京都を歩くアルバム

2025年3月 7日 (金)

東大路通を歩く 田中里ノ前町

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の田中神社の斜め向かいにフランス料理店の「La Part Dieu(ラ・パール・デュー)」があります。ランチ、ディナーともに美しいコース料理を堪能できる名店です。シェフは神戸北野ホテルの系列店「イグレックベガ」でシェフを経て、

この場所にあった「ベルクール」のシェフとなり、2015年にお店を改装して現在の店名になりました。看板料理の「花冠」は、50種ほどの野菜、花、野草、サーモン、ハマチ、カツオ、牛肉、鴨、海老が入った前菜です。

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御蔭通と東大路通の交差点に戻ってきました。ここから南は「田中里ノ前町」、北は「田中里ノ内町」です。左京区は大正7年(1918)に愛宕郡白川村、田中村、下鴨村が上京区に編入され昭和4年(1929)年に上京区から分かれました。

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交差点の南東角は「ほっともっと 田中里ノ前町店」、つくりたてのあたたかいお弁当を提供するホカベンです。Hotto Mottoは京都府に16店舗あり、店頭販売以外に、ネット注文(受取予約)、UberEatsや出前館による配達もあります。

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交差点の南西角は「クリーニングぴいぷる 田中里ノ前店」 クリーニングぴいぷるは北区に本店 京都市に25、向日町1店舗あるチェーン店で、種類や目的に応じた各種クリーニングコースがあります。

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「サクラ伊食堂」 イタリア食堂です。名物のカチョエぺぺはスパゲットーニというやや太めのパスタを使い、チーズとバターと黒胡椒のみ。単純に見えるパスタですが、シェフの力量が反映された逸品です。

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「本格中華料理 火楓源」 中国の東北地方の唐辛子が利いた料理が中心の中華料理店です。写真付きで200品ほど種類があり日本語や番号が書いてあります。それぞれ量が多く何人かで分けて食べる方がよく、注文すると直ぐに出てくるので注意が必要です。

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「なぶら 元田中店」 化学調味料をいっさい使用せず、塩分が控え目で体に優しいスープが評判です。具はチャーシューではなく鯖の竜田揚げがドーンとのっていて、つけ麺もあるそうです。

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「(株)清水光芸社 営業所」 写真屋さんで最近は証明写真やデジタルデータのプリント・ダビングが中心となっています。清水光芸社の本社は一乗寺にあり、文化財の高精細分割撮影(最大2億5千万画素)でも知られています。

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「里乃家」 学生さんも多い大衆焼肉屋さんで、お昼はランチ、夜は焼肉食べ放題(2名から)があります。いわゆる「しみじみ系焼肉」で、口に入れた瞬間に溶けるような霜降り肉ではなく、噛むうちに次第にうまみが広がってくる赤み肉が特徴です。

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「マルミツ洋品店」、建物は「長田ビル」です。最後の写真はクリーニングの「白洋舍 百万遍店」、ここから南は田中飛鳥井町で今日はことまでです。

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2025年3月 6日 (木)

田中神社 2025

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

東大路通を御蔭通まで来たときに、御蔭通の東にある田中神社に立ち寄りました。「田中神社」の創建時期や変遷、由緒などの詳細は確かではありませんが、古くから産土神(うぶすながみ)としてこの付近の住民に信仰されてきました。

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産土神はその土地に生まれた者を一生守護する神とされます。 かってのこの付近は愛宕郡田中村と呼ばれ、狛犬の台座にある「畑中」は田中村の字の一つです。

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社伝によると、平安時代末期の応保元年(1161)に創建され、鎌倉時代中期の弘安年間(1278-88)に河崎総社という神社の跡地に遷座されたとされます。「一の鳥居」

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境内の周辺部分は駐車場となっていますが、中央の参道は真直ぐ本殿に向かって延びています。途中に石橋があり、その向うの盛り土と榊はかって社殿があった跡地を示しています。

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「弘安殿」 住民の会合、講演会、教室などいろんな目的に利用される参集殿です。軒下に三つ葉葵の紋があります。この日は子供の自転車が並んでいました。

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一方、平安時代の歴史書『日本三代実録』の貞観5年(863)5月22日条に出てくる「田中神」が当社という説もあります。いずれにしても、平安時代に創建された古刹であることは確かなようです。「祭器庫」

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手水舎の後ろに砂場や滑り台があり、このような子供の公園がある神社は珍しいと思います。奥の二宮金次郎像は、おそらく近所の小学校から移されたものだと思われます。

