さて、新型コロナですが、ここにきて状況が落ち着いてきたものの「謎の感染者数減少に戸惑う人々」だとか、「さらなる第6波に警戒」だとか、相変わらずの論調ですね。逆にどういう状態になったら安心するのか、そのように報じているみなさんに聞いてみたいような気もします。
週末などは店にお客様も戻りつつありますが、身近な人との団らんなどは、家で過ごすという習慣は定着したような気がします。オードブルなども変わらずご注文をいただいております。そして、平日の店内は本当に静かになりました。
「おい。新人、今夜も飲みにいくぞ! 」
「すみません課長、ちょっと彼女と約束があって」
「おい、またかよ。つきあい悪いな。そんなんじゃ出世できんぞ。いいからだまってついてこい! 」
「は・・・」
というような、昭和的な飲み会がなくなってきたような気がします。でも、それはそれでいいことなのかもしれませんね。かくいう私も、おつきあいで飲みに行くのは嫌いだったもの。噂話や愚痴、はたまた「昔はよかった、今の若いやつは・・・」的な話を聞くのは今でも苦手です。
ちかごろ、お酒をあまり飲まなくなってから、からだが軽くなったのはいいのですが、夜になると異様に不安になるようになりました。今までアルコールでごまかされていたのでしょうね。夜がこんなに怖かったのはちょっと驚きです。
「歳とると、ふつう夜が怖くなるもんなんやって。テレビでやっとった」
と、カミさんが言っておりました。なるほど。歳をとって、心身が天気や季節などに影響を受けやすくなりましたが、それと同じかもしれませんね。太陽が沈むとともに、真っ暗なトンネルを手探りで歩いているような気分に襲われます。
「私はどこに向かっているのだろう? 」
でも、考えてみたら、世界は刻一刻と変化しておりますので、そうやって先のことを案じても仕方がないことなのですよね。永遠に変わらないものなどありません。実際に、大事に積み重ねていたものがあっという間に崩れてしまったり、在ると信じて続けていたものが実は既に空っぽだったりということは幾度も経験しております。ただ、そのときに、できるだけやったから仕方のないことなのだと自らが受け入れられるかがどうかが問題なのですよね。
そう、結局は、今、ここで、やれることをやるという答えしかないのでしょう。
そうそう。我が家に巣をかけた鳩。ようやくひながたまごから孵りました。
変化は新しいなにかを生むもの。それは、ごく自然で、なんの説明もいらないものなのかもしれません。
2021.10.29
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ひさしぶりに我が家から荒俣海岸を目指す10kmコースを走ってみました。
やっぱり秋の海はいいですね。ここは砂浜を散策でき、黒部川の河口も近く、景色が開けているので好きな場所です。
走って、疲れたからだをなげうって、ぼんやりするのにちょうどいい場所でもあります。石。砂。流木。雲。虹。海。単純な景色の中、潮騒の低い音が繰り返して聞こえ、時間をしばらくわすれることができます。
以前、よく、苦しいときにこの場所に来たものです。そして、そのたびに、よせてはかえす波がそれを洗いながしてくれるような気がしました。今では、歳をとって、昔よりはくたびれておりますが、透き通ったような気持でこの景色を眺めることができます。
はじめて、ある人にこの場所を教えてもらったときのことを思い出しました。私は助手席で250円だったマイルドセブンに火をつけていた場面を覚えているので、まだ30歳くらいのころだったと思います。そして、
「え~、近くに、こんな海辺があったんだ! 」
と私ははしゃいで、通り雨が降る中、砂浜へと出たものです。雨にぬれてもへいきだった私。きっと、まだ若かったのでしょうね。
2021.10.27
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以前お世話になった料理教室「総合カレッジSEO」様より、現場研修のご依頼をいただき、3日間ほど実習生一名を受け入れました。実習生と言っても、いろいろと経験のある方で仕事が丁寧、逆に私のほうが見習うくらいでした。
そう、こちらから指導するというより、例えば、これからコロナが落ち着き、忙しくなってアルバイトさんをたのむことになるとしたら、どのような時間帯でどのような作業をしてもらったらいいかなどをイメージするのに、かえって参考にさせていただくことが多かったです。
たくさん学んでいただこうと、細かい作業を多めに計画していたのですが、手際よく、案外にはやくに終わってしまったので、栗の皮むきまでも手伝ってもらいました。
そう、栗ごはん、実は今まで私自身作ったことがなかったので、私も勉強のつもりでむいてみました。いやあ、やっぱり手がかかりますね。
