何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕ばんでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり。
市内を散歩していると、まさに、梶井基次郎、檸檬状態ですね。
自身、分析してみると、どうもノスタルジーということよりも、「朽ちていく」「なじんでいく」「同化していく」ということに、何かしらの興味があるような気がします。ある意味力学的な情緒とでも言うのか。カミさんは大好きな古道具屋へ入るも、僕自身はそれほど古道具そのものに興味がなく、むしろ古道具が染み付いたような風景が好きなのです。
カミさんがなかなか店から出てこないので、僕は海を見渡せる展望台にのぼってみました。なぜか虹のようなデザイン。
Somewhere over the rainbow
虹の彼方のどこかで
Bluebirds fly over the rainbow
虹を越えて青い鳥が飛んでいる
Why then oh why can't I ?
あたしにも行けるはずでしょう?
If happy little bluebirds fly
もしも幸せの青い小鳥たちが
Beyond the rainbow
虹の向こうに飛んでいけるなら
Why oh why can't I ?
あたしにも行けるはずでしょう?
帰り、焼山温泉「清風館」に寄りました。湯の花が舞うここの温泉は素晴らしい!
温度の調整なし、源泉そのままという、少しぬるめの一角があり、雪をながめながら、そこで僕はすっかりうとうとしてしまいました。
家に戻り、戦利品、加賀の井。
ぐい飲みでひとくち。あっというまに僕は、不思議なオズ王国へと旅立ちます。
2016.01.29
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なんでも、糸魚川の西と東では、まったくその地質が違うらしいですね。たしかに、大地と大地がせめぎ合うといった起伏の激しい景観が多く、糸魚川という街はそれに反して、へんに静かなその波間といったような雰囲気がします。そして、ここも断層でつながる甲府同様、翡翠の産地として有名ですね。翡翠というものは、大地の波しぶきみたいなものなのでしょうか。不勉強な僕にはよくわかりませんが。
先日、カミさんと糸魚川市内、翡翠園という庭園を訪れてみました。職員の方が懐中電灯で照らし、その、翡翠の美しさについて熱心に語ってくれました。
そのとなりのお社の一角に、五百羅漢堂というものがあり、ガラリと重い戸をあけると、このように羅漢さんがズラリ。
「は、すんません」
僕は、あわてて手をあわせてきました。
この日、ここへ来たのは、カミさんが持っていたなにかの雑誌の切り抜きを見て、青海というところに懐かしそうな食堂があったからでしたが、小さく古いその店に、おそらく同じ記事を見たお客さんが殺到したのでしょう、やけに混んでいて、お店の老夫婦がてんやわんやになっておりました。
でも、ひさしぶり食べるかつ丼はうまかったですね。よく昔の刑事ドラマで、取り調べ室で容疑者が食べるかつ丼ってうまそうでしたよね。
刑事「ほら、かつ丼、さめるまえに食ったらどうだ」
犯人「けっ、俺はやってねえつってんだろ」
刑事「たしか、おまえはオシャマンベの出身だったよな」
犯人「ち、違うよ、足立区だよ!」
刑事「なんでもマタギの母さん、ひとりでおまえを育てて苦労したそうじゃないか」
犯人「勝手にストーリー作んなよ!」
刑事「♪ある~ひ、森のなっか、くまさんに~」
犯人「だから、違うっての!」
刑事「♪トコトッコトッコ~ト~コ~ト~ッ! さあごいっしょにっ! 」
犯人「はいはい、わかりました。俺がやりましたよ!」
みたいなね。
その後、糸魚川市内を散策。古い街道の店って、間口が狭くて、奥行きがあって面白いですよね。
細い路地、寂れた商店、さび付いた町工場など、僕が幼いころ育った下町を思いだします。
新幹線の駅ができ、少し開発されてしまったので、少なくなっておりましたが、このような雁木の風情もまだまだ残っております。
何もかもが うまくいかなくてさ
毎日毎日がこれじゃ
オイらが生きてる事さえ
無駄な気がしてきた
帰ろうオイらが生れたあのガソリンアレイヘ
帰ろう細い路地のあのガソリンアレイへ
2016.01.27
