北陸地方では、暗い空、寒く厳しく荒れた冬がやってくるその少し前に、毎年おだやかな日々が続くもので、それが、私にとってはとても貴重で名残惜しい季節だったものです。しかし、近年、温暖化のためでしょうか、その、おだやかな日がわりと長く続くような気がします。しかも、ちょっと暑いくらい。そして、それがあたりまえになると、そのありがたみもちょっぴり薄くなってしまうものですね。
安穏無事のありがたさというものは、そうやってついつい忘れがちになるものですね。例えば、病気になって健康のありがたさに気がついたり、別れてから恋人の大切さに気がついたりと、よく聞く話ですね。あたりまえですが、人は日常に慣れてしまうものです。
世界のニュースを開くと、まるで第三次世界大戦を想起させるような不穏な状況ですが、それもまた、海の向こう、どこか遠くの話に聞こえてしまいます。
先日、ある店で、使おうとしたポイントなのか、クーポンなのかの期限が切れたらしく、アルバイト店員さんをつかまえ、
「おら、そのために来たんに。どうしてくれるんや! 」
などと、いつまでもごねているご年配がいました。
「あんた、こりゃ金の問題や。つまり命に関わる大事なことやぞ。わかっとるのか! 」
私は、我が国は平和なものだなあと思ったものです。いや、なにも高尚ぶるわけでもなく、良い、悪いという話でもありません。我が国の日常、そのリアルをそのようななんでもない一場面にふと感じたものです。
2024.10.30
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イベントのシーズンですね。おかげさまで、ここのところオードブルやお弁当のご注文が多く、店休日も買い出しなどであちこち忙しくさせていただいております。しかし、天気もいいと、ちょっと息抜きもしたくなるもの。宮崎海岸まで足をのばし栄食堂へでかけ、おなじみ、このアルマイト鍋のたら汁を所望しました。
ここは、この店内の佇まいが懐かしくていいですね。料理というより、この風情を味わいに、時々来る店です。少しの間、1970年頃の世界へとタイムスリップできます。
ここは海辺も近いところがまたいいですね。私は食後に昼寝をすることが日課になっており、できることなら開けた場所が眠るのが心地いいもので、よく海を目指します。そして、水平線に囲まれ、さざ波を聞いていると、穏やかな気持ちになれるのです。悪い意味ではないのですが、私は海に「死」のイメージがあります。無に戻るというのか、「シャットダウン」というような感じが近いかもしれません。
その日の夜は夕飯を用意するのも億劫だったので、魚津のインディラへ行きました。
インド料理は好きで、ここもよく来る店です。厨房からあちらの言葉で聞こえてくる雑談がまた心地よいですね。アジア系の料理店は異国感が大事です。注文が伝わったのかどうか心配だったり、案の定、若干違っていたり、笑顔がなく不機嫌そうに見えたり。そう、海外の方が切り盛りしている店は、そのくらいがリアルでいいと私は思うところです。
キングフィッシャー・ストロングという強めのビールをいただいた私。店を出るころには、ごきげんを通り越してちょっと壊れ気味。サイケデリックな気分でありました。
2024.10.28
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もうすぐハロウィンですね。よくわからないけれど、西洋的な「怖いもの」といったイメージがいろいろな場面で散見するようになりました。そうそう、我が国では本来、縁起がいいとされていた黒猫ですが、不吉だとされたのは、やはりエドガー・アラン・ポーの短編が強烈だったからでしょうか。もしくは、戦後、欧米での古い言い習わし、そのイメージが、映画やら、テレビやらで伝わってしまったからかもしれませんね。私も子供のころ、道端で黒猫を見つけると、「うわ~」と逃げたりしていたことを覚えており、中にはおもいっきり石を投げる友達などもいたもので、今考えると先入観というものは恐ろしいものだと、背筋が寒くなるような気さえするものです。
先入観と言えば、食品スーパーで勤めていたころ、ある試食会で、Aに代わる、Bという新商品があり、
「うまい! Bは口に入れた瞬間から違いますね」
「まったく、Bは別格ですな」
「Bの味を知ったらもうAを食えん」
などと、みんなが散々言ったあと、それを用意した新入社員くんが、
「あっ、すんません、AとB逆にしてました」
