江別市発祥の地、対雁の世田豊平川の終着点で、石狩川が向こうに見える場所に、榎本公園があります。
江別第1工業団地内の世田豊平川の緑地帯を利用した、1haの公園は防風林に囲まれ、ひっそりとしていました。
ここは対雁ゆかりの地として、対雁百年記念碑と、ある人物の顕彰碑が建っています。
榎本武揚――
明治元年海軍副総裁となった榎本は、江戸城開城後、官軍による軍艦の接収を拒否し、抗戦派の幕臣とともに開陽丸など幕府艦隊を率いて脱出。 蝦夷共和国の設立という大いなる夢を持って、新選組や奥羽列藩同盟軍、松平定敬らとともに、北海道に足を踏み入れます。
わたしは、北海道開拓に尽力した黒田清隆ら旧薩摩藩の志士達を尊敬してますが、最後の望みを北海道に託した旧幕府軍に、道産子のひとりとして心動かされます。 土方歳三もいるし(笑)
さて、榎本ら旧幕府軍は江差や函館を統治していた松前藩を撃破し、函館五稜郭に入ります。日本初の選挙によって総裁に選ばれた榎本武揚。 欧米を見聞し、北海道を欧米のような酪農王国にしたいという夢を持っていたといいます。
その後、函館総攻撃により明治政府軍に鎮圧され、函館戦争は終わりますが、首謀者である榎本武揚は総裁から一転、罪人に。 しかし彼の能力を高く評価した黒田清隆の庇護のもと、その後は北海道開発に全力を注ぎます。
この間、榎本は、ここに農場を開きました。
皮肉にも、函館総攻撃の指揮官だった黒田清隆に命を助けてもらい、北海道開拓の結果で応えた榎本。清々しい歴史の1コマです。
榎本武揚顕彰碑は、高さ7メートルの円柱型台座の上に、馬にまたがりフロックコートに脚絆姿の榎本武揚のブロンズ像が建てられています。
そしてそして、台座は星型! 五稜郭のシンボルなんです。これには胸が熱くなりました。
彼の悲喜が集約された五稜郭。 どこのどなたが考えたかは知りませんが、小憎い演出に、まんまと感動してしまいました。
北海道にある銅像といえば、羊ヶ丘公園のクラーク博士。 ビミョーにポーズが近いんですが、滞在期間が短かったクラーク博士に対し、榎本武揚は北海道と強くつながった全国区の歴史上の人物。
もっと榎本の功績をクローズアップし、榎本公園が有名になってもいいと思う。
そして、わたしはもっと榎本武揚を知りたいと思いました。
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