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全国の小学校で金次郎像が撤去された背景には、「教育方針にそぐわない」「子どもが働く姿は好ましくない」「戦時教育の名残」「歩いて本を読むのは危険」などという保護者の声もあるそうです。

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「応仁文明の乱」(1467-77)では、村民が自警団を組織し神社を守るために「田中構」(たなかのかまえ)という防壁を築きましたが、文明6年(1474)に西軍の攻撃で村落は炎上してしまいました。「二の鳥居」。

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「天文法華乱」(1536)でも比叡山の衆徒と法華衆との激しい戦いに巻き込まれ、その兵火で焼失してしまいました。「社務所」(授与所)には、様々なお守りやおみくじがあり、その中に孔雀のおみくじがあります。

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上の写真の社務所の横に「伊勢神宮遥拝所」があります。

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その後も社殿は再建され、建物や提灯に三つ葉葵の紋が付いていることから、徳川家からの支援があったと思われます。「拝殿」、修復が必要とのことで、田中神社では屋根に葺く銅板の奉納(1枚5,000円)をお願いしています。

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本殿と拝殿は、下鴨神社の式年遷宮の度に譲り受けてきたと伝えられています。寛永5年(1828)に比良木社の旧殿を賜った際には銅貨を下鴨神社に奉納した記録が残っているそうです。境内にはかっての鎮守の杜を思わせる大木が茂っています。

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本殿には祭神として「大国主命(おおくにぬしのみこと)」が祀られています。大国主命は「因幡の白兎」の神話で知られますが、それは兄たちに連れられ、八上比売(やかみひめ)に求婚するために訪れたときのことです。

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途中で皮を剥がされた兎を助け、兎は八上比売が大国主命を選ぶと予言しました。その通りに二人は結ばれ、大国主命には181人もの子があったことから、恋愛成就、縁結び、福の神として信仰されています。

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本殿の両側に摂社として「倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)」「稲田姫大神(いなだひめのおおかみ)」「事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)」「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」が祀られています。

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『古事記』によると、八岐大蛇を退治し稲田姫大神(櫛稲田姫)と結ばれた素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子(あるいは子孫)が大国主命で、 その子が事代主大神、次の妻との子が倉稲魂大神です。

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天照大神は、地上の国(葦原の中つ国)を治める大国主命に国を譲るように命じ、邇邇芸命(ににぎのみこと)を遣わしました(天孫降臨)。その道案内をしたのが猿田彦大神です。(カワイイ大国主命の絵馬があります。)

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上の「国譲りの神話」は、現在では大和朝廷が全国を制覇する過程の何らかの史実を反映していると考えられています。(更に右には末社の「玉柳稲荷神社」があります。)

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明治12年(1879)に氏子の要望によって「談合の森」(現在の叡電茶山駅周辺)から遷され、五穀豊穣・商売繁盛・治病・家内安全のご利益があるとされます。いつもよく手入れされています。

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境内の北西隅に「徳富蘇峰先生勉学之處」 彼は「国民之友」や「國民新聞」を主宰、「近世日本国民史」を著すなど、明治から昭和にかけてのオピニオンリーダーとなった人物です。同志社英学校在学時にこの付近に住んでいたようです。

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社務所の向かいにケージがあり、神の使いとされる孔雀が飼われています。この日は1羽しかいませんでした。田中神社の祭礼として、月次祭は毎月1日・15日10時斎行されます。

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例祭として、1月1日歳旦祭、2月1日とんと祭、旧暦の午の日:初午祭(玉柳稲荷神社)、2月17日祈年祭、6月30日大祓、10月第3日曜日氏子大祭(前日氏子大祭宵宮祭)、10月23日例祭、11月23日 新嘗祭、11月28日お火焚祭(玉柳稲荷神社)。

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上に加えて1月3日には「金獅子頭(かしら)かじり」が行われます。神職が金獅子と参加者にお祓いをしたあと、宮司の舞が奉納されます。女性の宮司で、お父様が亡くなり娘さんがその後を継いでいます(以前の写真です)。

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田中神社では1年の厄払いとして、大人も含めて希望者すべてが金獅子に頭をかじってもらえます。小さい子供には恐怖のようです。この日は孔雀が境内に離され大はしゃぎでした。

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最後に孔雀も頭をかじってもらいました。これは怖い!

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このあと、東大路を百万遍の方に向かいました。お帰りの際には、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

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