おかげさまでゴールデンウイークが終わってからもなかなか忙しくさせていただいていたのですが、さらに、6月の半ばには、店を貸し切って、ある有名アーティストさんのライブの打ち上げ、という大役を以前よりいただいておりました。
関東方面からのお客様、せっかくなので、地元らしいメニューでコースを組み、食材の手配も一週間ほど前から準備をはじめました。また、ライブが終わってからでないと正確な人数がわからないという話だったので、テーブルや椅子、料理の配置を何パターンか考えてお迎えしました。
蓋を開けてみると、さらにファンの方も合流し、想定していたよりも大勢のお客様がご来店。私自身、若干パニックになってしまい、いろいろ不手際などがあったのですが、
「いいよ~。無理なく。だいじょうぶ、待っているから」
と、バンドの皆様や、お客様にたすけていただくようなかたちでなんとか対応させていただきました。そうして、みなさんたいへん盛り上がって、ギターを片手に大合唱などもあり、そのような場所に当店を使っていただき、本当にありがたく思いました。
そして、その夜が、当店で最もお客さんが入った日となりました。
それまで、その大仕事にだいぶ緊張していたようで、翌朝、庭に、もうガクアジサイが咲いていたことにやっと気が付きました。そして、なんとも美しかったこと。そうやって、心境によって景色は変わるもの。花は落ち着いた気持ちで見るからきれいなのかもしれませんね。
2024.06.28
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クロはあまえんぼうで、休日など、私たちが家にいるだけで嬉しそうにしています。好きな人と同じスペースにいるだけで幸せということは、ものすごくシンプルですが、大事な気持ちですよね。クロには言葉が無いぶん、なにか、心がダイレクトに伝わるようなところがあります。
しかし、人間の場合、そのようなストレートな気持ちほど、へんに言い訳を考えたり、取り繕ってしまいがちですよね。
「いや、たまたま見かけただけ。・・・忙しいんで。じゃあまた」
と、本意とは裏腹に、うやむやにして、逆に遠ざかろうとさえする人もおります。
また、人に期待しすぎてしまうということもありがちですよね。
たとえば、
「解散してからのポールの曲って、がっかりだよな」
みたいな事を言ったりするビートルズのファン。きっと、それまでの愛が強かった分、自らの本意から外れると、失望も大きいのでしょうね。
そういえば、レイ・ブラッドベリの「霧笛」という短編小説に、太古の恐竜の生き残りが、ある岬の灯台を同じ仲間だと勘違いしてしまうという話があります。さいご、失恋したと思ったのか、恐竜は、その灯台をとうとう破壊してしまうのですが、その物語は、灯台守のこのようなセリフでしめられておりました。
「この世の中では、なにを、いくら愛しても、愛しすぎることはない」
力強い言葉ですね。
しかし、現実の世界では、
「世の中そんな甘くない」
と脅かされたり、
「世の中そんなもんだよ」
みたいな、あきらめの言葉を、いろいろな場面でよく聞かされたりするものです。
どんな気持ちも素直に受け止められて、また、愛を惜しむことないようにしたいものですね。そんなことを思う、今日この頃の私です。
2024.06.26
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6月9日はロックの日ということで、ずっと以前よりライブイベントの出演を予定し、バンドのメンバーのみなさんと練習を重ねていたのですが、うっかり月例のイベントKAYADOフリーにブッキングしてしまい、実に慌ただしい一日となってしまいました。
午前4時。夜明けとともに起きて、お弁当作りからスタートです。そうして、午前中はパッシブタウンにて、雑貨とともにイベント販売。しかし、こうやって見回すと、いろいろな場所でワークショップや、催しなどもあり、その賑わいの中、ウキウキとした笑顔の方をたくさん見かけ、KAYADOフリーも、積み重ねが長いだけあって、本当に成熟した良いイベントだなあとあらためて思いました。きっと、実行委員のみなさんやスタッフさんの熱意や努力が実った結果なのでしょうね。
午後は「KUROBE LIVE BASE」にて元スネイル・ランプ、TARO氏の企画したイベント「TOYAMA MUSIC LIVES」にカタコト屋軽音部として出演してきました。
