9月の連休は事前の予約が少なかったので、少し不安だったのですが、連日、お客様にたくさん来ていただいたのでホッとしました。ご利用いただいた皆様にはこころより感謝申し上げます。
どうも最近は、予約よりも店の状況を確認してからご来店というパターンが多いようですね。そして、混雑していると「密」を避け、また来ますと、そのまま引き返すお客様も拝見します。
「なんやら、いろはのならびにようわからんだらくさい店おったちゃ」
対訳(たしか、「居酒屋いろは」の横に不思議なお店がございましたね)
「おいね。おったおった。しゃあ、ちょっと行ってみんならんの」
対訳(そうそう、ございました。一度行ってみましょうか)
開店当初は、そのような感じで、とりあえず様子見のお客様が多かったものですが、ここにきてやっと常連のお客様も増えてきてありがたく思っております。
個人の飲食店は、あたりまえですが黙っていても一定の収入を得られる仕事ではなく、ご来店いただいたお客様より直接、金銭をお受けし、それは良い日もあれば悪い日もあります。そんな中、日々皆様に生かされているんだなあと実感しております。
連休のある日、なにか親しげな視線のお客様のご来店があり、あれ、どこかで会った人だったかなあと考えておりますと、帰り際に、
「店チョーさんブログ、いつも拝見してます」
と、その方はおっしゃっいました。
「ありがとうございます。ご近所ですか? 」
「いいえ、山梨から来ました」
なんと、遠く北杜市という山間の町からお越しいただいたお客様でした。
ときどき、このブログを通じて、こうやって声をかけていただけることは本当にうれしく、そうやって、ひそかに応援してくださる方々がいらっしゃることを私は心強く思っています。ですので、ここに文を書いているあいだは、自身につきまとう「居心地の悪さ」を忘れることができ、ここでは、なるべくうそのない自分であろうとこころがけております。
「これ使ってください」
と、連休最後の夜、よくふらりとビールをひっかけにくるⅠさんが、釣果のニジマスをもってきてくれました。その大きさにびっくり。なんでも、
「こんなの、すぐ近所で釣れますよ」
とのこと。でも、たしかに富山では「ますのすし」が名物なくらいだから、スーパーなどに流通していないだけで、元々、あたりまえに河川にマスがいるのかもしれませんね。ちなみに、以前、ある「ますのすし」のメーカーさんの作業場を見学させていただいたことがあるのですが、原料の箱をチラッっと盗み見ると、そこでは国産のサクラマスではなく、どうもチリ産のトラウトサーモンを使っているようでした。
ひさしぶりに大きな魚体をさばく私。フライにして食べ、アラは汁ものにしたら、脂がたいへんのっておりました。そうそう、脂と言うと、養殖ものだとただギトギトしているだけですが、天然ものはずっしりとしたうまみがあります。そして、私はサケやマスを、ときどき無性に食べたくなるときがあるのですが、それは古来から日本人が食していたので、なにか遺伝子的な欲求ではないだろうかとさえ思っています。
2020.09.30
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連休前は数日暇だったのですが、ある夜、懐かしいAくんがひょっこりやって来てくれました。
この黒部市へ私は、その当時、わりと規模の大きかったあるローカルスーパーの創業者の娘婿としてやってきました。
ですが、いざ仕事をはじめてみるも、古参の人たちからは、
「跡継ぎのくせに銭ならん(役にたたない)やつやな」
と陰口をたたかれ、睨まれていたようです。そして、役職も名ばかりで、実際には左遷みたいな現場に割り振られ、さらにまわりの人員を削られ、やたら忙しく消耗する日々を過ごしておりました。
しかし、原信黒部店が競合として出店すると決まったころ、その対策にてんやわんやになって、無計画な新規出店、無茶な販促、過剰な人員投入で財務状況が逼迫してくると、
「あんた跡継ぎなんやから、まかせっちゃ」
と、いきなり責任を押し付けられ、古参の人たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまいました。
これはそのころ、
「私が担当になりました。なんでも申し付けください」
みたいなチラシに顔写真付きで乗せられたときの私です。すっかり目が死んでおります。
