店に届いた音楽仲間のトモちゃんからの暑中見舞いの手紙です。
消しゴム版画。片道一車線の舗装路。田園とその先に見える海岸。滑川市のある場所だそうです。そんなありふれた風景、淀みのないストレートな意匠がすばらしいですね。そうそう、私は彼女のかざらない、素朴で真面目な感じの歌声が好きなのですが、それはこの絵にも通じており、きっと、それら、彼女の性格がそのまま反映されているのでしょう。ある意味プリミティブアート。
Cocajiさんのセカンドアルバムのジャケット。Cocajiさんは作曲に関して職人的な才能がありますが、この構図の律動性は音楽的でもあります。そして、「ちょっぴりエッチ」という自分のキャラクターを反映させたデザインも見事。いや、そのキャラクターさえ演じているのかもと思わせる節もあります。それらすべてをふくめ、総合的に体現したアートなのかもしれません。そうそう、まったくもって彼は謎の人物で、実は私はCocajiさんの職業さえ知り得てないのです。
CocajiさんのCDご希望の方、当店でも取り扱っております、お気軽にお声かけくださいませ。
これは我が家のカレンダーの隅にあった娘の落書きです。どこまでも能天気であっぱれな作品。とどのつまり、この世界は(ポッポッポピー)と(ぴえんぴえん)ふたつの要素で成り立っているのさ。そんなことを表現しているのかもしれません。我が娘はきちんとした絵を描かせると、どうもかしこまってしまっていけませんが、何気なく描いた「落書き」はなかなか面白い。無心無我の境地を垣間見させ、さながら、その余白に禅画を思わさせられることさえあります。
これは店のトイレに飾ってある私の版画。アルミ版と木版です。
20年以上前、富山県に移り住みたてのころ、名前も変わり、友達もいなく、職場では跡継ぎだからと重圧をかけられ、今考えると適応障害気味だった私。休日ごと、入善町下山芸術の森のアトリエにこもり、ひたすら銅板画を制作していたころがあったのですが、向いてなかったのか、だんだん気力がなくなって、最後にはこんなどうでもいい作風になりました。昼ごはんで食べた「ますのすし」の蓋を版にして、タイトルはたまたまラジカセでかけていたベンチャーズの曲そのままといういい加減さです。
こころがすっかり疲弊してたころの記念としてとってある一枚です。
2020.08.31
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ある土曜日。ランチタイムの営業を終え、電鉄黒部駅から上り列車へと飛び乗る私。そう、濱田ファーム恒例のバーベキュー大会に向かったのですが、ぞうさんギターとお弁当を持ち、麦わら帽に下駄、カトマンズ土産のTシャツ、はしゃぎすぎてなんだかわからないおちゃらけた姿の私。車内には休日返上で補習に行くのか、制服姿のまじめそうな学生たちでいっぱいです。
(少年たちよ、こんな大人になってはいけない)
そんな言葉をこころの中でつぶやく私。
車両の片隅でうつむきながら電車にゆられました。
バーベキュー大会では、ひさしぶりに会う方も多く、楽しいひとときを過ごしました。今まで、この場では、いろいろな個性的な方と出会うことができたので、ちょっと無理をしてでも参加したかったのです。はしゃぐ子供たちをながめながら、ビールを片手にくつろいでいると、その平和な光景に、戦地から故郷へ帰ってきたかのような懐かしさを覚えました。そう、このコロナ禍は人と人との距離を分断し、ある面では、戦時下の状態に似ているかもしれません。
さて、あっという間に時は過ぎて、そろそろ夕方の営業が始まる時間です。中座した私たちはあわてて電鉄石田駅へ。駅の構内ではこのような古いポスターを発見。
「あたしが小学校のころに行ったやつかもしれん」
とカミさんが言っておりました。
でも、この世情ではサーカス自体も、もう、懐かしくなりつつあるよなあなどと思う私。
お盆明け、しばらくヒマだったので油断しておりましたが、その夜は数組お断りしなければいけないほど、店内にたくさんのお客様がいらっしゃいました。でも、コロナに対して慎重な方も多いように見受けられ、少し、店内のレイアウトも工夫しなければいけないなと反省させられたところです。
店が終わってからは、ストロベリーフィールズへ立ち寄って、しばらく店内にいた常連のみなさんと、ビールを飲んだり、ビデオを見たり、背中をまるめ、ギターを弾いたり過ごしました。
