正確には今が旬かどうかわからないのですが、このごろはサワラが富山湾内でよくあがっているようですね。このサワラ、私がスーパーの魚コーナーを担当していた30年近く以前は、この地方ではほとんど見たことのない魚でした。当時扱ったものでは、関西かどこかの産地で、西京味噌に漬けた冷凍ものを幽かに覚えているくらいです。きっと海水温が高くなった影響でしょうね。あっさりとしているので、やはり、味噌にみりんをあわせたものに漬けて焼くと美味しいです。
根菜もおいしい季節になってきましたね。さといもなどはこちらの地方でよく好まれている野菜です。剥くのも面倒だし、味もはっきりしないしで、元々私はそんなに好きではなかったのですが、歳をとったせいか、シンプルな里芋煮などは好んでよくつくります。
お酒を普段控えるようになって、甘党になった私。大学芋も割と好きでよく作ります。
しかし、どうして大学芋という名前なのでしょうね。あえて調べないで想像で書きますが、昭和初期っぽいネーミングのような気がしますね。貧乏で腹ペコの大学生のために、溶かした砂糖をからめて安く売ってみたら大ヒットした、みたいなパターンでしょうか。
社長「よし、この商品の名前を考えたぞ。『腹ペコくん』でどうかの」
社員「社長、センスないっすね、ボクだったら『貧乏な芋野郎』にしますが」
社長「いや、キミ、人のこと言えんぞ。そんな自虐的な商品を誰が買うんじゃ」
社員「そうしたら、大学生がよく買うし『芋大学』はどうっすか? 」
社長「それじゃあ、まるで芋を学ぶための大学みたいじゃの」
社員「よしわかった! 逆にすればいいんだ! 」
社長「よしそれじゃ! でかした! 言ってみい! 」
社員「『くがいだもい』だっ! 」
社長「・・・いや、キミ、むしろ離れてしまったぞ」
秋茄子などもおいしい季節ですね。なすのこのかたち。なんとも言えず愛らしい。ついつい撫でたくなるなあなどと思ったら。
そう。クロのおしりにそっくりなのです。
2023.10.30
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今年は夏が長かった分、秋は短く美しいですね。そして、そんな季節に散歩するのは楽しいもの。彼岸花の赤色が冴えて見えますね。枯れていく草木の色合いに対比してとてもきれいです。
花水木の実も然り。秋は赤色がとても映えますね。旭川で暮らしていたころは、ナナカマドの実が印象的でした。よく通っていた「ちろる」という喫茶店の中庭にナナカマドがあったと記憶しています。秋は、コーヒーと煙草もよく似合いますね。煙草はもうやめてしまいましたが、青い煙をながめながら、中庭でぼんやりと過ごした時間を思い出します。
そうそう。秋にはそうやって、ふと懐かしい風景を思い出すことがよくあります。金木犀の香りが、遠足で歩いた鎌倉の小道だとか、深夜に尋ねた狛江の友達のアパートだとか、引っ越しのアルバイトの庭先で休憩したときだとか、そのような場面をふと甦らさせます。
そして、晴れた日には、海辺でカップヌードルを無性に食べたくなるのは、きっと、高校の頃、学校をさぼってバイクで出かけ、よく海を眺めながら食べたからなのでしょう。港の近くには、トラックドライバーや作業者のために自動販売機のならぶ場所がよくあって、そこで買ったカップヌードルを、短いプラスチックのフォークで食べたものです。グーテンバーガーというのもありましたね。自動販売機から出てくる、グニャグニャでアツアツのハンバーガ。ぜんぜんうまくないけれど、そんなものを頬張って、セブンスターをふかし、無駄に大人ぶっていた馬鹿な少年でした。
でも、やっぱり秋の海はいいですね。昼寝するのにうってつけの場所です。そして、厳しい日本海の冬がやってくる前のつかの間の平和なひとときを味わうのです。
2023.10.27
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食品スーパーの店長をやっていたころ、ある夜、めずらしく社長が我が家に神妙な面持ちでやってきて、
「食品スーパーの事業から撤退する」
と私に告げたことがありました。すっかりローカルスーパーが淘汰されて、大手スーパーしか残っていない今から考えると英断だったと思いますが、そのあと、営業の譲渡やM&Aがうまくいかず、大手企業に契約をドタキャンされたり、狡猾な二流の経営者にひどく不利な契約をさせられそうになったり、状況が二転三転し、交渉先もあれこれ変わり、そうやって宙ぶらりんのまま5年程食品スーパーの営業をしておりました。
店を閉めるとわかっていながら、従業員さんにそれを知らせることが出来なかったことは心苦しく、今でも申訳なかったなあと思っています。そして、頑張るにも頑張れないような状況で現場の指揮を執るのはなかなかのストレスでした。今思えば、目の前のやるべきことをやっていればいいだけの事でしたが、当時はそのような心境には達しておらず、苦しい五年間でした。
