歴史的土木構造物の保存に資することを目的に、土木学会が選奨する「土木遺産」の平成23年度分が、14日に公表されました。
本年も、北海道の河川関連が選ばれています。どこかと言いますと、、、じゃーん!
夕張川新水路
夕張川は、かつて夕張太で千歳川に合流する千歳川の支川でした。 しかし、南幌町と長沼町の堺を蛇行しながら流れる夕張川の最下流(現在の旧夕張川)は、大雨のたびに氾濫を繰り返していました。 大量の流木が流れてきて、大きく蛇行するところに引っかかって貯まり、被害をさらに大きくさせる洪水の元凶。これが、現在も地名として残る長沼町の木詰地区です。
両町の発展をさまたげる夕張川洪水を根絶するため、両町の堺に入る前に、幌向原野に新たな水路を掘削して、夕張川を直接石狩川に流す、夕張川新水路が計画され、大正7年に工事が着工されました。
しかしここは軟弱な泥炭地で、ひどいところは機械で掘ることができず、人力に頼ったというのだから、すさまじい労苦がしのばれます。 さらに、金融恐慌や満州事変などの国難による財政難で、工事が中断される事もしばしばありました。
そのたびに、町の有志達は運動を展開し、河川技術者も政府への陳情をねばり強く繰り返したそう。 この間も、洪水は容赦なく地域を襲う―
さまざまな苦労を乗り越え、ついに昭和11年、夕張川新水路は完成し、夕張川は石狩川の支川になりました。 新水路の完成後、入植が進んで、南空知を代表する穀倉地帯が形作られていきました。
現在、夕張川新水路の両岸には「なんぽろリバーサイド公園」がありますが、園内には確か、事業の陣頭指揮を執り、工事が中断されると政府に陳情するなど、夕張川新水路に尽力した河川技術者の保原元二氏の銅像があるはず。 大学卒業後に、当時は国の機関だった旧北海道庁に入ってすぐに夕張川の担当になり、新水路完成後に退任した、まさに生涯を夕張川新水路に捧げたような方です。 また、保原氏を主人公にしたドキュメンタリー映像「夕張川〜治水に命を賭けた男達」という作品もあったと思います。
この銅像は、恩人として現在も敬いつづける両町によりつくられたもので、南幌町では毎年7月1日に治水感謝祭を行っています。 むかしはこの日は公休だったというから、夕張川の洪水がいかに町の死活問題だったかがうかがい知れます。
夕張川新水路を思う時、大自然と人との壮大で壮絶なドラマが心を駆け巡るー これぞまさに北海道のフロンティアスピリットを象徴する、大きな大きな遺産にほかならないと思います。
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