第413回 役行者山の護摩焚~2016後祭宵山散策~その1
下鴨神社から河合神社に戻って自転車に乗った時点で、
午後1時20分でした。
自転車でこのまま山鉾町に行っても午後2時には間に合わないので、
鞍馬口通まで戻って西に進み、烏丸通から地下鉄に乗りました。
こちらは、地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅です。
今回は、ここから鈴鹿山と役行者山に向かいます。
撮影日は、2016年7月23日午後1時50分。
梅雨明けの快晴の猛暑日でした。
自分が乗ってきた竹田行の地下鉄が、「烏丸御池」駅から出ます。
ただ、毎年ここに来るときは京都駅(反対方向)から来ます。
ですから、間違えて北寄りのホームで降りてしましました。
ここから、ホーム南端の方まで約3分掛かりました。
さて、午後2時までに役行者山に辿り着けるでしょうか?
地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅ホームの南端から改札を出て、
何とか6番出口に辿り着きました。
ここから、烏丸通に出ます。
地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅6番出口で、左(北)を向きました。
では、ここから烏丸通を北上します。
地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅6番出口から、
烏丸通を約50m北上しました。
ここは、「姉小路烏丸」交差点です。
ここから約70m先に、「烏丸御池」交差点があります。
この交差点の南西角に、鈴鹿山が立っています。
三重県の鈴鹿山脈に住まう女神鈴鹿権現が、
その辺りに住む悪鬼を退治した伝説をもとにしています。
この写真は、クリックすると拡大されます。
こちらは、鈴鹿山の会所です。
第407回ブログでは、ここは閉まっていました。
では、こちらに入って行きます。
この写真も、クリックすると拡大されます。
こちらが、鈴鹿山の会所の中です。
粽やお守り、御朱印などは、こちらで求めます。
また、前掛けや胴掛など山の装飾品も展示されています。
多くの会所には、「祇園 牛頭天王」の掛け軸が掛かっています。
「牛頭天王」は牛鬼の王で、
天然痘などの病気をばら撒き多くの人を殺す疫病神です。
一方で、自分を信仰する人には無病息災を約束します。
神仏分離令以前は、祇園祭を仕切る八坂神社の御祭神でした。
(八坂神社の現在の御祭神は、素戔嗚尊です)
また、頭上の額には「瀬織津姫神」と書いてあります。
今度は会所内で、北を向きました。
この先に、鈴鹿権現のご神体がいらっしゃいます。
「祇園祭の山鉾で一番美しいご神体」と呼ばれておりますが、
ここと大船鉾の神功皇后像は、何となく撮影を遠慮しています。
では、その向こうの姉小路通に出ます。
鈴鹿山の会所を出て、姉小路を西に向いています。
では、ここを進み役行者山に急ぎます。
鈴鹿山会所から、姉小路通を西に約100m進みました。
「姉小路室町」の辻に、大きな京町屋があります。
この町家の一部が、役行者山会所になっています。
町家の北側に、手拭屋さんの永楽屋がお店を出しています。
姉小路を少しだけ西に進み、室町通に出ました。
ここから少し南に行ったところに役行者山の会所があるのですが、
自分がここに着いた瞬間に通行止めとなりました。
2013年は約30分遅れで、今回もそれくらいだと思っていました。
……読みが甘かったですね。
そうこうしているうちに、ほら貝の音が聞こえてきました、
聖護院の修験者が、到着です。
修験者の行列は、15人ほどでした。(法螺貝奏者は2名)
これは、1203年と同じ人数です。
聖護院の修験者は姉小路を経由して、
いったん役行者山の会所に入って行かれました。
ここから、ご神体への祈祷が始まります。
(一般の方々には、非公開です)
室町通から、姉小路を東に向きました。
修験者が祈祷されている間に、ここを走ります。
ここから約50m先の両替町通で、南に折れます。
両替町通を南下して、三条通を西に折れます。
