高橋知之編訳『19世紀ロシア奇譚集』(光文社古典新訳文庫)は、知られざる19世紀ロシアの幻想小説を集めたアンソロジーです。全七篇収録ですが、トゥルゲーネフ作品以外は本邦初訳とのこと。 全体に「軽み」「ユーモア」が感じられる一方で、物哀しさや哀愁の感じられる作品も多い印象です。
アレクセイ・トルストイ「アルテーミー・セミョーノヴィチ・ベルヴェンコーフスキー」 (1845) 馬車が壊れたため立ち寄った村で、そこの地主「アルテーミー・セミョーノヴィチ・ベルヴェンコーフスキーの屋敷に世話になることになった「私」。アルテーミー・セミョーノヴィチは発明家の奇人で、「私」にたびたび奇怪な発明品を見せて回りますが…。 奇人で発明家の地主に出会うという物語です。アルテーミー・セミョーノヴィチの発明がどれも役立たずでシュール。永久機関を真面目に考えているなど、エキセントリックの塊のような描写が楽しいユーモア奇談になっています。
エヴゲーニー・バラトゥインスキー「指輪」 (1832) 貴族ドゥブローヴィンは、その優しさから農民たちを助けており、経済的に困窮していました。隣人のオパーリスキーは資産家ながら、吝嗇な変わり者との噂もありましたが、ドゥブローヴィンは援助を求めて訪ねていくことになります。 ドゥブローヴィンと対面したオパーリスキーは、ドゥブローヴィンのしている指輪も見るなり、次々と彼に支援を続けることになりますが…。 「魔法の指輪」をめぐる幻想的な物語です。願いをかなえる不思議な指輪が登場しますが、こちらをめぐって一人の男の不遇な人生が語られることになるという、ちょっと哀愁を帯びた物語となっていますね。 最終的に超自然性は否定されてしまうのですが、挿話の形で語られる幻想譚はとても魅力的です。
アレクサンドル・ヴェリトマン「家じゃない、おもちゃだ!」 (1850) 家の精ドモヴォイの住む二つの屋敷には、それぞれ祖母と暮らす少年ポリフィーリー、祖父と暮らす少女サーシェンカが暮らしていました。互いに過保護な状態のポリフィーリーとサーシェンカは、それぞれの理由から違う性別の格好をさせられ、互いに性別を勘違いしていたまま友人となります。 長じて二人は恋仲となりますが、家をめぐる対立から喧嘩別れしてしまいます。一方屋敷の改築をめぐって二人のドモヴォイの間でも対立が発生することになります…。 繊細で世間知らずの少年少女のロマンスと共に、家の精ドモヴォイの対立が描かれる、コミカルな雰囲気の幻想小説です。 世間知らずで繊細に育てられたため、互いに奥手な少年少女が結ばれるのか?というパートと、ドモヴォイの対立からおもちゃの家が作られるパートが併行して進むことになります。超自然的な存在であるはずのドモヴォイたちが、屋敷の住人たちの社会的・経済的な経緯にその生活を影響されてしまう…というあたりも、妙にリアルで面白いです。
ニコライ・レスコフ「白鷲――幻想的な物語」 (1880) ガラクチオン・イリイチは、その魁偉な容貌に似合わず、善良で有能な男でした。彼はパーニン伯爵から名を受け、県知事Pの職権乱用について調べるために現地に派遣されることになります。 現地で美丈夫の青年イワン・ペトローヴィチと出会ったガラクチオン・イリイチは、屈託のない青年に魅了されますが、青年は急死してしまいます。その直後からガラクチオン・イリイチはイワン・ペトローヴィチの幽霊に悩まされることになりますが…。 幽霊に憑かれた男を描く幻想小説なのですが、青年の急死の理由も分からず、さらに幽霊となった青年が生前とは全く違った態度を取るなど、不条理度の高い作品となっています。 ガラクチオン・イリイチは、青年を邪眼で殺したと噂され、本人はそれを迷信だとしていますが、こちらも本当にそうであるのかは分かりません。結末でも突然コミカルな雰囲気になったりと、オフビートな怪奇小説となっていますね。