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雨の中5kmコースを走り我が家にたどり着いて気がついたのですが、我が娘が生まれたときに、亡き親父が裏庭に植えた柚子の木が今年は豊作でした。暖冬の影響でしょうか。焼酎にでも入れようかと、その実をもぎ取ってみました。
そして、デヴィッド・ボウイの訃報。
僕はむしろ、デヴィッド・ボウイに似た中学校の頃の友達、カトウくんを思い出しました。彼はニューヨークから転校してきたので、「地球に落ちて来た男」ならぬ「日本に落ちて来た男」といったような神秘的な雰囲気を醸し出しておりました。
仙台坂の途中にあった彼の家に遊びに行って、僕は、
「レッツ・ダンスより、トゥナイトのほうがむしろ完成度が高いアルバムじゃないかな」
などと知ったかぶったことを言うと、彼はだまってジギー・スターダストのころのライブアルバムを聞かせてくれました。もちろん33回転のレコード盤です。ですが、当時の僕は、その怪しいサウンドやジャケットのおかまっぽいボウイのルックスがよくわからなかったものです。
そんな日の夜、ちょっと億劫だったある飲み会に参加。席が近かったあるかたが、思いがけずいろいろと親身に語ってくれたので、なんだか、僕自身も心が開けたような気がしました。そう、僕も、彼も"Under pressure"の住人なのです。
風が強く、壊れた100均の安傘をかかえ、ふらふらと帰り道。煙草を美しくくゆらし、不敵に微笑む、あの愛すべきスター、デヴィッド・ボウイはもういないけれど、カトウくんは僕と同じような悩みをかかえつつも、今でもどこかで元気でやっているに違いない。そう想像すると僕は幸せでありました。
ちなみに次回、ダーリングのライブ、中教院Artist'sにて、1月31日(日)18時よりやります。よかったら来てください。こんな曲もおまけでやるかもしれません(なかなかメンバーの練習の都合がつかず、お約束できませんが)。
2016.01.25
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この日は鉄道にて富山方面へ。駅のホームに相合傘の落書きを発見。おじさんちょっぴり顔が赤らむも、
「そういや最近ときめいてないかもな」
などということを考えてしまいました。「ときめく」ということはなにか新しいことに興味をもっていなければいけませんね。そして、その陰影として苦悩も必要です。つまりなにかを継続しているだけでは、ドキドキ感は生まれないということですね。
よし、がんばるぞと、颯爽と東富山駅に降りて、ひでお屋というラーメン屋に。
「大盛りね! 」
いったいなにをがんばっているのか自分でもよくわかりません。
そう、この日は免許の更新があったので、その手続きにきました。毎回思うのですがこの「交通安全協会費」の窓口。完全にトラップですよね。以前より露骨に徴収されなくなりましたが、今でも、まるで地雷のように待ち構えております。そして、
「はい次、こっち」
みたいなことを言われて、わけもわからずここでお金を払っている人が、まだ、きっと多いように見えます。
僕は個人的な見解から、よくわからない団体に、使途もわからない金などを支払わないように心がけております。
そして、夜まで時間があったので、富山市内で時間をつぶしておりました。冷たい雨の中、街を歩き回っていると、僕は何をしているんだろうと、それさえもよくわからなくなってまいりました。銭湯に入りお湯につかっていると、まるで自分が漂流者のように思えてきます。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
僕はゴーギャンの不吉な絵画を頭に思い浮かべてみました。
この日はアーティストの新年会でした。恒例セッション大会。みなさん盛り上がる中、まだ、エンジンがかかる間もなく、僕はそっと退席(会場のみなさま失礼しました、ちょっと翌朝ことなど気にかかることがあり、水をさすのもなんなので静かに中座しました。どうか、お許しください)。
しかし、帰り道。急にお腹が痛くなり、たまたまあったトイレに駆け込み、ギリギリセーフ。
スッキリした気持ちで歩いていると、「僕は生きているんだ」という気持ちが沸き上がってまいります。
「ああ、雨の中歩くのってステキ! まるで初恋みたいなときめき! 」
