季節の香りはいいものですね。春先はなんと言っても沈丁花の香りが好きです。毎年、せつないような、うれしいような、不思議な気分にさせてくれます。きっといろいろな思い出が詰まった香りだからでしょうね。
春の雨の匂いも好きです。穏やかで、有機的な、豊かな香りがします。こんな日は雨降りでも散歩が楽しいですね。ぬれて歩きたくなるような気持になります。
もう、大昔ですが、新婚旅行へは春の九州をジムニーで旅行しました。芋焼酎の香りはそのときのことを思い出させます。そうそう、せっかくなので、名物だと言う芋焼酎を買い込んで、さっそく旅館の部屋でそれを開けたのですが、そのときはその匂いがきつく、ほとんど飲めなかったものです。今ではこの香りが好きなので不思議なものですね。そういえば、はじめてベトナム旅行に行ったとき、パクチーの匂いにうんざりしたものですが、こちらも今となっては大好物です。なにか、思い出とともに学習して、嗅覚も変わるもののようですね。
揚げ物の揚げたての匂いもいいですね。夕方の商店街のような香りがします。
でも、調理場にいると、この揚げ油の匂いが体に染みついて、据えた匂いになってしまうものなのですよね。スーパーでも、お総菜の揚げ物担当のスタッフさんは匂いですぐわかったものです。このごろは私もよくカミさんに「油の匂いがする」と言われるようになりましたが、まあ、忙しい証拠なので、どうかご容赦ください。
猫の香り。あの、日なたに干した毛布のような懐かしい匂いはいったいなんなのでしょうね。
「ぷっは~! たまらん! 」
と、カミさんはよくそれをかぎまくっております。嫌がるクロにキック攻撃されても、
「おい~、吸わせろよ~! 」
と血だらけになりながらがんばっておりますので、あれはある種の、なにか、人を中毒にさせる物質が発散されているのかもしれません。まったく、こまったものです。
2023.03.31
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おかげさまで、このごろはテイクアウトも大きなご注文もいただくようになりました。それぞれ式典や記念日、会合や団らんといった大事な席での食事なので、やはり緊張するものです。ご要望などもあり、新しい課題にも挑戦しなければなりません。もちろん、すぐいただく食べ物ですので鮮度が大事。できる限りお渡しする直前に作るので、いつもギリギリが勝負です。食材を手配できるのか、調理法がうまくいくのか、万が一失敗したときの代替えをどうするか、などとたくさん悩み、心配することがあります。それらは当然、私のストレスとして蓄積していきます。
そのストレスを発散するには、やはり、そのものにぶつかって乗り越えることが一番効果的なものですね。がんばってそれらの仕事をやり遂げたときの開放感はなんとも言えないものがあります。そして、
「おいしかったです」
と言っていただいたときの充実感。それらが私の仕事の原動力になります。
以前、よくストレスを発散するために走っていましたが、それは対処療法のようなもので、結局、ストレスそのものはくすぶり続けていたものです。そう、実際は、そんなふうに単純に乗り越えることができない状況がほとんどですよね。現実は複雑で深刻で苦しいものです。それでも、どんな困難や課題であろうと、少しでもがんばって、それらにしっかり向き合うことは大事な気がします。よく、「だいじょうぶ。がんばらなくていいよ」みたいな言葉を見つけることがありますが、そう言ってくれるやさしいお友達が「後悔」に対しての責任をとってくれる訳では決してありません。
ましてや、「どうせお上がやってくれない」みたいな言い訳をいつまでもつぶやいたり、立場の弱いものをつかまえては愚痴をぶつけたりと、奴隷のようになってはいけません。どんなストレスも、リスクを負って立ち向かうか。なにかを失って逃げるか。結局は自分で向き合って判断しなければいけないものなのだと私は思います。
2023.03.29
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今回の東京行も、仕事の都合で私ひとり先にとんぼ返りになってしまったのですが、富山への帰りしな、せっかくなので恵比寿駅に立ち寄りました。恵比寿ガーデンプレイスは私がちょうど富山に移住するころに開業した施設ですので、あまり印象がなく、いまだに私は恵比寿というと山手線から見えていたビール工場を思いつきます。
その日の目的地は東京都写真美術館の「深瀬昌久1961-1991レトロスペクティブ」という展示でした。深瀬昌久という写真家を私は知らなかったのですが、おそらく私小説的な写真作家のパイオニアだったのではないかと推測します。たまたま展示の広告を見つけて、いかにも60年代的な匂いに惹かれて立ち寄りました。その作品は生々しく、時に飄々としていながら、狂気をも垣間見せ、たいへん見応えのある展示でした。個人的にはおすすめですが、あとで見に行ったカミさんや娘には「暗かった」と不評だったので、軽い気持ちで行くと、少しヘビーな内容に面食らうかもしれません。