と言ったときの、みなさんのバツの悪さ。まるでコメディーのようですが本当の話で、でも、このようなことはいろいろな場面でよくあったもの。「うまい」「まずい」というような官能は、思い込みだったり、さらにつまらないプライドから来るマウントやマーキングだったりなどということもよく見かけるので、私は「味のこだわり」みたいなことを語る人をあまり信用していないところがあります。
コロナ以前に中国を一人旅したカミさんが、
「マスコミで言うような『反日』みたいなことはぜんぜん感じなかったな。むしろあたしが日本人だとわかると、好奇心でたくさん集まってきたりして、素朴な人ばかりやった。まあ、実際に行ってみんとわからんもんや」
と言っておりましたが、なるほどと頷けるものがあります。そう。ネットやテレビなどの、自分が見ても聞いてもいない情報をうっかり鵜吞みにしてしまうことはありがちで危険なものですね。実際に黒猫と暮らしてみないと、不吉だとか、福を呼ぶだとか、そんな決めつけがくだらないということは、わからないものです。
2024.10.25
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秋になると、ふと旅に出たくなるものですね。そして、出かけてみては、懐かしい景色をたくさん見つけるものです。
私は子供のころ、実家からおでかけにちょうどいい距離だったのか、よく親父に横浜へと連れていったもらったものです。そして、山下公園通りの銀杏並木を、秋が来るたびに懐かしく思い出すのですが、実際にはちょうどの季節に行くタイミングがなかなかないものですね。私の記憶の中でふくらみ続けております。
若いころはこの季節に知らない街へと出かけることが好きだったもの。私は東京生まれだったので、例えば、関西へと旅に出かけると、言葉だったり、文化だったりがとても新鮮でした。
「おまえ、あほやな」
と、私は旅館の子供にすっかりなめられて、そう言われたのですが、なんだか映画のセリフのようで感動したものです。
今となっては、情報量も多く、均質化しているので、日本のどこに行っても、なんとなくその場所の想像がつくというのか、ちょっとつまらなくなってきているような気がします。
しかし、自然を見て感動するようなことも稀になってきておりますので、単なる私の老化かもしれません。
そうそう。以前訪れて、素晴らしかった場所をもう一度訪れると、そのキラキラとした輝きを失っているということもよくあるものですね。旅というものはそのときを味わわなければ、もう同じような感動を味わえないということでしょうね。
ですので、旅に出るなら、今、ここを、しっかりと過ごすということが大切なのでしょう。そして、生きて行くこともまた然りなのではないでしょうか。
2024.10.23
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高校三年の秋ごろ、私は美大受験に備えて新宿でデッサンを習っておりました。しかし、よくさぼって屋上で煙草を吸っていた馬鹿な私ですが、ある夕暮れに、街を見下ろし、どこからともなく煤けたような匂いがして、異様に切ない気持ちになったことを覚えています。秋独特の寂しさのようなものを身に染みて感じたのは、おそらくあのときがはじめてのような気がします。
しかし、若いころは、その寂寥を楽しむような余裕もあったものですが、年齢とともにこの季節が少し重くも感じるようにもなりました。孤独を味わうのも、きっと体力がいるものなのでしょう。それでも、感動することも多い季節。きっと、暗がりで明かりがきれいに見えるように、そのコントラストが大事なのでしょうね。枯れていく少し手前の木々だとか、雨あがりの匂いだとか、雲の合間に見えた青空だとか。芸術の秋と言いますが、やはりこの季節は感度が高まるのを自分の中に感じます。
そうそう、若いころと言えば、秋になって装いが変わって、なんとも思っていなかった女の子が、急にカッコよく見えたりなんてこともよくあったものですよね。恋をしたいなら、今がチャンス。よれよれのジャージばかり着ていないで、きみもたまには、ちょっとお洒落をして町へ出かけたまえ。きっと、いつもよりいい男に見えるに違いない。
2024.10.21