そんな中、地元スーパーの生き残りをかけ強化をはかっていた、惣菜の部門だけでも残せないかなと画策してみたことがあります。そう、ショッピングセンターの隅によくある「お惣菜屋」のような形で事業を残したいと考えてみたのですが、実際に閉店させる場面になるとシビアな状況が続き、現実はそんな甘くいくものではありませんでした。
でも、こうやって小さな小料理屋のような店を立ち上げて、コロナの対応でテイクアウトに取り組み、案外に弁当やオードブルのご注文をたくさんいただくようになって、気がつくと「お総菜屋」のような仕事をしている今の私。なんだかそのときの想いが今になって叶ったのかもなあと、ふと思うのです。
2023.10.25
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今回東京を訪れてみて、さすがに30年近く暮らしているので、もう私もすっかり富山人なのだなあとしみじみ思うところがありました。新幹線で二時間半ほど、ずいぶん気軽に行けるようになり、地方との差もそんなになくなってきたものですが、東京の街がなんだかよそよそしく見えてきたのです。
「今でも山が壁のように見えるのかい」
と母上に聞かれました。そうそう、富山に来たばかりのころ、連なる立山連峰が、まるで私を閉じ込めている壁のように見えたというような文を小説に書いて、ある新聞に掲載していただいたことがあったのです。当時の私は、経営者の娘婿という立場でしたので、いきなりこの土地のしがらみに囚われ、がんじがらめになったものです。
はじめはこの地方の言葉をうまく聞き取ることもさえもできなかったもの。そして、まわりの人たちは遠巻きに私を観察するといった、ぎこちない雰囲気がありました。案外、田舎の人のほうが、挨拶のできない人がよくいたものです。きっといつも同じ人と顔を合わせるので、必要がなくなってくるのでしょうね。でも、先にあいさつがなかったとか、こっちからしないとしないとか、へんな順番もあるのです。今で言うマウンティングでしょうか。私も若かったので「は、ありがとうございます」と、神妙に振舞っていると、今度はへんにおせっかいになって、それどころか、ずけずけと土足で家を上がってくるような態度に変わる人も実に多かった。まるで太宰の「親友交歓」のような世界です。そうそう、よく都会から地方に移住する人がトラブルになる話を聞きますが、牧歌的なイメージだけでやってきて、その、見えないルールや、独特の距離感に面食らうということはありがちなものです。Iターンを検討をされている人があれば、期待値をそれほど上げず、柔軟な心構えは必要だと思います。まあ、どんな現場でも、一度溶け込んでしまわないと、変えるものも変えられないものですよね。
しかし、どこで暮らしていようが、いい人にも出会えるし、気に入った場所を見つけることもできるもの。そして、秋の空のように刻々と状況は変化していきます。雨の日があるから晴の日がありがたく思え、夕暮れは刹那だからこそ美しく見えるものです。
結局自分次第なのですよね。思い込みはいけません。壁に見えていた山はただの山にすぎなかったのですが、きっと、あのころは私自身が心に壁を作っていたのだと思います。
2023.10.23
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その後、友人に会いに国立へ。国立と言えば忌野清志郎ゆかりの地ですね。当然「多摩蘭坂」を巡礼してきました。曲をよく聞いていたころは、入り組んで、木々が鬱蒼として、街を見下ろせるようなドラマチックな坂を想像していたものですが、実際はなだらかで、片側一車線、路線バスも往来する、ごくありふれた坂です。
高校以来の友人、ケイゴンにやっと会えました。そうそう、何度か私の店に立ち寄ってくれていたのですが、ちょうど忙しいタイミングだったりして、なかなかゆっくり会うことができなかったので、彼の家へと尋ねてみたのです。昔から、音楽や本などをよく紹介してくれる友達で、たくさん影響を受けました。当時はギターや曲作りなども教えてくれて、現在の職業である高校教師という仕事がよく似合う人物であります。
彼の家付近は、ベッドタウンらしく、年季の入った団地が多く、なんだか懐かしい風景でした。若いころは東京郊外の、こういった雰囲気の街に暮らしてみたいものだなあと憧れたものです。でも、それも清志郎の曲の影響かもしれませんね。太宰の暮らしていた三鷹だとか、中央線沿線には、今でもちょっとしたロマンがあります。
平日だったこともあり、彼も忙しそうで、それほど話も出来ませんでしたが。
「あと、何回会えるかわかんないよねえ」
という言葉が印象的でした。そうなのですよね。気が付いたらもう10年は会っていない友達もいるし、そんな友達に、これからあと何回会えるだろうかと考えると、もしかして、このまま一生会うこともない友もいるかもしれないとも思え、やはり、人と会うということは貴重な時間なのだなあとしみじみ思いました。
ケイゴン宅に一泊させていただき、早朝に家を出ました。せっかくなので武蔵野らしい雑木林の裏庭で記念撮影。そのままひとり富山へと私は向かったのです。
