ここにきてコロナの影響で自粛気運がまた高まりつつありますね。そんななかですが、先日、地元情報誌「Tact」さんや「みんと」さんに掲載いただき、「どんな店やろ」とはじめてのお客様が、とくにランチタイムに多くご来店いただくようになりました。
そして、やはりテイクアウトのご注文が多くなってきました。田植え終盤戦の時期には、そのお昼ごはんのお弁当や、また野上がり(田植えを終えごちそうなどを食べることだそうです)のオードブルなどにもたくさんご利用いただきました。ありがとうございます。
そんな頃、カミさんがよもぎを摘んできたので、てんぷらなどの料理に利用しました。季節を感じさせるいい香りですね。我が娘が幼いころ、皮膚にいいと聞いていたので、よもぎを摘んでお風呂に入れていた時期があり、よもぎの香りがすると、私は、ピンク色のおしりにあった、我が娘の青い蒙古斑などを思い出します。
さて、今年は梅雨入り前なのに、大雨がけっこう降りましたね。
若いころは、雨だれなどをながめていてもいつまでも飽きなかったもの。レインコート、長靴、傘というものに情緒を感じておりましたが、歳をとると単に憂鬱な景色になってきました。きっと体力的なもののような気がしますね。湿度や気圧が体調を変えて、こころにまで影響しているように思えます。10代のころ、土砂降りの海辺で、雨に濡れてはしゃいだ思い出がありますが、あれはきっと若さの特権でしょうね。私のようなジジイがそんなことをしていたら、きっと通報されて、救急車で搬送されることでしょう。
若いころと言えば、印象派をはじめとしたフランスの一連の絵画美術におけるムーブメントについて、たいして関心がなかった私。アカデミックな芸術というものに懐疑的でさえあったのですが、先日、富山県美術館にて開催していた「ポーラ美術館コレクション展」に行ってみました。そう、老成しつつある私が、今、それらの絵画を鑑賞したらどんな感慨をもつものかなと思ったのですが、やはり、若いころと同様、それほど絵の世界に入り込めず、なにかありふれたイメージとしか私の目には映りませんでした。
でも、もしその時代に生きていたら、
印象派 「最近の絵って、おしゃかわじゃね」
フォービズム「めっちゃえぐくてやばみ」
キュビズム 「えっ、なにこれ、えぐいの超えてエモい」
と、きっとそれらの絵画に驚かされ、感動したことでしょう。
そう、とても世界がとでもシンプルだった時代に、私は一度行ってみたいような気がします。
2021.05.31
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このような三角形の家だとか、古風な格子戸の家だとか、間口が狭く奥行きが深い家だとか、防波堤によりかかるように建つ家だとか、旧街道沿いの家々は何とも言えない趣があって飽きません。
富山市にはいると、青い海をながめながら防風林の小道をひたすら歩きます。
そして、神通川の右岸、岩瀬の町。ここは北前船の寄港地として栄えた場所で、古い港町らしく、廻船問屋の大きな屋敷もあり、なかなか風情があります。
ほんとうはこの岩瀬で一服して、ライトレールに乗って帰るつもりだったのですが、歩き続けてハイになっており、もう、立ち止まりたくない気分。そして、氷見あたりくらまで行けるんじゃね、みたいな全能感にさえ支配されておりました。馬鹿な私は、さらに川を渡り、海岸沿いを西へとすすむことにしたのですが、そこからがめちゃくちゃ苦しかった。
射水市までの海岸沿い、なにかのパイプラインが埋設されているサイクリングロードを歩くも、だんだんと足、そしてなによりお尻の筋肉が異様に痛くなってまいりました。5分に一度はしゃがみ込む状態。まわりは田んぼと新興住宅地ばかり。引き返すにも引きかえせず、もし、ここで歩けなくなったらどうしようみたいな不安もよぎる私。
ずっと、遠くに見える新湊大橋らしい大きな柱のようなものを目指して歩いていたのですが、それがその手前、工場の煙突に過ぎなかったことがわかったときのショックは大きく、まるで「砂の女」の主人公になったような気分。
しかし、なんとか蟻地獄の虜になることなく、新湊に到着。新湊大橋を渡り、万葉線にのりこみ、その沿線にある「陽だまりの湯」を目指すも、「休館日」の看板。
「フ〇ック! 」
