ココロトレール

ココロトレール

風景の中の何かを探して

意識を持たないと断言できない


オカルトが好きでね、オバケ ユーホー ネッシー 雪男 ワクワクするね だが NHKの番組でオカルトを科学的に解明する番組があって本物と思っていたものが全てまやかしだと断言して、とにかく夢もワクワクも無くてクソ面白く無い番組がありました 未知なるものへの恐怖と好奇心、暗闇と幽霊と死後の世界 これは人が持つ 究極のトラウマだ それはもう 大事な家族が死ぬ事の辛い思いとあの世があるならそこで幸せになって欲しいとその願いであり 人が人を殺めたなら幽霊となって現れるかもしれないという恐怖 その記憶は細胞に刷り込まれている だからこそ惹かれるのだ 想いを科学的になんて馬鹿げた事です フィクションであっても細胞に刷り込まれいる苦しみと恐怖は本物だ

この木の画像、オカルトチックに言いますと意識を持っていると俺は感じます 、こちらに訴えては来ませんが意識を持っている もっと解りやすい経験をしたければ夜の山に登るといいです 圧倒的な生命を感じます 木は夜行性です ライトを消して真っ暗の中で目を瞑り、いや目を開けていてもわかる オバケではない 木の意識を命を感じますそれは威厳さえある 一人では行かない方がいい怖すぎる

夏の終わりに吹く風の成分は目が合った時の含まれる成分と同じである



夏の終わりは宿題の残量によって、先送りは不幸になるという教訓を刷り込まれる。
なのに未だに先送りの癖は治らない、娘は宿題を計画的に推し進める事を早くから学び、息子は俺の血を引き後にたっぷりと残す これは先祖代々の血がそうさせるのか それならば、俺の宿題が残り続けたのは仕方ない御先祖様が悪いのだ もういい 明日やろう

休めていますか



最近あおり運転の動画をよく見かけます、すぐに激昂する人って大人ばかりだと思いますか、実は子供から老人までまんべんなくいると思っています
統計などはありませんが個人的な経験から思う事です 俺もイライラする事もありますがその時は 腹が減ってる時とか睡眠不足とかストレスを溜めている時とか 気が短くなります
私はサービス業をしていますが、あるお客様の言葉が心に残っています それは 人は大きく分けて2つに分類できるそうで 子供頃に愛情をいっぱい貰って育った人か、愛情が足りない人、この2つの種類があるとの事 愛情が足りない人は常に枯渇感があり自分本位な考え方で、常に不満を抱き攻撃的な人が多い 一方愛情満タンな人は常に自分より相手を思い優しく穏やかな性格が多いとの事です

自分はどうなのだろうか 愛情のコップは満タンなのだろうか 自分の子供達はどうなのか 愛情は目に見えないから 満タンかどうかわからんし 子供に伝わっているかもわからないし それを愛情だと捉えて貰えないと意味がないかもしれんし 難しいね

まずはスマホを家に置いてきてベンチに座ってボーっとしてゆっくり考えてみよう

今流れた音は何処にいったのか



オーディオが好きでよその家の音を聴きにいったりしますと凄い事に気がつきます、同じCDであってもよそ家のオーディオで聴くと全く違う印象になるんです
それはその家の人の音の趣味にカスタマイズされているせいですが、5軒ほど訪問したら同じ音はありませんでした 例えばピアノの音がある家ではポロンポロンと聞こえある家ではピキンピキンと鳴ります 、最初は面白いなと思いながら、ひょっとしてうちの家の音もそんな印象なんだろうなと つまりのCDとかレコードに入っている音楽は本当はどんな音なのだろうかと、実際の音はレコーディング時のその場で鳴る音だろうけど それをテープとかパソコンの中に入った瞬間からそこにあるモニタースピーカーから出る音になる訳で、エンジニアはそこでモニタースピーカーを基準に音を創ります それをイヤホンとか巨大なスピーカーとか色んな機材で聴くと当然違う音楽になってしまう それを自分の音にしてくのが楽しみなんですが、ある程度は注意書きが欲しいなと思います 奏者と製作者の意図をもっと詳しく聞きたい 自由にどうぞも良いけどね




最近のテレビ面白いですか?



50歳を過ぎたからか、テレビの視聴者としてターゲットにされてないのか見たいと思う番組がない、朝から人を殴る映像を流したり刺激の強いものを流す傾向にあります、民放はスポンサーからお金をもらっている以上は視聴率を上げないといけない、あなたがテレビの制作者ならばどうしますか?

