約2ヶ月ほど前、
わが子のクラスにペリーが来航しました!
龍馬でもなく、西郷どんでもなく、日本の近代化のトビラをこじ開けた異人さん。 まぁ、それからわが家では、空想上のペリーのマネをしたり、ちょっとしたブームだったのですが、 ペリーに次いで、日本を近代化へ導いたのは、この人かもしれません。
ベンジャミン・スミス・ライマン (見ないでスムーズに言えると、ちょっとした優越感!)
写真を見ると、ちと伊藤博文氏を髣髴とさせる頭髪とヒゲ。 このURLで晩年のライマンが見られます。 http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/photo/image/l/0B036510000000000.jpg
ベンジャミン・スミス・ライマンは、明治政府が招いたお雇い外国人の一人で、鉱山地質学者です。 マサチューセッツ州出身のハーバード大学出。アメリカ各地で地質調査を行い、実績を買われ、日本にやってきました。
折りしも日本は、文明開化到来。 明治政府は北方警備と、戊辰戦争や西南戦争等の処理を兼ね、北海道開拓を急ぎました。 その柱は屯田兵制度と炭鉱開発。
ベンジャミン・スミス・ライマンは石炭の調査のため、明治7年から北海道で調査を進め、幾春別川にて幌内炭田(三笠市)を発見! 石炭というエネルギーを持ち、鉄道がつぎつぎに敷かれるなど、日本は(北海道は)急速な近代化が進みます。 なお、ライマンは北海道で始めて、本格的測量を行った地質図「日本蝦夷地質要略之図」をつくりました。 http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/map/doc/0D003810000015.html
「ココノ 上流ニ アルヨ!」
と言ったかどうかはわかりませんが、ライマンは夕張川上流に大規模な炭層があると指摘します。(ライマンはほかのお雇い外国人と違って、来日直後から日本語を勉強したといわれています) 日本人助手も育て、その後、夕張川支流の志幌加別川等で、助手の坂市太郎が石炭の露頭を発見します。
空知炭田も含めた、いわゆる日本最大の「石狩炭田」の開発です。 ちなみにクラーク含むお雇い外国人は、ほんの数年しか日本にいません。
さて、 炭鉱があった時代、石炭を洗うため、産炭地から流れる川は真っ黒でした。 きれいな水でしか生きられない魚は、その川には棲めません。
夕張川はかつてサケの漁場だったという記録が流域の町史などに残ってますが、夕張川のサケは石炭の産出が始まってから千歳川へ転じた、という説もあります。 (むかし夕張川は千歳川の支流だった)
幌内炭鉱のあった幾春別川にもサケがいなくなりましたが、住民のカムバックサーモン運動で、今ではサケが帰る川に再生しました。 ヒトに使われつづけた川には、特別な想いを抱いてしまいます。
現在日本では、発電など、かつてないほど石炭を使っているのだそうです。 その、ほとんどは輸入。くわえて石油高騰の社会情勢の中、ふたたび国内の石炭に注目が集まってるというのですから、驚きです。
夕張市では、現在も良質の石炭が大量に眠っていると言われ、環境への負荷の少ない露天掘りを考えているそうです。
北海道新聞の記事 夕張市、石炭採掘権の更新目指す http://www.hokkaido-np.co.jp/news/yuubari/82301.html?_nva=17
ライマンが貢献した日本(北海道)での炭鉱開発。 とくに夕張市は単純に炭鉱のために拓かれ、農業にも適さぬ地と言われていました(夕張メロンを開発した人々はスゴイ!) 北海道でふたたび石炭の活発な産出が始まるのか、 川への影響も含めて、考えさせられる問題だと思いませんか?
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