あれこれと思索しながら歩くのは私は好きです。
目覚めてすぐの明け方に歩くと、いいアイディアが浮かぶことがよくあります。なにか整理のつかないことがあるときは、朝いちばんに歩くことはおすすめです。
しかし、夜更けに歩くと、へんに古い記憶ばかりが蘇ってくるものですね。
とくにお酒を飲んでの夜道などは、恥ずかしかったこと、失敗したことなどが脈略なく思い出されるので、少しばかり難儀します。
亡き親父は、深酒をすると、たとえば、
「あ~あ、一千万か・・・」
などと、へんな、ひとりごとを言うので、子供のころはそれをうるさく思ったものですが、あれはきっと、過去の思い出に苛まれて出てしまった、ため息のようなものだったのでしょうね。その数字はなにかでしくじった金額なのかもしれません。
街角に警句などを見つけると、なんだか考えさせられるものです。
以前の仕事をしていたとき、経営関係のセミナーに参加すると「感謝」というキーワードがよく出てきました。部下が使えない、政治が悪い、などと愚痴ばかり言っている人はもちろん論外ですが、なんでもやけに「感謝」してしまう人も、それはそれでなんだか心配だったものです。とくに若くまじめな経営者に多かったように思いますが、まるで、おまじないのように「感謝」という言葉にすがりつくその姿に悲壮感のようなもの感じてしまうのです。そして、自分がひねくれているのか、「感謝」という言葉を掲げるコンサルタントという人たちに、どうも誠意のある人を見つけられなかったもの。彼らも商売ですので、きっと威厳を保たないのと仕事にならないのでしょう。でも、演じきれていない人が多かったものです。
その中でも、ひととき、信頼できる先生に出会えたことは幸運でした。
まだ20代のころ、ある座敷で対峙し、
「私は弱い人間なので、感謝と言いながら、人を丸めこもうとしたり、追い詰めたり、裏切ったりする人たちに日々傷つけられます。この仕事にもいつまでも馴染めず、この立場を引き受けてしまったことが間違いだったのではないかと思っています」
ということを正直に告白してしまうと、
「社会は成長期を終えて、機関車のように人を引っ張っていく人間より、これからは弱くても感性をもって人を見極められる人間がリーダーとして必要になる。だから、自信をもってがんばりなさい。傷つけられるのはプライドが邪魔をしているから。そのようなものは捨てなさい」
そう、その先生はまっすぐ私におっしゃってくれました。今は亡き方です。結局私は、良いリーダーにはなれず、人望も得られませんでしたが、そうやって、苦しいときにいただいた言葉は、今でも大事に心の中にしまってあります。
2023.01.30
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私は緊張がほどけると具合が悪くなってしまうたちで、今年も年末の繁忙期と年始の立ち上げなどが落ち着いたあたりからしばらく、体調を崩しておりました。
体の芯が寒々として、なにをやっても億劫です。そんなときは海辺で日光浴などをして、ぼんやりすることが私にとって回復の近道です。
そうそう、私は緊張しやすい分、リラックスするとどうも調子が悪くなるタイプなのですよね。
「休みの日にかぎって顔色が悪い」
と、よくカミさんに言われます。連休をとって出かけた家族旅行で具合が悪くなるなんてこともしばしば。旅先の海辺で、ひとりぐったりと寝転んだりしているのですから、まったくなにをしに来たのかわかりません。
そして、そのような調子のときに叔父の訃報があり、なかなか堪えました。私にとって海辺は気持ちの落ち着く場所でありますが、死のイメージも伴っております。
叔父は、私たち兄弟のあこがれの人でした。私が幼いころ住んでいた団地の家では、叔父の家とベランダで繋がっていたので、私は居間に勝手にあがりこんでは、くつろいでいたものです。叔父を想うと、そのころの日曜の朝。絨毯と陽だまり。コーヒーの匂い。バターとトースト。オーロラソースのサラダ。オープンリールの音響のクラッシック。そのような瀟洒な雰囲気を思い出します。
私は無愛想な子供でした。みんなが笑っている場面で、私ひとりむっつりとしていると、
「Aくんは微妙な顔をするなあ」
とおっしゃって、屈託なく笑っていた叔父の顔が目に浮かびます。いつも気さくな人で、笑ったしわがそのまま顔に刻まれたというような風貌でした。
岩槻のおいちゃん。生前、たくさんのご厚情を賜りました。ありがとうございました。
在りし日を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2023.01.27
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年明けもおかげさまでなかなか忙しく、新年会などにも当店をご利用いただき、ひさしぶりにお刺身の盛り合わせなども作ってみました。まぐろ以外は地元産のお魚です。