さて、今回のお土産に、玉子焼きを新調してみました。国内製造の銅製です。やはり、きちんとした道具はいいですね。大事に使っていきたいと思います。
2023.10.20
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先日、また、ちょっぴりだけでしたが、東京の実家へと行ってきました。カミさんがガーデンプレイスに行きたいということなので、とりあえず恵比寿でビールを一杯。今でも私は恵比寿と言うと山手線から見えていたビール工場のイメージがあります。
となりの席で、タッチパネルの前で、あれこれの悩んでいる老夫婦がいらっしゃったので、操作を手助けしたりしておりました。このごろ、よく見かける光景ですね。技術の進歩の中、それらに取り残されている様子はなんだか気の毒に見えました。以前は、操作がわからずアルバイトさんを相手に、
「わからんもんはわからん! 」
と、癇癪をおこすご老人を、醜いものだなあと感じておりましたが、そう、単純に切り捨てるべきものでもないものだなあと思い直しました。
そして大阪からやってきた娘とも合流。行きかう人など眺めていると、なんだか、それぞれの人が、それぞれの役を演じている役者さんのように見えました。不思議なものですね。きっと、田舎の狭い世界での生活が長いので、ひさしぶりに、こうやって、たくさんの人を見ることが新鮮だったからでしょう。
昔は自由が丘だとか、吉祥寺など、おしゃれな街が好きだったカミさんですが、このごろはもっぱら上野や谷根千など、雑多で古めかしい町がお気に入りのようです。今回もまた、合羽橋の道具街につれていかれ、散策しました。
お友達のチエちゃんとも合流。
彼女とは30年近く以前、私たちが富山へと引っ越すほんの少し前に知り合ったのですが、なんだかんだ行き来しており、私たち家族とつきあいの長いお友達です。波長が合うのか、そばに居るとなんだか落ち着くのですよね。そして自然でいられます。そうそう、私はどうも人見知りのためか、人脈とかコネというものにまるで乏しく、向上心をもって、たくさんの人と知り合うといったセンスがまったくありません。以前の仕事柄、がんばってみた時期もありましたが、名の知れた人だとか、お金持ちだとか、力を持った人だとか、そんな、ちょっぴりだけ知り合った人たちはまったく残っておらず、それどころか、利害関係があった方などは、私が立場を失うと、手のひらを反して攻撃したり、悪い噂を流したりしたものです。
そう。数えるほど、気の合う友達がいるだけで、私はどうも満足なようです。
2023.10.18
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私は東京の大井町で生まれました。1970年、「交通戦争」という言葉が叫ばれていたころで、実際に兄の友達も交通事故で亡くなったと聞いています。加えて、光化学スモッグなど、公害も問題になっていたためでしょうか、我が家は一時、子育てに相応しい埼玉県の郊外へと引っ越したのですが、家の都合があれこれあったようで、また、大井町へと戻ってきたのが私が小学校に入学するタイミングでした。
そうやって、大井町へとやってきた当時は、羽田空港の主要な航路上にあったので、飛行機がひっきりなしに、家のすぐ真上を通り過ぎ、ビリビリとガラス窓が響いていたものです。最近もまた、大井町の上空が着陸のルートになったようですが、昔ほど間近ではないような気がします。
実家の近くを走る京浜急行も、まだ高架ではなく、列車が通るたびに家が揺れたもの。LPレコードをカセットテープに録音するときには、必ず針が飛んだので、ずいぶん苦労したものです。
勝島運河はそのころ真っ黒に濁っており、プラスチックや発泡スチロールのゴミが浮かび、ヘドロの匂いがして、フナムシがうじゃうじゃと蠢いていたものです。
今ではすっかり整備されて、ランニングや犬の散歩の人たちが通りすぎ、春には桜、秋には秋桜の名所となっているようです。水もずいぶんきれいになったもので、ときおり水鳥が休んだりもしております。
立会川の商店街。私の子供のころは大井競馬場帰りの人いきれがすごかったもの。レースの日には馬券や吸殻が散らかって、負けて荒くれた人に、丸めた競馬新聞で、通りすがりに頭を叩かれたこともあります。駅の東側は、立ち飲み屋や小料理屋、売店にパチンコ屋などがならぶような街並みだったものですが、今ではもう、ほとんど見かけなくなりました。
とくに東大井という場所は町工場がやたらと多かったものです。まだ経済成長期で、小学校の同級生には中小企業の社長の息子というような小金持ちもよくいたもの。たいてい彼らは、ピカピカのツノダの変速機付き自転車を乗っていたものです。敗戦後、日本は工業化で成功しましたが、まさにその下支えとなった町のひとつなのではないでしょうか。
公園を歩いていると、すっかり寂れておりましたが、グラウンドで野球で遊んでいる少年を見つけ、ちょっと驚きました。そう、もう子供が外で遊ばなくなったのだろうというのは、私の思い込みだったようです。
