イラン文学の巨匠とされるサーデグ・ヘダーヤトの『生埋め ある狂人の手記より』(石井啓一郎訳 国書刊行会)は、リアリズム風の作品もあるものの、大部分は広義の幻想小説として読める短篇集です。
「幕屋の人形」 パリに留学したイラン人の青年が、店に陳列したマネキンに恋をしてしまいます。イランに戻ってもマネキンを寵愛する青年に対し、許婚の少女は複雑な気持ちを抱きますが…。 「人形愛」をテーマにしており、結末まで完成された感のある作品です。
「タフテ・アブーナスル」 考古学者ワーナー博士は、タフテ・アブーナスルの丘発掘調査の際、男のミイラを発見します。一緒に見つかった遺書によれば、ある儀式を行えばミイラは甦るというのです。周りの人間は半信半疑ですが、博士は儀式を実行します…。 ミイラの復活も面白い題材なのですが、それ以上にミイラの復活それ自体が、過去に生きた女性の復讐手段であった…という、複雑なテーマを持つ作品です。過去の情念が時を越えて甦るというロマン性の高い作品。
「捨てられた妻」 子まで成しながら自分を捨てた夫の居場所を突き止め、押しかける妻を描く物語です。夫の変心を受け入れた後の、妻の心の動きが強烈で、インパクトがありますね。
「深淵」 親友が自殺し悲しむ男が、ふとしたことから、親友は妻と浮気をしたのではないかと疑い出します。疑心暗鬼が、どんどんと男を破滅に引き込んでいくという心理小説です。これは読み応えがありますね。
「ヴァラーミーンの夜」 最愛の妻の死後、夜な夜な妻が好きだったタールの音楽を耳にする夫の物語です。ゴーストストーリーと思いきや、現実的な結末が待っています。結末とそれまでの展開の落差が面白い作品です。
「生埋め」 自殺志願の青年が毒を飲むものの効果は現れず、死について独白を繰り広げるという作品です。どこからどこまでが現実に起こったのかわからないという、幻覚小説の趣もあります。
「S.G.L.L.」 近未来を舞台に、生物から性の欲求をとりはらってしまう血清をめぐる物語。全人類に対して血清の投与が行われますが、血清には免疫機能を無効化してしまうという副作用があったのです…。 人類自らが滅びの道を選んでしまうという破滅SF的な作品です。
ヘダーヤトは、ベルギーやフランスに留学し、ヨーロッパ文学全般に親しんだ作家だそうで、作品を読んでいてもそれは感じられます。全体にヨーロッパ的な香りの強い作品集で、一味違った幻想小説集として読んでも楽しめる短篇集です。
テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学
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