日本で3番目、北海道初となる旧幌内鉄道は、 三笠にあった幌内炭鉱から石炭を道外に運ぶ、小樽港までの交通路として開業しました。
前回は、旧幌内鉄道の終着駅の三笠側の鉄道イベントを更新しましたが、 今回は始発駅の小樽側のイベントを紹介します。
小樽にあった旧手宮駅は、最初につくられた、いわば北海道の鉄道発祥の地です。 明治13年に開業し、機関区も併設されました。機関車の車庫のほか、給水塔や給炭設備が備わっていたばかりか、石炭の保管庫もあるなど、海上輸送のための石炭輸送基地の役割を担っていたのです。
その後手宮駅は、昭和60年に手宮線(~南小樽駅)の廃止にともなって廃駅となっていますが、駅跡は現在、小樽市総合博物館本館として活用されています。 施設には、「北海道鉄道開通起点」という標をはじめ、アイアンホース号が構内を走り、蒸気機関車「しづか号」が展示されるなどなど、鉄道草創期の手宮を今に伝える充実の内容。
さて、その豊富な展示のなかでも、今春、話題を集めているのが、平成18年度から保存修理工事を行っていた国内最古のレンガ造機関車庫・重要文化財『旧手宮鉄道施設機関車庫三号』の公開です。
機関車庫三号の一般公開 4月29日(木・祝)~
機関車庫三号は、明治18年(1885)に「煉化石造機関車室」としてつくられました。室内は、間仕切り壁で東側に1室、西側を車両2台分の空間に区分され、西側は中央に石造り八角形の柱が建ち、小屋梁が設けられています。 東側は機関車を吊り上げて修繕することができる構造にするため、壁厚を増し、小屋組を補強しているのが特徴。
また建築材の赤レンガは、明治20年以前によく見られた、今では大変希少な「フランス」積み(一般的なのはイギリス積み)。 北海道のレンガ産業の発展に、鉄道が果たした役割は大変大きなものでした。
今回の修理では、上部に立つ3本の煙突を使用可能な状態に復旧したそうで、小樽の発展を支えた明治後期の姿が見事に再現されていると評判です。
本館では、機関車庫三号の公開を記念した企画展も用意されています。 企画展「鉄路が運んだもの―機関車庫三号公開記念」 4月11日(日)~6月30日(水) 機関車庫三号の公開と幌内鉄道開通130年を記念し、北海道の鉄道の歩みを紹介。
小樽市総合博物館 本館(小樽市手宮1丁目3番6号) 0134-33-2523
幌内鉄道というと、豊平川の架橋工事に触れないわけにはいきません。 わが国有数の急流河川・暴れ川に鉄橋を架ける―。幌内鉄道工事のなかでも、最大の難工事と語り継がれるほどでした。 豊平川と橋は、鉄橋に限らず豊平橋も東橋も、架けては破壊されるの繰り返しでした。
さて道内初となる幌内鉄道の豊平川鉄橋の架橋。 明治13年に手宮~札幌間がまず開業し、いよいよ内陸へ、一日も早い幌内への伸長が待たれるなか、豊平川鉄橋の工事ははじまりました。 豊平川の水量は、幌内鉄道が渡る他の川とは比較にならない水量で川幅も広いため、官営幌内鉄道建設を指導したアメリカ人技術者ジョセフ・ユリー・クロフォードは鉄橋を設計しましたが、翌14年4月と5月の融雪洪水で仮設置の鉄橋や両岸のレールが流出、なんと勲四等旭日章まで授与されたクロフォードが解任される事態に。
鉄橋設計は日本人技術者に引き継がれ、なんとか架設架橋が設置され、明治15年11月13日に幌内鉄道は全線開通しました。結局、鉄橋の改良は翌16年にまでかかってしまったそうです。
ちなみに今回公開される機関庫は、クロフォード設計のものといわれています。 クロフォードの英知、元薩摩藩士で開拓使長官・黒田清隆の英断。わが国近代化に挑んだ人々の姿もまた、幌内鉄道には刻まれているのです。
テーマ:札幌/北海道の地域ネタ - ジャンル:地域情報
|