最後の日、夕方からのフライトだったんで、午前中はゆっくり、前日に行きそびれた香港公園を散歩した。ネットに囲まれたバード園。鳥っていまいちなに考えているかわからないけれど、鳴き声はおもしろいよね。とくに南国の野鳥の華やかな声は好きなんだよね。
温室はこんなような雑なオブジェがならんでいて、あまりアカデミックじゃない感じがそれはそれでいい感じ。このギターの弾き方はなんだかオレに似てる。
公園には太極拳をやっている人がいて、剣をもっている人もいた。
滝やら噴水やら水の豊富な公園だったけれど、寒い日だったんでちょっとつらかった。きっと、夏にここにくるといいだろうね。
荷物をとりにチョンキンマンションに戻って、せっかくだからビルの一階にたくさんある中東系の食堂に入って昼飯を食べたら、これがまた滅茶苦茶うまかった。オレはビールをたのんだけれど、おじさんにちょっと苦い顔されて、ペプシにしてくれと言われた。考えてみればそうだよね、敬虔なイスラム教、ハラルの店で、オレは失礼なものを所望してしまったようだ。
それでさ、あとでわかったんだけれど、このチョンキンマンション(重慶大厦)て、ウォン・カーウァイの「恋する惑星」の舞台として使われたビルなんだよね。しまったよ。もっと噛みしめておけばよかった。思えば前半のエピソードは、たしかにこんな場所だった。とくにあの映画、警察官と店員のエピソードは胸キュンだよね。そうそう、あのエスカレーターみたいな場所もすぐ近くを通ったんだけれど、すっかり失念していてね。残念ながら乗らなかったんだ。
2018.02.28
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ひと眠りして元気になったオレたちは、そのあと、ビクトリアピークという香港島で一番高い場所まではケーブルカーで行った。ここは昔の東京タワーみたいに、どうでもいい土産物がたくさんあって面白かった。ついつい「I ♡ HONG KONG」みたいな、趣味の悪いTシャツも衝動買いしてしまったよ。さらに、昔、東京タワーに蝋人形館があったごとく「マダムタッソー蝋人形館」っていうのまであった。入場料が四千円くらいだったかな、やけに高かったんで入らなかったけれど、入口に展示してあった、あんまり似てないブルース・リーの蝋人形だけ見ることができた。もう、それだけでおなかいっぱい。
またしても天気が悪く、濃霧につつまれていて景色が眺望できなかったんで、バーガーキングで一杯。
そのうち、晴れ間があったんで、あわてて展望台に出てみた。あらためて見ると、本当にニョキニョキと垂直方向に細長い街だった。なんだか、まるで霜柱みたいに見えた。
山から下りて、またポッティンガーストリート付近に出て、夕飯はピザを食べた。カミさんは最後の夜だからと、しみじみ乾杯みたいなことをするのかと思いきや、ビールを一杯飲んでから、すぐさま、また雑貨なんかがならぶ屋台みたいな場所に消えていったよ。
仕方ないんで、オレは九龍に戻って、食堂を見つけ、食べ納めかと思い、チャーシューごはんみたいなものを注文した。けれど、さすがにきつかった。とにかく肉類はこれでもかというくらい食べた。店主のおじさんの裸足の足や手の荒れた感じが、この店や生活を守る苦労を物語ってたな。生きていくってのはどっちにしろたいへんなもんだ。オレもどんな場だろうと、がんばっていこうなんて思った。結局のところ、幸福も不幸も、過去の自分を対比して味わうものだから、苦悩した分はしっかりしあわせになれるような気もしてきたんだよ。これをきっと人々は「勇気」と呼ぶのだろうね。
そして、有線放送なのか、店にはオレを奮い立たせるかのごとく、カンフー映画のテーマ曲が流れていたよ。
2018.02.26
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ワンチャイロードには、肉屋がやたらとあって、
(はいはい、ちょっくらごめんよ! )
と一輪車で豚が半頭単位ではこばれていた。刺激が強すぎて、さらにオレの具合を悪くさせる風景だった。
そして、降り続ける冷たい雨にうたれて、オレの体もすっかり冷えきってしまったよ。
さすがに昼ごはんはおとなしく肉類をはずした。おかゆみたいなものが体にしみるようだった。