そう、そうやって、人の気持ちなどは、生理現象によって左右される、けっこう危ういものなのです。
2016.01.22
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さて、実はこの旅行のメインイベントとして、サントリー白洲蒸留所に行って、カミさんに帰りの運転をまかせ、ウイスキーをしこたま飲むという計画があったのですが、たどりつくも施設はなんとお正月休み。下調べが不十分だったというのもありますが、まあ、旅行なんてそううまくいかないものです。三ツ峠で富士を眺望することができず、茶店の老婆が富士の景色のすばらしさを力説するそばで、
霧の深いのを、残念にも思はなかつた。
という太宰の心境に近いものがあるかもしれません。
近く、信州蔦木宿という道の駅で「シカ肉コロッケ」をほおばりました。
自分のおみやげに、地元で愛されているという「ポンちゃんラーメン」。あとで食べてみるも、べつだん、ふつうの袋めんの味わいでした。
帰りしな、またしても糸魚川で「銭形」。このときは、カミさんとふたりでかつ定一人前を注文。
「我々夫婦もやはり年齢だね、あまり食えなくなったよなあ」
などとカミさんと話をしている横のテーブルでは、新年の集いでしょうか、我々よりもっとご年配の方たちが、はつらつととんかつやらエビフライなどを頬張っており、これはかなわないと思いました。
白州ウイスキーは飲めませんでしたが、糸魚川の地酒のワンカップをコンビニでゲット。セメント工場の夜景をながめながらいただきました。
そして家に戻り。寝室に飾ってある北斎の赤富士、「凱風快晴」をあらてめてしげしげとながめます。
これが今回の旅、富士の最後、四景目となりました。
しあわせの4
死ぬじゃない4
ビタミンの4
よろこびのヨン!
ヨン、ヨン、ヨン、ヨン!
2016.01.20
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翌日は山梨県立文学館と美術館へ。文学館は太宰の原稿や書簡などがあり、案外字がかわいいなあなどと感心しました。
県議A「山梨って言ったらさ、ぶどうだよね」
県議B「そうだよね、ぶどうってなんかフランスっぽくね」
県議C「フランスつったら芸術みたいな」
県議D「そしたら、フランスの絵とか集めちゃおうぜ。ぶどうつながり的にさ」
たぶん、こんな議論がされたのでしょう、美術館にはミレーをはじめとしたバルビゾン派の絵画がけっこうそろっておりました。なるほど、田園風景や、農民たちの日常を眺めていると、なんだかロングカットを多用した、まるで一本の映画のような見応えがありました。あまり勉強していない僕ですが、それでも、ミレーの、労働者に対する、ある種のまなざし、思想というものも伺えるような気がしました。
そして昇仙峡へ。昇仙峡と言えば、つげ義春の「池袋百点会」ですね。トテ馬車にゆられて、福子が涙をこぼすシーンが僕は好きです。トテ馬車はシーズンオフだったためか、見られませんでしたが、景色は素晴らしく、少しさびれ気味のお土産物屋や、水晶屋、ロープウェーなどが風情を醸し出しておりました。
どこに車をとめていいのかわからず迷っていたところ、
「あんた、こっち、こっち」
とたまたま通りかかった軽乗用車に乗る茶店のおばちゃんに誘導されて、なかなかいいロケーションで昼ごはんをいただくことができました。
しかし、このおばちゃんがアグレッシブで、
「ほら、おまんとこで呼び込みされたら、お客さんのほうが迷惑ずら」
などと、他の商売敵の茶屋と喧嘩しながら運転しており、なかなか、こういう場の商売の世界も厳しいものだなあなどと思いました。
ここで食べた手打ちそばのうまかったこと。僕はあまり品のよいものよりも、こんな感じのぼてぼてして、風味の強いそばが好きです。
最後、帰り道に見つけた、甲府市街と富士の景色。
富士山、さやうなら、お世話になりました。パチリ。
2016.01.18
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そして、我が聖地、御坂峠に上るも、天下茶屋はちょうど店を閉める時間でありました。
富嶽百景で、知的な娘さんふたりに写真をたのまれて、太宰はそのふたりをレンズから追放して、富士だけをパチリと撮るという悪戯なエピソードがありますが、きっと縦に反らすのは位置的に難しいので、右側そらして、このような構図で撮ったのではないかと僕は推測します。