ここも、私が店を立ち上げるきっかけになったライブハウスですので大切な場です。そして、いつも私をドキドキとさせてくれた音楽の場や機会が、やってくるだろう新しい世界において、なくなったり、損なってしまわないよう願っております。
2020.08.28
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新宿駅の東口を降りる私。私はまだ学生らしく、予備校らしき場所にやってきました。長い階段を上りきった踊り場の狭いスペースが教室で、イーゼルや画板、段ボールが散らかった物置のような場所です。パイプ机の上に電熱器のコンロ。やかんのお湯が沸いていて、開け放った窓から絡む蔦が見え、その空気は冷たく藁を焼いたような匂い。もう秋なんだなあと私は思っています。
クラスメイトがふたり席に座っているのですが、男女の老人にしか見えません。私がその後ろの席に座ると、おじいちゃんのほうが振り向き、トランジスタラジオの作り方について私に熱く語りはじめます。おばあちゃんのほうは無口なのですが、若いころ、学生運動の活動家だったというような話をそれとなくしておりました。
そのあと、デッサンの先生が青いドレスを着てやってくるのですが、その場所にふさわしくない恰好に私は見えます。
「すごく似合うけれど、エレガントすぎませんか? 」
と、私が言うと、
「えっ、この服、忘れちゃったの? 」
と先生は言います。きっとなにか意味があってその服を着てきたのだと察する私。でも、その理由はわかりません。
そして、お昼ごはんに、みんなでおむすびをにぎることになったのですが、
「手が冷たくて大きな人がにぎるおむすびがおいしい」
と誰かが言うので、私がにぎることになりました。アルミのトレーに用意してあったご飯。それをにぎると、ぱさぱさとしていてどうもうまくいかない。
「これをかけるといい」
と誰かがしょうゆを入れるのですが、びちゃびちゃになってさらにもどかしく、イライラとする私。
「でも、こうやって、ここに居られるのも今のうちだよなあ」
誰かが笑いながらそう言います。
私は、そうか、そうだよなあと、思い当たるところがあるらしく、なんだか急に寂しい気分になってきました。
そして、目を覚ますと、その先生も、老人たちも、現実には居ない人なのですが、それでもその理由のない寂しさだけが残って、しばらく、胸のつまるような気分になりました。
夢って不思議ですね。
2020.08.26
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お盆明けの店休日、家族三人でひさしぶりに富山市内へと出かけてきました。
いやはや、場所が変わるたびに、
「おとん、ここで撮ってくれ」
と我が娘にせがまれるので、私は、彼女の専属カメラマンにでもなったような気分です。
「こんな感じでどうですか」
「ちっ! センス悪っ! 」
「は、すんません」
「おい~、今度は逆光やん。下手やな。こっち向きやろ」
と、なかなか口うるさいモデルでもあります。
西部デパートがあった跡地に最近できた「SOGAWA BASE」に行ってきました。なかなかスタイリッシュな場所で、カミさんや娘は満足していた様子です。オシャレ音痴なお父さんは「酒場ヤマ富」という店で一杯。BGMは初期のストーンズでした。マザーズ・リトル・ヘルパーを聞きながら桝酒を飲んでいると、ちょっとトリップした気分。
お盆明け、月曜だったこともありますが、きっとコロナの影響もあるのでしょう、総曲輪はわりと早い時間からほとんどのシャッターはしまっており、とても静か。犬を連れたご夫婦に出会い、犬をなでさせてもらいながらいろいろとお話を聞いたりと、のんびりとした雰囲気でその界隈を過ごしました。
たまたま入った「ジャッキー屋台村」という中華料理屋さんで香港マフィアを気取る我が娘。モデルの方向性がいまいちわからないままシャッターを切るカメラマン。
そして、
「うわ~い! 」
といきなり駆け出し、やたら騒ぐモデル。
先ほどのご夫婦が連れていた犬とあまり変わらないよなあとカメラマンは思うのでした。
2020.08.24
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この書体で書かれるとなんでもホラーに見えてしまいますよね。殺人コック長のしゃがれたささやき声が聞こえてきそうです。
「ひひひ、おまえをボンカレー中辛にしてやろうか・・・」
「ひい~! そ、そんな庶民的なカレーだけは~! 」
みたいな。