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私は食品スーパーに働いていた期間が長く、全ての部門を経験したことがありますが、海産部門が一番面白味があったように覚えています。日々、仕入れるものや、並べるものが変わっていくし、切り身や、刺身など、加工する作業も多く、鮮度も一番シビアな部門なので、時間毎に判断することがたくさんあり、飽きません。でも、その分、他の部門に比べて作業がハードだったり、職人気質の荒っぽい担当者が多かったりと、当時は定着率の悪い部門だったものです。私がスーパーの運営を任されたときには、海産部門をリストラして、地元専門店のテナントを呼びました。やはり経営となると「魚屋」は、特に人材の面でハードルがめちゃくちゃ高かったので、そう判断したのです。
ですので、買い出しで魚屋さんなどに行くと、まあ、みなさんよくがんばっているなあと、いつも感心します。そして、ありがたいもの。そうそう、今となっては、鮮度のいい丸魚を買える店も限られており、今年の夏枯れの時期、魚の仕入れはたいへん苦労しました。
それにしても、私が海産部門を担当していた30年近く前に比べ、地魚の魚種も変化して、温暖化を身近に感じるようになったものです。また、世界では混獲や乱獲、違法漁業、養殖の環境への影響など、水産資源に関する問題もよく聞くようになりました。
たいしたことは自分にはできませんが、シンプルに、なるべく地域の魚を仕入れて、一尾一尾、できるだけきちんと、無駄なく使いきるようにすることではないかと考え、取り組んでおります。
2024.10.18
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美術展を見に岐阜市に行ったついで、せっかくなので養老の滝にも行ってまいりました。
2007年にベトナム、ハノイ旅行の帰りに、たまたま寄って以来、このあたりの風情が好きで何度か来ております。そのときは、海外から戻ったばかりで、ここで食べた蕎麦がめちゃくちゃうまかった。そして、このような懐かしい雰囲気。幼いころ、親父に手をひかれ、よくあちこち出かけたものですが、なんだかそのころを思い出すような風景がここにはたくさん残っております。
それでも、やはり来るたびに、お店の数はだんだん減っているような気がします。仕方のないことですが、このような、昭和を感じさせる場所がだんだん少なくなりつつあるのは淋しいものですね。せめてもの応援の気持ちで、ここの名物らしい「養老サイダー」という飲み物を買ってみました。
それと、私は勉強不足で養老の滝にまつわる言い伝えを知らないのですが、なんでもそのエピソードはひょうたんが重要なアイテムになっているらしく、このあたりはどこもひょうたん推しです。ひょうたんが名物というのもなにかグッときますね。来るたびに、
「こんなもんどうすんの!」
と怒られながらついつい買ってしまうものです。私はどちらかというとミニマムに生きていきたい方なのですが、旅先に来ると、なぜだか、無駄に地名の入った菅笠だの、ボロ布で編んだような草履だの、どこで作っているかわからない木刀だの、土産物屋の奥でほこりをかぶっているようなモノを衝動買いしてしまうタチのようです。
帰りに寄った「ゆせんの里」という温泉は、錆びた鉄が混ざったような濃い色をしていてなんだか効きそうな泉質でした。まだ残暑が続き、暑い日でしたが、湯上りに見上げると、秋らしく空が澄んで、養老山の稜線が絵画のようにきれいに見えました。
2024.10.16
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富山県で暮らしていると、飛騨高山まではよく行くものの、その先、岐阜市へとはあまり行かないものです。どうせそこまで行くなら、名古屋まで行ってしまおうみたいな。そう、こちらの地方には、どちらかと言うあまり馴染みのない場所のような気がします。
店休日、そんな岐阜市に、車で四時間ほどかけて行ってきました。とりあえず「内藤記念くすり博物館」に到着。
ここはエーザイ株式会社の敷地内にある博物館で、医学や薬に関する展示物がけっこうなボリュームでありました。また薬草園や温室などもあって、なかなかの見応え。個人的には、明治時代、創業者の生い立ちから始まる、エーザイの社史の展示も、ドラマがあって面白かったです。
昼食は行き当たりばったり、名物っぽいので岐阜タンメンという麺をいただきました。めずらしく女性スタッフさんばかりの店舗で、ラーメンもおいしく、接客もよく、ホッとしました。そうそう、いつか、岐阜で、ある有名店に行ったのですが、そこの大将が
「何やってんだばかやろう! 」
などと、女将さんに怒鳴りまくっていて、非常に雰囲気が悪かったもの。たまにあるそれ系のラーメン店、どうも私は苦手です。お山の大将みたいな人を見ていると、なんだか情けない気持ちになってしまうのです。
