旧式の旅館には、縁側というのか、広縁というのか、窓辺に椅子とテーブルがあるスペースがありますが、この感じがよくてカミさんはこの宿を選んだということです。たしかに、ここに座って色鮮やかな山肌などをながめていると、しみじみ、旅に出ているんだなあという気分に浸れます。
朝食もおいしく、
「こうやって、そろって、おちついて朝ごはん食べるのひさしぶりやな」
とカミさん。そう、事業をはじめてから、食生活が相当乱れてしまったことは私も反省しており、これからの課題だよね、というような話をしておりました。
まずは、日光東照宮へ。この日は修学旅行だろう学生がたくさんいて、
「おい~、そこ、男子、立ち止まらない! 」
と、先生がてんやわんやになっている風景を懐かしく思いました。そうそう。私も小学校6年生のときの修学旅行は日光でした。
こうやって、あらてめて東照宮を見回すと、巨大でド派手。アトラクションが盛りだくさんで、もう「徳川ランド」といった感じ。江戸時代の人たちはこの地に度肝をぬかれたに違いありません。家康は、天下を統一し、神になりたかったのでしょう。なにか、そんなふうなエネルギーを感じました。
おそらく私が4歳くらいのころ、親父にここに連れてきてもらったことを思い出しました。そのとき、雷鳴がひびく大雨で、この三猿の前で家族そろって雨宿りをしました。そして私はこの「きかざる」を見上げ、雷鳴がうるさくて、そうやって耳をふさいでいるように見えたことを幽かに覚えております。
そのあと金谷ホテル歴史館(旧金谷カッテッジ・イン)へ。ここは明治初期、日本最古の外国人向けリゾートホテル跡だということです。その古式の赴きのある建物は、居心地がよく素晴らしかった。放浪癖のあるカミさんは、旅行家のイザベラ・バードを敬愛しているのですが、バード女史が宿泊したこともあるこの場所に、目を潤ませていたようです。
カミさんは恒例の買い物タイムに突入したので、私はひとり大正天皇のご静養の場所だったという「日光田母沢御用邸記念公園」へ行ってきました。徳川の屋敷を移築、または明治、大正時代に増築した建物で、私には、様式的すぎて落ち着かないほど広大な建物でした。
邸内を散策しながら、大正天皇は病弱であったことなどが知られておりますが、それでも皇位を継承しなければいけなかったことについて、どのようなお気持ちだったのだろうなあなどということ考えました。政治的な意味合いではなく、例えば特別な環境に生まれたことについて、人がどんな感慨をもつのかということに私は興味があるほうです。
2020.11.30
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そして、大谷寺の境内には大きな観音像もありました。戦没者の慰霊碑もあり、戦後まもなく平和を祈念しての彫刻のようですね。幼いころはこういう巨大像を眺め、ロボットのように動き出すことを想像してわくわくしたものです。
その近く「ISLAND STONE COFFEE ROASTERS」というお洒落な店にてコーヒーを一服。窓からは、昭和初期のものらしい廃墟のホテルのようなたてものが見えました。
「不気味ですよね」
と店員さんは言っておりましたが、私はなにか朽ちていく古城を眺めているような風情を感じました。
そしてバスで宇都宮市内へと移動。カミさんが調べたなんとかという老舗の店がものすごい行列を作っていたので、その近く「悟空」という店でう餃子をいただきました。とくにこれといった感慨はなく、ふつうにおいしかった。そう、あまり「名物」ということに私はもともと幻想がありません。
そうそう、よく、テレビのグルメ番組で、食べながら、
「わ~! サクサクとして、中がジューシーで・・・」