そして、炊きあがった塩味だけの味付けの栗ごはん。ほのかな風味と素朴な甘み。しみじみとうまかったのは、やはり苦労して作ったかもしれませんね。
中日にはミレー先生がクッキーを片手に訪ねにやってきました。そう、この差し入れ用のクッキーも実習で作るのですが、量目や温度に神経を使いながら、私も以前作ったことを覚えています。こうやって、今度は私がそれをいただく立場になったことは、感慨深く、光栄でもありました。
そして、教室の合間を縫っての訪問、次のスケジュールも迫っていたようですが、
「忙しそうですね」
「まあ、いそがしいのかなぁ。うふふ」
と、ミレー先生はあいかわらずのんきそうに見えました。
2021.10.25
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私はちょうどバンドブームの世代で、御多分にもれず、私も友人たちとバンドを組み、オリジナルの曲などをやっており、あわよくばミュージシャンになれるかもと、こうやって空き家の練習場に足繫く通っていたものです。そうそう、コンテストにも出演したりして、名うてのバンドに揉まれ、その力の差を見せつけられ、帰り道はメンバーたちみんな無口になったりしたものです。
近頃のライブハウスにはそんなふうに、甘い青春の記憶を反芻して、酔いしれるおとうさんが多いものですね。そう、なにをかくそう私もそのひとりです。
そういえば、我がバンドのドラマー、魚津の味噌屋さんMくんも、若いころはミュージシャンを目指して東京に出てきたとも聞きます。そうそう、そんな無謀な地方出身者が当時、東京にはたくさんいました。夜間警備アルバイトの現場に行くと、その半分はバンドマンだったものです。
先日、ひさしぶりに我がバンド「グレート・チューチャンズ」のメンバーをあつめて練習をしてみました。やっぱり、アンサンブルは楽しい。はじめはぎこちないものですが、幾度か演奏を重ねると、それなりに調和がとれてきます。仕事もそうですが、共同作業は、それぞれの役割を演じ切れて、気がそろうと、思いがけない果実を生むものですね。
つたなくても、それなりの成果さえ出れば帰り道もまた楽しい。そう。若いころは常に他のバンドと比べていたことがよくなかったのかもしれません。自分自身も「俺が俺が」と自意識が強く、調和ということには無関心だったように記憶しています。とてもいいバンドでしたが、残念ながら大学卒業とともに散り散りになってしまいました。
今となっては、そんなことよりも反省会のほうがむしろ楽しいおとうさんです。
というわけで今月31日、ストロベリーフィールズの定期演奏会「苺畑園遊会」にてひさしぶりにライブ出演します。入場料1000円。出番は17:30頃です。よかったらお立ち寄りくださいませ。
2021.10.22
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もうすっかり秋ですね。透明な陽ざしと金木犀。なつかしい香りが私をドキドキとさせてくれます。そう、つかめそうでつかめないような、くすぐったいような、いたたまれないような、へんな情動に駆られたかと思えば、しみじみと夕暮れを眺めてみたり、虫の鳴く夜更けに耳を澄ましたり。毎年私はそんなそわそわとした気持ちになる季節です。
涼しくなって、クロも人肌が恋しいのか、やけに私にすりよってくるようになりました。毛もだんだんとぎゅっとした感じになりつつあります。その背中をなぜてやると、ゴオンゴオンと、まるで洗濯機のような音をさせて喜びます。
空気が乾いて、体がいくぶんか軽くなったように思えます。そして気持ちも前向きになって、いつものコースを走っていると、なんだかこの先にすばらしい景色がまっているような気さえします。
幼かったころ、兄の通う小学校の向こうに小高くカーブした道があって、その感じがなんだかドラマチックで、私はその先の景色を想像することが楽しみだったものです。結局、小学生になる前に引っ越してしまったのでその景色を見ることはできませんでした。でも、そのおかげかもしれません、見たこともない世界を想像して、わくわくとするという気持ちは、いつまでも忘れないいます。
そう、わくわくと言えば、先日、ボッサファームのKちゃんが店に寄ってくれました。そしてそのおおきくなってきたおなかを見せてくれました。新しい命を抱えているという感じはほんとうに晴れやかでいいですね。
さて、パッシブタウン恒例のイベント、10月のKAYADOフリーですが、天気にも恵まれ、今までで一番の賑わいだったようですね。そして、作ったお弁当はあっというまに完売。お買い上げいただいたみなさまありがとうございました。
「おいしかったですよ」
と、午後にまた戻ってまで言いにきてくれた方もいらっしゃたと聞きます。私の作った料理が喜んでいただけたことをこころより嬉しく思います。
2021.10.20
