心の隙間
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心の隙間

日々感じること・思うこと

「本の雑誌」のどんでんがえし特集号に載っていた本を片っ端から読んでみた。と言っても、紹介文を読んで直感的に面白そうと思った本をピックアップしたに過ぎない。他にどんな本が紹介されていたかはもう覚えていないのだから。

結論から言うと、最初からどんでんがえしを期待して読むと大して驚かない。
「泣ける映画」と銘打っている映画を「泣く」ために観に行くようなもの。
私はこれが嫌いだし、観たとしてもかえってしらけてしまう感じに似ている。

なのに、読書だと嫌悪感を抱かないのは何故だろう。
手っ取り早く「感動」を味わいたいとする一種の浅ましさを自覚するのが
読書だと薄らぐからだろうか。
よくわからないが、驚くよ、騙されるよ、と言われると、わーい、騙されたい!とワクワクしながらページをめくってしまうのだ。


さて、肝心の読書記録である。
自身の偏見に基づいた5段階評価は次の通り。

『イニシエーション・ラブ』  乾くるみ ★★★☆☆
『向日葵の咲かない夏』 道尾秀介 ★★★☆☆
『その女アレックス』  ピエール・ルメートル ★★★★☆
『ババヤガの夜』 王谷晶 ★★★☆☆
『黒い仏』  殊能将介  ★☆☆☆☆
『匣の中』 乾くるみ    ★★☆☆☆
『クリスマス・プレゼント』 ジェフェリー ★★★★☆
『さよならドビュッシー』  中山七里  ★★★★☆
『要介護探偵の事件簿』 中山七里  ★☆☆☆☆
『名探偵のいけにえ』 白井智之  ★★☆☆☆
『星降り山荘の殺人』 倉知淳 ★★☆☆☆
『最後のページをめくるまで』 水尾大海  ★★☆☆☆
『友だち』 シーグリット・ヌーネス ★★★★☆
『まるで天使のような』 マーガレット・ミラー ★☆☆☆☆
『異常』 エルヴェル・テリエ ★★★★☆


「やっぱり小説は地の語りが面白くなきゃ」とゲッコーさんも言っていたけど、私も同感。
いくら最後の一撃をくらっても、話に魅力がなければ、ああそうだったのねで終わる。
★三つ以上のものは、「地」の話が面白いと感じ、好きだと思ったもの。

読んでよかったのは『友だち』 
ミステリーではないので、どんでん返し的なものはどうでもよく楽しめた。
自分好みの小説だったのかもしれない。

期待外れだったのは『まるで天使のような』
主人公の探偵の事件に執着する動機がまるで理解できず、共感も難しかった。
古臭かったのか、訳が悪いのか、設定は面白いのに惜しいように思う。
それに、すれっからしの私は途中で最後の「オチ」がわかってしまった。

それと、『黒い仏』
まあビックリしたといえばしたけど、本の雑誌の三人の評論家?が第一位に選んでいたのはそういう意味だったのね、という大どんでんがえし。


どんでんがえしものばかり読んでいたから違うジャンルを読みたくなって、
カズオ・イシグロの『クララとお日さま』を読んだ。
大好きな『日の名残り』と『わたしを離さないで』を彷彿とさせるお話。
すごく好きだ。

そういえば、『私を離さないで』は、どんでんがえし小説でもあるような気がする。
介護人という職業に就く主人公、子どもの頃に育った施設での思い出、
だんだん明らかになる事実・・・と、その衝撃は大きかった。


半年前から準備期間に入り、お盆休みも返上して働いて、2週間前から夜10時前には帰れないほど忙しさに追われて準備してきたあるイベントが終わった。
ほっとしているのは確かだが、達成感などみじんもない。
一部の人たちの見栄とメンツと欲を満たすだけの仕事。
それがアンタの仕事でしょ、と言われればその通り。
私はじゅうにぶんにやったと思う。
だけど、くだらない。