小学校の頃、遠足で行った恐竜公園という場所で撮った集合写真で、不自然に大きな手が私の肩に乗っていたことがあります。そのときは心霊写真ブームでもあり、クラスでも大騒ぎになりました。
「Aくん、だいじょうぶ? かなしばりとかないの? 」
と憧れの転校生、ナカムラさんまでも私に話かけてくれます。
「最近ちょっと、肩が重いけど。でも、へいきさ・・・」
わざと窓の外、遠くを見つめ、そうさみしそうに言う私。もう、ちょっとしたヒーロー気分です。
でも、私のホラー自慢はそのくらいで、残念ながらそのあとはとくにありません。
そうそう、金縛りと言えば、むかしはカミさんがよくあったものです。
「ひいいいいい~! 」
深夜、恐怖映画さながらの悲鳴に飛び起きる私。
「わっ、ど、どうした? 」
「赤ちゃんが天井からたくさんふってきて・・・」
「・・・え? 」
「それと、真っ黒な男が・・・」
「・・・」
「あと、胴体だけの・・・、むにゃむにゃ、ぐ~」
それら、ショッキングな発言をしつつ、無責任にもそのままカミさんは眠ってしまいます。
私はすっかり目を覚ましてしまい。
(がさっ)
「だっ、誰だ! 」
(ニャー)
「な、なんだ猫かよ」
(ボーン)
「うわああ~! な、なんで止まってた時計が~! 」
などとひとり騒ぎながら夜明けまで起きていたものでした。
そういえば、そのころ、深夜、カミさんとドライブをしていて、車のすぐ横に謎の光がしばらくついてきたことがあります。あれはいったいなんだったのだろうか?
でも、カミさんも、感受性が衰えてきたのか、だんだん年齢とともにそれらの現象はなくなってきました。それでも、それっぽい古い場所やモノなどを撮ろうとすると、携帯が不具合をおこしたり、へんな画像がうつっていたりということはつい最近までありました。
カミさんの母堂も、部屋の隅にいるはずのない紋付き袴の人を見たり、若栗城跡でさむらいを見たりと派手にホラー系なのですが、いつか、これこれこういう状況で事故になる夢を見たと語ったその翌日、本当にそのような自動車事故をおこしたときはたいへんびっくりしたものです。
でも、
(おい~、そんな能力があるなら、なんで事故が避けられなかったの~? )
と、そんなこともちょっと思ったのですが。
幽霊を信じる信じないという話ですが、私は「想い」や「念」というものが生きていてもそうですが、死んでもなお残るということはあるかもしれないなあと思うところはあります。そして、それらに対する感性が強い人も然りです。でも、ときどきインチキな人もいたり、さらにへんな商売のダシとしてそれらを語る人もいるので注意は必要ですが。
それと、親父の法事のときのご住職が、
「故人の思い出話をしてあげることが供養になる」
とおっしゃっていたことがこころに残っており、なるほど、そうやって会えなくなってしまった人を身近に感じることは大切だよなあと思ったものです。そう、誰だって「忘れられる」ということは淋しいことにちがいありませんからね。
2020.08.21
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梅雨があけてからはものすごい暑さになりましたね。15年ほど前に、ベトナムのホーチミン市に行ったとき、その殺人的な暑さにおどろきましたが、今となっては日本でもそんなに変わらないような気がします。夏の空の感じなどは、以前行ったバリ島の空によく似ているなあと思うこともあります。ここ数年の気候変動は恐ろしいほど加速しているような気がしてなりません。
さて、今年のお盆は運転代行さんの話では、
「いやあ、きびしい。例年の三分の一ほどですなあ」
という程度のお客さんの動きだったそうです。それでもおかげさまで、私自身はなかなか忙しく過ごすことができました。
ご利用いただいた皆様にはこころより感謝申し上げます。
店内もそこそこのお客様でしたが、オードブルのご注文を連日たくさんいただきました。オードブルは食品スーパーで勤めていたときに、お盆や年末には大量に作っておりましたので、そのときの経験が活かせたことはうれしかったです。そして食品スーパーではほとんど、海外製の冷凍品を揚げるだけ、工場で調理されたものを詰めるだけでしたので、それらを物足りなく思っており、時間や手間はかかりますが、こうやって、地域に根差した材料を使ってオードブルを手作りできることはやりがいも感じました。
また、このご時世ですが、いろいろな知り合いの方も訪ねてきてくれ、なつかしい顔を拝見できることはうれしく、せっかくなので、一緒に一杯という毎日でもありました。