みたいなことをやっておりますが、あれって、本当かなと思ってしまうのは私だけでしょうか。
それと、単に苦手な料理だったり、満腹ならともかく、へんに通ぶったことを言って、ひとくちだけ食べて残してしまうような人もたまにいますが、そういうのもどこか品がなく見えてしまいます。
カミさんが買い物タイムにはいったので、オリオン通りというアーケードの商店街で私は一杯。そして、あたりをしばらく散歩しました。人々を観察していると、言葉のイントネーションが少し違うことと、ヤンキー系の人やそのような車が多いなあという印象。そういえば高校のころバイクで北関東方面へ行くのって怖かったよなあなどと思い出しました。そして街並みは、いまいち歴史を感じさせる風景に乏しい。おそらく、師団もあったので空襲が激しかったことだっただろうと想像できます。富山市もそうですが、問答無用で、無差別に人々の命や財産、そして文化を焼き尽くした大戦末期の空襲。その業をほんとうに恐ろしく思います。
そして、その日はさらに電車にゆられ日光まで向かい、「風和里」というホテルにて宿泊。
おそくに到着して、貸し切り状態の露天風呂に入ると、湯船にもみじが浮かんでおりました。
2020.11.27
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コロナ禍→カミさん旅行に行けない→ストレスがたまる→無駄な買い物が増える→家の中が散らかる→私の居場所がなくなる。
そんな負の連鎖を避けるため、そして、ついでに当店の開店一周年の意味合いもこめ、先日おもいきってお店を数日お休みにし、カミさんと日光を目指し出かけてまいりました。運よく連日、初冬の小春日和。宇都宮の駅を降りると、このようなどこにでもある駅前の風景でしたが、それでもひさしぶりの旅行なので新鮮に見えました。
とりあえず、駅からバスに揺られて大谷資料館へ。紅葉もちょうど最後の見ごろ、コントラストが強く、なかなかいいタイミングの旅でした。
大谷町は大谷石という特産の石材の採掘場所として発展した地区らしく、向かうまでのあいだ、バスから車窓の景色が、だんだんと石材の建物が多くなっていき、大谷資料館あたりにいきますと、その奇岩の風景は独特で、シュールにさえ見えました。
大谷石は、よく東京の古い邸宅の塀でもよく見かける気泡が入ったような石材で、フランク・ロイド・ライトのあの不思議なデザインの旧帝国ホテルにも使われております。
砕石場あとには、巨大な地下空間が広がっておりました。長い時間をかけてこのように掘り続けたこの現場、その作業量を考えると、なんだか人間ってすごいなあと思いました。ライティングやBGMで幻想的な演出がされる中、
「きっと昔はたいへんやったんやろな」
とカミさんは言っておりましたが、たしかに手掘りの時代は相当過酷な現場だったことだろうと想像できます。そして、なんでも戦時中には、工作機械が持ち込まれ、学生も動員し、中島飛行機の軍需工場としても利用されたとのこと。きっと悪化する戦局の中、緊迫した現場だったことでしょう。刻まれた歴史の迫力のようなものも感じました。
そして、このような独特な場所に建立された大谷寺。その岩肌に、弘法大師の作とされる千手観音を拝観できます。
カミさんがよく、
「仏像って昔はエンターテインメントやったんだと思う」
という持論を展開します。きっと、平安時代の人たちもこの地に訪れ、
「なにこれ! めっちゃ手が多くね! 殴られたらやばくね! 」
そんなふうにここの彫刻をみて盛り上がっていたのかもしれませんね。
「千手観音ってさ、ストーリわかんなくてまだ見てないんだよね・・・」
「え~? まで見てないの! 」
みたいに、「鬼滅の刃」状態だったかもしれません。
ちなみに私もまだ「鬼滅の刃」見ておりませんが。
2020.11.25