そのあと、トラムでワンチャイから東へと向かった。ガイドブックには住人に気を使ってか、だいたいの場所しか書いてなかったんで、トラムからの景色や道のカーブをたよりに「益昌大廈」という集合住宅に行ってみた。ほら、映画や写真なんかでよく見る景色。でも、香港島全体がこんな感じだから、取り立てていくこともないかもしれない。規模はもっと小さいけれど、オレの実家付近、勝島運河あたりにもこんな雰囲気のマンションが昔はけっこうあって、いつも合成洗剤みたいな匂いのしていた、狭い友達の部屋なんかを思い出した。
近くの商業施設なんかもけっこう雰囲気あったんだけれど、雨で床が濡れていて、思いっきり青年が転んだのを目撃したので、その心配からか、なんだか不安な気分にもなってきた。
とくにすることもなく、トラムに乗り込んで、また西へと戻るオレたち。
交差点を行きかう人々。いろんな人がいろんな場所で暮らしている。またしても、オレはここをただ通り過ぎていくんだなあなんて思うと、なんだかしみじみしてきた。自分が今まで、いるべき場所をごまかし続けていただけのような気もしてくる。いや、誰もがオレをつぶそうとたくらんでいる気さえする。きっと疲れていたんだろうな。結局、体の疲労物質ってものは心にまで影響させて、なんだか人の気持ちをへんに憂鬱にさせるものなんだよね。そして、トラムの二階でうとうとしてたらいつの間にか眠ってしまった。
追記
シズカさん。
このたびの思いがけないことで、たいへんご心労されたことでしょうね。自身に置き換えてみても察するに余りあるものがあります。おっしゃるとおり、気持ちはどこかで区切りをつけなければならないものなのかもしれませんね。きっと、また、おだやかな生活に戻れるよう念じております。
故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2018.02.23
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五日目。毎回楽ちんなMTRで行くのも芸がないから、九龍から香港島までスターフェリーで行ってみた。乗り場がなんとなくイギリス風情というのか、古風でいい感じだった。いくらだったか忘れたけれど、運賃もすごく安かったんだよね。
おそらく通勤だろう、早朝からこうやってうつむき加減に乗船する人たちは、例えば、山手線に乗ってる人たちによく似てた。そう、世の中には、こうやって船に揺られることが日常の人もいる。よそ者には、退屈で、あたりまえに過ごす人たちが、なんだか面白いものだ。そう考えると、自分自身の何気ない毎日も、案外、客観的には捨てたもんじゃないのかもしれない、いや、むしろ幸福なのかもとも思えてくるよ。
灣仔(ワンチャイ)の船着き場に到着して、とりあえずパシフィック・コーヒーという香港版スタバにてひと休み。香港はスペースがないんで、休憩する場所を探すのには本当に苦労する。トイレとベンチさえあれば、香港はエキサイティングでいい場所なのになあなんて思った。
灣仔の辻の風景。これはパースがおかしいんじゃなくて、本当に路面電車も、ビルも細長いんだよね。なにしろギュッと狭い場所にたくさんの人が縦長に暮らしているんだ。
さっそく市場の中にカミさんは紛れ込んでしまったので、オレは、小さな店でまたコーヒーを一服。でも、はじめからコーヒーフレッシュみたいなやつをたっぷりいれられてるんでね、若干気持ち悪くなってしまった。なにか、隣のおじさんたちが親しそうに話しかけてきたんだけど、それも結局よくわからなかった。きっと下駄を履いてたんで、それについて聞いてたんだろうけど、なんかオレはグロッキーになってたんだ。きっと冷たい雨に濡れて、急に疲れが出てきたんだと思う。もうバックパッカーみたいなことをするほど若くないようだ。せめて、宿くらいはもう少し安らぐ場所を選ぶべきだったみたいだね。
2018.02.21
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男人街のはずれあたりにティンハウ廟という道教の寺院があった。ここにやってくるみなさんの熱心で、敬虔な姿には心をうたれたな。「祈る」ということは「願う」ことだからね。そう、人間ってさ、月並みだけれど、常に希望を持ち続けることが大事なんじゃないかななんて思った。それらが生きていく力の源だから、それが積み重なるこの場所に、オレはなにかしら「気」のようなものを感じたんだと思う。
上海街からネイザンロードを横切って、女人街に入ると凄まじい人の多さだったんでオレはすぐさま退散したよ。昔の原宿っぽい込み具合。