歩いてすぐだったので、国立科学博物館附属自然教育園にも立ち寄りました。ここは東京の真ん中とは思えない、まるで手つかずのような緑地が広がっていて、私の好きな場所です。
20代のころ、就職氷河期に入っていたにも関わらず広告会社を辞め、なかなか次の職につけず、一年ちかくブラブラとしていたころにこの場所によく来たものです。あのころ、気持ちは焦っていたのですが、たいした努力もせず、行き場のないお年寄りのように、図書館や公園を彷徨っておりました。そして、怪しい短期アルバイトをして食いつなぎ、惨めな思いや、語るに忍びない、我ながらなさけない出来事もたくさん経験しました。
そんな不毛な日々でしたが、そのときのことを思い返すと、やるべき仕事があって、守るべき家族がある今の自分がほんとうにありがたく思えます。そして、「今日もがんばろう」という自分のモチベーションにもつながります。そう、どんな経験もいつか糧になるものですね。むしろ、無駄だと思われる事柄の中にこそかえって貴重な宝が秘められているような気が私はします。
2023.03.27
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コロナもいよいよおちついたようで、以前我が家がホームステイでお世話した台湾のお嬢様、イーナが東京へ遊びに来ていたので、家族そろって会うことにしました。
ホームステイしたころは、本当に浮世離れしたお嬢様だったのでびっくりしたもの。今回も、東京駅で待ち合わせしたのですが、時間になってもなかなか会えず、イーナはどこか別の場所でのんびりしていた様子で、へんな場所で偶然娘が見つけたので、時間から40分過ぎてなんとか会うことができました。
イーナは、もう結婚もしていて5歳になる男の子を連れてきました。なんという名前なのか、難しくてよくわからなかったのですが、カミさん曰く「スイートポテト」という意味の愛称で、ふだんは呼ばれているそうです。
そうそう。日本をホームステイ先に選んだにも関わらず、イーナはまったく日本語を覚えようとする気配もなかったので、七年前当時、お互い拙い英語での会話だったのですが、今回はカミさんがここ数年勉強している中国語がずいぶん役に立ちました。
目黒へと向かったのですが、私はイーナの荷物持ちです。雨の中、ずぶぬれになって重いスーツケースを運んでも、「ありがとう」ともなんの労いの言葉がないところが、相変わらずイーナらしく、かえって清々しい。そしてスイートポテトくんが、さらにそのスーツケースにぶらさがり、わからない台湾語でなにやら私にちょっかいをかけ続けるので、なかなかの苦難の道のりになりました。
イーナはもう、日本の有名な場所は行きつくしていたようだったのですが、まだ行っていないようなので、スターバックスリザーブロースタリーへ。目黒川沿いにあるここは、スターバックスコーヒーなのですが、あからさまに「インスタ映え」と言わんばかりの焙煎設備があらわになっており、しかも多層階で、いろいろとおしゃれ系のスペースを楽しめる場所もありました。そう、私のようなおじさんをそわそわさせ、どうふるまっていいのかわからなくさせるようなお店です。
お客さんでいっぱいだったので、私たちはやっと見つけたテラス席へ。そこから目黒川も見渡せるのですが、残念ながら桜はまだでした。
カミさんの通訳を介して近況などを聞いていると、イーナもきちんとお母さんをやっているようなので安心しました。相変わらず、お人形さんのような美しい女の子ですが、なんとなく目の奥に、逞しさのようなものを見つけたような気がしました。そして、スイートポテトくんは、性格が我が家のクロにそっくりで、いたずら坊主の甘えん坊。めんどくさいけれど、きっと家族のみなさんに愛されているのでしょう、表情の豊かな男の子でした。
このごろは物騒な話も聞きますが、イーナとスイートポテトくんの暮らす、自由で豊かな台湾が、いつまでも平和であることを心より願っています。
2023.03.24
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東武野田線に乗り込み、東岩槻駅という小さな駅で下車します。幼かった私が住んでいた当時は単線の田舎の駅でした。送電線の鉄塔。ねぎ畑。家畜小屋。モーテル。竹藪。神社。団地。給水塔。鉄橋。そんな、いかにも埼玉の郊外らしい景色が私の原風景です。
濁った色の元荒川沿いを歩いて、私の通っていた幼稚園を訪ねてみたのですが、もうすっかり廃園になっておりました。そして、なんだかやたらと小さく見えます。