テレビの役目はネットの普及スマホの情報収集のしやすさにより終わりに向かいます、おそらくネットとテレビは融合していきより個人な細分化したチャンネルになるでしょう、テレビ自体がネットに繋がり勝手に情報を集めタイムテーブルを作ってくれるようになります
昔、兄弟でチャンネル争いした事が良い思い出になりそうです。

フェンスの向こうの世界から



フェンスの向こうには楽しい事が待っている気がした

皆さん最近音楽を聴いていますか、何かをしながらではなくて音楽だけを聴く為に座ってスピーカーと対峙して聴く事です もう40歳代後半の人達しかそんな聴き方をしないでしょう、今はスマホでイヤホンが主流ですよね もうスピーカーは一部のマニアの為に高級なバカ高いものという印象です
このまま スピーカーで音楽を聴くという事は無くなっていくのでしょうか、デジタル一眼レフからミラーレス機に移行していく様に 買う人が居なくなれば メーカーも作る事をやめ過去の遺物となります ただし本当に良いものは残ると思います オールドレンズの値段の高騰から分かるように 良いモノは残る

かき氷の溶けた濃い所が好きだ



昔の夏の話だ、俺は保育園位だったと思います近くの遊び仲間7人で隣町の海の家のかき氷を食べに行く計画をたてた、一番年上の6年生のk君のお父さんは教頭先生で何故か子供に大金を持たせていた、そのお金でみんなの電車賃とかき氷のお金を出してくれるというのだ。実はこの時初めてかき氷を食べたのだ、味はバナナ味だった みんなでゲラゲラ笑いながらとても良い思い出です、後にk君の家庭は崩壊した。近所の人はk君の素行の悪さを責めたてたけど、大人になった俺は今でもk君の笑った顔こそが本当のk君だと信じている。

何気ない毎日が追憶になる瞬間



kー1の良さ、それはレンズの癖を最大限に引き出してくれる事かなと思います
開放マニアとしては最高のカメラなんです、この画像なんか好きなボケがきてます
思いどうりのやつが撮れた枚数が少し上がっているとは思います 2割増しくらいですね

昨日帰省していた娘と偶然帰り道が一緒になって歩きながら帰りました、やっと歩いた一歳の時の記憶が蘇って手を繋いでここを歩いたなと思い出すと、なんだか涙が出そうになって、我慢して歩きました 明日死んでも子供達が幸せならすんなり受け入れられるような気がした いいや まだまだ撮らないといけない 死にたくない

ミクロでマクロな細部にある感動



ボケの光の重なりとか暗部に魅力を感じます、花が主役ではなくて背景が重要なんです
だからレンズによるボケの形煌めき方、しっとり感とか煩雑とか個々の個体差もたまりません

レコードのライブアルバムの中に人の話し声とか乾杯してるグラスの音、ピアノの消えゆく音、シンバルの伸びの細かな音が合わさってライブハウスに座ってる感覚に陥る
日本人には細部まで拘り楽しむ才能が備わってると思います、花道茶道武道、女性のうなじの後れ毛 色んな細かなところに感動は隠れています

人はみんな知るよ ここに全てがあった事を



去年友人と永遠のさよならをした、彼もカメラが好きで退職したらあのレンズを買って撮りまくるぞと意気込んでいた
台風の後の空は最高だと、話して同感したものだ そして台風が過ぎた後に良い空が現れた
撮りながら やっぱ最高やったよと 伝えたかった

昨日が写るネガを捨てる勇気



老人ホームに仕事で行く事があります、そこで出会う人たちの中には言葉も発せず動く事も出来ない方もおられます、その人の大事なものはおそらく楽しい思い出だろう
いつの日か自分もそのように年老いてただ思い出を想う事しか出来なくなる日が来るかもしれない

渋野さんが最後のホールにボールが入った瞬間どう感じましたか、世界中でいろんな人達に幸せとか元気とか勇気とか巻き起こしたと思います
また別の世界では日本製の物を買わないと叫んでる人達が映る

いつの日か全てを捨て 自分さえも無くなるのだ 時間は無いよ もったいない 昨日よりも楽しく生きよう

この世界はSF作家の頭の中にあるかもしれないという真実


小松左京は日本沈没という本を生み出し、東日本大震災を目の当たりににした時何を感じたのだろうか?
虚無回廊という本の中には現在のブラックホールの仕組みさえも予言している

この世界は星屑から出来ている、超新星爆発の後生命を創り出す為にブラックホールが混ぜ合わせて調整して世界を創り出す
星の記憶こそがこの世界だ、満天の星空を見上げるとわかるだろう、そこから生まれたのだ

SF作家が空想する書かせる衝動は星の記憶だとしたら、それが真実だとしたら

美味しそうに撮るならオールドレンズが良いぞ


個人的な意見ですけど古けりゃ古い方が美味しそうに撮れます、一番はsmcタクマー50mmf1.4何でなのかはわからない。
水の入ったコップとかはコーティングの少ないレンズの方が抜群に美しい、タクマーの58mmなんかは何撮っても、しっとり艶やかに撮れます、レンズ構成とかレンズの質だったりするんだろうな

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