それにしてもやはりここから眺める富士は、いかにも素晴らしいですね。
「いいねえ。富士は、やつぱり、いいとこあるねえ。よくやつてるなあ。」
太宰のセリフが思い浮かびます。
夜は甲府の駅前に繰り出し、ほうとうと馬さし。いかにも甲州らしく、ワインを豪快に湯のみで飲み放題という店でした。
そういえば、浪人時代に、太宰が好きだという女の子がいて、デッサン教室の喫煙コーナーで太宰について語ったよなあなどと思い出しました。彼女は擦り切れた軍服を着ていて、ブルーハーツも好きで、
「あたしのバイブルなんだ」
などと語っており、僕は当時それについては
「俗っぽいね」
と馬鹿にしておりました。でも、それを思い出して、今聞くと、ブルーハーツもなかなかいいものですね。得てして、安易に否定をすると、こうやって後悔するはめになるものです。
いい気分で酔った僕は、風邪気味のカミさんをつれまわし、太宰が甲府時代に暮らしていた付近へ。僕のイメージだと、練兵場の草原や、製糸工場などがあるようなわりとだだっ広い場所を想像しておりましたが、ごく普通の、地方都市のはずれにありがちな場所で、とくにその形跡など、なにも見当たりませんでした。
「芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」
畜犬談という作品の中で、このようなセリフを述べたのは、きっとここ付近なのだろうなと感慨にふける僕をよそに、カミさんは具合悪そうに咳き込んでおりました。
急きょ手配したので、宿泊はドミーインというチェーンのビジネス系のホテルでしたが、温泉もついており、安く、無駄なサービスもなく、なかなかよかったです。酔って帰ったら、ラーメンを一杯ふるまってくれたので、ありがたかったですね。やはり僕には、格調高いところよりも、こういうところのほうがかえって落ち着く性分であります。
そして朝。
シルクハットを倒さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。
太宰は甲府の街をそう描いております。
2016.01.15
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カミさんが正月早々フクロウを見たいということを言い出し、なんでもその富士花鳥園という場所が、カミさんが幼いころ両親に連れて行ってもらった思い出の地らしく、まあ、年始に富士を見に行くのも縁起がいいだろうと思い、老夫婦ふたり、富嶽を目指し旅行に行ってまいりました。
たどりついた温室はベゴニアなど、南方の花が咲き乱れる温室で、入ったとたん、バリ島のようなムッと熟した花のような香り。なんだか懐かしく、やがて春がやってきて、夏もやってくるという、いたってあたりまえのことを思い出し、へんにありがたい気分になりました。
園はフクロウやインコが放し飼いにされており、そこで「富士宮やきそば」という名物らしきものをいただきました。
なんとなく、いつ頃の施設なのかなと携帯で調べてみると、案外開園が新しいのでカミさんの話とつじつまが合わず、カミさんの父親が務めていた会社の保養施設があった場所から推測すると、カミさんの思い出の場所は、どうもここではなく、既に閉園されている天城の施設のようでした。でも、きっと、カミさんはそのことに関して、たいしてこだわらないだろうと、そのままだまっておきました。逆に僕は、カミさんの思い出話などを聞いており、そのイメージとの整合性や差異を楽しんでいたので、ちょっとがっかり。調べなきゃよかったなどと思ってしまいました。
次に訪れた河口湖畔にて、カミさんが山梨宝石博物館に入っているあいだ、僕はシカ肉バーガーというものをほおばっておりました。
そして富士。
向かう途中、長坂あたりで見たときは、
「うわっ、きた」
と、叫ぶほど、ときめきにちかいものを感じましたが、だんだんなれてきてしまい、このときにはとくに感慨がわかなくなってしまいました。そして、この山麓に住んでいる人って、毎日富士を眺めて、いったい何を思うのだろうかなんてことを想像してみたりしました。
そのまま湖畔を散歩してみると、懐かし系の私設博物館みたいなものがあり、チラッと覗いて帰ろうかと思いましたが、職員さんが三人も待ち受けて、こちらですと案内するので、どうも断れなくなってしまい、800円という高めの入館料をついつい払ってしまいました。