そして、約50m先で三条通から室町通を北上します。
これで、役行者山の南側に辿り着きました。
役行者山ご神体への祈祷は、まだ続いています。
役行者山護摩焚きには、どうやら間に合ったようです。
……ただ、もう結構な人数が護摩焚きを待ち構えています。
この祭事をご存じなくても、たまたま通りかかって
それで興味を持たれた方も大勢いらっしゃるようです。
そうこうしているうちに、聖護院の修験者が
役行者山のご神体への祈祷が終わったようです。
会所の方から、こちらに出て来られました。
ここから最後まで、クリックした写真は全て拡大されます。
ところが、途中で修験者の行列が途切れます。
先行した修験者装束の方が、聖護院の修験者を制止して質問します。
「修験道の開祖はだれか」
「では、その役小角(役行者)はどのような教えを伝えたのか」
「汝が身につけているそれは何か」など詰問の形式ですが、
本当は見物人に修験道を教えているようです。
「よし、汝らは本物のようだ。通って良し」
その一言の後、修験者がこちらに入ってきます。
法螺貝を先頭に、手前の座席に就いていきます。
先程の場所を少し引いて撮ります。
今回は2013年とは角度や距離が違うだけでなく、
周りに背が高い方が多くその方々の後頭部ばかり写ってしまいます。
修験者全員が、席に着きました。
ただ、まだまだ護摩焚きは始まりません。
その前に、護摩壇の周辺を浄めていきます。
修験者の一人が矢筒を背負い、口上を述べます。
先ずは、護摩壇の四方に破魔の矢を放ちます。
と言え、本当にこの方向に矢を放てば大惨事になります。
ですから、故意に矢を落として失敗させます。
ただ、最後にマンションの屋上に向けて渾身の一矢を放たれました。
(つまり、人がいない場所に矢を放たれました)
四方に矢を放たれた後、今度は斧を持ってきて
護摩壇の四方に振り下ろします。
……とは言え、上手く撮れませんでした。
護摩壇には、松葉が溢れています。
そちらに向かって、松明の火が移されます。
護摩壇の松場に、火が付きました。
ただ、松葉はなかなか火が付きません。
とは言え、とにかく祈祷が始まりました。
少し時間を空けて、松葉が燃え出しました。
時間がかかる反面、松葉はいったん燃え出すと煙がよく出ます。
松葉は、本当によく燃えます。周りは、何も見えません。
まぁ、自分は2013年のここの祈祷と節分の壬生寺で経験済みです。
ただ、そうでない方々はだいぶ驚いておられました。
ただ、それは最初の10分だけです。
松葉が燃え尽きると、それほどの煙は出ません。
年長の修験者が、右手に小刀を持っておられます。
この時、左手には封をした護摩木を持たれています。
この角度では分かりにくいのですが、
小刀で封を切られた後、護摩木を次々と
火の点いた護摩壇に投げ込まれています。
そして、この辺りから様々なお経を唱えだされました。
自分の知っている般若心経も、唱えておられました。
2013年では何度も唱えられていらした般若心経も、
今回は1度のみで繰り返されることはありませんでした。
次に「南無祇園牛頭天王」を繰り返され、
最後に「南無神変大菩薩」と繰り返されました。
祇園牛頭天王は祇園祭を仕切る八坂神社のかつての御祭神で、
神変大菩薩は役行者の神様としてのお名前です。
そして2人の修験者が立ち上がり、法螺貝を吹かれました。
これで護摩焚祈祷は、終了です。
すると修験者の方々は席を立ち、
役行者山の会所方面に向けて立ち去って行かれます。
聖護院の修験者の方々が立ち去り、道路封鎖も終わります。
たくさんの方々が、また移動を始めます。
修験者の方々が座っていいた椅子には、
このように松葉が敷かれています。
そのような松葉は持って帰っても、
自分のように護摩壇に行って燃やした煙を浴びても、
ご利益があると言われています。
今年はその松葉を求められる方が多かったので、
役行者山会所の方が余った松葉を配られていました。
この後役行者山の会所を回るのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでとします。
~次回は役行者山の会所に訪れた後、鷹山を目指します~