そう叫びながら、看板を蹴りつけ、足をひきずりつつ高岡駅へ向かい、結局、おなじみ滑川駅近くの「あいらぶ湯」へ行きました。
ちょうど夕暮れ時で、湯船から見た海へ沈む夕日がめちゃくちゃ美しかった。
また見付かった。
何がだ? 永遠。
去(い)ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去(い)ってしまった。
(中原中也訳、ランボー「永遠」より)
風呂上がりにそのまま「かじばやし」にて、刺身定食とキリンの瓶ビール。
明日、きっと筋肉痛でよぼよぼになることだろう。そして、四つん這いになってのたうつ私に、
「そんなに歩いてだらか、意味わからん」
そうカミさんは言うことだろう。
でもいいんだ。私は「永遠」を見つけられたのだから。
2021.05.28
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民家と観覧車。シュールでいいですね。ウルトラマンっぽい。ミラージュランドのようなタイプの遊園地もすっかり懐かしくなってきましたね。
私の古い友人に、幼いころ遊園地のヒーローショーのあとの握手会で、赤レンジャーにしつこく飛び蹴りやパンチを繰り返していたら、胸ぐらをつかまれ、
「おい、てめえ、調子にのんじゃねえよ」
とリアルな口調で怒られたという男がいます。
いつ思い返しても笑える、好きな思い出話です。
滑川市にはいってから、防波堤沿いのサイクリングコースを歩きます。海辺に整備されたこの自転車道は、ふだん使わない道なので、景色がちがっていて面白い。こんなとこにこんな場所があったんだみたいな楽しさは、幼いころ、塀の上を伝ったり、建物の隙間にもぐりこんだり、秘密基地をつくったりしてわくわくした気持ちに似ています。そういえば、今ではそんな子供見かけなくなりましたね。
パノラマレストラン光彩にて昼食。ホタルイカとたけのこのパスタがおいしかった。
そこからまた西へ。海の音。青空。昼下がり。ひとりきり。旧街道を歩いていると、洗濯洗剤の匂いがしたり、錆びた三輪車が置き去りになっていたり、空き地に真っ赤なバラを見つけたり、そのような景色にはドキドキとさせられ、へんに淋しくもあり、また、誰かがそばにればいいのになどとも思います。懐かしさのような、恋慕のような、それは、うまく言葉にできない不思議な気持ちですが、梶井基次郎の「檸檬」のような感覚が近いかもしれません。そう、「檸檬」は私の知っている中で最も好きな散歩文学です。
滑川市の海沿い。このあたりは宿場町だったようですね。古い家々の軒並みをながめながら歩き、栄えていただろう痕跡を見つけては、その時代を想像するのは楽しかったです。
2021.05.26
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ゴールデンウィーク明け、店は4日ほど休暇をいただき、ひさしぶりに東京の実家へと行こうと思っていたのですが、緊急事態宣言の延長で断念、仕方なく残務などをして過ごすことにしました。
そんななか一日だけ私の自由に使える日がポカンとできたので、急遽、なにをしようかいろいろと考えたのですが、どうも、これと言って思いつかず、夜明け、目が覚めるとともに、ただひたすら歩くことにしました。そう、どうしたらいいのかわからないときは、とりあえず一歩でも歩き出してみることは大事です。
まずは我が家から海岸線を目指し田植えが始まる田園風景の中を歩きます。
石田浜から海岸沿いを魚津方面へ。魚津漁港をすぎると旧街道に突入。なかなか風情があっていい感じです。いかにも「歴史があるぞ」的な建物よりも、このくらいの感じが私をくすぐります。漁師町だからかでしょうか、このあたりは古風な銭湯もまだまだのこっておりました。
具体的じゃない不思議な看板を発見。
いったい「悪の心」って何だろうか。
「おい、部活バッくれて、ゲーセンに行こうぜ」
そんなレベルの悪なのか。
それとも、
「だんな、疲れがとれる薬ありますぜ」
みたいな誘惑をしている図なのか。案外、にこやかな顔をして、
「あなたは悪霊がついてる! 今すぐこの壺を買いなさい! 」
そう言っているのかもしれません。
いや、もしかしてあんなことか、まてよ、そんなことか、えっ、まさかこんなこと! そ、それはあんまりだよう!
