京の道 今日の道 祇園祭散策
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第60回 祇園祭宵山散策その1~三条通周辺の山鉾

今回から何回かにわたって、祇園祭の宵山の記事を連載します。
(「三条通東から西」は、しばらく休止)
全山鉾制覇に5時間もあれば十分と思っていたのですが、
6時間でも終わりませんでした……
曇った瞬間もあったのですが、基本的には日差しが強く
水分補給もしていたのですが、正直キツかったです。

まぁ、こんなこと毎年やっているわけではないのですが、
数年かけて少しずつ回るべきですね……
(いつもはお気に入りの山鉾だけ回っています)

とは言え、時間をかけてじっくり回ると、
普段は気づかないいろいろなことが見えてきます。
今回は、それが面白かったですね。

では、本編を始めます。


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市営地下鉄の「烏丸御池」駅です。
本当は「四条」駅からの方が宵山散策に便利なのですが、
三条通にこだわったブログを今まで続けてきた都合で、
こちらの駅を利用します。
撮影日は、2012年7月15日日曜日12時半。
予報は雨でしたが、しっかり晴れていました!


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前回ブログの最後の場面
地下鉄の「烏丸御池」駅6番出口です。
(三条通に近い出口です)
三条通のブログとのつながりの関係で、
宵山散策はここからはじまり、ここで終えます。


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地下鉄の「烏丸御池」駅6番出口から烏丸通を北に向いています。
三条通と姉小路通との間にいます。
まだ車両制限は行われていません。この先の「鈴鹿山」に向かいます。


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「鈴鹿山」です。
今の三重県にある鈴鹿山脈に住んでいた悪鬼を退治した
鈴鹿権現(女神様です)を祭っています。
祇園祭は祇園の八坂神社のお祭りではありますが、
各山鉾がそれぞれ独立した神社にもなっています。


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各山鉾に行ったら、それぞれの「会所」に行きましょう。
「会所」には、ご神体と山鉾の装飾品を展示しています。
烏丸通の「会所」は、午後3時くらいにならないと開きません。
この写真は、午後7時前に撮り直したものです。


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「会所」の中には、水引や見送りなどが展示されていました。
各山鉾では、「牛頭天王」が祭られています。
「牛頭天王」は疫病の神様で、
祇園祭が「天然痘除け」のお祭りであった名残です。

その前で小学生が童歌を歌っていました。
歌がちまきやろうそくを売る口上になっています。
山鉾の中にはテープを流すところも多いのですが、
鈴鹿山は「生」で歌っていました。
では、ここを出ます。


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「鈴鹿山」の前から、烏丸通を南に向いています。
先ほど出てきた「烏丸御池」駅6番出口を通り過ぎ、
三条通まで行きます。


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烏丸通を東を向きました。ここは、「新風館」です。
結構大きなファッションビルですね。
いろいろなメーカーが入っています。


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烏丸通を南下して、三条通まで来ました。
右(西)側の建物は、大垣書店です。
ちょっと寄って、文庫本を買いました。
少し先に前回ブログで紹介した「みずほ銀行」が見えます。
平日なら休憩所として利用できるのですが、
この日は日曜日なので入れません。


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烏丸通から三条通を西を向いています。
今からこちらに進路変更します。前回ブログと反対方向になりますね。


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烏丸通から三条通を100mほど西に進みました。
三条通と室町通との角に出ました。今からここを右(北)に曲がります。


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三条通から室町通を北に向いています。
今から、こちらを進みます。


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室町通を三条通から約100m北に進みました。
「役行者山」が見えてきました。

役行者(えんのぎょうじゃ)は奈良時代の修験者です。
葛城山などで修業をして、山伏の始祖となりました。
毎年7月16日の宵山の午後2時から
聖護院の山伏による護摩焚き供養が行われます。


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役行者山の東側の町家から、会所に入っていきます。
「うなぎの寝床」と評される通り、細い路地の奥になります。


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会所に展示されていた
役行者山の見送りや水引などの装飾品です。


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役行者山のご神体です。賽銭を捧げて参拝しました。
山鉾の人形は、それ自身が神様です。
左から、一言主、役行者、葛城神です。


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役行者山のご神体の脇にあった石です。
「役行者の腰掛石」だそうで、触れると御利益があるそうです。


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役行者山を出て、室町通を南に向いています。
では、三条通の方に戻ります。


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役行者山から室町通を約50m戻ってきました。
左(東)側に、「永楽通宝」が看板のお店があります。
こちらは、手ぬぐいや布製カバンのお店です。
ちょっと、寄ってみましょう。


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祇園祭の楽しみの一つに、
鉾町に多い呉服屋や小物屋のウィンドウショッピングがあります。
また、このような店や町家の中には
その家の家宝(美術品が大半)を展示する所もあります。
ここ「永楽屋」は、自社で手ぬぐいを染色して作った
美術品の展示を毎年行っています。


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「永楽屋」を出て、室町通をさらに南に進んでいます。
三条通との角に戻ってきました。
直進すると「黒主山」ですが、ここは右(西)に曲がります。


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室町通から三条通を西に向いています。
右(北)に見える専門学校は
以前は休憩所として開放されていたのですが、
今はそのようなことをしていないようです。
左(南)に見える眼鏡屋の隣は「鷹山」の会所になっています。


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ここは、「鷹山」の会所です。
鷹山は江戸時代に焼失して以来再建されておらず、
会所の設置だけで、巡行は行いません。


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鷹山のご神体です。
鷹狩をする「鷹匠」を表しています。

ちなみに、「鷹狩」とは鷹を操って獣を捕える猟のことです。
では、三条通に戻ります。


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鷹山から三条通を約50m西に進みました。
新町通との北東角に、
洋菓子店「トゥレ・ドゥー」があります。
店頭で、パティシエが露店を出しています。
毎年飴細工の露店だったのですが、
今年はパフェ類の露店です。

帰りにここによって、洋菓子を買いました。


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「トゥレ・ドゥー」で買って帰った洋菓子です。
抹茶味のティラミスです。
濃厚な抹茶の味とチーズが合うことが分かりました。


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こちらは、オレンジのフロマージュです。
基本的には甘いのですが、
オレンジの酸味が深みを出していたそうです。
(自分は、これを食べていません)


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三条新町の角です。
ずっと先に、前々回ブログの「三条会商店街」が見えます。
今回はここで左折し、新町通を南に進みます。


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三条通から新町通を南に向いています。
前回ブログにも同じ所から撮った写真が掲載されていますが、
一週間で風景が一変したことが分かります。
今回は、こちらを進みます。


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三条通から新町通を南に約20m進みました。
窓から民家の中をのぞいています。
ここ数年の不景気で激減しましたが、
鉾町の民家や会社の何軒かは、
この日に合わせて家宝を公開します。
大半が屏風などの美術品です。
ここのは、金屏風と水墨画との対比がきれいです。

……そういえば、以前は
「洛中洛外図屏風」をよく見たのですが、
今年は一枚も見ませんでした。

また玄関先にも入れたのですが、
今年は窓から見る形式になっていました。
(誰かイタズラでもした人がいたのでしょうか?)


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屏風のあった民家の向かいです。こちらは、小物屋さんです。
窓をのぞくと書画を見ることができます。


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先ほどの民家から約50mほど南に進みました。
いよいよ「八幡山」です。


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「八幡山」の会所です。ここは、入り口が広いですね。


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こちらの会所にも見送りなどの装飾品が飾ってあります。


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「八幡山」のご神体です。
ご神体は人形以外にも祠になっているものも多いです。
こちらは、もともとこの町内にあった神社の祠です。
文字通り町内で祭られていた神様が
そのまま祇園祭のご神体となった典型例ですね。


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「鈴鹿山」同様、
こちらも童歌を歌う小学生の売り子さんがいます。
実は、町内ごとに歌詞が違います。


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「八幡山」を出て、新町通をさらに南に進みます。
向こうに見える松の木は、「北観音山」のものです。


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「八幡山」から新町通を南に約20mほど進みました。
こちらの会社は閉まっていましたが、
玄関に屏風が飾ってありました。


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その飾ってあった屏風です。
尾形光琳の代表作を土佐派の誰かが模写したものだそうです。
模写とは言え、江戸時代に製作されたものです。


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先ほどの屏風から、新町通を南に約50m進みました。
ここは、新町通と六角通りとの角です。
次は、この先に見える「北観音山」に向かいますが、
それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は新町通を南に進み、四条通に至ります~

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第61回 祇園祭宵山散策その2~新町通を四条へ

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前回ブログの最後の写真新町通と六角通の角です。
向こうに見えるのは、「北観音山」です。
今回はここから新町通を南下し、
四条通との交差点まで進みます。
撮影日は、2012年7月15日日曜日午後1時半。
……そういえば朝食を抜いてきたので、
だんだんおなかが空いてきました。


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先ほどの写真から、南に約20m進みました。
「北観音山」と会所です。
御神体(ご本尊)は、楊柳(ようりゅう)観音と韋駄天です。
天頂部には鉾ではなく松が飾ってあるので
「山」に分類されますが、
飾り屋根が付いたかなり大きな「山」になります。
ですから、「鉾」の会所のように
2Fから「山」の中に入ることができます。
(有料ですが)
今回は、こういう形式の山鉾には会所にも入りません。
では、南に下ります。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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「北観音山」の南側です。(カメラを構える人が写っています)
西側の呉服店にこのような看板が掲げられていました。
ちょっと、中をのぞいてみます。


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店頭に飾ってあったインド製更紗です。
その手前にあるインド人の人形が可愛いですね。
部屋の奥を隠している金屏風も見事です。


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更紗が飾ってあったところの南側は、
このようになっていました。
この「北観音山」の模型は、だいたい1m位の高さです。
また、こちらも屏風でうまく
プライベートスペースを消しています。
奥の生け花が、いいワンポイントですね。
ここもクリックすると、写真が拡大されます。


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「北観音山」を通り過ぎ、さらに新町通を南に進みました。
ここは新町通と蛸薬師通との角です。
この先に「南観音山」が見えますが、
そこへ行く前に、この蛸薬師通を左(東)に曲がります。


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新町通から蛸薬師通を東に向いています。
こちらは露店も出ていないこともあって、雰囲気が違います。


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蛸薬師通を新町通から約50m進みました。
ここに休み山の一つ「布袋山」が出ます。
ただ、この時点では(午後2時)まだ準備中でした。
では、また新町通に戻ります。


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蛸薬師通を西へ進み、新町通との角に戻っていました。
人混みで見えませんが、
ここから蛸薬師通は急に下り坂になります。
今度はここを左折して、新町通を南に進みます。


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蛸薬師通から新町通を南に向いています。
この辺から露店の密度が濃くなって、
だいぶ混み合ってきました。
では、この先の「南観音山」に向かいます。


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先ほどの写真とほぼ同じ所から撮っています。
新町通の右(西)側で、小物屋が安売りをしています。
鉾町の呉服屋や小物屋の中には、
この時期に合わせて安売りをするところが多くあります。
手前に並んでいるのは、麻製ののれんです。
気に入ったので、買ってしまいました。(¥1500でした)


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ここは、先ほどの小物屋さんから2軒南のところです。
ここも小物屋さんなのですが、
山鉾のミニチュアが飾ってありました。


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山鉾のミニチュアがある店から、新町通の方に向いています。
こちらは、「南観音山」です。
山の北側に張り出した屋台で、粽など関連商品を売っています。
御神体(ご本尊)の楊柳観音は頭部のみ鎌倉時代のもので、
あとは焼失後に江戸時代に作られたものです。

この「南観音山」は、毎年7月16日の深夜に楊柳観音を乗せた神輿を
ここから北観音山まで往復させる行事が行われます。

ここも「北観音山」と同じ形式なので、会所にも寄りません。
では、次の山に向かいます。


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ここは、「南観音山」から少し南に行ったところです。
これは、どこかのお店というわけではありません。
独立してこのようなものが飾ってありました。
団扇(うちわ)も、こうして並べるときれいですね。
そう言えば、この辺りの小物屋さんの中には
団扇専門店も多くあります。


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「南観音山」から約100m新町通を南に来ました。
この辺りは、露店の密度が高いです。
向こうに見える「炭焼きだんご」をいただきました。
炭火で焼いた大きなだんごに、甘い醤油だれがかかっていました。
(写真はありません)

ちなみに、ちょっと熱中症気味になってきたので、
その直前に「きゅうりの一本漬け」もいただきました。
水分も多く塩分もあるので、
これを食べたらだいぶ楽になりました。


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先ほどの写真から、さらに20mほど南に移動してきました。
ここは、新町通と錦小路との角です。
この先に放下鉾がありますが、
その前に左(東)に曲がって、錦小路を進みます。


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新町通から錦小路を東に向いています。
ちなみに、ここを約500m進むと「錦市場」になります。
今回は、ここを約50m進みます。


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新町通から錦小路を約10m進みました。
飲食店の脇に、このような看板がありました。
「錦小路通新町東入ル」とは
「新町通から東に進んだ錦小路沿い」という意味です。
また、この辺りは山鉾の名前がそのまま町名になっています。


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新町通から錦小路を東に約20m進みました。
ここに、「霰天神山」(あられてんじんやま)が立っています。
錦小路の南側にあるイタリア料理店も露店を出しています。
この辺は近年少し高めの飲食店の出店ラッシュです。


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「霰天神山」から錦小路を東に向いています。
手前の豚まんが気になりますが、
その前に、向こうに見える「霰天神山」の会所に寄ります。


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会所に扉にこのようなものが貼り付けてありました。
盗難や災害時の際のマニュアルのようです。
近年は文化財盗難事件も増えていますし、
災害による文化財の破損もこの先あり得ますし、
その意味から必要になってきているのでしょう。


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会所の入り口を抜けると、このようになっています。
これが京町家の典型「うなぎの寝床」です。
入り口すぐの細い路地の奥に玄関があります。


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「霰天神山」の会所に入ってきました。
水引などの装飾品が飾ってあります。


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「霰天神山」のご神体です。
前回ブログに登場した「八幡山」同様に、
町内の神社がそのまま山鉾になったため、
神社の祠が御神体になります。


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「霰天神山」の前で錦小路を西に向きました。
新町通まで戻ろうと思うのですが、
その前に「肉まん」の幟(のぼり)が気になります。
……結局、肉まんと烏龍茶を買いました。(¥600でした)


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これが「しみだれ肉まん」です。
焼き豚のたれに漬けこんでから、蒸しているようです。
皮は、焼き豚の味がしました。
中は豚のひき肉がメインでしたが、
こちらは、豚肉の甘さが強調されていました。


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烏龍茶のペットボトルと肉まんの紙袋は、
このごみ箱に捨てました。
ごみ箱の横の紫陽花は、3分咲きでしょうか。


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ここは、錦小路沿いの店です。新町通との角から約10m手前です。
店は閉まっていますが、ショウウィンドウのマネキンが可愛いですね。


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また、錦小路と新町通の角に来ました。
今度はここを左折して、南に進みます。


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新町通を錦小路から南に見ています。
向こうに見えるのは、放下鉾(ほうかぼこ)です。
「鉾」の天頂部には、矛(ヤリの一種ですね)がついています。
(「山」の天頂部には、松の木です)
ですから、「山」より「鉾」の方が高くなります。


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新町通を南に進み、放下鉾の手前まで来ました。
看板がないので分かりにくいのですが、
この町家はイタリア料理屋さんです。
条例の関係でこの辺の町家は大幅な改装ができません。
(街並みの景観を守るためです)
ただ、逆にそれがいい雰囲気を作っていて
この辺の飲食店の人気が高くなっています。

この店は、毎年店頭に洋酒の露店を出しています。
自分も、毎年ワインとかいただいていたのですが、
あまりの暑さにこの辺りでバテていたので、
今年は素通りしました。


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放下鉾と会所です。「鉾」は通常飾り屋根が付いていて、
有料で一般の人を入れています。
(「北観音山」「南観音山」と同じです)
内部に放下僧の像を祭っています。

粽や関連商品は、北側のテントの中で売られています。
また、この写真をクリックすると、拡大できます。


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こちらは放下鉾の南側です。
西側のマンションのエントランスを利用して
伏見の酒造メーカー「黄桜」が露店を出しています。
……今気づいたのですが、
祇園祭の露店って、酒類の店が多いですね。


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放下鉾を通り過ぎ、四条通まで来ました。
……といっても、この人混みでは何も見えません。


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ここは、四条新町の交差点です。
新町通は四条通より南も、ものすごい人混みです。
ただ、今回はここから西に折れ、四条通を進みます。


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新町通から四条通を西に向いています。
こちらの方にも、それほど多くはないのですが
山鉾が数基立っています。
次はそちらに向かいますが、今回はここまでとします。

~次回は、新町通より西の山鉾を回ります~

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第62回 祇園祭宵山散策 その3~蟷螂山から太子山

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新町通から、四条通を西に向いています。
今回は、西洞院通より西にある山鉾を中心に回ります。
この辺りは比較的観光客も少なく、
他の地域よりも牧歌的な雰囲気の場所でした。
撮影日は、2012年7月15日日曜日午後2時。
日差しは、相変わらず絶好調でした……


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新町通から四条通を約20mほど西に進みました。
ここは、「こぐま」という喫茶店です。
ジャズ喫茶発祥の地です。
コーヒーもおいしいのですが、この時期はいつも満員です。


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「こぐま」の前から、四条通を西に向いています。
目の前に、「郭巨山」が見えます。
「こぐま」の入り口に手ぬぐいがありましたね。


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その「郭巨山」のアップです。
ここから見送りが見えるので、
左斜め後ろから見ていることが分かります。


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「郭巨山」の会所です。「山」は四条通の北側にあるのですが、
会所の方は四条通の南側にありました。
信号を渡らないといけないので、
距離の割に移動に手間取りました。(約5分かかりました)

「郭巨山」は、中国の親孝行の物語を題材にしています。
(「郭巨」は中国人の名前です)


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「郭巨山」の会所の撮影の際、
ここにいらした町内の方にフレームから出ていただきました。
で、このままでは申し訳ないので、この粽を買いました。


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紙袋を取ると、こうなります。この状態で、玄関先に飾りました。
紙製の小判が、この山の個性です。
各山でご利益が違うのですが、ここは金運ですね。
今年は巡行のくじで、この「郭巨山」が「山一番」を引きました。
ですから、今年は特に縁起がいい粽です。


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「郭巨山」の会所に寄ったため、四条通の南側の歩道にいます。
会所から西に約50m進みました。ここは、四条西洞院の交差点です。
その南東角に、和菓子店の「若菜屋」があります。
この日は、みたらし団子の露店を出していて、かなり売れていました。
ここで信号を渡って、西洞院通を北に進みます。


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四条通から西洞院通を北に向かっています。
この時間はまだ交通規制が始まっていないので、
露店と自動車の間をかき分けて進んでいきました。
今から、目の前の「蟷螂山」(かまきりやま)に向かいます。


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先ずは、山の南側にあった会所に入ります。
壁に水引と胴掛がかかっています。


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こちらが「蟷螂山」です。御所車の上に、カマキリが乗っています。
これは山鉾で唯一のからくり仕掛けで、山鉾巡行などで移動するとき
山の下の車が動力になって、頭部・前足ののカマ・羽根が動きます。


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「蟷螂山」から南に進み、四条西洞院の交差点に戻ってきました。
観光客以外にこの辺で働いている会社員も混じって、
露店と自動車でごった返した通りは、かなり窮屈でした。
次は、四条通をさらに西に進みます。


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四条西洞院の交差点から、四条通を西に向いています。
次は、この先の「四条傘鉾」に向かいます。


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「四条傘鉾」です。傘と言っても、平安時代の日傘ですね。
この「鉾」はとても小さく、神輿のように担ぐことができます。
ただ近年寄付が集まってきたので、
約150年前までのようにこの下に大きな胴を作って、
数年後には他の「鉾」と同じ高さになるそうです。

ちなみに、祇園祭に二つある「傘鉾」には、
巡行の際「棒振り踊り」の舞い手も随行します。
これは、鎌倉時代以前の祇園祭の古い形式の名残です。

では、四条西洞院の交差点に戻ってから、
今度は西洞院通を南に移動します。


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四条通から西洞院通を南に向いています。
この辺りから「京都市中京区」から「京都市下京区」になります。
(四条通が区境です)
交差点南西角のコンビニエンスストアの前にテーブルが出て、
ビールやジュース類が入ったプラスチック製容器が並んでいます。
こういう露店が祇園祭では多いのですが、
おかげで水分補給がこまめにできます。


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四条西洞院の交差点から、西洞院通を約100m南に移動しました。
目の前の綾小路との交差点で、右(西)に曲がります。


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西洞院通から綾小路を西に向いています。
次は、提灯にも書いてある「芦刈山」に向かいます。


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西洞院通から、綾小路を西に約5m進みました。
こちらの民家の扉は開放されていて、玄関に入ることができます。
その中に、見事な水墨画の屏風の前に花が生けてあります。
こちらは、祇園祭に来た人はだれでものぞくことができます。
数年前まで新町通や室町通にもこのような民家が多かったのですが、
最近はほとんどなくなってしまいました。


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屏風のあった民家の前から、綾小路を西に向いています。
「山」の方に行く前に、手前の問屋に設置された会所に向かいます。


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会所にある「芦刈山」のご神体の人形です。
「芦刈山」は、謡曲「芦刈」を題材にしています。
貧困から別れた夫婦が、年を取ってから再会して復縁する物語です。
主人公が芦を刈って生計を立てていたので、この題が付きました。
ですから、こちらは縁結びや恋愛のご利益があります。

御神体の脇に古い御神体の頭部が残されています。
こちらは、「慶派」(運慶の一派)の康運の作です。


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「芦刈山」です。先ほどのご神体が、巡行の際にここに乗ります。
見送りが後ろなので、左斜め前から見ていることになります。


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「芦刈山」を通り過ぎ、油小路との角に来ました。
今度は、左(南)に曲がり油小路を進みます。

ちなみに、このまま綾小路を約600m西に進むと
第28回ブログに出てきた光縁寺にたどり着きます。
さらに光縁寺から500m西に進むと、壬生寺です。


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綾小路から油小路を南に向いています。
この先にある「油天神山」に向かいますが、
その前に、南東角にある小さな神社にお参りをします。


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綾小路油小路南東角の「火尊天満宮」(ひみことてんまんぐう)です。
もともとここには愛宕神社があったのですが、
この辺の有力者である風早氏が
菅原道真像をこの神社に安置した時に、天満宮に変わりました。
ですからこの神社は、「風早天満宮」とも言います。
「油天神山」は、この神社のご神体を祠に安置して祀ったものです。


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「火尊天満宮」から油小路を南に約50m進みました。
ここは、「油天神山」の会所です。
宵山の際は、神社のご神体はここに安置されます。


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会所の前にあった「油天神山」です。
こちら側に見送りがあるので、
左斜め後ろから見ていることになります。


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「油天神山」から油小路を南に進んでいます。
ここで、仏光寺通との角が見えてきました。
ただ、ここではさらに南に進み、目の前の「太子山」に向かいます。


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仏光寺通から油小路を南に約10m進みました。
こちらの漢方薬の問屋さんが、「太子山」の会所です。
(「奇應丸」の看板がある店です)
ただ、この時点(午後3時)で会所内では
町内の方々を集めて神事が行われており、立ち入り禁止でした。


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前述のとおり、各山鉾はそれぞれ独立した神社です。
山鉾のいくつかには、このように絵馬が結ばれています。
「太子山」は学問の神様ですので、
このように受験関係の絵馬が多いです。


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で、こちらが「太子山」です。お気づきの方も多いでしょうが、
こちらの山は聖徳太子を祀っています。

では、今度は油小路を北に進み、もと来た道を戻ります。


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「太子山」の前から油小路を北に向いています。
会所の前に、丸太で作ったベンチが並んでいます。
これは毎年「太子山」に設置されているもので、
座ると頭がよくなる御利益があるそうです。
ただ御利益よりも、だいぶ疲れていたので
ここに座っていると、かなり休めました。

では、休憩後はこの先の仏光寺通を右(東)に曲がります。


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油小路から仏光寺通を東に向いています。
次は、この先にある「木賊山」(とくさやま)に向かいます。


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油小路から仏光寺通を東に約50m進みました。
ここは「木賊山」の会所の中です。こちらは「木賊山」のご神体です。
子供をさらわれ、一人で山奥で暮らす木賊を刈る男性を表しています。
ちなみに、この会所は「鈴木医院」というお医者さんの中にあります。
木賊という草は漢方薬の原料ですが、何か関係があるのでしょうか?