アカデミックというより、個人コレクションみたいな感じだったので、ちょっと偏り気味。南沙織のレコードを一枚写真にとって出てまいりました。
「えっ、なんでそんなとこ入ったん」
と僕はカミさんにあざ笑われ、そして、カミさんが宝石博物館で学んだ、水晶の産地だったここ一帯が、いかにして宝飾産業が栄えたかというこの地の歴史やうんちくなどをとくとくと語られるはめになりました。
続いて忍野八海。美しい湧水群でしたが、ものすごいいきおいの中国団体観光客さんたち。中には、民家の庭先にペットボトルのジュースを捨てたりしている方もおりましたが、なかなか僕のような気弱な人間が注意できるような雰囲気ではありませんね。まあ、いずれ文化が成熟してくるのでしょう。そうそう、日本人もにたようなころがきっとあったんだろうなあなどと考えました。それはほんの少し前ですので、決して上から目線で語れるような立場ではありませんね。
2016.01.13
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紅白歌合戦、その演出の恥ずかしさにヒヤヒヤと覆った指の隙間から見てしてしまうのは僕だけだしょうか。とくに今年はスターウォーズだの、ラブライブだの、五郎丸だの、もうなんでもありで、ひどい感じがしました。そう、でも、こうやって、くすぐったい気持ちの中、年越しそばをいただくということが幸せなのかもしれませんね。
翌日はカミさんの実家にておせちをいただきました。朝からお酒をいただき、昼頃にはこたつをかりていびきをかくというのも、毎年のパターンになってまいりました。
昼過ぎ、恒例、三島さんへと初詣。なにか見覚えのある、可愛らしい巫女さんがいると思ったら娘の幼馴染でした。さかきを手に、うやうやしく神事に励んでおります。ある雨の日、幼いころの娘と、まるで二枚の貝みたく傘をあわせて佇んでいた彼女の風景を思い出し、なんだか華やかな気分にさせてくれました。
最近我が家でブームの自撮棒。でも棒が見えちゃうまくないですね。
我が家に戻ると、翌日は娘の誕生日なので、カミさんはせっせとケーキ作り。
僕はさらに開けたお酒を飲みかけたまま、こたつでうとうと。
いいですね、こんな時間。最近よく使われる「癒される」という言葉はあまり好きではないのですが、「慰められる」とでもいいましょうか。そう、平和なお正月を家族で過ごすことができて、ほんとうにありがたく思いました。
2016.01.11
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昨年末ごろ、荒天が続き、体がなまっており、ふと以前行きそびれた糸魚川の白池でも歩いたらきっと気持ちいいだろうななどと思うも、たどり着いたら雪深く、またしても「ほんやら洞のべんさん」状態の景色。池を見ることさえもできませんでした。
仕方ないので、近く、スキー場の温泉につかる僕。ラッキー、貸し切り状態。こういった山間の温泉はすこしトロッとしておりますね。なにか森の栄養分でも抽出されているのでしょうか?
帰り道、親不知にて散策。
親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯の泡と消え行く
源氏に追われ、難所を越える際に子を波間にさらわれてしまったという、平家の奥方が詠んだこの歌を拝読して、なんだか涙がこぼれてまいりました。そして、海の向こう、どこか遠くでは、長引く内戦などにより、いまでも似たような悲劇が、現実に、毎日のようにおこっていると聞きます。
気をとりなおし、朝日町の林酒造に寄って、お正月用に酒を買うも、
うまそうな生酒。誘惑に負けて帰ってすぐにあけてしまいました。
今年もいろいろあったと、ひとり忘年会。新しい仕事、家族に向き合う一年でありました。当然自分にも向き合うのですが、振り返ると、あるがままを受け入れること、そしてつきなみですが「感謝」するということ、日々淡々とやるべき務めを果たすということが、幸福という精神状態を生むのだろうなあなどということを考えてみました。
2016.01.08
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