想像をかき立てられる私。
それにしても、旧道沿いは主を失った廃屋が多かった。退廃的かもしれませんが、そんな風景は、なんともいえず味わい深い。いっそ、この景色の中に溶け込んでしまいたい、そんな危うい衝動にさえ駆られてしまいます。
そして、花を美しく思うのは刹那的なものだからなのかもしれませんね。朽ちてゆく家々の片隅、今、ここに、こんなふうに咲いているんだと、躑躅の花はなんの言い訳もせずに咲いておりました。
2021.05.24
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飲食店を開業して、もう一年半ほどになりますが、
「これって、一般的にはどうするのだろうか? 」
というような疑問もいくつか出てきました。私は飲食店での経験が乏しいので、ここにきて、自分なりにいろいろ勉強しているところです。そう、長い時間、同じ場所、だれも指摘できないというような環境にいると、どうも「お山の大将」になりがち。「俺様が法律だ」と、視野がどんどん狭くなるもので、 機会を作って、学ぶ場があれば、もっと参加していきたいなと思っております。
ふと、思い返すと、私がはじめてアルバイトしたのは高校を入学してすぐ15歳、喫茶店でした。まだ時給500円台のころだったように記憶しております。コーヒーはサイフォン式で、豆は数種類用意していて、食事はトースト系のものいくつか。シナモントーストなどは簡単でおいしいので、家でまねしてよく作ったものです。
私はホール担当で、接客などはわりと得意だったのですが、ことあるごとに、
(どけ。じゃまなんだよ)
とこっそり私にだけ聞こえるような声で恫喝してくるような男が先輩だったのでそれが憂鬱だったものです。当時、飲食系のバイトは、ヤンキー系の人が多かったもの。
レストランでのバイトのときもそうでした。その店の厨房も、コック帽などをかぶっておりますが、脱げばソリ込み、アイパー、リーゼントみたいな連中ばかりで、マネージャーが不在になると、「おい先公いなくなったぜ」みたいな雰囲気。急に荒っぽくなって、
「おい、おまえ、声が小せえんだよ! 」
と呼び出され、休憩室でタバコをくわえながらたむろする従業員たちの前、
「いらっしゃいませ~」
「オラ! 気合はいってねんだよ! 」
暴走族の集会状態で、ひたすら接客用語を練習させられたことを覚えています。
そうそう、80年代、ツッパリと呼ばれていた人には、権威に弱く、弱いものに強い奴が実に多かった。ひとりのときはおとなしいのに、群がってとぐろをまくとギラギラとしていたものです。
お弁当を作るアルバイトをしたこともあります。そこはコンビニとオーダー式の弁当屋を兼ねた店で、オペレーションに無理があったのでしょう、まだバーコードもなかった当時、
「キャスターですね。220円です」
と、手打ちでレジをしながら、唐揚げをあげて、ごはん詰めて、などと、めちゃくちゃ忙しかった。そして、昼どきにはすぐに行列になったものです。今ではそんな無茶なコンビニ、きっとないでしょうね。
さて、弁当と言えば、5月の「KAYADO! フリー」のイベントでたくさんお買い上げいただき誠にありがとうございました。現状では作ることのできる量が限られており、昼をまたず完売してしまいました。次回は量的にか、アイテム的にか、もう少しお客様にお応えできるように改善しようかと考えております。
2021.05.21
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まだ青葉のころ、安曇野へ行ってまいりました。その日、天気はいまいちだったのですが、でもかえって景色がみずみずしく映っておりました。
印象派の絵画のような景色ですね。
私の母方のルーツはこの土地に縁があります。水の豊富なこのような景色をながめていると、なつかしく、落ち着いた気分になるのは、なにかDNAが関係しているような気がしてなりません。
母方の祖父は私が幼いころに他界してしまったのですが、手をひかれ、松本城の見えるそば屋へと連れていってもらったことを覚えております。おそらく、そのときはじめてそばを食べたのではないでしょうか。きっとおいしくてモリモリと食べたのでしょう、そのまま母方に実家に戻ると、玄関先で、
