2021年04月22日 (木) | 編集 |
FC2トラックバックテーマ:「ついつい気になってしまう他人の行動は?」
不思議な呪文で人を消し去り… 鬼を意のままに操る…。
その正体は… 平安時代のスーパーヒーロー、陰陽師 ・ 安倍晴明 。
映画やドラマでは、超能力者のように描かれて来ました。
しかしその実像は国の陰陽寮という天文や暦を担当する部署の役人でした。
“これは、格子月進図という、安倍家に伝わっている史料です”
安倍晴明は、詳細に星々の動きを観測する天文学者のような役割を果たして
いたのです。
“星の位置に対しては、かなり正確な図だなという風に、見て取れます”
でも、どんな目的のために、天体観測を行っていたのか?
それは、星の動きをもとにした占い… 占星術です。
“天の世界、星の世界が、どういう風に人間に影響を与えて行くのか?”
“それを、天文占星術は読み取って行くわけですよね”
安倍晴明は、優れた天文知識をよりどころに、占いや儀式を行う天皇や貴族
にとって欠かせない存在だったのです。
更に最近の研究から、有力貴族と手を組み政治を動かした様子さえ、浮かび
上がって来ました。
晴明は、いかに星の世界と関わり、超人的なイメージを築き上げたのか?
いにしえの天文学者、安倍晴明。 その知られざる実像に迫ります。
安倍晴明研究の第1人者で、佛教大学歴史学部の教授です。
陰陽寮の天文部門は、星の動きを読み解く、重要な役割を担っていたといい
ます。
“天の世界と地の世界をつなぐ、媒介の役割を、陰陽寮はしていくのです”
“天文の占いをする。 現在では考えられないのですが…”
“国家公務員の星占い師という、そういう役割が、陰陽寮の人たちにあった”
陰陽寮の天文部門に属していた、安倍晴明。
実は、40歳になっても、研さんを積む日々を送っていました。
目指すは、天文部門のトップ、天文博士(賀茂保憲)です。
(保憲) さて、ここに書かれた彗星が、何を意味するのか分かるかな?
(同僚) はて、ホウキの形をしておりまして、天の掃除を行う星でありますから。
(保憲) では、お主は、どうか?
(晴明) 旧を除きて、新しきを布(し)く。 彗星出現の意味するところは、過ち多し
政に代わって、新しき者が出て来る事。 すなわち、新たな世へ変わることを
意味しております。
(保憲) さすが晴明。 よわい40となるまで、修練を積んだだけあるな!
私が退いたあとは、やがて… 天文博士かな?
(晴明) そうなれば、うれしゅうございますが…。
晴明が目指す天文博士に必要な知識とは、どのようなものだったのでしょう?
それをうかがわせる史料が、国立天文台に残されています。(東京都三鷹市)
安倍家に代々伝わって来た、格子月進図と呼ばれる星図です。
現在、残されているのは、写真のみ。 元の星図は、東京大空襲で焼失。
いわば、幻の星図なのです。
今回、歴史学と天文学の専門家に、詳しく分析してもらいました。
(歴史学) 西洋の星座とは違いますよね。
(天文学) 中国が独自に作った星座ですから、西洋とは独立していますね。
(歴史学) 星の数も、星座の数も違いますし…。
もともと、中国から伝わって来たとされる、この星図。
西暦400年頃に観測された可能性が、高い事が分かりました。
天の赤道と、太陽の通り道、黄道(こうどう)を中心に、1500近くもの星々が
記されています。 星々の多くは、線で結ばれています。
星官(せいかん)と呼ばれ、古代中国で使われていた星座です。
そして、最大の特徴が…。
(歴史学) 格子(こうし)というのは、経度・緯度の線を格子になぞらえた。
(天文学) そういう風に考えられますよね。
1度ごとに目盛りが振ってある。 方眼紙みたいなものに描いている。
よく見ると、線が、網の目のように描かれています。
実は、これ、1目盛りが、1度になっています。
星の詳細な位置や距離を把握するために、使われていました。
(歴史学) これだけ細かい経度・緯度の線を描き込んでいくというのは、他の
古い時代の星図では、そんなに見られない。
こちらは、平安時代より前に描かれた、キトラ古墳の天文図です。
星の位置を詳細に示す線は、見当たりません。
格子月進図が、いかに精密な星図かが分かります。
(天文学) 格子月進図の方は、1度ごとの目盛りの上に星を描いている。
星の位置に対しては、かなり正確な図だなという風に、見て取れます。
解析しても、誤差が、せいぜい1度。 1番大きくても2度くらいかな…。
星々の位置が詳細に描かれていた、格子月進図。
晴明たちは、この星図をもとに、天体観測を行っていたと考えられるのです。
当時、一体、どのように観測していたのでしょうか?