ストリートパフォーマンスも盛んだったんだけれど、ご年配のカラオケ。下手くそなおじさんバンド。学園祭のようなダンスチーム。そして、青臭い路上アート。正直なところ、鑑賞するにはレベルは低いんだけれど、ギャラリーもふくめて、みんなが心からそれらを楽しんでいる感じは日本ではなかなか見かけない風景だった。そう、ライブってのはその場の一体感が一番の前提なんだなあなんてことも思った。環境だとか、技術なんかはその次なんだ。
カミさんとの待ち合わせの時間まで、オレは喧噪から離れて、居心地のよさそうなパブを見つけてひと休み。でも、実際は、なんだか落ち着かなかったな。結局。こんなような店は日本のどこにでもあるからね。なにかずる休みしているみたいな気持ちになってしまったよ。
そしてカミさんと合流して、またしても大衆食堂にて夕飯。メニューがよくわからないんで、愛想のいい店の大将に任せたら食いきれないほどの料理が出てきた。残すのももったいないから最後はつつんでもらったよ。でも、持ち帰って、宿の共有の冷蔵庫に入れておいたら、なぜか翌日にはなくなってたんだけれどね。
2018.02.19
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そのまま、昼時になったんで、初日に行った廟街のナイトマーケット (男人街)あたりまで歩くと、ネパール料理屋があったんで入った。そして、ここが大当たりで、実にうまかった。このおしるこみたいな色の、豆を煮たやつは素朴な味で、もう、体にしみるような気がしたよ。そう、考えてみれば、ここに来てからどぎつい肉類ばっかり食べていたからね。この店はそういうコミュニティなのか、ネパール系らしき人たちが世間話なんかをして、くつろいでいるようだった。
そして、カミさんはこのあと上海街で雑貨なんかを見まくるつもりらしいんで、オレは別行動にすることにした。でも、とくに行くところもないんで、見えていた一番高いビル、スカイ100を目指すことにした。しかし、これまた、工事中だったり、不案内だったりで、ビルは近くに見えているのになかなかたどり着けない。迷路のような道や地下道に迷い、まるで諸星大二郎のマンガみたいだった。
下から見上げていたときに若干気は付いていたんだけどね、登ってみると、やっぱりこんな景色だったよ。そのかわり、天気が悪いのと、展望フロアーが一部工事中だったんで割引料金だった。それでも、たしか1500円くらい払ったかな。なんかくたびれてきて、ふと、ここにスーパー銭湯でもあればいいのになあなんて思ってしまった。
一瞬、視界が開けて九龍の街が見降ろせた。
でもさ、こんなような切ない気持ちって、お金なんかじゃ買えないもんだよなあなんてことも思った。そうなんだよね。案外、旅の思い出って、こういうどうでもいい感じが、記憶に残ったりするもんなんだ。まるでロードムービーのワンシーンのようにね。
例えばさ、ドラマチックな場面だとか、素晴らしい風景の中だとか、そんな場所に自分を置きたいという欲求は健全で前向きだけれど、現実の中で心が動くのはふとした瞬間で、それにはタイムラグがあるんだと思うんだよね。つまり、インチキとまでは言わないけれど、イマジネーションがあふれすぎて、かえって世の中、素晴らしいタイミングとか、感覚ってものが作られすぎているような感じがするんだよね。実際は予定どおりには感動しないものだし、説明ができないものだ。少なくともオレはそうだな。
ビルから降りて、暇なんで、やっぱりオレも上海街のほうを歩くことにした。ギャンブル系の施設の壁面に風刺画チックなペイントを見つけた。こう見てみると、我が国の首相もこうやって描かれるくらいだから存在感はあるんだなあなんて思った。
2018.02.16
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四日目。香港にはファーストフード店がけっこうあるんだけど、宿の近く、「Jollibee」という店でモーニングセット。電子レンジでチンしたのか、脂ぎっとりのコンビーフとぐんにゃりしたクロワッサン、そしてたまご。香港のコーヒーは勝手にミルクや砂糖が入ってしまってる場合が多い。
そのまま、歩いて香港歴史博物館へ行った。
ここは面白かった。演出がすごく上手で、うるさすぎずなかなか洗練されていたよ。さすがエンタテイメントの町だなあって思った。
日本占領時期の香港も、展示してあった。なにかトンネルの中みたいな演出。そう、それは「三年八箇月」が香港の人々にとって暗い時代だったことを象徴していたんだと思う。ことさら政治的に含んだり、自虐的になる必要はないけれど、我々は先の大戦で各国々にどうふるまったかなどは、良い面も、悪い面も、もっと知っておくべきだろうとオレは考えた。