「まあ、Aちゃん、おなかポンポンだで」
と、叔母さんが目をまるくしていたことも覚えています。
そう、これもDNAなのか、そばもはじめから好きなのです。
でも、我が娘はそばは苦手のようですね。
そうそう、我が娘は、エビやカニが好きだったり、カミさんの尊父と、食べ物の好みがまったく同じなのでびっくりします。やはり、食べ物の好き嫌いも遺伝的な要素が強いような気がしますね。そして、どうでもいい通販の商品をうっかり買ってしまったりとか、出かけるギリギリ前に風呂に入ったりだとか、ちょっと困った行動まで似ており、そこはおとうさん案ずるところです。
おみやげの野沢菜とごはん。ああ、幸せ。
カリカリとした漬け梅。イナゴの佃煮。馬肉。信州系の食べ物はたいてい私の好物です。
2021.05.19
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空が澄んだ新緑のころ。我が家の庭先に、山吹のまぶしい黄色を見つけると、ああ、ゴールデンウィークか、などと思い出します。
でも、今年の連休はわりと荒天の日が多かったですね。そして、なにより、緊急事態宣言や、ここ富山県でも直前に警戒のレベルがステージ2へと引き上げられ、前半はお客様の来店がガクっと落ちました。
それでも、中頃からだんだんとテイクアウトのご注文をたくさんいただくようになり、なかなか忙しくなってまいりました。
後半には店内も、少人数のお客様が多かったですが、それなりに忙しくさせていただきました。よく、テレビなどで「若者の緩みが~」みたいなことを言われますが、ご来店のお客様を見ていると、むしろ若年層の方のほうが、感染対策に敏感なように見受けられます。マスクをしての会話。そして料理ができあがり、配膳が終わると「黙食」。またマスクをして会話といった具合です。
ある日、横浜からというお客さんがバイクのツーリングがてら当店に立ち寄ってくれ、
「前から来ようと思っていたのですが、やっと・・・」
と、当ブログの読者さんでした。
こうやって、ときどき私の拙文を、遠くどこかの誰かが「いつも読んでます」と伝えてくれることはほんとうにありがたいことです。私は小学校一年のときに先生に作文を褒められ、それ以来、それだけを頼りに「褒められる」ために作文を書き続けており、それは私の捨てなかった大事なアイデンティティのひとつなので、文を褒めていただくことはこころからうれしいです。
それにしても、連休中フル稼働でがんばっておりましたが、やはり歳のせいか後半は体力的にへろへろになってまいりました。しかも最終日は、我が家のとなりの田んぼの所有者さんから、
「あした田植えなんやけど、すまんが、あんたんとこの飛び出てる枝はらってもらえんかの」
という話があり、夜明けとともに起きて庭仕事。
でも、不思議なことに藤の香がする中、作業をしていると、すがすがしい気分になって、かえって元気が出てきました。
そして、その夜、店も落ち着いたので閉めようとするころ、
「一杯だけ」
とお客さんが入ってきました。なんでも、家を追い出され行く当てがないから、どこか泊まる場所を探しているというような話。
「そうですか、それは困りましたね」
「・・・いいねこれ」
「えっ? 」
「クラプトンの曲は泣ける」
そう言い残し、そのまま夜更けの通りへと消えていきました。
そう、時々、こんな感じの謎めいたお客さんもいらっしゃるものです。
2021.05.17
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ときどき、大きなイワシが出回るのですが、そのときに買い付け、梅煮を作るとわりと人気あります。梅干しも自家製なので、それを考えるとけっこう手間暇かけたメニューですね。圧力鍋を使っているので、まるごとも食べられます。イワシは手開きができるので、気軽にフライにしてもおいしいですね。でも、なんと言っても、水族館でオットセイとか、アザラシが、芸の途中でごほうびに飼育員にイワシを与えられ、丸ごとパクッと食べますが、私はあれが一番おいしそうに見えます。
