こちらは、小豆の粒を割らずに炊き込むのが名物です。
京都人は基本的に「薄味」好みなので、
こちらも極端には甘くありません。


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かさぎや」を出て、二年坂を下り終わりました。
二年坂を下ると、平坦な道が真北に伸びています。
この辺りも土産物屋さんが並びますが、
どちらかと言いますと飲食店が建ち並んでいます。


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二年坂から北上していると、
ウチの母が突然並びの竹細工屋さんに入っていきました。
そちらで耳かきを購入している間、自分は店先で待っていました。
こちらは、その竹細工屋さんの北隣にいらっしゃるお地蔵さんです。


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二年坂から、ゆっくり北上しています。
あちらにみたらし団子が売られていますが、
さっき「かさぎや」に入ったばかりなので通り過ぎます。
かさぎや」を含めて、この辺はがっつりした食事よりも
茶店が多く並びますね。


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二年坂から、約150m北上しました。
ここでこの道は、目の前の大通りで突き当たります。
その大通り付近に石段があって、
そこを上ると霊山観音や高台寺に行けます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、霊山観音と高台寺を散策します~

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第621回 霊山観音に参拝

[霊山観音] ブログ村キーワード

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前回ブログで二年坂から約150m北上して、大通りの前に出ました。
今回は、この真北にいらっしゃる霊山観音に参拝します。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午後3時。
そろそろ日が傾いてきました。


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そのまま北上して、大通りに突き当たりました。
ただ、よく見るとこの小さな石段によって続きの道があります。


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同じ位置で、大通りを東に向きました。
目の前に、護国神社の一の鳥居が立っています。
この山道の先が、霊山観音の裏(東)側が、護国神社です。
またその近くに、幕末維新ミュージアムがあります。
さらにこのまま山の中に入ると、
坂本龍馬など勤王の志士のお墓がある霊山墓地です。


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さらに、同じ場所で西を向きました。
この下り坂を約300m進むと、東大路で突き当たります。
その辺りから、安井金毘羅宮に入れます。
(第36回ブログとは反対側の道です)


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また同じ位置で、北を向きました。
では、この石段を上っていきます。


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石段を上がって、すぐに右(東)に向きました。
こちらの道は、先程の道からもっと下(西)の部分で分岐して
ここの北の方に曲がってきます。
この先に、このあたり最大の駐車場があります。


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その位置で、北を向きました。
すると、また上りの石段があります。
この先に、先程の駐車場や高台寺、霊山観音がいらっしゃいます。


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その石段を上りながら、南西に向きました。
向こうに、法観寺の「八坂の塔」が見えます。
(八坂の塔は、第103回ブログ参照)


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さらにその石段を上っています。
石段は、途中で西に進路が変わります。
そして、石段の先にいくつかの建物が並んでいます。


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石段を上り約5m進んで、北を向きました。
この辺りは、オープンカフェですね。
この建物には、飲食店以外にも公衆トイレなど
様々な施設が併設されています。


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その建物から、さらに北を見ています。
この周辺は大きな駐車場で、観光バスがたくさん停車しています。
さらに、その駐車場の北側に高台寺があります。


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その位置から、東に向きました。
向こうに、観音様の頭が見えますね。
あちらが、今回ブログのメイン霊山観音です。
手前の砂利の部分は全て駐車場ですが、
さすがに平日(この日は2018年11月15日木曜日)のせいか、
結構空いていました。


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先程の位置から、さらに東に進みました。
では、こちらから霊山観音の境内に入っていきます。


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先程の位置で拝観料を納めると、こちらの線香を頂けます。
……相当太い線香ですね。
こちらを切符代わりに、霊山観音境内を進みます。


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こちらが、先程から見えていた霊山観音(りょうぜんかんのん)です。
全長は24mで、第591回ブログの京都タワーでからでも
しっかり写っていました。

霊山観音は宗教施設ではありますが、
特定の宗派には属しておらず、
その意味では必ずしも仏教寺院とも言い切れません。
第二次世界大戦の戦没者を弔うために、
1955年帝産バス初代社長石川博資氏によって建立されました。
ですから、個人的には「戦没者への鎮魂碑」というイメージです。
そういえば幼稚園時代今は亡き祖父とここに立ち寄ったとき、
こちらの内部に入ったのですが、(観音様の中は空洞です)
そこは一面ろうそくが並んでいました。
それらは戦没者への鎮魂の意味で並べられていたようです。
その祖父も、こちらに何回かろうそくを奉げていました。


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霊山観音の前に、こちらの大きな香炉があります。
切符代わりに頂いた太い線香は、こちらに捧げます。
ここで線香を奉げて、そのまま霊山観音に手を合わせました。


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霊山観音に背を向け、西へ進みました。
では、こちらから霊山観音を出ます。


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霊山観音を出て、北を向きました。
左(西)側の駐車場は平日なので多少空いていますが、
観光バスが並んでいるとまるで塀です。
では、この先の高台寺の方に進みます。


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その駐車場北東端から、西を向きました。
ここから見ると、この駐車場の西側は崖になっています。


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駐車場の西端から、さらに西側を見ています。
予想通り、ここから京都市街地が一望できます。
とは言えそこまで高い場所ではないので、近場しか見えません。
写真中央に青いビルが見えますが、
その形状からたぶんあの辺りが「仏光寺河原町」交差点です。
ですから、この左(北)側が第600回ブログに
出て来た「四条河原町」交差点です。
(京都随一の繁華街ですね)


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この駐車場の北側に、こちらの茶店があります。
そして、そのさらに北側が高台寺です。
この辺随一の紅葉の名所ですね。
こちらからそのまま高台寺に向かいますが、
ちょうど切りが良いので、今回はここまでです。

~次回は、高台寺で紅葉散策します~

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第622回 紅葉の高台寺

[高台寺] ブログ村キーワード

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前回ブログで、霊山観音から北上し、北を見ています。
ここは、高台寺の南端です。目の前の茶店が賑わっていますね。
今回は、こちらの高台寺を散策します。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午後3時半。
この日はそれ程紅葉していなかったので、
2018年12月2日日曜日に再訪した写真も載せます。


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こちらは、その茶店の向かい(東)側です。
高台寺の末社の天満宮です。
高台寺に参拝するときは、最初に立ち寄る場所ですね。


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こちらは、その天満宮の南東角です。
天満宮の北側の中心に、マニ車が並んでいます。
くぎ抜き地蔵のものよりも、チベットのものに近い形状ですね。
(くぎ抜き地蔵は、第552回ブログ参照)


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茶店と天満宮の前で、北を向きました。
では、こちらから高台寺境内に入っていきます。


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2018年12月2日に、高台寺に再訪しました。
3週間近く経って、高台寺は完全に紅葉しました。


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2018年11月15日撮影分に戻ります。
先程の道を北上して高台寺庫裏に突き当たり、
そのまま庫裏の北側に回り込んできました。
こちらで、高台寺への拝観料を納めます。
確か、ねねの道に併設されている美術館の拝観込みで800円でした。
初冬なので夕方が近いのですが、
これだけの方が平日にも拘らず来られていました。


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ですから、ここから先は拝観料を納めないと入れません。
拝観料を納めた受付の北側に、休憩所とトイレがあります。
そこの石製ベンチの先が崖になっていて、なかなかの眺望です。
ここから見えるのは祇園の東側で、
大雲院の銅閣(祇園閣)がよく見えますね。


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ほぼ同じ場所を2018年12月2日に撮りました。
この日は午前中からこの辺りを回ったので、
太陽が南中近くの時間帯のため、
11月15日撮影分より明るく写りました。

この日(12月2日)は日曜日ということもあって、
11月15日以上の方々が来られていました。
向こうの楼閣を見て、「あれは清水寺の多宝塔だ」とか
「法観寺の八坂の塔だ」とかおっしゃる方がいらっしゃいましたが、
(大半が彼女同伴の若い男性でした)
先述の通り「大雲院の祇園閣(銅閣)」が正解です。


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その休憩所の前で、高台寺境内を東に進みます。
この左側は高台寺の墓地ですが、そちらには向かいません。


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先程の位置から、高台寺境内を東に進んでいます。
この辺りには、いくつか茶室が並んでいますね。


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こちらは、2018年12月2日に再訪した分の写真です。
茶室周辺の紅葉も、このように染まっていました。
この周囲に、本当はたくさんの方々が写真撮影していました。


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2018年11月15日撮影分に、戻ってきました。
高台寺境内を進むと、開山堂前の庭園に出ます。
次は、南側に見える方丈に進みます。


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高台寺の方丈へ南下する途中で、東を向きました。
池の向こうに、高台寺の開山堂が見えます。


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2018年12月2日再訪分の写真です。
ちょっと角度が違いますが、開山堂前の写真です。
再訪時は、この辺一帯が紅葉で染まっていました。


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ここから、その方丈に入っていきました。
方丈へは、ここで靴を脱いで
その靴を靴袋に入れて玄関から上がります。


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方丈の中は撮影できません。
ただし、外の庭園や開山堂付近の借景は、撮影可能です。
こちらは、方丈の南側庭園です。
確か小堀遠州の作庭と考えられています。


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2018年12月2日に再訪したときの方丈庭園です。
カエデの紅が、庭の白砂に映えますね。


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高台寺方丈を出ました。
次は開山堂の前の道に戻り、さらに南に進みます。


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開山堂の前の道を突き当りまで南下し、東に向きました。
ここから高台寺境内の奥に進みますが……完全に登山です。


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その東山登山に向かう前に、東側から開山堂を見ました。
実は、開山堂はここから見るのがいちばんです。


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2018年12月2日に再訪した際の様子です。
開山堂は、紅葉もこの角度がいちばん綺麗です。


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先程の道に戻り、高台寺境内で東山登山を始めます。
この道は、すぐに上りの石段が延々続きます。
ねねはお婆さんになってから、
こんな山道を毎日上り下りしていたの?」
ウチの母は、ここに来る度そんなことを言います。


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その山道を少し登ってから、北に向かいました。
先程の開山堂の東側に、こちらの霊屋があります。

臨済宗建仁寺派高台寺は、寧々(ねね)が江戸時代初期に
夫の豊臣秀吉の菩提を弔うために建立しました。
ただ、当時寧々を援助していた徳川家康が資金提供しています。
と言いましても、こちらはその寧々が年老いてから居住した
「終の棲家」という側面が大きい寺院です。
ですから、あちこちにその寧々が生活していた跡が残されていて、
それがこちらを貴重にしている最大の理由です。

この「霊屋」は、中に寧々と豊臣秀吉の座像が鎮座しています。
そして、ねねの像の真下に寧々のご遺体が安置されています。
つまり、こちらは事実上寧々のお墓です。


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「霊屋」から、先程の山道に戻ってきました。
そして東に山登りを再開しますが……この辺りが一番きついです。


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その石段の山道を約50m登りました。
石段の上り坂の突き当りに、2軒の茶室が並びます。
どちらも開山当時からあって、寧々が愛用した茶室です。


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2軒の茶室のうち、先ずこちらが傘亭です。重要文化財です。
茅葺屋根が、まるで傘です。
ちょっと伏見区深草の瑞光寺本堂と、形状が似ていますね。


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そして、こちらがもう一つの茶室時雨亭です。
こちらも、重要文化財ですね。
ちょっと高い建物ですが、昔は大阪まで見えたそうです。
1615年の大坂の陣の際には、
寧々はここから大阪城が落城する様子を見ていたそうです。


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2018年12月2日に再訪したときの傘亭です。
ここはだいぶ山の上ですが、高台寺の紅葉はここがいちばんです。


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さらに、2018年12月2日撮影分です。もう一つの茶室時雨亭です。
この辺りの紅葉が見事で、たくさんの方々が撮影されていました。


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2018年11月15日撮影分に、戻ってきました。
前回ブログの霊山観音が見えますね。
いつの間にか、霊山観音を見下ろす高さに来ていました。


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傘亭・時雨亭の脇を南下します。こちらが高台寺の帰り道です。
左手に照明器具が見切れていますが、
この時期(紅葉シーズンに)行われるライトアップのためのものです。


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その道は、やがて西に折れて急な下り坂になります。
こちらは帰り道ですが、ライトアップの際は
ここは夜間でも明るくなります。



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石段の下り坂を、西に進んでいます。
いったん平坦になりますが、竹林の辺りでまた下り坂になります。


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2018年12月2日に再訪した際のこの辺りの写真です。
実は、紅葉シーズンにはここも絶景になります。


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その竹林の道を下っています。
午後4時近くなって、だいぶ日が傾いてきました。
まぁ、撮影日(2018年11月15日)約1カ月後が冬至ですからね。


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石段を完全に下り切りました。
すると、高台寺開山堂の南側に出ます。
さらに西に進み、向こうの塀に突き当たります。


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その塀に突き当たり、南を向きました。
では、この先でまた西に進みます。


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2018年12月2日に再訪した際の写真です。
この辺りも、紅葉シーズンになると紅く染まります。


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先程の角で、西を向きました。
では、この道を進んでいきます。


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先程の位置から、50mほど西に進みました。
この左(南)側に、今回ブログの最初の位置があります。
つまり、この右(北)側に高台寺の庫裏があります。

目の前に西に向かう下りの石段がありますが、
こちらが高台寺でよく知られる門への石段です。
(高台寺屈指の絶景ポイントです)
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は、八坂神社など祇園東部を回ります~

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第623回 夕暮れの円山公園

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前回ブログで散策した高台寺の石段の上にいます。
今回はこの石段を下りて祇園の東側を散策します。
撮影日は、2018年11月15日木曜日午後4時。
時節柄、この時間でだいぶ暗くなってきました。


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高台寺の石段を下りていきます。
高台寺は紅葉で有名ですが、
この石段も高台寺の絶景ポイントの一つです。


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2018年12月2日日曜日に再訪したときの写真です。
この辺りの樹木の大半はカエデなので、この時期になると
まるで「紅葉ドーム」の中を歩いているようです。


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高台寺境内から、石段を西に約5m下りました。
ここで南北に伸びる「ねねの道」と交差します。
ちなみに、この高台寺以北がおおよそ「祇園」です。


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高台寺の石段下から、ねねの道を南に向きました。
目の前に、高台寺の塔頭寺院圓徳院が見えます。
豊臣秀吉の正室である寧々(ねね)は、
晩年は高台寺で生活していましたが、
さすがに就寝時は山の上ではなくこちらにいらしたようです。
ですから、こちらの寺院にも寧々の遺品が多く残されています。
こちらの紅葉も見事なのですが、
だいぶ時間が遅くなってきたので先を急ぎます。


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同じ位置で、北を向きました。
圓徳院の北隣に、こちらの施設があります。
こちらも元々寺院だったのですが、
現在は様々なテナントが入った場所に変わっています。
前回ブログで散策した高台寺への拝観料に、
そのテナントの一つ掌美術館への切符が含まれます。
せっかくなので、ちょっと立ち寄りました。(写真はありません)
そこでは、豊臣秀吉と寧々の遺品が展示されていました。
ただ、さらに時間が経ってこの時点で午後4時半です。


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そのテナントの向かい(東側)に、こちらの寺院があります。
高台寺の塔頭寺院の一つ臨済宗建仁寺派月真院です。
江戸時代末期に新撰組から離れた伊東甲子太郎は、
ここに御陵衛士の屯所を開きました。
(その伊東甲子太郎は、油小路の変で新撰組の隊士に暗殺されました)