そして、60年代から70年代。経済成長が著しかった頃の雰囲気はそのころの日本にもよく似ていた。これは文化大革命まっただ中の中国と距離があったことを物語っていると思うな。だから、なんとなくその頃を懐かしむような雰囲気が、今の香港には漂っているのかもしれない。
ついでにとなりの香港科学館に行ってみたけれど、ここは子供連れがくるような雰囲気の場所だった。それでも、解剖模型など、プレゼンテーションなんかがどぎつくて、なかなか興味深くもあった。こんなふうなキッチュで近未来的な展示なんかは、まるで昔の中国雑貨のようで、けっこうオレをくすぐった。
2018.02.14
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とにかく香港島の道路は狭く、坂道が多かった。でも、たいへんだけれど、景色がどんどん変わっていくんで、散歩するのはたのしかった。懐っこい野良猫なんかにも出会って、ウチのクロを思い出したりした。
高台にある、ソーホーっていう町角にはスタイリッシュな店、レストランやパブがたくさんあった。そして、アッパーっぽい白人の人たちがたむろして、お洒落を楽しんでいるように見えた。
でも、オレらは坂をくだりきった町へ。またしても大衆食堂。
そういえばさ、たしか、銀河鉄道999って漫画の冒頭で、機械の体を持った人たちがきらびやかな都会に暮らしていて、生身の人間はスラム街みたいな場所でなんとか生きてるみたいな設定だったじゃない。なんか、それを思い出してしまったよ。
薄口の生力ビールとまたしてもなんの肉かよくわからないものが入った麺。麺はボソボソとしていて、あまり日本人が好む感じじゃなかった。
香港の食堂では、この二重構造のステンレス製のマグカップをよく見かけたけれど、これはなかなか優れものだった。冷めにくいし、また、つくりも頑丈だった。そうそう、あちらの食堂は扱いが乱暴だからね、下げた食器を、ゴミと分けてから大きなバケツにものすごい音をたてて投げ入れるんだよ。はじめは怒ってるのかと思ったくらいだ。
あとでこのマグカップ、カミさんがどこかの荒物屋で買ってきたけれど600円くらいだったらしい。これは香港のお土産におすすめ。
そして宿のある九龍に戻って、尖沙咀プロムナードまで歩いた。8時から始まる対岸、香港島のライトアップ「シンフォニー・オブ・ライツ」を見にきたんだよね。いわゆる「100万ドルの夜景」。でも、幼いころから聞いてたんで「なあんだ。こんなもんか」みたいな気持ちになってしまったな。ギラギラのイルミネーション、レーザーとか飛び交ってさ、富山県か石川県あたり、どこかバイパスから見える田舎のパチンコ屋っぽいなあなんて思ってしまった。きっと期待値が高すぎたんだろうね。
そして宿のチョンキンマンション戻るオレたち。何度か出入りするうちに、オレはさすがに怪しい物売りに声掛けはされなくなってきた。(なんだよ、またあの気弱な日本人か)って感じになってきたんだろうね。
カミさんは逆に、
(おい、あんた日本人か。俺は横浜に住んでたことがあるんだぜ)
みたいに何度も声をかけられたりしたみたいだ。カミさんは鈍感で無防備なんで、こういうところではかえって親切にされやすいようだね。でも、観察していると、彼らも年寄り気を配っていたり、友達を大切にしたり、情も深いところがあって、なかなかよさそうな人たちでもあったよ。
それでね、部屋は狭いけれど、オレはここに予定通り落ち着くことにしたんだ。そう、ゆったりとした「バカンス」にきたんじゃなくて、オレはこの場所に「修行」しに来たと思うことにした。案外、こういう切り替えって大事なんだよね。そう、柔軟な考えは、落ちぶれたりしたときには約に立つものだ。現実を受け入れること。そしてこの世が無常であるなら、やがて景色は変わっていくものだ。そう信じること。そんなことが生きていくには必要なんだということを真面目に思ってしまったよ。
2018.02.12
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カミさんの話だと「キャット・ストリート」は、なんでも「泥棒市」が語源みたいな話だった。そう、さらに西側に、どこのものだかよくわからないような怪しい骨董品がならぶ市があったんで、カミさんの目はギラギラしてきたよ。