きっと、その負債の大きさに腰をあげたのでしょう、そのとき、取引先の大企業さんから支援をいただいたのですが、Aくんはそのチームの一員で、やってくるなり、てきぱきと業務の一部を改善してくれたものです。
それまでその会社は偏った実績主義や根性論がはびこり、敗戦前の日本軍みたいな、へんな悲愴感さえ漂っておりました。Aくんたちが風穴を開けてくれると、いかに独善的で、体質の古い風土の会社だったのかを思い知らされたものです。そして、その不穏な社内の雰囲気に、すっかりやる気をなくした従業員さんたちから、次々と辞表を渡される状況の中、出向社員のAくんが遅くまで店に残り、新しい什器を使って青果売場の模様替えをしていた姿を私は今でもわすれません。
「いや、おたがい年取りましたね」
とAくん。
「ははは。そりゃそうだ。もう20年も経ってるんだから」
そうやって、そのころを笑って思い出せるようになったのだなあと、私はそのとき思いました。そう、いつまでも根に持つことは結局、ただただ苦しいだけでした。そして、なにも生まないものです。たとえ相手がいなくても、いつかどこかで和解するべきであること、それが成長なのだということを、今になってやっと私は気が付いたのです。
2020.09.28
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ある夕方、カミさんと魚津界隈をぶらぶら。鴨川沿いあたりを散歩してきました。ひさしぶりでしたので、近場でしたがカミさんはご機嫌のようです。
「やっぱり外をあるくのええなあ」
さすがにこのコロナ禍でおとなしくしていたカミさん。もしかして、このまま放浪癖と収集癖が治って、よくわからないアジアの街へひとり繰り出したり、ガラクタを買いあさったりしなくなるかもしれないと期待する私。
「うんうん! そうだよね! 灯台下暗し! 近所にも案外いいとこあるよねっ! 」
そう声高に言うも、
「もう、そろそろ、中国あたりなら行っても大丈夫かなあ」
「・・・」
私の夢は儚くやぶれたようです。
はまやという店を見つけ、懐かしそうな雰囲気でしたのではいってみました。
生レモン酎ハイでごきげんな私。
夕涼み。風呂上がり。下駄をならしながらの散歩。そんな日、ふらりと入るのに似合うお店でした。
そうそう、このあたり、漁師町なのか、路地の風情がいい感じで、お風呂屋もけっこうのこっております。そして、不思議と、とんかつが食べられる店が多い。
20代の終わりのころ、ここの近く、少しさびれ気味のスーパーで精肉部門をまかされていたときがあったのですが、その店は毎朝、手押し車のおばあちゃんたちでにぎわっておりました。バックヤードがお客様の通路になっているような小さな店で、作業場にもどかどかと入ってきて、
「あんちゃん。ロース厚切り、3枚ばかり切っといてくだはれ」
と、元気でやんちゃなご年配が多い町だった印象があります。
テレビを見上げると新内閣発足のニュース。
安倍前首相について、重責の中、長いあいだその役割を勤めた心労や、やりのこしただろうその無念を思うと、私は少ししみじみとしました。政策云々を評価できるほど私は政治に造詣は深くありませんが、我が国のために献身的な人であったと私は思っています。
2020.09.25
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収穫と言えば、ミレーの「落穂拾い」ですね。
あなたが畑で穀物の刈り入れをして、 束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。
そう旧約聖書に記されているそうです。
そうして19世紀のフランスでは、実際に貧しい人たちに許容されていた習わしらしく、信心深く、敬虔な地主はわざと落穂を多く残したと言います。
ああ、いのちをつなぐ糧。なんと尊いものなのでしょう。そのバルビゾン派の絵画に胸を熱くし、厳かな気持ちで、濱田ファームの作業所へとやってきた私。
(ざー。ガチャン)
「店チョー、袋の結び方逆です」
「は、すんません」
「いや、そうじゃなくて・・・」
「こうですか」
「・・・」
「あ、こうかな」
「・・・どいてください、僕がやります」
志だけでは駄目なようですね。アラフィフになって、やっとそんな大事な事に気が付いてきた私です。
そうやって農繁期に、ときどき「濱田ファーム」のお手伝いに来るのですが、ともまる氏の仕事のすすめかたにはなかなか感心します。小規模チームの作業だと、その人のリーダーシップのとり方が見えてそれも面白い。実に経営者に向いているなあといつも思います。それに比べ、私などは、人に任せきれないわ、散らかすわ、愚痴を言うわで、きっと、リーダーとしては不向きだったのだろうなと思います。