「あ~、センパイ、またお盆明け現実に戻るのなんか憂鬱だなあ」
と言いながら、夜更けまでいたYさん。私は出来の悪い先輩ですが、彼女にそういうふうに慕っていただけることはありがたく、
「まあ、そう言わずがんばりたまえ」
などと、尤もらしいことを言いつつも、その言葉そのまま自分にも言い聞かせている次第でありました。
店を抜け出し、雨天でしたがお墓まいりも行ってまいりました。その夜はお客様が帰ったあとの店内で、カミさんのご両親も交え家族での団らんも少しだけでき、古い写真をみんなで眺めたりしました。
これは幼いころのカミさんの写真です。ヨーロッパのどこか蚤の市でしょうか、しげしげとおもちゃを眺めております。もう、このころからこうやって収集癖がはじまっていたのかもしれませんね。
カミさんは尊父の仕事の関係でサウジアラビアのカフジという町で育ったのですが、そのときにオペル・レコードという車で家族三人ヨーロッパへ行ったこと、交通事故で大破してその車を失ったこと、途中幼かったカミさんが病気になってローマの修道院に数日預けられたこと、それらのハチャメチャな旅行の思い出はよく話題にのぼります。
でも、そうやって、たいへんだったことをあとでみんなで語ることは楽しいものですよね。そのような思い出を共有するということは家族にとって、または仲間にとって、かけがえのない財産だと思います。いや、たとえひとりであっても、それが自分である証明かのように思える思い出も私にはあります。そして、すっかり弱気になって、挑戦もせず、馬鹿もせず、安寧の中、人の噂話ばかり聞いて過ごしていた頃の自分はいったい何をしていたのか、今となってはそのほとんどを思い出すことができません。
そう。ですので、へんに大人ぶらず、いつまでも、たくさん失敗して、悩むということはいいことなのだろうなと私は思っています。
2020.08.19
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夏には実家がある東京へ一度行きたいなと思っていたのですが、やはりこのコロナの影響で今年は断念しました。
我が実家は大井競馬場が近くにあり、私の子供のころ、開催日にはうらぶれた人が行列をつくり、道端は馬券や煙草で散らかり、そんな中にまぎれこむと、競馬新聞でたたかれたり、下半身を露出した酔っ払いにからかわれたりするような物騒な地域でした。そして、そんな人たちでにぎわう酒屋なのか飲み屋なのかわからないような立ち飲み屋も多かった。私も、ヌードポスターがベタベタ貼ってあるような猥雑な店へ親父に連れていってもらって、道端に広げたパイプ机、ひっくり返したビール瓶の箱に座って、焼き鳥をかじりながら、瓶入りのキリンレモンをよく飲んだものです。
ですので、「せんべろ」的な店には郷愁があり、実家に帰っては、そのような店の名残をこっそりさがすのは私の楽しみです。
黒部市内、私の家から歩いて行ける範囲には残念ながらそのような店はありません。なにがなんでも安く飲むとするならチェーンの飲食店くらいですね。コストだけで言うと、8号線のガストが最もパフォーマンスが高い。早い時間であれば200円で生ビールが飲めますので。日替わりランチをおつまみに、一杯100円のワインでがんばれば「せんべろ」(千円でベロベロに酔う)は達成できます。
同じ8号線沿い、はま寿司も「せんべろ」とは言いませんが、「にせんべろ」といった感じでいけます。先日、焼き鳥をたのむと、このようなあからさまにレンジでチンのぐにゃぐにゃなやつが乱暴な盛り付けで流れてきました。そう、こんな「愛」のない感じが私をくすぐるのです。そうやって、置いてけぼりにされた自分、ちっぽけな私を確認するということも安酒を飲みにいく楽しみのひとつです。
そうそう、最近はコロナ対策で両サイド、アクリル板のようなもので仕切られているので、さらに孤独感もアップ。そして、話相手は、
「いらっしゃいませ! はま寿司へようこそ! 」
と迎えてくれるタッチパネルだけです。このタッチパネル「アフターコロナ」の時代、きっとどんどん進化して、いずれはAIが話をするようになるだろうと私はにらんでいます。
パネル「いらっしゃいませ。お客様、最近、元気がないようですが」
客 「え、わかるかい? 」
パネル「心拍数、体温、表情の傾向を分析すると23.4%通常より元気がありません」
客 「やっぱりね、実は悩んでいるんだ」