こちらはずっと非公開だと思っていたのですが、
近年は公開されているようですね。
実はこちらの紅葉が見事なのですが、
もう日が暮れるので先を急ぎます。


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月真院の前で、ねねの道を北に向きています。
この辺りはカエデは少ないのですが、
それ以外の紅葉が辺り一面に広がります。
ここは、この時間帯がいちばんきれいですね。


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月真の前から、ねねの道を約100m北上しました。
ここでねねの道は突き当たりますが、
目の前に前回ブログでも見えていた
浄土宗系の龍池山大雲院の銅閣があります。


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大雲院の前まで来て、東を向きました。
では、この上り坂を進んでいきます。


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先程の位置から、約50m東へ進みました。
この少し先に菊の井があります。祇園を代表する料亭ですね。


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その位置で、北を向きました。
左(西)側に先程の大雲院が見え、
右(東)側に円山音楽堂があります。
京都市最大の野外音楽堂ですね。
では、こちらを北上します。


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先程の位置から、方丈しています。
こちらが、浄土宗系の龍池山大雲院です。
こちらの銅閣がとても高いので、遠くからでも見えます。
普段は非公開ですが、時々特別公開されています。


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大雲院前で、北を向きました。
円山音楽堂へは、こちらから入れます。
円山音楽堂は自分が学生時代に
祇園祭期間中「宵山コンサート」が毎年開かれていました。
そちらを見た後宵山に繰り出し、真夜中は鴨川畔で遊んで、
翌日そのまま山鉾巡行見物というのが定番でした。


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その位置から、約100m北上しました。
東を向くと、こちらの石製塔路が並んでいました。
こちらは大谷祖廟で、東本願寺の墓地です。
(西本願寺の大谷本廟は、第617回ブログ参照)


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その石製燈籠の北側に、東西に伸びる坂道があります。
その坂道を西に向きました。
この下に八坂神社の楼門があって、
そちらが第410回ブログの冒頭部分です。


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同じ位置で、東を向きました。
この先に長楽寺があって、その境内にある料亭左阿彌が
祇園が花街に変わっていく契機でした。


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同じ位置で、北を向きました。
左(西)側に、長楽館が見えます。
では、こちらを北上します。


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先程の位置を北上すると、すぐにこちらに着きます。
では、ここから丸山公園に入っていきます。


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円山公園に入ってきました。
こちらは桜の名所として有名ですから、
この時期はそれほど多くの方はいらっしゃいません
……と言いたいところですが、結構な人出ですね。


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その位置で、円山公園の北を向いています。
池の向こうに、桜並木が広がっていますね。

円山公園は、1894年行われた「京都万博」の際の会場の一つです。
平安神宮などを作庭した小川治兵衛が造営しました。


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こちらは、円山公園の中央です。
(先程の位置を南に向きました)
こちらが有名な「枝垂桜」ですが、
いったん枯れたものを接ぎ木で再生させました。


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今までは枝垂桜の北側を西に進むか、そのまま北上していましたが、
今回は初めて枝垂桜の南側を西に進みます。
枝垂桜の西側は広場になっていて、
桜のシーズンには「花見の定番」の場所になります。
そうこうしていると、左(南)側に倉庫が見えだしました。


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こちらが、その倉庫です。
よく見ると、それぞれ祇園祭の山鉾の名前が付いています。
こちらに、その山鉾の資材が入っています。
この近くに、祇園祭を開催する八坂神社がいらっしゃいます。


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その倉庫の前で、西を向きました。
向こう(西)に見える鳥居で、円山公園から八坂神社に移ります。


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さらに西に進み鳥居をくぐりました。ここからは八坂神社です。
向こう(西側)に、八坂神社の拝殿と本殿が見えます。


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こちらは、八坂神社本殿の北側です。
八坂神社本殿の周囲には、たくさんの末社がいらっしゃいます。


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その末社のいちばん手前(南)側です。
脇の泉がご神体の神社です。


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その北側の悪王子社です。
ご神体は、素戔嗚尊の荒魂とされます。
素戔嗚尊は疫病の神様としての側面もあるので、
「荒魂」とはそういう部分のことでしょうね。


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さらに北側の美御前社(うつくしごぜんしゃ)です。
ご神体は、宗像三姉妹です。
脇の泉の水に美顔のご利益があるそうで、
こちらの水を求められる方がよく行列を作られていますが、
この時は空いていました。


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末社の前から先程の位置に戻り、南を向きました。
第410回ブログでは修復中だった楼門が、完成されていました。


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その楼門の北側に、八坂神社本殿がいらっしゃいます。
八坂神社のご祭神は素戔嗚尊がご祭神ですが、
江戸時代までは牛頭天王をご祭神としていました。
いずれにせよ天然痘を辺りにまき散らす厄病神の側面が大きく、
こちらの神様を敬うことで天然痘を避けようとするのが、
祇園祭のそもそもの始まりです。


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祇園祭本殿にお参りして、さらに西を向きました。
ではこちらから、八坂神社境内を抜けていきます。


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八坂神社本殿から、境内を西に進んでいます。
この辺りは、昔から露店が多く出ています。
この先に、蒸し牡蠣の店がまた出ていました。


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その蒸し牡蠣の露店の前で、北を向きました。
この辺りは、本当に露店が並んでいます。


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この辺りも、末社が多いですね。
その中の一社がこちらの疫神社なのですが
……こちらも修復中です。
やはり2018年9月の台風の影響でしょうね。


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日が暮れようとしているのですが、
そのために写真がボケやすくなっています。
こちらは、露店の中の1軒蟹肉棒屋さんです。



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こちらが蟹肉棒です。
蟹肉入りカニ蒲鉾を、炭火で焼いたものです。
蟹肉が入っている分、普通のカニ蒲鉾よりも蟹肉の味がします。
ここに来るたび食べているので、この日もいただきました。


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蟹肉棒屋さんの脇に、八坂神社西門があります。
多くの方がこちらを正門と思っていますが、
先程の楼門がここの正門です。


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八坂神社西門から、石段を西に下りていきます。
ここから西に、四条通が伸びています。
ここは、四条通最東端です。
またここで四条通が東大路と交差しているので、
こちらは「祇園」交差点でもあります。
ここが東山区祇園のちょうど中心に当たります。


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祇園石段下から東を向き、八坂神社西門を振り返りました。
八坂神社は、この風景で有名ですね。

……この写真を撮った直後に、カメラのバッテリーが切れました。
もう、この日の撮影は無理みたいです。
本当はもうちょっと2018年紅葉散策は続きます。
ですから日を改めて、この続きを撮りました。

ただ、今回はここまでにします。

~次回は、花見小路を散策します~

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第624回 花見小路から建仁寺へ

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前回ブログから約2週間後の八坂神社石段下です。
時間帯も昼下がりなので、前回ブログよりも明るいですね。
今回は、前回ブログからの続きを進んでいきます。
撮影日は、2018年12月2日日曜日午後0時半。
この日が、2018年紅葉の盛りでした。


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同じ場所で、反対(西)側を向きました。
こちらは、「祇園」交差点です。
南北に東大路が貫き、四条通がここから西に伸びています。
つまり、ここが四条通最東端です。


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「祇園」交差点で、南を向きました。
このすぐ先に市バスの「祇園」バス停があって、
その先が急な上り坂ですね。
今まで表記しませんでしたが、この一帯が祇園です。


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「祇園」交差点南東角から、西を向きました。
ではこちらを渡り、四条通を西に進みます。


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「祇園」交差点で東大路から四条通を西に向いています。
この辺りが、「京都市東山区祇園」の中心街です。
では、四条通を西に進みます。


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東大路から、四条通を約50m西に進みました。
こちらはかつての京都市立弥栄(やさか)小学校跡で、
現在は漢字博物館・図書館です
日本漢字検定協会主催の施設ですね。


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こちらは、漢字博物館・図書館の向かい(北)側です。
左(西)側が和傘のお店で、右(東)側が簪(かんざし)専門店です。
この辺りは花街祇園のただ中ですので、
芸妓さんや舞妓さんの日用品があちこちで売られています。


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漢字博物館・図書館の前の四条通を西に向きました。
ここからは、四条通に土産物屋さんや飲食店が建ち並びます。
この辺りから、「祇園」の繁華街が続きます。


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「祇園」交差点から、四条通を西に約150m進みました。
ここで、四条通は、花見小路と交差します。

京都市東山区祇園は、このまま東約400m先の鴨川までです。
その辺りに、南座や京阪電鉄「祇園四条」駅があります。


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四条通から、花見小路を南に向きました。
ここからが、観光地の「花見小路」です。
お茶屋や料亭・置屋が建ち並び、
日常的に芸妓さんや舞妓さんが闊歩する場所です。


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四条花見小路の南東角に、一力があります。
祇園の中でも、最高級料亭ですね。
ここまで老舗だと、店自体が観光地ですね。


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四条通から花見小路を少し南下して、西に向きました。
こちらは、飲食店やバーなどの他に置屋が並んでいます。
置屋とは、芸妓さんや舞妓さんが暮らしておられる場所です。
この辺りが、いちばん祇園らしい町並みですね。


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花見小路に戻って、南を向きました。
祇園の飲食店は高級なお店が多いのですが、
花見小路沿いなら結構手ごろな値段で入れるところもあります。
では、こちらを南下します。


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花見小路を南下しています。
こちらも飲食店ですが、店頭を見る限りこちらも手ごろ値段ですね。


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その辺りで、花見小路を南に向きました。
こちらは……昔懐かしの郵便ポストですね。


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先程の写真でも写っていた東に伸びる小路を撮りました。
この辺の小路は路地にもつながっていて、
多少迷路状になっているところもあります。


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花見小路に戻って、南に向きました。
右(西)側の京町家は看板が出ていませんが、多分置屋です。
向こうに、また東に伸びる小路が見えます。
第458回ブログではこの小路から花見小路に入ってきました。


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四条通から、花見小路を約200m南下しました。
左(東)側に、こちらの建物が見えてきました。
こちらはギオンコーナーで
日本舞踊と同時に小唄はもちろん生け花などが
同時にパフォーマンスされる不思議な空間です。
要は祇園の歌舞練場ですので、
舞妓さんによる「祇園をどり」とかも確かこちらで行われます。


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ギオンコーナーの南隣は、競馬の場外馬券場です。
この日(2018年12月2日)は日曜日でしたので、
結構な方々が来られておりました。


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場外馬券場の前で、花見小路を南に向きました。
向こうに白壁が見えますが、
その手前から西に団栗通が伸びています。
(第228回ブログを参照)
花街の祇園は、この辺りが最南端です。


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団栗通から、花見小路を南に向きました。
この先に、建仁寺の北門が見えますね。
ここが、花見小路最南端です。


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建仁寺北門の前で、東を向きました。
ここから、安井通が伸びています。
第576回ブログでは、あちらから建仁寺に入りました。


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同じ場所で、南を向きました。
では、こちらから建仁寺に入っていきます。


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建仁寺境内に入り、すぐに西に向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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その辺りで、建仁寺境内を南を向きました。
この狭い道沿いに、建仁寺の塔頭寺院が並びます。


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建仁寺寺境内を西に歩いています。
左(南)側に法堂(本堂)が、見えますね。
では、こちらを進んでいます。


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その辺りで、北を向きました。
では、建仁寺庫裏から建仁寺屋内に入ります。


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建仁寺庫裏に入ると、すぐに玄関です。
そちらで拝観料を納めて、先を進みます。

こちらは、玄関にある衝立です。
この先に、摩利支天がいらっしゃいます。


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その衝立の前で、西を向きました。
手前の部屋で、こちらの持宝風神雷神絵図屏風を紹介しています。
なお、本物の風神雷神図屏風は京都国立博物館で保存されています。
その先に売店があって、突き当りには海北友松の雲竜図があります。
(こちらもコピーで、本物は京都国立博物館で保存されています)


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風神雷神図屏風の部屋と売店の間に、廊下が伸びています。
本当は順路を逆行しているのですが、
勝手知ったる建仁寺ということで、こちらから進みます。


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その廊下を北上します。
売店の北隣で小書院との間に、坪庭があります。
こちらは「〇□△の庭」で、それぞれの形を模しています。


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「〇□△の庭」の北側に、建仁寺小書院があります。
こちらは、この南側と北側で襖絵が異なります。


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小書院の南側に入ってきました。
小書院は南北が違う様相で、通常は移動できません。
こちらは、小書院南側の床の間の掛け軸です。
隣接する「〇□△の庭」を模しています。


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こちらは、小書院南側の襖絵です。
独特な水墨画ですが、新進気鋭の画家が描かれています。
近年京都の禅寺では、有名な画家のものよりも
これから大家になられる画家の作品がよく並んでいます。


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小書院から、元々いた廊下に戻ってきました。
では、再びこちらを北上していきます。


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その途中で、右(東)を見ました。
円窓の外に、棕櫚の木が生えています。
棕櫚(しゅろ)と言えば南国のイメージがありますが、
樹皮が脱皮を繰り返す蛇の皮膚に似ているとされ、
「永遠の再生」を象徴するため、
昔から寺院には好んで植えられました。


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さらに、建仁寺の廊下を北上しました。
この左(西)から小書院の北側に行けますが、
それは次回ブログで紹介します。
小書院の北側に、今度は少し大きな「潮音庭」という庭があります。
そちらを眺めつつ、さらに北上します。


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その廊下を北上しつつ、潮音庭を眺めます。
個人的には、建仁寺ではここが自分のいちばんのお気に入りです。
桜の春、梅雨の雨模様と、季節ごとに絶景となります。
紅葉のこの頃も、なかなかのものですね。


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今まで歩いていた廊下は、潮音底の北隣大書院で突き当たります。
こちらに、風神雷神図屏風があります。
(ただし、コピーです)
ここからこの部屋を見て回るのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ここから先は、次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、建仁寺とその周辺を回ります~

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第625回 紅葉の建仁寺

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前回ブログで臨済宗建仁寺派総本山建仁寺屋内を北上し、
最北端の大書院の屋内にいます。
俵屋宗達の大作「風神雷神図屏風」のコピーは、
この大書院屋内にあります。
(ちなみに、本物は京都国立博物館に保存されています)
今回は、こちらから京阪電鉄の駅までを掲載します。
撮影日は、2018年12月2日日曜日午後1時半。
2018年最後のブログにしたいので、
今回ブログは50枚以上写真を貼り付けます。


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建仁寺大書院で、東を向きました。
床の間に飾ってある掛け軸は、おそらく達磨大師を描いています。
左(北)側の屏風には「風神 雷神」と書かれています。


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大書院から、南を向きました。
大書院と小書院との間に、潮音庭という庭園があります。
こちらの紅葉が、ちょうど盛りでした。
たくさんの方が、こちらを眺めていらっしゃいますね。
こういう禅寺の庭園は、こんな風におしゃべりしながらの見物が
いちばん寛いでいられます。


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その潮音底の西側に、こちらの渡り廊下が伸びています。
前回ブログではその東側の渡り廊下から大書院に至りました。
(潮音庭は、大書院・小書院とこの2本の廊下で囲まれています)
次は、この廊下を南下していきます。


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大書院から、先程の渡り廊下を南下しています。
その途中で、右(西)を向きました。
こちらは、開山堂の北側の坪庭です。
(この背後が、潮音庭です)
こちらも紅葉の盛りで、カエデが見事ですね。


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渡り廊下から、小書院前に来ました。
小書院北側は、また南側と雰囲気が違いますね。
では、こちらに立ち寄ります。


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こちらは、小書院の北側です。
この襖の向こうの南側は、前回ブログで訪れました。
この襖絵の構図は南側と同じなのですが、
あちら側はモノトーンの水墨画です。
ちなみに、どちらも同じ画家が描かれたものです。