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先日の土日、KUROBEアクアフェアリーズ・ホームゲームにあわせ黒部総合体育センターに開催された「テイクアウトマルシェ黒部」に、当店からも黒部名水ポークコロッケ弁当を出品させていただきました。
テイクアウトマルシェ黒部は黒部市内の飲食店有志による、ほとんどボランティアといった取組みで、
「できるだけ協力しあって、一人でも多くのお客様に黒部の飲食店の味を知ってもらいたい」
そんな呼びかけもあり、若手の皆様の熱意にはほんとうに頭が下がる思いがいたします。
そうして、早朝よりお弁当の仕込みをする私。こんなふうに、しかも日々メニューに頭をしぼりながら、子供のお弁当をつくるおかさあんって、きっと、たいへんだろうなあなどと想像します。
なんとかお弁当を時間までに作り終え、カミさんに会場まで届けてもらいました。
そう、実は私は時間を気にする方で、少しでも遅れそうになると、案外パニックになってしまうタイプです。「時間恐怖症」とでもいうべきなのか。例えば、待ち合わせなどのときも、心配のため実はかなりはやく到着してしまうのですが、さきに来てその場所でぼんやりしているのもカッコ悪いので、その時間までこっそり電柱の陰などに隠れ、五分前ほどになったら、
「ふう。やっと、まにあった」
などと汗を拭き、小芝居をしながらあらわれるのが常です。
ですので、以前、管理職だったころは時間を守れない人にかなり厳しくあたっていたものですが、歳はとるもので、時間のとらえ方は人によってかなり差があることに気が付きました。そう、あたりまえに見えた文庫本の文字が、老眼で読めなくなった私と同じように、自分が思うように「時間」というものを読めない人もいるものです。
「おい。ふつう、時間の五分前に来るよな! 常識だろ! 」
そんなふうに頭ごなしに叱っていた私。でも「ふつう」や「常識」と言うものは、単に自らの主観にすぎません。
「世間がゆるさないのではない、あなたがゆるさないのでしょう? 」
まさしく太宰「人間失格」の言葉のとおり。
最近「ダイバーシティ」「多様性」「共存」そのような言葉を耳にしますが、知っているだけではなく、理解者でありたいものですね。世の中にはいろいろな人がいて、ひとつやふたつのものさしで単純に測れないもの、
「あいつ○○だからダメだよね」
などと、わかったふうに、すぐ人を決めつけてしまう大人にはなりたくないものです。
2020.11.23
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ある休日。ちかごろ、運動不足だったので、ひさしぶりに走ろうと思ったのですが、夕方、魚津で約束があったので、冬の旧街道を散歩がてら、その場所へ歩いて向かうことにしました。
ふだん車で通っている道も、歩いているとまったく景色が違うものですね。意外な場所に古風でおしゃれな御宅やおおきなお寺を見つけたり、朽ちた廃屋の苔むした瓦屋根にしみじみとしたり、なかなか楽しかったです。
そして、日が暮れて海辺にたどりつき、防潮堤に座り、漆黒の海原をながめます。どこか知らない町にいるような気分。
そう、この夜は友人たちと待ち合わせをして、魚津の海辺、デルフィーノというイタリアンレストランで会食をしました。
さらに、場所を移し、駅近く「Ao to ao」というお店でスコッチやカクテルをいただきます。
えっ、ぜんぜん似合わないって?
失礼な。おとうさんだって、たまにはこうやっておしゃれな店に行ってみたいんですもの。
「君の瞳に乾杯」
もう、気分はボギーです。
うひゃ! お尻がムズムズしてきた! こりゃたまらん!
もうだめ! 次回の食事会は秋吉でお願いします!