(天文学) 記録には、ある惑星と、ある星が、どのくらいまで近づいたと載って
いますので、そいう角度を、何かを使って観測したのだろうなというのは、想像
するのですけどね。
(歴史学) 中国の後の時代の観測器も参考にしながら、紀限儀(きげんぎ)
という、明代・清代以降の観測器。 2星間の2つの星の間の距離を測るもの。
そういう風なものに近い… もう少し合理的で簡単な観測器があったのでは
ないか?という風には想像していますね。
☆宇宙博物記☆
安倍晴明が活躍した街、京都。
今も、そのゆかりの地が、数多く残されています。
案内して頂くのは、京都大学大学院附属天文台の室長です。
研究のかたわら、天文学の名所を訪ねるツアーを企画する、すご腕の案内人
なのです。 やって来たのは、晴明の子孫が眠るという、お寺です。
晴明の伝説を伝える、貴重な史料が残されているそうです。
(京都市左京区/真正極楽寺/真如堂)
“こちらは、安倍晴明蘇生之図と、いいます”
晴明が、不慮の死を遂げ、えん魔大王の前に引き出されたという場面が
描かれています。 何だか、ものものしいでいすね…。
えん魔大王は、晴明を生き返らせる代わりに、ある使命を託します。
“民を救いなさいと… そのために、秘印を授けたとされています”
秘印(ひいん)を押したお札を持っていれば、極楽に行ける。
晴明は、そのお札を、人々に授けるよう、命じられたというのです。
なんと、そのお札の伝統は、今も残されています。
“これは、その印を押したものです。 印文になります”
“今でも私たちも、極楽に、亡くなったあとに行く事ができるというわけですね”
“そういう意味で、晴明さんと私たちも、つながっていると、いえます”
千年の時を経て、語り継がれて来た、安倍晴明の伝説。
今も、人々に親しまれているのですね!
不思議な呪文で人を消し去り… 鬼を意のままに操る…。
その正体は… 平安時代のスーパーヒーロー、陰陽師 ・ 安倍晴明 。
映画やドラマでは、超能力者のように描かれて来ました。
しかしその実像は国の陰陽寮という天文や暦を担当する部署の役人でした。
“これは、格子月進図という、安倍家に伝わっている史料です”
安倍晴明は、詳細に星々の動きを観測する天文学者のような役割を果たして
いたのです。
“星の位置に対しては、かなり正確な図だなという風に、見て取れます”
でも、どんな目的のために、天体観測を行っていたのか?
それは、星の動きをもとにした占い… 占星術です。
“天の世界、星の世界が、どういう風に人間に影響を与えて行くのか?”
“それを、天文占星術は読み取って行くわけですよね”
安倍晴明は、優れた天文知識をよりどころに、占いや儀式を行う天皇や貴族
にとって欠かせない存在だったのです。
更に最近の研究から、有力貴族と手を組み政治を動かした様子さえ、浮かび
上がって来ました。
晴明は、いかに星の世界と関わり、超人的なイメージを築き上げたのか?
いにしえの天文学者、安倍晴明。 その知られざる実像に迫ります。
安倍晴明研究の第1人者で、佛教大学歴史学部の教授です。
陰陽寮の天文部門は、星の動きを読み解く、重要な役割を担っていたといい
ます。
“天の世界と地の世界をつなぐ、媒介の役割を、陰陽寮はしていくのです”
“天文の占いをする。 現在では考えられないのですが…”
“国家公務員の星占い師という、そういう役割が、陰陽寮の人たちにあった”
陰陽寮の天文部門に属していた、安倍晴明。
実は、40歳になっても、研さんを積む日々を送っていました。
目指すは、天文部門のトップ、天文博士(賀茂保憲)です。
(保憲) さて、ここに書かれた彗星が、何を意味するのか分かるかな?
(同僚) はて、ホウキの形をしておりまして、天の掃除を行う星でありますから。
(保憲) では、お主は、どうか?