おやつに濱田ファーム宣伝相、姫手作りのイチジクの焼き菓子。これもうまかった。
そうそう。この現場では、ご年配の方とご一緒になることも多く。近所ですっぽんやうなぎを釣って料亭に売っただとか、パン屋の三輪トラックのうしろに飛び乗って悪さをしただとか、ボロ小屋の映画館に忍び込んでただ見しただとか、休憩時間に聞く、そんな古い時代のやんちゃ話がけっこうおもしろいです。
昼ごはんにコンビニで弁当を買うと、ある懐かしい顔。でも、話かけるほどでもない距離感。ちらちらと視線を感じますが、向こうからも声をかけてくることもありません。そうだ、噂話の好きな人だったよなあと思い出す私。きっと、汚れた作業着の私を見て、
(あのっさん、コロナでやっぱりたいへんなんやろな。一番安い弁当を買っとっての。ひどくやつれた顔して・・・)
などと声をひそめ、そう囁かれるかもしれない。そう想像すると、ひとりニヤニヤとしてしまいました。そう、その人はいつでも、誰かが落ちぶれた話題になると目がキラキラとしていたものです。
そうして、その日は時間いっぱいまで作業をしました。
夕暮れ。落陽。
「今日はやれることを全部やりきりました」
と、ともまる氏。
「そう、それはよかった」
と、私。
今日一日、やれることをやりきれるということはなんてすばらしいことなのでしょう。
きっとこんな私を、私の神、主は祝福してくださるに違いありません。
2020.09.23
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秋の季節いいですね。
大学で旭川に暮らしていたころ、毎年、夏休みのあいだ、焼け付くような暑さの中、狭苦しい東京の工事現場で、休みなしの肉体労働をやっていたのですが、9月になって北海道に戻ると、ひんやりと乾いた空気に生き返ったような気持になったものです。そして、そのときの大地になびく金色の稲穂がどこまでも広がっていた景色がとても印象的に残っており、稲刈りの時期にはそのときの気持ちをよく思い出します。
大気のいぶしたようなにおいだとか、長袖のシャツをはじめて着るときだとか、淹れたての熱いコーヒーとだか、はやくに暗くなってしまう空だとか、秋がくるたびに、そんなあたりまえのことを、いちいち新鮮に感じますよね。そして、おなかもよくへるようになります。
きっと、夏の熱からさめ、感覚が鋭敏になるのでしょうね。いろいろなひらめきがあるのも秋が多い気がします。でも、そんなイスピレーションをつかまえることはなかなかの難事業です。「芸術の秋」とも言いますが、きっと様々な手法で、そのひらめきの表現を試みたくなる季節なのでしょう。
秋はお洒落の季節でもありますね。そう、今までそんなに目立たなかったのに、いきなり髪をバッサリ切ってきたり、払い下げの軍服を着てパンキッシュなスタイルになったり、この季節にイメチェンをしかけてくる人もいますよね。そして、それがはまっていると、不意をつかれなんだかドキッとしてしまうものです。
でも、ふさわしくない無茶なお洒落はいけません。なにを隠そうこの私ですが、その東京でアルバイトをしていたある夏、へんに色気づいてパーマをかけたことがあります。「ポーの一族」エドガーのごとく、ふわっと軽い巻き髪をイメージしていたのですが、美容室に行ったことがなかったので床屋へ行き、仕上がった鏡を見るとぎゅうぎゅうのパンチパーマだったのでずいぶん青ざめました。家へ帰って、ドライヤーをあててまっすぐにさせるも、中途半端なアフロヘアみたいになってしまい、そのまま新学期の大学へ行くと、
「おい、なんだよ! そのチャカポコな頭は! 」
友人にそう言われ、しばらく私はそのまま「チャカポコ」と呼ばれたものです。
そんなどうでもいい回想をしながら、はやい時間からビールを飲んじゃう店チョーさん。きっと、お客さんの来ない秋の夜長を持て余しているのでしょう。
誰かお店に行ってあげてくださいな。
2020.09.21
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夏の終わりのころ。どうも私は苦手です。食欲も落ちて、なにをするにも億劫な日々が続きます。
続いた猛暑の疲れが出てくるからなのでしょうね。そして、年々夏の気温が高くなることに反比例して、年齢を重ねるごとに自身の体力が落ちていくことも大きな要因でしょう。