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小書院側から、潮音庭を眺めています。
先程のちょうど反対側ですね。
個人的には、こちら側がお気に入りポイントです。
庭石とカエデが、絶妙のバランスです。


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小書院を出て、西に向きました。
では、元の西側の廊下に戻ります。


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西側の渡り廊下で、南を向きました。
この背後(北)側に、潮音庭があります。
この廊下はとても長く、この南側の方丈を突き抜けて
最終的には境内の中心にある法堂(本堂)まで続いています。
右(西)側に、中国人の子供を描いた襖絵が見えます。
こちらは、「唐子の間」と呼ばれています。


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「唐子の間」の前から、廊下を南を向きました。
左(東)側は、小書院の南側が見えますね。
そちらには前回ブログで行きましたので、
このまま南下していきます。


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小書院南側「〇△□の庭」の西側まで戻ってきました。
この右(西)側が、建仁寺の方丈です。


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こちらは、建仁寺方丈の南東側の部屋です。
この襖絵が、海北友松の雲竜図のコピーです。
こちらも、本物は京都国立博物館に保存されています。
建仁寺のもう一つの持宝ですね。
海北友松は龍図を描く天才で、
彼の描いた掛け軸を朝鮮王国に渡したところ、
それまで国交断絶状態だった朝鮮王国と
朝鮮通信使が始まりました。


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その雲龍図の南側に、建仁寺方丈庭園が広がっています。
こちらの石庭も、ゆっくり寛いでおしゃべりがいいですね。


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こちらは、建仁寺方丈庭園の東側です。
今回ブログ最初から南下してきた廊下の一部ですね。
備え付けのスリッパに履き替え土間に降り、さらに南に進めます。


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先程の廊下は、方丈庭園の南の建仁寺境内より先に続き、
建仁寺境内の中心に立っている建仁寺法堂(本堂)まで伸びています。
では、このまま建仁寺法堂に参拝します。


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建仁寺法堂に入ってきました。
……とは言え、さすがにご本尊の釈迦如来像は撮影しません。
こちらは、その天井画の双竜頭です。
小泉淳作氏が2001年に制作した比較的新しい絵です。
第576回ブログ以降窓を開け放っているので、とても明るいですね。
では、ご本尊の釈迦如来像にお参ります。


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建仁寺法堂に参拝して、また廊下を北上してきました。
この左(西)が、先程の方丈庭園です。
ここでスリッパを脱いで、上に上がります。
その左(西)手が、先程の海北友松の雲竜図ですね。


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海北友松の雲竜図の部屋の前で、東を向きました。
左(北)側に建仁寺の売店があり、
その先に風神雷神図屏風の部屋があります。
前回ブログと合わせて、これで建仁寺を1周したことになります。


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先程の廊下を突き当りまで進み、
風神雷神図屏風の部屋の前で南を向きました。
ではこちらの玄関から、建仁寺庫裏を出ます。


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建仁寺庫裏から、建仁寺境内に出ました。
こちらに、石畳の道が真っすぐ南に伸びています。
では、ここからこの道を南下していきます。


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建仁寺庫裏前から、そのまま南下しています。
建仁寺は桜の名所なのですが、実は紅葉の名所でもあります。
この日(2018年12月2日)が2018年紅葉の盛りでした。


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その右(西)側に、建仁寺法堂が見えます。
この先に見える入り口から、先程は入りました。


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その辺りで、東側を見ました。
こちらは、建仁寺の塔頭両足院です。
約半年前の半夏生のころに、こちらにお邪魔しました。
普段は奥の方が非公開ですが、
観光シーズンになると特別公開されます。
この日も特別公開されていましたが、
ちょっと拝観料が高かったので、素通りしました……


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さらに、先程の石畳の道を南下しました。
こちらに茶碑が立っています。ここも紅葉の絶景ポイントです。
臨済宗を日本で開いた栄西が
中国の宋から持ち帰った茶の種をこちらに植えました。
それが、これ以降に喫茶の風習が日本にも広がる契機になりました。


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茶碑の前で、南を向きました。この先が建仁寺最南端です。
その辺りで、西に折れていきます。


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建仁寺境内南東端で、西に向きました。
ずっと向こうに塔頭寺院の一つ禅居庵の門が見えますね。
では、こちらを進んでいきます。


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建仁寺境内南東端から西に約30m進み、南に向きました。
こちらは、建仁寺勅使門です。
京都の禅寺の勅使門は通常閉門していますが、
建仁寺だけは門の脇から自由に出入りができます。


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今度は、その位置で北を向きました。
三門の向こうに、法堂が見えます。
京都の各禅寺の最大の絶海ポイントですね。
春は桜が目立つのですが、秋は紅葉が目立ちます。


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さらに同じ位置で、北西に向きました。
三門の南側に池があるのも禅寺の定番ですが、
その間のカエデもこの日(2018年12月2日)が盛りです。


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さらにさらに、同じ場所で西を向いています。
では、約30m先の禅居庵の前まで行きます。
禅居庵の門をくぐれば、第538回ブログのルートです。


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禅居庵の門の前で、北を向きました。
では、この禅居庵と建仁寺三門との間の道を北上します。


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禅居庵の前から、建仁寺境内を約50m北上しました。
こちらも、建仁寺の塔頭寺院久昌院です。
なかなか紅葉が絶景なのですが、こちらは非公開寺院です。


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久昌院の前で、建仁寺境内を北に向きました。
向こうに、建仁寺の法堂がまた見えていますね。
そのさらに向こう(北)側で、石畳の道が交差しています。


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その石畳が交差する場所で、西を向きました。
約50m先に、建仁寺西門があります。
第536回ブログでは向こうから建仁寺に入ってきました。


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今度は同じ位置で、北を向きました。
次は、約50m先に見える団栗通を目指します。


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その道の途中で、こちらの鳩と出会いました。
京都の寺院では、本当によく鳩と遭遇します。


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先程の道をさらに北上しています。
こういう何気ないところも、カエデの1本で絶景に変わりますね。
そしてその先でこの道は突き当たり、団栗通と交差します。


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先程の道の突き当りで、団栗通を東に向きました。
団栗通は、約100m先に伸びる
前回ブログで散策した花見小路で突き当たります。
ちょうど場外馬券場の辺りですね。


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今度は同じ位置で、団栗通を西に向きました。
その角に、建仁寺の鎮守社
「豊川稲荷陀枳尼尊天」がいらっしゃいます。
さらに、こちらにもお参りをします。

先述の通り、今回ブログは写真を40枚以上貼り付けます。


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豊川稲荷陀枳尼尊天に入ってきました。
こちらは神社なのですが、地図上にある通り
建仁寺塔頭寺院の興雲庵の一部でもあります。
では、こちらを南下していきます。


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豊川稲荷陀枳尼尊天の境内を見まわしています。
こちらも、相当に紅葉が見事ですね。


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団栗通から、豊川稲荷陀枳尼尊天境内を約50m南下しました。
ここで、この神社の境内は突き当たります。


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その突き当りで、東を向きました。
こちらの祠は、末社の陀枳尼尊天堂です。
先ずは、こちらからお参りです。


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同じ位置で、今度は西を向きました。
こちらのお堂が、豊川稲荷陀枳尼尊天の本殿です。
その名の通り、こちらは愛知県豊川市の
豊川稲荷から勧請されたものです。
向こう同様、こちらも建仁寺という寺院の鎮守社です。

京都の伏見稲荷大社のご祭神は宇迦御霊神ですが、
こちらは豊川稲荷系統ですからご祭神は陀枳尼尊天です。
京都の豊川稲荷はそれほど珍しくはなく、
伏見稲荷大社が鎮座される「御山」(稲荷山)にもいらっしゃいます。
(第373回ブログを参照)
では、こちらにお参りします。


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さらに同じ位置で、北を向きました。
こちらも一通り回ったので、団栗通まで戻ります。


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豊川稲荷陀枳尼尊天を出て、団栗通を西に向きました。
次は、こちらを進みます。


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豊川稲荷陀枳尼尊天の前から、団栗通を西に約50m進みました。
こちらで、団栗通は大和大路と交差します。
(大和大路の詳細は、第228回ブログ参照)


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大和大路から、団栗通を西に向いています。
この辺も祇園の一部なので飲食店が多いのですが、
花見小路近くとは異なり、
こちら側は出されているものも価格も「庶民の祇園」です。
(だたし、味付けは一流料亭にも負けない京料理です)


625-50.jpg
大和大路から、団栗通を西に約50m進みました。
こちらの角に、ジンギスカンの「錦 キムラ」があります。
いつもは夕方からの営業ですが、
この日は午後2時半でも開いていました。
紅葉シーズンだからでしょうか?

こちらは、もう少し自分の給料が良かった頃の常連店です。
こちらには、第282回ブログでお邪魔しました。
羊肉を焼いた後の肉汁が付いたもやしが、ここの絶品です。
(要するに、こんな感じです)


625-51.jpg
「錦 キムラ」の前で、団栗通を西に向きました。
約50m先が鴨川で、その手前に川端通が伸びています。
(この辺の幹線道路ですね。地下に京阪電鉄が通っています)



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さらに団栗通を約30m西に進み、川端通と交差しました。
こちらから、京阪電鉄「祇園四条」駅に行くことができます。
「2018年紅葉散策」は京都駅から始めましたが、
さすがに終点も京都駅というのは無理があります。
ですから、こちらから京阪電鉄に乗って帰宅しました。

これで、「2018年紅葉散策」は終了です。

~次回は、伏見稲荷大社へ初詣に行きます~

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第696回 京都御苑 旧閑院宮邸

前回ブログで「正面通編」も終わり、
ここから紅葉散策までちょっと間が開きます。
そこで、ここから数回京都市街のあちこち巡って
京都の紅葉具合をチェックしていきます。

2019年7月21日日曜日に自分が脳卒中を患った関係で、
御所南のリハビリセンターに通っていたときに使っていた
回数券が1枚余っていました。
それの期限が2019年11月末日で切れてしまいます。
勿体ないのが半分とちょうどいいのが半分で、
地下鉄「丸太町」駅から京都御苑を散策することにしました。


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2019年8月以来の京都市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅です。
今回は、こちらから京都御苑に向かいます。
撮影日は、2019年11月7日木曜日午後2時半。
午前中は晴れていたのに、撮影を始めた途端曇ってきました。


696-2.jpg
今まで乗っていた車両が、次の「今出川」駅に向かいます。
いつもの違う形状の車両なのは、
地下鉄に乗り込んでいる近鉄電車の車両だからですね。
では向こう(北)側に見えるエスカレーターから、
コンコース階に上がります。


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地下鉄「丸太町」駅ホームから、
エスカレーターでコンコース階に上がってきました。
さらに、向こう(北)側の改札口から駅を出ます。


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地下鉄「丸太町」駅改札を出て、すぐに南を向きました。
御所南のリハビリセンターに通っていたときは、
ここから竹屋町通まで進んでいました。


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先程の写真と同じ位置で、東を向きました。
ではコンビニエンスストアの前を通り抜け、
1番出口に通じる地下道を進みます。


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地下鉄「丸太町」駅から1番出口で、地上に出ました。
烏丸通を背に、丸太町通を東に向いています。
目の前に、「丸太町烏丸」バス停が見えますね。
その先に、車屋通が南に伸びていることが、
奥の標識から分かりますね。


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車屋通から、丸太町通を東に約50m進みました。
ここから南に、東洞院通が伸びています。
そして約30m先に、京都御苑の入り口が見えますね。


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東洞院通と間之町通との中間で、丸太町通沿いを北に向きました。
こちらは、京都御苑の間之口門(まのくちもん)です。
間之町通という名称の由来ですね。
2019年8月にこちらの百日紅の花が満開でした。
今は葉が紅く染まっていますね。
ではこちらから、京都御苑に入っていきます。


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間之口門から、京都御苑に入ってきました。
京都御苑の南西端に施設の門が見えますね。


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こちらが、その京都御苑南西端にある施設
旧閑院宮邸への正門です。
閑院宮家は宮家の系統の一つですが、
こちらは京都に住まわれた時代の邸宅跡です。
宮家や公家の邸宅は日本の首都が移転した際に、
明治天皇と共に東京に移転されました。
その邸宅の多くは取り壊されて、
その跡地が現在の京都御苑を形成しているのですが、
閑院宮邸はそのまま残されて、
その後さまざまな目的に使われました。
現在は京都御苑を管理する環境省の管理下で、
事実上環境省による京都御苑の管理事務所として機能しています。


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閑院宮邸の門をくぐり、南西を向いています。
左(西北西)の道は庭園につながっており、
右(西)側の道ろ通ると閑院宮邸の屋内に入れます。
では、先に左側の庭園に向かいます。


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先程の写真の位置で、南を向きました。
こちらは、閑院宮邸の庭園の池です。
その南側の池の向こう(さらに南)が、先程通った丸太町通です。


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さらに、その位置で真西を向きました。
左(南)側が先ほどの池で、右(北)側が閑院宮邸です。
ではこの小径を進み、庭園の奥に向かいます。


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こちらが、その庭園から見た閑院宮邸です。
周囲の芝生に落ち葉が見られますが、
その中にカエデのものはありません。
(カエデは、他の樹木より紅葉も落葉も遅いですね)


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その閑院宮邸の南側に、カエデ並木が続きます。
こちらは……11月初旬で完全な「青紅葉」ですね。
う~ん、毎年京都の紅葉の盛りは11月23日ですが、
約2週間で紅葉に染まるとも思えません……
2019年は12月初旬まで、紅葉の盛りがずれ込むでしょうね。

~2019年11月19日 追記~
2019年11月15日ごろに、日本列島に寒波がやって来ました。
そのことが原因で、2019年の紅葉の盛りは
11月23日ごろになりそうです。
要するに、例年通りですね。


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カエデ並木を越えると、
閑院宮邸庭園の小径は北西に曲がります。
次は、向こうに見える土蔵に向かいます。


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その土蔵の辺りで、閑院宮邸庭園の小径は真北に曲がります。
すぐ先で突き当たっていますが、
その辺りでこの道は真西に折れています。


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その曲がり角で、西を向きました。
では、ここから閑院宮邸最西端(京都御苑最西端)に向かいます。


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閑院宮邸庭園最西端まで来て、南を向きました。
こちらの広場は、かつての宮内省の京都御苑管理事務所跡です。
ちょっと、こちらをうろつきます。


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その事務所跡の南端に、坪庭が残っています。
小さな池が、なかなかお洒落ですね。
この辺りが、閑院宮邸(京都御苑)の南西端です。
向こうに見える塀の先が、「丸太町烏丸」交差点ですね。


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閑院宮庭園の最深部まで進みましたので、
閑院宮の門付近まで戻ってきました。
次は、こちらの閑院宮邸の屋内に入っていきます。


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閑院宮屋内に入ってすぐの様子です。
先ずは、目の前の紙に記帳しなければなりません。
この右に受付があるのですが、
そちらで京都御苑内の運動場などの使用許可を頂くこともできます。
(要するに、こちらは環境省管理下の受付です)
そちらで写真撮影の許可を求めたのですが、
「写真撮影禁止区域は、この施設内にありません」
とおっしゃっていました。
まぁそれでも常識の範囲内でしょうが……
取りあえず、閑院宮屋内も写真撮影を続けます。


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先程の写真の奥まで進んで、南を向きました。
では、この一番奥の展示室に向かいます。


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先程の写真のいちばん奥の戸を開けると、展示室に入れます。
要するに、小さな博物館ですね。
こちらにもきちんと学芸員がいらして、
自分の質問にも答えて頂きました。