(晴明) 旧を除きて、新しきを布(し)く。 彗星出現の意味するところは、過ち多し
政に代わって、新しき者が出て来る事。 すなわち、新たな世へ変わることを
意味しております。
(保憲) さすが晴明。 よわい40となるまで、修練を積んだだけあるな!
私が退いたあとは、やがて… 天文博士かな?
(晴明) そうなれば、うれしゅうございますが…。
晴明が目指す天文博士に必要な知識とは、どのようなものだったのでしょう?
それをうかがわせる史料が、国立天文台に残されています。(東京都三鷹市)
安倍家に代々伝わって来た、格子月進図と呼ばれる星図です。
現在、残されているのは、写真のみ。 元の星図は、東京大空襲で焼失。
いわば、幻の星図なのです。
今回、歴史学と天文学の専門家に、詳しく分析してもらいました。
(歴史学) 西洋の星座とは違いますよね。
(天文学) 中国が独自に作った星座ですから、西洋とは独立していますね。
(歴史学) 星の数も、星座の数も違いますし…。
もともと、中国から伝わって来たとされる、この星図。
西暦400年頃に観測された可能性が、高い事が分かりました。
天の赤道と、太陽の通り道、黄道(こうどう)を中心に、1500近くもの星々が
記されています。 星々の多くは、線で結ばれています。
星官(せいかん)と呼ばれ、古代中国で使われていた星座です。
そして、最大の特徴が…。
(歴史学) 格子(こうし)というのは、経度・緯度の線を格子になぞらえた。
(天文学) そういう風に考えられますよね。
1度ごとに目盛りが振ってある。 方眼紙みたいなものに描いている。
よく見ると、線が、網の目のように描かれています。
実は、これ、1目盛りが、1度になっています。
星の詳細な位置や距離を把握するために、使われていました。
(歴史学) これだけ細かい経度・緯度の線を描き込んでいくというのは、他の
古い時代の星図では、そんなに見られない。
こちらは、平安時代より前に描かれた、キトラ古墳の天文図です。
星の位置を詳細に示す線は、見当たりません。
格子月進図が、いかに精密な星図かが分かります。
(天文学) 格子月進図の方は、1度ごとの目盛りの上に星を描いている。
星の位置に対しては、かなり正確な図だなという風に、見て取れます。
解析しても、誤差が、せいぜい1度。 1番大きくても2度くらいかな…。
星々の位置が詳細に描かれていた、格子月進図。
晴明たちは、この星図をもとに、天体観測を行っていたと考えられるのです。
当時、一体、どのように観測していたのでしょうか?
(天文学) 記録には、ある惑星と、ある星が、どのくらいまで近づいたと載って
いますので、そいう角度を、何かを使って観測したのだろうなというのは、想像
するのですけどね。
(歴史学) 中国の後の時代の観測器も参考にしながら、紀限儀(きげんぎ)
という、明代・清代以降の観測器。 2星間の2つの星の間の距離を測るもの。
そういう風なものに近い… もう少し合理的で簡単な観測器があったのでは
ないか?という風には想像していますね。
☆宇宙博物記☆
安倍晴明が活躍した街、京都。
今も、そのゆかりの地が、数多く残されています。
案内して頂くのは、京都大学大学院附属天文台の室長です。
研究のかたわら、天文学の名所を訪ねるツアーを企画する、すご腕の案内人
なのです。 やって来たのは、晴明の子孫が眠るという、お寺です。
晴明の伝説を伝える、貴重な史料が残されているそうです。
(京都市左京区/真正極楽寺/真如堂)
“こちらは、安倍晴明蘇生之図と、いいます”
晴明が、不慮の死を遂げ、えん魔大王の前に引き出されたという場面が
描かれています。 何だか、ものものしいでいすね…。
えん魔大王は、晴明を生き返らせる代わりに、ある使命を託します。
“民を救いなさいと… そのために、秘印を授けたとされています”
秘印(ひいん)を押したお札を持っていれば、極楽に行ける。
晴明は、そのお札を、人々に授けるよう、命じられたというのです。
なんと、そのお札の伝統は、今も残されています。
“これは、その印を押したものです。 印文になります”
“今でも私たちも、極楽に、亡くなったあとに行く事ができるというわけですね”
“そういう意味で、晴明さんと私たちも、つながっていると、いえます”
千年の時を経て、語り継がれて来た、安倍晴明の伝説。
今も、人々に親しまれているのですね!
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