まず連絡ですが、記事への写真の添付が四日目の分まで完了しました。どうぞ改めてご覧下さい。
活動を軽く振り返ってみたいと思う。まず交通についてだが、良いか悪いかの両極端だった。701系電車や東北秋田新幹線の酷さについては今さら語るまでもないが、初日に乗らされた209系の2000番台とかいう車両は下手をすると701系以上に粗悪ではないかと思われるものだった。余りの安さに辟易するといった精神的な次元の問題ではなく、まるで痙攣のような小刻みな揺れに断続的に腹を揺さぶられ続け、内臓がおかしくなるかと思った。
そういえば思い出したのが去年の9月に701系の譲受車両に乗った時のことだ。長大なホームにぽつんと停まるは二両編成の列車だった。車内は吊り革に掴まれれば良い方で、都心の通勤時もかくやという混雑ぶりだった。空調がまるで効いておらず汗だくになってしまった。この時乗車したのは仙北町から岩手飯岡の間の一駅だけ。僅か四分間の間の出来事だったが、余りの酷さに飛び降りて逃げ出したい気分になった。車内の殆どは通勤通学客だった。それはつまり、日々この状況は変わらないという事を意味している。金を払って毎日こんなものに乗せられている現地の人達は本当に気の毒だとしか言えない。やはり車両の両数や運用など総合的に考えると東北地区の701系以下ということはないか。また五能線では傍若無人と非礼を絵に描いたような連中が乗り込んできて迷惑を被ったり、701系や全車指定席の新幹線以外に事実上選択肢がなく、東北地方での汽車旅がもはや絶望的な状況に陥っていることを再確認することとなってしまった。
一方で過去に何度も乗船してきた大洗からのフェリーは団体、中国人、子供連れがまったく居ないという幸運に恵まれ、かつてないくらい船内が静かでたいへんに快適だった。それから札沼線の非電化区間では非冷房の気動車で窓からの爽やかな風を浴びながらのんびり進むというこの上ない幸せを味わえたし、真打ちの急行はまなすではカーペットカーが想像を遥かに超える快適さで、新札幌を出るとすぐに寝てしまい、熟睡して青森到着直前の放送で起きるという自分でも予想外の展開となった。幸か不幸か、そのせいで乗車体験としてはこの上なく希薄なものとなってしまったが、それはまあそれとして…
居酒屋の部でも今回は良いか悪いかの両極端だった。札幌では日曜日であることを忘れていて初日の楽しみが大きく減じられた一方、翌日に初めて訪問した「からしや」が素晴らしい名店という僥倖もあった。満を持してこれも初めて訪ねた秋田の「酒盃」も噂に違わぬ名店で、非の打ちどころの無い居酒屋とはこういうことを言うのだろうと思った。一方で二軒目にこれも教祖おすすめの川反通りの「北州」を訪ねるも早仕舞いで既に看板で、代わりに自分の勘だけで入った近くの店がこれが箸にも棒にもかからない店だった。ここではお通しに冷凍のシュウマイと、薦められるままにフライパンとアルミホイルで温めた味も食感も絶望的な「焼鳥」を食べさせられた。
最終日に訪ねたのは仙台の「旨味太助」と「源氏」。わざわざ仙台で一旦下車した甲斐がまさにあると思った。太助の牛タンは変わらぬ美味さで何の文句もない。空腹に負けて直後に源氏を控えているにもかかわらずつい定食を注文してしまったのだが、テールスープの素晴らしい美味の前にはやっぱりこれでいいかな、と思ってしまう。そうやってまったく腹が減ってない状態で源氏の暖簾をくぐったものの、今回もまあこれ以上ないという幸せな時間を過ごさせてもらった。余りの居心地の良さに、俗に別腹などと言うのはこういう事を指すのだろう。すいすいと四杯目に突入してお通しも全てきれいに平らげてしまった。
このように今回も当たりもあり外れもあり、悲喜こもごもだったわけだが、その時の運や巡り合わせ、自分の力ではどうしようもなく、また今後改善がほぼ見込まれないのが東北地方の鉄道事情だろう。今回はっきり思ったのは、少なくとも東北地方である限り今後旅の足として鉄道は絶対に使いたくないという事だ。東北地方の人はJR東日本の悪行が旅行客の足を遠ざけているということを認識すべきだ。
だが悲しいことに今やこれは東日本だけでなく、全国に蔓延しようとしている。今後は旅の足にはバイクや車をより積極的に選ぶ機会が増えそうだが、そうしたらそうしたで、ちょっと幹線道路を走ろうものなら全国何処へ行っても巨大イオンや大手チェーンの飲食店が建ち並ぶという全く同じ景色を見せられ、自分が今何処にいるのかが分からなくなってしまう。いよいよこの国の貧困化は深刻な段階に入って来たようだ。旅行という行いが一部の好事家だけの珍奇な趣味となる日もそう遠くないかも知れない。