こちらの地域ではカレイを冬から春にかけてよく見かけます。
ふるさとにて
ほしがれひをやくにほひがする
ふるさとのさびしいひるめし時だ
板屋根に石をのせた家々
ほそぼそと ほしがれひをやくにほひがする
ふるさとのさびしいひるめし時だ
がらんとしたしろい街道を
山の雪売りが ひとりあるいている
黒部市生地、明治のころの情景とされる田中冬二の詩です。簡潔ですが、記憶の断片を切り抜いたようなリアルな作品ですね。
20年ほど前、私は地元スーパーの塩干コーナーを担当していたころがあるのですが、干カレイは下段に赤カレイ、白カレイと豊富に並べられ、よく売れた商品でした。でも、今ではこのあたりのスーパーの売り場ではあまり見かけなくなりました。
日本全国どこでもそうだと思いますが、その地域らしい食べ物がだんだんなくなっていくのは少し寂しいものです。
きゅうりなどは、もう一年中食べられますが、やはりその地域、その季節食にべるのが一番おいしいですよね。とれたてのきゅうりをかじると、夏の太陽の匂いがするような気がします。
あたたかな季節がやってくると、しっとりとした煮しめなどがおいしいですね。若いころは、どうしてこんなはっきりしない料理を大人たちは好んで食べるのだろうと思っておりましたが、今となっては煮物をチョコチョコつまみながら、ちびちび飲むお酒で夕飯は十分になってきました。
そうそう、旭川に住んでいた大学生だったころは、よく唐揚げを食べたものです。あちらでは唐揚げを「ザンギ」と呼んでいました。よく行っていた「旭」という食堂のザンギ定食が当時380円だったと記憶しております。安くてボリュームがあったので、卒研で忙しい時期などは毎日のように食べていましたが、まったく平気だったのは若さの特権ですね。
昔の私の写真などをふりかえるとカミさんは、
「え~! こんなにほっそりしとったんや。あ~あ。もっと若いころにやさしくしとけばよかった」
とよく言います。そして今の私を見上げ、
「・・・きたない」
そうひとことつぶやいて、どこか遠くを見つめるのが常です。
2021.05.14
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鬼押出し園。
たしか、軽井沢へ旅行したときについでに寄った、溶岩だらけの場所だったような。実はあまり覚えていないのですが、不思議とカミさんはここが気に入った場所だったらしく、
「ほら、鬼押出し園に行ったときに・・・」
と、よく話題にします。
私は覚えているふりをして、
「うんうん。そうそう」
などと適当に相槌をうちます。
「でさ、アレがあったにか」
とカミさん。
「えっ、・・・そ、そうだね」
「・・・覚えとる? 」
「アレでしょ。も、もう忘れたことがない」
「アレって、ほんとにさ・・・」
「ほ、ほんとに・・・」
「・・・たいへんやったよね」
「そうそう! たいへんだったよね~! あはは! 」
と、話を合わせるのに、毎度綱渡りのよう。ひやひやです。きっと、こういう積み重ねが夫婦円満の秘訣なのでしょう。
陸前高田松原。
数日かけて東北を車で旅行したとき、陸前高田ではキャンプ場に宿泊する予定だったのですが、ちょうど台風が東北を通過しているときでした。予定より相当おそくにたどりついたのですが、暴風雨の中、雨合羽を着た若い職員さんが私たちのことを待っていてくれて、キャンプ場が閉鎖されていると申訳なさそうに伝えられました。そして、
「知りあいのところですけれど、よかったら」
と、親切に、海辺の大きなホテルへと案内してくれ、見晴らしのいいスイートルームのような客室に泊まることができました。そして、翌日チェックしようとすると、きっと、その職員さんの口利きでしょう、びっくりするくらい安かったことを覚えております。
その後、数年経って東日本大震災。
あの職員さんは無事だったのだろうかということを時々考えることがあります。
会津さざえ堂。
これも東北旅行のもの。たしか江戸時代の後期の建築で、一方向で、登って、そのまま降りることが出来るトリッキーならせん構造。ちょうど夕暮れどきにたどりついたのもあり、もう外観からして、夢に出てきそうなシュールな雰囲気。まるで乱歩の小説のよう。実に奇妙で魅力的な建物でした。