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こちらが「木賊山」です。見送りが正面にあるので真後ろになります。
これまで写っていませんでしたが、
どの山鉾にも樽酒が奉納されています。


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この辺の住所を表した表札です。
「仏光寺通西洞院西入ル」とは、
「西洞院通より西の仏光寺通沿い」という意味です。
この辺りも、山鉾がそのまま町名になっています。


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仏光寺通を東に進み、西洞院通との交差点に近づいてきました。
このまま東に行くと「船鉾」や「岩戸山」に着きますが、
ここでは北に曲がり西洞院通を進みます。
ただ、それは次回にします。

~今回は、ここまでです~

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第63回 祇園祭宵山散策その4~船鉾から保昌山

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仏光寺通から、西洞院通を北に向いています。
前回は鉾町の南西部を回ったので、今回は南東部を回ります。
こちらは、だいぶ人通りも多くなります。
撮影日は2012年7月15日日曜日午後3時半。
やっと半分といったところです。


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仏光寺通から西洞院通を約30m北に進みました。
西洞院通の東側に児童公園がありました。
この日は晴れていたこともあり、
たくさんの子供が遊んでいました。


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西洞院通をはさんで、
児童公園の西向かいには郵便局がありました。
この日は日曜日でしたが、
祇園祭記念切手を店頭で売っていました。


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西洞院通から綾小路を東に向いています。
この反対側に、前回ブログの「芦刈山」があります。
今から、綾小路を東に向かい「伯牙山」に向かいます。


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こちらは、「伯牙山」の会所です。
人でごった返していて、中に入れませんでした。


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会所の前に、「伯牙山」が立っていました。
「伯牙山」は、中国の琴の名手伯牙から取材しています。
友人の鐘子期が死んだとき、琴の弦を切って
以後演奏しなくなったことを表した山です。


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「伯牙山」を通り抜け、綾小路を西に進みました。
この先が、新町通です。


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綾小路から新町通を北に向いています。
ずっと向こうに、前々回ブログで訪れた放下鉾が見えます。
ここから、50mほど北に向かいます。


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綾小路から新町通を北に50mほど進みました。
左(西)側に、大船鉾の会所が見えます。
今から中に入ってみます。


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大船鉾の会所の内部です。
奥の簾の向こうに、ご神体の神功皇后の像があります。
大船鉾は、神功皇后の朝鮮出兵を表しています。
「船鉾」とは違い、こちらは帰国を表しています。

「大船鉾」は、幕末の戦乱で焼失してしまいました。
以降復活することなく、「休み山」となりました。
それが、今年から巡行に参加することになりました!
……ただ今年は鉾自体はなく、人が歩くだけの巡行です。
これから寄付を集めて、2年後の復活を目指すそうです。

なお、京都駅前のヨドバシカメラに
この「大船鉾」の復元模型が飾ってあります。
機会があれば、ご覧下さい。


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「大船鉾」の会所の向かいの露店です。
このアユの塩焼きは京都ではよく見かける露店ですが、
他の地方では見かけませんね。
冬だったら、日本酒とセットがおいしいです。


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「大船鉾」の会所から約50m南に進み、
もとの新町綾小路の角に戻ってきました。
この写真では、新町通から綾小路を東に向いています。
今からこの綾小路を東に進みます。


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新町通から綾小路を東に進んでいます。
目の前に、「綾傘鉾」が見えてきました。
二つある「傘鉾」のうち、綾小路にある方ですね。


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さらに綾小路を少し東に進みました。
「綾傘鉾」の会所に入ります。


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会所の入り口付近に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
(ウチのブログの象徴ですね)
こちらも、撮らせていただきました。


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お地蔵さんの向かいに、手水舎がありました。
口の部分が、龍を模していますね。


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こちらも会所の中央に、「牛頭天王」が祀られています。
こちらの会所では、「牛頭天王」の由縁を
分かりやすく解説してくれる方がいらっしゃいました。
では、会所を出て先に進みます。


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「綾傘鉾」から綾小路を西に進み、
新町通との角にまた戻ってきました。
今度は左(南)に曲がり、新町通を進みます。


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新町通を綾小路から南に向いています。
今から、ここを進んでいきます。


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「船鉾」です。このブログでは、この形式の鉾の会所には入りません。
「大船鉾」同様、神功皇后の朝鮮出兵を表しています。
ただし、「大船鉾」は神宮皇后の帰国を表しているのに対して、
この「船鉾」は神功皇后の出兵を表しています。


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「船鉾」の西側にこのようなお店がありました。
ここは、呉服問屋の「醍醐正」(だいごしょう)です。
少し、こちらにお邪魔します。


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「醍醐正」の玄関先に、このような金屏風がありました。
描かれて約100年たっていますが、保存状態がいいですね。
本当は描かれた竹にカタツムリがいるのですが、
フラッシュの光で見えなくなっています。

ここの女将さんから、かなり丁寧に教えていただきました。
女将さんにこのブログについて話すと、
「ぜひ、この店を宣伝してください!」
とおっしゃっていました。
この「醍醐正」は、創立100年を迎えた白生地反物のお店です。
(丹後ちりめんや小千谷ちぢみなどがあるそうです)
約束なので、宣伝しました。


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「船鉾」から新町通を南に進みました。
仏光寺通から新町通を南に向いています。
今から目の前の「岩戸山」に向かいます。


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仏光寺通から新町通を南に5mほど進みました。
「岩戸山」の東の方のお店のショウウィンドウに
このような紙人形が飾ってありました。
「岩戸山」の巡行を表しています。


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「岩戸山」です。この山も、飾り屋根がある形態です。
(よって、この山も会所には寄りません)

この「岩戸」とは、「天岩戸」を表しています。
素戔嗚尊(スサノオノミコト)の悪行に怒った
天照大神が隠れたところですね。
天宇受売(あめのうずめ。車折神社の末社「芸能神社」の主神)が
歌や踊りで天照大神を誘い、
田力男(たぢからお。怪力の神様)が岩戸をこじ開けて
天岩戸から天照大神を外に出した神話をもとにしています。


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「岩戸山」から新町通を約5mほど南に進みました。
東側に、小物屋さんがありました。
ここは、きれいな団扇がたくさん売られていました。


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藍色の和紙に朝顔の切り絵がきれいな団扇です。
気に入ったので、1000円払って買いました。


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新町通をさらに南に進みます。
高辻通との交差点で、露店の波が終わります。
(この辺りが、鉾町の最南端です)
ここから高辻通を東に進みます。


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新町通から高辻通を東に向いています。
高辻通は、両脇に歩道があるそこそこ広い道です。
右(南)側に、下京中学成徳学舎が見えます。
左(北)側には、自動車や人影で見えにくいですが
小さな神社があります。


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新町通から高辻通を東に約100m進みました。
ここは、先ほど書いた小さな神社「繁盛の宮」です。
もともとは「牛頭天王」の妃
「針才女」(はりさいにょ)を主神とした神社です。
この名前が転訛して「班女」(はんじょ)となり、
さらに転訛して「繁盛」になったそうです。
縁結びと商売繁盛のご利益があるそうです。


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「繁盛の宮」から5m東に進みました。
ここは、室町高辻の交差点です。
ここをさらに東に進みます。


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室町通からさらに100mほど東に進みました。
ここは、烏丸高辻の交差点です。
あと300m北に上がると、四条烏丸の交差点です。
(地下鉄「四条」駅と阪急電車「烏丸」駅があります)
今回は、高辻通をさらに東に進みます。


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烏丸通から高辻通を東に約100m進みました。
左(北)側に、ホテル日航プリンセス京都が見えます。
今からこの交差点を右(南)に曲がり、東洞院通を進みます。


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高辻通から東洞院通を南に向いています。
今から、この「保昌山」に向かいます。


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「保昌山」の前まで来ました。もう少し南に行くと、松原通です。
ちょうど第24回ブログの最後の方の写真の
反対側から撮ったことになります。


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「保昌山」に奉げられていた絵馬です。
この山は、縁結びと恋愛成就のご利益があります。
前回ブログの「太子山」と並んで絵馬の多い山です。


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「保昌山」の会所の中です。
見送りと祠ですが、上手く撮れませんでした。


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「保昌山」越しに、会所の2Fを写しました。
ご神体が、2Fにいらっしゃいます。
ご神体は、丹後の国司平井保昌(ひらいやすまさ)の像です。
恋人の和泉式部のために、紫宸殿の桜を折ろうとしている姿です。
そのため、「保昌山」は「恋愛の神様」ということになっています。


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「保昌山」から東洞院通を北に向いています。
高辻通との交差点の北西角に、先ほど通り過ぎた
ホテル日航プリンセス京都が見えます。
今度はこの東洞院通を北上した後、
四条通近辺の山鉾を見に行きますが、それは次回とします。

今回はここまでです。

~次回は、四条通沿いの月鉾や長刀鉾に向かいます~

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第64回 祇園祭宵山散策その5~月鉾・函谷鉾・長刀鉾

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これは、前回ブログの最後の写真です。
東洞院通を北に向き、目の前に高辻通があります。
今回はここから北に進み、四条烏丸付近の山鉾を見ていきます。
撮影日は、2012年7月15日日曜日午後4時15分。
さらに人で人でごった返してきます!


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高辻通から東洞院通を北に約50m進みました。
こちらは、すだれのお店です。
店の左側を何人かの人が見ています。


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自分も混じって、のぞきました。山鉾巡行のミニチュアですね。
写真をクリックすると、拡大できます。


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東洞院通をさらに北上し、仏光寺通との角まで来ました。
北西角の郵便局でも祇園祭記念切手を売っています。
ここをまっすぐ行くと長刀鉾の前に出ますが、
今回は左折して仏光寺通を西に進みます。


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東洞院通から仏光寺通を西に向いています。
ここを約100m進むと、烏丸通との交差点に出ます。

……ただ、いい加減この辺りで疲れたので
烏丸仏光寺通の交差点にある「サイゼリア」で30分ほど休憩しました。
(ティラミスとドリンクバーをいただきました。写真はありません)
ちょっと分かりにくいところなので、ここだけは多少空いていました。
しっかり休んだので、元気になり午後5時から再開です。


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ここは、烏丸仏光寺通の交差点付近です。
午後5時を回り、烏丸通にも露店が出だしました。
この辺りから、少しずつ烏丸通も車両制限が始まります。


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烏丸通から仏光寺通を西に向いています。
まだしばらく仏光寺通を西に進みます。


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烏丸通から仏光寺通を西に約50m進みました。
このお店には、10年くらい前はよくのぞいていました。
当時は、ピアノの生演奏が聞こえる休憩所だったのですが、
今は知人以外は入ってはいけないようになっています。
(よって、自分も入れませんでした)


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そのお店の西隣に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらも、撮らせていただきました。


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さらに仏光寺通を進み、室町通との角に来ました。
このまま仏光寺通を進むと、
前回ブログで紹介した「船鉾」と「岩戸山」の間に出ます。
今回は右折して、室町通を北に進みます。


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仏光寺通から室町通を北に向いています。
このまま北に進み、「白楽天山」に向かいます。


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「白楽天山」の会所の中です。
ご神体は、白楽天と道林禅師の人形です。
白楽天は白居易のことで、唐の「三大詩人」の一人です。
(残りの二人は、杜甫と李白)
ここは、白楽天が道林禅師と禅問答をする姿を表しています。


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こちらが「白楽天山」です。
この上に、先ほどの白楽天と道林禅師のご神体が乗ります。


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「白楽天山」を通り過ぎ、室町通を北に進みます。
綾小路の先に「鶏鉾」が見えてきました。


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ここは、綾小路室町の交差点付近です。
この辺りは、綾小路も室町通も4車線になります。
(近くに市バスターミナルがある関係)
実はこの近辺が、一番露店が集中します。
その中で、コンビニエンスストアが露店を出しています。
ジュースやビールなどを売っていますが、
こういうお店が熱中症対策に役立ちます。


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室町通を進み、綾小路より少し北に進みました。
ここは、「鶏鉾」です。
とは言え、どこにも鶏の像や絵がありません。
「鶏」の名前が付いた理由は、諸説あります。
(要するに、本当のところは分かっていません)


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「鶏鉾」を通り過ぎ、四条室町の交差点に近づいてきました。
向こうに見えるのは、「菊水鉾」です。
この辺りが一番混む場所なのですが、
午後5時を多少回ったこの時間帯が一番混みます。


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室町通から、四条通を西に向きました。
向こうに、「月鉾」が見えます。鉾先が、見事な三日月です。
こちらは、月と冥界(死後の世界)の神
月読命(ツクヨミノミコト)を祀っています。


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今度は、室町通から四条通を東に向きました。
向こうに見えるのは、「函谷鉾」(かんこぼこ)です。
今から四条通を東に進みます。


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四条通の南側に、「函谷鉾」の粽などを売るテントがありました。
ここも小学生が売り子をしています。やはり、童歌を歌っていました。


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で、こちらが「函谷鉾」です。
午後5時を回って、鉾に鉾町の町衆が乗り込み、
「祇園囃」を演奏し始めました。

「函谷鉾」の「函谷」とは中国の洛陽と長安の間にあった
「函谷関」という軍事上の拠点を指します。
(「三国志」などに出てきます)
春秋戦国時代の孟嘗君という人物の「函谷関越え」を
この鉾が取材しています。


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「函谷鉾」の前から、四条通を東に向いています。
ここから約10m先が四条烏丸の交差点です。
(京都随一の繁華街の一つです)
ここからは分かりにくいですが、
市営地下鉄「四条」駅と阪急電車「烏丸」駅は、
近くの階段を下りればすぐです。(どちらも地下鉄です)
祇園祭は、普通はこの辺りから出発します。
(自分は三条通のブログのつながりから、別の位置から始めましたが)


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四条烏丸から約100m東に進み、東洞院通付近まで来ました。
目の前に、「長刀鉾」が見えます。
「長刀鉾」は、文字通り長刀を鉾先に付けています。
「魔を断つ刀」を表すので、
7月17日の山鉾巡行では必ず先頭に立ちます。
一番人気のある鉾なので、周辺は混んでいます。
この写真はクリックすると、拡大されます。
では、四条烏丸に戻ります。


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四条通を西に進み、四条烏丸の交差点まで戻ってきました。
ここから右折し、今度は烏丸通を北に進みます。


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四条通から烏丸通を北に向いています。
「京都市下京区」から「京都市中京区」に戻ってきました。
今からここを進みます。


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烏丸通の西側に、「孟宗山」が立っています。
「山」の左側の瓦屋根の辺りが会所なのですが、
時間の関係で寄っていません。
この山は、孟宗(孟子)がお母さんのために
筍を採りに行った話を取材しています。
竹の一種孟宗竹は、この話に由来します。


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烏丸通を北に進み、錦小路を越えました。
錦小路から約10mほど北に「御手洗井」がありました。
この井戸は、毎年7月15日から7月24日まで開放されます。


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第59回ブログの西洞院三条下がるの辺りでも書きましたが、
京都盆地は地下水が豊富で、
そのため茶道やいろいろな食べ物が発達してきました。
(和菓子とか、豆腐とか)
近年地下鉄などの工事により多くの地下水脈が絶たれましたが、
この御手洗井は昔のままの状態で残っている数少ない井戸です。

ここに来られた多くの方は飲むことに躊躇されていましたが、
本当は味の方も日本有数の「名水」です。


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「御手洗井」から烏丸通を南に向いています。
わずか10分かそこらで、烏丸通沿いに次々露店が並びだしました。
とりあえず南に進み、錦小路まで戻ります。


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ここは、烏丸錦小路の交差点です。
烏丸通を渡り、今から錦小路を西に進んでいきます。


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烏丸通から錦小路を西に約50m進みました。
ここは、「占出山」の会所です。


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「占出山」の胴掛と水引です。小倉百人一首が書いてあります。
ここには、これを目当てに来られる方が多いです。


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祠の前で粽が売られています。ここも小学生が童歌を歌っていました。

「占出山」も、「大船鉾」や「船鉾」同様に
神功皇后の朝鮮出兵に取材しています。
神功皇后が出兵直前に、
アユ釣りをして戦の行く末を占った故事にちなんでいます。
ですから、ここは「鮎釣り山」とも言います。


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「占出山」の脇で、「吉兆あゆ」という和菓子が売られていました。
これは、近所の和菓子屋さんが作ったもので、
この町内の名物になっています。


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「占出山」を通り抜け、錦小路を西に進んでいます。
約50m進み、室町通との角に来ました。
ここを左折し、室町通を南に進みます。


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……ところが、ここから南は進めませんでした。
この辺の室町通は、北への一方通行でした。
「菊水鉾」は、ここから見るだけになりました。

「菊水鉾」は、この近所にあった
「菊水の井」という井戸に由来します。
この写真では見えませんが、鉾先が菊水の形になっています。
(上半分が菊の花で下半分が流水紋)

ここから室町通を北に進み残りの山鉾を見ていきますが、
今回はここまでとします。

~次回は、室町通を北に行き全山鉾制覇となります~

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第65回 祇園祭宵山散策その6~鯉山から黒主山

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錦小路から室町通を北に向いています。
今回は室町通を北上し、最初に来た三条通まで進みます。
撮影日は、2012年7月15日日曜日午後6時。
今回が宵山散策の最終回です。


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錦小路から室町通を北に約50m進みました。
右(東)側に、京都芸術センターが見えます。
かつての京都市立明倫小学校です。

京都市の中心部の人口減少を受け、
京都市内の多くの小学校が統廃合しました。
そのような学校は、
現在いろいろな施設に生まれ変わっています。


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室町通をさらに20mほど北に進みました。
ここは、「山伏山」です。


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「山伏山」の会所の2Fにいらっしゃるご神体です
……と思ったら、ご神体を撮影するカメラマンの図です。

「山伏山」は、八坂の塔(法観寺の仏塔)の傾きを法力で直したとされる
浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)という山伏を表しています。


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人混みでなんだかわからないことになっていますが、
「山伏山」を通り抜け、室町通を北に進んでいます。
蛸薬師通との角まで来ました。


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室町通から、蛸薬師通を東に向いています。
少しだけ、こちらに寄り道します。


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室町通から、蛸薬師通を東に約20m進みました。
左(北)側に、このようなお店がありました。
小物屋さんですが、こちらもたくさんの方が入っていきます。


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さらに30m東に進みました。こちらは「橋弁慶山」です。
だんだん日が傾いてきたので、提灯に火が灯りました。


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「橋弁慶山」から、東に約10m進みました。
こちらに、「橋弁慶山」の会所があります。


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「橋弁慶山」の会所の2Fに、ご神体がいらっしゃいました。
人気がある山なので、立ち止まる方が多いです。


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こちらの「橋弁慶山」は、
五条大橋(今の松原橋。第20回ブログに出てきます。)での
武蔵坊弁慶と牛若丸(のちの源義経)との決闘を表しています。
20年前に来たときはご神体が互いの方を向いていた気がするのですが、
……気のせいでしょうか?

こちらの写真をクリックすると、拡大することができます。


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さらに蛸薬師通を東に進み、烏丸通の手前まで来ました。
右(南)側の赤レンガの建物は、烏丸通にも面しています。
ここはもともと「北國銀行京都支店」でした。
(確か何かの文化財指定を受けていたと思います)
銀行が撤退した後は、レストランになっていました。

「きょうと 明日と これからと」というブログで、
(ウチのブログと相互リンクしています)
ここの「賀茂ナスバーガー」を勧めていました。
それがおいしそうだったので、
この日の楽しみにしていたのですが、
「品切れです。追加に、時間がかかります」
と言われて、食べられませんでした……
かなり楽しみにしていたのですが……


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蛸薬師通を西に戻ってきました。
分かりにくいですが、もうすぐ室町通との角です。


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蛸薬師通から、室町通を北に向いています。
あと3基で、「全山鉾制覇」です。


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蛸薬師通から、室町通を約50m進みました。
目の前に、「鯉山」と会所があります。


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「鯉山」の会所の入り口ですが、すごい行列です。
実は、ここが一番人気のある会所です。


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「鯉山」のご神体や見送りは、この先にあります。
「鯉山」の粽が下がっています。
買った粽は、このように下げればいいのですね。


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あと約5mなのですが、ここからが長かったです。
ただ、この後ろも約10mの行列になっています。


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やっと中に入ってきました。「鯉山」の胴掛が見事です。
これはベルギー製のじゅうたんを裁断して、
それぞれ前掛け、胴掛、見送りを作っています。
この図柄は、ギリシャ文学「イーリアス」の一説です。


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「鯉山」のご神体の木彫りの鯉と見送りです。
ご神体は左甚五郎の作で、
滝を上り龍になろうとしている鯉を表しています。
ご神体も見送りも、重要文化財に指定されています。

この写真も、クリックすると拡大できます。


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その「鯉山」の会所で、この手拭いを買いました。
中央の鯉がけっこうお気に入りです。
ただ、見事すぎてお風呂では使えません。
結局、装飾品として飾っています。


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「鯉山」の会所を出て、室町通をさらに北に向かっています。
六角通との角にまで来ました。


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室町通から、六角通を東に向いています。
今度は、こちらの方に寄ってみます。


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室町通から、六角通を東に約50m進みました。
お地蔵さんの脇に、「浄妙山」の会所がありました。
こちらにも寄ってみます。


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「浄妙山」の会所です。
ご神体の僧兵浄妙と一来法師が中央にいらっしゃいます。
こちらも写真をクリックすると、拡大されます。


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会所に飾ってあった「浄妙山」の巡行の様子です。
浄妙の頭上に一来法師の姿があります。
こちらは、「平家物語」の宇治川の戦いから取材しています。
戦場に一番乗り(高価なほう美が出ます)しようとした浄妙が
寸前に一来法師に飛び越えられて一番乗りを奪われた一説です。


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会所を出ると、目の前に「浄妙山」がありました。
では、六角通を西に進み、室町通に戻ります。


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六角通を西に進み、室町通に向かう途中です。
こちらは、呉服屋さんのようです。なかなかしゃれたお店です。


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六角通を西に進み、室町通との角に来ました。
今度は右折し、室町通を北に進みます。


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六角通から、室町通を北に向いています。
いよいよ最後の山鉾に向かいます。


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六角通から、室町通を約50m進みました。こちらは、「黒主山」です。
黒主だけに、全面「黒」一色です。これで、全山鉾を制覇しました!


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「黒主山」の脇に、会所がありました。
こちらは、その中にいらしたご神体です。
「黒主山」は、大伴黒主にちなんだ山です。
平安時代の和歌の名手「六歌仙」の一人ですね。


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会所では、団扇も売られていました。
こちらは、何もかも黒一色です。


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「黒主山」北側の呉服屋さんも黒一色でした。
そのお店からこのようなものが掲げられていました。
この中に金色の鯉が5尾いるらしいのですが、
自分は4尾までしかわかりませんでした。


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室町通をさらに北に進んでいます。ようやく三条通に戻ってきました。
直進すると、第60回ブログで出てきた「役行者山」にたどり着きます。
今回は、ここを右折して東に進みます。


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室町通から三条通を東に向いています。
ここから、地下鉄の「烏丸御池」駅を目指します。


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室町通から三条通を東に進んでいます。
夕方になって、この辺にも露店が立つようになりました。


65-38.jpg
さらに東に進み、三条烏丸の交差点に戻ってきました。
第59回ブログとも第60回ブログとも様子が違います。
この時間になると、烏丸通も車両通行止めになっています。


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三条烏丸の交差点から、北に50mほど進みました。
ここは、地下鉄「烏丸御池」駅6番出口です。
今回の宵山散策は、ここから出発しました。
日が傾いて、第60回ブログとは様子が違います。
今からここを下りて、地下鉄に乗って帰宅します。
祇園祭宵山散策~全山鉾制覇の記録~は、
午後6時45分にて終了です。

~次回は三条通を東に進み、繁華街のただなかに入っていきます。
要するに、通常営業に戻ります~

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第138回 役行者山の護摩焚 前編~祇園祭宵山散策~番外

今年も、祇園祭の季節がやって来ました。
昨年は6時間かけて全山鉾制覇しましたが、
今年は昨年行けなかった「役行者山の護摩焚」を取材しました。
他の山鉾にはほとんど行っていないのですが、
それでも前後編2回分になってしまいました。


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約1年ぶりの地下鉄「烏丸御池」駅です。
今回はここから烏丸通を北上し、
姉小路経由で「役行者山」に向かいます。
撮影日は、2013年7月16日火曜日午後1時20分。
一時雨が降ったりしました。


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地下鉄「烏丸御池」駅のホームを南に進んでいます。
ここを北に向かいと御池通方面に出ますが、
南に向かうと三条通に出ます。


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地下鉄「烏丸御池」駅の6番出口から、地上に向かいます。
ここを上がると、三条通より50mほど北の烏丸通沿いになります。


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地下鉄「烏丸御池」駅の6番出口から地上に出ました。
向い(東)側にある新風館では、何かイベントが行われていました。
「Country Road」が聞こえてきました。


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地下鉄「烏丸御池」駅の6番出口前で、北を向きました。
このまま北に向かいます。


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地下鉄「烏丸御池」駅の6番出口から、
烏丸通を北に約150m進みました。
こちらは、「鈴鹿山」です。
三重県鈴鹿山脈に住む女神様「鈴鹿大権現」が
山の中に出没した人食い鬼を退治したという故事に則っています。


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こちらは、姉小路烏丸の交差点です。
北西角に鈴鹿山の会所があります。
今からこちらに寄っていきます。


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昨年は隙を見つけて会所内の写真を撮ったのですが、
今年は厳しかったです。
また、時間が時間なので売り子さんも小学生ではなく、
成人女性がされていました。
(会所には、今年も「牛頭天王」の掛軸が掛かっていました)
一方で、鈴鹿大権現の女神像は撮り放題だったのですが、
(戦乙女の姿のご神体です)
自分の気が引けて祠だけという中途半端な写真になりました。

向こうに見えるのは、姉小路通です。
こちらから出て、西に向かいます。


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鈴鹿山の会所から、姉小路通西に向いています。
(烏丸通より、約10m西です)
この姉小路通が、山鉾町最北端の道です。
今から、ここを西に進みます。


138-10.jpg
鈴鹿山会所から、姉小路通を西に約100m進みました。
頭上に、「役行者山」と書いた提灯が釣り下がっています。
左(南)側のしめ縄の付いた門から役行者山の会所に入れますが、
もう少しこのまま西に進みます。


138-11.jpg
先ほどの写真から20mほど西に進み、
姉小路室町の角で左(南)を向きました。
ちょうど南側に、役行者山があります。
南東角のショウウィンドウは、永楽屋の小売店です。
手拭いの製造と卸売、小売をしているこの町内の会社ですね。


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姉小路室町の角から、室町通を南に約10m進みました。
永楽屋の小売店の南隣に、役行者山の会所があります。
まだ護摩焚きには時間があるので、先にこちらにお邪魔します。
(この時点で、午後1時半)


138-13.jpg
こちらも会所の写真が撮りにくかったのですが、
(やはり、町内の方を写すのはいろいろ問題がある気がするので)
その代わり、こちらは御神体をはっきり写させていただきました。
左から、一言主・神変大菩薩・葛城神です。
「神変大菩薩」とは、役行者山の仏としての姿です。
役小角(役行者)は、人であり、神であり、仏ということです。


138-14.jpg
ご神体の東側に、役行者山の腰掛石があります。
また、井戸の手前に御神水の手桶と並び砂の入った小鉢がありました。
こちらの会所で買ったお守りに、この砂を詰めるそうです。


138-15.jpg
では、役行者山の会所を出て室町通の方に戻ります。
そろそろ護摩焚きの準備が始まります。


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役行者山の会所を出て、室町通に戻ってきました。
役行者山の南側に、松の葉を重ねた護摩壇がすでに組上っています。
修験者装束のこの町内の世話役の方が、準備を進められています。
(こちらは、どうやら修験者ではないそうです)
京都市左京区の聖護院から、修験者一行が向かっておられます。
ただ、あちこちお参りしながら徒歩で来られるので、
到着までもう少し時間がかかるようです。


138-17.jpg
護摩壇の西側で、これから火に投げ込まれる護摩木が
どんどん積み上げられていきます。


138-18.jpg
護摩壇をしめ縄の結界で囲みます。その四隅に、笹が立っています。
しめ飾りが色紙で作られていて、とてもきれいです。
これは、後で勝手に持って帰っても構いません。


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護摩壇の南側に、長椅子が並んでします。
これは、今から来られる聖護院の修験者のために用意されたものです。
(松の葉は、座布団の代わりです)

ところが、午後2時開始予定で午後2時半現在まだ来られていません。
世話役の方も、長椅子に座りこんでしまわれました。
そのうち、修験者装束のまま携帯電話をいじり始められました。
(修験者と連絡を取られておられるようです)


138-20.jpg
さらに15分ほどたちました。
そのうち町内の方が、人一人分通れるくらいの
道を空けるように指示されました。
その直後に、法螺貝の音色がこちらに聞こえてきました。
いよいよ聖護院の修験者がご到着です。


138-21.jpg
修験者は一人ではなく、十数人の御一行です。
今からここを通って、北側に抜けていかれます。


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修験者御一行はいったん護摩壇の前を通り過ぎ、
姉小路通まで向かわれます。
その後、役行者山の会所内に入られて
ご神体の前で祈祷されます。


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10分ほどして、修験者御一行が再び姿を現されました。
そして、長椅子に向かわれました。


138-24.jpg
そして、修験者御一行のうち15名ほどが長椅子に座られました。
ただ、年少の修験者が一人
年長の修験者に傘を差しかけてずっと直立不動でした。


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ところが、修験者御一行のうち最後の五名は
町内の世話役の方々によって「通せんぼ」をされてしまいます。
ここから世話役による修験者の審査が始まります。
つまり、この方々が本物の修験者かどうか
問答によって確かめようとしてるのです。
(もちろんこれは、毎年の行事の一環です)
毎日経を唱えておられるせいか、
世話役の方も修験者もとてもきれいな声で問答されていました。
(中央メガネの方が答えられた修験者で、
向かい合って背を向けられている方が質問する世話役の方です)


138-26.jpg
問答の質問内容は、修験道の教義や
身に着けている装束、さらには錫杖などの法具の謂れなどです。
これは、ここにいる聴衆に
修験道とは何かを教授している意味合いもあるようです。