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お客くん「さあ、彼女の誕生日ですからね。店チョー、今日はたのみますよ」
店チョー「おう。まかせてくれ。お客くん! 」
お客くん「ほんとに、大丈夫っすか? 」
店チョー「大丈夫。こう見えて、若いころは町内でヨーヨーのチャンピオンだったんだ」
お客くん「・・・なんか、関係ありますか? 」
店チョー「自慢じゃねえが、そろばんだって9級まで行きかけたこともある」
お客くん「さ、さえない過去ですね」
店チョー「前菜でございます」
お客くん「あれ、いきなりしめさばですか。・・・ま、まあ、変化球ということで」
店チョー「今日の魚料理はフィッシュスパゲッティでございます」
お客くん「これ、しめさばのいらないところで作りましたよね! 」
店チョー「本日のメインはライスフィッシュございます」
お客くん「これ、さらにほぐしたのをマヨ和えしたごはんですよねっ! しかも、大根の葉っぱもいらないから混ぜましたよねっ!! 」
店チョー「今日はサービスに歌のプレゼントがあります! 」
お客くん「いいですよ! もうけっこうです! 」
店チョー「♪パ~ヤ、パ~ヤ、パッパヤッパヤ~」
お客くん「・・・だからもう」
店チョー「♪パ~ヤ、パ~ヤ、パッパヤッパヤ~、さあ、てれないで! 」
お客くん「・・・♪馬鹿いってんじゃないよ~おまえと~おれは~」
店チョー「お客くん! 小指立ってるよ! 」
(注 フィクションです。写真の料理は私のまかないです)
2021.10.18
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我が家にはカミさんの「仕入れ品」と称されるモノに占領されている部屋があるのですが、探しものがあり、ひさしぶりにその押し入れにもぐりこむと、昔、私が描いたデッサンや銅版画などが出てきました。
高校のころ、少しだけならったデッサンが面白かった私。一浪して美大を目指した時期がありました。浪人といってもバイトに明け暮れて勉強もせず、秋になってやっと新宿の美術系の予備校に通いはじめたのですが、ちょうどそのときにデッサンのコンテストがありました。
花瓶やサイコロの静物だったのですが、ひさしぶりに美術室の、あの鉛筆を削ったような匂い、イーゼルに向かうその緊張感が楽しく、夢中でそれを描きあげて、だれよりも早く退出したことを覚えております。そして、それがトップに選ばれたのでたいへんおどろいたものです。
でも、私はありがちなのですが、そうやって一度うまくいくと、へんに意識して、今度はまったくデッサンが描けなくなってしまいました。それ以降は、いくらがんばって描いても、だんだんと講評も、できの悪い右下のほうにならぶようになり、志望大学の入試のときなどは、冷や汗が出るばかり、描いたり消したりを繰り返し、ぐちゃぐちゃに汚れた一枚を提出するといったありさまでした。
結局、三流大学のデザイン科に入った私。卒業研究は独学で銅版画の絵本を作りました。これはその中の一枚です。そうです、もう、そのころにはこのような落書きみたいな絵しか描けなくなっておりました。4年間デザインをならってこんな絵一枚。昔に戻って両親に土下座したい。
まあ、せっかく見つけたので、馬鹿だった私の記念として、その一枚をお店のトイレの壁面に飾ってみたのでした。
2021.10.15
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富山県の新型コロナ対策のための時短要請が予定よりはやく終わって、9月の終わりの平日より当店も通常営業をはじめました。しかし、相変わらず、テイクアウトの注文が夕方はやくに数件はいるだけ。いや、いつまでこの状況が続くのかな、と少し焦ったものです。
それでも、ひょっこりとひとり若い女性。市内に引っ越してきたばかりのRさんが飲みに来てくれました。そして、
「塩と胡椒だけでパスタできますか? 」
とのご注文。暇をもてあましていた私は、全力でプレーンのパスタを作ってみました。ごまかしの効かないシンプルな料理は緊張するものですね。
そして、それを機のようにして、一組、二組と、だんだんと店内のお客さんも現れはじめてまいりました。
そして週末は連日、ひさしぶりに店内満席。さらに、オードブルなど、テイクアウトもたくさんいただき、てんやわんやで準備していた食材も空っぽ。とりあえず復調の兆しが見えてホッとしました。おなじみタカヤノリコ氏も、また滑川から20kmほど走って後、一杯ひっかけにやってきてくれました。慌ただしくてあまり話ができませんでしたが、なにやら、さらっとロックンロールなことを言っておりました。彼女のその力強い生き方を私は応援しております。
