社団法人土木学会が、日本国内の江戸時代末期から終戦にかけての優れた土木技術が施された歴史的建造物のうち、保存に資することを目的として顕彰する、権威ある制度『土木遺産』
10月15日、『2009年度選奨土木遺産』が発表され、北海道からは、狩勝信号所跡(新得町)と、小樽港斜路式ケーソン製作ヤードとともに、 旧深名線の第3雨竜川橋梁が選ばれました―
写真提供元/「北海道無料写真素材 DO PHOTO」 http://photo.hokkaido-blog.com/
昭和6年に完成した「第三雨竜川橋梁」は、ポン・カムイコタンという雨竜川上流の渓谷に架けられた鉄橋です。
長さは約101mですが、谷が深いことから、両端の柱からケーブルをぶら下げて材料を運び、組み立てる「ケーブルエレクション工法」を道内で初めて採用した画期的な構造物。 その分、大変難航した工事だったそうです。
経済性と工期短縮を考慮した昭和初期の地方鉄道建設の様子を今に伝える、というのが選考理由だそうです。むしろ遅かったぐらい、以前から評価の高かった鉄橋でした。
場所は、道の駅「森と湖の里ほろかない」(雨竜郡幌加内町字政和第一)の手前だそうです。
とにかく、北海道における鉄道技術の進展は、めざましいものがありました。 明治に鉄道技術が入ってまもなく、日本で3番目に小樽手宮から三笠幌内間の幌内鉄道が石炭輸送のために敷設されると、あっという間に北海道全体に各路線が広がりました。
特長は、広大な土地を開拓したアメリカの鉄道技術を、日本で初めて導入したことでしょうか。 かつて大自然の中を黒煙を上げて架け抜けた機関車に、骨太さを感じずにはいられません。 国有と民間を合わせて、山間の深い渓谷にまで、くまなく鉄道網が発達したのです。
しかし、その衰退も早いものでした。 北海道の鉄道の各路線は、石炭輸送をおもな目的に敷設・延長されたので、石炭産業の急速な斜陽化により、路線も縮小され、今は地方の過疎化で、さらに縮小されました。
この旧深名線第3雨竜川橋梁は、北海道が日本のエネルギーを支えつづけ、ゴールドラッシュに沸いた、古き良き時代をもしのばせます。
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