「なるほど、お主らは本物のようだ。ここを通ってもよし」
最後に世話役の方がそうおっしゃると、
最後の修験者御一行も、ここに入ってこられます。

これでようやく護摩焚きが始まるのですが、
ここから何枚も写真を撮ってしまいました。
相当枚数になるので、その様子は次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、いよいよ護摩壇に火が付きます~

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第139回 役行者山の護摩焚 後編~祇園祭宵山散策番外

138-26.jpg
毎年祇園祭宵山で役行者山の護摩焚が行われます。
いよいよ修験者問答も終わり、護摩壇に火が付きます。
今回は、この護摩焚の様子を書いていきます。
撮影日は2013年7月16日火曜日午後3時。
小雨が降ったり、日が差したり、不安定な日でした。


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とは言え、聖護院の修験者全員が結界の中に入っても
すぐには護摩壇に火が付きません。
この場を祓い清める祈祷が行われます。

先ずは、破魔矢を周囲に射掛けます。
まぁ、本当に射掛けたらかなり危険なので、
弓を引くときに故意に地面に矢を落とします。
面白いのは、破魔矢の色が射掛ける方向によって違うことです。
東は緑、南は赤、西は色、北は黒でした。
そう、四神獣ですね。(青龍、朱雀、白虎、玄武のことです)


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次は、別の修験者が現れて小刀を抜きました。
そして、九字祈祷を行いました。
(臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前です)


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更に別の修験者が現れました。
こちらは斧で、護摩壇を四方から切りつけました。


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そして、いよいよ松明の登場です。
世話役の二人が、役行者山の方にある火に向かいます。
(火は、金色の香炉にあります)


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香炉の中から火を取り出し、松明に点火されました。
ようやく護摩焚きが始まります。


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ただ、すぐには護摩壇に点火しません。
護摩壇の前に松明を立たせます。


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そして、この状態で祈祷が始まります。
年長の修験者が、紙に書いてある文言を述べます。


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それが終わると、松明を護摩壇に突き刺します。
これで、護摩壇に点火されました。


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松明の火が、少しずつ護摩壇の松の葉に付いてきました。
すると、護摩壇から白い煙が上がり出しました。


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今年はついさっきまで小雨が降っていたこともあり
護摩壇の火は、燃え上がることなく燻ぶり続けました。
すると、白い煙がもうもうと立ち上がり
暫らく前が見えなくなってしまいました。
(この写真は、だいぶマシになってから撮りました)

年長の修験者が、祈祷を続けておられます。
小型で封を切り、護摩木を火に投げ込まれます。


139-12.jpg
そして、年長の修験者が次々と護摩木を火に投げ込まれます。

世話役の方がうまく水をかけられると、
護摩壇の煙は真上に上がるだけになりました。
これでもう煙たくありません。


139-13.jpg
年長の修験者が護摩木を一通り投げ込まれると、
次は扇で火を仰がれました。
護摩壇の松の葉がすべて燃えたので、白い煙は上がらなくなりました。


139-14.jpg
その後は、修験者ほぼ全員による読経が始まりました。
文言から、「般若心経」とわかります。
とても短いお経なので、何度も繰り返し唱えられていました。

実はここではプロと素人合わせて数十人が撮影していたのですが、
西側で撮っているとそろそろ他の方に邪魔になってきたので、
南側最後列に移動しました。
とは言え、さっきの位置よりここの方がいい角度のようです。
次からは、ここから撮ります。


139-15.jpg
読経が終わると、今度は別の文言を修験者全員で唱えられました。
「南無祇園 牛頭天王」(牛頭天王は、祇園社の神様)
「南無 神変大菩薩」(神変大菩薩は、役行者の仏としての名前)
こう何度も唱えられていました。

その際、世話役の方々が昨年の粽などを火にくべられていました。


139-16.jpg
その直後に、一人の修験者が法螺貝を吹き始めました。
どうやら、祈祷も終わりのようです。


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すると法螺貝を吹く修験者が3人になって、
全員が立ち上がりました。


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そして、年長の修験者が北の方に歩いて行かれました。
この先にある役行者山の会所に向かわれるようです。


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さらに、その後を他の修験者が付いていきます。
多分、会所で休憩されるのでしょう。


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これで、役行者山の護摩焚きが終了です。
実はここからいろいろあるのですが……


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結界のしめ縄に下がっていたしめ飾りの色紙を
見物人が一斉に取り外し始めました。
皆、これを持ち帰ります。
(撮影している間に、自分の分がなくなってしまいました)


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次に、四隅の笹が片づけられていきます。
少しずつ後片付けが始まっていきます。


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これは、長椅子の上にあった座布団代わりの松の葉です。
自分は、これをいただきました。


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そして、まだ火が残っている護摩壇に向かいます。
まだまだ護摩木が燃え盛っていますね。


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これは、先ほど拝借した松の葉です。
これをこの護摩壇に投げ込みます。


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松の葉を護摩壇の火の中に投げ込みました。
その煙を体に浴びて、無病息災を祈ります。


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護摩壇の前で、室町通を南に向きました。
プロも素人もカメラマンは、三々五々解散です。


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では、自分も役行者山から立ち去ります。
室町通を南の方に向かいます。


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姉小路通から、室町通を南に約70m進みました。
西側に、「永楽屋」があります。
ここでは、手ぬぐいの製造と卸しをされています。
(姉小路室町の角で、小売をされていました)
ここは、祇園祭の期間中「手拭いの美術館」になります。
屋内に様々な絵が描かれた手拭いが展示されました。
今年は時間がないので入りません。
昨年(2012年)の様子は、ここをクリックしてください。


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三条室町の角まで来ました。
真っ直ぐ室町通を南に進めば、すぐに黒主山があります。
三条通を右(西)に曲がれば、
新町通に八幡山、角にはトゥレ・ドゥーがあります。
当初はどちらにも寄る予定だったのですが、
この時点で午後3時半を大幅に回っていました。
もう職場に戻らないといけない時間なので、
ここから先は諦めます……


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室町通から、三条通を東に向いています。
このまま進み、烏丸通を目指します。
時間が早いので、まだ露店は出ていません。


139-32.jpg
三条烏丸の交差点に着きました。
ビルの脇で、花が咲いています。禊萩でしょうか?
昨年は、全然咲いていませんでした。


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三条通から、烏丸通を北に向いています。
ここからは、烏丸通を北上します。


139-34.jpg
三条通から、烏丸通を北に約50m進みました。
こちらは、地下鉄「烏丸御池」駅6番出口です。
では、ここから地下鉄に乗って職場に戻ります。
2013年の祇園祭はこれにて終了です。

~次回は、東福寺の方に本町通を進みます。
夏場の青いカエデもなかなか綺麗でした~

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第230回 長刀鉾から錦小路へ~祇園祭前祭2014~その1

2014年から、
祇園祭が前祭と後祭に分裂しました。

今まで通りの7月17日に巡行するのが前祭、
1週間後の7月24日に巡行するのが後祭です。
(宵山は、その3日前から始まります)
今までの山鉾が立っていた位置の南半分が前祭、
北半分が後祭に参加します。
(大船鉾だけ南にありますが、後祭に参加します)
そこで今年(2014年)は、前祭の模様を取材します。
(後祭は、来年ですね)


230-1.jpg
地下鉄烏丸線「四条」駅です。
いつもは一駅北の「烏丸御池」駅から出発していましたが、
前祭はこの駅からが便利です。
今回は、長刀鉾から烏丸通沿いを北上します。
撮影日は2014年7月14日木曜日午後2時。
分厚い雲が覆う一日でした。


230-2.jpg
では、こちらのエスカレーターに乗ります。
先ずは、改札口に向かいます。


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こちらが、地下鉄烏丸線「四条」駅の北側改札口です。
次は、ここを北に抜けて四条烏丸交差点の地下に向かいます。


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地下鉄烏丸線「四条」駅の北側改札口を抜けました。
この階段を北に上ったら、四条烏丸交差点の地下です。


230-5.jpg
ここが、四条烏丸交差点の真下です。
阪急電車「烏丸」駅の改札口が見えます。
では、ここから少しだけ東に進みます。


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この地下道は、阪急電車「烏丸」駅~「河原町」駅間に伸びています。
この「20」は、最東端の木屋町通(高瀬川)から数えて
「20番目の地上への出入り口」という意味です。
(ちょうど四条東洞院交差点に出ます)
今回は、ここから地上に出ます。


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階段を上り、地上に出ました。
ここは、正確には烏丸通と東洞院通との中間くらいです。


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「20番出口」から四条通に出て、四条通を東を向きました。
すぐ目の前に、長刀鉾が立っています。


230-9.jpg
こちらが、長刀鉾のほぼ全景です。
先端部の「長刀」は、木でできています。
前祭では巡行の先頭をいつも進むので、
この祇園祭を代表する鉾と言えます。


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同じ場所で、四条通を西を向きました。
目の前に、四条烏丸交差点があります。


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こちらは、四条烏丸交差点の北東角です。
ここで、団扇を配られていました。
向こうに函谷鉾が見えますが、先に烏丸通を北上します。


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自分も1枚団扇をもらいました。
祇園祭の地図になっているのが面白いですね。
赤い山鉾が前祭で、緑の鉾が後祭に立ちます。
大船鉾を除くと、南北で別れているのが分かりますね。


230-13.jpg
四条烏丸交差点から、北を向いています。
まだまだ昼間なので、大通りには露店は出ません。
(露店は午後5時からです)
この辺りで、京都市下京区から京都市中京区に変わります。


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四条通から、烏丸通を北に約120m進みました。
こちらは、錦小路との交差点です。
南東角の和菓子店「鼓月」が、祇園祭用に露店を出しています。
祇園祭になると、このように老舗が露店を出すのが面白いです。


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ここから錦小路を西に進むのですが、ちょっと北の方に寄り道です。
向こうの方に、提灯が見えますね。そちらの方に、行ってみます。


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こちらは、第208回ブログにも出てきた御手洗井です。
普段は閉まっているのですが、
祇園祭の時期(7月10日~7月24日)限定で開いています。


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ご存知ない方はそのまま通り過ぎられるのですが、
ここは京都市街地に数ある井戸の中で、
一番おいしいとされる水です。(まぁ、諸説あるでしょうが)
お賽銭を入れて、自分も一口いただきました。


~2014年7月17日23時半に追記~
230-34.jpg
ウチの会社が休みになる木曜日(2014年7月17日)に
再び御手洗井に寄りました。
今度はペットボトルを用意して、水をいただきました。


230-35.jpg
そして、こちらがコップに入れた御手洗井の水ですが……
写真では水道水と区別がつきません。
先ずはこのように飲んで、その後はお茶にして……
結構おいしくいただきました。

~ここまで、2014年7月17日23時半に追記~



230-18.jpg
御手洗井の前から、四条通を南に向いています。
では、ここから約70m先の錦小路に向かいます。


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四条通から、錦小路を西に向いています。
目の前の提灯からも分かるように、すぐ先に占出山が立っています。
ただ、その前に……


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四条錦小路交差点南西角に、孟宗山が立っています。
孟宗とは中国の三国時代の文官で、陸遜などに使えました。
その人物が母親のためにタケノコを採る姿を模っています。
要するに、親孝行を象徴した山です。
(竹の一種孟宗竹は、この故事から来ています)
……ただ、この時間は大通りの山がまだ会所を開いていません。
ここを寄らずに、立ち去ります。


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四条通から、錦小路を西に向いています。
目の前に、占出山が立っています。


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占出山が立っている場所の南に居酒屋さんがありますが、
その隣に占出山の会所があります。


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その会所の門に、こちらが張られていました。
どうやら今年の山一番は、この占出山になったらしいです。


230-24.jpg
では、占出山の会所に入っていきます。
「うなぎの寝床」というように、入り口が狭く奥が広くなっています。


230-25.jpg
こちらが、占出山の胴掛です。
各会所には、このように山鉾に掛かる装飾品が展示されます。
この写真は、クリックすると拡大されます。


230-26.jpg
こちらが、胴掛の上の方をアップにしたものです。
36歌仙とその和歌が書かれていますね。
この会所に来れば、必ず見ておきたいのがこれですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


230-27.jpg
会所の一番奥に、
こちらの祠と(お地蔵さんではありません)土蔵がありました。
この土蔵に、普段は占出山の装飾品が安置されています。


230-28.jpg
土蔵の西隣に、見送りと一緒にこの御太刀が展示されています。
こちらは、国宝に指定されています。


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こちらが、占出山の会所内で粽(ちまき)を売っている所です。
普段は町内の小学生が売り子をしているのですが、
平日の昼間ではそれは無理です。


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では、会所から出ます。
また錦小路に戻ります。


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占出山の会所の前にいます。
占出山の西側で、吉兆鮎という期間限定の和菓子が売られています。
占出山は、神功皇后が朝鮮半島に攻め込むときに
神功皇后がアユを使って占いをしたことに由来します。
この和菓子は、それを模ったものです。


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占出山を背に、錦小路を西に向いています。
次は、ここから西に進みます。


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占出山から錦小路を西に進み、室町通との辻に出ました。
この辺りにここから北の山伏山と南の菊水鉾、西の霰天神山と
たくさんの山鉾が集中します。
ただ、そちらに行くのは次回とします。

今回は、ここまでです。
今回ブログでは、長刀鉾→孟宗山→占出山と回りました。

~次回は錦小路を西に進み、さらに新町通に向かいます~

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第231回 錦小路の山鉾~祇園祭前祭2014~その2

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占出山を背に、錦小路を西に向いています。
目の前に、室町通との辻があります。
右(北)に行くと山伏山、左(南)に行くと菊水鉾、
このまま(西に)進むと霰天神山です。
今回は、この錦小路を西に進みつつ
四条通以北の山鉾の残りを全制覇します。
撮影日は、2014年7月14日月曜日午後2時半。
だんだん雨足が強くなりました。


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錦小路室町の辻で、北に向きました。
この少し先に、山伏山があります。


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錦小路から、室町通を北に約10m進みました。
この辺りの問屋さんは、このように表を飾ります。
祇園祭はこの辺りの住民のお祭りですが、
大昔から近隣の企業のお祭りでもあります。
(つまり、各企業も氏子として参加しています)


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さらに室町通を北に約50m進みました。すぐ先に、山伏山です。
左(西)側に明倫幼稚園があり、反対側はかつての明倫小学校です。


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かつての京都市立明倫小学校は「京都芸術センター」になっています。
この日も、しっかり開いていました。
また、中はカフェも開いていてそこに訪れた方も多かったようです。


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京都市立明倫小学校の前から、室町通を北に向きました。
目の前に、山伏山が立っていますね。


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山伏山が立っていた所の北側に、ここの会所があります。
こちらは1Fで山の装飾品が飾ってあって、
2Fにはご神体の木像が安置されています。
保昌山や後祭の橋弁慶山などが同じ構造の会所を持っています。


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こちらは、山伏山の会所の1Fです。
胴掛や見送りが並んでいますね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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こちらは、会所の2F部分です。
ご神体は、浄蔵貴所を模ったものです。
平安時代の有名な山伏で、法観寺の八坂の塔が傾いたとき
念力で修復したという伝説がある方です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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山伏山から、室町通を南に向いています。
では、また錦小路の方に戻っていきます。


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錦小路室町の辻に戻ってきました。
右(西)に進むと霰天神山で、左(東)に進むと占出山です。
次はこのまま真っ直ぐ南に室町通を進み、
目の前に見えている菊水鉾に向かいます。


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こちらが、菊水鉾です。鉾の先端が菊水紋です。
(写真には、写っていません)
この辺りにあった「菊水の井」という井戸に由来します。
1864年の禁門の変によるどんと焼けで焼失しましたが、
戦後に復活しました。
(どんと焼けは、大船鉾が長い間休み山になった理由でもあります)


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菊水鉾の東側に、このような場所がありました。
会所と思って上がったところ、有料の茶席だったそうです。


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菊水鉾から、北を向いています。
では、ここから北上し錦小路に戻ります。


231-15.jpg
菊水鉾の脇にある呉服問屋が、このように飾ってありました。
人形や小物の隣に、檜扇(ひおうぎ)が生けられています。
こちらは、祇園祭に鉾町で生ける風習があります。


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またまた錦小路室町の辻にやって来ました。
右(東)に進むと占出山で、左(西)に進むと霰天神山です。
このまま室町通を北に進むと、山伏山です。
南西角の呉服問屋は、毎年この時期にバーゲンセールをしています。


231-17.jpg
室町通から、錦小路を西に向いています。
では、向こうに見える霰天神山に向かいます。


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こちらが、霰天神山の会所です。先ずは、こちらに入っていきます。
この周辺を電気会社の方が巡回されていました。
山鉾が電線に引っ掛かっていないかチェックされていました。


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会所の中に入ると、こちらの扇が目を引きました。
この霰天神山では、今年見送りの龍図が新調されて
それを記念してこちらが売られていました。


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こちらが、霰天神山(あられてんじんやま)のご神体の祠です。
こちらも、クリックすれば拡大できます。
山のいくつかは、近所の神社のご神体をそのまま使用しています。
室町時代後期の大火の際、この天神さんの周囲にあられが降って
この辺りだけ火災を逃れたそうです。
それ以来、ここを「火除け天神」とも呼んで
「火災除け」のご利益があるとして、多くの信仰を集めてきました。
ただ、普段ここは閉まっていてお参りすることができません。


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では、霰天神山の会所を出ます。
ここも、典型的な「うなぎの寝床」になっています。


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霰天神山の会所の西隣に、こちらの中華料理屋さんがあります。
やはり、今年も「浸みだれ肉まん」の露店を出していました。
平日の日午後なのに、もう行列ができていました。
だんだんと祇園祭の名物になりつつありますね。
自分も空腹だったのですが、この日(7月14日)は給料日前で、
お金が無くて買うのをあきらめました。
ちなみに、2年前に買ったものがこちらです。


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さらにその西側に、霰天神山が立っています。
巡行の際はこちらの上に、先ほどの祠が乗っかります。


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こちらは、この辺りの錦小路にある呉服屋さんです。
2年前に来たときは、ショウウィンドウのかわいらしい人形を
撮影させていただきましたが、
入り口の方もけっこう渋いので今年(2014年)はここを撮りました。


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その店の前から、錦小路を西に向いています。
目の前に、新町通が見えます。


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錦小路から、新町通を北に向きました。
今までならここから南観音山が見えるはずだったのですが、
今年からここから北に山鉾は立ちません。
……そう書くと南観音山が廃止されたみたいですが、
単に山が立つ時期が変わっただけです。
南観音山・北観音山・八幡山などは、
後祭の方に立つことになります。



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新町通から、錦小路を西に向いています。
この辺りは、自動車の交通量がいつも多いので大変です。
ここを真っ直ぐ進むと蟷螂山への近道になるのですが、
今回は別の道を進みます。


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錦小路から、新町通を南に向いています。
だんだん雨が強くなってきて、傘がさらに目立ってきました。
向こうに、放下鉾が見えます。次は、そちらに向かいます。


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錦小路から、新町通を南に約50m進みました。
放下鉾の脇に、町家を改装したイタリア料理店があります。
ここは露店でワインを売っていて、自分もこの後仕事がなければ
(さらに給料前でなければ)ここで1杯やっているところでした。


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こちらから放下鉾の会所に入ることができ、
さらに放下鉾の内部に入ることもできます。
鉾の内部には放下僧(放下を行う僧)の像が安置されています。
それが、この鉾の由来です。


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放下鉾の南側に出ました。
右(西)側にマンションのエントランスを利用して、
伏見の酒造メーカーによる露店が今年も出ています。
その南隣が、絹織物の展示会場ですね。


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その展示会場の南隣に、こちらの町家が並んでいます。
この日はまだ7月14日ですので、
店内の美術品展示はまだ行われていませんでした。


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錦小路から新町通を約100m南下して、四条通にまで来ました。
この四条通にもたくさんの山鉾が立ちますが、
この続きは次回にします。

今回は、ここまでです。

~次回は、四条通から西洞院通に向かいます~

今回は、山伏山→菊水鉾→霰天神山→放下鉾と回りました。

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第232回 蟷螂山とその周辺~祇園祭前祭2014~その3

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新町通から南を向き、四条通を見ています。
ずっと向こうに、船鉾が小さく見えますね。
今回はここから四条通を西に進み、蟷螂山を目指します。
2年前と変わったところ、変わらないところ、両方ありました。
撮影日は、2014年7月14日月曜日午後3時。
この辺りから、少しずつ雨が止んできました。


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新町通から、四条通を東に向きました。
室町通の手前に月鉾、室町通と烏丸通との間に函谷鉾が立っています。
長刀鉾は、函谷鉾の陰になっていて、見えませんね。
ただ、ここには第235回ブログで訪れます。


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今度は、新町通から四条通を西に向きました。
ずっと先に見えるのは、郭巨山(かくきょやま)です。
今回ブログでは、そちらに向かいます。


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新町通から、四条通を西に約30m進みました。
こちらは、日本最古のジャズ喫茶「こぐま」です。
今年も、郭巨山の手拭いが張り付けてありますね。
日曜日だった13日や宵山なら満員なのでしょうが、
この日はそこそこ空いていました。
ただこの日は給料日前なので、中に入るお金を工面できません……


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数喫茶「こぐま」から、四条通を西に向きました。
目の前に、郭巨山があります。


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こちらが、郭巨山です。今、正面を向いています。
見送りはまだですが、胴掛はもう付いています。
2年連続「山一番」でしたが、今年は逃しました。
(今年は、占出山が「山一番」です)
こちらの山は、郭巨という中国人男性による親孝行譚を描いています。


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四条通の向かい(南)側歩道に、郭巨山の会所があります。
まだ歩行者天国ではありませんので、
そちらへは横断歩道を渡らないと行くことができません。


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ウチは、毎年この郭巨山の粽(ちまき)を買っています。
今年も買って、軒先に飾り付けました。
こちらは、紙製の千両小判が入っているのが特徴です。
金運が上がる御利益があるそうです。


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郭巨山から、四条通を西に向いています。
ずっと向こうに見えているのが、四条傘鉾です。
次は、その手前の西洞院通を目指します。


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郭巨山から西洞院通へ行く途中の文房具店に、
こちらの手拭いが飾ってありました。
なかなか面白いデザインでしたが、
ここで売られているわけではなさそうです。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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郭巨山から四条通を西に進み、西洞院通に来ました。
向こうに四条傘鉾が立っていますが、先に西洞院を北上します。


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四条通から、西洞院通を北に向きました。
提灯に「蟷螂山」(かまきりやま)と書いてあります。
次は、こちらに向かいます。


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四条通から西洞院通を北に約100m進みました。こちらが蟷螂山です。
時折小雨が降ったりした日だったので、
山の周囲にビニールシートが掛けてありました。


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蟷螂山の上部をアップにしました。
この山は、牛車の上にカマキリが乗っています。
カマキリの鎌は、「魔を払う」縁起物でもあります。
このカマキリはからくり人形で、頭・腕・羽根が動きます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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2年前に来たときの会所がなくなって、マンションになっていました。
その代わりこちらにショウウィンドウができて、
そこに胴掛や見送りなどが展示されていました。


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会所がなくなっているので、粽などは山の北側で売られていました。
ただ、今年からこの山では「かまきりおみくじ」が始まっていました。
前にいらっしゃるリュックを背負った男性が、
からくりの下の方にある木のハンドルを回しています。
すると、カマキリのからくり人形が赤い箱から木の玉を一つ出して、
その玉に書かれた番号のおみくじがもらえる寸法です。
かなり人気があるようで、平日の昼間だったのですが
「最後尾10分待ち」の状態でした……


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蟷螂山から、西洞院通を南に向いています。
では、こちらから四条通に向かいます。


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西洞院通を南下して、四条通との交差点にまで来ました。
次は、四条通を西に進みます。


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西洞院通から、四条通を西に向いています。
いよいよ目の前の市場傘鉾に向かいます。


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こちらが、四条傘鉾です。
一応「鉾」なのですが、他の山鉾とは明らかに形状が違います。
祇園祭が今の形になったのは室町時代後期なのですが、
こちらは祇園祭が始まった平安時代の形式を残したものです。
ですから、平安時代の形式をそのまま残す葵祭にも、
こういう傘が参列しました。


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四条傘鉾の前で、四条通を東に向いています。
もう雨が止んでいて、傘を差さない人の方が大半です。
では、西洞院通に戻ります。


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四条通を東へ進み、四条傘鉾から西洞院通に戻ってきました。
では、ここから南に進み、京都市下京区の山鉾へ参ります。


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四条通から、西洞院通を南に向いています。
四条通より南に来ると、京都市中京区から京都市下京区になります。
この西洞院通が2車線なのは、
1977年までここに市電(路面電車)が通っていたからです。
(今は、市バスが通っています)
向こうのコンビニエンスストアで、今年も露店が出ています。
実は沿道のコンビニエンスストアの大半が
唐揚げやビール・ジュースを屋外で販売します。


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四条西洞院交差点の南東角に、「化粧水」と書かれた石碑があります。
ここは平安時代に小野小町の邸宅があったそうで、
小野小町が洗顔などに使った井戸水が
今もここから湧いて出ているようです。
この建物は老舗和菓子屋「若狭屋」なので、
今はここが利用しているのでしょうか?