幼かった私には、見上げるもの、見渡すもの、なにもかも新鮮で、小さな宇宙のように思えていた場所です。あたりまえですが、世界は無常なものですね。
そうそう、そこはお寺が経営する幼稚園だったので、当時は般若心経を読む時間などもあったものです。まさしく「色即是空」などという言葉などは今でも覚えております。この世に存在するすべては空であり、変わらないものはなにもないという意味の言葉を、もうそのころに知らされていたということを思うと、なんだか不思議な気もします。
そして懐かしい団地へ。仏前にお参りし、叔父や伯母の生前のあれこれを聞いておりますと、まるで映画のように、いろいろな場面が蘇りました。そして、遺品の文献などを拝見していると、故人の奥深さを感じました。みなさん、そろって学者肌で、探求心の旺盛な人たちだったようです。
カミさんは伯母の編んだレースを形見にいただいておりました。そうやって、故人が丁寧に紡いだものが、実際に手のひらの中に残るということに、私は心強さを感じました。
2023.03.22
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ここ最近、岩槻の親戚の訃報が続いていたのですが、タイミングが悪く葬儀に出席できず、心残りに思っていたので、先日、店のお休みをいただき、思い切って埼玉県の東岩槻へとお参りに伺うことにしました。
私は生まれは東京なのですが、物心がついたころから幼稚園を卒業するまで期間を、東岩槻の団地で暮らしていたので、こころのふるさとと言うような場所です。
とりあえず新幹線の大宮駅を下車。界隈を少し歩いてみました。
そのころ、大宮が近くの一番大きな町だったので、よく連れていってもらったものです。毎週末、ものすごい人いきれだったもの。
高島屋のデパートがまだありました。ここの地階の食料品売り場で、気が付くと、知らないおばさんの手をにぎっており、そのまま迷子になったことをよく覚えております。仕方なく私は駅へと向かいました。そして、駅員の目を盗んで改札をすり抜け、東武線にひとり乗り込んだときの心細さ。前に座る楽しそうな家族が羨ましかったものです。出発のベルの音とともに、もしやと、探しにきた親父が私を見つけてくれました。あとで聞くと、その列車は、まったく別の行先だったそうです。そして、記憶にないのですが、見つけたとき、私は泣きながら怒っていたという話。
せっかくなので、デパートの最上階のレストランで、町を見下ろしながらナポリタンスパゲティをいただきました。
この季節、関東では木蓮(こぶしかな?)の花をよく見かけますね。部活に向かうのだろう、ジャージ姿の女子中学生たちがはらはらと落ちる花びらをつかまえて、はしゃいでおりました。
氷川神社から大宮公園へ。今でもこの公園の新緑のまぶしさをよく思い出します。なつかしい売店もまだ残っておりました。公園のどこか、テニスコートとそのそばに三角形の屋根の建物があったように記憶しており、少し探してみたのですが、そこは見つかりませんでした。
その建物の中で、瓶入りのファンタのゴールデンアップルが売っていて、兄がゴクゴクとうまそうに飲んでいた記憶があるのです。炭酸を飲めるような年齢になったら、いつかここに来て飲んでみたいと思っていたものですが、どうも、その夢は叶いそうにないようです。
2023.03.20
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散歩にもいい季節になりましたね。休みの日、日暮れ前、買い物がてら、回転寿司屋などで軽く一杯だけひっかけて、歩いて帰るのが最近のささやかな楽しみです。
漂う懐かしい香り。咲き始めの沈丁花。そんな、ちょっとした発見もうれしいものですね。
お酒もこのくらいならいいのですが、なかなかコントロールは難しいものです。このごろは自分にちょっとしたルールを作って、深酒をしないよう心掛けています。アルコールで多幸感を味わった分、あとで必ず味気ない時間がやってくるもの。とくに不安や苦しい気持ちをお酒でごまかすと、倍になって返ってくるものです。つらいことは後回しせずきちんとそのときにうけとめるようにすることは大事ですよね。そして、苦しさは生きていく糧でもあります。
先日、お店であるお客さんが子育てについての悩みをいろいろ語っていきました。
そういえば子育てのころは、心配や不安の連続だったよなあなどと思い出しました。でも、思い返してみると、まるでドタバタとしたコメディー映画のよう。きっと、真剣だったから、今となっては、かえって笑えるのでしょうね。当時、あれだけピリピリと尖っていたカミさんでさえ、
「あのときがきっと花だったんだよなあ」
などとこのごろは語るようになりました。そして、今では我が娘にたまに会うと、デレデレと猫のようにじゃれております。もうすぐ娘もアラサーなのですが。
