2012 祇園祭 山鉾巡行 3
←目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。
山鉾巡行がしつこくて・・・飽きられましたか?・・・m(_ _)m スミマセン
祇園祭 山鉾巡行の最終回です。
21 放下鉾 (ほうか鉾)
鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する。鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが、昭和4年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ、巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞いができるように作られている。
22 岩戸山 (いわと山)
『古事記』『日本書紀』に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事にもつ、曳き山。「天の岩戸」は、素戔鳴尊の乱暴に天照大神が岩戸に隠れられたため、天地は常闇となり、八百万神は安の河原に集まって対策を練り、常世の国の尾鳴鳥を鳴かせ、鏡を鋳造し、500個の勾玉をつくり、天香山の榊を立て、天鈿女命が舞った伝承である。屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の3体の人形が飾られる。
◆そうそう、昨日のコメントのお返事で「2006年は大雨・雷の中の山鉾巡行。感激・泣けたよ~♪」 って言ってリンクを付けましたが・・・
今日もリンクしますね。→雨の中の山鉾巡行1 2 ←是非見て下さい。
23 船鉾 (ふねぼこ)
『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来する。屋形内に飾られた神功皇后の人形は、面を着け、頭に天冠を頂き紺金襴の大袖に緋の大口、緋縅の大鎧を付けている。応仁天皇を生んだゆかりから、御神体に、晒を巻いて置き、巡行後に安産祈願の御腹帯として授与する習慣がある。現在の船鉾は、宝暦年間に計画され、天保年間に完成。船頭に「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾る。高さ1.3m、両翼端2.7m。
24 橋弁慶山 (はしべんけい山)
山の御神体がなにを表すかは一目瞭然。五条の橋の上、牛若丸が軽々とぎぼしの上に飛び上がり、弁慶がなぎなたを構えるシーン。足駄の前歯だけで人形の体を支えるこの躍動感は、とても500年も前の造形とは思えない素晴らしさだ。かき山としてただ1つ、くじ取らずであったことや、山籠、真松もない形式からも、山の中では屈指の古いものであることが分かる。
25 北観音山 (きたかんのん山)
応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年おきの交代で山を出していたといわれる。隔年にでるというのは例がなく、この両山だけ。もとはかき山だったが、後に曳き山になった。楊柳観音像と韋駄 天立像を安置する。鉾ではないので真木の代わりに真松を立てる。松は、毎年鳴滝から届けられ、籤で所有を決めている。史料には「左三の枝に尾長鳥あり」とあるが、いまは鳩が留まる。北観音山に、尾長鳥が留まっている。
26 鈴鹿山 (すずか山)
鈴鹿山は、旧東海道の難所・鈴鹿峠をいう。畿内と東国を結ぶ要衝として、歴史上のエピソードも多い。商人を狙う盗賊が多かったことが、鬼が出る、に転化したようだ。この山の神・鈴鹿明神(瀬織津姫命)の伝説も鬼退治のおはなし。大なぎなたを手に、立て烏帽子の女神の姿がりりしい。
27 浄妙山 (じょうみょう山)
橋弁慶山に似て、アクロバティックな人形の姿が人目を引く。宇治橋の上、宇治川の合戦。一来法師が三井寺の僧兵・浄妙の頭上を飛び越して先陣をとった故事にちなむ。揺れる山の上で人形の上にさらに1体を乗せるのは強度の点で難しいが、1本の木で上下を繋ぐアイデアは素晴らしい。上下の人形を、上さま、下さまと呼ぶのもゆかしい。浄妙のよろいは室町時代のもので、重要文化財。
28 黒主山 (くろぬし山)
油天神山が梅なら、こちらは桜を松と共に飾り、華やいだ雰囲気をかもす。謡曲「志賀」のなかで、六歌仙の1人、大友黒主が志賀の桜を眺めるさまをテーマにしている。杖をつき、白髪の髷の翁の人形は、いかにも品格がある。失火で町家を失ったのを機に、5階建てビルにし、祭りのときだけ町会所にするのは時代をさきどりしたと話題になった。山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になる。
3回ほど回られました。
29 南観音山 (みなみかんのん山)
俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音”の行をされる」といういい伝えがあり、「あばれ観音」の別名がある。楊柳観音像と善財童子像を安置する。楊柳観音は、三十三観音の筆頭とされ、姿を変えて、手に柳を持ち薬師観音と同様に衆生の苦難を救う。この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけ趺座(ふざ)する。
御池通りを行く後姿。
30 鯉山 (こい山)
前掛けや見送りは16世紀のベルギー製のタペストリーで、重要文化財に指定されている。ギリシャの叙事詩に題材をとって人物や風景が描かれており、山鉾きっての貴重なものだ。人物でなく、魚をテーマにするのは山のなかで唯一。竜門の滝をのぼる鯉は竜になるとの言い伝えで、木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様は勇壮。
31 八幡山 (はちまん山)
八坂さんの祭りに石清水八幡をまつるのは不思議だが、当時それだけ八幡さんが信仰されていたあかしだろう。社殿は江戸時代後期天明年間の作と伝えられる総金箔押しの華麗なもの。前面の鳥居の笠木のうえに、向かい合って八幡さんのシンボルの鳩が2羽、止まっているのが愛らしい。
32 役行者山 (えんのぎょうじゃ山)
鈴鹿山と共に山鉾町最北の山。役行者(えんのぎょうじゃ)は自ら修行するだけでなく、庶民の中に入って医療などにつとめた僧。古くから民衆に人気があった。人形3体はその役行者をまん中に、鬼の顔の一言主神、葛城女神。三者の関係はさだかではないが、者が大峰山と葛城山のあいだに橋を架けようとして、鬼を使ったとの伝説によるらしい。人形が多いだけ山のサイズも最大級。
最終 大船鉾 (おおふねぼこ)
幕末の「蛤御門の変」の大火事で木組や車輪を焼失、以来巡行には不参加。
幸運にも御神体や懸装品が焼失を逃れました。今年より神面を「唐櫃巡行」として参加しました。
現在巡行している船鉾と同じく神巧皇后の外征説話を題材としています。船鉾が「出陣の船鉾」。大船鉾は「凱旋の船鉾」とされています。
行列を見送ります。
長刀鉾が御池に姿を現したのが10時10分。そして大船鉾の後姿を見送った時間が13時37分。3時間半に渡る山鉾巡行。
梅雨が明けたばかりのカンカン照りの中で、よくぞ撮影してくれました。私には出来ないことです。m(_ _)m
宵々山の鉾町風景を1回、いつかお届けします。
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京都駅近くのヨドバシカメラに展示されている大船鉾です。再来年から山鉾巡行に参加します。
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