清閑寺 清水寺から寄り道: 京都を歩くアルバム

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2007年4月23日 (月)

清閑寺 清水寺から寄り道

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清水寺の境内、子安の塔の横に山に向かう出口があります。
出てもいいのかなあ・・・閉門までに戻ればいいかなあ~~で、出てみて・・・5-6分で清閑寺に到着します。

歌の中山 清閑寺(せいかんじ)。 細い坂道を行きます。

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六條天皇稜 高倉天皇稜の前を上って・・・

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清閑寺に到着。

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駒札による説明はここです。
京都で製作される陶器は,天平年間(729~49)に行基(668~749)がここに窯を築いたのにはじまると伝えられています。
江戸時代初期より本格的な作陶がはじまり、三文字屋九右衛門が開いた粟田口焼が粟田焼の起源といわれ、その後、東山一帯の音羽・清閑寺・清水(きよみず)などに築かれた窯は清水焼の起源となりました。

歌の中山清閑寺といわれるこの寺は、真言宗智山派、延暦21年(802)創設。
清水寺と西郷隆盛のことについては右の駒札を拡大してくださいね。

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「歌の中山」ってここからきてるのでしょうか。与謝野礼厳の句も。

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「平家物語」に書かれた高倉天皇の寵姫小督局(こごうのつぼね)は、平清盛に追われて当寺に入って尼となり、養和元年(1181)21歳で世を去った。
背後の山に六条・高倉天皇陵があり、その傍らに小督局(こごうのつぼね)墓という宝筐印塔(ほうきょういんとう)がある。
謡曲「小督」と清閑寺。小督局の札です(没年が書かれてなくて歳が合わない)。

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清閑寺窯発祥の地などの札も。

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歴史に疎いけど・・・この頃やたら賢くなってきたりして・・・。

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要石です。

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「歌の中山」とは清水寺から清閑寺への道のこと。
大学時代、冬の朝の体育の時間は渋谷通りを超えてこの道を清水の舞台の下まで走ったものです。下で体操をして、舞台からはヒューヒューって人気で・・・イヤだったなあ。

また清水寺に戻って、八坂神社まで歩きました。
二年坂ではちょうど御衣黄桜(ぎょいこうさくら)が満開。

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霊山観音あたりから八坂の塔。ここからの塔っていいでしょ。

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夕刻が迫ってます。

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円山公園は夜桜。

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コメント

再びお邪魔します。
初期の頃からのブログを駆け足でクリック・ドラッグしながら、どれもこれも懐かしい思いで拝見しておりました所、「新・京都を歩くアルバム」2007-4-23日付最近の記事:“清閑寺 清水寺から寄り道”の説明で、小督局の死去年に、恐らく急ぐ余りの所為と覚しきキーのミスタッチを発見しました。“養和元年(281)21才”は“(1181)”であることは、駒札を拡大して見ても判る事ではありますが、敢えて余計なお節介を添えさせて貰いました。
本貫の地の移り変わりゆく様を嘆き悲しむ気持ちは多くの共感を得るのが自然というものでしょう。況してや、土地柄を考えれば、そのお気持ちは一入でしょう。
私の一番古くて懐かしい記憶は、鴨川右岸の旅館から眺めた向う岸の土手の上をコトコト走る京阪電車の長閑な姿です。いま一つは、バスから降りて、てくてくと歩いて辿り着いた築地塀も破れていたと記憶する西芳寺の庭で、堂宇も殆んど無く、近所の子供達の遊び場になっていた寺の有様です。
後年、京都駅を列車で通過する度に、駅前ビルの屋上に蝋燭の化け物のようなものを見て、不可解に感じるようになりました。そうして、ある日、高台寺の庭に立ったとき、上から見下ろして此方を覗き込むように聳えているコンクリート製の観音像に気付き、いつの間にこんな物がこんな所に出来たのだろうと仰天した次第です。
繰り言は此れ位にして置きましょう。今後のブログ更新に期待致します。

投稿: 槃特の呟き | 2007年4月27日 (金) 00:28

★槃特の呟きさん お早うございます♪
ご指摘有り難うございます。(281)じゃ縄文時代にもなりませんね。コピーして削り間違えたようです。訂正しておきます。
京阪が延びて地下に入った時、鴨川沿いの見事な桜がバッサリ切られて景色が一変しました。大きく枝を伸ばして川に垂れ下がる桜は今でも記憶しています。新しく植えられた桜と柳、今では大きく育って来ましたが「作られた並木道」・・・って感じになっています。
西芳寺も昔は「京都のお寺といえば苔寺」って感じでポピュラーでしたが、観光客の苔に対する非常識さは私も何度も見ていますから、お寺が怒って拝観停止にしたことも分ります。当時は無料、今は3000円だとか・・・。
京都タワー・・・建った当時は私もギョッとしました。年月は慣れですね、今じゃ京都駅のシンボルです。今の駅に比べたらおとなしいものです。
霊山観音・・・私が小学校だったか中学校だったかの時に学校から行ったきりです。「東山の眺望」ではシッカリ目立ってランドマークですね。
またお越しくださいね。

投稿: りせ | 2007年4月27日 (金) 10:23

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