ひさしぶりにフルバンドでの演奏は楽しく、しがないおじさんバンドですが、客席のみなさんにずいぶん盛り上げていただきました。また、メンバーのみなさんも、そろっての練習があまり出来なかったのですが、きちんと仕上げてきてくれ、しかも、それぞれの役割、持ち味を活かした演奏がめちゃくちゃ心地よかった。そのように、本番で、思いがけない曲の味わいを発見できるのはバンド演奏の醍醐味ですね。自分自身は反省点が多かったのですが、また精進して、秋か冬ごろのバンド出演を目指したいなと思っています。
イベントが終わってからも、当店に出演者さんが立ち寄ってくれて、たいへん賑わったのですが、
「店チョー、やばい。逃げたほうがいいかも」
と店の外で煙草を吸っていたお客さんが言うので行ってみると、夜空がオレンジ色。近所で火事があり、その火の粉が、パチパチと弾けながら店の周りにも降り注ぎ、すすけた匂いの煙もあたりいちめん立ち込めておりました。一瞬、すぐ隣が火元のように見えたので、あわてて消火器を持って出直すも、案外に現場は離れており、消防車のサイレンも聞こえてきたので一安心。あとでニュースで見ると、負傷者もいなかったと聞きます。
しかし、本当に火災は恐ろしいものだと思いました。へんな話ですが、今までよく見聞きしていた、日本中の都市に焼夷弾が落とされていた戦時下の話が、なんだか腑に落ちるような気がしました。
2024.06.24
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若いころは庭の草木が伸び放題になっていても、なんとも思わず、
「むしろワイルドでいい感じなんじゃね」
などと本気で思っておりましたが、歳をとってみると、さすがに鬱陶しく、このごろは慣れない手つきで、気が向くと庭仕事の真似事などもしております。庭仕事といっても、やみくもに枝をおろし、草を刈っているだけですが。
そうそう。例えば、若いころに破けたジーンズを履き、色あせ、汚れた軍服などを羽織っても、それなりに似合ったものですが、歳をとってそのような恰好をしても、しっくりとこないのと同じで、散らかった場所がだんだん相応しくなくなってきているのだと思います。
いい加減、年齢を重ねていると、侘しさといのか、そんなものがつきまとうものでしょうね。
「最近、若い子を見とると、なんだか生命力を感じるようになった」
とカミさんが言っておりましたが、なんだかわかるような気がします。
でも、だからといって、若いころに戻りたいかというと、体力ばかり有り余って、「やるべきこと」がわからず空回りばかりしておりましたので、私自身はまったく思うところはありません。
今となっては、どんどん伸びては茂っていく草木のように、次から次へと現れる「やるべきこと」に追いかけられております。でも、そのような毎日に、生きているという実感を感じているのです。
2024.06.21
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1995年に、私がこちらの地方にやってきてすぐに勤めていた食品スーパーの跡地が、いつの間にかドラッグストアになっておりました。
ひさしぶりにこの場所に来るといろいろなことを思い出します。
ここは四店舗あったあるローカル食品スーパー企業の旗艦店舗で、2階には本社フロアがありました。当時最新モデルだった400坪の売り場面積で、日商で3~400万くらいの売上規模でした。でも、利益率が低く、減価償却費や本社負担費などを含むと、毎月、数百万ほどの赤字が続いていて、年末だけちょっぴり黒字、
「この店大丈夫かな?」
とよく思った記憶があります。実際、近くに県外からの競合店舗が進出してくると、あっけなく資金ショートを起こし、2000年には他の不採算店舗も含め、手放すことになりました。その、敗因を考えると、その企業はある管理職のワンマン体制で、独善的な政策が続いたのですが、創業者でさえも実務に無関心で、ブレーキ役が誰もいなかったためだと思います。
でも、アルバイトリーダーから国家元首まで、大小問わず世の中でよく見る光景ですね。なんらかの地位や権力を持ってしまうと、人の言葉に耳を貸さなくなり、自身は変化する努力をぜず、まわりばかりを変化させようとしてしまいがちです。そして、当たり障りのない人たちで回りを固め、居心地のいい自分の場所を脅かすものを排除しようとするもの。そのときも、いろいろな肩書の人たちがやけに本社にたくさんいて、「できない事はない」「自分で考えてやり遂げろ」などと、やたらと強い文面の指示文書が一方的に出ておりました。そして私のようなよくわからないよそ者は「苦労が足りない」と言われ、現場を無暗にあちこちまわされ「名ばかり」「銭にならん」みたいな陰口もよく聞こえてきたものです。