歩き疲れたので錆びた冷たいベンチに座る私。コンビニで買ったワンカップを開けます。そうして、野球帽をかぶり、ボールを追いかける少年たちをしばらく懐かしく眺めて過ごしました。
2023.10.16
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私の母方のご先祖は、松本藩に仕えていた学者の家柄なのだそうですが、これは、曾祖母にあたる方が若くして亡くなったときに、その義父にあたる方が読んだ漢詩だそうです。
亡き親父がそれを訳した、以下の文も残っております。
息子の妻、愛子さんの若死を悲しみ嘆く。
花は散った、貞淑な女の魂は去ったが、香りは残っている。
一枝の小さな幼い実は、手をひいてつれていくものもなく迷っている。
喪服は梅が黄色く色づく梅雨の雨にしめっている。
愛子さん、刃が私の年老いた腸を割くように悲しい。
長い歳月を越えて、このようにその悲しみが伝わるのは不思議なもの。文章というものはそのような力をもっているものですね。そして、その息遣いを感じさせるほど、先人を身近に感じます。
満月の夜に、姪の出産の知らせを聞きました。
華やか気持ちになりました。そして、こうやっていのちというものは続いていくものなのだなあと思うと、とても頼もしく思いました。
2023.10.13
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健康診断でコレステロール値が高いとの指摘があり、このごろは、ふだんの食事に少し注意しております。そう、どうもめんどくさくなって外食や、テイクアウトなどに頼ってしまいがち、そして、ついついジャンク系のメニューを選んでしまいがちなので、ひとりでも、自分で作ることに取り組んでいます。まあ、店の食材の残りや、スーパーの見切りコーナーで買ったものを、焼いたり、煮たりするだけですが。
生地にある「魚の駅」で、たまに干物とおにぎりだけというワイルドなお弁当が並ぶのですが、それが好きで、見つけたとき買っています。漁協直営だけあって、干物の量がもりだくさん。食べきれないので、朝昼晩と分けて食べています。塩辛いお魚ちょっぴりとごはん。これがまたうまい。そうそう、巷で見かける、たいていの焼き魚系のお弁当や定食は、チリ産銀鮭かノルウェー産のサバですが、地魚をこうやっていろいろいただけるのは貴重。そして、輸入や養殖もののお魚は、供給が安定していて、たしかに脂がのっているのですが、私にはちょっとくどく感じます。地元であがった魚の干物はしみじみとおいしく感じます。
いただきものですが、地元、大門素麺もひさしぶりに食べました。腰の強さが独特ですね。ときどきは、こうやって麺の素朴な味を味わうのもいいもの。
若いころのクセで、どうもハードな食を選択しがちですが、年齢とともに、だんだんとこのような食事が自分にあってきているように思えます。食べたあとの疲労感のようなものが少なく、体も軽くなったような気分になります。
しかし、店の休日にはこっそりとインド料理店に駆け込み、たらふくビリヤニやタンドリーチキンをむさぼってしまう私。さらにナンまで追加して、まったく懲りないものです。
その翌日、
「たまにはインド料理でも食べにいかん? 」
とカミさん。
「えっ? は、はあ」
「・・・なんか問題でもあるん? 」
「いや、・・・ボ、ボクもちょうど食べたいと思っていたところです」
というわけで、またインド料理店に来た私。ここぞとばかりにたくさん注文をするカミさんをながめながら、ちょっぴり目がうつろになっております。
2023.10.11
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肝心なところで、うやむやにしたり、はぐらかしたりする人を見ていると、歯がゆいような気持ちになるものですが、ふりかえると、私自身もそうなのかもしれないなあと思いあたるところもあります。例えば、上司に進言するでも、彼女に告白でも、迷惑行為に苦言するでも、なんでもいいのですが、正直な気持ちを伝えようと誰かに会うも、当たり障りのない雑談をして帰ってきてしまうというような場面はありがちです。なにがそうさせるのかというと、やはり、自分が傷つきたくないという気持ちに負けてしまうのですよね。
でも、自分に正直であるということは大事ですね。自分に嘘をつくことは後悔を産みます。そして、その未練から、当たり障りのない人を見つけては、いつも同じような愚痴ばかりを言う大人になってしまうのはつまらないこと。
人の関係でも、仕事でも、なんでも、生きていくことは、やはり傷を伴わないと、前にすすむということはできないものだと私はよく思います。
だから「がんばらなくてもいい」という言葉を、きみに言いたくないのです。
2023.10.09
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