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先程の写真の左側の部屋に入りました。
こちらには、閑院宮邸を中心に
京都御苑から発掘された出土品が展示されています。


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その後、右側の部屋にも入ってきました。
こちらには鳥のはく製と昆虫の標本が展示されており、
(いずれも、この京都御苑から採集)
さらに京都御苑のどの辺にどのような生物がいるかを
京都御苑の地図に指示したパネルも展示されていました。


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閑院宮邸資料室を出て、左折しました。
次は、こちらの廊下を進みます。


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その廊下から、閑院宮中央を見ました。
こちらにやや大きな坪庭があって、
しっかりカエデの木が伸びています。
こちらのカエデの木も、まだ「青紅葉」でした。


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この辺りで閑院宮邸屋内の写真も撮ったのですが、
上手く撮れなかったので掲載していません。
(帰宅後確認したら、暗くなっていました)
ですから、その先から見えた庭園だけ載せます。
庭園側から見た様子と、また違いますね。


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閑院宮屋内も、一通り見てきました。
ですから、こちらから閑院宮邸の屋外に出ます。


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閑院宮邸屋内から、外に出てきました。
ではこちらの門を出てまた京都御苑を散策しますが、
ちょうど切りがいいので、今回はここまでとします。

~次回は、京都御苑の旧九条邸付近を散策します~

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第697回 宗像神社から旧九条邸へ

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こちらは、前回ブログで訪れた京都御苑南西端旧閑院宮邸正門です。
今回は旧閑院宮邸を出て、周辺の神社に参拝します。
撮影日は、2019年11月7日木曜日午後3時半。
薄曇りの昼下がりです。


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旧閑院宮邸正門をくぐり、そのまま真東を向いています。
目の前に繁みが見えますが、
右(南)側は間之口門(まのくちもん)でその先が丸太町通です。


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その繁みの前で、北を向きました。
こちらは、京都御苑内で最も西の道です。


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先程の繁みから、約100m北上しました。
ここでこの道は、椹木通(さわらぎどおり)と交差します。


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椹木通から、その道を北に向いています。
この道は、約800m先の京都御苑乾御門まで続きます。
(第437回ブログで通った道ですね)


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その道から、椹木通を西に向いています。
左(南)側は旧閑院宮邸で、こちらからでも入れます。
(第201回ブログを参照)
約100m先に椹木門があって、そこで烏丸通と面しています。
椹木通は烏丸通以西も続いていて、
釜座通では京都第二日赤病院と接しています。
(第574回ブログを参照)


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今度は同じ場所で、西を向きました。
椹木通の突き当りに、土塀の切れ目が見えます。
そちらに石製鳥居が見えますが、
こちらが京都御苑屈指の桜の名所宗像神社です。
鳥居の奥の桜の木は完全に枯れ枝となり、
右(南)側の桜は紅葉と化しています。
ただ毎年春になると、こちらは絶景に変わります。


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石製鳥居の脇にごみ箱があって、
ビニール袋で包まれて紙が貼ってありました。
第434回ブログでも寛がれるネコを撮りましたが、
京都御苑内に結構いらっしゃるのでしょうね。


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また、宗像神社の石製鳥居脇に、燈籠が立っています。
こちらに何故か……果物が置かれています。
多分こちらは……パパイヤでしょうか?
なぜこちらにあるのか、全然分かりません。


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宗像神社の石製鳥居をくぐり、東を向いています。
では目の前の拝殿を通り過ぎ、突き当りまで進みます。


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宗像神社境内を東に突き当たり、北を向きました。
この少し先に、宗像神社の本殿がいらっしゃいます。


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宗像神社の境内を北上しています。
本殿の周囲には、このように末社の祠が並んでいます。


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さらに宗像神社本殿の右(東)側も、先ほど同様祠が並びます。
こちらにもお参りして、先へ進みます。


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こちらが、宗像神社本殿です。ご祭神は、宗像三姉妹です。
こちらは、京都御苑成立時に建立されました。
元々京都御所の鬼門(南西)を鎮める神社として機能していました。
京都御苑は豊臣秀吉の治世(およそ400年前)に成立しており、
平安時代(およそ1200年前)は別の場所にありました。
(元の京都御苑は、第344回ブログ参照)


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宗像神社本殿に背を向け、南を向きました。
目の前のカエデ並木は、まだ完全な「青紅葉」ですね。
では、こちらを南下していきます。


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宗像神社本殿から、約50m南下しました。
この周囲に、少し大きな末社が2柱いらっしゃいます。


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先ずは西側の京都観光神社にお参りです。
「京都観光の安全」というご利益がありますが、
要するにこちらは一種の道祖神社です。
ですから、ご祭神は猿田彦と天宇受売神の夫婦神です。


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その向かい(東)側には、花山稲荷神社がいらっしゃいます。
この近くに花山天皇が引退後に住まわれた場所があって、
元々はそちらにいらしたため、この名称になりました。


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その花山稲荷神社の前で、南を向きました。
では目の前の鳥居をくぐり、宗像神社境内を出ます。


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宗像神社の鳥居をくぐり、京都御苑内で南を向いています。
目の前の繁みの向こう(南)が間之口門で、丸太町通と接しています。
ということは、この右(西)に旧閑院宮邸の正門が見えます。
要するに、こちらは今回ブログの最初に出て来た繁みですね。


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ですから、その位置で西を向くと旧閑院宮邸正門が見えます。
要するに、ここまでかけてこの辺を一周しました。


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さらに同じ位置で、今度は東に向きました。
ここ数回のブログで京都御苑南部を西から東に進むので、
このままこの道を進みます。


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先程の位置から、京都御苑内を東に進んでいます。
この辺のカエデも、やはりまだまだ「青紅葉」ですね。


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先程の位置から京都御苑内を約50m東に進み、南に向きました。
続いては、こちらの厳島神社に向かいます。


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先程の位置から小径を南下すると、すぐにこの橋に出ます。
この辺りは、約150年前(江戸時代末期)は九条家の邸宅でした。
件の厳島神社は、その旧九条邸内の池の小島にいらっしゃいます。
ですから、先ずはこの橋を南に渡ります。


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先程の橋を南に渡り切りました。
こちらは、旧九条邸の大きな九条池の小島です。
この小島の敷地の約半分が、件の厳島神社です。


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厳島神社本殿の壁に、こちらが飾ってありました。
こちらのというより、広島県の厳島神社の縁起が描かれていました。
後述しますが、こちらは広島県の厳島神社が勧請されたものです。


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その小島から、九条池を南に向いています。
その先に、拾翠亭が見えますね。
こちらも、元は旧九条邸の茶室でした。


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こちらが、小島に浮かぶ厳島神社です。
平清盛は広島県に厳島神社を建立されましたが、
京都にいながらそちらに参拝できるように
京都にもこちらを勧請されました。
それが、こちらの縁起です。
ただ、こちらの厳島神社には平清盛の母祇園女御も
神格化されて合祀されています。

また、こちらの鳥居が「京都三珍鳥居」に指定されています。
残りは「蚕ノ社」木嶋神社三角鳥居
北野天満宮末社伴氏社本殿手前の石製鳥居です。


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厳島神社の脇で、北を向きました。
ではこちらの橋を渡って、元の通りに戻ります。


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京都御苑の間之口門脇から、東に伸びる道に戻ってきました。
目の前で繁みが途切れますが、ここで建礼門大通と交差します。


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先程の道から、建礼門大通を北に向いています。
建礼門大通は京都の皇居(天皇陛下の邸宅)に当たる
京都御所の正門建礼門から南に伸びる道で、
この京都御苑のメインストリートでもあります。
葵祭では約500m北の建礼門から出立した巡行行列が、
この道を南下してこの辺りに来られます。
ですから、この辺りは葵祭当日に相当賑わいます。


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同じ位置で、南を向きました。
建礼門大通はここで突き当たり、
この先は旧九条邸の九条池に架かる九条橋に変わります。
そういえば、先述の葵祭で少しでも上に行こうと
この太鼓橋の真ん中から眺めておられた方がいらっしゃいました。


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九条橋から、九条池の東を眺めています。
やはり、まだまだ青紅葉ですね。

~2019年11月19日追記~
2019年11月15日ごろ日本列島を襲った寒波により、
京都市街地のカエデも急に色付きました。
2019年の京都の紅葉は、例年並みの11月23日が盛りでしょう。

九条家は藤原道長の直径子孫で、摂関家の筆頭格です。
1863年ごろの九条家は長州藩支持でしたから、
禁門の変の際はここも重要な舞台でした。


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同じ位置で、西を向きました。
先程の厳島神社と拾翠亭がよく見えますね。


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さらに同じ位置で、北を向きました。
約500m先の京都御所建礼門が、よく見えますね。

次はここからさらに東に向くのですが、
もう写真をだいぶ貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、京都御苑の富小路広場付近を散策します~

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第698回 夕方の富小路公園グランド

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前回ブログでお邪魔した旧九条邸内に架かる九条橋から、
真北を向いています。
ここより北に、建礼門大通が伸びています。
(約500m先に、京都御所の建礼門が見えますね)
今回は目の前の通りを東に進み、
寺町御門から京都御苑を出て、帰宅します。
撮影日は、2019年11月7日木曜日午後3時半。
そろそろ西日が夕焼けに染まります。


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九条橋を北に渡り切り、建礼門院大通南端で東を向きました。
京都御苑内の葵祭巡行は、京都御所南端の建礼門から南下して、
この辺りまで来て東に向かいます。
そしてこのすぐ先の堺町御門から京都市街地に出て、
いったん下鴨神社に向かいます。


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建礼門大通から約50m東に進み、南を向きました。
こちらが、先述の堺町御門です。
位置的に、こちらが京都御苑の正門と言えますね。
こちらから真南に、堺町通が伸びています。
1864年に京都市街地の大半が焼けたどんどん焼けは、
この堺町御門に幕府方が放火したことから始まりました。
(祇園祭の山鉾の大半が焼けたときですね)


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堺町御門前から、京都御苑内を東に向いています。
では、あちらの小屋を目指してこのまま進みます。


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堺町御門前から京都御苑内を東に約100m進み、北に向きました。
この辺りにカエデ並木が続きますが、
日によく当たっているせいか、上の方が少しだけ紅いですね。
この辺りは、江戸時代以前は旧鷹司邸でした。
鷹司家も、九条家同様藤原道長直系の摂関家の一つでした。


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旧鷹司邸跡の前で、東を向きました。
約50m先に、左(南)に伸びる道がありますね。


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旧鷹司邸から東に約50m進み、南を向きました。
こちらにも、京都御苑の門がありますね。
富小路門と呼ばれていますが、
少し東にズレた先に第679回ブログに出て来た
富小路通が伸びていますね。


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富小路門の前で、北を向きました。
こちらのカエデも、上の方が紅く染まっていますね。


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そのカエデ並木の脇に、さらに北に通じる小径があります。
その先にグランドがあり、野球用のバックネットが張られています。
この辺りは富小路公園グランドで、京都御苑内の
野球場やサッカー場・テニスコートが集中します。
京都市民にとっての京都御苑は観光や散策の地ではなく、
こういうスポーツができる広場です。
もしここの運動場を使用したいなら、
第696回ブログの旧閑院宮邸内にある
環境省の京都御苑管理事務所で予約します。


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先程の位置から、そのまま東を向きました。
前回ブログから東に進んでいた道の突き当りに、
こちらの小屋が見えます。
地図上には富小路休憩所と書かれていますが、
要するに喫茶・軽食がメインの飲食店です。
では、こちらに寄り道します。


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富小路休憩所に入り、ブログ掲載の許可を取りました。
その際、こちらは京都御苑でも
「紅葉スポット」であると教えて頂きました。
ただ、この日(2019年11月7日)はまだ「青紅葉」ですね。
休憩所の北側がテニスコートなのですが、
そのテニスコートとの間にカエデ並木が続いています。

~2019年11月19日追記~
2019年11月15日ごろ日本列島を襲った寒波により、
この辺も一気にカエデが色付きました。
2019年京都市街地の紅葉は、11月23日が盛りでしょう。


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こちらの休憩所はカレーライスなど軽食がメインのようですが、
自分はチーズケーキとコーヒーのセットを頼みました。
(最近、ちょっとマイブームです)
チーズケーキには、必ず濃いコーヒーと合わせます。
こちらのチーズケーキは、しっかりマスカルポーネの香りがします。
そちらに合わせるコーヒーはドリンクバーのものですが、
挽きたて珈琲豆の苦味と香りが高かったですね。


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富小路休憩所を出て、北を向いています。
この辺りから、今までの道が北に折れます。
先述の通り、テニスコートに近いカエデ並木はまだ「青紅葉」です。

~2019年11月19日追記~
先述の寒波により、この辺も一気に色付きました。
2019年11月23日には、紅葉の盛りとなるでしょう。


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富小路休憩所から、京都御苑内を北上しています。
左(西)側に、富小路公園グランドの野球場が見えてきました。
この日(2019年11月7日)は平日の木曜日だったせいか、
誰もグランドを使用されていませんでした。
西を向くと、だんだん日が赤く染まり出しているのが分かりますね。


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京都御苑内で、先程の位置からさらに北上しました。
すると、右(東)側にこの鉄門扉が見えます。
この奥に、トンボ池があります。
第696回ブログで旧閑院宮邸内の展示室で、
トンボ池畔の生物が紹介されていました。
何でも、こちらは生物学的に貴重な場所なのだそうです。
そのせいか普段は非公開で、毎年6月と8月に公開されるそうです。


698-16.jpg
トンボ池に通じる鉄門扉の前で、北を向きました。
先程から進んできたこの道は、
約200m先の仙洞御所の土塀で突き当たります。


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トンボ池畔前の鉄門扉から、京都御苑内を約100m北上しました。
左(東)側に、公衆便所が見えます。
そういえば、この辺公衆便所が少ないですね。
(京都御苑のそういう施設は、西側に集中しています)


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トンボ池畔から、京都御苑を約200m北上しました。
ここで前回ブログから歩いてきた道は、
仙洞御所(生前引退された上皇の邸宅)の土塀で突き当たります。


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その突き当りから、京都御苑内を西に向きました。
左(南)側は富小路公園グランドで、右(北)側は仙洞御所の土塀です。
この道は約250m先の建礼門大通で突き当たります。
実は富小路休憩所に約40分いたために、
この時点で2019年11月7日木曜日午後5時を回っています。
そろそろ日が沈みますので、空が急に暗くなりました。


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同じ位置で、京都御苑を東に向きました。
目の前に、京都御苑寺町御門が立っています。
御門の先に、寺町通が見えていますね。
では、こちらから京都御苑を出ます。


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寺町御門から京都御苑を出て、すぐに北に向きました。
この京都御苑寺町御門を起点に、梨木通が北に伸びています。
約400m先に梨木神社がいらして、
第164回ブログではその神社でお茶会がありました。


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今度は、同じ位置で南を向きました。
この辺りから丸太町通まで、寺町通沿いは駐車場が伸びています。


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さらに、同じ位置で東を向きました。
すぐ先が寺町通ですね。(第163回ブログ参照)
左(北)側に、京都府立鴨沂高校が見えますね。
修復も終わって、相国寺の北隣からこちらに戻ってきています。


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京都御苑寺町御門から東に進み、
京都府立鴨沂高校前の横断歩道を渡り、
その位置で南を向きました。
次はここを南下し、丸太町通を目指します。


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先程の位置から、寺町通を約100m南下しました。
こちらに、京都市歴史資料館が建っています。
確か1Fは展示室で、2Fは資料室です。
2Fの考古学の資料が充実していて、
大学の卒業論文のときはお世話になりました。


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京都市歴史資料館の前で、寺町通を南に向きました。
そろそろ日が沈んできたので、さらに暗くなってきていますね。
では、再び寺町通を南下します。


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京都市歴史資料館から、寺町通を約150m南下しました。
ここで寺町通は、丸太町通と交差します。
ちなみに、ここより南の寺町通はイチョウ並木がきれいな
ちょっとお洒落な店が続く道となります。
(第161回ブログを参照)


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寺町通から、丸太町通を西に向いています。
ここを約800m進むと「丸太町烏丸」交差点で、第696回に出て来た
京都市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅がありますが、
今回ブログではそちらには進みません。


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今度は、寺町通から丸太町通を東に向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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寺町通から、丸太町通を約150m進みました。
ここで丸太町通は、河原町通と交差します。
ちなみに、2019年の葵祭はここでの見物でした。


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丸太町通から、河原町通を北に向いています。
あちらに、「河原町丸太町」バス停が見えますね。
そのバス停から205系市バスに乗って、京都駅経由で帰宅しました。

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第789回 智積院の紅葉は?