ホアンキエム湖。
二度目のベトナム旅行はハノイ。ハノイはホーチミンとちがって、おだやかでインテリジェンスな雰囲気でした。そう、この旅行以前に、まったく予備知識がなかったのですが、私は灰色っぽいハノイの町を歩き、やがて静かな湖へとたどり着くという夢を見たのですが、実際に行ってみると、その景色に近かったのでびっくりしたものです。
ハロン湾。
ハロン湾は、松島を5倍ほどダイナミックにしたような景色でした。
前回、ベトナムの南部を訪れたときには、ものすごい喧噪の中、家族を守るためと、お侍のように背筋をのばし、やたら緊張していた私ですが、北部は比較的おだやかだったのでリラックスして旅をすることができました。それでも、ハロン湾クルーズでいっしょになったスタイリッシュな中国女性が我が娘をかわいがってくれて、撮った画像を送るからここにメールをくれと名紙をいただいたのですが、そこに"Reuters"の文字。
「えっ! 」
と警戒する私。そう、テレビなどでよく聞いていたロイター通信社を、なにか、国際的なスパイエージェントの組織だと真面目に思い込んでいた馬鹿な私です。
2021.05.12
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山下公園。
名所らしさを写真におさめる気ゼロですね。ハトとそれを追いかける我が娘のみが被写体になっております。そうそう、我が娘は幼いころからほんとうに愛情深く、動物が大好きなのですが、いつもこのように逃げられ、見ているとどうも片想いというパターンが多い。叶わぬ愛を求めがちというのか。おとうさんはそれが心配です。
博物館明治村。
ここはフランク・ロイド・ライトのあの有名な帝国ホテルの中央玄関をはじめとして、移築した明治前後の重要文化財が盛りだくさんの場所でした。なかでも、蒸気機関車に乗ったときのことをよく覚えています。ものすごい蒸気につつまれながら、ゴトンゴトンと、重く、ゆっくり走り始めるあの感じ、あのスチーム動力の無駄に大げさな力強さは、ほんとうに素晴らしかった。
東京ディズニーランド。
寺だの、神社だの、温泉だの、さびれた商店街だの、いつも辛気臭い場所にばかり連れていかれる我が娘を不憫に思ったのか、
「たまにはディズニーランドにでも連れていってあげなさい」
と、亡き親父がお札を私に握らせるので、しかたなくディズニーランドへ行ったときのものです。それでも長蛇の列に並ぶことが億劫で、こんな地味なアトラクションばかりを選ぶおとうさん。あまったおつりでガード下の飲み屋でも行こうかなとまでたくらんでいます。
子供らしい場所に飢えていたのでしょう、娘は、
「わ~い。パパ、きょうはあたしがうんてんしてあげるね! 」
と、小さな瞳をキラキラさせてはしゃいでいます。
「そ、・・・そうか。ありがとう」
ああ、神様、こんなおとうさんをどうかお許しください。
ホーチミン人民委員会庁舎。
まだ、それほど観光スポットとして注目されていないころ、ベトナムへ行ってまいりました。はじめての家族での海外旅行でした。ホーチミン市はこのようにフランス統治時代のエレガントな建物が多いのですが、猥雑で人々がたくましく、とにかくものすごい活気でした。
帰国したあと、図書館で見つけた高度経済成長のころの東京の写真集をひらくと、そのときのホーチミン市の雰囲気にそっくりだったことを覚えております。なにより、活き活きとした人々の表情が昔の日本人によく似ておりました。
メコン川。
いろいろな国の人たちと同じ船に乗ってメコン川をのぼっていくクルーズはとても楽しかったです。それぞれの国柄のようなものが出るもので、休憩のたびに、フランス人たちはハンモックでいつまでもくつろいでおり、
「もう! 舟が出る時間ですよ! 」
と、娘がやきもきとして、彼らを起こしに行っていた姿が懐かしく思い出されます。
2021.05.10
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