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四条通から、西洞院通を南に約100m進みました。
こちらは、綾小路との交差点です。


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綾傘鉾を背に、西洞院通から綾小路を西に向いています。
次はこの先の芦刈山を目指しますが、それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、西洞院以西の山を回ります。
実は、自分の一番お気に入りの地域です~

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第233回 油小路の山鉾~祇園祭前祭2014~その4

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西洞院通から、綾小路を西に向いています。
伯牙山を背に、向こうに芦刈山を見ています。
今回は西洞院通より西の山を油小路をメインに回ります。
この辺りが一番牧歌的で、自分の一番のお気に入りです。
撮影日は、2014年7月14日月曜日午後3時半。
もう完全に晴れてきました。


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西洞院通から、綾小路を西に約20m進みました。
こちらの町家で2年前は立派な屏風と檜扇を飾っていましたが、
14日段階ではまだそれらは飾っていません。


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その町家から、さらに綾小路を西に20m進みました。
こちらは、典型的な京町家ですね。
京都では大屋根に鬼瓦を置く代わりに、
小屋根に鐘馗様を魔よけに安置する習慣があります。


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その町家の前に、芦刈山が立っています。
貧しさから離縁した芦刈を生業とする男性が、
年老いてからかつての妻と出会い復縁する故事を取材しています。
ですから、ここは「夫婦円満」のご利益があります。


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芦刈山の西側に、この山の会所があります。
中にパイプいすが並んでいて、少し休むことができます。


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会所の手前の方に、見送りと布製の芦が並んでいました。
さすがに生の芦は使いません。


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そして、こちらがご神体の老人像です。
右側に昔使われていた老人の頭部が置かれています。
こちらは鎌倉時代のもので、慶派の一人康運によるものです。


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芦刈山の前から、綾小路を西に向いています。
では、約50m先の油小路との辻に向かいます。


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油小路から、綾小路を西に向いています。
約100m先に、大通りの堀川通が見えます。


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こちらは綾小路油小路の北東角です。
レンガ造のなかなか雰囲気のある理髪店ですね。
ただ、撮影日は月曜日です。ですから、定休日ですね。

~2014年7月27日追記~
実はこの日、この理髪店に髪を切りに行きました。
整髪2500円は、京都市街地の相場としてはかなり安いです。
(通常は4,000円~5,000円)
ただ満員だったので、入れませんでした。
ここは、予約が必要なくらいの人気店でした。


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今度は、綾小路油小路の南東角です。(つまり、理髪店の南向かいです)
「天神山」と書かれた提灯の許に、小さな神社がありますね。


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ここがその小さな神社「火尊天満宮」(ひみことてんまんぐう)です。
別名、「油天神」(あぶらてんじん)です。
要するに、油天神山はここの祠を山に乗せたものです。
「天神さん」ではありますが、ここのご利益は「火災除け」です。
元々こちらには愛宕神社の分社がいらしたのですが、
この辺りの大地主である風早氏が
菅原道真像を持ち込んでご神体としました。


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火尊天満宮の前から、油小路を南に向いました。
向こうに油天神山があって、その手前に会所があります。


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こちらが油天神山の会所です。ご神体の祠はこちらに移っていました。
実は、こちらで変わった手拭いが売られていました。
普通は各山鉾を描いたものなのですが、
こちらのは各山鉾の位置を指した地図が書かれていました。
結構いいものだったのですが、お金がなくて買えませんでした……


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この辺りに、このような標札がありました。
山鉾町の町名は通常山鉾の名前をそのまま使うのですが、
こちらはここに天満宮を置いた風早氏の名前が町名になっています。


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こちらが油天神山です。
と言いましても、この日は宵山2日前ですからまだ骨組みだけです。


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油天神山から、油小路を南に向きました。
次は、約50m先の仏光寺通を目指します。


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油小路から、仏光寺通を西に向きました。
気のせいか、堀川通が先ほどより近い気がします。


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今度は、油小路から仏光寺通を東に向きました。
次は、この先の木賊山(とくさやま)に向かいます。


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油小路から、仏光寺通を東に約50m進みました。
この「鈴木医院」が木賊山の会所になります。
木賊(とくさ)は漢方薬になる植物なので、
それでお医者さんが会所なのかと思いましたが、
別にそういうわけではないそうです。
(この辺は、会所の方に聞きました)


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こちらが会所内の様子です。粽などは、ここの屋外で売っています。
これもここにいらした方に聞いたのですが、
見送りと水引・胴掛を新調されたそうです。


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会所の表で粽などが売られていたのですが、
その中でこちらも売られていました。(100円くらいでした)
これは、木賊(とくさ)という植物の切れ端です。
地面に差すと、運がいいとこのまま芽が出るそうです。


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そして、こちらが成長した木賊です。
ちなみに、こちらは綾傘鉾の前に生えていました。
(実は、京都市街地のあちこちに生えています)


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そして、こちらが木賊山です。
実は仏光寺通にある山鉾は、この木賊山だけです。
1本北の綾小路には、芦刈山・伯牙山・綾傘鉾が立ちますが……


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木賊山の会所前から、仏光寺通を西に向いています。
では、油小路に戻ります。


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仏光寺通から、油小路を南に向きました。
次は、この太子山に向かいます。


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仏光寺通から、油小路を南に約10m進みました。
こちらに、太子山の会所があります。
こちらは昔の薬屋さんですが、
今は京都市の指定建築物になっています。


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会所の明り取りのガラス窓に、こちらの電話番号が書いてありました。
「下(京区)二五六五番」と書かれていますが、
恐らく今から100年以上前のものでしょうね。


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会所内はかなり人でごった返していたので、
中を撮ることができませんでした。
その入り口付近にこちらが置いてありました。
毎回見かけますが、これが何なのか自分には分かりません。


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会所の南側に、太子山が立っています。
こちらは「学問の神様」でもあって、
受験祈願の絵馬が山の周囲の格子にたくさん結び付けられています。
ちなみに、この丸太に座ると頭が良くなると言われています。
この北側の縁台とよく間違われるので、要注意です。


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こちらが太子山です。
ご神体は、まだまだ上に乗りません。


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太子山の南から、油小路を南に向きました。
ここから南には、もう山鉾はありません。


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太子山から、油小路を南に約20m進みました。
「太子山」と書かれた表札がありますが、
普段はここにご神体や胴掛・見送りなどが安置されています。


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「太子山」と書かれたところの北隣に、
陶器などを売っているお店があります。(先程の写真にも写っています)
ショウウィンドウに、山鉾のミニチュアが並んでいますね。
先頭は長刀鉾ですが、太子山自体はないようです。


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先ほどの所から、油小路を南に約30m進みました。
ようやく高辻通との交差点に来ました。


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高辻通から、油小路を南に向いています。
松原通くらいまでは八坂神社の氏子なのですが、
この辺りにはもう山鉾は立ちません。


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油小路から、高辻通を西に向きました。
このまま堀川通を越えると、
京都でも屈指の蕎麦屋さんがあるのですが、
今回はそちらには寄りません。


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今度は油小路から、高辻通を東に向きました。
約1時間前は結構雨が降っていたのですが、
もう地面が乾いてきています。
祇園祭前祭の山鉾23基のうちまだ9基見ていませんが、
そちらは次回以降とします。

今回は、ここまでです。

~次回は菅大臣神社に参拝した後、
新町通の山鉾のうち、まだ見ていない残り2基を見ます~

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第234回 菅大臣神社から船鉾~祇園祭前祭2014~その5

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油小路から、高辻通を東に向いています。
2日前の曇り空から、一転晴れ空の猛暑日です。
今回は新町通まで東に進み、そこから北にある山鉾を見て回ります。
また、その途中にある神社にも寄っていきます。
撮影日は、2014年7月16日水曜日宵山の午後1時。
歩いているだけで、汗が出ます。


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油小路から、高辻通を東に約50m進みました。
今まで特に上り坂ではなかったのですが、
ここから西洞院通に向かって急な下り坂になります。


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その辺りの高辻通で、北を向きました。
この路地は東中筋通と言い、北は仏光寺通まで続きます。
(南は意外と長く、七条通より南の木津屋橋通まで続きます)
古い町家と石畳の雰囲気のある道ですね。


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東中筋通との南側角に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらにお参りしてから、また高辻通を東に進みます。


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そのお地蔵さんの向かい(北)側に、こちらの碑が立っています。
曹洞宗の開祖道元はここで亡くなりました。


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油小路から、高辻通を東に約100m進みました。
急な下り坂の一番下で、西洞院通と交差します。


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高辻通から、西洞院通を北に向いています。
ここから約400m北に、第232回ブログに出てきた蟷螂山が立ちます。


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今度は高辻通から、西洞院通を南に向きました。
ここから約400m先に五条通があって、
さらに約1km南に進むと、京都駅前の下京区役所があります。


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高辻西洞院交差点の北西角に京料理屋さんがあるのですが、
宵山になるとこちらのお店が露店を出していました。
惣菜とビールを売っています。
しかし、アユの塩焼き350円はとても安いですね。


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西洞院通から、高辻通を東に向いています。
今度はここから、急な上り坂になります。


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西洞院通から、高辻通を東に約20m進みました。
ここは本当は夕方から営業する餃子屋さんですが、
この日(宵山)は、昼からずっと開いています。
ここは結構知られている名店で本当は入りたいのですが、
夕方から仕事なのでさっさと先に急ぎます……


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その餃子屋さんから、高辻通をさらに東に約30m進みました。
高辻通北側歩道に、菅大臣神社があります。
では、ちょっとこちらに寄ってみます。


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菅大臣神社の一の鳥居を抜けて、北を向きました。
ここから二の鳥居まで、細い路地になっています。
左(西)側にお地蔵さんがいらっしゃって、その先に民家が並びます。


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先ほどの場所から北に進み、二の鳥居を抜けました。
すると、桜並木が続くようになります。
春には、ここは絶景になりますね。


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桜並木は、約20m続きます。
石畳の道が十字路になっていて、
左(西)を向くと手水舎とこちらの道が伸びています。
ここを約50m進むと、西洞院通に出ます。


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手水舎の北側に、末社の稲荷神社がいらっしゃいました。
先ずは、こちらにお参りです。


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稲荷神社の北側は、こうなっています。
京町家の先に鳥居があって、その先は仏光寺通です。


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同じ場所で、東を向きました。
こちらが菅大臣神社の本殿です。
周囲に、様々な末社や各神社の分社がいらっしゃいます。
「菅大臣」とは菅原道真公のことで、この方が御祭神になります。
ですから、こちらは「天満宮」の一種ということになります。
この脇の由緒書によりますと、
ここは元々菅原道真公の邸宅跡で生誕の地だそうです。
ただ、この神社と似たような由緒書が
第200回ブログ菅原院天満宮にも書いてありました。


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菅大臣神社の本殿前から、南を向きました。
では、この桜並木を抜けて高辻通に戻ります。


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菅大臣神社の一の鳥居の前から、高辻通を東に向きました。
山鉾は立ちませんが、この辺りも八坂神社の氏子になります。
ですから、各問屋や商店は「祇園祭」の提灯を立てます。
約70m先に、新町通との交差点があります。
では、次はこの通りの山鉾を目指します。


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菅大臣神社から、高辻通を東に約50m進みました。
北側歩道に、こちらの問屋がありました。
こちらは閉まっていましたが、きれいに飾ってあります。


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こちらは、京阪電鉄「清水五条」駅前の半兵衛麩の施設のようです。
閉まっていましたが、この屏風が飾ってありました。
どうやら「洛中洛外図屏風」ですね。
以前は山鉾町ではよく見かけましたが、最近は珍しいです。


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高辻新町交差点の北西角に、
こちらのコンビニエンスストアがありました。
山鉾を見て回る前に、こちらに寄っていきます。


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コンビニエンスストアでは、こちらを買いました。
やはり熱中症対策は、ソルティーライチが必須ですね。


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高辻通から、新町通を北に向いています。
では、新町通を北上して山鉾を見て回ります。


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高辻通から、新町通を北に約20m上がりました。
こちらは、老舗の団扇屋さんです。
2年前に宵山に来たときは、こちらの団扇を買いました。


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その団扇屋さんから、新町通を北に向いています。
では、この岩戸山に向かいます。


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岩戸山の東側に、会所があります。
次は、そちらに向かいます。


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こちらは、会所内に安置されている岩戸山の見送りとご神体です。
岩戸山は、天照大神が弟の素戔嗚尊の悪行三昧から逃れるために
岩戸に隠れられた「天岩戸」の故事から作られました。
素戔嗚尊(スサノオノミコト)は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の故事以外は
通常「根の国」(死の国)の厄病神として描かれます。
そんな岩戸山の見送りが、
インドの「タージマハル」が描かれたものなのも面白いですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その会所から、岩戸山を見ています。
岩戸山は「鉾」のように大きく、上に上がることができます。
今回は上がることなく、先を急ぎます。


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岩戸山から、新町通を北に向いています。
目の前に仏光寺通との辻がありますが、
この辺の仏光寺通には山鉾は立ちませんので、
ここを素通りして北に進みます。


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仏光寺通から、新町通を北に約20m進みました。
こちらは、醍醐正という反物問屋です。
最近は家宝の美術品展示をやめたり、
写真撮影を禁止したりするところが多いのですが、
こちらのお店はむしろ積極的に見せてもらえます。


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檜扇の後ろに控えるのが、ここ醍醐正の家宝の屏風です。
確か竹の中にカタツムリがいたはずなのですが、よく分かりません。
(2年前にも、ここに来ました)
この写真も、クリックすると拡大されます。


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その脇に、大黒さんの銅像がいらっしゃいました。
(2年前にはいらっしゃいませんでした)
こちらにお賽銭を置いて、先を急ぎます。


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醍醐正の店頭から、新町通を北に向いています。
次は、こちらの船鉾に向かいます。


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船鉾の東側に会所があって、その2Fから船鉾の上に上がれます。
ですから、そちらが人でいっぱいなので近づけません……
仕方がないので、西側から通り抜けます。


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2年前は前から撮ったので、今年(2014年)は後ろから撮りました。
今気づいたのですが、大船鉾の胴掛は縦縞で船鉾は横縞です。
また大船鉾の舵は赤い漆塗りですが、船鉾は黒い漆塗りですね。


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船鉾を背に、新町通を北に向いています。
ずっと向こうに、第231回ブログで訪れた放下鉾が見えます。
この少し先にある大船鉾は後祭に立ちますので、
この日(7月16日)は大船鉾町には、何も立ちません。


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先ほどの場所から、新町通を10mほど北に進みました。
こちらは、ワインをメインに出す飲食店です。
普段は夕方からの営業ですが、
この日(宵山)は昼間から露店を出しています。
紙コップ1杯が、500円均一になっていいるようです。


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そのワインバーの露店の前から、新町通を北に向きました。
ここは、綾小路との辻です。
ここから綾小路に立つ伯牙山に寄って
その後四条通に出るのですが、それは次回以降とします。

今回は、ここまでです。

~次回は伯牙山に寄った後、四条通の月鉾と函谷鉾に寄ります~

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第235回 杉本家から函谷鉾へ~祇園祭前祭2014~その6

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新町通を北上して、綾小路との辻に来ました。
「晴れた宵山」だけあって、かなりの人出です。
今回は伯牙山とその隣の杉本家邸宅に寄った後、
四条通に立っている月鉾と函谷鉾にまで行きます。
撮影日は、2014年7月16日宵山の水曜日午後1時半。
熱中症対策のソルティライチも、2本目に突入です。


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新町通から、綾小路を西に向きました。
この東側に綾傘鉾が立ていますが、今回はこの西側を進みます。


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新町通から、綾小路を西に約80m進みました。
こちらに、伯牙山が立っています。


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伯牙山の北側に、会所があります。なかなか味のある京町家ですね。
では、ここに入っていきます。


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こちらが、伯牙山の見送りです。
こちらは胴掛や水引なども、「中国」色を前面に出しています。
ご神体の伯牙像の苦悶の表情は、ここからでは分かりませんね。

「伯牙」は中国一と言われた箏(こと)の名手でしたが、
友人の死後その悲しみのあまり愛用の箏を破壊して
二度と演奏することがなくなりました。
こちらは、その故事を山にしたものです。

この写真は、クリックすると拡大されます。


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伯牙山の会所の東隣に、重要文化財の杉本家邸宅があります。
毎年宵山になると、1,500円払えば中に入れます。
次は、こちらに訪問します。


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杉本家邸宅は重要文化財なので、ここから撮影不可になります。
そのため、こちらの絵ハガキで代用します。
(床の間に飾ってあった伯牙山の掛け軸と金屏風です)

こちらは、江戸時代から続く「奈良屋」という呉服問屋で
経営者でもあった杉本家の邸宅でもありました。
1864年のどんど焼け後に再建され、
今も残る数少ない伝統的な京町家の一つです。
今は杉本家の方々は隣接する家屋に住まわれているのですが、
毎日きちんと管理されているようで、
細々とした気配りがとてもありがたかったです。
こういう家は風通しをよく考えているので、
エアコンなどが一切無くても快適でした。
自分の家でもないのに、縁側に座って暫らくくつろいでしまいました。


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その杉本家邸宅の前から、綾小路を東に向いています。
では、また新町通に戻っていきます。


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杉本家邸宅から、綾小路を東に約80m進みました。
こちらは、新町通との角です。
向こうに綾傘鉾が立っていますが、そちらには次回ブログで寄ります。


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綾小路から、新町通を北に向いています。
四条通より北に第231回ブログで訪れた放下鉾が立っていますが、
その間にあるはずの大船鉾は後の祭りに立ちますので、
この辺りは山鉾が何も立っていない状態になります。


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綾小路から新町通を北上し、約50m進みました。
2年前にもこちらにアユの塩焼きの露店が立ちましたね。
本当にこの後仕事でなかったら、立ち寄るのですが……
ちなみに、ちょうどこの辺りに後祭で大船鉾が立ちます。


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こちらは、大船鉾の会所になる場所の北隣にいらしたお地蔵さんです。
こちらにお参りをしてから、先に進みます。


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新町通をさらに約50m北上し、四条通との交差点に出ました。
ちょうど第231回ブログの最後の地点になります。


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新町通から、四条通を西に向いています。
向こうに、郭巨山が見えますね。
ここを進むと、第232回ブログと同じ順路になります。


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今度は新町通から、四条通を東に向きました。
ちょうど正面に、月鉾が見えます。
次は、そちらに向かいます。


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月鉾の先端をアップにしてみました。
月鉾の名の通り、見事な三日月ですね。


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四条通を東に進んで月鉾に近づこうとしているのですが……
この人出ではなかなか厳しいです……
まだ歩行者天国になる時間ではないですし、
月鉾自体が人気のある鉾ですしね。


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ですから、月鉾の会所も立ち止まることなく
一瞬で撮影をして通り過ぎました。
会所から入って鉾に上がろうとしている方々が、
相当数いらっしゃいました。
自分は入ったことがないのですが、月読命が祀られているらしいです。


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月鉾を通り抜けると、急に歩きやすくなりました。
どうやらこの辺りは一方通行になっています。
(四条通を西に進みたいときは、北側歩道に渡る必要があります)
もう目の前に、室町通との交差点が見えてきました。
向こうに見えるのは、函谷鉾ですね。


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四条室町交差点の南西角に昔ながらのタバコ屋さんがあるのですが、
祇園祭期間中はこのように「お祭り仕様」になっています。


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室町通と烏丸通との間に、こちらの函谷鉾が立っています。
祇園囃の優雅な曲調が、そちらから聞こえてきました。
(祇園囃は、こちらのものが特に有名ですね)
函谷鉾は、中国の長安と洛陽の中間点にある函谷関という関所を
勇猛な武将が越えようとする故事から作られました。
そう書くと「三国志演義」が元になっていると思われがちですが、
実は「史記」の方を元にしています。


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四条通から、室町通を北に向いています。
この先に見えるのは、第231回ブログで訪れた菊水鉾ですね。


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今度は四条通から、室町通を南に向いています。
この辺りが一番露店が集中していて、人も混んでいます。
向こうに鶏鉾が見えますが、そちらへは次回ブログで訪れます。

今回は、ここまでです。

~次回は、室町通の山鉾を見て回ります~

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第236回 大原神社の綾傘鉾~祇園祭前祭2014~その7

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四条通から、室町通を南に向いています。
この辺りが、祇園祭で一番露店が出る所です。
ただまだ自動車が通れる時間帯なので、大渋滞していますね。
今回は、大原神社の綾傘鉾と室町通の山鉾を見て回ります。
撮影日は、2014年7月16日宵山の水曜日午後2時半。
熱中症になりそうなので、さらにソルティライチを買い足しました。


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池坊短大の正面付近は、室町通が2車線と広くなります。
これは短大の向かい(西)側にある京都産業会館1Fに、
京都市バスのターミナルがあるからです。
そして、この辺りには向こうに見える鶏鉾が立っています。
この辺りは祇園祭の期間中最も賑やかになるところなので、
この鉾にもたくさんの方が訪れます。


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こちらが、鶏鉾です。人が多くて、これ以上近づけません。
2年前はこの鉾の故事はよく分からなかったのですが、
いろいろなブログを読んでいたら
ここの故事が書いてある記事をいくつも見つけました。
どうやら「古事記」の故事を元にしているようですね。


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室町通を南下して鶏鉾を通り過ぎると、すぐに綾小路に出ます。
この少し先に、白楽天山が立っています。


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室町通から、綾小路を東に向いています。
元来綾小路はとても細い道なのですが、この辺りは2車線になります。
(ここも、市バスターミナルとの関係です)
こちら側は、今から露店の設営のようです。
まぁ、本格的に混みだすのはこの後ですしね。


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今度は室町通から、綾小路を西に向きました。
これでも、綾小路としては広い道幅です。
この辺りは昔から遊戯系の露店が並んでいて、
自分も10代のころはここでスマートボールや射的をよくしました。


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室町通から、綾小路を西へ約50m進みました。
こちらに、綾傘鉾が立っています。


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こちらが、綾傘鉾です。
四条通に立つのが「四条傘鉾」で、綾小路に立つのが「綾傘鉾」です。
同じ「傘鉾」でも、「四条傘鉾」とはだいぶ形状が違います。


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綾傘鉾の南側に、このような碑が立っていました。
ということは、ここで本居宣長は賀茂真淵に会ったのでしょうか?


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綾傘鉾から綾小路を西に約20m進むと、会所があります。
次は、こちらに寄ります。


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綾傘鉾の会所の脇に、こちらの標札が立っていました。
ここは今は独立していますが、
元々は京都府福知山市三和の「大原神社」の出張所でした。


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大原神社(会所)の左(西)側に、手水舎がありました。
先ずは、こちらで手を清めます。


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神社の右(東)側には、稲荷大神の祠がありました。
次は、こちらにお参りです。


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境内の一番奥(北)に、大原神社本殿が建っています。
福知山の方と同じ御祭神のはずなので、
ここの御祭神も伊弉諾命(イザナギノミコト)他3柱のはずです。
ちなみに京都府には南丹市美山にも大原神社があるのですが、
こちらも伊弉諾命が祀られています。
どちらも安産のご利益があります。


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境内の西側にある社務所が、まるまる綾傘鉾の会所になります。
手前の仮面は、綾傘鉾が巡行する際に稚児がかぶり
棒を振って踊るときに使います。
後ろの掛け軸に描いてある綾傘鉾は、
現物よりよりも大規模で車輪も付いています。
これが元来の形の「綾傘鉾」ですが、
現在寄付金を募ってこの形に戻そうとしています。
(これも、どんど焼けの傷痕です)


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その左(南)側に、「牛頭天王」の掛け軸が祀られています。
再三このブログでも書きましたが、
この「牛頭天王」が八坂神社の御祭神です。
習合の結果素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同一視されている
「天然痘」を振りまく疫神です。


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では、大原神社を出て先に進みます。
ここからさらに西に進むと前回ブログの伯牙山が立っていますが、
今回は東側の室町通に戻ります。


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大原神社の前から、綾小路を東に向いています。
では、目の前の綾傘鉾を通り抜けて室町通を目指します。


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大原神社から、綾小路を東に約70m進みました。
室町通との辻が見えます。
先程通り過ぎた射的やスマートボールの露店が見えますね。


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綾小路から、室町通を南に向いています。
次は、いよいよ白楽天山に向かいます。


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綾小路から、室町通を南に約10m進みました。
右(西)側にあるコンビニエンスストアが、露店の準備に大忙しです。
とりあえず店内に入って、ソルティライチを買い足します。


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そのコンビニエンスストアの前から、室町通を南に向いています。
目の前に白楽天山が立っています。


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こちらが、白楽天山です。
日差しが強くて、角度によってはフレームに日光が入ってしまいます。


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白楽天山の左(東)側に、会所が立っています。
こちらにも、寄っていきます。


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見送りの横に、ご神体の白楽天像と道林禅師像がいらっしゃいます。
この山は、唐の三大漢詩人の一人白居易(白楽天)が
仏法について問答した故事に基づいています。
後ろの掛け軸には、「八坂大明神」と書かれています。
こちらも、「牛頭天王」の別名ですね。
(「南無 祇園牛頭天王」
聖護院の修験者は、役行者山でこう唱えます)


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さらに室町通を南に進み、仏光寺通との辻に来ました。
祇園祭前祭の山鉾は残りあと1基だけなのですが、
これが他の山鉾とだいぶ離れたところにあります。
そちらに進むのにだいぶ写真を使ったので、この先は次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は保昌山に向かい、前祭全制覇します~

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第237回 保昌山で前祭制覇~祇園祭前祭2014~その8

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室町通から南を向き、仏光寺通との辻を見ています。
今回は、いよいよ最後に残った保昌山(やすまさやま)に向かいます。
標識通りだとここを右折ですが、
今回は室町通を南下するルートをたどります。
撮影日は、2014年7月16日宵山の水曜日午後3時。
2014年の祇園祭の記事は、今回で終わりです。


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室町通から、仏光寺通を東に向いています。
向こうの赤茶色のビルがある辺りが、烏丸通との交差点です。
今回ブログの最終地点でもあります。


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今度は室町通から、仏光寺通を西に向きました。
この仏光寺通には、第233回ブログで登場した
木賊山(とくさやま)しか立ちませんので、
ずっと向こうまで見渡すことができますね。


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仏光寺室町の辻の南東角に、小さな神社がいらっしゃいます。
先ずは、こちらの日吉神社に寄ってみます。


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神社に入ってすぐに、こちらの手水舎がありました。
とは言っても、水が枯れています……


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こちらは、手水舎の右(東)側にいらっしゃる三ツ森稲荷です。
かつてこの辺りは森だったのでそれが由来という説もありますが、
実はその辺がはっきりしていません。


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その三ツ森稲荷と向かい合うように、
拝殿の脇にこちらの扁額が置いてありました。
かつて、ここは「山王宮」とも呼ばれていたのでしょうか?
ちなみに、この辺りを現在は「下京区山王町」と呼びます。
大昔はこの辺り一帯が「山王の森」でした。


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そして、こちらが、拝殿越しの日吉神社本殿です。
左に(北)に三ツ森稲荷が、右(南)に「山王宮」の扁額が見えますね。
こちらの御祭神は、大己貴命(オオナムチノミコト)他2柱です。
平安時代後半の1100年ごろ、滋賀県の日吉神社にいた僧兵が
内裏に強訴(恐喝)しに行った帰りに、
持ってきた神輿を山王の森のこの辺りに放置して帰りました。
その後その神輿があった場所に社殿を建てて、
大元の日吉神社から勧請したのが、この神社の始まりです。


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日吉神社から室町通を南に向いています。
右(西)側に見える問屋さんが繊維製品の安売りをしています。
これも、祇園祭のもう一つの姿です。


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日吉神社の前から、室町通を南に約50m進みました。
こちらの問屋さんでも美術品を並べておられましたが、
ここには一般の人は入れなくなっていました。


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さらに室町通を南に約50m進みました。
いよいよ高辻通の交差点です。


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高辻通から、室町通を南に向きました。
ここから先にも問屋さんは続きますが、ここには山鉾は立ちません。


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今度は室町通から、高辻通を西に向きました。
約20m先に、「繁盛の宮」があります。次は、そちらに寄ってみます。


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高辻通を一歩入ると、もう「繁盛の宮」の本殿です。
こちらは、ハーリーティー(鬼子母神)を御祭神としています。
この「ハーリーティー」が訛って「繁盛」と呼ばれています。
もちろん金運や商売繁盛のご利益がある神社です。


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こちらは、「繁盛の宮」の社務所に陳列されていた屏風です。
二条城のもののレプリカですが、祇園祭期間中だけここに置かれます。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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「繁盛の宮」の前から高辻通を東に向いています。
では、ここを進んでいきます。


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今度は室町通まで戻って、高辻通を東に向いています。
左(北)側の喫茶店は自分が中学生のころからある店ですが、
この日は超満員でした。


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室町通から、さらに高辻通を東に約100m進みました。
こちらは、高辻烏丸交差点です。
北東角と南西角が、京都銀行本店になります。


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高辻通から、烏丸通を北に向いています。
ここの北西角がガソリンスタンドで、その北隣が下京警察署です。


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横断歩道を渡って、今度は高辻通から烏丸通を南に向いています。
ここに来るのも、約2か月ぶりです。
ずっと向こうに、京都タワーが見えますね。


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烏丸通から、高辻通を東に向いています。
約250m先に、浄土真宗仏光寺が見えます。


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烏丸通から、高辻通を東に約30m進みました。
こちらは、約2か月ぶりの匂天神です。ここも、お参りしました。


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匂天神から、高辻通を東に約70m進みました。
「ホテル日航プリンセス京都」は、東洞院通との交差点にあります。


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高辻通から、東洞院通を南に向いています。
ようやく、保昌山の提灯が見えてきました。


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高辻通から、東洞院通を南に約50m進みました。
こちらが、保昌山(やすまさやま)です。


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保昌山の東側に、会所がありました。
こちらの方にも、お邪魔します。


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こちらは、会所の中の風景です。
祠の周囲に、お神酒と売り物の団扇が並んでいますね。


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会所の奥には、こちらの見送りが飾ってありました。
外に面していてエアコンが効かないので、扇風機が回っています。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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会所の2Fに、ご神体の平井保昌像がいらっしゃいます。
会所の2Fにご神体を並べるのは、山伏山・橋弁慶山などがあります。
恋人の和泉式部のために紫宸殿の桜の花を盗んだ
平井保昌の故事に由来する山です。


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保昌山を囲む格子に、たくさんの絵馬が結び付けてありました。
この山は、祇園祭でも珍しく恋愛譚を故事にしています。
そのため、いつしかここは「恋愛成就の山」として
多くの方の信仰を集めるようになりました。
今では多くの方がここに絵馬を結びつけ、
恋愛成就を願うようになりました。


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保昌山の前から、東洞院通を北に向いています。
では、ここから高辻通に戻ります。


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東洞院通から、高辻通を西に向いています。
次は、ここから烏丸通を目指します。


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東洞院通から高辻通を西に約100m進みました。
また高辻烏丸交差点に戻ってきました。


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高辻通から、烏丸通東側歩道を北に向いています。
今度はここを北上し、地下鉄の駅を目指します。


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高辻通から、烏丸通東側歩道を北に約70m進みました。
こちらは、八坂神社大政所御旅所です。
元々山鉾巡行の後の神輿神事の神輿は、こちらにありました。


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八坂神社政所御旅所の前から、烏丸通東側歩道を北に向きました。
もう30mで仏光寺通との交差点で、
こちらに地下鉄烏丸線「四条」駅5番出口があります。


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こちらが、仏光寺烏丸交差点北東角にある
地下鉄烏丸線「四条」駅5番出口です。
ここに「サイゼリア」の看板がありますが、
地下にあるせいで祇園祭期間中でもすぐには満員になりません。
(祇園祭期間中に、他が満員のときに便利です)
今回は、ここから地下鉄に乗って帰ります。

これで、2014年祇園祭前祭宵山の模様は終了です。
後祭は、来年に取材しようと思っています。

~次回は、五条坂で行われる清水焼の陶器市の模様を取材します~

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第324回 長刀鉾 辻回し~暴風雨の山鉾巡行~その1

2015年7月16日夜に高知県に上陸した台風11号は、
7月17日午前の段階で中国山地に中心があって、
その東側に位置する近畿地方はその間暴風雨が吹き荒れました。
しかし、台風が来ようが警報が発令されようが
祇園祭山鉾巡行は強行されます。
極端な話、1864年のどんどん焼けの2年後には再開されています。
(例え祇園祭の山鉾の大半が焼失しても、再開したのです)
まぁ京都人にとっては、それくらい大切なお祭りということです。


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地下鉄東西線「京都市役所前」駅のホームにいます。
山鉾巡行見物には何か所か撮影ポイントがあるのですが、
自分の好みは「京都市役所前」(「御池河原町」交差点)です。
辻回しを見るには交差点である必要がありますが、
「四条河原町」交差点はあちこち移動しながらの撮影が無理です。
すると、選択肢が一つだけになるのです。
では、ここから地上に出て交差点に向かいます。
撮影日は2015年7月17日金曜日午前9時50分。
夜に入って、JR京都駅線が全面運休になりました!