「京のお店 今日のお品」カテゴリーに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

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京都駅北側市バスターミナルから、208系市バスに乗って約13分。
こちらは、七条通から東大路を南下する「東山七条」バス停です。
祇園岡崎に行く206系市バスのバス停とは、違う場所にあります。
今回は、この脇にある真言宗智山派総本山智積院にお邪魔します。
要するに、紅葉の染まり具合のチェックです。
撮影日は、2021年11月15日月曜日午後2時。
午後5時から仕事なので、それまでに帰らないといけません。


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208系市バスの「東山七条」バス停から、南を向きました。
約30m先から自動車が東大路に入ってきていますが、
その左(東)側が先述の智積院です。


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208系市バスの「東山七条」バス停から、
東大路を約30m南下して左(東)を向きました。
東大路以東のこの辺りが、智積院の境内です。
周辺は市街地ですが、
もう阿弥陀ヶ峰(東山36峰の一つ)山中なので、
ここから東に進むとほぼ上り坂ですね。
ちなみに阿弥陀ヶ峰は、日吉ヶ丘とも言います。
中世の埋葬地鳥辺野の一部で、
山頂には豊臣秀吉が葬られています。


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東大路から、智積院境内を東に約50m進みました。
では目の前の冠木門から、智積院境内の奥に入っていきます。


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智積院の冠木門をくぐり、智積院境内を東に向いています。
目の前の桜の木は、この日(2021年11月15日)紅葉の盛りでした。
右(南)側に見えるカエデ並木は次回ブログで訪れますが、
ここから見えている木々はすっかり紅葉に染まっていました。
ただ2021年11月15日段階では、木々によっては青紅葉でした。
この「青紅葉」のカエデは、1週間~2週間で紅葉の盛りでしょうね。


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智積院冠木門から、東北東に蛇行しながら
境内参道の石畳を進むと、こちらに出ます。
こちらから東に進むと金堂(本堂)に至りますが、
どうやら修復中のようですね。
こちらから約10m東に北に進む脇道が伸びています。
今回も、その脇から先に回ります。


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先程の位置から約10m東に進んで、北を向きました。
目の前に講堂が見えて、こちらから大書院にも進めます。


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先程のT字路から、智積院境内の参道を約10m北上しました。
こちらに、講堂や大書院への拝観料を納める拝観受付所があります。
そちらで500円納めて、今回ブログのメイン講堂と大書院に進みます。
また受付所の左(北)には、収蔵庫があります。
大書院の襖絵は国宝に指定されていますが、
事故や風化からの保護のために収蔵庫内に収められています。


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撮影禁止なので、収蔵庫内は一切撮影していません。
こちらには、豊臣秀吉の依頼で描かれた
長谷川等伯作の襖絵が並びます。
元々こちらは豊臣秀吉のご子息の菩提寺でしたが、
その祥雲寺建立の際に作成された襖絵です。

現在、収蔵庫を出て西に向ています。
ここからさらに右(北)の智積院講堂へと進みます。


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収蔵庫前から西に進み、先程の参道で北を見きました。
この先が、智積院の講堂です。
年に1回の得度式(僧侶になる儀式)が行われたりします。
ここからは有料の地域ですが、先に500円納めましたので
そのまま智積院境内の参道を北上します。


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智積院講堂には、このまま真っすぐに入れません。
講堂の前でいったん東に向いて、ここから回り込みます。
目の前に高浜虚子の句碑が立っていますが、その脇から東へ進みます。


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先程の位置から突き当りまで東に進み、左(北)を向きました。
ずっと先に、大書院の庭園にある池が見えますね。
次は、この通路を突き当りまで北上します。


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先程の位置から、智積院境内を突き当りまで北上しました。
垣根の向こう(北側)が大書院の庭園で、
もともとは智積院以前に建っていた祥雲寺の庭園でした。
その向こう(北側)に宸殿が見えますが、普段は非公開です。
(神殿には、堂本印象の襖絵「夫人喫茶」があります)


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先程の位置から、智積院境内で西に向きました。
左(南)側が智積院講堂で、右(北)側が智積院大書院です。
さらに、このまま突き当りまで西に進みます。


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先程の位置から突き当りまで西に進むと、こちらがあります。
智積院大書院の下足場で、ここからは靴を脱いで先に進みます。
車いすで来られた方は、ここで智積院の車いすに乗り換えます。


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下足場で靴を脱いで、畳張りの部屋に入ります。
こちらが、智積院大書院の内部です。
智積院で数少ない内部撮影が、可能な施設です。


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智積院大書院中央に観光客いらしたので、ちょっと歪な構図です。
智積院大書院の西側に、一面の襖絵があります。
こちらはレプリカですが、本物は長谷川等伯が描いた国宝です。
そちらは先程の収蔵庫に収められていますが、
その収蔵庫はこの大書院と同じ部屋割になっています。
つまり、実際と同じ配置で収蔵庫内の襖絵が置かれています。


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先程の襖絵に背を向け、智積院大書院内で東を向きました。
こちらに、名勝庭園があります。
智積院の建立は江戸時代初期ですが、
それ以前のこちらは祥雲寺という夭折した豊臣鶴松の菩提寺でした。
江戸時代に入り智積院となった際に
祥雲寺の施設の多くは壊されましたが、
大書院含めいくつかの施設はそのまま残りました。


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智積院大書院の東側は、こちらの名勝庭園です。
極端な話、大書院の縁の下も池が広がります。
大書院の東側の縁側の真下も、庭園の池ですね。
先述の通り、こちらは安土桃山時代からあって
生前の千利休はこちらの庭園をかなり高く評価していました。
そのため、こちらは「利休好みの庭園」とも呼ばれています。


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その「利休好みの庭園」で、北東に向いています。
この角度が、こちらのいちばんの絶景ですね。
左(北)側の宸殿は、高貴な方(天皇陛下とか)のための部屋です。


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智積院大書院の縁側で、北を向いています。
では、そろそろ縁側を歩いて先に進みます。


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先程の位置から突き当りまで北上して、西に向きました。
右(北)側に宸殿が見えますが、
ガラス戸の裏側の簾をめくると、
この角度なら堂本印象作「夫人喫茶」が見えるはずです。
(宸殿は非公開なので、当然その襖絵も非公開です)
では、こちらの縁側も突き当りまで進みます。


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智積院大書院の縁側を先程の位置から突き当りまで西に進み、
その位置で南に向いています。
ここから、西へ渡り廊下が伸びています。


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その渡り廊下から南側には、この坪庭が広がります。
先程の「離宮好みの庭」とは異なり、禅寺にありそうな石庭ですね。
石庭の白砂が、きれいですね。


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では、その渡り廊下を西に進みます。
この廊下の突き当りを左(南)に進むと講堂に続き、
右(北)側に進むと宸殿へと進めます。
ただ、ここから先の施設内は全て撮影禁止です。
そのため、ここから先の講堂内部の写真はありません。


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ただ内から外を写すのは、ルール違反ではありません。
こちらは、神殿の下足場から総門を撮っています。
その総門越しに、七条通が見えますね。
七条通の最東端に、こちらの総門があります。


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そうは言っても、これ以上は屋内で写真撮影はできません。
そのため、ここからはパンフレットを撮影して代行します。
左側の2点の絵画が、長谷川等伯作の襖絵です。
右上の水墨画は田淵俊夫画伯の傑作「夕日」です。
こちらと対になる「春」は、桜並木を水墨画で描いた傑作です。
自分はその田淵俊夫画伯の襖絵目当てに智積院に通っているのですが、
2021年11月は智積院の都合で講堂に展示されていません。


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智積院講堂の縁側を周回して、大書院の下足場に戻ってきました。
では、ここで靴を履いてこちらから外に出ます。


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智積院大書院の下足場を出て、東を向いています。
ここからは、こちらの突き当りまで進みます。


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智積院大書院の下足場から突き当りまで東に進み、
その位置で南を向いています。
左(東)側は先述の「利休好みの庭」の一部が続き、
右(西)側には智積院講堂が見えます。
さらにここからは、突き当りまで南下します。


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先程の位置から南下する途中で、左(東)に向きました。
この時点で、智積院講堂を背にしています。
この辺りまで、「利休好みの庭園」が伸びていますね。
この辺りのカエデは紅葉しているのは上部だけで、
下の方はまだまだ「青紅葉」と分かりますね。


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先程の通路を突き当りまで南下して、右(西)を向きました。
ここからは、高浜虚子の句碑の前まで進みます。


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その高浜虚子の句碑の前で、智積院境内を南に向いています。
それでは目の前の門から、智積院講堂から出ます。


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智積院講堂の門をくぐり、南を向いています。
この左(東)側に、拝観受付所と収蔵庫があります。
ここからは、このまま南下して突き当りまで進みます。


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智積院講堂の門から突き当りまで南下して、左(東)を向きました。
このずっと先に、修復中の智積院講堂(本堂)が見えますね。
ここからはその金堂や明王堂、紅葉並木に進むのですが、
だいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、智積院で紅葉並木を散策します~

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第790回 智積院の紅葉並木

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こちらは、真言宗智山派総本山智積院境内の参道を東に向いています。
東大路の先にある冠木門から東に進むと、こちらに出ます。
またこの左(北)側に、前回ブログで訪れた講堂と大書院があります。
今回は目の前の金堂(本堂)に向かった後、
この南側に広がる紅葉並木をお邪魔します。
撮影日は、2021年11月15日月曜日午後2時半。
この日の紅葉の染まり具合は、まちまちでした。


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先程の位置から、智積院境内の参道を東に約100m進みました。
こちらが、真言宗智山派総本山智積院金堂(本堂)です。
残念ながら現在修復中なので、中には入れません。

真言宗智山派総本山智積院は、元は和歌山県根来寺の塔頭寺院でした。
ところが豊臣秀吉の紀州攻めで、いったん焼失してしまいました。
その後江戸時代に入り徳川家康からこの辺りの土地を下賜され、
この地に再興することを成功させました。


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智積院金堂の前で、智積院境内を北に向いています。
こちらの石段を上ると、大師堂に至ります。
またその近くに、豊臣鶴松の菩提が弔われています。
大書院と共に、こちらに元々あった祥雲寺の数少ない遺構ですね。


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今度は智積院金堂の前で、南を向きました。
今回ブログでは、こちらを進みます。


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智積院金堂の前から、約30m南下しました。
ここで、智積院境内に十字路が現れました。


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その十字路上で、智積院境内を北に向いています。
左(北)側は修復中の金堂で、右(南)側が明王堂です。
ここから北上すると、金堂の裏(東)側に回り込めます。
その辺りは毎年6月になると、一面のアジサイ園になります。


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さらにその十字路から、智積院境内を南に向きました。
では、その先にある明王堂に向かいます。


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先程の十字路から約30m南下して、東を向きました。
では、智積院明王堂に参拝します。


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智積院明王堂内は撮影不可なので、パンフレットで代用します。
前回ブログで訪れた受付所で500円を納めた際に、
このチケットとパンフレットとお守りを戴きました。
明王堂には、文字通り不動明王がいらっしゃいます。
またご時世からか、疫病退散のお守りも今回は戴けました。


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智積院明王堂内の不動明王へのお参りを終えて、
明王堂を背にしています。
では明王堂を出て、この先を散策します。


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智積院明王堂の前で、智積院境内を北に向いています。
では、先程の十字路に戻ります。


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智積院明王堂の前から智積院境内を約30m北上しました。
先程の十字路に、また戻ってきました。


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その十字路で、智積院境内を今度は西に向きました。
こちらの道は、蛇行しながら紅葉並木が続きます。
では、今回ブログのメインの紅葉並木を散策します。


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先程の十字路から、南西に曲がった道を歩いています。
この辺りは、完全に紅葉並木の中ですね。
前回ブログの通り2021年11月15日日曜日の紅葉は、
カエデの上部はすっかり紅葉していますが、
カエデの下半分はまだまだ青紅葉です。


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まぁこういう紅葉も結構きれいなのですが、
この辺りが一面の紅に染まるのは、11月末でしょうか。


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ですから落葉寸前の紅葉もいいのですが、
個人的にはこういう紅葉も大好きです。
紅い紅葉だけでなく、「青紅葉」も楽しめます。


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先程の十字路から、智積院の紅葉並木を約50m南西に進みました。
この紅葉並木は蛇行していますので、この辺りで西に折れます。


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先程の十字路から南西に紅葉並木を歩いて、西に向きました。
この辺りの建物も、いくつか修復中です。
今度は紅葉並木は、約10m先で北に折れます。


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先程の位置から智積院紅葉並木を約10m歩いて、北を向きました。
約10m先に、鐘楼堂が見えます。
智積院紅葉並木の中でも、屈指の絶景ポイントですね。


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智積院鐘楼堂を、ちょっと角度を変えて撮影しました。
こちらは、燃えるような紅に染まると更に絶景に変わります。


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智積院鐘楼堂の前で、西を向いています。
修復中の建造物を避けるように、
紅葉並木は約5mだけ北西に進みます。


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智積院鐘楼堂から紅葉並木を北西に約5m進み、西を向きました。
ここからは、こちらを進みます。


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先程の位置から、智積院紅葉並木を約30m西に進みました。
よく日が当たっている部分のカエデが、よく紅葉していますね。
ここで智積院紅葉並木は、筋違いになります。


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その筋違いから、智積院紅葉並木を西に向いています。
では、このまま紅葉並木を西に進んでいきます。


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その筋違いから、智積院紅葉並木を約30m西に進みました。
ここで、紅葉並木が途切れます。
つまり、この位置が智積院紅葉並木最西端です。


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智積院紅葉並木最西端から、さらに西に向いています。
目の前の下り坂を進むと、土塀のある突き当りは東大路です。
つまり、ここから智積院を出ることができますが……


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智積院紅葉並木最西端で、智積院境内を南に向きました。
修復の建造物のさらに南側に回り込むと……


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智積院境内の最南端に、宿坊の智積院会館が建っています。
「宿坊」とは、信者のために各神社仏閣が用意された宿泊施設です。
実は智積院会館内の飲食店が以前からがかなりの評判だったのですが、
智積院会館が修復中だったため、ここ数年立ち寄っていませんでした。


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智積院会館内のお食事処智積院差寮 桔梗に立ち寄りました。
ランチタイムは午後2時までなので、昼食メニューはもう戴けません。
現時点で午後3時なので、喫茶メニューしか出ません。
そこで、抹茶(菓子付き)を戴きました。こちらセットで、880円です。
抹茶に細かい泡がたくさん湧いていましたが、
こちらの泡が抹茶の渋味と苦味を防ぎます。
こういう細かい泡が、抹茶のおいしさを表しています。