近頃はお酒の節制に取り組んでいる私。休日には自分に飲むことを許可しているのですが、だんだんアルコールがめんどくさくなりつつあります。体質がすっかり変化したのでしょうね。あんなに苦手だったさつまいもやかぼちゃも異様においしくなってきました。もう、甘いもの命。
そうそう、先日の夜、興味がなく、今までまったく目に入っていなかったのですが、明文堂黒部店の前にセブンティーンアイスの販売機があることに気がつきました。その甘味の誘惑にドキドキ。そして、あたりをキョロキョロ。150円を入れてワッフルコーンバニラをポチ。ガランガランと出てきたアイスを鷲づかみにして走り去る私。もう、エロ本を買う昭和の中学生状態です。
最近、我が家の中庭に鳩が巣をかけました。雨の日も、晴の日も、見上げるたびにたまごを温めているようすが見えます。
「えらいなあ、あたしもがんばらんなんな」
カミさんは目をうるましてそう言っておりました。
そう。無我夢中で子供を育む姿は美しく、その健気さに、愛おしさを感じます。言い訳をせず、憂うこともせず、ただ粛々と、成すべきことを成す。ああ、私もそうありたい。
でも、毎朝、私の車の上にフンをするのはやめてほしいのですが。
2021.10.13
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実はLINEというものが、いまだに使い方がよくわかっておりません。最近、iPadで立ち上げてへんな操作をしたのが悪かったのか、以前のデータが消えてしまいました。以前も、携帯を変えるときの引き継ぎを失敗して、一度アカウントをなくしたりしています。
でも、家族のやりとりには便利なのかもしれませんね。以前のカミさんは庭仕事でカナブンなどを見つけると手のひらにのせたまま、家の中まで見せにきて、
「ほら! きれいやろ! 」
「うわああああ! 」
と、虫の苦手な私を苦しめていました。
でも今ではLINEで、こうやって画像だけを送ってくるようになったので、
「うん。きれいだねえ(^∇^)」
などと、心にもない言葉と絵文字で円満にコミュニケーションをはかることができます。
音信不通気味になりがちな我が娘も、使いなれているのかLINEですとわりと返事がはやい。どうも、いつまでもあか抜けない我が娘、都会の真ん中で暮らしていけるのだろうかと内心やきもきとしていたものですが、とりあえず、こうやって画像でちゃんと生きていると確認できれば、おとうさんも安心です。
せっかくなのでクロとのなかよし写真を送る私。家族のみなさんにちやほやしてもらえると思いきや、
母「血吸いコウモリにしがみつかれてる人みたい笑」
娘「悪魔にとりつかれとる図wwwwwそりゃ干からびた雑巾みたいなるわ😌笑笑」
というお言葉。育ての親を「ぞうきん」に例えるとはあっぱれな奴。たくましくなったものだ。でも、ちょっぴり、ハートブレイクなおとうさんです。
2021.10.11
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「やっぱりいいですよ。立山は」
と先日、海外での山岳経験も豊富な濱田ファーム夫妻に勧められ、立山黒部アルペンルートの最高地点、室堂平へと行ってまいりました。
空気が薄く、雲も近く、樹木もないので見晴らしもよく、下界を見渡せ、まるで天空の別世界にいるよう。なるほど、霊山として信仰の対象になったのもよくわかります。その昔、立山修験を経てここにやってきた人には、そのエンドルフィンによる高揚感も手伝って、きっと神秘的な景色にうつったことでしょう。富山県を象徴する山だけのことはあります。
そう、告白してしまうと、富山県に移り住んだばかり、20代の頃は、立山の景色が嫌いでした。
思い返すと、当時の私は今で言う適応障害だったのかもしれません。周囲から、ある会社の後継者と期待され、なりたくもない自分になるために必死になっていた時期です。そして、連なって見える立山がまるで牢獄の壁のように見えました。テレビをつけるとたいてい天気予報のバックに立山がうつりますが、そのたびに舌打ちをしてテレビを消したくらい、その景色を憎んでいたものです。
私のような、田舎のちっぽけな会社の後継という立場でさえ、そのように重かったのですから、生まれながらにして我が国の伝統を背負わされて育った眞子様の心境は想像を越えます。情報化が進んで、皇室といえども世論から逃げることもできないことでしょう。反論も出来ない立場につけ込んだ、無責任な人たちの言葉に、どれだけ心を痛めただろうかと考えると言葉もありません。そのようななか、結婚を決断した勇気は尊く、また、殊勝であると私は思います。
今となっては立山と仲直りしたおじさん。記念に写真をパチリ。
でも、立山のほうは、きっとなんとも思っていないらしく、まったく知らん顔をしておりました。
2021.10.08
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