今回のメインの目的地は岐阜県美術館にて、山本芳翠展/オディロン・ルドン展でした。ルドンは高校時代に画集を買ったくらいカミさんが好きな画家で、なるほど、幻想的で、沈んだ繊細なタッチが素晴らしかったのですが、私はどちらかと言うと、山本芳翠のほうが興味深く、集中して鑑賞することができました。単に、日本人だからという歴史や文化の背景、そのモチーフに親近感があったこともありますが、例えるなら、葛飾北斎や手塚治虫、またはビートルズのような、多様で力強い感じが面白く、明治時代とは思えないような新鮮なイメージなどもところどころに発見できました。
そして、こんなふうにゆったりと絵画を眺める時間や心持ちもひさしぶりでしたので、そのこと自体も新鮮でした。
気がついたら彼岸花の季節。今年は残暑が厳しかったので、秋も短そうですね。
2024.10.14
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おかげさまでお弁当のご注文も最近はたくさんいただいておりおます。とくに平日は会議やミーティングなどのご用命が多いようですね。
私はこっそり人を観察することがわりと好きな方で、以前の仕事で、会議などでの会食の際には、ちらちらとそれぞれの食べ方など盗み見などをしていたものです。特に企業を背負ってやって来ている経営者さんなどは興味深いものがありました。例えば、おぼっちゃんタイプの二代目社長さんなどが偏食や食べ残しが多かったり、現場たたき上げの社長さんの所作が素晴らしくきれいだったり、それぞれお弁当の向き合い方を見ていると、思った通りだったり、意外であったり、面白いなあと思うところがありました。
そういえば、さらに若いころの職場では、社員も少なく、5人ほどの現場でしたので、いつも社長を囲んで、ミーティングを兼ねたお弁当でした。・・・いや、ミーティングと言うより、社長の話を一方的に聞いているだけでしたが。そして、その社長が昔気質のワンマン社長で、めちゃくちゃ機嫌が悪いときもあり、月に1~2回ほどは、
「おまえら勘違いすんじゃねえ! そんなんだから仕事がダメなんだ! 」
などと、怒鳴られながらのお弁当。なかなかの地獄だったものです。そして、
「おい、黙って聞いてりゃ! なんだよその言い方は! 」
などと、今度は社長の息子の専務さんが言い返したりして、よく修羅場のようになりました。
私は当時、リタイアして暇だった親父が作ってくれた弁当をいつも職場に持って行っていたのですが、そんな日にかぎって蓋を開けてみると、なんと、家で飼っていた猫のキャラ弁です。しかも海苔で描かれたその絶妙な下手くそ加減。そんな親父のイタズラがツボにはいってしまい、今にも殴り合いがはじまりそうな極限の緊張状態の中で、私ひとりうつむいて、めちゃくちゃ苦しかったものです。
2024.10.11
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ふと思い出したのですが、ある秋の日。私がまだ20代のころなので、だいぶ昔の話ですが、ある方の自宅葬に参列したさいに、食事が提供され、その一番の上座に、地元で名の知れていそうなお寺の僧侶が案内され、のっしりと座っておりました。
喪主が、
「ご苦労様でした」
と、ビールをつごうとすると、その僧侶は、
「いや、わたしはアサヒしか飲まんので・・・」
と不機嫌そうに言ったので私はびっくりしました。その瓶ビールはキリンです。そして、喪主は気まずそうに、誰かにたのんで、実際にアサヒを買いに行かせ、そのあいだみんなの食事はお預け。
「おまえそれでも宗教家か? 」
と、若かった私は、胸ぐらをつかみたいような気持になりましたが、今考えると、その僧侶は単に狭い世界で歳をとりすぎていたからだろうなあと思えます。
そう、年齢とともに私の中にも、つまらないこだわりが強くなりつつあることを感じます。そして、良い悪いにかかわらず、その現状を維持したがる自分があります。いわゆる老化ですね。「頑固さ」だとか「こだわり」だとか、誰でも、そのような老人にごく自然となっていくものなのでしょう。
しかし、世の中は秋の空のように目まぐるしく変化しております。
自分の中の、何かを壊したり、捨て去らないと、そこに対応できない場面もたくさんあるもの。歳をとっても、囚われず、考え方がしなやかなご年配を見つけると、本当に素晴らしいなあと思います。そして、私もそのようになりたものだとよく考えるところです。
2024.10.09
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