その当時、私がいろいろな現場を担当して、肉や魚を切っていた包丁は、今でも私のために働いてくれております。単なる道具かもしれませんが、手元にあると、なんだか長いあいだ共に戦ってきた戦友のように、心強く思います。
2024.06.19
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このごろはこの季節に珍しく、富山湾はがんどぶりがよくあがっているようですね。時々、仕入れております。がんどぶりとは鰤よりもサイズが小さく、まだ成長が手前のものですが、それでも80センチほどの魚体ですので、さばくのはなかなかの仕事です。
大きなサイズの魚を開いていると、生々しく感じるものがあり、調理をするということは「いのち」をお預かりする仕事なのだよなあなど思います。いのちを出来うるかぎり無駄なく、お客様へとお届けすることが料理人の使命と考えると、やり応えを感じ、身が引き締まるような思いもします。
自分自身で置き換えてみると、毎日、少しずつ切り身にして生きているようなものですね。私のいのちもいつかはなくなってしまうものです。そう思うと、時間は貴重なもの。「♪だれもたすけてくれないよね~、世の中が悪くて、ボクかわいそうだね~」的な歌を聞いて涙ぐんでいる暇はないものです。そして、「♪だいじょうぶ~、あしたがあるよね~、今はがんばらなくてもいいよね~」的なやさしい歌などを真に受けてていたら、あっというまに人生が終わってしまうような気もしている今日この頃。やっぱりロックンロールを聞いて、がんばろうと思います。
2024.06.17
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先日、氷見市芸術文化館にてのイベント「ハナミユクノ庭(初夏翠のサーカス)」にて出店。お惣菜や雑貨販売をさせていただきました。まさにイベントタイトルに相応しく、ほんとうにさわやかで良い天気だったので、個人的にはいい気分転換にもなりました。そして、出展者のみなさんも、おしゃれで気さくな人たち、あわせてお客様も気持ちのいい方ばかりで、とてもいい時間を過ごすことができました。
しかし、敷地内もそうですが、近隣を少し散歩してみると、やはり正月の大地震の爪痕がいたるところに散見されました。街を修復するということは時間もかかり、相当の努力がいるものなのですね。ふだんあたりまえだと思っている身の回りの環境が、ありがたいものなのだということをあらためて気づかされました。そして、日常というものは思っているより脆いものなのかもしれませんね。
せっかく翌日が店休日なので、その日は高岡にて一泊。カミさんの誕生日近くでもあったので、駅近くで「たかまさ」という居酒屋を見つけ、ささやかなお祝いをしました。地魚などもきちんとおいしいお店で、地元の人たちでたいへん賑わっていたようです。
翌日は瑞龍寺にも寄ってみました。小雨が降る中、静謐な伽藍を巡っていると、心が洗われるようです。
そうそう、高岡、金沢には曹洞宗の寺院がけっこうあり、30代のころは興味があって、よく参禅に行ったものです。任されていた仕事について、危機的な状況が続いていたので、なにか、すがるような気持で禅宗に傾倒していたのです。でも、せっかく参禅にでかけても、その帰りの足で、居酒屋に駆け込み、〆にラーメンを啜り、千鳥足で帰っておりましたから、まったくダメな雲水でありました。
しかし、すばらしい建築でした。こうやって、長い時間の積み重ねの中で、整然とさせ続けた美しさというものは、なにか説得力がありますね。悟ってもいないのに、悟ったようなことを言う私などは、あらためてちっぽけに感じるものです。
2024.06.14
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まだ20代前半のころ、営業職が自分に合わないと決めつけて広告会社を辞め、安易に、面白そうだからとカメラマンを目指したときがありました。
「ここで根性を見せたら写真家になれる」
などという面接の話を鵜吞みにして、都内一等地にあった、ある撮影スタジオで働いたのですが、そこが私の経験した中で最もブラックな職場でした。