パネル「『悩み』・・・精神的トラブルを抱えている状態だということですね」
客 「うん、そうなんだ、聞いてくれるかい? 」
パネル「はい」
客 「ずっと想っていた彼女が、結婚することになってね。・・・実は今日がその日でさ、もう、あと一時間ほどで式が始まるんだ」
SE (カラン)グラスの氷の音。
パネル「お客様、ひとこと言っていいですか」
客 「えっ、なんだい?」
パネル「愛というものはとっておくことができないものです」
客 「えっ? 」
パネル「・・・そして、言い訳などをしている暇もありません。老いぼれて『あのとき、ああ言っておけばよかった』と、後悔をすることになってもいいのですか? 」
客 「いや、そ、それは・・・」
パネル「彼女がこのまま嫁に行ってしまうのを見過ごすつもりですか? 」
客 「・・・」
パネル「さあ、こんなところで油売っていないで、今すぐ、彼女のところへ行きなさい」
客 「わ、わかった。じゃ、お勘定」
パネル「今日は私のおごりです。さあいそいで」
客 「パ、パネルくん・・・、すまん」
パネル「あっ、ちょっと待ってください」
客 「えっ、なんだい」
パネル「グッドラック」
みたいな。
いつか、そんな接客もできるようになるかもしれませんね。
そんな馬鹿なことを考え、すっかり酔っても、その日はまだ夕暮れ時の時間でありました。
2020.08.17
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明日の終戦の日で75年を迎えるそうですね。
真夏日。校庭の地面から立ち上る陽炎。雑木林からクマゼミの声。呼び出されて集められた教室の暗がり。私はその片隅のラジオから流れる「玉音」を聞いた記憶があるのですが、当然、私はまだ生まれておりませんので、きっと誰かから聞いたイメージが、私の記憶として刷り込まれてしまっているのだと思います。
そう、私が小学生のころは、まだ、戦争を知っている世代の先生が多かったので、よく戦時下の話を聞いたものです。
そうそう、高校のある冬休み、住み込みで警備のバイトをやっていたことがあるのですが、そのときのご年配の研修官がノモンハンでのソ連軍との紛争を経験した方でした。
例えば、
「やってきた戦車のキャタピラに丸太を突っ込んで戦車を動けなくして、ハッチから出てきた敵兵をみんなでよってたかって、スコップで殴って殺したもんだ」
というような話などを拝聴し、こんな、おだやかそうなおじいさんが、そのような生々しい殺し合いに参加していたということが、戦争の恐ろしさをリアルに感じさせたものです。
以前、富山縣護國神社で、御神職にお願いして大戦中の遺品や書簡、日記などを展示する遺芳館を見学させていただいたことがあります。そして、富山県出身、22歳で沖縄洋上で特攻戦死した振武隊少尉のこの手記を見つけ、その文章にたいへんこころをうたれたものです。
6/5
あんまり緑が美しい
今日これから
死に行くことすら
忘れてしまひさうだ
真青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲
六月のチランは
もうセミの声がして
夏を思はせる
「作戰命令を待つてゐる間に」
〝小鳥の声がたのしさう
俺もこんどは
小鳥になるよ〟
日のあたる草の上に
ねころんで
杉本がこんなことを
云つてゐる
笑はせるな
本日一四、五五分
いよ〱知ランを離陸する
なつかしの
祖国よ
さらば
使ひなれた
万年筆を
〝かたみ〟に送ります。
潔い若者たちが真っ先に死んでいった時代だったのですね。淡々としたその風景描写がかえって切なく、胸がつぶれるような思いにさせられます。
最近、ポピュリズムが戦争に拍車をかけ、先の大戦の泥沼化させたというような記事をみつけました。そういえば、会議やミーティングで、声だけ大きい人がその方向を決定してしまうということはよくあったよなあと、そんな私事を思い出しました。それらは、たいてい「誰々からそう言われた」とか「みんなそう思っている」とか「それが常識」とか「そういう空気」とか、自に主体を置かない言いかたをしていました。そして、そのように決められた取り組みが収集つかなくなっても、だれも責任をとらなかったものです。
最近話題になっておりますコロナに関する誹謗中傷、その中に「非国民」という言葉を見つけ、私はギョッとしましたが、そのような言葉を安易に使ってしまうほど、もう先の戦争から歳月が経ったということなのかもしれませんね。
2020.08.14