まあ、お客さんにはなんのアドバイスもできませんでしたが、「誰でもそんなものだよ」とくらいは言えそうです。
梅も咲く時期になりました。この時期に酔って歩くと、井伏鱒二の「夜ふけと梅の花」という小説をいつも思い出します。滑稽譚なのですが、なんともいえない、繊細な感覚が好きな作品です。あんなふうな、さりげなく洒落た作品を、いつか書いてみたいものだなあとよく思います。
2023.03.17
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ときどき、へんに意識をしすぎて、ものごとがうまくいかなくなることがあります。自分自身がよく分からなくなるのです。そして、ふと考え込んでしまいます。心配性というのか、臆病なたちのようです。でも、なんでも理屈をつけて、言い訳めいたことを考える必要はないのかもしれませんね。
たとえば、のどを鳴らすクロをなぜたり。
花を見ながら、春の日を待ちわびたり。
月を見上げて、懐かしい友を思い出したり。そんなときには、ふと気が付くと、なんの不安もなく、無心でいる自分に気が付きます。どんな気持ちも、まっすぐにうけとめて、自然で、自由な自分でありたいもの。
無邪気な笑顔を見て、そんなことを思いました。
2023.03.15
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今年もひな祭りの日にはちらし寿司を作ってみました。春らしく地物のホタルイカを入れたかったのですが、今年は不漁のようですね。鳥取産のものをなんとか見つけて添えました。
私は男兄弟ばかりの家族だったので、ひな祭りというと従妹の家に招かれて過ごしたことをよく覚えています。そして、ちらし寿司の華やかさに顔を赤らめたもの。照れ隠しに、かえって不機嫌になって、従妹を困らせておりました。私は、そんなはっきりしない嫌味な子供でした。そう、従妹とはよく喧嘩もしたのですが、手強く、よく私は引っ搔かれ、べそをかいて逃げたしていたものです。そして、負け惜しみにこっそり「ひっかきねこぶた」などというあだ名をつけたりしておりました。
今ではスーパーの総菜コーナーであたりまえに売っておりますが、揚げ物も私の幼いころは大ごちそうだったものです。唐揚げは、手をかけて、手羽肉の骨の部分をそいで、チューリップ状にしてあるものがよくあったものです。今ではまったく見なくなりましたね。
当時、恐がりだった私はカレーを食べられなかったことを覚えています。もう「カレー」という名前からして、とんでもなく辛いものに違いないと思いこんでいたのです。兄たちが好きだったので、よくカレーライスが食卓にのぼったものですが、私だけ納豆とごはんを用意してもらっていたものです。
幼稚園の卒園式のときに「ボンカレーあまくち」のレトルトカレーをもらってかえってきて、母上にあたためてもらって食べたとき。そのときが勇気をもって、はじめてカレーを食べた瞬間です。
めちゃくちゃうまくて、ぶっ飛びました。
そう、歳をとると、昼になにを食べたのかさえ思い出せないことさえありますが、幼いころに食べた味の記憶はいつまでも残っております。それだけ、子供にとって食の経験は大切なものなのだろうなあとよく思います。
このごろ、お子様の誕生日のお祝いにと、よくオードブルのご注文をいただきますが、そんなときは、とくに緊張する私です。つたない調理ですが、私の作ったメニューがよい思い出になればよいのですが。
2023.03.13
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朝などは冷え込む日もありますが、そろそろ春の匂いを感じる季節ですね。きっとみなさん新しい生活の準備を始めているころでしょう。
卒業したり、職場が変わったり、見送ったり、見送られたり、今ある環境が変わるのはわくわくとしますが、少し寂しくもありますね。引っ越しのために荷物を整理していると、懐かしい写真が出てきて、しみじみしたりして。よくあることです。そして、ふと、
「このままのほうがよかったのかも」
などと思ってしまう瞬間です。
しかし「放てば手に満てり」といいますが、思い切って捨ててしまわないと、新しいものは手に入れられないものですよね。今はそんな勇気が必要な時期なのかもしれません。きっと、自分の直感を信じて進んでいくべき時なのでしょう。なにもしなければ自分はそのままですが、世界のほうがどんどん変わっていきます。
変化に怯え、常識をたよりにし、噂話に聞き耳をたて、それでも単に居心地がいいだけのいつもの場所にしがみついて生きていくのはつまらないものです。
もうすぐ春ですね。みなさんの新しい生活がうまくいくよう願っています。
2023.03.10
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