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地下鉄「京都市役所前」駅のホームを上がり、改札の前に出ました。
では、ここを通って目的地に向かいます。


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地下鉄「京都市役所」駅を出て、西を向きました。
向こうの広場が、「御池河原町」交差点の真下に当たります。


324-4.jpg
地下鉄「京都市役所前」駅の改札から、西に約10m進みました。
ここから西が、ZEST 御池という地下街です。
(第161回ブログでも出てきましたね)
ここは、午前6時から開いています。
「御池河原町」交差点下の広場ではよくイベントが開かれますが、
この日は「京都物産展」が開かれていました。
たぶん、地方からの観光客ねらいですね。


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その広場で、右(北)を向きました。
ここから京都ホテルオークラに入れますが、
地下鉄の3番出口もこちらにあります。


324-6.jpg
京都ホテルオークラの地下入口の手前に階段があり、
そこを上って地上に出ました。
ここが、地下鉄「京都市役所前」駅3番出口です。


324-7.jpg
さらに車道に向かって前に出ました。
この辺りが、「京都市役所前」(「御池河原町」交差点)北東角です。


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御池通から、河原町通を南に向いています。
ずっと向こうに、「三条河原町」交差点が見えますね。
(第69回ブログにも、出てきましたね)
現在2015年7月17日午前10時ですが、
その三条通以南にも巡行の先頭が見えません。


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今度は、河原町通の北側を見ました。
左(西)側に京都市役所が見えて、その北隣に島津製作所も見えます。
「御池河原町」交差点北約100mに、規制線が張られました。


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規制線が完成すると、報道関係者がそちらに向かいました。
「こちらの方が、撮影には向いていますよ」
京都府警警察官の一言で、さらに多くの方々が移動しました。
確かに「辻回し」はそこがベストポジションですが、
撮影位置が固定されて他の場所に移動できなくなります。
ですから、もう暫らくここで撮影します。


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10時を回りましたが、巡行の行列はまだまだ来ません。
「御池河原町」交差点北西角に電光掲示板があって、
そこには「現在京都府南部 大雨警報」と書かれていました。


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午前10時10分になると、突然交差点の信号が消えました。
いよいよ巡行の行列が近付いてきたようですね。


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そして、京都府警警察官も騒がしくなってきました。
昨年の葵祭のときとは違い、みなさん合羽を着られていますね。
山鉾巡行の行列も、もうすぐですね。


324-14.jpg
その直後に、三条通近辺に先導のパトカーが現れました。
午前10時15分になって、
「御池河原町」交差点でも山鉾巡行が始まりました。


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パトカーの背後から、幟を持った男性が行進されています。
「祇園会」という文字が見えますね。


324-16.jpg
そして、その後ろから祇園祭「鉾1番」長刀鉾が姿を現しました。
すると、先頭の氏子さんが
竹の切れ端を何本か持って先を急ぎました。


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そして、その竹の切れ端を交差点の中央に並べ始めました。
これが、「辻回し」の下準備です。


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そうこうしているうちに、長刀鉾が交差点内に入ってきました。
すると、「祇園囃」のテンポが急に速くなりました。


324-19.jpg
長刀鉾はそのまま北上し続けますので、
自分が撮影している目の前まで、曳き手が来られました。
交差点の中央で長刀鉾を止めた途端、
「さぁ、次は『辻回し』や」
曳き手の先頭の氏子さんはそうおっしゃれて、
交差点の西側へと走り去られました。


324-20.jpg
竹の切れ端を並べている間、長刀鉾は全く動きません。
その間に、長刀鉾をアップにしました。
こちらは、祇園祭唯一の「生き稚児」さんが活躍します。
この写真以降、他の写真もすべてクリックすれば拡大されます。


324-21.jpg
曳き手の皆さんは、御池通の方に移動されました。
(鉾に対して、約90°の位置ですね)
この時点で、先ほどの竹の切れ端が鉾の車の下に噛ませてあります。
この辺りの写真は、全てクリックすると拡大されます。
(以降は書きませんが、すべでの写真が拡大可能です)


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こうして、「辻回し」の準備ができました。
すると、鉾の前に立たれた4人が団扇を掲げて
掛け声を挙げられました。


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「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、
曳き手の皆さんが真横から鉾を曳かれます。
すると竹の上の車輪が横滑りして、長刀鉾は左折しました。
これが、「辻回し」の手順です。


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長刀鉾は、約60°西に傾きました。
そこで、また最初から同じ手順を繰り返します。
1回の「辻回し」に約5分かかるので、
交差点を抜けるのに約15分~20分かかります。
これが、山鉾巡行に時間がかかる最大の理由です。

もちろん車輪を工夫すれば、
「辻回し」無しですぐに左折できます。
ただ、それでは面白味がありません。
敢えて「辻回し」で曲がることに意義があるのです。


324-25.jpg
そうこうしているうちに、後続の山鉾が来ました。
こちらは、「山1番」の孟宗山ですね。


324-26.jpg
ようやくこの交差点での2度目の「辻回し」の準備が整いました。
先導の4人が、また団扇を掲げて掛け声を挙げます。


324-27.jpg
再び「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、
横から鉾が曳かれ30°ほど西に左折しました。
これで、合計90°に左折しました。
普段ならもっと「辻回し」を繰り返すのですが、(4回くらい)
竹が濡れているので今年(2015年)は滑りがいいですね。
(普段は、水をまいてわざわざ竹を濡らします)


324-28.jpg
長刀鉾の下の方をアップで撮りました。
「辻回し」が終わり、
ここに竹の切れ端などの用具を入れていきます。


324-29.jpg
交差点に散らかっていた「辻回し」のための用具を
すべて鉾の下に収めると、
いよいよ御池通に向かって長刀鉾が進みます。
先導の4人が団扇を掲げて、前進の合図を送ります。


324-30.jpg
「エイヤラヤ~」の掛け声で、長刀鉾は御池通を西に進みます。
すると、長刀鉾の「祇園囃」がまたゆっくりとした曲に戻りました。
今年の長刀鉾の「辻回し」は、約15分でした。
たぶん、これは例年よりもずっと早いと思います。
先述の通り、雨天(暴風雨)は車輪の滑りがいいようです。


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長刀鉾が御池通を西に進み、京都市役所前を通り過ぎます。
次は、孟宗山の「辻回し」ですね。
これで、前祭23基のうち1基だけが「辻回し」を終えました。
これからまだまだ山鉾巡行は続くのですが、
写真をだいぶ貼り付けたので
続きは次回以降とします。

今回は、ここまでです。

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第325回 函谷鉾 月鉾辻回し~暴風雨の山鉾巡行~その2

324-31.jpg
「鉾1番」長刀鉾が辻回しを終え、御池通を西に進んでいきます。
祇園祭前祭参加の23基の山鉾のうち、
一つだけが辻回しを終えました。
ここから、どんどん山鉾が「京都市役所前」交差点にやって来ます。
今回は、そのうち「鉾4番」月鉾までの様子を書いていきます。
(まぁ、全体の1/3ですね)
撮影日は、2015年7月17日金曜日午前10時半。
この日京都を襲った台風11号の影響は、数日続きました。


325-2.jpg
長刀鉾が御池通を西に去った後、
次々と後続の山鉾が河原町通を北上してきます。
こちらは、今年(2015年)の「山1番」孟宗山ですね。

孟宗が母親のために筍を取りに雪山を彷徨う姿を描きます。
まぁ、中国で孟宗と言えば「親孝行の鑑」ですからね。
ちなみに、孟宗は陸遜などに仕えた「三国志」呉の文官です。


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孟宗山が、「京都市役所前」交差点に入ってきました。
すると、担ぎ手の方々が立ち止まり両手に力を込められます。


325-4.jpg
そして、担ぎ手の方々が孟宗山自体を持ち上げます。
車輪が宙に浮くので、これで方向転換ができます。


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孟宗山が西に90°左折すると、担ぎ手は山を下します。
この間、15秒でした。(前回ブログの長刀鉾は、約15分かかりました)


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孟宗山が御池通に去っていくと、
今度は「山2番」芦刈山が続きます。
「親孝行」の次は、「夫婦円満」を描いた山です。


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芦刈山も、「京都市役所前」交差点に入ると
担ぎ手が山を持ち上げられて方向転換しました。
この写真は、クリックすると拡大されます。
ここまでは、先ほどと同じなのですが……


325-8.jpg
そのまま着地することなく、
担ぎ手の方々が芦刈山をくるくると回転させました。
突然のパフォーマンスに、沿道の方々は拍手喝采です。
この写真も、クリックすると拡大されます。


325-9.jpg
回転は、約30秒続きました。
そして、芦刈山が着地すると御池通へと去っていきました。
この写真も、クリックすると拡大されます。


325-10.jpg
芦刈山の直後に、荷茶屋(にないじゃや)の担ぎ手が現れました。
こちらも、くるくると回転されていました。
もちろん、沿道の方々は拍手喝采です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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その次に現れたのは、「山3番」伯牙山です。
中国の箏の名手伯牙が、
友人の死を悼み愛用の箏を斧で叩き割る姿を描いています。
また、こちらの会所は市指定文化財「杉本家」ですね。


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伯牙山の「辻回し」は派手なパフォーマンスもなく、
約15秒で左折しました。


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伯牙山が、御池通に消えていきます。
こちらの見送りは見事なのですが、
ズームが間に合わず中途半端になりました。


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こちらは、御池通を約100m北上した河原町通です。
長刀鉾が行ってしまうと、
規制線付近のカメラマンもだいぶ数が減ります。
山鉾巡行はまだまだ続きますが、
ここで自分も規制線を回り込んで御池通西側に向かいます。


325-15.jpg
河原町通西側歩道に移動した辺りで、南を向きました。
次の「鉾2番」くじ取らず(順番が固定されています)の
「函谷鉾」が見えてきました。


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河原町通から、御池通を西に進んでいます。
市役所南側広場で、熱中症予防キャンペーンが行われていました。
まぁ、この豪雨で熱中症と言われても……


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そうこうしているうちに、函谷鉾の辻回しが始まりました。
まだ次の所定位置には着いていなかったので、
中途半端な写真になります。


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函谷鉾の囃手をアップで撮りました。
こうして撮ると、雨粒がはっきり見えます。
この日(2015年7月17日)は、
台風11号襲来でこの時点で大雨警報発令中です。


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函谷鉾の1度目の「辻回し」が終わりました。
人混みで、なかなか目的地に着けません。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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河原町通から、御池通を西へ約100m進み寺町通に来ました。
この辺りが、次の撮影ポイントです。


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寺町通から、御池通を西に向いています。
函谷鉾が、2回目の「辻回し」を終えました。
個人的には、東山を背景にしたこの角度が
一番鉾がきれいに見えると思います。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


325-22.jpg
御池通の桟敷席前に、函谷鉾の隊列が入ってきました。
函谷鉾は、中国の長安と洛陽の中間にある
「函谷関」という関所に由来します。
「史記」にここを強行突破する劉邦軍の話があります。


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函谷鉾が、御池通の桟敷席前を通り過ぎます。
左右に揺れながら勇壮な姿を見せますね。


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今度は、反対側の囃手をアップにしました。
函谷鉾の囃手は宵山になると四条通や烏丸通を練り歩かれるので、
祇園囃の中では一番耳に残っています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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函谷鉾も、御池通を西に進んでいきました。
この函谷鉾の辻回しも、約15分かかりました。


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その次は、「山4番」の油天神山です。
油小路綾小路下るの火尊天神の祠を乗せた山です。


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こちらが、油天神山です。
黒塗の胴掛が雨に映えますが、
豪雨の中では祠も黒い布に巻かれた状態でした。


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さらに、「傘鉾1番」の四条傘鉾が続きます。
この辺りに来たのは、こちらが目当ての一つでした。


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こちらが、四条傘鉾です。
「鉾」と言いながら、実は「山」よりも小さいです。
ただ最近は寄付もだいぶ集まってきましたので、
この部分を乗せて、大きな鉾にする計画が上がっています。
(応仁の乱以前の姿に戻るわけですね)


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四条傘鉾には、こちらの「棒振り踊り」の小学生が随行します。
こちらは「くじ改め」の際行われる踊りで、
以前はこちらの桟敷席前でも行われていたのですが、
今年(2015年)は特に何もなく素通りでした。


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さらに、「山5番」の占出山が続きます。
昨年(2014年)の「山1番」です。
「山1番」は縁起がいいので、どの山も狙っています。
(順番は、くじで毎年変わります)
この山は、神功皇后が朝鮮出兵の戦果を鮎で占ったことを描きます。


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占出山の水引は小倉百人一首が書かれていて、
宵山の際にはそれが人気を呼んでいます。
見送りも鮮やかなのですが、
この豪雨ではビニールシートの中ですね。


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その後ろから、「鉾3番」月鉾が姿を現しました。
「辻回し」を撮ろうとしたのですが、
なぜか周囲の方々が傘を高く掲げられて
上手く写真が撮れません……


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残念ですが、月鉾の辻回しの写真はこれ以上ありません……
月鉾の隊列が、御池通に入ってきました。
月鉾は、文字通り月の神様である月読命を祀っています。


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月鉾が、「辻回し」を終えました。
個人的には、一番美しい鉾だと思います。


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月鉾の天頂部分を撮りました。
鉾先が、三日月の形状をしています。


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「辻回し」の後始末も終え、曳き手の方々も所定位置に就きました。
先導役による扇子の合図と「エイヤラヤ~」の掛け声と共に、
月鉾が御池通を西に進み始めました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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勇壮な月鉾が、御池通を西に進んでいます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

これで、約1/3くらいの山鉾巡行が終わりました。
まだまだ続くのですが、
だいぶ写真を貼りつけたので続きは次回にします。

今回は、ここまでです。

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第326回 雨傘の海を渡る船鉾~暴風雨の山鉾巡行~その3

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御池通での祇園祭山鉾巡行見物も、半ばに差し掛かってきました。
月鉾の後から現れたのは、「山6番」蟷螂山です。
大きなカマキリのからくり人形が人気の山ですね。
今回は、この蟷螂山から最後の船鉾まで一気に紹介します。
撮影日は、2015年7月17日金曜日午前11時15分。
台風の影響は、むしろ夕方から夜にかけてが大きかったですね。


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こちらが、蟷螂山です。
いつもなら山に乗る牛車の上に
大きなカマキリがいらっしゃるのですが……
この日(2015年7月17日)の巡行には、いらっしゃいません!
まぁ、大雨警報発令中ですしね。
頭・前足・両羽が動くかなり精巧なからくり人形ですから、
この暴風雨では壊れてしまいますし……


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その次は、「山7番」木賊山です。
子供をさらわれた木賊刈りの老人を描いた山ですね。
木賊(とくさ)とは漢方薬にも使うシダ類ですが、
実は京都市街地のあちこちに生えています。
自生しているのではなく、ビルなどの緑地に植えられています。


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さらに、「山8番」山伏山が続きます。
平安時代に有名だった修験者(山伏)浄蔵貴所を祀っています。
法観寺の八坂の塔が傾いたのを法力で直すなど、
いろいろな伝説が残っています。


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山伏山の胴掛と見送りをアップで撮りました。
ただビニールシートで覆ってあるので、
本来の鮮やかさは分かりません。


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その後に、辻回しを終えた「鉾4番」菊水鉾がやって来ました。
町内にある「菊水の井戸」がその名前の由来です。


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菊水鉾の見送りを撮りました。立派な鯉の滝登りですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その後は、「山9番」郭巨山が来ました、
2年前、3年前「山1番」くじを引いた山ですね。
毎年、ウチで粽を買っている山でもあります。


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こちらが、郭巨山です。
貧困が原因で郭巨という中国人が自分の子を捨てようとしたところ、
そこから金が出てきたという故事に基づいています。
「金運」と「親孝行」を描いた山ですね。


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続いては、「傘鉾2番」綾傘鉾です。
綾小路沿いに会所があるほうの傘鉾ですね。
(会所は、普段は大原神社の京都出張所です)


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幟に続いて、綾傘鉾の登場です。
手前に、「棒振り踊り」の囃子手と踊り手が随行します。
暴風雨のせいか、こちらの傘鉾も
御池通では「棒振り踊り」をしません。
(今回の巡行の楽しみの一つでしたので、残念です)
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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さらに「山10番」太子山が続きます。
通常、山の天頂部は松の木が立てられるのですが、
こちらは杉の木を立てます。
山鉾の中では数少ない「受験の神様」で、
会所前には合格祈願の絵馬が林立します。


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そして河原町通の方角(東)を振り返れば、
「鉾5番」鶏鉾が辻回しを終えたところでした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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鶏鉾が、御池通を西に進みます。
そう言えば、この鶏鉾だけは名称の由来がよく分かりません。
ご神体は、「住吉さん」ですし……
この写真も、クリックすれば拡大されます。


326-15.jpg
鶏鉾が、寺町通の向こう(西)に、去っていきます。
胴掛や見送りに付けられた絨毯が見事ですが、
こちらもビニールシートの中です。
(まぁ、それだけ豪雨の中での巡行だったのです)
この写真も、クリックすれば拡大されます。


326-16.jpg
その後を「山11番」白楽天山が続きます。
白楽天とは、唐の3大詩人の一人白居易のことです。
(後の2人は、杜甫と李白)
そう言えば、この白楽天は文官としても有能でしたが、
明らかに後世の創作であるものも含めて
様々な伝説が付いて回る人です。
ある意味、中国版の小野篁ですね。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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続いては、「山12番」保昌山の登場です。
藤原保昌が恋人の和泉式部のために紫宸殿の梅を折ろうとした
そのエピソードをモチーフにしています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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保昌山が、御池通を西に進んでいきます。
恋愛成就が御利益なので、会所はいつもたくさんの方で賑わいます。
背を向けているのは藤原保昌の人形ですが、
こちら側から撮ると、ほとんど裏側になってしまいます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


326-19.jpg
さらに、「山13番」霰天神山(あられてんじんやま)の登場です。
町内の天神さんの祠がご神体です。
そう言えば、ここの会所の西隣にある中華料理屋の
浸みだれ肉まんがおいしいですね。
自分の祇園祭の楽しみの一つです。


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霰天神山が、御池通を西に進んでいきます。
こちらは「天神さん」なのに、「火災除け」のご利益があります。
前回ブログ紹介の油天神山と同じですね。


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いよいよ巡行する山鉾も、あと3基となりました。
ここからは、全て「くじ取らず」(順番が固定)です。
「鉾6番」放下鉾が、辻回しを終えました。
室町時代の芸能集団「放下僧」が、名称の由来です。
(僧の姿をして、大道芸を行った人々です)
この写真から船鉾までは、全てクリックすれば拡大されます。


326-22.jpg
放下鉾が、御池通を西に進んでいます。
元来は稚児姿のからくり人形三光丸が同乗しているのですが、
この暴風雨では姿も見えません。
こうして見ると、からくり人形は1体も巡行しませんでした。
他にも装飾品の簡略化が多かったように思います。


326-23.jpg
放下鉾が、寺町通よりも西に去っていきます。
随行する氏子さんも、この日ばかりは合羽姿ですね。
(写真ではわかりにくいですが、さらに大雨になってきました)


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その次は、「山14番」岩戸山が辻回しをしています。
こちらは「鉾」と同じくらい大きいのですが、
あくまで「山」ですので、天頂部は矛ではなくて松の木です。
このような「曳山」は、北観音山・南観音山など
後祭のほうに多く見られます。
そう言えば、いつの間にか東山の稜線が見えなくなりました。
(それくらい、雨が強くなってきました)


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辻回しを終えた岩戸山が、御池通を西に進んでいます。
「曳山」は天頂部以外は「鉾」と同じなので、
辻回しには「鉾」同様に時間がかかります。
その背後(河原町通付近)をよく見ると、
最後尾の船鉾が辻回しに入ろうとしていますね。


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岩戸山が、御池通の桟敷席前を通り過ぎます。
この山は、もちろん「記紀」の岩戸山伝説を題材にしています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴を恐れた
姉で伊勢神宮の御祭神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が
天岩戸(あまのいわと)の中に逃げ隠れたお話ですね。
天宇受売(あめのうずめ)の機転と田力男(たじからお)の怪力で
天照大神を天岩戸から出した後
天照大神は素戔嗚尊を出雲(島根県)に追放しました。

つまり、これは天然痘など疫病の神である素戔嗚尊(牛頭天王)を
追放するお話です。
天然痘を鎮めるためのお祭りに、このような山があること自体
とても呪術的な意味を感じます。


326-27.jpg
いよいよ最後尾の船鉾が、辻回しを終えました。
神功皇后が朝鮮半島に出兵した際に乗った
天鳥船(あまのとりふね)をモデルにしています。
前祭の最後尾「船鉾」は、出発を表しています。
(後祭の最後尾「大船鉾」は、帰還を表しています)


326-28.jpg
船鉾が、御池通を西に進んでいます。
この豪雨の中では、雨傘が欠かせません。
ですから、今回の巡行を撮影する際には
この雨傘が必ず写り込んでしまします。
「雨傘が、フレームに入ってくる」「もう、雨傘が邪魔」
自分の周囲にいらした方々も(ついでに自分も)
その雨傘をかなり面倒に感じていました。
ただ、こうして見るとたくさんの雨傘が暴風雨の荒波にも見えます。
その雨傘の波間を船鉾が通り過ぎていくのも、
かなり幻想的な光景です。
こういう時は、「大雨でよかった」と思ってしまします。
クリックすれば拡大されるのは、この写真までです。


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船鉾の後を、パトカーが続きます。
桟敷席の方々も、一斉に帰り始めました。


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パトカーが通り過ぎると、
「京都市役所前」(「御池河原町」)交差点に信号が灯りました。
すると、その背後から一般車両が入ってきました。
もう日常に戻りつつあります。
この写真も、クリックすると拡大されます。


326-31.jpg
撮影位置から、北を向きました。
京都市役所の前に、
地下鉄東西線「京都市役所前」駅の14番出口がありました。
では、ここから京都駅を目指して職場に戻ります。

今回は、ここまでです。

~次回から、後祭の宵山散策を始めます。
祇園祭は、まだまだ続きます~

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第327回 鈴鹿山と役行者山~後祭宵宵山散策~その1

また2015年も、祇園祭宵山の取材をします。
昨年(2014年)は前祭を散策しましたので、
今年(2015年)は後祭を回ります。
前祭の山鉾は24基あるのですが、後祭は11基しかありません。
(どちらも、休み山を含みます)
その分、ゆっくりと回りました。


327-1.jpg
またまた今年(2015年)も地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅に来ました。
後祭の山鉾の大半が、蛸薬師通以北に集中します。
今回は、この駅前の山鉾を回ります。
撮影日は、2015年7月22日水曜日午後4時半。
仕事帰りなので、この時間になりました。


327-2.jpg
今まで自分が乗っていた国際会館行きの地下鉄が
「烏丸御池」駅を出ていきます。
この駅は、このようにホームを電車が隔絶されて
安全に造られていますね。


327-3.jpg
地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅のホームを南下しています。
ここはかなり長いのですが、(100m以上)
うっかり北側に乗ってしまったのでだいぶ歩かないといけません。


327-4.jpg
地下鉄「烏丸御池」駅の最南端にエスカレータがあって、
そこを上ると三条通側の改札口があります。


327-5.jpg
改札を抜けて、右(西)を向きました。
では、この6番出口から地上に出ます。


327-6.jpg
先ほどの位置から階段を上りました。
目の前の6番出口から、地上が見えますね。
この日は台風はきていませんでしたが、
大雨注意報が発令中でした。


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地下鉄「烏丸御池」駅6番出口の前で、烏丸通を北に向いています。
決して大雨ではありませんが、そこそこの雨量で降っています。


327-8.jpg
その6番出口から、御池通方面(北)に約50m進みました。
烏丸通沿いに、鈴鹿山が立っています。
悪鬼を退治した戦女神の鈴鹿権現を祀っています。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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鈴鹿山の目から、北を向いています。
「姉小路烏丸」交差点南西角に、鈴鹿山の会所があります。


327-10.jpg
こちらが、鈴鹿山の会所です。
町衆の皆さんは、お話してちょっとだけ脇に外れてもらっています。
前掛けと見送りに挟まれて、額と掛け軸があります。
額には「瀬織津姫命」(鈴鹿権現のこと)と書かれており、
掛け軸には「祇園 牛頭天王」と書かれています。