なにを隠そう、私は90年代の後半ころ、スーパーの魚コーナーでお刺身を担当していた時期があります。大手企業さんから派遣された、元板前という教育指導係に手ほどきをうけたのですが、私は左利きなので、どうも盛り付けがうまくおさまらず苦心したものです。
その当時、スーパー業界では女性パートさんでもお刺身を作れるようにと、どの企業も作業のマニュアル化に力をいれていたものです。本当の狙いは、給料が高く、コントロールのきかない、職人的な担当者を排除していこうという経営的な思惑があったのだと思います。そうそう、どの企業さんも、「おらが大将」みたいなクセの強い担当者さんがいたもの。居心地の良い人でまわりを固め、若手を育てず、すぐに潰してしまうので定着率も悪く、経営者は頭を抱えておりました。そういった専門的な人材を望まないかわりに、作業性がよく、安定的な、海外産の冷凍ものや養殖ものの材料が使われるようになり、お刺身に地元のものがほとんどないなんて売り場もざらにあったものです。
でも、鮮度の良い魚が潤沢に出回っているのは、やはりこの地域ならでは。せっかくある素晴らしい食材、しっかりと、ありがたく使いたいものですよね。
最近は地域のアイデンティティも見直され、大手スーパーさんでさえも、きちんと地魚がならぶようになったのは頼もしいところです。それでも魚ばなれが進んで、今では地域の食文化もずいぶん変わったものですが。
変わった素材をあつめて、おしゃれな料理を作るといったスキルは私にはありませんが、地域ならではの素材をまじめに、できるだけ使っていきたいなと思っております。
2023.01.25
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カミさんがアメ横で買い物タイムに突入しているあいだ、私は上野の森を散策。動物園や博物館のあたりには、まだお正月休みらしい、家族連れの人たちで賑わっておりました。
不忍池でひとやすみ。池の蓮が枯れてこのような景色。
そういえばある冬の日、弁天島へ通ずる屋台で、冷めた焼き鳥をほおばって、ワンカップを飲みながらこの景色を眺めたよなあと思い出しました。そのときはひどく荒んだ気持ちでしたので、刺々しく憂鬱な風景に見えたものですが、こうやって見渡すとおだやかに見えます。気持ちによって風景は見え方が違うものですね。あのような気持ちはもう二度と味わいたくないものです。
夜には次兄家族と夕食をご一緒しました。コロナなどの状況もあったので、ひさしぶりです。姪たちがすっかり美しい大人になっており、頼もしく思いました。幼かった子供たちが成長して、社会の中で切磋琢磨しております。おじさんもずいぶん体力は落ちてきましたが、もうすこしがんばって、誰かのお役にたたなければいけないなあと思いました。
翌朝、親父の墓参りで新番場へ。短い滞在でしたが仕事があったので、そのまま私はひとり富山へと目指しました。
新幹線はあっという間に山を越え、日本海側へ私を連れていきます。
トンネルをぬけると糸魚川の工場群。車窓からはこのような、おなじみの冬景色が見えました。
2023.01.23
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長めにお正月休みをいただき、東京の実家にも顔を出してきました。
大井町駅から東京湾側へと向かい、坂を下って第一京浜国道を横切るとなつかしい我が町です。私の子供のころは中小の町工場が立ち並び、長屋なども残っているような下町でした。水はけが悪く、どこかじめじめとして、錆びた金属のような、機械油のような、ドブのような、そんな匂いがしておりました。当時は、羽田を離着陸する飛行機もこの町の上空すれすれに通りすぎたもの。そして京浜急行も高架ではなかったので騒音や振動も激しい町でした。
今では運河も整備され、高層住宅が立ち並び、程よく緑地などもあり、ずいぶん住みやすい町になりました。
冬の北陸から東京へと出ると、もうこの天気だけでありがたい気持ちになります。ひんやりと乾いた空気と抜けるような青空。いかにも東京のお正月らしい日和でした。せっかくなので、ひさしぶりに浅草方面へと繰り出してみました。
浅草寺は幼いころ親父によく連れていってもらったものです。大晦日からお正月にかけての深夜に、初詣に来たこともありました。夜更けに晴れ着の人たちで賑わっている境内は、子供だった私にとってたいへん新鮮な風景でした。そのとき、牛丼を食べたこと。都営浅草線にゆられたこと。家族が寝静まる家に戻ったときのことまで、やけに事細かく覚えているのは、きっと徹夜というものを生まれて初めて経験したからでしょう。
厨房の道具でも見ようとかっぱ橋まで足をのばしてみましたが、まだお正月休みのところが多く、残念ながら通りは閑散としておりました。実家の包丁がなまくらになっていたので、砥石だけ買ってきました。
でも、せっかくなので、そのまま上野方面まで歩きます。上野と言えば、高校生のころは、貯めたバイト代でバイクを買ったり、中古の軍服やイレギュラーのリーバイスなどを買ったりしたものです。