仏像なんかと同じくらい、毛沢東グッズが多かったのがなにか興味深かったな。偶像崇拝を認めないのに、こういうモノをばらまいちゃうのはちょっと笑えるよね。結局さ、共産主義って、理想的なのかもしれないけれど、人間の営みには合わなかったんじゃないかな。理屈だけじゃないからね。目指した平等さなどとは全く逆になってるよね。その、自己矛盾のジレンマに陥って、ミサイルばっかり撃ってる世襲制のあの国を見れば一目瞭然。時代遅れの軍事パレードなんかやってるのには、馬鹿馬鹿しさを通り越して、ついつい真顔になってしまうよ。結局、人はさ、人らしく生きなきゃだめなんじゃないかな。
そしてブルース・リー。
今となっては、70年代のあの乱暴で下手くそなフレームワークの映像がかえってカッコよく思えるよね。
くたびれたんで、お茶のメニューを店頭にぶら下げている店に入った。でも、ジャスミンティーをたのんだら、店員の兄さんの顔色が曇ったんだよね。なんだろうと観察してると、その兄さん携帯を取り出して、誰かと話しをしはじめた。
(すみません、ジャスミンティーってどうやるんですか。・・・このガラスのやつに、先に水を入れて・・・。えっ、そのろうそくってどこにあるんですか? )
みたいなことをやってる。そしてね、ろうそくにライターで火をつけるたびに、
(あちち! くそっ! )
って、なんども手をフーフーさせてるんで、さすがに笑ってしまった。ミスター・ブーじゃないんだから。でね、オレがこうやるんだよって火をつけてやると、急に機嫌よくなってね。うち店の茶はスペシャルなんだみたいなことを勝ち誇ったような顔で言い出す。いやはや、ほんとうに笑えるやつだった。
そして兄さんに、トイレ貸してくれって言ったら、よくわからない我が町自慢を語られながら20メートルほど先の路地まで歩かされて、トイレのカギをあけてくれた。そう、香港はトイレ事情がよくなくてね、地下鉄でさえ、駅員さんをつかまえて、案内してもらわないと入れなかった。当然、かなり汚い場合が多い。でもさ、昔、日本でも駅のトイレって相当汚かったよね。トイレをきれいにした日本は本当に誇るべき成長遂げたんだなって思ったよ。いや、まじめにさ。だって、豊かさって、金持ちになりゃいいってもんじゃないしね。そういう成熟が素晴らしいんだって思わない?
その反面。日本人はなにかを失いつつあるとも思う。それを、なんと表現したらいいのかな。「生命力」とでも言えばいいのか。でもそれは単にノスタルジーなのかもしれないな。年寄ってのはさ、うんざりするくらい「昔はよかった」って言うけど、オレももうそんなような年齢になってしまったしね。
2018.02.09
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香港といえば、この看板の景色だよね。真ん中どころか、逆側にまでせりだしているのもある。自己主張もこれだけはげしくないと、この土地じゃ生き残れないのかもしれない。人々の身なりや街並みから格差ははげしいんだろうなと推測できた。落ちぶれて、路上に座り込んでいる人なんかもいたよ。
カミさんがいつまでも雑貨なんかをながめているあいだ。オレは狭いレストランの軒先のテーブルでビールを一杯。眺めはよくなかったけれど、通り過ぎる人たちを眺めていると飽きなかった。ちょうど工事現場の休憩時間らしくてね、どういう仕組みなのかわからないけれど、作業員たちがポットにつめたお弁当みたいなものをそのレストランで受け取ってた。テイクアウトみたいなもんなのかな。
ここもやはり中国の一部らしく、グーグルマップが使えなかった。だから、いまいち何処だったかよくわからないんだけど、ポッティンガーストリートより西側、食品なんかの市があるはずれに屋台があったんでそこで昼食を食べた。
イギリス文化の流れなのか、たまごとハムっていうのが、パンでもごはんでも、わりと好まれているようだった。ハムって言っても、ちょっと独特の味付けなんだけどね。
オレはまたしても、よくわからない部位の骨付き肉ごはん。うまいんだけど、味付けはどの料理もいっしょに感じる。
このころには、アルコールがほどよくまわって、なにか自分が知らない街角の一部にとけこんでいるような感じがした。いつもぎこちなく過ごしているので、こういう気分は好きなんだよね。束の間の自由っていうのか。この気持ちは旅にでたときだけ味わえる特別な感覚なんだ。
2018.02.07
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