身体的な疲労はこころにも影響を及ぼし、例えば、煮えたぎっていた空が冷めていく景色や、しめっていたアスファルトがほこりっぽく乾いていく感じが、ヒリヒリと苦しめ、私を落ち込ませます。
ときには、まるで、夏の怪談話を聞いたあとみたいな、後味悪い淋しさに支配されることもあります。それは、もし、世界に終末が来るとしたら、きっと、こんなふうに終わっていくのではないかと想像させられるくらいです。
でも、そのあとやってくる季節は、なにかが始まりそうで、いつだって私をどきどきとさせてくれます。
きっと、秋はもうすぐですね。
2020.09.18
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都会で暮らしているきみ。
きみはきっと想像しているに違いない。
どこまでも透明な秋空の下。
♪今年は豊作やにか~
えんや~、そうやちゃ~
どっこいしょ~
そんな、民謡を歌いながら、村中総出で稲を刈る景色。都会の喧騒をわすれて鎌をふるうきみ。
ひと汗をかいてひとやすみ。大家族、古民家の縁側で食べる大きなスイカ。
「ほら、この冷えたとこ、食べられ」
ミヨちゃんはきみに言うだろう。
「おやおや、このっさんのスイカだけずいぶんでかいのう」
「もう、おとうさん、なに言うとるが」
「ほれ、顔が赤くなとっるにか」
「知らんちゃ」
ぷいとそっぽを向くミヨちゃんの横顔に、きみはときめきを覚えるに違いない。そして、
(田舎暮らしも悪くないな)
きっときみはそう思うだろう。
しかし、実際の稲刈りは、男2人かせいぜい3人の仕事です。
(ぶい~ん)
「店チョー、軽トラ、そっちに移動させて! 」
「はい」
「おい、向きが違うよ! 」
「は、すんません」
(ざ~)
「はい、乾燥機に入れてきて! 」
「は」
(ぶ~ん)
「行ってきました」
「軽トラこっちに移動させて」
「はい」
「だから、向きが違うって! 」
「は、すんません」
そんな繰り返しです。
そう。現実とはそんなもの。だからはやまってはいけない。ここで暮らすことについて、もう少しよく考えたまえ。
そして、稲刈り手伝いの昼休憩。きみは、濱田ファームの近く、ラーメン店「やまや」へ行くことになるだろう。クリンリネス、サービス、味わい、すべて裏切らない、いや、裏切られたというのか、安定のハード系。
そして、むりやり看板に追加された「大喜」の文字に、
(そうか。ここが有名な『大喜』のブラックラーメンだったんだ)
きっと、きみはそう思うに違いない。
2020.09.16
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いやはや、幼いころの我が娘。おとうさんにはまぶしかった。このまま背中に翼が生えてくるのではないかと思わせるほどでした。
でも、病気がちでもありました。黒部市内の小児科、二本垣先生によくお世話になったものです。
娘は病室のビデオのアンパンマンより、大相撲のほうが気に入ったらしく、
「はっきよい~。のこった~」
と、よく私と相撲ごっこをしました。
私は学年でただひとり、さかあがりもそうですが、いつまでも自転車に乗ることができず、そのコンプレックスで、どこかうしろ暗い少年時代を過ごしてしまったので、娘が自転車に乗れたときは飛び上がるくらいうれしかった。
以前勤めていた食品スーパーでは、冬休みによく手伝いに来てくれました。しのぎを削る商環境で、火の車のような経営をしていたあのころ。どれだけ私の心の支えになったかわかりません。
そんな我が娘ですが、とりあえず、受け入れていただける勤め先が見つかったようで、引っ越し先もきまり、先日、家族三人、当店でささやかな壮行会をしました。
まあ、なんだかんだ言ってきっと、刺激と機会を求めてでしょう、都会へと旅立つことになり、また、なかなか連絡もつかなくなるだろう我が娘にカミさんはすこしやきもきしているようです。
のほほん顔で見送るおとうさん。
いつの日にか、我が娘の背中に翼が生えてくることを、今でも信じている様子です。
2020.09.14
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「昨日テレビで、○○市の○○っていう店で・・・」
と、身近でコロナの話が出てくると緊張感が高まるようで、そのたびに店内は静かになったり、テイクアウトのお客様が多くなったりしております。