八坂社や祇園社に祀られるのは、牛頭天王と呼ばれる牛鬼の王です。
天然痘をばら撒き多くの人々を殺していく中国由来の疫病神ですが、
同じく疫病神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同一視されます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


327-11.jpg
その脇に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらにも、お参りします。


327-12.jpg
そのお地蔵さんの脇に大きな祠があって、
そちらに鈴鹿権現のご神体がいらっしゃいます。
「祇園祭随一の美人像」と言われていますが、
ウチのブログでは毎回祠の前だけ撮ります。
では、向こうの姉小路側からここを出ます。


327-13.jpg
鈴鹿山の会所から、姉小路を東に向いています。
向こうの烏丸通の交差点の先に、新風館があります。
だんだんと日が傾いて、鈴鹿山の提灯に火が灯りました。


327-14.jpg
今度は同じ場所で、姉小路を西に向きました。
左(南)側の喫茶店は、第205回ブログで
お昼のお弁当を店頭販売していました。
では、こちらの方に進んでいきます。


327-15.jpg
鈴鹿山の会所から、姉小路を西に約30m進みました。
こちらは両替町通との辻です。
両替町通は三条通以北の道ですので、山鉾は立ちません。
ですから、ここは素通りです。


327-16.jpg
両替通から、姉小路を西に進んでいます。
頭上を見ると、提灯に「役行者山」と書かれていますね。


327-17.jpg
先ほどの写真にあった犬矢来の付いた町家をアップにしました。
こちらは、「永楽屋」という手拭い(和製タオル)のお店です。
また、この店舗が役行者山の会所を兼ねています。


327-18.jpg
その「永楽屋」の店舗は、姉小路室町の辻南東角にあります。
ここから、室町通側に役行者山の提灯が見えますね。


327-19.jpg
姉小路から、室町通を南に向いています。
役行者山は室町通沿いに立ちますが、
ほとんど姉小路に接するくらい近いですね。


327-20.jpg
役行者山の脇から、南を向いています。
「永楽屋」の入り口の脇に、会所への入り口があります。


327-21.jpg
役行者山の会所に向かっています。
入り口から、会所まで細長い土間が続きます。
京町家独特の「うなぎの寝床」ですね。


327-22.jpg
役行者山の会所に入ってきました。
こちらが役行者山の前掛け・胴掛け・見送りです。
この写真は、クリックすると拡大されます。


327-23.jpg
こちらが、ご神体の神像です。
左から、一言主神(ひとことぬし)・神変大菩薩・葛城神です。
神変大菩薩とは、役行者の仏としての名前です。

役行者は、本名役小角(えんのおづぬ)という飛鳥時代の人物です。
元は大和(奈良県)の地方豪族でしたが、
密教と山岳信仰を融合させた修験道という独自宗教を開きました。
荒唐無稽な伝承が多いので架空の人物と思われがちですが、
「続日本紀」(「日本書紀の」続編)にも出てくる実在の人物です。
この写真も、クリックすると拡大されます。


327-24.jpg
ご神体がいらっしゃる大きな祠の東側に、
「役行者の腰掛石」と言われる岩があります。
こちらに触れると、肩こりや腰こりにご利益があるそうです。


327-25.jpg
その岩の前で、西を向きました。
ここから室町通まで、一望できます。
前祭の霰天神山、後祭の鯉山などの会所が、
この役行者山と同じ形状をしています。
入り口から土間が一直線に貫いているのが、
京町家内部の典型例ですね。


327-26.jpg
役行者山会所前から、南を向いています。
では、ここから南下します。


327-27.jpg
ここは、役行者山の南側から見た室町通です。
現時点では唯の道ですが、
撮影日の次の日(7月23日の宵山)には聖護院の修験者がやってきて、
護摩焚供養を行います。(第138回ブログ参照)


327-28.jpg
こちらは、先ほどの写真にも写っていた京町家です。
黒塗りで、なかなか見事な構えですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


327-29.jpg
その黒塗りの京町家の斜め向かいにも、
手拭いの「永楽屋」の店舗があります。
確かこちらが本店だったと思います。


327-30.jpg
「永楽屋」の玄関先には、手拭いが展示されています。
ここの手拭いは、単なる「タオル」としての機能もありますが、
美術品として室内に飾ることもできます。
では、ちょっとここに寄っていきます。


327-31.jpg
「永楽屋」1Fの売り場を通り抜け、2Fの奥にやって来ました。
店員さんの許可を得て、この奥を撮影します。
祇園祭宵山の楽しみは、各会所回り以外にも
周辺の店舗内を訪れることも含まれます。


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祇園祭期間中は、各店舗がそれぞれの家宝や美術品を展示します。
バブル崩壊(1991年)以降そのようなこともだいぶ減りましたが、
この「永楽屋」はまだまだ展示を続けています。
こちらは江戸時代から続く手拭いの製造販売のお店です。
ですから、こちらは昔から「手拭いの美術展」を開いています。
向こうの1本1本が手拭いでできています。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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こちらのさらに奥の部屋も、「手拭いの美術展」が開かれています。
向こうの部屋は祇園祭中心でしたが、こちらはいろいろです。
手拭い以外にも、こちらには屏風も展示されています。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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その二つの部屋には壁がなく、向こうを見ることができます。
奥のモニターでは、手拭いの機織りから染付までの行程を
MCと職人さんが説明していました。
手前には、懐かしい5つ玉の算盤が展示されていました。
ウチも古い商家なので、何竿か残っています。


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一番奥の壁には、こちらが展示されていました。
もうこうなると、手拭いというよりも布製タペストリーですね。
実は、ウチも鯉山の手拭いを部屋に飾ったりしています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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「永楽屋」の前で、室町通を南に向いています。
向こうに、三条通が見えますね。


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「永楽屋」の前から、室町通を南に約50m進みました。
目の前に三条通との辻があります。
その向こうに見えるのが黒主山ですが、
そちらにはまた別の回に行きます。

今回は、ここまでです。

~次回は、鷹山と八幡山に向かいます~

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第328回 鷹山と八幡山~後祭宵宵山散策~その2

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三条通から、室町通を南に向いています。
ずっと先に、黒主山の会所が見えますね。
今回は三条通にある鷹山(休み山)に向かい、
その後新町通にある八幡山に向かいます。
撮影日は、2015年7月22日水曜日午後6時。
ちょっとずつ雨が止んできました。


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室町通から、三条通を東に向いています。
約150m先に烏丸通があって、
2012年はここを通って地下鉄「烏丸御池」駅に向かいました。
(「三条烏丸」交差点から北に約50m進むと、
地下鉄「烏丸御池」駅6番出口に着きます)


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今度は室町通から、三条通を西に向きました。
実は鷹山の会所が写っているのですが、
この角度からは分かりにくいですね。


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「三条室町」の辻の北西角は、「京都医健専門学校」です。
10年くらい前まではこちらに休憩所が設けられていましたが、
(この施設が、自主的に祇園祭中は開放していました)
ここ数年はそのようなことを行っていません。
また祇園祭中は施設内に様々な絵画が展示されますが、
施設内でそれらを鑑賞することも今は禁止されています。


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その専門学校の向かい(南)側に、
「大学堂」という眼鏡屋さんがあります。
そして、この店が鷹山の会所になります。
鷹山は、会所のみで山を立てたり巡行したりはしません。
このような山を「休み山」といます。
大船鉾が巡行するようになった2014年以降で
休み山なのは、ここと布袋山のみです。

鷹山は、鷹匠と鷹を描いた山です。
元々は大船鉾の直前に出てくる(つまり、「くじ取らず」)
かなり大きな曳山でした。
それが江戸時代後期の1826年に大雨で装飾品が汚損して以来、
「休み山」となったうえに、
1864年のどんどん焼けのために
ご神像などを残し大半が焼失してしまいました。


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鷹山の会所の前から、三条通を西に向いています。
右(北)側は、まだ専門学校のの施設が続いています。


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鷹山の会所から、三条通を西に約30m進みました。
こちらは、「三条衣棚」の辻です。


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その辻に、こちらが植えられていました。
この植物が、木賊(とくさ)です。
漢方薬にもなるシダ類で、前祭に「木賊山」がありましたね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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三条通から、衣棚通を北に向きました。
この辺りは、室町時代(14世紀前後)に「衣座」がありました。
衣服の商取引を独占していた組合ですね。
そう言えば、少し西に行ったところにも「釜座」がありました。
この辺は、かつて「座」が多くあった所です。


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その辺りの地面を見ました。雨の中、地面が濡れています。
三条通は、このように辻ごとに
このようなプレートが埋められています。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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衣棚通から、三条通を西に約20m進みました。
昨年(2014年)、この位置に屋台村がありましたが、
今年(2015年)はこちらで鷹山の粽が売られています。
粽以外にも、なぜか「わらび餅」もありました。


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その鷹山の粽が売られているところから、三条通を西に向きました。
目の前に、新町通との辻が見えます。
自動車やトラックで見えませんが、本来ならこの先に
第323回にも出てきた三条会商店街の東端が見えます。


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そして、こちらが「三条新町」の辻の北東角にある洋菓子店です。
このトゥレ・ドゥーは個人的には「京都で一番おいしい」お店です。
祇園祭期間中は露店を出していたのですが、
ここ数年それもやめているようです。


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三条通から、新町通を南に向きました。
ここから、八幡山が見えますね。
つがいのハトが染め上げられた垂れ幕が見えますが、
2012年に訪れたときはありませんでした。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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三条通から、新町通を南に進んでいます。
こちらは途中にあった飲食店ですが、
この辺の商店舗の全てがこのような垂れ幕を付けていました。


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こちらの京町家は、2012年もこのように装飾されていました。
では、この窓から家の中を覗きます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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こちらが、その窓から中を見た様子です。
絨毯の上に、鶴と雲龍の屏風が並びます。
箏の脇には、祇園祭の象徴であるヒオウギが生けてあります。
祇園祭期間中は、京町家の何軒かは家伝の美術品を展示します。
昔は家の中まで入ってこれらを見ることができたのですが、
最近は大半の家で中に入ることができなくなりました。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その向かいの京町家も、書画の展示をされています。
こちらも、2012年にも展示されていました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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それらの京町家の前から、新町通を南に向きました。
目の前に、八幡山が見えますね。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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八幡山の南側で、東を向きました。
こちらは、八幡山の会所です。


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八幡山の会所も、長い土間の先にあります。
ただ、その土間もコンクリートで固められていて
細長い駐車場のようでした。
こちらには、八幡山の前掛けや見送りなどの装飾品が並んでいます。
奥には、八幡宮の祠がいらっしゃいます。
この八幡山は、この町内に鎮座されていた
八幡宮をそのまま山にしました。
(前祭の油天神山・霰天神山と同じパターンですね)
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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その向かいに、こちらの八幡宮がいらっしゃいます。
元々はこちらの八幡宮の祠を山鉾巡行に出していましたが、
古くなったので先の祠が新調されました。
(巡行の際に、ご神体を移されるようです)
この写真も、クリックすると拡大されます。


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八幡宮の脇に、こちらが展示されていました。
「洛中洛外図屏風」のようですが、
こちらは海北家の方が書かれたものです。(友松?友雪?)
以前は、この辺の町家は狩野派や土佐派の絵画を
当たり前のように所有していました。
バブル崩壊(1991年)後、それが極端に減ったのは
大半が他所に売られたのでしょうね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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では、この八幡山会所を出ます。
前回ブログに出てきた役行者山の会所と似ているようで、
いろいろ違いますね。


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八幡山から、新町通を南に向いています。
では、ここを進んでいきます。


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八幡山から新町通を10mほど南に進みました。
この屏風は、尾形光琳の模写です。
とは言え、その模写した人物が円山応挙だと
単なるコピーではなくなってしまします。


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その屏風の前に、こちらが生けてありました。
こちらも、祇園祭の象徴ヒオウギですね。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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新町通を南に進み、六角通との辻に出ました。
目の前に北観音山が見えますが、
先に六角通を東に進みます。
そう言えば、黒主山もまだ見ていませんし……


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新町通から、六角通を東に向いています。
ずっと先に、浄妙山が見えますね。
では、ここを進んでいきます。


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新町通から、六角通を東に進んでいます。
こちらの茶わん屋さんは、先ほどの写真にも写っていました。
ショウウィンドウに山鉾巡行を描いた屏風と
ヒオウギが飾ってありますね。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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その茶わん屋さんから、六角通を東に約10m進みました。
普段からこのテントで生魚を売っていますが、
この日はお酒とおつまみも売っていました。
後祭は、アルコールとその肴の露店が多いですね。


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新町通から、六角通を東に約100m進みました。
ここで、六角通は室町通を交差します。
正面(東)の六角通沿いに浄妙山が見えますが、
左(北)に黒主山、右(南)に鯉山があります。
次はこれらの山を回りますが、もうだいぶ写真を貼りつけました。
今回は、ここまでとします。

~次回は、黒主山→浄妙山→鯉山の順に回ります~

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第329回 黒主山 浄妙山 鯉山~後祭宵宵山散策~その3

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六角通を東に向いています。目の前で、室町通と交差しています。
左(北)に向かうと黒主山が立っており、
正面(東)には浄妙山、右(南)には鯉山が立っています。
今回は、それらの山を見て回ります。
撮影日は、2015年7月22日水曜日午後6時半。
だんだんと雨が止んできました。


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六角通から、室町通を北に向きました。
先ずは、黒主山に向かいます。


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こちらが、黒主山です。
「黒」主山だけに、真っ黒な山ですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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黒主山には、このように桜の造花が掲げられます。
謡曲「滋賀」にあるように、
この山は歌人大友黒主がこの桜を見上げる場面を描いています。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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黒主山の会所の中に入りました。
正面で一番目を引くのは、ご神体の大友黒主像です。
ちょうど桜を見上げる格好になっていますね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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先程と同じ場所で、ズームを引きました。
会所には多くの方々がいらして、
この山の謂れを聞かれていました。


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この山は「黒」主山なだけに、一面黒塗りが特徴です。
山自体も黒いのですが、ここで売られる粽や団扇も
何でも黒く塗られています。
ですから、会所内で売られている生八つ橋も
黒ゴマ味の真っ黒けでした。


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一箱(10個入り)を買ってきました。
こちらは祇園祭限定品で、黒主山会所のみの販売になります。


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こちらは帰宅後、抹茶を点てて頂きました。
食感は普通の生八つ橋ですが、
食べている間に口の中にゴマの香りが広がりました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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黒主山を出て、室町通を南に向いています。
山も格子も、黒く塗られていますね。


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室町通を南に進み、六角通の前に戻ってきました。
真正面に鯉山が見えますが、先に東の方に進みます。


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室町通から、六角通を東に向きました。
では、先にこちらの浄妙山に行きます。


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室町通から、六角通を東に約20m進みました。
お地蔵さんの脇に、浄妙山の会所があります。


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浄妙山の会所の前から、六角通を東に向きました。
向こうに、浄妙山が見えますね。


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こちらが、浄妙山です。
辺りが暗くなってきたので、提灯に火が灯ります。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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浄妙山の脇に、こちらの町家が並んでいました。
外見からは分かりにくいですが、こちらは割烹料理屋さんです。
最近京町家は、このように飲食店に改装される例が多いですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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では、浄妙山の会所に入っていきます。
だんだん暗くなってきて、ちょっと写真がぼけてしまいました。


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こちらが、浄妙山のご神体一来法師(左)と浄妙(右)です。
こちらは、平安時代末期の宇治川の戦いを表しています。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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こちらは、浄妙山の山鉾巡行の様子です。
浄妙の頭上に、一来法師が片手で止まっています。
一番乗りを目指した浄妙が、
寸前で一来法師に先を越された姿を表しています。
あと一歩で褒賞を逃した浄妙ですが、
一来法師もこの直後に源義仲軍に打ち取られました。


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浄妙山の会所の前で、六角通を西に向きました。
では、また「六角室町」の辻に戻ります。


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六角通から、室町通を南に向いています。
ここから、鯉山が見えますね。


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六角通から、室町通を南に約10m進みました。
こちらは、左(西)側に見えるオフィスビルです。
ここの駐車場で、昨年(2014年)「屋台村」を出していました。
今年(2015年)出していないのは、この雨だからでしょうか?


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その南隣に、呉服屋さんのオフィスビルがありました。
こちらでは、自社製品の安売りを行っています。
祇園祭の鉾町は、西陣織などの呉服屋さんが中心です。
ですから、宵山期間中はあちこちで呉服の安売りが行われます。
むしろ、そちらが目当てで祇園祭に来られる方もいらっしゃいます。


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その呉服屋さんの前から、室町通を南に向きました。
目の前に、鯉山が立っていますね。


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こちらが、鯉山です。
向こうに鳥居が見えますが、その辺りにご神体の鯉が載ります。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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その鯉山の脇から、鯉山の会所に向かいます。
祇園祭で一番人気のある山なので、この賑わいです。


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鯉山の会所も、細長い土間の先の奥まった場所にあります。
第327回ブログに出てきた役行者山の会所と構造が似ていますね。


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そして、こちらが鯉山の会所です。関連グッズもよく売れています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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鯉山の会所の一番奥(東)に、延命地蔵尊の祠がいらっしゃいます。
こちらにろうそくを立てて、お参りしました。
またその脇に小学生の集団がいらして(フレームの外です)
「チマキ買うてんか~」
という童歌を歌っていらっしゃいます。
この歌は祇園祭の名物で、
実は各町内で微妙に歌詞が違います。


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鯉山の会所の東側に、こちらのご神体がいらっしゃいます。
鯉山は、「登龍門」を表しています。
鯉が滝を上って龍になるというめでたい故事ですね。
このご神体は、左甚五郎の作と言われています。
ちなみに、重要文化財に指定されています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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こちらが、鯉山の会所の様子です。
「登龍門」の額の下に、前掛け・胴掛・見送りが陳列されています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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鯉山の前掛けをアップで撮りました。
こちらは、18世紀にベルギーで作られたタペストリーを
ノミで切り取って使われています。
まだまだ現役で巡行しており、重要文化財に指定されています。
……実は、ここに来る大半の方々がこちら目当てです。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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まぁ、それだけ人気の鯉山ですから関連グッズも充実しております。
ベルギー製の装飾品関連も多いのですが、
3年前同様にこちらを買いました。
ビニール製の袋には、
「神蔵」という酒造メーカーの銘がが書かれています。
このお酒は、次回ブログで出てきます。


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袋から、中身を出しました。「登龍門」の銘が入った手拭いです。
もちろんお風呂に入ったときにも使えますが、
ウチではこの手拭い自体をタペストリーとして使っています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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鯉山の前で、室町通を南に向きました。
この先に、蛸薬師通があります。
これで半分以上回ったことになりますが、
まだまだ回っていない山鉾も残っています。
ただ今回もだいぶ写真を貼りましたので、
今回はここまでとします。

~次回は、蛸薬師通の山鉾を回ります~

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第330回 橋弁慶山 布袋山~後祭宵宵山散策~その4

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鯉山の前で、室町通を南に向いています。
今回は、この南側に東西を貫く蛸薬師通の山鉾を散策します。
撮影日は、2015年7月22日水曜日午後6時45分。
そろそろ日が沈みます。


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鯉山の前から、室町通を南に約20m進みました。
飲食店前にテントがあり、そこで唐揚げやビールが売られています。
祇園祭後祭では露店商が屋台を出すことは禁止されてますが、
飲食店がこのように露店を出しています。


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こちらは、その露店の向い(東)側です。
ビルの1Fにテナントが何軒か入っています。
手前は、鯉山ご用達の「神蔵」というお酒のテナントです。
ちょっと奥のほうのお店に寄ってみます。


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そのお店に、こちらの屏風が飾ってありました。
手前には、祇園祭の象徴ヒオウギが生けてあります。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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そして、こちらには長刀鉾の模型が飾ってありました。
「近くの鯉山ではないのですか?」
そう尋ねたら、権利関係でそれはできないとのことでした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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次は、「神蔵」のテナントに入りました。
ここでは、宵山の時期限定でコップ酒が売られていました。
大吟醸が、コップ1杯500円ですね。
ここからは、これを飲みながら散策を続けます。


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今度は「神蔵」大吟醸を別角度から撮っています。
程よく発酵しているのか、細かい泡が立ちます。
甘さと辛さのバランスが、絶妙ですね。


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その「神蔵」のテナントの前から、室町通を南に向いています。
目の前に、蛸薬師通との辻があります。


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蛸薬師通から、室町通を南に向いています。
前祭では、ここに山伏山が立ちました。
室町通には、ここから南にもう山鉾は立ちません。


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室町通から、蛸薬師通を東に向きました。
ここから東に、橋弁慶山が立ちます。


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室町通から、蛸薬師通を東に約30m進みました。
こちらの京町家は、呉服屋さんと小間物屋さんです。
小間物屋さんの方は、お客さんがだいぶ入っていて賑やかです。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その京町家から、蛸薬師通を東に向きました。
では、橋弁慶山に向かいます。


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橋弁慶山の東側に、橋弁慶山の会所があります。
こちらは、その2Fの様子です。
弁慶(左)と牛若丸(右)のご神体が並んでいて、
小屋根がまるで五条大橋の欄干に見えます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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会所の1Fには、橋弁慶山の巡行の様子が飾られています。
切りかかる弁慶を身軽な牛若丸が、
五条大橋の欄干を飛び移って躱しています。

橋弁慶山は、弁慶と牛若丸との「五条大橋の決闘」を表しています。
この決闘に負けた僧兵の弁慶は、
牛若丸(後の源義経)の忠実な家来となり
平安時代末期の「源平の合戦」では大活躍しました。
ただ、弁慶は源義経が兄源頼朝と対立してからは東北に逃れ、
源義経が自決する際には身を挺して主君を庇い、
最後は全身に矢を浴びて討死しました。
(これが有名な「立ち往生」ですね)


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会所の1Fには、こちらの装飾品が展示されてあります。
黒漆が塗られた五条大橋の欄干が見事ですね。
この写真もクリックすれば拡大されます。


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橋弁慶山の会所の前で、蛸薬師通を東に向きました。
目の前に、「蛸薬師烏丸」交差点が見えますね。
右(南)側の赤レンガの建物は、元々北國銀行京都支店でした。
3年前は、ここにレストランが入っていて、
名物の賀茂ナスバーガーが売られていました。
その店も2年前には閉店してしまい、今は空屋です。


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同じ場所で、蛸薬師通を西に向きました。
では、橋弁慶山を越えて室町通の方に戻ります。
ちなみに、大半の方々が右(北)を向いているのは、
そちらに橋弁慶山の会所があって、
先ほどのご神体を眺めておられるからです。


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橋弁慶山の西側から、蛸薬師通を西に向いています。
室町通まで、もうあと少しです。


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こちらは、「蛸薬師室町」の辻の南東角です。
オフィスビル前の駐車場に、露店が出ています。
ちょっと興味が魅かれますが、この時点で片手にコップ酒です。
だいぶ酔ってきたので、今年(2015年)は素通りです。


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蛸薬師通を西に向いていて、目の前に室町通が見えます。
もう室町通の山鉾はすべて回ったので、
このまま蛸薬師通を直進します。
写真は見にくいのですが、電柱の陰にラムネの露店が出ていました。
飲み干してからになったお酒の入っていたコップを渡して、
代わりにラムネを1本貰いました。
何でも今年(2015年)は雨模様で、
売り上げは昨年(2014年)を大きく下回っているそうです。


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室町通から、蛸薬師通を西に向いています。
この辺りには元々山鉾は立ちませんので、
ただの平日の夕方みたいです。


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ただ、このようにオフィスの駐車場に露店が立って、
ビールや唐揚げが売られています。
祇園祭の後祭の露店は、呑み屋さんが大半ですね。


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その西隣のお店では、このような看板が出ていました。
ちょっと興味がありますが、
この時点で結構酔っぱらっていますので、また次回にします。


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室町通から、蛸薬師通を西に約150m進みました。
この先に、新町通との辻が見えます。
この辺りに、布袋山の会所があったはずなのですが……


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こちらは、その辺りにあるお店です。折り紙屋さんのようです。
気に入ったので、1枚撮りました。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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だいぶ酔っぱらっていて、写真もブレています。
先ほどの写真に写っていたこちらが布袋山の会所でした。
(今別の方が立っていらっしゃる家です)
確かに布袋山は休み山なのですが、
それにしてもひっそりとしています。
そこで、ここに立ち寄って中にいらした方と話し込みました。

布袋山は、前祭の山鉾だそうです。
前祭と後祭の境目は蛸薬師通なのですが、
蛸薬師通の南側に立つのは前祭(布袋山のことです)
北側に立つのが後祭になります。(橋弁慶山のことです)


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その後布袋山会所にいらした方と意気投合し、
約30分にわたって立ち話をしました。
まぁ自分も相当酔っていて、かなりべらべら喋りました。
とりあえず自分の身分とこのブログのことを話すと、
名刺とこちらの朱印を頂きました。
この写真はクリックすると拡大されます。
名刺は個人情報のかたまりなので、掲載しません。
その代わり、その名刺に乗っていた布袋山のサイトを載せます。
詳しくは、ここをクリックしてください。
そうそう、ここの方と相互リンクの約束していました!
まだ貼り付けていないので、一両日中に貼り付けます。


330-28.jpg
こちらは、その布袋山会所の方から頂いた
江戸時代初期の前祭山鉾巡行のくじの結果です。
(古文書をコピーしていただきました)
こちらを見ていると、いろいろ面白いことが分かります。
例えば、菊水鉾や鶏鉾は全て「山」と表記されています、
(「鉾」は、長刀鉾くらいです)
また2基の傘鉾も、「傘はやし」と表記されています。
そして、伯牙山が「箏はり山」保昌山も「はなぬすびと山」と
現在と名称が異なります。
さらに、「だるま山」など明らかに現存しない山もあります!
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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布袋山の会所前から、蛸薬師通を西に向きました。
長い間話し込んでいたので、もう日が暮れてしましました。
目の前に新町通との辻がありますね。


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新町通から、蛸薬師通を西に向いています。
ここから先には、もう山鉾は立ちません。
ここをずっと進むと、第323回ブログの最初の場所に出ます。


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蛸薬師通から、新町通を北に向きました。
目の前に来観音山が立っています。
ただ、もうだいぶ写真を貼りつけたので、
今回はここまでとします。

~次回は、北観音山と南観音山を回ります~

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第331回 二つの観音山~後祭宵宵山~その5

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蛸薬師通から新町通を北に向き、北観音山を見ています。
前回ブログで意気投合した布袋山保存会での立ち話が長すぎて
とうとう日が暮れてしましました。
今回は、北観音山と南観音山を回ります。
撮影日は、2015年7月22日水曜日午後7時半。
もう2回ほど、祇園祭宵宵山散策は続きます。


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蛸薬師通から、新町通を北に約10m進みました。
こちらの京町家は、飲食店のようですね。


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その飲食店の前から、新町通を北に向いています。
日が暮れると、ウチのカメラでは遠景が真っ暗になります……
ただ山鉾はたくさんの提灯が付いているので、
何とか撮影することができます。


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こちらは、この辺りの呉服屋の内部です。(玄関から撮っています)
3年前とはまた違う装飾が施されていますね。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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さらに呉服屋さんから、新町通を北に向きました。
では、いよいよ北観音山の許に進みます。