アメ横の屋台で中華料理をいただきました。よくわからない部位のお肉と青島ビールでちょっぴり海外旅行気分です。行きかう人たちは相変わらずのマスク姿ですが、通りはもうだいぶ、コロナ以前の雰囲気に戻っている様子でした。
2023.01.20
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元旦があけ、二日は店の片づけや、メンテナンスなどに使いました。
ひとり厨房で、つめたい水で包丁を研いでいると、身の引き締まるような気持になります。年明けに相応しい作業ですね。普段モノとは会話はできませんが、こうやって手入れなどをしてきちんと向き合ってみると、なんだかモノの心と通じ合っているような、しみじみとした気持ちになります。
そして、夜には我が娘をかこんでの誕生日のパーティーです。今回はAちゃんも高岡から遊びに来てくれました。娘が富山市内の学校に通っていたころの親友です。そういえば、彼女を初めて見たのはテレビ画面の中でした。
そうそう、新しい環境、微妙な成長期だったので、娘に友達が出来るかと心配していたころがあったのですが、ある日、地方局のテレビの天気予報を見ていると、大雨の中、おちょこになった傘を握りしめている娘とAちゃんがたまたま写っていて、ゲラゲラと笑ったことを覚えています。
娘は友達に磨かれたなあと思うことがよくあります。とくに10代20代は仲間の影響を受けやすいもの、いかにいい友人たちと出会うかは大事ですよね。その点、我が娘は恵まれました。
三日は友人たちのあいだで恒例になっております餅つき大会に顔を出してきました。
やはり地元、農家出身のみなさんは腰がはいっております。私も以前ついたことがあるのですが、へっぴり腰で、たいへんなさけなかったもの。そうそう、この地域では、いかにうまくもちをつけるかは男子のステータスでもあるのです。
もちをつまんで、お酒をいただき、友人たちと過ごすなにげない時間。平和でいいですね。新聞を広げて見てみると、新しい年がやってきても、緊張を解くこともできず、争いに身を削り続ける人々、国や地域もあるようです。
このひとときに感謝です。
2023.01.18
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元日はいつものようにカミさんの実家にて過ごしました。母堂の作ってくれる煮物は毎年楽しみです。
カミさんの実家家族は、尊父が石油会社の仕事をしていた関係で、1970年代を前後してサウジアラビアのカフジという街で暮らしていたので、お正月にはたいていそのころの思い出話で盛り上がります。
イナゴの大群。飼っていたキツネ。クウェートへの買い出し。国境の兵士。タンカーの事故。石油施設での釣り大会。写真をめくるように様々な思い出が語られます。とくに、オペル・レコルトという車で、ヨーロッパへと旅に出かけた話はよく出てきます。大事故にあって車が大破したとか、幼かったカミさんが病気になってローマの聖堂に預けられただとか、わりと派手な冒険譚です。
しかし、今年は、「ふるさと」をみんなで歌いたいと母堂が言い、それにまつわる話が始まりました。
1960年代の後半、まだ22歳だった母堂。休暇で帰国していた尊父と見合して間もなく結婚。そのままサウジアラビアへと向かうことになったそうです。当時はその歳でも「遅い」とまわりから結婚をせかされ、たいへんプレッシャーだったとのこと。そして、この地方では、まだ本人の意思よりも「家」が重んじられていた時代、会ったこともない人と結婚するなんてこともざらにあったようです。
家族や友達と別れを告げ、長いフライトを終え、深夜にカフジの住宅にたどりついたそうです。
早朝に目が覚め、窓からあたりを見渡すとまわりにはまったくなにもなく、そこが砂漠のど真ん中なのだということをそのときにはじめて知って、たいへんショックを受けたと言っておりました。
そして、あまりの心細さに、しばらく、ペルシャ湾を望む砂浜に出かけては、
兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
と、大声で「ふるさと」を歌い、涙ぐんでいたという話でした。
ちょっとしたドラマですね。でも、母堂のそのころの心境を察すると、なんだか少しせつない気持ちにもなりました。
2023.01.16
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クリスマスが終わってからも、年末まで、おかげさまで忙しく、息をつく暇がなく動き続けておりました。食事もあるものなんでも、簡単なものを適当に食べるという日が続き、マックのドライブスルーなどもひさしぶりに利用してみました。
店にあったありあわせの野菜を挟んで、海辺でいただきます。なぜかジャンクフードは海で食べるとおいしく感じる私。そして、フィレオフィッシュは子供のころに食べた記憶がそうさせるのでしょう、いつ食べても「夏休みの味」がします。