こちらにお邪魔した後、仕事の時間が来たので京都駅に急ぎました。

~これで、「智積院紅葉編」を終了します~

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第884回 おすすめの紅葉散策

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2022年も11月に入り、少しずつ紅葉が染まりだしました。
つまり、2年ぶりにほとんど規制がない中の
紅葉シーズンを迎えようとしています。
「京の道 今日の道」は2022年も紅葉散策に向かいますが、
その数週間前にお勧めの紅葉散策コースを掲載します。
……と言うのも例年通り紅葉散策の取材後に掲載しても、
それは紅葉シーズン後に連載することになり、
2022年の紅葉シーズンのプロモーションにはならないからです。
そういう訳で、今回は2022年の紅葉散策に
このブログでお勧めするコースをいくつか書きます。
その関係で今回掲載される写真の大半は、
過去に掲載されたことのあるものです。

清水寺~祇園
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こちらは、2018年当時の清水の舞台です。
この年の台風で、京都市内の文化財の多くが破損しました。
現在は、こちらは修復を終えています。

京都駅北側市バスターミナルから206系市バスに乗って、
「五条坂」で降ります。
その後「五条坂」を突き当りまで上ると、清水寺に辿り着きます。
清水寺は「清水の舞台」下に、紅葉並木が広がります。
そこからは産寧坂や二年坂を進み、
さらに高台寺円山公園と紅葉を見て回り祇園に入ります。
円山公園からは東隣の八坂神社に参拝した後、
その東側の四条通を西に約150m進み、
「四条花見小路」交差点を左(南)に折れて、
花見小路を突き当りまで南下して、
(その辺りが芸妓さんや舞妓さんがいらっしゃる世界です)
突き当りの建仁寺を散策します。
祇園で紅葉と言えばこの建仁寺ですね。
そちらを散策して、京阪電鉄「祇園四条」駅から
東福寺」駅経由でJR奈良線に乗って、京都駅に戻ります。


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こちらの写真は建仁寺境内の紅葉です。
こちら以外にも、高台寺など紅葉の絶景ポイントが多い場所です。
このコースは、京都でも随一の観光地です。
通称は「ねねの道」と言い、確か大正天皇がご成婚前に
後の皇后とデートされたコースだったと思います。
以来、多くの方々が観光されるようになったようです。
東山区祇園地区がメインになるので、
初めて京都に来られるなら、ここがいちばんのお勧めです。


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この観光コースは、飲食店が数多く建ち並んでいます。
ただ、中でもお勧めなのは二年坂のかさぎ屋です。
二年坂の途中には茶店が2軒並びますが、
古い平屋の方のお店です。
こちらは江戸時代末期から続く老舗の茶店で、
現在は4代目の若い店主が経営されています。
自分は2代目店主のころから通っていますが、
こちらの一推しは「はぎ餅」です。
要するに、「おはぎ」(牡丹餅)のことですね。
小豆餡はいかに粒の形状を壊さずに炊き上げるかが、
その技術の根幹にあります。
まぁそれが京都の菓子職人の伝統なのですが、
こちらの小豆の炊き方も、相当なレベルです。
小豆餡を堪能するには「ぜんざい」を頼むのもいいですが、
その技術の高さを確かめるなら、はぎ餅がお勧めです。


嵯峨野嵐山~その1~
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こちらは、法輪寺から見下ろす嵐山の渡月橋です。
このコースは、先述のコースと並ぶ京都観光の双璧ですね。
自分の設定したコースが長大なため、
とても1日では回り切れません。
ですから、こちらは嵯峨野嵐山の南半分を紹介します。

先ずは阪急電車京都線「桂」駅を目指します。
「四条河原町」地下の「河原町」駅からか、
JR「大阪」駅の隣にある「梅田」駅から、
特急電車が出ています。(「桂」駅は、特急電車が停車します)
「桂」駅からは嵐山線に乗り換え、3駅先の「嵐山」駅で降ります。
多くの方は駅から北上して直接渡月橋に向かいますが、
自分は駅から東に進み、法輪寺経由で渡月橋に向かう方を勧めます。


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こちらは、渡月橋越しに法輪寺の多宝塔を撮りました。
渡月橋からは、三条通を大堰川沿いに左(西)に進み、
突き当りを約200m北上します。
途中に紅葉庭園で有名な宝厳院がありますが、
たぶん満員で入れません。
ちなみに沿道には数多くの飲食店がありますが、
どちらも満員で入れない可能性があります。
まぁ北に行くほど飲食店は空いていくのですが、
ある程度計画を立てないとご飯抜きの可能性も出ます。
いずれにしても、先程の突き当りにある天龍寺に向かいます。
こちらには世界遺産に指定された曹源池があります。
こちらは紅葉庭園でもあるのですが、
そちらを散策しつつ北上して北側の門から天龍寺を出ます。
その辺りは嵯峨野の竹林の道になっていて、
昼間でも結構暗い場所です。
昔はいろいろ怪談があったのですが、
ここまで観光客が増えて賑やかになると、
「怖い」という雰囲気ではなくなっています。
竹林の道は左(西)に進むと、やがて針路は北に変わります。
大河内山荘へは、時間があったら行ってみてください。
その北でJR 嵯峨野線を越えて、小倉池脇を北上すると
常寂光寺で突き当たります。


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常寂光寺の山門をくぐると、この石段に行き当たります。
こちらの紅葉は、落葉すると辺りが絶景に変わります。
常寂光寺は本堂から小倉山麓付近の紅葉がきれいです。
常寂光寺からは東に進路を取り、落柿舎に向かいます。
松尾芭蕉が、こちらに2年間居住していました。
そこから北上すると、すぐに二尊院です。
二尊院から北上すると、すぐに十字路に出ます。
おそらく時間的に、これ以上北へは進めません。
ですから、ここからは西に進み
突き当りの滝口寺と祇王寺に向かいます。


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こちらは、宝筐院の入り口付近です。
個人的には東の東福寺と西の宝筐院が、京都紅葉庭園の双璧です。

祇王寺を出た後は、その道を延々と東に進みます。
先程の十字路も東に進み続けると、宝筐院と清凉寺に辿り着きます。
清凉寺の山門から、南に長辻通が伸びています。
長辻通は、約1㎞先の渡月橋に通じています。
その途中にある嵐電(京福電車)「嵐山」駅から
嵐電に乗れば、「嵐電天神川」駅から
京都市営地下鉄に乗り換えられます。
地下鉄を「四条」駅まで乗れば、
阪急電車「烏丸」駅まですぐです。
または、地下鉄でそのまま京都駅に向かえます。
実はJR 嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅の方が近いのですが、
だいぶ複雑な道ですからお勧めできません。
(TVアニメ「けいおん‼」で修学旅行中の主人公が
道に迷ったのが、この辺りです)


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こちらは、清涼寺境内の茶店で出される炙り餅です。
炙り餅は今宮神社が有名ですが、実は製法がまったく違います。
食べ比べてみるのも、一興です。
この辺りの飲食店は、渡月橋に近いほど満員になります。
二尊院近くにも飲食店が多く、そちらに行くのもいいですね。
また渡月橋近くには、最高級のお店もあります。
(おそらく、門構えで何となく分かります)
下手すると1万円越えもあり得るので、
入店の際は最初に料金を確かめるべきですね。


嵯峨野嵐山~その2~
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こちらは、鳥居本へと続く参道です。
前述のコースでは滝口寺と祇王寺まで進みましたが、
こちらはその辺りから始めてさらに北側へと進みます。
要するに「嵯峨野嵐山」の中でも、
化野(あだしの)や鳥居本に進みます。

JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅前ロータリーから歩いて北上して、
約100m北の丸太町通を西に進みます。
丸太町通は約200m西に進み、そこから鳴滝道を北上します。
鳴滝道を約300m北上すると、一条通に出ます。
ここからは、一条通を左(西)に進みます。
すると、すぐに清凉寺宝筐院が建ち並んでいます。
さらに西へと進むと、突き当りに滝口寺祇王寺が建っています。
そこから約50m東に戻ると、前述のコースでも通った十字路に出ます。
今回は、そこを北上します。
すると、約250m先のT字路でその道は突き当たります。
その突き当りから左(西)が、鳥居本地区です。
T字路から約50m西に進むと、化野念仏寺です。


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こちらは、化野念仏寺の石仏群です。
この寺院では、石仏群周辺の紅葉が見事です。
化野念仏寺を出てさらに参道を西に進むと、
愛宕神社一の鳥居付近に高級料亭の「平野屋」が建っています。
がっつり食事をすると1万円以上掛かりますが、
茶店としても利用できます。(その際は、1,000円そこそこ)
また、その平野屋店頭がなかなかの紅葉並木が並びます。
その後は、さらに西に進み愛宕念仏寺に向かいます。


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こちらは、愛宕念仏寺の石仏群です。
先代の住職で彫刻家の西村公朝氏が、こちらを彫られました。
(西村住職の知己の方々の作品もあります)
愛宕念仏寺に参拝した後は、元来た道を東に進み、
T字路に戻ってもさらに東に進みます。
そちらをさらに東に進むと、北嵯峨野コスモス畑が広がります。


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こちらが、北嵯峨野コスモス畑です。
嵯峨野の北部では、稲を刈り取った後は
水田にコスモスを植えられます。
その後、鋤き込んで肥料に変わるようです。
このコスモス畑の先に、大覚寺が建っています。
その大覚寺の東隣にも、大沢の池が広がります。
その大沢の池の周囲も、なかなかの紅葉庭園です。
大沢の池を出ると、一条通まで約400m南下します。
その一条通を西に進むと、鳴滝道と交差します。
その鳴滝道を南下して丸太町通を東に進むと、
すぐにJR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅です。
本当はもっと近道がありますが、
この道もかなり複雑なのでお勧めできません。
そうそう、大覚寺の門前に大きなバス停があります。
時間はかかりますが、そちらから直接京都駅に向かえます。


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こちらは、平野屋の大根炊きセットの1品大根炊きです。
この大根炊きセットには、他に桜湯、焼き餅、志ん子が付きます。
平野屋は高級料亭としての側面もありますが、
こちらのようにそこまで高くないものもあります。
ちなみに、こちらは2014年で1,970円でした。
さらに、こちらは茶店として和菓子とお茶だけ戴くことも可能です。


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こちらは、平野屋の抹茶と志ん子です。
志ん子は小麦粉から作る和菓子で、
水無月よりも外郎(ういろう)に近いものです。
志ん子は、祇園饅頭でも売られています。
また渡月橋付近と異なり、この辺の飲食店はそこまで混みません。
ですから予約しなくても、どこかで食事が可能です。


月輪(東福寺と泉涌寺)
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東山区の南西端を月輪(つきのわ)地区と言います。
この地域の約半分が、東福寺と泉涌寺と
それらの塔頭寺院の境内で占められます。
この辺りは京都市内の中でも特に紅葉がきれいな場所ですが、
中でもこの写真にある臥雲橋から見る通天橋が、
自分のいちばんのお気に入りです。
……と言いますか、こちらは自分のアバターとほぼ同じ構図です。

京都駅からJR奈良線に1駅乗って、「東福寺」駅で降ります。
駅前から東に進むと、すぐに本町通に出ます。
そのまま本町通を約100m南下すれば東福寺北大門に辿り着きますが、
今回は約500m南下して東福寺中大門から東福寺境内に入り、
(三ノ瀬川にかかる伏見街道第3橋のすぐ南です)
塔頭寺院の芬陀院の雪舟庭園を拝観して東福寺日下門をくぐります。


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こちらは、通天橋の下を流れる三ノ瀬川です。
東福寺境内では、この通天橋の周囲がいちばん紅葉が濃いです。
日下門をくぐれば、まずは左(北)側の通天橋に向かいます。
数年前に入り口を拡張したため、通天橋へは以前ほど待ちません。
順路としては通天橋西側の紅葉庭園を散策しつつ、
通天橋の下に降りて写真の石橋を渡って、
三ノ瀬川の北岸に進みます。
取り敢えずこの辺りが、最初の紅葉の絶景ポイントです。
三ノ瀬川北岸に渡った後は開山堂に向かい、
その後はそのまま渡り廊下を南下します。
通天橋はこの渡り廊下の一部で、気を付けないと
気づく前に通天橋を渡り切ってしまいます。
通天橋を南に渡ると、すぐに日下門前に戻ります。
そこからは、東側の方丈に向かいます。


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こちらは、東福寺方丈庭園の様子です。
作庭家の重森三玲の代表作ですね。
東福寺方丈庭園はこの北側庭園が有名ですが、
他の3面もなかなか見事な庭園です。
東福寺方丈を散策した後は、
方丈の北東側の偃月橋で再び三ノ瀬川を渡り、
東福寺塔頭寺院の即宗院と龍吟庵に向かいます。
池越しの紅葉庭園が見事な即宗院に対して、
龍吟庵も重森三玲が作庭した石庭が見事です。
その後は、東福寺の三門と本堂を拝観します。
どちらも国宝ですが、本堂の龍図は堂本印象が描きました。
それらを眺めた後、東福寺日下門をくぐります。


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東福寺日下門から出た後は、その前の参道を北上します。
この辺りのカエデ並木も、東福寺の絶景ポイントです。
実はこの辺りの塔頭寺院の多くが、紅葉シーズン限定で
土産物屋さんのテナントを入れたり飲食店になっていたりします。
この辺でお店に入っておかないと、
あとはJR奈良線「東福寺」駅周辺しかお店はありませんので、
ご注意ください。

またこの写真の先は、臥雲橋に続いています。
先述の通りこの臥雲橋から見た通天橋が
東福寺の最大の絶景ポイントですが、
こちらはとても狭いので休日にここで立ち止まると、
転落事故が起きる危険性があります。
ですから、休日の臥雲橋は立ち止まることが禁止されています。
平日の早朝などはゆっくりできますので、
撮影希望ならその時間帯でお願いします。
臥雲橋を渡った後は、この参道を突き当りまで北上します。
そこから左(西)に曲がると、JR奈良線「東福寺」駅に戻ります。
今回は右(東)に曲がり、京都市立日吉ヶ丘高校で突き当たります。
(途中の勝林寺の紅葉庭園も、見事です)
突き当りを右(南)に進み、日吉ヶ丘高校との境目の小径を進むと
泉涌寺への近道が伸びています。
(その近道の進み方は、第445回ブログ参照)


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こちらは、泉涌寺の紅葉庭園です。
泉涌寺は「御寺」(みてら)とも呼ばれる天皇家の菩提寺です。
この写真は今上天皇陛下が御寺に参拝された際に、
休憩室の今上天皇陛下の席から見える風景と同じです。
(そのお席の手前に立って撮りました)

泉涌寺を出ると、門前から北に泉涌寺道が伸びています。
そちらを北上すると、途中に泉涌寺の塔頭寺院を参拝しつつ
JR奈良線「東福寺」駅まで進むことができます。


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こちらは、観音寺の参道途中の橋の上です。
紅葉庭園が有名な観音寺は位置的に
泉涌寺の塔頭寺院と思われる方が多いですが、
月輪地区最古の寺院であり、どこの塔頭寺院でもありません。
ただ泉涌寺道沿いの寺院の中では、
いちばんきれいな紅葉庭園を有します。
泉涌寺道沿いの泉涌寺塔頭寺院は幾つもありますが、
泉涌寺の門に近い即成院にはぜひ向かいましょう。
こちらの25体の菩薩像は見事ですし、
那須与一のお墓にもお参りしましょう。
泉涌寺道は初め北上しますが、だんだん西へ進路がそれます。
最終的に泉涌寺道は本町通まで延びており、
その本町通から南下すると、すぐにJR奈良線「東福寺」駅です。