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北観音山に囃子手が乗り込み、祇園囃を演奏しています。
日が暮れて少しだけでも涼しくなってきたので、
ちょっと立ち止まって聞いていきます。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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北観音山から、新町通を北に向いています。
この先に見えるのは、第328回ブログで出てきた八幡山ですね。


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今度は、北側から北観音山を見ています。
ビニールシートが張られているとはいえ、
雨模様の中でもしっかり装飾品は付けています。


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北観音山は、辻回しができるほどの大きな曳山です。
左(東)側の会所から、山に上がることができます。
ただ料金が高いので、今回は遠慮します。


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北観音山の南側から、新町通を南に向いています。
蛸薬師通の向こうに、南観音山が見えますね。


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新町通から、蛸薬師通を西に向いています。
ここより西に、祇園祭の山鉾は立ちません。
自動車が1台やっと通れるかどうかの道幅ですが、
三条通と四条通の中間にある「幹線道路」と言えます。


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蛸薬師通から、新町通を南に向きました。
では、向こうに見える南観音山に向きます。


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蛸薬師通から、新町通を南に進んでいます。
小さな社の右(南)側で、呉服店がバーゲンセールをしています。
(祇園祭期間中には、よくある光景です)
そう言えば、3年前はこの社の北隣にある小間物屋で
麻でできた暖簾(のれん)を買いました。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その向かい(東)側に、浄土真宗大谷派瑞蓮寺があります。
近江(滋賀県)の戦国大名浅井長政の一族浅井寿好が
浅井氏滅亡後京都に落ち延びて
現在の堀川通三条下がるに一族の菩提を弔う寺院を建立しました。
それが、この寺院の縁起です。
後に、あちこち移転を続けて1956年に現在の位置となりました。


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先ほどの呉服屋さんの南隣の小間物屋さんに、
祇園祭山鉾のミニチュアが並んでいます。


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こちらが、その山鉾のミニチュアです。
長刀鉾や役行者山・月鉾・船鉾など、前祭のものが多いですね。
そう言えば、3年前にもここに寄りました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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山鉾のミニチュアが立っていた小間物屋さんの向かい(東)に、
こちらのテントが立っていました。
どうやらここの飲食店がビールサーバーを外に持ち出し、
生ビールと唐揚げの店頭販売をしているようです。
……しかし、ここの露店は本当に酒類と肴しか売っていませんね。


331-18.jpg
同じ場所から、新町通を南に向いています。
こちらは、南観音山ですね。
北観音山同様に、かなり大きな曳山です。
山の上には、ご神体の楊柳観音がいらっしゃいます。
(北観音山にも、楊柳観音がいらっしゃいます)
この写真も、クリックすると拡大されます。

祇園祭後祭の山鉾は蛸薬師通以北に立ちますが、
この南観音山とずっと南に位置する大船鉾の2基が
例外になります。
大船鉾は宗教上の理由で、
山鉾巡行の最後である必要があります。
(大船鉾は、神功皇后の凱旋帰還を表しています)
一方、南観音山は北観音山との関係性から
わざわざ後祭に回った経緯があるそうです。
(布袋山保存会の方が教えてくれました)

以前、自分はケンさんが運営されている
京都に夢中!古都・京都・お祭りナビ」というブログに、
「あばれ観音という行事があるくらいだから、
二つの観音山町は不仲なのでしょうか?」
というコメントを書いたことがあるのですが、
本当はとても親密のようです。


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山鉾のミニチュアが立っていた小間物屋さんの南隣で、
南観音山の粽や関連グッズを販売していました。
なかなか賑わって、結構売れていたようです。


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南観音山も、北観音山と同じくらい大きな曳山です。
ですから、こちらも料金を払えば上に上ることができます。
こちらも自分の懐具合が理由で、今年(2015年)も上りません。


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こちらは、南観音山の脇にある呉服屋さんです。
商品である反物があちこちに転がっていて雑然とした印象ですが、
背後に置かれた屏風や襖は、とても見事なものです。
「さすが祇園の町衆だ」と思います。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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南観音山の南側に来ました。
通行人が右(北)側の南観音山を眺めていらっしゃいます。
向こう(西)に、団扇がたくさん展示してあります。
そう言えば、3年前のウチのブログにもここは出てきました。


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さらに新町通を南に進み、錦小路との辻に来ました。
ずっと向こう(南)に大船鉾の提灯がかすかに見えますが、
ここ以南に他の山鉾は立ちません。


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新町通から、錦小路を西に向きました。
前祭ではここから約100m先の西洞院通に
人気の蟷螂山が立ちますが、後祭では何もありません。


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今度は、新町通から錦小路を東に向いています。
前祭には、ここから約50m先に霰天神山が立ちます。
霰天神山会所の西隣に
「膳處漢ぽっちゃり」という中華料理屋があるのですが、
祇園祭前祭期間中は浸みだれ肉まんの露店を出します。
毎年これが祇園祭の楽しみなのですが、
さすがに後祭には露店は立っていませんでした。


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錦小路から、新町通を南に向いています。
四条通の先に、小さく大船鉾が見えます。
前祭ならここに放下鉾が立って賑やかなのですが、
後祭では人通りも少なく寂しい印象があります。


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前祭で放下鉾が立つ辺りに、こちらのイタリア料理店があります。
この辺りの飲食店は京町家を改装したものが多いのですが、
ここはその中でも古参の店です。
祇園祭期間中は、ここでイタリアワインのコップ売りを行います。
一時期はそれが楽しみで祇園祭に来ていたころもあったのですが、
今年(2015年)はもう酩酊していますので、また来年に来ます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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一方、新町通の向かい(西)側には
生ビールと唐揚げの露店が立っていました。
ここは、ビール会社が直営しています。
他にも、近くには伏見の酒造メーカーも露店を出していました。


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イタリア料理店の南隣に、また小間物屋さんがありました。
こちらの山鉾のミニチュアは、全て売り物だそうです。
左から、長刀鉾→孟宗山→芦刈山→伯牙山と続きます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


331-30.jpg
……と続き、船鉾で終わります。
さらに後祭は、橋弁慶山→北観音山と続きます。
よく考えたら、今年(2015年)の巡行順ですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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新町通を南に進み、「四条新町」交差点に出ました。
このカメラだと、夜はぼんやりとしか写りません……


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新町通から、四条通を東に向いています。
前祭では、近い順に月鉾→函谷鉾→長刀鉾が見えます。
この日(2015年7月22日)も、夜になると
繁華街独特の賑やかさを見せます。


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今度は新町通から、四条通を西に向きました。
前祭では、近い順に郭巨山→四条傘鉾が見えます。
この辺りは、夜になると「呑み屋街」になります。


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四条通から、新町通を南に向いています。
目の前に、大船鉾が見えますね。
ただ、今回はもうだいぶ写真を貼りつけたので、
ここまでとします。

~次回は、大船鉾に向かいます。
それで、祇園祭後祭全山鉾制覇になります!~

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第332回 大船鉾 綾傘鉾~後祭宵宵山散策~その6

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四条通から、新町通を南に向いています。
目の前に見えるのは、今年の散策の最後となる大船鉾です。
今回は大船鉾に立ち寄った後、綾傘鉾経由で帰ります。
撮影日は、2015年7月22日水曜日午後8時。
これで、今年の祇園祭散策は終了です。


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四条通から、新町通を南に進んでいます。
この辺りで、「京都市中京区」から「京都市下京区」に変わります。
いよいよ大船鉾に参ります。


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四条通から、新町通を約20m南に進みました。
大船鉾の北側に、「四条町大船鉾」とあるテントが張ってあります。
こちらで、大船鉾の粽や関連グッズが販売されていました。


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そちらのテントで、こちらを買いました。
そう言えば、鷹山のわらび餅・黒主山生八つ橋など
今年(2015年)の祇園祭会所では、和菓子がよく売られていました。
しかも、京都でも有名どころの和菓子屋が
前面に出ていることが多かったですね。
ちなみに、このお菓子も若菜屋が販売していますね。


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黒い箱を開けると、こちらが入っていました。
形状は違いますが、要するに「三笠まんじゅう」です。
ただし、中は小豆餡ではなく「牛皮」です。
しかもその牛皮にはシナモンが入っていて、
独特の食感と香りが特徴的でした。
この写真は、クリックすると拡大されます。


332-6.jpg
大船鉾のテントの左(西)側に、大船鉾の会所があります。
たくさんの方々がいらして全然見えませんが、
中では小学生が「粽買うてんか~」を歌っています。
実はこの後中の様子も撮れたのですが、
後でよく考えたら近所の小学生の顔が
識別できるレベルでアップで写っていました。
ですから、会所はこの写真だけにします。

3年前に宵山散策した際に大船鉾会所の内部を撮りました。
こちらのご神体は神功皇后で、
この鉾は朝鮮半島からの凱旋帰国を表しています。
祇園祭の山鉾巡行では必ず最後尾に立つのも、
そういう縁起からです。


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では、これ以上会所には行かないので、
ここから大船鉾の脇を通り抜けます。


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こちらが、大船鉾です。
胴掛が縦じまですが、前祭の船鉾は横じまです。
「大」船鉾と言いますが、船鉾よりも一回り小さいですね。
この写真も、クリックすれば拡大できます。


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こちらが、大船鉾の最後尾「舵」(かじ)の部分です。
船鉾の舵は朱漆塗りなのですが、
大船鉾のものは黒漆塗りです。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


332-10.jpg
大船鉾の南側に、長い行列ができています。
こちらは、大船鉾の上に上る希望者の列ですね。
ここが最後尾なのですが……どうも1時間以上待ちのようです。
この日(2015年7月22日)は家族連れだったので、
今回は諦めました。


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その辺りの新町通の東側歩道です。ここも、飲食店ですね。
最近堀川通以東の綾小路近くに、
少し値段が高めの飲食店が急増しています。


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新町通を南下して、綾小路との辻に来ました。
前祭ではここより南に船鉾が立つのですが、
後祭のこの日(2015年7月22日)はただの暗い夜道です。

ウチのカメラは日光などの光量が少ないとブレたりボケたりします。
ここからはそういう写真が急増しますが、ご了承ください。


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新町通から、綾小路を東に向きました。
やはり夜間なので、写真がボケてしまいました。
この辺りも人通りがそこそこありますが、
大船鉾目当てというよりも近くの飲食店目当てが大半でした。
先述の通り、この辺りは京都でも特に飲食店が集中しています。

では、ここから約200m先にある地下鉄烏丸線「四条」駅の
3番出口を目指します。


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新町通から、綾小路を東に約50m進みました。
こちらは、京都府福知山市に本社がある大原神社の分社です。
祇園祭前祭では、綾傘鉾の会所を兼ねます。
この日は後祭なのでもう閉まっていると思っていたのですが、
門が開いていて中から人の気配がします。
ちょっと今から立ち寄ります。


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大原神社の門を入ってすぐに、お地蔵さんの祠がいらっしゃいます。
(京都のお地蔵さんは、延命地蔵尊系と大日如来系に分かれます)
先ずは、こちらにお参りですね。


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天道大日如来の祠の向かい(東)側に、手水舎があります。
次は、ここで手を清めて神社にお参ります。


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手水舎の北隣は、小さな稲荷社の祠です。
ここでも、手を合わせました。


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こちらが、大原神社の本殿です。
脇に「綾傘鉾」と書かれた手拭いが飾ってあり、
社務所では後祭でも綾傘鉾関連グッズを売っていました。
(社務所は宮司さん初め大勢の人がいらっしゃるので、
写真は撮っていません)
この写真は、クリックすると拡大されます。

先述の通り、この神社は京都府福知山市三和町にいらっしゃる
大原神社の分社です。
今でも、綾傘鉾の鉾町善長寺町の町衆と三和町民は交流があって、
時折綾傘鉾の「棒振り踊り」を三和町で披露しているようです。
(この辺は、大原神社のブログたそがれトンボで入手した情報です)


332-20.jpg
こちらの宮司さんとは10分ほど談笑したのですが、
そのとき拝殿の上の扁額について教えていただきました。
中央の「大原大明神」初めこちらで祀られる3柱の銘です。
ちなみに、こちらの御祭神は伊邪那美命(イザナミノミコト)・
天照大日孁命(アメノオオヒルメノミコト)→天照大神と同一神・
月読命(ツクヨミノミコト)です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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大原神社から、綾小路を東に向いています。
では、このまま進んで地下鉄の駅を目指します。


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先ほどの写真を見ていると暗くて寂しい印象ですが、
本当は飲食店が林立しており、割と賑やかでした。
綾小路の南側に、「はやし」が支店を出していました!
こちらは、近鉄電車「東寺」駅前に本店がある焼肉店で、
南区東九条の「水月亭」、
第317回ブログに出てきた松原千本の「正香園」と並ぶ
自分が個人的に選んだ「京都3大焼き肉店」のうちの1軒です。


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大原神社から、綾小路を東に約50m進みました。
ここは、「綾小路室町」交差点です。
綾小路は、ここから烏丸通まで2車線の広い道になります。
ただ、この辺は特に光量が少なくて
これでいちばんマシな写真でした……


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綾小路から、室町通を北に向いています。
前祭では、この先に鶏鉾→函谷鉾が見えます。
右(東)側の大きな建物はシルクホールという公民館ですが、
1F部分は市バスターミナルとなっています。
(ちなみに、地下にはかなり大きな駐車場があります)


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今度は綾小路から、室町通を南に向きました。
もう完全にボケていますが、これがいちばんマシな写真です……
前祭では、ここに白楽天山が立って
その向こうに山王神社がいらっしゃいます。


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室町通から、綾小路を東に向いています。
では、このまま綾小路南側歩道を東に進んでいきます。


332-28.jpg
室町通から、綾小路を東に進んでいます。
途中にこんなお店がありました。
「日本と地中海のタコ料理」ということは、
スペイン料理とかの脇にタコ焼きが出るのでしょうか?


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室町通から綾小路を約100m進み、
「綾小路烏丸」交差点まで来ました。
烏丸通東側歩道に、地下鉄烏丸線「四条」駅3番出口が見えます。


332-30.jpg
横断歩道を渡り、烏丸通東側歩道に来ました。
「綾小路烏丸」交差点北東角に、
地下鉄烏丸線「四条」駅3番出口があります。
では、ここから京都駅をめざし帰宅します。

今回は、ここまでです。

~次回から、「千本通編」に戻ります~

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第407回 祇園祭前祭宵山でお買い物

[前祭] ブログ村キーワード

今回から暫く「高倉通編」を休載し、「祇園祭特集」を連載します。
前回ブログで告知した通り、2016年は後祭中心に掲載します。
ただ、せっかくなので前祭宵山は一部回ったところだけ載せます。
サイドバーにもあるYAHOO知恵ノートを利用して書いた
「祇園祭の歩き方」の資料集め半分お買い物半分という感じです。
いつもは徒歩ですが、この日は自転車なので
道の風景とかはかなり省略しております。
前祭宵山完全版は、2014年のものがサイドバーにあります。
(来年2017年は、前祭中心に取材します)


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ウチの家から川端通に出て北上し、
三条通で西へ向かい、河原町通で姉小路に移り西に向かいました。
烏丸通から、姉小路を見ています。
「姉小路烏丸」交差点南西角に、後祭の鈴鹿山の会所が見えます。
ただ前祭中は、まだ開いていません。
今回は、自転車で北から南へ移動します。
撮影日は、2016年7月16日土曜日午後2時10分。
この時点では、炎天下でした。


SP6-2.jpg
烏丸通から、姉小路を西に進んでいます。
この辺りは後祭の山鉾ばかりなので、祇園祭の感じが全然しません。


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烏丸通から、姉小路を西に約150m進みました。
ここで姉小路は、室町通と交差します。
左(南)側の町屋は、後祭の役行者山の会所ですね。


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さらに姉小路を西に約100m進みました。
ここで姉小路は、新町通と交差します。


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姉小路から、新町通を南に向いています。
次は、この新町通を進んでいきます。


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新町通を南下して、三条通も越えました。
この辺りから、八幡山の町内になります。
ですから、このように問屋さんの暖簾に
八幡神の象徴「つがいのハト」が描かれています。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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新町通を南下し、蛸薬師通まで来ました。
ここから東に進もうとしたのですが、
人が多くてちょっと自転車では厳しいです。
そんな道に、強引に大型車が通るのは危険ですね。


SP6-8.jpg
蛸薬師通から、新町通を南に向ています。
だんだん放下鉾がはっきりと見えてきましたが、
この辺りの北観音山と南観音山は後祭の山なので、
この日(2016年7月16日)には何も立ちません。


SP6-9.jpg
こちらは、南観音山の会所が立つ場所です。
通り過ぎると、ちょうど練習中の祇園囃子が聞こえてきました。
店頭で、冷たい抹茶が売られています。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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こちらが、その抹茶です。
甘さと苦さが、乾いた喉を潤します。


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蛸薬師通から、新町通を南に約100m進みました。
目の前に放下鉾が立っていますが、そちらには向かいません。


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新町通から、錦小路を東に向いています。
自転車を停められそうな場所があったので、
そこに自転車を停車させてここを進んでいきます。


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新町通から、錦小路を東に進んでいます。
この中華料理屋さんの店頭で、浸みだれ肉まんが売られています。
結構楽しみにしていたのですが、20分待ち状態でした……
隣のビルの駐車場で順番待ちの方々が、蜷局を巻いていました。
仕事まで時間がないので、諦めて次に行きます……
取りあえず、その東隣の霰天神山の会所に向かいます。


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会所の門をくぐると、細長い路地が続きます。
京都でいう「ウナギの寝床」ですね。


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霰天神山(あられてんじんやま)の会所の中に入ってきました。
こちらは、一昨年(2.014年)修復された龍の見送りです。
この龍が、この山の象徴ですね。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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一方こちらの前掛けも、立派です。
こちらは、ベルギーかどこかヨーロッパのものでしょうね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


SP6-17.jpg
こちらが、霰天神山のご神体です。
このように、小さな神社の祠がそのまま乗る山が
祇園祭では結構いらっしゃいます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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また、こちらの霰天神山は火除けのご利益があります。
ですから、こちらのお札を200円で買いました。
こちらは、今ウチの台所に貼ってあります。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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霰天神山の会所の前で、錦小路を東に向きました。
左(北)側の呉服問屋が、呉服のバーゲンセールをしいています。
これも、祇園祭のもう一つの顔ですね。


SP6-20.jpg
錦小路を東に進み、室町通を越えました。
ここに、占出山(うらでやま)が立ちます。
山の前で、「吉兆鮎」というお菓子を売っていました。
それを1,800円で買いました。


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こちらが、その「吉兆鮎」です。
神功皇后のアユ占いに端を発しています。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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こちらが、その「吉兆鮎」です。
カステラ生地の中に、牛皮が入っています。
(小豆餡は入っていません)
この写真も、クリックすると拡大されます。


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こちらは、占出山会所内に飾ってある胴掛です。
36歌仙の和歌が、絵解きで書いてあります。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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こちらが、占出山の会所です。こちらで粽や手拭いが買えます。
この時間帯は若い女性が売り子をされていますが、
夕方以降は近所の小学生がわらべ歌を歌いながら売り子をします。
それが、祇園祭の名物です。
では、ここで錦小路を西に進み元の位置に戻ります。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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今度は新町通から錦小路をさらに西に約100m進み、
西洞院通まで来ました。
ここでも、露店が並びます。


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錦小路から、西洞院通を南に向きました。
目の前に、蟷螂山が見えますね。


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蟷螂山の北側では、今年(2016年)もカマキリみくじが健在です。
予想通り、子供を中心に長い長い行列ができていました。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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そして、こちらが蟷螂山です。
牛車の上に、カマキリがいらっしゃいます。
こちらのカマキリはからくり人形で、頭・前足・羽が動きます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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蟷螂山から、西洞院通を南に向いています。
こちらで、四条通と交差します。


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西洞院通から、四条通を東に向いています。
こちらに、郭巨山がいらっしゃいます。


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今年も、郭巨山で粽を買いました。
ウチの軒先につるしたものは、次回ブログに載せます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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郭巨山会所の西隣は、若狭屋です。
こちらも店頭販売で、このわらび餅を売っていました。
350円払って、持って帰りました。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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四条通から、西洞院通を南に進んでいます。
この辺りにも山鉾が多いので、たくさん方々がいらっしゃいます。


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西洞院通から、綾小路を西に向いています。
この辺りは祇園祭宵山の中でも最も空いている場所のはずですが……
結構な人だかりになっていました!


SP6-35.jpg
いつもは空いていて椅子に座って休める芦刈山会所も、
人で人で入れませんでした……
こちらは、芦刈山の前掛けです。
獅子を描いているのが、面白いですね。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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綾小路から、油小路を南に向いています。
では、ここを進んでいきます。


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こちらは、油天神山の会所です。
2014年は資金不足で諦めた手拭いを買いに来ました。


SP6-38.jpg
こちらが、その手拭いです。なかなか凝ったデザインですね。
ここから暫く、クリックすると写真が拡大されます。


SP6-39.jpg
こちらは、手拭いの上の方です。
油天神山を模してありますね。


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手拭いの下半分は、この辺の地図です。
道の名前と山鉾が書いてあります。
ただ、休み山の鷹山と布袋山が略してあります。


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こちらは、油天神山の見送りとご神体です。
こちらも、神社の祠がご神体です。
見送りの日本画が、鮮やかですね。


SP6-42.jpg
こちらは、油天神山の前掛けです。
ちょっと雰囲気が、鯉山のものと似ています。
こちらもベルギー製のタペストリーでしょうか?
クリックすれば写真が拡大するのは、ここまでです。


SP6-43.jpg
油小路をさらに南進しています。
仏光寺通の東側に、木賊山(とくさやま)がいらっしゃいますが、
人が多くては入れません。
ここは、真っ直ぐ南進します。


SP6-44.jpg
仏光寺通から油小路を南に進むと、太子山の会所があります。
こちらは、京都市指定文化財の元薬問屋です。
ここから暫く、クリックした写真は全て拡大されます。


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太子山の会所に入ってきました。
こちらは、真新しい前掛けと見送りですね。


SP6-46.jpg
そして、こちらは太子山のご神体と胴掛です。
こちらは、江戸時代インドから輸入されました。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。


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太子山の北側に、「座ると頭が良くなる」丸太が並びます。
その脇に、こちらの方々がいらっしゃいました。


SP6-48.jpg
その方々は、この緑茶を無料配布されていました。
宇治田原町が日本で緑茶発祥の地であることを
アピールされていらっしゃいました。


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太子山から、油小路を南に向いています。
では、ここから自転車の乗って帰宅します。

今回は、ここまでです。

~次回は、祇園祭山鉾巡行を取材します~

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第408回 祇園祭前祭山鉾巡行 2016 前編

[山鉾巡行] ブログ村キーワード

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2016年は、7月17日が久しぶりに日曜日でした。
ですから、余裕をもって祇園祭前祭山鉾巡行に向かえます。
午前9時15分に家を出て、自転車で七条通から川端通に出て
京阪電鉄「七条」駅前のマクドナルドに寄りました。
この写真は、その2Fから撮りました。
(個人的に、全国のマクドナルド屈指のロケーションと思っています)
ここを午前9時45分に出て、川端通を北上しました。


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川端通を七条通から自転車で御池通に向かい、
そこから御池通を西に進みました。
川端通から御池通を西に約200m進むと、
駐輪場のある「御池河原町」交差点に辿り着きました。
ここに自転車を停めて、この交差点で山鉾巡行を見ます。


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「御池河原町」交差点南東角から、北東角を見ています。
向こうが自分が選ぶベストポイントなのですが、
昨年(2015年)よりゆっくり来たので、
(マクドに行っている場合じゃなかった?)
もう撮影ポイントが他の方に占拠されています。


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人混みに紛れて、何とか撮影ポイントに着きました。
この時点で、午前10時でした。
ですから、もう「御池河原町」交差点の信号も消えています。


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「御池河原町」交差点から約100m北に、規制線が張られました。
昨年(2015年)はここから北側が報道カメラマンのスペースで、
自分たちのような一般人もそこに入れました。
今年(2016年)は単に規制線を張るだけで、
一般人だけでなく報道カメラマンも車道に入ることは禁止です。


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こちらは、「御池河原町交差点」近くの本能寺会館の屋上です。
見物人が、鈴なり状態ですね。


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そうこうしているうちに、もう「祇園会」の幟がやって来ています。
ちなみに交差点南西角に「スギ薬局」の看板が見えますが、
あちらに焦点を合わせていくと辻回しが上手く撮れます。


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その直後に、長刀鉾が河原町通からやって来ました。
よく考えたら、昨年(2015年)よりも約10m北側で撮っています。
この辺りは車道が膨らんで、歩道がその分狭くなっています。
ですから、街路樹の銀杏が邪魔で上手く撮れません。
この辺りから暫く、クリックした写真は拡大されます。


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長刀鉾の櫓の部分をアップにしました。
生稚児さん3人が、写っています。
ただ、カメラは手前の銀杏の葉に焦点が合ってしまいます……


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長刀鉾が、「御池河原町」交差点に入ってきました。
曳き手の皆さんはこちらに向かわず、御池通の西側に並ばれました。
長刀鉾の車輪に竹を噛ませます。いよいよ辻回しが始まります。


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ものの数分で車輪に竹を噛ませると、
先導の方々が両手の扇子を振り上げます。
何となく、年々辻回しの要領が良くなっている気がします。


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「エイヤラヤ~」との先導の掛け声で、長刀鉾が約60°回りました。
そして、これをもう一度繰り返します。


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今度も、すぐに車輪に竹を噛ませました。
「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、長刀鉾が約30°回りました。


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これで、合計ほぼ90°回転しました。
すると、祇園囃の曲調がまた緩やかなものに変わりました。


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長刀鉾の曳き手の皆さんが再び整列すると、
先導の方々が「エイヤラヤ~」と声を掛けました。


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これで、長刀鉾の辻回しが終わりました。
すると、長刀鉾は御池通を西に進み交差点を立ち去りました。


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次に、今年(2016年)「山1番」のくじを引き当てた山伏山が
「御池河原町」交差点に入ってきました。
浄蔵貴所という平安時代の山伏を模した山で、
いつの間にか「天災除け」があるとされています。
そのため、東日本大震災や熊本大地震の被災地とも
こちらの山町がつながりを持つようになりました。


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こういう山は小さいので、辻回しの必要はありません。
担ぎ手の方々がそのまま持ち上げて、
方向転換すれば良いだけのはずなのですが……


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突然、山伏山が右回りに回転し始めました。
本来はものの数秒で交差点を通り抜けるのですが、
いくつかの山は、沿道にこういうサービスをします。


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山伏山は3回転した後、御池通を西に向けて去りました。
とは言え、この間2分もありませんでした。


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次は、「山2番」の白楽天山です。
白居易(白楽天)は、杜甫・李白と並ぶ「中国3大詩人」の一人です。
その一方、白楽天は中国では巫覡(中国版陰陽道)の使い手として
多くの物語や伝説に出てきます。
要するに、日本の小野篁(おののたかむら)と似た人物像ですね。
この山は、その白居易が道林禅師と禅問答をした故事にちなみます。


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白楽天山も、「御池河原町」交差点でくるくる回ります。
沿道からは、また拍手が沸き起こりました。


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「山3番」孟宗山が、「御池河原町」交差点に入ってきました。
昨年(2015年)は、こちらが「山1番」でした。
孟宗は、「三国志演義」で呉の陸遜に使える文官として出てきます。
とても親孝行で、病気の母親の死後
皇帝の孫権の法令に逆らって母親の喪に服し続けました。
普通なら死罪ですが、陸遜の仲介で無罪となり
孟宗は後に呉の重臣になります。
中国では、「親孝行と言えば孟宗」と言われるくらいの方です。