―慰労会やるからなー
うんざり。

―仲間だろー
思ったことない。

これから事後処理に2週間ほど掛かるだろう。
ああ、ほんとにくだらない。


今はここ数年のうちで最も忙しい時期だと思われ、仕事以外のことがほとんど出来ていないのだけど、昨日久しぶりに違う世界にお出かけしてきた。
中村達也のドラムソロライブ。
曲も喋りも休憩もない、一時間ドラム叩きっぱなしという信じられない体力と集中力を見せつけられたライブ。

中村達也はエネルギッシュな見た目もカッコいいドラマ―というイメージだったんだけど、今回おじいちゃんのように背中を丸めてひっそり入場してきて、無言でドラム叩き続けて(これはもちろんエネルギッシュなんだけど)、また背中丸めて無言でとぼとぼ去っていくという、なんか別の世界に行ってしまった人というか、演奏も
神がかっているというか、妙な具合に圧倒されてしまった。
自分も久しぶりに別世界に行けてよかったと思う。


パンクしたタイヤを交換したばかりだというのに、昨日は車のボディーに傷を付けました。自損事故です。
家を出てすぐにふと金魚鉢の水の取り替えを忘れたことを思い出して戻ろうとしたのがいけなかったみたい。詳しい説明は端折りますが、左側のドアのところをガリっとやって、そのまま修理工場に直行しました。

自賠責保険を使うか使わないかで迷いましたが、板金だけで済みそうだと言われたので保険ナシで修理してもらうことにしました。
保険使って保険料が上がるのと、一時的な出費とを天秤にかけでそう判断したけど、ビミョーです。
タイヤ交換もそうだったけど、予定外の出費が非常に痛いです。

あ~あ、これはほんとに自分のせい。ガッカリもいいところ。
重ね重ね、どうしてこんなにバカなんだろうと思わざるを得ません。
今は修理のあいだの代車もぶつけてしまったらどうしようと、気が気じゃありません。それでなくとも乗り慣れない車を運転するのは緊張するのに。


まあしかし、
ガッカリばっかりじゃあんまりなので、良いことも書きます。

地元のグループ展に出品する友人夫妻が一昨日からウチに泊まっています。
彼らの家は少し遠いのだけど、展示会場がウチのすぐ近くだからウチを利用してもらったのです。

夜は3人で外に食事に出かけ、奢ってもらっちゃいました。
そこは隠れ家みたいなお店で料理も絶品。
美味しいもの好きの友人夫妻にも気に入ってもらえたし、お喋りも楽しくて、家に戻っても話が尽きなくて、いっとき落ち込んだことがどうでも良くなりました。

あと、本の雑誌のどんでん返しミステリーの特集号に載っていた本を10冊チョイスして図書館に注文していたのが届きました。
どんでん返しものって大好き。してやられた感がたまらない。
今から読むのが楽しみです。



「ガックリ」の次は「ギックリ」かって?

はい、そうです。

「ガックリ」の日記を書いた土曜の夜中にギックリ腰になりました。

 

よくわからないけど腰が固まってしまい、立つのも横になるのも辛く、椅子に座っている以外はほぼ動けませんでした。

日曜の午前中が痛みのピークで、ソロソロとしか歩けないし、床に落としたものも拾えません。

しかし、お昼過ぎにお風呂に入ったら痛みが引くのがわかりました。

夕方には車の運転もできそうだったので買い物に行ったし、月曜からは普通に仕事に行ってます。

 

ところが今度は・・・

火曜日の夕方、車の後方左タイヤがパンクしました。

この数日でガックリ、ギックリ、バックリ の三連発です。

 

でもまあ、ギックリ腰は順調に回復しているし、パンクして事故を起こしたわけじゃないし、タイヤも今日新しいのに取り換えて、今は順調に走っているから、ヨシとすることにします。

最悪なときは乗り切ったト・・・

 

昨日の話。
 今年に入ってから、まだ身体の無理が利く今のうちにバレエをいっぱいやろうと決意して、週に三回も四回もレッスンしていたのだが、6月くらいから残業が続いて教室に行けず、7月中は2週間に一度行くのがやっとだった。
今月はなんとか・・・と思ったけど、お盆休み中も休出していたくらい忙しくて、昨日やっと「今日こそ絶対行くぞ!」とバッグにレオタード類やシューズやタオルを詰めて、水筒にもスポーツドリンク剤を混ぜた水と氷を入れたりして朝から準備して張り切っていた。