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こちらは、JR奈良線「東福寺」駅前のお寿司屋さん
いづ松の京寿司セットです。
JR奈良線「東福寺」駅前には、
他にもDRAGON BURGERなどの飲食店があります。

また紅葉シーズン限定で、臥雲橋周辺の塔頭寺院が
土産物屋さんや飲食店のお店を入れたりしています。
さらに、自ら精進料理を出している塔頭寺院もあります。
料金は掛かりますが、そちらもお勧めです。


花園(妙心寺・等持院・龍安寺)
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こちらは、妙心寺の塔頭寺院退蔵院にある余香苑です。
作庭家中根金作にとっては、代表作ですね。

右京区花園地区は、右京区太秦地区の北東にあります。
臨済宗妙心寺派本山妙心寺が、この地区の多くを占めます。
近年観光客が増えつつありますが、
東山区祇園地区や右京区嵯峨野嵐山地区ほどは、
そこまで観光地化されていません。

京都駅からJR嵯峨野線に乗って、5駅先の「花園」駅で降ります。
先ずは駅前に伸びる丸太町通を西に進み、
法金剛院の紅葉庭園へ向かいます。
今度はその丸太町通を東に進み、そこから妙心寺に入ります。


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こちらは、妙心寺の全景図です。
実は妙心寺の境内は、京都でも一番か二番の広さです。
塔頭寺院の大半が非公開寺院ですが、
どの寺院もなかなか見事な紅葉庭園を有しています。
2017年に自分は母と散策した際は、
退蔵院大法院桂春院を散策しました。
ただ公開されている塔頭寺院は毎年違うので、
事前に調べておく必要があります。
桂春院を拝観した後、今度は北側の門から妙心寺を出ます。
するとそこが一条通で、その一条通を東に進み
最初の角で嵐電(京福電車)北野線の踏切まで北上します。
その踏切を北に渡ったところが今出川通最西端で、
そこから今出川通を嵐電(京福電車)北野線
「等持院立命館大学衣笠キャンパス」駅まで約200m東に歩きます。
そして駅前から角を折れて北上して、突き当りを右(東)に進みます。
すると、そこに等持院の門が見えます。


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こちらは、等持院の心字池庭園の風景です。
観光客は決して多くありませんが、
こちらは京都を代表する紅葉庭園です。
等持院を参拝した後は、
第531回ブログのコースを辿って龍安寺に向かいます。
臨済宗妙心寺派龍安寺は、妙心寺の塔頭寺院です。
また龍安寺は石庭で有名ですが、
境内南側に広がる鏡容池も周囲にカエデ並木を有しています。
龍安寺を見て回った後は、参道を南下して
嵐電(京福電車)北野線「龍安寺」駅から2駅東に進み、
「北野白梅町」駅で降りて205系京都市バスに乗り込み、
終点の京都駅に戻ります。


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こちらは、龍安寺境内の食堂にある生湯葉丼です。
なかなかのお味でしたが、こちら以外に
飲食店がほとんどありません。
妙心寺南側の丸太町通にはいくつか飲食店がありますが、
妙心寺に入るとなかなかありませんので、ご注意ください。
そうそう、退蔵院境内に茶店があって
そちらの抹茶はかなり美味しいです。

……と言う訳で、自分がお勧めする紅葉散策コースは以上です。
京都市バス案内所を掲載する際に書いたコースは、
重複するので意図的に外しています。
こちらを利用して京都観光を楽しんでいただければ、幸いです。

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第1143回 京都駅から渉成園へ~渉成園紅葉散策~その1

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2024年は、紅葉が長続きします
例年の紅葉シーズンは、
だいたい12月5日ごろで終了します。
ところが、2024年は12月の中旬でも
まだまだ紅葉の盛りです。
ちなみに、ウチの近所では
まだ紅葉が残るカエデがあります。
そこで、2024年は12月に入ってからも
紅葉散策に出かけました。
ブログ数回で終わらせたいので、
京都駅に近い渉成園を散策します。


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腰痛の治療のため
JR嵯峨野線「丹波口」駅前の接骨医に向かって、
治療後に京都駅に戻ってきました。
今回はウチに帰る前に、渉成園に立ち寄ります。
撮影日は、2024年12月3日火曜日午後1時半。
ブログの連載回数削減のため、
東本願寺には寄っていません。


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京都駅の34番線ホームから移動して、
改札口を通って中央口から出て、北を向いています。
目の前に京都駅北側市バスターミナルがあって、
その先(北側)を塩小路が東西に貫いていて、
さらにその北側が京都タワーです。
京都タワーの右(東)側から烏丸通が北に伸びていて、
塩小路から約150m烏丸通を北上すると、
七条通以北に東本願寺があります。
通常は渉成園に向かう前に東本願寺に寄るのですが、
今回はそちらを割愛して、近道へ向かいます。


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京都駅中央口を北に出て、西を向いています。
この先に、百貨店のJR京都伊勢丹が建っています。
また、このずっと先にコーヒーショップの
KURASUが建っています。


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さらに京都駅中央口から、東を向いています。
今回は、こちらに進みます。


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京都駅中央口を北に出て、東へ進んでいます。
中央改札口の東側は、ホテルグランビア京都です。


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ホテルグランビア京都の東隣は、京都劇場です。
その脇に茶店ができていて、
店頭に縁台が置かれています。


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その辺りで、北東を向いています。
実は京都駅から東へ移動される方の大半は、
この位置から北東に移動されます。
そのため京都劇場より東側は、
京都駅前なのに少し寂れています。
特にコロナ禍以降は、空きビルが建っています。
ここからは多くの観光客同様、
このまま北東に進みます。


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先ほどの位置から京都駅前を北東に進むと、
羅城門の模型があります。
平安京(京都)は城壁はありませんでしたが、
立派な城門だけはありました。
(羅城門の詳細は、第1123回ブログ参照)


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羅城門の模型から、
さらに京都駅前を北東に進みました。
右(東)側に見えるルネッサンスビルには、
飲食店が多く入っています。
ここで、「塩小路東洞院」交差点に辿り着きます。


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スクランブル交差点の「塩小路東洞院」交差点で、
東洞院通から塩小路を東を向いています。
約400m先に鴨川が流れていて、
その辺りが桜のこみちです。


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今度は東洞院通から、塩小路を西に向きました。
東洞院通より西に、京都駅前繁華街が形成されます。


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「塩小路東洞院」横断歩道を北に渡り、
塩小路から東洞院通を北に向いています。
ここからは、東洞院通を北上します。


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塩小路から、東洞院通を約50m北上しました。
ここで東洞院通は、木津屋橋通と交差します。
この辺は、ホテルなど宿泊施設が多いですね。


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東洞院通から、木津屋橋通を西に向いています。
この辺は雑居ビルが多いのですが、
そちらに飲食店が多数入っています。


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今度は木津屋橋通から、東洞院通を北に向きました。
ここからも、東洞院通を北上します。


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木津屋橋通から、東洞院通を約100m北上しました。
ここで東洞院通は、七条通と交差します。


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東洞院通から、七条通を西に向いています。
もともとこの辺りは商店街でしたが、
観光客が京都に増え出してから、
徐々に飲食店の割合が増えてきました。


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「七条東洞院」交差点南東角から、北を向きました。
では横断歩道を渡って、北東角に向かいます。


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横断歩道を渡って、東洞院通から
七条通を東に向いています。
約200m先で、七条通は河原町通と交差します。


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そして、東洞院通から七条通を北に向いています。
七条通以北の東洞院通は、
この道幅で南行き一方通行です。
とは言え、これが京都市街地の標準的な道幅です。


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七条通から、東洞院通を約100m北上しました。
ここで東洞院通は、下珠数屋町通と交差します。
またこの辺りには、旅館が多く建ち並んでいます。
江戸時代以降、この辺りは東本願寺の門前町でした。
そのため、門徒が宿泊する施設が発達しました。


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東洞院通から、下珠数屋町通を西に向いています。
約50m先に、東本願寺阿弥陀門が見えます。
この辺りには旅館以外にも、仏具屋さんが多いです。


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今度は下珠数屋町通から、東洞院通を北に向きました。
では、さらに東洞院通を北上します。


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下珠数屋町通から、東洞院通を約100m北上しました。
ここで東洞院通は、正面通と交差します。
ちなみに約20m先に、豆腐屋さんの
並河商店が建っています。


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東洞院通から、正面通を西に向いています。
約50m先に、東本願寺御影門があります。
要するに、この辺りは東本願寺の門前町です。


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今度は東洞院通から、正面通を東に向きました。
ここからは、こちらを進みます。


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東洞院通から、正面通を東に約50m進みました。
ここで正面通は、間之町通で突き当たります。
そしてその突き当りに、渉成園の門があります。


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正面通から、間之町通を北に向いています。
約100m先に、文子天満宮がいらっしゃいます。


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渉成園の門前に、こちらが立っていました。
2024年12月15日まで夜間ライトアップがありました。

渉成園は、東本願寺の境外庭園です。
バブル景気の際に土地買収問題もありましたが、
それを阻止するためにも整備されて、
むしろ現在は「京都駅に近い庭園」として、
多くの方々の人気を集めています。


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では、渉成園に入ります。
門から入って南側に、渉成園の受付があります。
こちらで拝観料を納めれば、さらに奥に入れます。


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受付の前で、渉成園内を北に向いています。
多くの方がこのまま東に進んでいかれますが、
先にこの北側に進まれるのをお勧めします。


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渉成園受付の北側に、大銀杏が立っていました。
イチョウとカエデは紅葉する時期が異なりますが、
2024年は紅葉が全般的に遅いので、
この2種類が同時に紅葉しました。


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大銀杏の脇から、渉成園境内を北に向いています。
この先が、広場になっています。


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その広場の北側が、渉成園の休憩所です。
自動販売機と縁台が並んでいます。
周囲に藤やアジサイなどが植えてあり、
それぞれの季節を華やかにします。


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渉成園の休憩所の縁台に座り、
ジュース片手に休憩しています。
ここからのカエデと銀杏の紅葉が見事です。
拝観者の大半がここを素通りされるのが、
とても勿体ないですね。


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ジュースを飲み終わり、立ち上がりました。
そして、休憩所から境内を南下しました。


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休憩所のある広場は、
枳殻(からたち)の木に囲まれています。
渉成園の別名は、枳殻邸(きこくてい)です。
実は地元民は、渉成園より
枳殻邸の方が馴染みがあります。
周辺の店舗に「キコク」という屋号が多いのも、
その辺が原因です。


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渉成園の休憩所から、境内を南下して
受付に戻ってきました、
ここから渉成園内部を散策しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました、
ですから、今回はここまでです。

~次回は、渉成園内部を散策します~

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第1144回 渉成園丹楓溪の紅葉~渉成園紅葉散策~その2

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前回ブログで訪れた渉成園の休憩所を南下して、
渉成園の受付に戻ってきました。
今回は渉成園の中に入って、
紅葉の名所丹楓溪を散策します。
撮影日は、2024年12月3日火曜日午後2時。
渉成園は、場所ごとに植生が異なります。


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休憩所から南下して突き当り、
東を向いています。
では、ここから渉成園内部に入っていきます。
左(北)側に枝垂桜が見えますが、
時期的に枯れ枝並木です。
ただ毎年春になると、こちらは絶景に変わります。


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先程の枝垂れ桜の先(東側)で、
渉成園は突き当たります。
この石垣の向こう(東)側が、渉成園内部です。
自分は普段ここから左(北)に向かいますが、
2024年の紅葉シーズンは
右(南)側が公式ルートになっていました。
ただ、自分はここから北上しました。
理由は、2つあります。
① 他の方が前にいらして、
 方向指示が見えなかった。
② こちらから見た方が、丹楓溪の紅葉がきれい。


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その突き当りで、北を向いています。
公式ルートを逆行することになりますが、
ここからはこのまま北上します。


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先程の突き当りから、渉成園を約50m北上しました。
小径の中央に柵が設けてあり、
北上するルートと東に進むルートを分けます。
このまま北上すると、渉成園の駐車場です。
ここから渉成園内部に入るなら、東に進みます。


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T字路から、渉成園を東に向いています。
この先が、渉成園の庭園です。


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先程のT字路から東に向かう途中に、
こちらの桜が立ちはだかります。
枯れ枝の今はただ邪魔なだけですが、
春になると立ちはだかるこの角度が、
なかなかの絶景になります。


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その桜の木を背後に、東に向いています。
目の前に見えるのは、渉成園の施設を結ぶ回廊が
途切れている部分です。
ただ、このように見ると門に見えます。
まぁ実際に、門として機能しています。


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一見門に見える回廊の切れ目を東にくぐると、
渉成園の庭園に入ります。
こちらからは北東、東、南東に続く小径があります。


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門に見える回廊の切れ目から、北東に向いています。
先ずは、そちらに向かいます。


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門に見える回廊の切れ目の北側に、
こちらの池があります。
池の水源は「地下水」とサイトに書いてありますが、
確か東本願寺水道だったと覚えています。
(しんらん交流館の展示を参照)
東本願寺水道も、地下水とも考えられますし……
その池の畔に、「臨池亭」が建っています。


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こちらが、臨池亭という茶室です。
そして、その奥(北側)も滴翠軒という茶室です。
普段は立ち入り禁止ですが、
東本願寺にお布施を納めれば使用可です。
この日も、滴翠軒に何人かいらっしゃいました。
たぶんどこかの旅行者が組んだツアー客が、
こちらにいらっしゃるのでしょう。


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臨池亭は、文字通り池に臨む茶室です。
庭内からは、池に写り込む紅葉を楽しめます。
京都市街地の紅葉は例年
イチョウの後にカエデが染まるのですが、
2024年はゆっくり染まった関係で
イチョウとカエデの紅葉を同時に楽しめます。


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臨池亭を背後に、渉成園庭園を南南東に向いています。
ここからは、こちらに進みます。


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臨池亭から、南南東に約10m進みました。
ここで、十字路に出ます。


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その十字路で、南を向いています。
枯れ枝並木の先に、傍花閣が見えます。
この辺りは桜並木で今は枯れ枝並木ですが、
春になると絶景に変わります。


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今度は十字路で、東を向いています。
この辺の枯れ枝並木も、春に絶景に変わります。
今回は、こちらを進みます。


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そして、その辺りで下を向いています。
臨池亭から南へ、小川が流れています。
この小川は、後述の印月池に流れ込みます。


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その辺りで、北を向いています。
ずっと先に、代笠席という茶室が見えます。
渉成園庭園内には、幾つも茶室が林立しています。


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その辺りの芝生に、穴が開いています。
こちらは、亀の甲の井戸と呼ばれえています。
渉成園には茶室が多いですが、
その周囲には井戸も点在しています。


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亀の甲の井戸の辺りから、東を向いています。
この先で、この小径は右(南)に曲がります。


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先程の小径を右折して、そのまま南下しています。
このまま渉成園庭園内を南下し続けると、
印月池に架かる侵雪橋に達します。


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今度はその位置で、東を向いています。
ここから東の印月池北岸が、丹楓浹です。
今回ブログのメインで、渉成園内の紅葉の名所です。
ちなみに「丹楓浹」などの地名は、
詩仙堂を建立した石川丈山によるものです。


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丹楓浹を東に進んでいます。
丹楓浹は小径の両側に続くカエデ並木で、
このまま歩いていくと、
紅葉トンネルを通過しているみたいです。