2020.11.20
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しばらくコロナ禍でオンライン開催になっておりました「KAYA DO! フリー」ですが、およそ一年ぶりほどでしょうか、11月に実開催されました。
この「KAYA DO! フリー」は当店を立ち上げるにあたり、お客様の層などについてたいへん参考させていただいたイベントでもあったので、この実開催は心待ちにしていたものでした。
ひさしぶりに出店に立つカミさん。そう。カミさんはこういう場所で、人と触れ合いながら、私にはよくわからない小物などを売ることが大好きなのです。この日も活き活きとして見えました。おかげで、我が家は「仕入品」と称したモノだらけ、足の踏み場もなく、おとうさんまったく落ち着かないのですが、そこは、まあ我慢しようかなと思います。この世界が平和であるためには、妥協も必要なものなのです。
作ったお弁当も、おかげさまで完売できました。そして、
「おいしかったです」
という声を聞いて一安心。そうそう、「おいしい」か「まずい」ということはそれぞれの人の官能によるものなので、私にはその良し悪しについて実は自信をもてないところがあります。ですが、真面目につくったものがきちんと食べていただけたときは、こころからうれしい。ですので、へんに奇をてらったことをせず、これからも、素材を活かした、あたりまえのメニューにしっかりと取り組んでいこうかと思っています。
さて、話は変わって、北日本文学賞、今年も一次選考は通過しました。
タイトルはその名のとおり「カタコト」。
近頃は文を書くことに冴えがなく、低調さを自身、実感しておりますが、とりあえず全力で30枚の短編を書きましたので、今のところはなんの悔いもない私です。
2020.11.18
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おでんのおいしい季節になってまいりましたね。私の実家は東京、大井町の下町にあったのですが、そのむかし駄菓子屋がけっこうあって、おばちゃんが作るおでんを鍋から売っている店もよくありました。でも、そこで、たまごやはんぺんを買い食いできるのは、例えば町工場の社長の息子とか、歯医者の息子とか、小遣いをたくさんもっている友達でした。私などは、ほかほかと湯気のたつそれを横目で見ながら、
「ボク、おでん食いあきたんだ」
と、強がりを言いつつ、当時20円だったベビースターラーメンや10円の麩菓子を寒空の下でポリポリとかじっていたものです。
その当時、ピザはあこがれの食べ物で、年に数回、レストランで食べられるか食べられないかというような感覚でした。よく、食パンにケチャップをぬって、そこにプロセスチーズや魚肉ソーセージを乗せ、工夫をしてバーチャルピザを作ってみたものです。
子供のころの自分に、
「今、オレさ、ピザ作る仕事してるんだよね」
そう自慢したくなるときがあります。
収穫したばかりの落花生は塩ゆでするとなかなかおいしいですね。最近知りました。ホクホクといった味わいです。
落花生は「剥く」という動作が人を虜にしますね。ちょっとしたもどかしさの中にたどりつく味わい。それがいつまでも連続します。
「きみは落花生のような人だね」
もし、そう恋人に言われたなら、それは永遠の愛を誓う言葉だと思って、まず間違いないことでしょう。
食品スーパーで、私は精肉部門を担当していたころがあるのですが、そのころ、県内どの店も生食のコーナーに取り組んでいて、牛モモブロックを店内で加工をした「牛たたき」がちょとしたトレンドでした。どの店も精肉の作業場でホットプレートを使って焼き目をつけておりましたが、私は惣菜の作業場へ行ってグリラーで表面を強火で焼き、それが香ばしく、それなりに評判で、利益率にも反映されるほどでした。しかし、ある勉強会で自信をもってそのデータを発表すると、当時の上司から、
「銭ならん、駄目な例やな。そんな趣味みたいなことしとらんと、ちゃんと仕事せえま! 」
そう、たくさんの人の前で一括されたことがあります。そのことが今でも悔しく、当店のメニューにしました。おかげさまでなかなかご好評いただいております。
先日、ボッサファームの干しぶどうをメニューにしてみようと思いたち、ニンジンでサラダを作ってみたのですが、あとで検索してみると、ほとんど同じレシピのメニューがあってびっくり。不思議ですね。組み合わせ方、その方法、料理は奥が深いということもありますが、案外、自由で、どこかで共鳴するところもあるのだなあと感心した私です。
2020.11.16
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「あっ、そうだ。今度の土曜日、イベントでライブあるんで、またベースお願いします」
そう気軽に言うTARO氏。
「えっ、ちょっとまって。あと五日もないじゃない」