初日に来るなり、スタジオの外に出られるのは二週間に一度くらいだと聞かされ、仕事があればいつでも動けるように24時間待機していなければならないのですが、睡眠するためのスペースなどなく、私はスタジオの隅、レフ版の上で寝ていました。そして私は、とりあえず下っ端だからと、撮影にはまったく関係ない掃除や雑用、スタッフの食事係みたいな仕事をさせられました。
スタッフは10人ほどいたのですが、カメラマンを目指し地方から出てきた、そのころの私よりさらに年下の、ハングリーな若者ばかり。そのような環境、過労のため、みんなむくんだような顔つきで、目ばかりがギラギラとしておりました。気持ちも荒んで、上下関係によるハラスメントが横行し、さらにそのスタジオのOBだとかいうカメラマンが時々やってきては威張り散らし、スタッフを殴るなどして、まるで過激派か暴走族組織のような雰囲気さえあったものです。
スタッフのリーダーで、すぐにキレてモノを投げてくるような冷酷なタイプの男がいたのですが、
「おまえどけ」
と、カレーがメニューのときだけ、どこかで覚えて腕に覚えがあるのか、棚に隠してあるスパイスを取り出し、キッチンにこもって、数時間ほど寸胴鍋に向かっておりました。
そして、それが、私の食べた中で一番うまかったカレーだというのはなんとも皮肉というのか、不思議なものです。
さすがにそのスタジオはひと月もたたないところで、見張り役の目を盗んで早朝に脱走し、カメラマンを目指すという夢は早速に挫折したのですが、あのときのカレーの味を目指すという努力は今でも続けている私です。
2024.06.12
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それにしても梅雨前のこの時期はほんとうにさわやかですね。なぜ、このようなすばらしい季節に日本を抜け出して、死者まで出し、記録的な猛暑が続いてるというタイへと行ったのか、よく考えるとちょっと首をかしげたくなるような気もしてきました。
ともあれ、タイ旅行から帰国して、ほんとうに日本は気候に恵まれているなあと思った次第です。
そして、以前は、アジア方面の旅行から戻ってくると、その人々の活気の違いから、なんだか日本という国が寒々として、味気ないように思えたものですが、帰ってきてよかったとこころから思えるようになったのは、私が歳をとったからかもしれませんね。
そして、帰国してすぐ、たっぷりの湯船の温泉に浸かり、我が家にて、クロと夕暮れどきを過ごす時間はしみじみと落ち着きます。もう、傍目から見たらおじいさんのように私は見えるかもしれません。
せっかくきれいな夕暮れ時なので散歩に出てみる私。稲が植えられたばかりの田んぼを見ていると、整然としたその模様に、協調性、勤勉さ、我慢強さ、真面目さ、そんなものが感じられ、まるで日本人そのものだよなあなどと私は思いました。
そして、回転寿司屋で一杯ひっかての帰り道。なつかしいお月様が、私を追いかけておりました。
春が終わって、梅雨がやってくるまでのほんの少しの間。私の好きな季節です。
2024.06.10
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ゴールデンウイーク明けはしばらくきっと暇になるだろうと、タイ旅行のスケジュールを組んだのですが、旅行中にもたくさんのご予約やご注文をいただき、帰国して息をつく間もなく、なかなか忙しくさせていただきました。
個人事業主ですので、有給休暇などというものはなく、旅行をしているあいだは出ていく一方、休んだ分はまた働いて稼がなければいけません。ですので、こうやってすぐにでもお仕事をいただけることは本当にありがたいものです。
そして、また、戻って、やるべき仕事があるから旅行はその非日常が楽しく、充実したものになるのですよね。
ずっと以前、まだ20代のころ、仕事も勉強もせず、ふわふわしていた時期があり、泊まり込みの短期バイトにもよく行っていたのですが、そのついでに、ひとり伊豆半島を旅行したことがあります。サリンジャーの小説を片手に、ロードムービーにかぶれて出かけたものの、寒々として、なんだか漂流しているような気持ちだったことをよく覚えています。「自分」を見つけることなどは出来ず、さすがに、そのような「自由」は虚しいものだということに気が付かされたものです。
というわけで、今回の旅行の経験も糧にして、今日もこの店で、いつものようにがんばっている私です。
2024.06.07
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