さて、そのようなゆとりのない年末になりましたが、店内のお客様も、ご注文いただいたオードブルも無事に対応できました。たくさんのご利用ありがとうございます。
また、年明けはお休みにしていたのでお受けできませんでしたが、三が日頃までオードブルや席のお問い合わせがか多かったので、来年は年始の休み方や、営業が課題と考えております。今のところテイクアウトだけでも対応できないかなと思っております。
そのようなわけで、大晦日は紅白歌合戦も見ず、除夜の鐘も聞かず、泥のように眠りました。
元旦の朝はクロに起こされて目を覚ましました。とくに初夢も見なかったようです。
2023.01.13
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クリスマスまでのあいだ、たくさんのお客様にご来店いただきました。ありがとうございます。今年は小グループの忘年会が多かったようですね。そして、ちょっとしたプレゼント交換で盛り上がっている場面もよくお見かけしました。そういえば、昔はよく友人たちとプレゼントを持ち寄って騒いだものだよなあとなんだか懐かしく思いました。今となっては物欲がほどんどない私。もうプレゼントをもらったときのそのうれしさを思い出せないでいます。
イブやクリスマス当日は家族でおうちで過ごされた方が多かったようですね。店内はわりと静かだったのですが、お持ち帰りのオードブルのご注文をたくさん承りました。みなさまのたのしいひとときにお供させていただく料理なので、たいへん緊張して作らさせていただきました。
店内もカミさんがクリスマスの飾り付けをしました。
しかし、これ、ずいぶん痩せたサンタですね。
SE ピンポ~ン(ベルの音)
ボク 「わ~い、ママ、きっとサンタさんだよ! 」
ママ 「ほんとかしら、サンタさんはいい子のところしか来ないって聞きますけれど」
ボク 「ボクずっといい子にしてたもんっ! 」
ママ 「あらまあ。うふふ。どうかしらね。さあ、ドアを開けてごらんなさい」
ボク 「うん。メリークリスマス! サンタさん~! 」
SE ガチャ(ドアを開ける音)
サンタ 「恥ずかしながら帰ってまいりました! 」
ママボク「横井庄一かい~っ!! 」
そんなサンタクロースだったら嫌ですね。
さて、そんなつまらないコントはさておき、我が家のクリスマスパーティーは閉店後、バックヤードにてささやかに行われました。スーパーの閉店まぎわに買った鶏足にハーブをまぶして焼きます。
コンビニの生洋菓子を少しだけかざっただけのケーキ。そしてワンコインのスパークリングワイン。
クリスマスまでおかげさまで実に忙しく過ごしました。まるでジャングルで戦いぬいた帰還兵のような気分です。そして、アルコールと甘味が、体に染みるようでした。
2023.01.11
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2018年に香港旅行に行ったのですが、このときカミさんの予約した宿にはぶっとびました。そうチョンキンマンション。まるで在りし日の九龍城砦のような雑居ビル。
「シャチョウサン、シムカードアルヨ! 」
「ニセモノトケイアルヨ! 」
と、入り口でいきなり中東系の人々に囲まれます。
地階、1階、2階はアメ横をもっとハードにした感じのフロアで、よくわからない商店が連なっております。もうブレードランナー状態。
めちゃくちゃわかりにくいエレベーターをやっと見つけ、へとへとになってゲストハウスへと向かうも、窓ひとつない二畳ほどのスペースのワンルームでした。いや、カプセルというのか、おもいっきり引いてもこの写真です。
「すまんが、宿、変えられる? 」
私はカミさんにそう言ってしまったくらいに面食らったものです。
「えっ? なんかあかんかった? 」
「なんかって・・・」
宿くらいちょっとリラックスしたいものですよね。贅沢は言いませんが、さすがにバックパッカー的な宿を泊まるには心の準備がいるものです。でも、カミさんはわりと寝られれば宿はどうでもいいタイプで、むしろこのような雰囲気は、幼いころ育ったサウジアラビアやクウェートを思い出し、居心地がよかったらしいです。
結局は滞在中ずっとここが拠点になりました。案外慣れるとそこそこ安らげるようになるから不思議なものです。まさに修行の成果ですね。タトゥーをした強面の人々も、エレベーターの中でおばあさんの荷物をもってあげたりと、案外いいやつが多い。
最終日にビル内のパキスタン系の料理店で昼食をいただいたのですが、めちゃくちゃうまかった。そして、このような宿でも、去るときにはすこし寂しい気分になったものです。
あとになって知ったのですが、ここはウォン・カーウァイの「恋する惑星」の舞台にもなったビルだったようです。
2023.01.09
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