ところがである。
仕事を終えてバレエ教室の駐車場に車を停め、いざ行こうとしたら後ろの座席に置いてあるはずのバレエ用品を入れたバッグがない。
え?・・・
一瞬あたまが真っ白になる。そしてやっと家に忘れてきたことに気づいた。

あ~あ、なんてバカなんだろう。
これが毎日のようにレッスンしていた時期だったら諦めも付いただろうが、今日は何週間か振りのレッスンだったのだ。
しゅるしゅるしゅる~と気が抜けて、ガックリと項垂れる。

車にバッグを積んでいないと気付く機会は何度もあったはず。
朝、家を出るとき。車に乗る時。仕事用のバッグを後ろの座席に置く時。
職場について仕事用のバッグとお弁当のバッグを出す時。
昼、銀行に行くため車に乗った時。
夜、バレエに行くため車に乗り、仕事用のバッグを後ろの座席に置いた時・・・

なんにも気が付かなかった。
むしろ私の頭の中にはバレエ用バッグはずっと車の後ろ座席に乗っていたから、現実には無いのが不思議なくらいだ。

いちおう先生には挨拶しておこうと教室の扉を開けた私の姿を見て、先生が速攻でひとこと。
「あらKiyoryさん、またバレエバッグ忘れたの?」


そう、これは初めての経験ではありません。
何度かやってる。
ほんとバカ。


まあね、見る夢のほとんどがいやな夢で、楽しい夢というのを見なくなって久しいので、ことさらいやな夢ってこともないのだけど、珍しく詳細に覚えているので書き留めておく。

時代は1990年代っぽい。
場所は小ぶりの体育館くらいの広さの研究開発工場のようなところ。
そこで30人くらいの人たちが働いているのだが、個別の機械で特殊な金属加工を試みている人たちと、コンピュータを使ってそのデータを分析している人たちが入り混じっている。
私はそのどちらにも属していなくて、部屋の片隅の席で庶務仕事をしている。

昼休みから戻ると、机の上にあったパソコンがない。
ディスクの側面に貼ってあった付箋だけが机の上に残っているだけ。
驚いて周りの人たちに 「ここにあったパソコンはどこにいったんですか?」 と訊くと、「ああ、片づけたよ。なんか壊れているみたいだったから。」なんて言う。

「え~!どういうこと? さっきまで普通に使っていたし、私まだ仕事の途中なんだけど。」と言うも、皆、部長が処分しろと言ったんで撤去したの一点張り。

確かに私の席にあったパソコンは私一人が使っているわけではなくて、傍にある機械の製造実験情報も吸い取っていたので、時々作業者がそれを見るために使用することもある。
その際に何か問題が生じたのかもしれない。
しかし、それにしてもだ。
私は私でそのパソコンで仕事をしていたわけで、自分に何の断りもなく勝手に処分されたことに猛烈に腹が立ってきた。
だから抗議するために役員室に駆け込んだ。

そこには櫻井よしこに似た部長がいた。
いったいどういうことですか。ひどいじゃないですか、と抗議すると、
その桜井よしこは
「あなたの言っていることはナントカカントカ・××××みたいね。」
と、フランス語っぽい知らないカタカナ言葉を使ってはぐらかし、ニヤニヤしている。

「え?なんて仰ったんですか?それはどういう意味でしょう。」と言うと
「あら、あなた、ナントカカントカ・××××も知らないの?」と、小馬鹿にした態度で、傍にいた人に 「田中くん、知ってるわよね。」と呼びかける。