「病気そのものよりも、感染してしまったときの風評のほうがこわい」
ご来店いただくお客様からよくそう聞きます。たしかに。このコロナに関しては、
「ここだけの話やけど、感染者のひとりは△△の社員で、その息子は~」
などと事細かな話がささやかれ、なかには怪談めいたいかがわし気な情報さえ聞こえて来るときもあります。そうそう、デマだとアナウンスがあったにもかかわらずトイレットペーパーがまったく買えなくなった時期もありましたよね。
「コロナに負けるな」
みたいな標語を見かけますが、本当に戦うべき敵はいったい何なのか。考えさせられる場面は多いです。
そんな中、マスクをしてご来店いただいたお客様の中に、なぜか目がやけにキラキラとしている女性。この感じ、絶対どこかで見たとわかっていながら、なんども記憶をたどるも、どうしてもわからない私。
帰り際、そのマスクをとって、
「店チョーさんですよね! 」
と言われて、やっと、食品スーパーで働いていたの頃のお客様だと思い出しました。
そう。私は人の顔や名前をすぐわすれてしまうたちで、よく人にがっかりされることがあります。しかも、一日に1500人ないし2500人のお客様が通り過ぎていく環境で、もうそれから6年も経っておりますので、結局、思い出せなかったということもよくあるのですが、そのキラキラとした目の印象は不思議とよく覚えておりました。
「このあいだケーブルテレビの番組で店チョーさんを拝見しました! 」
と、やってきてくれたそうです。そして、シナプスがつながったのか、その方がお子さんを連れて買い物にきているすがたがありありと甦ってきました。
「がんばってくださいね! 応援してます! 」
ずいぶん長い年月をかけて空回りばかりしていたと思っていた以前の仕事でしたが、あとになって、ときどき、このようなことがあります。そんなときは、砂漠の中に宝石を見つけたかのように尊く、そして、救われたような気持になります。
2020.09.11
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カミさんの実家がアパート経営をしていて、最近その出入りが多く、てんやわんやになっていたようなので、ほんの少しだけ掃除を手伝ったのですが、どうもそれから調子が悪い。「ちょっと手伝ってやれ」的な心構えで、暑い中の作業していたので、中途半端に無理をしてしまったようです。
そうそう、気の抜けた状態で仕事をすると、私は具合を悪くしたり、その不注意から怪我などもよくします。なにをするにも腰を引いた気構えはいけませんね。
そのあとの、残暑。当店の厨房にこもる熱もまたすごい。カミさんはそのために一時、熱中症のようになっておりましたので、設備的には、その対策の課題も見えてまいりました。そう、居心地が悪いと仕事も雑になりがちなので、職場環境は大事なポイントです。
しかし、この空。もう、どこか赤道直下の国のようなコントラストですね。
グロッキーなときは、うなぎだの、焼肉だの、へんにスタミナ的なものを食べるより、粗食にするほうが効果的ですね。とくに自家製の梅干しは食欲も出て、背筋ものびるような気がします。そして、お酒を控えたり、睡眠も大事。歳をとって様々な回復が遅くなったこともありますが、体が資本の個人事業主ですので、体調に関してはおっかなびっくり。以前より、かなり気を使うようになりました。
それでも、フェーン現象で熱風が渦巻く中、自転車で買い出しへ出かける私。苦痛の中に快楽を見出そうとする悪癖はあいかわらず抜けきらないようです。そういえば、子供のころ、時代劇などを見ていると、主人公よりも、むしろ斬られる役になりたいと思っていた私。大人になった今でも、アスファルトから立ち上る陽炎の中、熱中症のために気を失い、まるで、サム・ペキンパーの映画のごとく、スローモーションで自転車から崩れ落ちる自分を想像するとゾクゾクとします。
「み、水を・・・」
とあげる手も虚しく、バタンキュー。みたいな。
三島由紀夫「仮面の告白」の殺される王子を愛する気持ち。実は、ちょっとわかるような気がします。
そんな倒錯した空想もつかの間、たどりついた原信黒部店、クーラーのきいたイートインでひとやすみ。
「ああ、生きていてよかった。神様ありがとう」
さまよえる羊はパンをほおばりながら、しみじみそう思うのでした。
2020.09.09
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