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さらに丹楓浹を東に進んでいます。
自分は公式ルートを逆行しているので、
多くの方々とすれ違います。


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その辺りで、丹楓浹を南に向いています。
印月池の向かい(南)側は、北大島という築島です。
実は北大島から見る丹楓浹も、なかなか絶景です。


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丹楓浹は約100m続きますが、
東の方でいったん途切れます。
その途切れた部分に、石橋が架かっています。


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その石橋の上で、南西を向いています。
印月池に、京都タワーが写っています。
京都駅前にありますので、
渉成園は高層建築物に囲まれています。


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その石橋の上で、北を向いています。
この先に獅子吼という注水口があって、
そちらから印月池に水が流れています。
サイトでは「地下水」と書かれていましたが、
おそらくこちらも東本願寺水道を利用しています。


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さらに東に進んで石橋を渡り切ります。
この辺は日陰なので、
カエデがくすんで染まっています。
これはカエデの葉1枚1枚が、
くすんでいるわけではありません。
2024年は12月に入っても青紅葉が存在します。
そのため、全体を見ると緑と紅が混じります。
この2色を混ぜると、黒になります。
それが、この辺の紅葉がくすんでいる理由です。

またこの辺りに、句碑が多く点在します。
どちらもこの渉成園を詠んだものです。


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丹楓浹の東端は、渉成園の東端でもあります。
そちらから南に、回棹廊という橋が架かっています。
ここから渉成園を南に進みますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、渉成園の侵月橋から閬風亭に向かいます~

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第1145回 渉成園北大島~渉成園紅葉散策~その3

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前回ブログで渉成園内の紅葉の名所
丹楓浹最東端に辿り着いています。
この辺りが、渉成園の北東端です。
今回は、目の前の橋「回棹廊」を南に渡って、
向かい岸の北大島を散策します。
撮影日は、2024年12月3日火曜日午後2時15分。
北大島は、印月池に浮かぶ築島です。


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では、回棹廊に足を踏み入れます。
回棹廊は屋根の付いた橋で、
石川丈山が定めた「十三景」の一つです。
詩仙堂を作庭した石川丈山は、
この渉成園の作庭にも関わっています。


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回棹廊の中ほどまで渡り、西にを向きました。
右(北)側の紅葉は、前回ブログで訪れた丹楓浹です。


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同じ位置で、回棹廊の上で南西を向きました。
印月池越しに、傍花閣という建物が見えます。
その辺りが、桜シーズンに絶景になります。


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今度は回棹廊の上で、東を向いています。
この先に、大きな藤棚が見えますね。
その東側に土塀があって、
その先(東)が河原町通です。
(「河原町正面」バス停付近です)


1145-6.jpg
さらに回棹廊の上で、南を向きました。
回棹廊は、丹楓浹の東端と北大島を結んでいます。
石川丈山らが作庭したときから存在していますが、
1858年に焼失後再建されましたが、
2018年の台風で甚大な被害を受けました。
その後約1年かけて、回棹廊は修復されました。


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回棹廊を南に渡り切り、右(西)に向いています。
回棹廊の南側が、今回ブログのメイン北大島です。
渉成園の大池である印月池に浮かぶ島ですが、
確かお土居の残骸を利用して造られました。


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回棹廊から、北大島を西に進んでいます。
左(南)側は標高約10mの小山で、
右(北)側は印月池なのですが、
この辺りの印月池は細長いので川に見えます。


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回棹廊から、北大島を約50m西に進みました。
この辺りが北大島北西端で、
この小径は徐々に左(南)に折れていきます。


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その辺りで、北大島から北に向いています。
前回ブログで訪れた丹楓浹は、
この辺りから眺めてもかなりの絶景になります。


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徐々に左(南)に曲がりながら、
北大島の小径を進んでいます。
この小径は、左側の小山に沿って続いています。


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その辺りの小径の左側に、穴が開いています。
もう涸れているようですが、こちらは井戸です。
こちらに井戸があるということは、
近くに茶室にあるはずです。


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その井戸の前で、北大島を西南西に向いています。
印月池の南側は幅が広くなっており、
この辺りで北大島が島であることが実感できます。


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ちなみにこのまま北大島の小径を進むと、
北大島南西端に架かる侵雪橋があります。
ただ低木で分かりにくいですが、
この辺りから左(東)に脇道があります。


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こちらが、その脇道です。
この方向の脇道ですから、上りの石段です。
まぁ標高約10mだけですが、
ここから登山します。


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北大島の頂上に登ってきました。
現存する御土居も、このくらいの高さですね。
頂上部分には、縮遠亭という茶室があります。
中からの眺めは絶景でしょうが、
こちらは立ち入り禁止です。


1145-17.jpg
北大島の頂上にぼって、南東を向いています。
縮遠亭は結構細長い茶室で、
ここからはそちらに沿って歩いていきます。


1145-18.jpg
こちらが、縮遠亭の南東端部分です。
先ほどの位置から入って、
この部分でお茶を飲んでいたようです。
北大島の頂上部分はずっと平坦で、
他の現存する御土居の頂上部分も、
ここと同じで平坦でしたね。
(第1029回ブログを参照)


1145-19.jpg
その位置から、南に向いています。
ここからは、下りの石段があります。
自分と反対コースを進まれる方がいらっしゃいますが、
公式コースを逆行しているのは自分の方です。


1145-20.jpg
北大島の頂上から、南へ石段を下りています。
この石段の南側は、印月池の畔です。


1145-21.jpg
北大島の石段を南に下りきりました。
ここから南を向くと、印月池の南側を一望できます。


1145-22.jpg
実際に北大島から、印月池を南に向いてみました。
源融ゆかりの石塔と南大島が見えます。
南大島はそこまで大きくないので、
人は立ち入れません。
印月池に写る南大島の紅葉が見事ですね。


1145-23.jpg
その位置で、北大島で西を向いています。
ここからは、こちらを移動します。


1145-24.jpg
北大島を西に進むと、すぐに突き当たります。
その先に、印月池越しに閬風亭が見えます。



1145-25.jpg
その位置で、北西に向いています。
ここからは、この石橋を渡ります。


1145-26.jpg
その石橋の上で、南西を向いています。
印月池越しに、京都タワーが見えます。
渉成園の遠景は、京都タワーを借景にすると
なかなか面白い写真が撮れます。


1145-27.jpg
この石橋を渡った先も、北大島です。
北西に向いた小径は、すぐに左(南)に折れます。


1145-28.jpg
その小径の西端に、侵月橋が架かっています。
ちなみに侵雪橋を渡らずに右(北西)に進めば、
やがて今回ブログ冒頭の回棹廊に戻ります。


1145-29.jpg
では、ここから侵雪橋を渡ります。
結構急な橋なので、雨や雪が降ると
特に滑りやすくなります。


1145-30.jpg
侵雪橋の上から、北を向いています。
丹楓浹の西端部分が見えますね。


1145-31.jpg
今度は侵雪橋の上で、南西を向きました。
京都タワーを借景に撮るのが、ポイントです。
しかも、しっかり印月池に京都タワーが写っています。


1145-32.jpg
では、侵月橋を渡り切ります。
ここからは閬風亭経由で渉成園南部を散策して、
京都駅に向かって帰ります。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は渉成園南部を散策して、帰宅します。
次回が、2024年の最後の更新です~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第1146回 売店で抹茶アイス~渉成園紅葉散策~その4

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

1145-32.jpg
前回ブログで散策した渉成園北大島から、
印月池に架かる侵雪橋を渡りました。
今回は渉成園南側を散策して、
そのまま京都駅経由で帰宅します。
撮影日は、2024年12月3日火曜日午後2時半。
今回が、2024年最後のブログです。


1146-3.jpg
印月池に架かる侵雪橋を渡り、
渉成園庭園で西南西を向いています。
目の前の小川に石橋が架かっていますが、
この小川は、第1144回ブログで訪れた臨池亭前の
池から印月池に流れ込んでいます。


1146-4.jpg
石橋の上から、渉成園庭園を西南西に向きました。
桜の枯れ木と芝生の間に、紙製造花が並びます。
夜間ライトアップなら絶景でしょうが、
昼間なら紅葉の方に目が行ってしまいます。


1146-5.jpg
その辺りで、渉成園庭園を北に向いています。
紙製造花は、傍花閣付近まで続きます。
傍花閣付近は春には絶景になりますが、
秋や冬は丹楓浹付近に拝観者が集まります。
紙製造花は、それ故の工夫でしょうか?


1146-6.jpg
侵雪橋から、西南西に約50m進みました。
ここで今まで進んできた小径は、
傍花閣から伸びる南北の小径に吸収されます。


1146-7.jpg
その小径が交差したところで、南に向いています。
印月池の西側に芝生が広がり、
さらに西側に、閬風亭が建っています。
渉成園の事実上の本堂は園林堂ですが、
その東側の縁側に近い部分が閬風亭です。


1146-8.jpg
閬風亭は中に入れませんが、
縁側脇に「たたき」があってそこに腰掛けています。
いろいろ書いていますが、渉成園では
実はこの眺めが自分のいちばんのお気に入りです。
芝生の先に印月池に浮かぶ南大島が見えて、
そちらは紅葉の盛りです。
さらに東側にある河原町通沿いのビルが借景です。


1146-9.jpg
閬風亭から、芝生を南に向いています。
この芝生の上でいろいろ催し物もありましたが、
この日は催し物はありませんでした。
では、ここからさらに南下しています。


1146-10.jpg
閬風亭前の芝生から、
印月池南西端まで移動しました。
印月池に臨むように、漱枕居という
茶室が建っています。
暫く修復中でしたが、2024年に修復が完了しました。
普段は閉鎖されていますが、
たまにイベントなどが催されています。


1146-11.jpg
漱枕居から南に、小径が伸びています。
その先が渉成園南端で、土塀がそのまま見えます。
梨並みに、右(西)側の生け垣は茶の木です。
極端な話、葉を積んで煎じればお茶が飲めます。
(実際に葉を積んではいけません)


1146-12.jpg
漱枕居の向かい(西)側には、トイレがあります。
観光地では、トイレの位置は意外に大事ですね。
ある程度把握しておかないと、
いざというときに困ってしまいます。


1146-13.jpg
漱枕居やトイレからそのまま南下すると、
渉成園最南端の土塀が続きます。
この辺りが、渉成園の南東端です。
その一画に門がありますが、
自分が開いていることを見たことがありません。


1146-14.jpg
渉成園の南東端から、西を向いています。
ここからは、この仕切り門より西に向かいます。


1146-15.jpg
その仕切り門をくぐり、
さらに渉成園の西側を向いています。
この辺りは、ちょっとした広場になっています。


1146-16.jpg
仕切り門の西側で、渉成園を南を向いています。
土塀の前に、厩が建っています。
今の移動手段は自動車が主流ですが、
昔の日本は馬が主流でした。
その当時のものが、今も残っています。


1146-17.jpg
厩の西に、こちらの門があります。
閉じられているので分かりにくいですが、
もともとこちらが渉成園の正門でした。
バブル景気以前は、こちらから渉成園に入っていました。
門の外は下珠数屋町通が東西に伸びていて、
向かい(南)側は京都市立渉成園小学校です。


1146-18.jpg
渉成園正門を背後に、北を向いています。
こちらが、渉成園の大玄関です。
こちらを入ると、事実上本堂の園林堂や閬風亭、
渡り廊下を通ると臨池亭に屋内から進めます。
何かイベントがあると公開されますが、
普段は閉鎖されています。
(イベント中の大玄関は、第349回ブログ参照)


1146-19.jpg
こちらは、その大玄関の西側です。
もともとは茶所だったのですが、
現在は渉成園の売店です。
通常は閉まっているのですが、
桜シーズンや紅葉シーズン、イベント中は、
このように開店しています。
要するに、不定期に開店しています。


1146-20.jpg
渉成園の売店に、入りました。
L字型の店舗で、南側と西側に入り口があります。
南側には飲食物や土産物も売られていますが、
渉成園は東本願寺の境外庭園なので、
浄土真宗大谷派の刊行物が多く売れています。
一方西側はもともと厨房ですから、竈などがあります。
そして、その辺りに座布団が置かれています。
実は、こちらに座って飲食物が戴けます。


1146-21.jpg
とは言え、こちらに食事メニューはありません。
缶コーヒーとか缶ジュースとか、
あるいはこういうアイスクリームですね。
今回は、この抹茶アイスを戴きました。


1146-22.jpg
座布団に座って、抹茶アイスを戴きました。
ところが、上の方にもカップが付いています。
それでは、中が分かりません。


1146-23.jpg
カップを取ったら、こうなります。
京都府宇治市にある宇治茶販売元による
抹茶アイスですから、
お茶の香りと味が濃厚でした。


1146-24.jpg
抹茶アイスを戴いて、売店内で西を向いています。
では、こちらから売店を出ます。


1146-25.jpg
渉成園の売店を出て、振り返りました。
公式ルートを進むと、
売店の入り口はこうなっています。


1146-26.jpg
渉成園の売店を西に出て、北を向いています。
ここからは、このまま北上します。


1146-27.jpg
売店から、約100m北上しました。
目の前の看板の位置で、渉成園を1周しました。



1146-28.jpg
その看板の前で、西を向いています。
この先に、初めに700円納めた受付があります。


1146-29.jpg
渉成園の入園口から、西を向いています。
渉成園の入園口から西に、正面通が伸びています。
約100m先に、東本願寺御影門があります。


1146-31.jpg
渉成園入園口と言いますか、正面通から
間之町通を南に向いています。
左(東)側は、渉成園の塀です。
今回は、こちらを進みます。


1146-32.jpg
東本願寺入園口や正面通から、
間之町通を約100m南下しました。
左(東)側に、
日本年金機構下京年金事務所があります。
ここで間之町通は、下珠数屋町通と交差します。


1146-33.jpg
間之町通から、下珠数屋町通を東に向いています。
左(北)側の紅葉は、渉成園から伸びています。
右(南)側は、京都市立渉成園小学校です。


1146-34.jpg
今度は下珠数屋町通から、間之町通を南に向きました。
左(東)側に、京都市立渉成園小学校が建っています。
ここからも、間之町通を南下します。


1146-35.jpg
下珠数屋町通から、間之町通を約100m南下しました。
ここで間之町通は、七条通に突き当たります。


1146-36.jpg
そうこうしているうちに、信号が変わりました。
では横断歩道を渡って、七条通南側歩道に移ります。


1146-37.jpg
横断歩道を渡って、七条通を西に向いています。
前の前に横断歩道がありますが、
この南側は駐車場で間之町通ではありません。
ここから、七条鳥を西に進みます。


1146-38.jpg
間之町通から、七条通を約50m西に進みました。
ここで七条通は、東洞院通と交差します。
ちなみにここで東洞院通を南下すると、
そのまま京都駅に進めます。
(第1134回ブログを逆行するルート)


1146-39.jpg
東洞院通から、七条通を西に向いています。
今回は、もう少し西に進みます。


1146-40.jpg
東洞院通から、七条通を約100m西に進みました。
ここで七条通は、烏丸通と交差します。
ではこちらの階段を下りて、京都駅に向かいます。
(地下の様子は、第217回ブログ参照)
……という設定で、本当は徒歩で帰宅しました。

これで、「渉成園紅葉散策編」を終えます。

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
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京都市内の今の天気と
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「京都桜100景」
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少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
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路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
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市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
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いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
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書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
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いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
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布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
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宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
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写真ブログです。
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写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
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いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
サイトやブログのリンク
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