すると田中くんという人が、「えーと、どうでもいい事実。意味のない出来事ってことですかね。」と答える。

櫻井よしこはニヤニヤしたまま、どう?という顔で私を見る。

意味のない出来事って・・・
私は屈辱と怒りで頭がぼーっとなって、「わかりません、意味がわかりません!」と言うことしかできない。

いたたまれなくなって部屋を飛び出し廊下をズンズン歩く。
歩きながら、この現状を誰かに訴えたいと思うが誰も思いつかない。
歩いているうちにまた怒りが込み上げてきて、辞めてやる!こんな会社辞めてやる!と思ったところで目が覚めた。


寝付けないまま2時間ぐらいウトウトしていたときに見た夢である。
なんだか、まともに抗議もできないバカ丸出しの自分を認識するいやな夢だった。


この一ヶ月ほどめちゃくちゃ忙しくて残業続きだったので、バレエのレッスンにも行けず、血流が滞った感じの身体を抱えてどよ~んとしていました。

私は座り仕事をしていることが多いので、すぐに運動不足になります。

やっぱりある程度身体を動かしていないと元気になれないんだな、と改めて思いました。

 

かといって家に帰ってから軽くストレッチなんてこともやる気になれず、お風呂に入ることもおっくうで、少し不眠症気味でもあるので、身体の循環機能が低下して疲れがどんどん溜まる悪循環に陥っていました。

 

こんなときはTVも点けられない。

ニュースを見ると気が滅入ってしまうし、バラエティーのタレントのしゃべりも気に障ってイライラしてしまいます。

音がダメなので音楽も聴けない。

好きなお酒もなぜか不味く感じて飲めない。身体が受けつけない感じです。

自分から何かを発信する気にもなれないのでブログも無理。

じゃあ家の中で何をしているかというと、

無音の暗いところで何時間もじぃっとして・・・

 

いうのは嘘で。。。

このどよ~んとした気分の中でかろうじて出来たことは、料理とスマホゲームと読書でした。

幸いなことに今回は食欲が落ちなかったので、料理は真面目に作って毎日しっかり食べていました。
ただし、単に食べることに執着していただけという感もあって、動いていないのに食べ過ぎるくらい食べていたから、ずっと便秘気味でした。

ゲームは単純なパズル系のやつを何時間もやり続けました。

やめられなくて、このままだと依存症になるなと思って読書に切り替えたら、これが意外にもスムーズに移行できたので、かなりの量の本を読んだと思います。

まあどちらも没頭することで現実逃避していたような感じですが、本もまったく読めないという状態を経験したことがあるので、今回は読めただけマシ。
助かりました。

 

三日前から映画も観るようになって、昨日は5本もぶっ続けで観てしまいました。

たぶんまた音楽も聴けるようになるでしょう。

日曜日の今日は、掃除して、洗濯して、天気だから布団干して、日光浴もして、こうしてブログも書こうという気になってきたので、いい兆候です。

今夜はよく眠れるといいな。

 

7月4日を過ぎればひと段落です。

バレエのレッスンも再開できそう。

もうじき、どよ~んとした気分から抜け出せるかもしれません。


こないだの土日に、地元の公園で「クラフトフェアまつもと」が開催された。
陶磁、木工、漆、染色、織物、ガラス、金属、皮革、竹など様々な工芸品の作り手たちが一堂に集まり、それぞれのテントでお店を開くお祭りだ。
とても一日では回り切れないほどの出店数で、今回はコロナ禍から3年ぶりの開催だったし、お天気も良かったからけっこうな盛況ぶりだった。

我が家にはそれを見に来る目的の友人が二人、東京と新潟からやってきた。
東京のSちゃんは陶芸をやっているし、新潟のYちゃんは織物をやっていたので、こういう催し物が大好きなのだ。
Sちゃんはいつかここに出展できるようになりたいらしいので、視察に来たともいえる。

ここ松本のクラフトフェアは、創作活動をしていても発表の機会が少ない無名のクラフトマンたちを応援するという目的で、1985年に全国で初めて開催された歴史を持つ。
そのせいか今では各地で開かれるようになったクラフトフェアの中でもレベルが高いと評判だ。
年々参加希望者が増えて審査制になり、ちょっとした作家気取りの人が応募してもなかなか選考審査を通らないらしい。
実績も選考の内なので、その世界ではそこそこ有名な人も出展している。
だから年々洗練された作品が並び、買おうとすればお値段もそれなりに高い。