「とにかく、ボクの『パンクロック研究所』に来てください」
そう言われ、ランチタイムを終え、指定された場所に行く私。さすが、初期スネイル・ランプ伝説の男、きっと自宅に私設のスタジオでもあるのだろう。そう思いきや、空き缶や煙草の空き箱が散らかる部屋。そして、
「まあ、とりあえず、疲れたからビデオでも見ましょう」
と、練習そっちのけでパンクバンドの動画を眺めたりします。まるで、高校のころの友達の家に来たような気分。
さて、「生地鼻灯台ファンタジー」という北洋の館にて行われたイベント当日。
北洋の館はなんでも、漁具倉庫を改装し、カフェやギャラリー、名産品販売の場所として活用されている場所で、私は恥ずかしながら、おそらくはじめて入ったのですが、大正時代に作られたという、その木造建築は趣があって、近くにこんな場所があったんだとなかなかおどろきました。
漁業で使っただろう機材なども展示してあって、なかなか興味深い。また、厨房には忙しそうなおかあさんたちもいて、イベントは活気づいておりました。
夜にはこの灯台も幻想的にライトアップされたようです。
1951年より、汐風にさらされて立ち続けた灯台を見上げる私。おれはここにいるぞ、と言わんばかりに、たのもしく見えました。
さて、ライブはドラムはなかったのですが、かなりのボリュームで、TARO氏のオリジナルを中心にパンキッシュな曲を8曲ほど演奏しました。
途中でおとうさんに、
「おい! もうちっとボリューム下げてくれんかの! 」
とおこられる私たち。
「はい。すみませんもう一曲なんで」
とTARO氏。
「そのむかしツイストならわしもたしなんだもんじゃが・・・」
「はい、それじゃ。あっ、ワン、トゥ、ティ、フォ! 」
(ジャ~ン!!! )
めげずにギターをかき鳴らすTARO氏。その後ろ姿はまさしくパンク少年そのもの。逆光も相俟って、私にはまぶしく見えました。
2020.11.13
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我が家のクロも冬に向かって衣替えを終えたようで、なんだか毛並みがふっくらしてまいりました。そして、人肌が恋しいらしく、足元に擦りついてきたり、膝の上にとび乗ってきたり、寝ている布団の中に入ってきたりと、やけに甘えてくるようになってまいりました。
本格的な冬がやってくるまえ、この地方ではつかの間の良い天気が続きます。そんな日は散歩にうってつけ。このころの木々のトーンはなんだかお洒落ですね。色づいた木の実はアクセサリーのよう。うきうきとさせてくれます。
あたたかな火の明かりが恋しくなる季節でもありますね。蝋燭の灯を見ているとなんだか落ち着くのは、本来、炎が我々人類の慣れ親しんだ光だからかもしれませんね。LEDは効率がよい照明ですが、その尖った光を私はいまでも慣れないでいます。
また、おなかもよくすきますね。
「この季節、食欲が出てこまっちゃう」
みたいな話をよく聞きますが、人間のリズムがそういうふうにできているのだから、あまり我慢せず、食べたいときに食べるほうが健康的なのではないかなと私は思っています。
そう。自分があってまわりに季節があるのではなく、季節の中に自分があるのだなあと私は思うときがあります。月が満ちたり、欠けたりするように、自分もそのようなリズムの一部に過ぎないような気がするのです。だから、自分中心の理屈や、世間を気にした常識などに囚われすぎず、肩の力を抜いて、ときに直感的であるべきだとも考えております。
2020.11.11
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店をはじめる前は、我が家でハロウィンパーティーを恒例にしておりましたが、それにプラスして、T氏の誕生祝い、そして、ひとつきほど早いですが開店一周年記念の集いを、濱田ファーム姫に仕切っていただき、当店にて開催しました。
T氏誕生祝いに、好物の里芋煮でキャンドルサービスも、毎年恒例となっております。受け取った本人、ちょっぴりホロリとしていたのを、私は見逃しておりません。
女子たちに囲まれ記念写真。
「おい~、密やないか、やめてくれっせよ~」
とか言いながらまんざらでもない様子のT氏。
一方、私が寄り添うと、
「いや、まじであかん! 」
と、真顔になって本当に嫌なようすでした。どうしてなのか。
おかげさまでみなさまに支えられ当店ももうすぐ一周年を迎えます。
なんとかこぎつけ、経験の乏しいこの事業をはじめてすぐのこのコロナ禍、トンネルの中、手探りで進んでいるような日々もありましたが、いろいろな方がその行く先を灯してくれたこと、そのひとつひとつを、私は決して忘れないでます。
当店に関わっていただいた全てのみなさまに、ここに心をこめて感謝を申し上げたいと思います。
2020.11.09
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