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活動を軽く振り返ってみたいと思う。まず交通についてだが、良いか悪いかの両極端だった。701系電車や東北秋田新幹線の酷さについては今さら語るまでもないが、初日に乗らされた209系の2000番台とかいう車両は下手をすると701系以上に粗悪ではないかと思われるものだった。余りの安さに辟易するといった精神的な次元の問題ではなく、まるで痙攣のような小刻みな揺れに断続的に腹を揺さぶられ続け、内臓がおかしくなるかと思った。
そういえば思い出したのが去年の9月に701系の譲受車両に乗った時のことだ。長大なホームにぽつんと停まるは二両編成の列車だった。車内は吊り革に掴まれれば良い方で、都心の通勤時もかくやという混雑ぶりだった。空調がまるで効いておらず汗だくになってしまった。この時乗車したのは仙北町から岩手飯岡の間の一駅だけ。僅か四分間の間の出来事だったが、余りの酷さに飛び降りて逃げ出したい気分になった。車内の殆どは通勤通学客だった。それはつまり、日々この状況は変わらないという事を意味している。金を払って毎日こんなものに乗せられている現地の人達は本当に気の毒だとしか言えない。やはり車両の両数や運用など総合的に考えると東北地区の701系以下ということはないか。また五能線では傍若無人と非礼を絵に描いたような連中が乗り込んできて迷惑を被ったり、701系や全車指定席の新幹線以外に事実上選択肢がなく、東北地方での汽車旅がもはや絶望的な状況に陥っていることを再確認することとなってしまった。
一方で過去に何度も乗船してきた大洗からのフェリーは団体、中国人、子供連れがまったく居ないという幸運に恵まれ、かつてないくらい船内が静かでたいへんに快適だった。それから札沼線の非電化区間では非冷房の気動車で窓からの爽やかな風を浴びながらのんびり進むというこの上ない幸せを味わえたし、真打ちの急行はまなすではカーペットカーが想像を遥かに超える快適さで、新札幌を出るとすぐに寝てしまい、熟睡して青森到着直前の放送で起きるという自分でも予想外の展開となった。幸か不幸か、そのせいで乗車体験としてはこの上なく希薄なものとなってしまったが、それはまあそれとして…
居酒屋の部でも今回は良いか悪いかの両極端だった。札幌では日曜日であることを忘れていて初日の楽しみが大きく減じられた一方、翌日に初めて訪問した「からしや」が素晴らしい名店という僥倖もあった。満を持してこれも初めて訪ねた秋田の「酒盃」も噂に違わぬ名店で、非の打ちどころの無い居酒屋とはこういうことを言うのだろうと思った。一方で二軒目にこれも教祖おすすめの川反通りの「北州」を訪ねるも早仕舞いで既に看板で、代わりに自分の勘だけで入った近くの店がこれが箸にも棒にもかからない店だった。ここではお通しに冷凍のシュウマイと、薦められるままにフライパンとアルミホイルで温めた味も食感も絶望的な「焼鳥」を食べさせられた。
最終日に訪ねたのは仙台の「旨味太助」と「源氏」。わざわざ仙台で一旦下車した甲斐がまさにあると思った。太助の牛タンは変わらぬ美味さで何の文句もない。空腹に負けて直後に源氏を控えているにもかかわらずつい定食を注文してしまったのだが、テールスープの素晴らしい美味の前にはやっぱりこれでいいかな、と思ってしまう。そうやってまったく腹が減ってない状態で源氏の暖簾をくぐったものの、今回もまあこれ以上ないという幸せな時間を過ごさせてもらった。余りの居心地の良さに、俗に別腹などと言うのはこういう事を指すのだろう。すいすいと四杯目に突入してお通しも全てきれいに平らげてしまった。
このように今回も当たりもあり外れもあり、悲喜こもごもだったわけだが、その時の運や巡り合わせ、自分の力ではどうしようもなく、また今後改善がほぼ見込まれないのが東北地方の鉄道事情だろう。今回はっきり思ったのは、少なくとも東北地方である限り今後旅の足として鉄道は絶対に使いたくないという事だ。東北地方の人はJR東日本の悪行が旅行客の足を遠ざけているということを認識すべきだ。
だが悲しいことに今やこれは東日本だけでなく、全国に蔓延しようとしている。今後は旅の足にはバイクや車をより積極的に選ぶ機会が増えそうだが、そうしたらそうしたで、ちょっと幹線道路を走ろうものなら全国何処へ行っても巨大イオンや大手チェーンの飲食店が建ち並ぶという全く同じ景色を見せられ、自分が今何処にいるのかが分からなくなってしまう。いよいよこの国の貧困化は深刻な段階に入って来たようだ。旅行という行いが一部の好事家だけの珍奇な趣味となる日もそう遠くないかも知れない。
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