ただ、手作りの一点ものに弱い人々にはたまらない魅力のイベントだろう。
なんせ作家と直接お話できて、それによっては値段交渉も可能なのだから。
そうか、出展する人は企業や個人店からのオファーとか、営業も兼ねているのかもしれない。


それはそうと、遊びに来た二人は金曜日の夜から家に来て、三泊して帰った。
おしゃべりで夜を明かしたり、土曜の夜は今回のクラフトフェアに出展している木工家の友人夫妻も呼んで宴会したりと、久しぶりに「交友」した感じがした。
新潟のSちゃんとはお正月に会っているけど、東京のSちゃんとは15年ぶりだし、木工家の夫妻とも考えたら6、7年くらい会っていなかった。
だから昔話に花が咲いたりして楽しかった。

以前は、わりとよく人を家に招いていたりしたものだが、ここ数年コロナで世の中が止まってそれが出来なくなってみても、別段その状態が寂しいとも思わず過ごしていた。
人に会いたいとか遊びに行きたいとも思わず、逆に人と会わないって楽だなあと感じていた。
このまま誰とも交友を絶ったとしても、それはそれでいいように感じるし、自分は実は人嫌いだったのだ、とも思った。
でも今回のように、会えば会ったで楽しく感じる。

Yちゃんから、Kiyoryは昔から「来る者拒まず去る者追わず」だったもんね、と言われ、あぁなるほど、その通りだわと思った。
人嫌いというより、人に執着しないタイプなのかもしれない。
Yちゃんから言わせると、それが冷たく感じることがあると。
少し冷血人間っぽいらしい。

でも、楽しかったと言われれば、「またいつでもおいでよ。」と返すときの私は、嘘は言っていないのである。


先日、一泊の出張で岐阜に行った際、長良川の鵜飼を見物する機会に恵まれた。
鵜飼とは飼いならした鵜を使って鮎を獲る漁法で、1300年の歴史があるそうで、屋形船に乗って漁を間近で観ることができる。
観るのは初めて。
最初、縄で括られた鵜が魚を飲み込んだら胃から吐き出させるというイメージだったので、動物虐待じゃないの?と思っていたけど、船頭さんの話によると、鵜は魚をまるごと飲み込むのではなく、喉に巻かれた綱のところで止まっている状態らしい。だから楽に吐き出せるのだと。
それに小さい鮎は飲み込んでしまえるのだとか。
じゃあ小さい鮎だけ狙ってお腹一杯になろうとする鵜もいるのでは?と質問すると、その通りで、だから鵜匠は一羽一羽の性格や今日の状態を見て、それぞれ綱の緩みを調整するのですよと教えてくれた。
綱がキツすぎて一匹も喉を通らないと鵜はやる気をなくしすし、かといってユルユルで全部飲み込ませたら、満足してその日の漁をしなくなるから加減が難しいのだとか。

鵜匠は通常20羽くらいの鵜を飼っていて、家族同然に面倒をみて、毎日健康状態をチェックして、その日の漁に連れて行く子を10羽くらい選抜するのだとか。
歳を取って漁が出来なくなった鵜も最後まで面倒を見て看取るという。
野生の鵜は普通で5,6年の命だけど、鵜飼に飼われている鵜は15~20年生きる・・・

そんな話を聞きながら観ていると、鵜匠と呼ばれる人と鵜の呼吸がぴったり合っていて、鵜匠の手綱さばきも見事だし、鵜は健気に漁をするしで、なんだかジーンとしてしまった。
雄大な長良川の夜の闇に浮かぶ小舟と漁火。
そこで行われている鵜飼の情景は文句なしに優美だった。

でも、ふと考える。鵜のことを。
手厚く保護されて、飼い慣らされて、人と信頼関係を築いて・・・
幸せなんだよね、と思いたい。
けな気で一生懸命なだけに、どうしても かわいそかわいい という気持ちになる。