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私の10代のころはちょうどバブルの頃でした。我が国の食文化も「飽食の時代」とよばれ、世の中は輸入食材があふれはじめ、インスタントやファーストフードがもてはやされたころ。伝統的な日本食は蹂躙されていたものです。
「おい、朝ごはん、なに食べた」
クラスの友達が聞きます。
「えっ、なっと・・・、いや、もちろんトーストとベーコンエッグさ」
そう、危うい罠です。もし「納豆」とでも答えたら、
「うわっ、だっせ。お~い、みんな、こいつ納豆食べてやんの」
と、クラス中に言いふらされ、その日から「ナットウ菌」とかいうあだ名になり「近づくな、バリア! 」と、仲間はずれにされたことでしょう。
そんな私もいつのまにか、
「納豆食うやつはネクラだよね~」
と言うような、群衆の中のひとりになり、デニーズやシェーキーズ、マックに通いつめ、フライドポテトやドリアなどを食べる日々が続きます。そんな青春に虚しさを覚えつつも、在りし日の納豆の思い出は、成長とともに記憶の奥底へと埋もれていったものです。
ある日、友人たちと、街角の喫茶店へ入ると「納豆スパゲティ」というメニューがありました。
「うわ、なにこれ、気持ちワリ―、じゃんけんで負けたやつがこれ頼むことにしようぜ」
ということになり、みんながパーを出す中、私だけがグーでした。
そして出てきた白い皿の上、パスタの上にはあのなつかしい納豆が。
(そんな。無理しちゃだめだ! )
こころの中でそう叫ぶ私。
(きみのいるべき場所はほかほかご飯の上なんだ! )
誰もが「うわ~、くっさ~! 」と鼻をおさえてはしゃいでおります。
(帰ろう、あの頃へ)
黙ったままそれを平らげ、すっくと立ち上がる私。
「お、おい、どうしたんだよ」と友人たちが騒ぐ中、私はその店を出て行きます。
「ま、まさかあいつ納豆を・・・」
「裏切りもの! 」
そんなささやき声も、後にしたドアの向こうから聞こえます。世間がなんて言おうと構わない。はりつけになったっていい。私は納豆とともに生きていくんだ。そう、そのとき、納豆への愛の永遠を、私は誓ったのでした。
2020.08.12
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"Live Music Cafe Strawberry Fields Kurobe"に飾ってあるビートルズ日本武道館公演のポスターです。66年当時のビートルズ、とくにジョンの曲はボブ・ディランの影響からか、内省的な詩が多くなりはじめたころで、瑞々しい感じがいいですね。私が生まれる前ですが、ビートルズ来日のときのエピソードなどを聞くと天気が悪かった印象がありますが、まさしく梅雨真っ只中だったのですね。興味があって、いろいろな記事を見てきたので、まるで、自分の思い出のようになっております。
今年は梅雨が長かったので、いきなり夏が攻めてきたというような雰囲気。気がつけばもうお盆。なんでも今年は帰省を見送る方がほとんどだと聞きます。オリンピックが延期になって、さらに続く自粛下の2020年の夏。ビートルズ来日と同様、後世に語り継がれることになるかもしれませんね。
さて、夏になってゴーヤも出回るようになりましたね。ときどきメニューでも出すゴーヤチャンプルー。でも、本場のそれを実は私は食べたことがありません。いつか、ゴーヤという食材の勉強に、料理本をめくりながら作ったらすごくおいしかったので、それ以来好きになった料理です。主張の強いゴーヤ。それをある面で引き立て、ある面で包み込むように、整える豆腐とたまごと鰹節。絶妙なバランス。まるでボブ・ディランとザ・バンドの関係のようです。
そして、長雨でできなかった土用干しは。8月にはいってからやっと決行しました。
「うぇい! 」
うれしさのあまり、ギターをかき鳴らし、ディランの曲を歌う私。
♪昔、あんたは、おしゃれして、調子に乗って、イタリアンとか食べてたよね~
貧乏くさいって、和食を食べる人たちをバカにしてたよね~
今じゃ、あんたは無口になったね~
今夜の飯すら乞わなきゃならない身の上だもんね~
How does it feel?(どんな気分だい? )
Like a rolling umeboshi?(転がる梅干しのようってさ? )
(意訳 店チョー)
2020.08.10
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