フセヴォロド・ソロヴィヨフ「どこから?」 (1884) 「私」は、知識人である友人の「彼」のもとを訪れ歓談していました。しかし気が付くと、がらんどうの部屋の真ん中に一人立っていました…。 死者と話した男の物語です。唐突に現実に引き戻されるシーンは戦慄度が高いですね。
アレクサンドル・アンフィテアトロフ「乗り合わせた男」 (1886) 列車内で灰色のコートを着た小男に突然話しかけられた「私」。彼は「私」が五等官であるか頻りに尋ねます。男はなんと死者であるというのです。列車の事故で肉体が破損してしまった彼は天国にも地獄にも入れなくなっているといいます。同等の官位、なおかつ同様の状況で落命した人間から、肉体の一部を借り受け、死者の国に入るためにずっとさまよっているといいますが…。 死者の国に行くために肉体を集めて回る幽霊の物語です。死者の国に入る条件として、同じ官位の体を集めないといけない、というあたり諷刺的です。素っ頓狂な結末といい、ブラック・ユーモア怪談として面白い作品です。
イワン・トゥルゲーネフ「クララ・ミーリチ――死後」 (1883) 叔母と共に暮らす繊細な青年ヤコーフ・アラートフ。友人のクプフェルに誘われて行った音楽会で、魅力的な女優クララ・ミーリチと出会います。クララから熱い視線を感じていたアラートフは、後日クララから逢引きしたいという手紙をもらって彼女と会いますが、一方的に失望され、傷心で帰宅します。 直後にクララが舞台上で毒を飲んで自殺したことを聞かされたアラートフは、彼女の過去を知りたいと彼女の生家を訪れることになりますが…。 繊細な青年が、死んだ女優に憑かれていく…という幻想小説です。クララがなぜアラートフに目を付けたのか、なぜすぐに命を絶ったのか?ということは説明されず、実際アラートフがクララの生家で情報を聞いてもそれははっきりしません。 幽霊がアラートフの前に現れるのですが、それが実際に現れているのか、アラートフの妄想なのかどちらとも取れるようです。 クララの行動及び死に関して明確な因果関係が示されないため、いろいろな解釈ができる魅力的な幻想小説となっていますね。
こちらのアンソロジーの解説でも言及のある、ニコライ・カラムジンの短篇「ボルンホルム島」(金沢美知子編訳『可愛い料理女 十八世紀ロシア小説集』彩流社 収録)、ロシアのゴシック小説の先駆作だと言われているらしいのですが、こちらも読みましたので、一緒にご紹介しておきます。 旅人である「僕」は、ロシアに帰るためロンドンから船に乗り込みますが、とある町で、憂鬱で悩まし気な青年がギターを伴奏に歌ったオランダ語の歌に魅了されます。その歌の中ではボルンホルムなる土地の名前が言及されていたのです。 船旅の途次、デンマークのボルンホルム島に降り立った「僕」は、島の古城でスラヴの血を引くらしい博識の老人と出会い話をすることになります。 夜に近くを散策していた「僕」は入り込んだ洞窟の奥に囚われているらしい衰弱した若い女性を発見しますが…。 引き裂かれた恋人、古城に住む謎の老人、洞窟に幽閉された美女…。ゴシック小説のモチーフが多く散りばめられた短篇なのですが、それらの要素が発展しきる前に物語が閉じられてしまう、というところで、「習作」的な印象を受ける作品です。 というのも、語り手の「僕」が出会った、青年と老人と幽閉された娘の間に何か関係があることはうかがわせておきながら、その真相が明かされないのです。 青年と娘との間に禁断の恋があり、その「罪」のために娘は自らの死を望んでいるらしい…というところまでは読み取れるのですが、本当のところは何があったかは分かりません。作中で老人は真実を語り手に語ったことにはなっていて、それが「身の毛もよだつ話」と描写されているのに興味を惹かれますが、内容が語られないまま終わってしまうのには、ちょっと不満感が残りますね。 ゴシック風味の作品ではあるのですが、ゴシック小説にはなりきっていない作品、という印象です。
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