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孟宗山は特にくるくる回ることなく、そのまま西に向かいました。
そう言えば、孟宗山は昨年(2015年)もここを素通りしました。


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次は、くじ取らずの「鉾2番」函谷鉾です。
こちらも、中国の洛陽と長安の間にある函谷関を模しています。
ただし「三国志演義」ではなく、「史記」を模しています。
写真をクリックすれば拡大されるのは、ここまでです。


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函谷鉾の辻回しのうちに、場所を移動します。
辻回しがよく見えるのは「御池河原町」交差点北東角ですが、
山鉾そのものを見るには「御池寺町」交差点です。
横断歩道は「二条河原町」交差点までないので、
「御池河原町」交差点の下にある地下道に向かいます。


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この辺りの地下は、ZEST御池という地下街です。
交差点の真下(地下)にコンビニエンスストアがあって、
そこでスポーツドリンクを買いました。
(曇っていましたが、暑くて熱中症になりそうです)
そして、さらに西に進み地上に上がりました。


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京都市役所の西端、「御池寺町」交差点に来ました。
そこから東の河原町通付近を見ました。
函谷鉾は、まだ辻回しの途中です。
……と言いますか、テントが邪魔で上手く撮れません。
個人的には、ここから東山を借景に撮ると
山鉾がいちばん美しく見えると思うのですが、
テントが昨年(2015年)と向きが違うのが残念です。
ここから最後まで、クリックすれば写真が拡大されます。


408-29.jpg
御池通から、寺町通を南に向いています。
繁華街のアーケードの手前に、孟宗山が止まっています。
函谷鉾の辻回しが終わるまで、待っているようです。


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函谷鉾が辻回しを終えて、ようやく寺町通の方にやって来ました。
長刀鉾の辻回しは10分と少々でしたが、
函谷鉾は20分弱かかったようです。


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函谷鉾が、寺町通に入ってきました。
こちらも、立派な鉾が付いています。


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函谷鉾の櫓では、町衆の方々が祇園囃を演奏中です。
函谷鉾の囃手は宵山の深夜に四条通を練り歩いて演奏されるので、
自分の耳には、こちらの祇園囃が一番印象に残っています。


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函谷鉾が、去っています。
こちらの見送りは、真新しいですね。


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その次は、「山4番」太子山です。
台風直撃だった昨年(2015年)と、何もかも違いますね。


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続いて、「傘鉾1番」四条傘鉾です。
先ずは、アスファルトの道に鉄杖を引きずった先導の登場です。


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その後ろに、木製の棒を持ち踊る少年が現れます。
さらに後ろの囃手も、小学生の男の子たちですね。
その囃手の演奏に合わせて、「棒振り踊り」が始まります。


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こちらが、四条傘鉾です。
本来はこの下に櫓と車輪が付くのですが、現在復元中です。


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四条傘鉾の最後列は、こちらの荷車が続きます。
この中には粽が入っていいて、沿道の方々に配られていました。


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さらに、「山5番」(一昨年の山1番)占出山が続きます。
古墳時代に朝鮮半島に攻め込む前に、
アユ釣りで占いをした神功皇后を模しています。
神功皇后を模した山鉾は3基あるのですが、
こちらはそのうちの1基です。

ここで、約半分が終わりました。
続きは、次回とします。
今回はここまでです。

~次回は、月鉾~船鉾の巡行を取材します~

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第409回 祇園祭前祭山鉾巡行 2016 後編

[山鉾巡行] ブログ村キーワード
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2016年の祇園祭前祭山鉾巡行も、半分が過ぎました。
前回ブログの占出山の次は、「鉾3番」月鉾です。
今回は、ここから最後の船鉾まで一気に掲載します。
また今回の写真は、クリックすると全て拡大されます。
撮影日は、2016年7月17日日曜日午前11時半。
この辺りから、少しずつ小雨がぱらつきました。


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月鉾が、「寺町御池」交差点に近づいてきました。
櫓から、囃手さんが演奏される祇園囃が聞こえてきます。


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ここで、空を見上げました。
曇り空に、三日月形の鉾先が映えますね。


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月鉾が、寺町通を通り過ぎていきます。
鉾の中でも、長刀鉾と並び大きいですね。


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続いては、「山6番」芦刈山です。
こちらの山の詳細は、第62回ブログに掲載されています。
一度離縁した夫婦が、年老いてから復縁するお話ですね。
第407回ブログに出てきた獅子の前掛けが立派です。


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続いて、「山7番」蟷螂山です。
こちらは人気の山なので、沿道からも拍手が起こります。
台風が直撃した昨年(2015年)とは異なり、
牛車の上に蟷螂が載っています。


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蟷螂山は、牛車の上に蟷螂(かまきり)を載せた山です。
カマキリの鎌は、「魔(縁起の悪いもの)を絶つ」とされ
とても縁起の良い山でもあります。
このカマキリはからくり人形で今は羽を広げていますが、
他にも頭と前足の鎌が動きます。
その証拠に、自分の後ろにいらした小父さんが
突然大きな声でこうおっしゃったときです。
「いよっ。カマキリ、格好いいね」


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突然カマキリの頭がこちらを向き、右の前足が左右に揺れました。
まるで、こちらに手を振っているようです。
「こういう風に声を掛けると、こんなことしてくれはるで」
先程の小父さんが、そんなことをおっしゃいました。


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さらに、「山8番」保昌山が続きます。
平井保昌が折ろうとした内裏内の梅の木がありますね。
とは言え、ここまでしたにも拘らず
平井保昌は和泉式部とは結婚できなかったのですよね。


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その後は、「鉾4番」鶏鉾です。
「鶏」という名前ですが、特にその絵柄があるわけではありません。
(鶏の胴掛は、函谷鉾ですね)


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鶏鉾が、近づいてきました。
それと同時に、こちらの祇園囃の音色が大きくなってきました。


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鶏鉾が、さらに近づいてきました。
櫓には囃手さん以外にも、稚児さんがいらっしゃいます。
ただし、こちらの稚児さんは人形です。
(人間が稚児をする「生稚児」は、長刀鉾のみ)


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鶏鉾が、寺町通を通り過ぎていきます。
見送りは、鯉山と同じ18世紀ベルギー製のタペストリーです。


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続いて、「山9番」の伯牙山です。
中国の箏の名手伯牙を題材にしています。
第235回ブログでも紹介したように、
こちらの会所は重要文化財の京町家杉本家邸宅です。


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そして、「傘鉾2番」綾傘鉾が続きます。
暴風雨だった昨年(2015年)とは異なり、
今年(2016年)は仮面を付けた踊り手が
「棒振り踊り」を披露してくれました。


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その後に、綾傘鉾が2基続きます。(綾小路の傘鉾ですね)
こちらも四条傘鉾同様、櫓と車輪を復元しようとしています。
こちらの会所は、大原神社の境内にあります。
こちらの本社は、京都府福知山市にいらっしゃるのですが、
江戸時代に京都市内に出張所を作られました。
そのため、綾傘鉾の「棒振り踊り」が
福知山の大原神社に出向くこともあります。


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さらに、「山10番」霰天神山(あられてんじんやま)が続きます。
確か天明の大火のときだったと思うのですが、(違ったらすみません)
こちらの天神さんの境内周辺だけ霰が降ったために
焼失を免れたことがありました。
そのため、こちらは天神さんでも「火除け」の神様です。


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そして、こちらが霰天神山の見送りです。
第407回ブログにも出てきましたね。
2014年に修復したところなので、まだまだ真新しいですね。


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続いて、「鉾5番」菊水鉾です。前掛けと胴掛が鮮やかですね。
こちらの町衆は、水色の法被を身に着けておられます。


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ここで空を見上げると、菊水鉾の鉾先が見えます。
「菊水」だけに、菊花の形をしています。


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こちらは、菊水鉾の櫓です。屋根の裏も、色鮮やかです。
櫓の中は、囃手の皆さんで溢れていますね。


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その後は、「山11番」木賊山(とくさやま)です。
薬草の木賊を採る老人の人形がご神体ですね。


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こちらが、その木賊山です。
こちらも、前掛け・胴掛・見送りを2014年に修復しました。


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続いて、郭巨山が「寺町御池」交差点に入ってきました。
自分が、毎年粽を買っている山ですね。


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郭巨山をアップにしました。
中国人の郭巨とその子供の像がご神体です。
この後ここから金を掘り当てる故事なので、
こちらの山は金運のご利益があります。
粽には、紙製の小判が付いています。


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そして、担ぎ山の最後を飾る油天神山です。
ご神体は、火尊天満宮の祠です。
今は天神さんですが、元々こちらには愛宕神社がいらしたので
こちらも天神さんなのに「火除け」のご利益があります。


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油天神山が、寺町通を通り過ぎていきます。
見送りの富士山が、とても鮮やかです。


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ここから後は曳山と鉾だけなので、全て辻回しがあります。
そのため、ここからちょっとだけ停滞しました。
おまけに雨脚が少し強くなったので、帰られる方も出てきました。
(まだ傘無しでも、大丈夫なのですが)
その間隙に、油天神山の町衆さんが
小さな子供に粽を配っておられました。
ウチの母が、こんな話をしてくれました。
「昔は粽は買わずに、山鉾巡行でばら撒かれたものを拾っていた。
ただ、そうすると山鉾の隙間に沿道の方々が割り込んで危険なので、
今はこのように配ったり、会所で売ったりするようになった」


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ようやく、くじ取らずの「鉾6番」放下鉾がやって来ました。
「南京玉すだれ」などの芸をする放下僧の像がご神体です。


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放下鉾の稚児さんも、人形です。
こちらの人形の後ろに立つ町衆が、手を取って舞を舞わせています。


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放下鉾が、寺町通を通り過ぎます。
見送りのミミズクの絵が、勇壮ですね。


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次も、くじ取らずの岩戸山です。祇園祭前祭唯一の曳山ですね。
鉾のように大きいですが、「山」なので松の木が立っています。


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岩戸山の屋根の上に、神像が安置されています。
こちらは岩戸山ですから、田力男(たぢからお)でしょうか?


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こちらは、岩戸山の屋根の後部です。
見事な彫物ですが、日光東照宮のような「権現造」にも見えます。


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岩戸山が、寺町通を通り過ぎていきます。
こちらの見送りは2種類あるのですが、
ベネチアを描いた方は使われませんでした。


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そして、最後の船鉾が「御池寺町」交差点に入ってきました。
こちらは神功皇后がアマノトリフネに乗って、
朝鮮半島に攻め込む様子を描いています。


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こちらが、船鉾の櫓です。
他の鉾と異なり鉾先は付いていませんが、
祇園囃を演奏する囃手さんたちが乗られております。


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船鉾が、寺町通を通り過ぎます。
背後についている漆黒の舵が、この鉾の象徴ですね。


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これで、山鉾のすべてが寺町通を通り過ぎました。
その後にパトロールカーと信号機器を直すクレーン車が続きます。


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その直後に、信号が付いて規制線が取り除かれました。
自分も「御池河原町」交差点に戻り、
自転車に乗っていったん帰宅します。
その前に、マクドナルドに忘れた雨傘を取りにいかないと……

今回は、ここまでです。

~次回も、まだ祇園祭前祭の取材が続きます~

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第410回 もう一つの祇園祭 前編

前回ブログで2016年祇園祭前祭の山鉾巡行を取材しました。
いつもの年ならここで祇園祭前祭の取材が終わるのですが、
今年(2016年)は7月17日が日曜日なので、
仕事を気にせずに夕方の取材もできます。


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一度家に帰ってから、また自転車で七条通から川端通に出ました。
七条通から川端通を松原通まで北上して、
松原通から大和大路に出ました。
そこからすぐ北の八坂通から東に進み、庚申堂の前で北上します。
その道を約400m進むと、この八坂神社南楼門前に出ます。
今回は、この門の先で行われる祇園祭神幸祭を取材します。
撮影日は、2016年7月17日日曜日午後3時半。
この写真のみ、クリックすると拡大されます。


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ところが、ここから八坂神社本殿には向かえません。
祭事のために、ここから北は通行止めです。
そこで、八坂神社南楼門前で東を向きました。
左(北)に中村楼を見ながら、この急な坂を上ります。
中村楼の東隣長楽館の角で左(北)に折れ、
円山公園に入って枝垂桜の前で西に向かいます。


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円山公園の枝垂桜から、西に約100m進みました。
こちらから、八坂神社に入ります。
要するに、ここまで遠回りしました。


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先程の赤い鳥居をくぐり、八坂神社境内に入ってきました。
左(南)側に八坂神社本殿が、右(北)側に刃物社など末社が見えます。


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その場所で、南を向きました。
右(西)に、八坂神社本殿が見えます。
ここを進み、八坂神社本殿の表側に回り込みます。


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先程の石畳の道を約10m進み、西を向きました。
ここから先は、規制線で進めません。
写真の白装束の神職さんに尋ねたところ、
本殿南側の拝殿前がベストポジションとのことでした。


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八坂神社本殿の南に、八坂神社の拝殿があります。
第12回ブログでは、こちらで神楽が舞われていました。
ここに、何人かの見物人が並んでいます。
日本人よりも、白人の割合が高いですね。
拝殿には、すでに神輿が3基載っています。
7月15日の祭事で、こちらにご神体も移っておられます。


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拝殿のさらに南には、八坂神社南楼門があります。
今回ブログの最初の時点で、この反対側にいました。
現在こちらの門は修復中で、来年の春に完成します。


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ここから、しばらく八坂神社拝殿の東側に陣取ります。
午後3時50分くらいから、白い法被姿が方々が
八坂神社南楼門をくぐって、境内に入ってこられました。


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その法被姿の方々は、神輿の担ぎ手さんです。
担ぎ手の皆さんは、本殿の前に並ぶと神社に参拝されました。


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そして、担ぎ手の皆さんは
八坂神社南楼門から境内をいったん出て行かれました。


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八坂神社斎館の能舞台の脇から、
薄紫色した束帯姿の方々が出て来られました。
こちらは、八坂神社の囃手さんです。
神事の間中、祇園囃を演奏されます。


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囃手の皆さんは拝殿の前を通り過ぎると、
八坂神社本殿に入って行かれました。


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その直後に、今度は紋付姿の方々が本殿に入って行かれます。
こちらは、八坂神社の氏子衆の代表の方々でしょうね。


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すると、南楼門の方から馬に乗られたお稚児さんが現れました。
この日(2016年7月17日)の朝に、
山鉾巡行で長刀鉾に乗られた生稚児さんですね。


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それに合わせるように、能舞台の方から
臙脂色の束帯姿の方々が、本殿に入って行かれました。


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一方、生稚児さんを乗せた馬は本殿には入らず
こちらに向かって来ました。


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生稚児さんを乗せた馬が、自分たちの前を通り過ぎました。
しかし南楼門の方にも向かわず、拝殿の周りを回り始めました。


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そのように生稚児さんを乗せた馬は、
何周か拝殿の周りを回った後、本殿前に停まりました。
そこで稚児さんが下馬されて、本殿に入って行かれました。


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この時点で神幸祭開始の午後4時を回っております。
ここから祭事は本殿の中で行われて、
自分たちは時折聞こえる祇園囃に耳を傾けていました。
約30分後に、担ぎ手の皆さんが再び境内に入ってこられました。


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担ぎ手さんの一人が、こちらの大旗を振られています。
「三若」と書かれていますが、これは「三条台若中会」の略です。
江戸時代初期17世紀の元禄年間より
祇園祭の神輿を担いでいる担ぎ手の集団で、
現在至るまで会員のすべてが一子相伝です。
三条会商店街のそばに、独自の会所を有します。


410-23.jpg
大旗が通り過ぎると、その後から日ノ丸の扇子に先導されて、
鈴の付いた神具を持った方々が境内に入ってこられました。
鈴がよく鳴るように両腕を振られて踊られていますね。


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その後から、角材を持たれた方が続きます。
こちらは、担ぎ棒として神輿に据え付けられます。
法被の紋から、三条台若中会以外の担ぎ手の方々も
だんだん境内に入って来られているのが分かります。


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角材の一部が、拝殿ではなく東北門の方に運ばれます。
こちらは、法被から「錦神輿会」の方々と分かります。
文字通り錦市場の青年部による担ぎ手です。


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午後5時を回り、八坂神社本殿内の神事が終わりました。
臙脂色の束帯姿の方々が本殿を出て、斎館に向かわれます。


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その後を、薄紫色の束帯姿の囃手の皆さんが続きます。
同じく、斎館の方へと向かっておられます。


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さらに紋付袴姿の方々が、出て来られました。
こちらも、斎館に向かわれました。


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その間に、法被姿の方々が拝殿南側に集結されました。
三条台若中会・錦神輿会以外も、
後から「四若神輿会」の方々も来られます。



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そうこうしているうちに、生稚児さんも本殿から出て来られました。
また、馬に乗られていますね。


410-31.jpg
法被姿の担ぎ手の皆さんが道を開けると、
生稚児さんを乗せた馬は
そのまま南楼門から八坂神社を出ていきました。
さて、ここからいよいよ神輿の登場なのですが
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ここから先は、次回とします。

~次回は、拝殿からこちらの神輿が担がれていく様子を取材します~

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第411回 もう一つの祇園祭 後編

410-31.jpg
生稚児さんを乗せた馬が、八坂神社南楼門から出ていきます。
いよいよここから神輿が移動します。
撮影日は、2016年7月17日日曜日午後5時。
ここまでは、雨が降っていません。


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生稚児さんを乗せた馬と入れ替わって、
新たに法被姿の担ぎ手の方々が境内に入って来られました。


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新たに来られた方々の大旗と提灯に、「四若」と書かれています。
こちらは、「四若神輿会」の略です。
こちらは、祇園の北端若松町若竹町の住民による団体です。


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「三若会」「四若会」「錦神輿会」の皆さんが、
八坂神社拝殿南側に集結されました。
ここで、神輿渡御直前の簡単な集会が始まります。
簡単な連絡事項の後、責任者の方がこうおっしゃいました。
「祇園祭は観光イベントやない。神事なんや。
そやから、けがと事故を絶対出さんようにしっかりいこう」


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この段階で、拝殿に一斉に担ぎ手の皆さんが上がられます。
そして、前回ブログにも出てきた角材を神輿に据え付けます。


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まず、「三若会」の皆さんが八坂神社本堂の前に集結します。
こちらは、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を乗せた
中御座という神輿を担がれます。


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「三若会」の皆さんが、八坂神社本殿前に集結されました。
そこで、2礼2拍1礼の参拝をされます。


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参拝を終えられた「三若会」の皆さんは、
鉢巻きを締め直されて拝殿前に集合されました。
いよいよ神輿が拝殿から出発します。


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そして「三若会」の皆さんが拝殿に上がり、
中御座の神輿を肩に担がれました。


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中御座の神輿が、持ち上がりました。
すると「三若会」の大旗が降られ、日ノ丸の扇子が翻りました。
「四若会」や「錦神輿会」の方々から、
「ほいっと ほいっと」の掛け声がかかります。
山鉾巡行とは違った喧騒の中、
中御座の神輿が拝殿から境内に姿を現します。


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やがて、神輿を担がれておられる「三若会」の皆さんや
沿道の自分たちの周囲からも、
「ほいっと ほいっと」の大きな掛け声がかかります。
(ちょっと、松尾祭に似ていますね)
中御座の神輿は、時計回りに本殿前に向かいます。
ここから最後まで、クリックした写真は拡大されます。


411-12.jpg
「三若会」の大旗と提灯が、八坂神社本殿に差し掛かりました。
ただ皆さん立ち止まらず、こちらに向かってこられます。


411-13.jpg
「三若会」の大旗と提灯が、こちらに来ました。
中御座の神輿も立ち止まらず、こちらにやって来ます。


411-14.jpg
「ほいっと ほいっと」の大歓声とともに、
中御座の神輿が自分たちの目の前を通り過ぎます。
「三若会」の大旗はそのまま南楼門も通り過ぎて、
また拝殿の周りを回り始めました。


411-15.jpg
「三若会」の大旗に続いて、中御座の神輿も
拝殿の周りを回っていきます。
辺りは、「ほいっと ほいっと」の大歓声に包まれています。


411-16.jpg
再び中御座の神輿が、こちらに向かって来ました。
中御座の神輿は、拝殿の周りを3周目に入っていきました。


411-17.jpg
中御座の神輿が3周目に入ると、八坂神社本殿前で
「三若会」の大旗と提灯が立ち止まりました。


411-18.jpg
すると「三若会」の皆さんが、
本殿前で中御座の神輿を頭上高く持ち上げられました。


411-19.jpg
「ほいっと ほいっと」の大歓声の中、
「三若会」の大旗が大きく振られます。
すると、頭上高く持ち上げられた中御座の神輿が
上下に大きく揺らされました。


411-20.jpg
その状態が、約3分続きました。
その後、中御座の神輿がこちらに3度向かってこられました。


411-21.jpg
中御座の神輿が、自分たちの前を通り過ぎました。
すると今度は、神輿は八坂神社南楼門に向かっていきました。


411-22.jpg
中御座の神輿は、八坂神社南楼門に差し掛かると
そのまま八坂神社の外に出ていきました。


411-23.jpg
八坂神社境内南西部の神輿庫から、小さな神輿がやって来ました。
先頭の提灯には、「東若御座」と書いてあります。



411-24.jpg
「東若御座」と書かれた提灯が、八坂神社本殿前を通過します。
先頭にいらっしゃるのは、見た目小学生の方々です。
こちらは、どうやら「子供神輿」のようです。


411-25.jpg
ただ、神輿を実際に担がれておられるのは
中高生や成人男性が大半です。
本当に小学生だけで担いでは、危ないですからね。


411-26.jpg
八坂神社拝殿の南に側に回り込むと、「東若御座」の神輿は
そのまま南楼門から八坂神社を出ていきました。


411-27.jpg
「東若御座」の神輿が出ていくと、
「四若会」の皆さんが拝殿に上がられました。
次は、「東御座」の神輿が担がれます。
こちらの中には、奇稲田姫(くしなだひめ)のご神体が乗られます。
(素戔嗚尊と夫婦神です)


411-28.jpg
「東御座」の神輿は拝殿を出られた後、境内の南西部に置かれます。
(要するに、地面の上です)


411-29.jpg
最後に、「錦神輿会」の方々が拝殿に上がられました。
そして、「西御座」の神輿を担がれていきます。
こちらのご神体は八柱御子神で、素戔嗚尊の子8柱とされています。
向こうを見ると、「東御座」の神輿が置かれています。


411-30.jpg
「西御座」を担がれた錦神輿会の皆さんは、
他の神輿と異なり、反時計回りでこちらに来られました。
そして、そのまま八坂神社東南門付近に進まれると
そこで神輿を下ろされました。


411-31.jpg
ここで、約10分何も動かない時間帯になります。
その間、神職さんが神輿の上部に
「ネギ」のようなものを括りつけておられました。
(一見「九条ネギ」なのですが、どうやら違うそうです)


411-32.jpg
その「ネギ」状のものが括りつけられると、
「四若会」の皆さんが「東御座」の神輿を担がれました。
こちらは、時計回りで八坂神社本殿に向かわれます。


411-33.jpg
ただ、「四若会」の大旗も
八坂神社本殿の前まで来られると立ち止まられました。
勿論、「東御座」の神輿もここで立ち止まります。


411-34.jpg
「四若会」の皆さんも、八坂神社本殿前で
「東御座」の神輿を頭上に掲げられました。
そして、こちらも神輿を上下に揺すって
「ほいっと ほいっと」の大きな声を掛けられます。


411-36.jpg
そして「ほいっと ほいっと」の歓声とともに、
自分たちの前を通り過ぎて行かれました。


411-37.jpg
「東御座」の神輿が、八坂神社南楼門前に差し掛かりました。
そして、そのまま八坂神社の外に出て行きました。


411-38.jpg
最後に、「錦神輿会」の方々による「西御座」の神輿が動きます。
こちらも、「ほいっと ほいっと」という歓声が上がります。


411-39.jpg
気のせいか、「錦神輿会」の方々は
他の神輿と比べて自分たちの方に近いルートを辿られます。
ですから、いちばん迫力のある写真を撮れるのですが
外側の担ぎ手の方々が自分たちに迫って来られていました。
まぁ、外周をしっかり神輿会の方々がガードしておられるので、
事故などが起こる可能性はないのですが……


411-40.jpg
「西御座」の神輿はそのまま八坂神社南楼門を通過されて、
拝殿の周りを時計回りで進まれました。
「西御座」の神輿も、その後に続きます。


411-41.jpg
そして、「西御座」の神輿は八坂神社本殿前をまた通り過ぎました。
再びこちらの前に、やって来られました。
今回ブログは、40枚以上写真を貼り付けます。


411-42.jpg
自分たちの前を通り過ぎた「西御座」の神輿は、
八坂神社南楼門の前も通り過ぎ拝殿の周りを3周目に入ります。


411-43.jpg
「西御座」の神輿が、3周目で八坂神社本殿の前で停止しました。
こちらの神輿を担ぐ「錦神輿会」の方々も、
神輿を頭上に持ち上げられました。


411-44.jpg
「錦神輿会」の方々が持ち上げられた神輿が、
担ぎ手の皆さんの頭上で上下に揺れています。
据え付けられた鈴が鳴っているので、とても賑やかです。


411-45.jpg
「錦神輿会」の方々も頭上で神輿を揺らし終えると、
こちらの方に向かってこられました。


411-46.jpg
それからここを通り過ぎると、
「西御座」の神輿はそのまま南楼門の方に向かわれました。


411-47.jpg
「西御座」の神輿が、南楼門の方に向かっています。
その脇を、臙脂色の束帯装束の方々が本殿へと歩いていかれました。


411-48.jpg
そして、「西御座」の神輿も南楼門をくぐっていきます。
これで、全ての神輿が八坂神社境内を出て行きました。
現在2016年7月17日日曜日午後6時です。
そろそろ3基の神輿が、八坂神社石段下の
「祇園」交差点に集結して出陣式が行われます。
それで急いでそちらに向かおうとしたのですが……


411-49.jpg
こちらが、「祇園」交差点です。
車道は封鎖されていて、歩道には人で溢れかえっています。
しかも、ここから急に大雨が降りました。
あちこち雨傘が広げられて、視界がさらに狭くなります。


411-50.jpg
少し移動しました。
やっと1基だけ神輿が見えましたが、これ以上は無理です。
神幸祭の方に長くいすぎて、席取りに後れをとりました。


411-51.jpg
また位置を変えてみましたが、やはりこれ以上は見えません。
神幸祭は全然見物者がいなかったので、ちょっと油断していました。


411-52.jpg
そうこうしているうちに、出陣式はどんどん進行しています。
多くの方々が背伸びして頭上にカメラを掲げておられますが、
(自分も含めて)どうも上手く生きません。
上手く撮れたのは、「自撮り棒」を持たれている方だけです。
自分は「自撮り棒」反対派なのですが、
この時ばかりは「自撮り棒」が羨ましいです。
結局、このまま出陣式が終わってしまいました……

2016年の神幸祭取材は以上です。
結局最後はこんな感じでしたが、
これが次の取材に経験として活かせればいいと思っています。
……次回が何年後かが問題なのですが。

今回は、ここまでです。

~次回は、後祭宵山の日にうろうろします~

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「蹴上・鹿ヶ谷散策」
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散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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