ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』(浅倉久志/伊藤典夫/柳下毅一郎訳 国書刊行会)を読了。語りの技巧を凝らした短篇が収められた作品集です。
「デス博士の島その他の物語」 離婚した母親と暮らす幼い少年タックマン・バブコックは、母の知り合いの男ジェイスンにお話の本を買ってもらいます。お話の中ではフィリップ・ランサム船長が敵役のデス博士に苦しめられますが、やがてタックマンの目の前にお話の中の登場人物が現れ始めます…。 少年の日常に、読んでいる本の登場人物が現れる、というファンタジーなのですが、少年が置かれている家庭環境がいろいろ複雑で、その絡みで起きている現象に対しての解釈が変わってくる…という感じの作品です。 少年の母親が精神的に不安定な人物であることが示されており、「婚約者」らしきブラック先生の他にも、ジェイスンと肉体関係があるらしいことが示されたりします。少年の目にはブラック先生が母親に何か危害を示しているように見えますが、現実は違うようなのです。 作中作のお話はH・G・ウェルズの「モロー博士」のオマージュなのですが、少年が思い入れをしているのはヒーローであるランサム船長より敵のデス博士のようであるのも気になります。現実世界のブラック先生はデス博士と同一視されているような感じもありますね。 少年が見るフィクションの登場人物たちは、少年の想像上の存在と思えるのですが、作中の一シーンでは、第三者が登場人物たちを実際に見ているような描写もあり、単なる想像だと割り切れないところも面白いです。 一番解釈が難しいのは、デス博士による、本を最初から読みはじめれば、再びみんなが戻ってくる、という最後のセリフ。少年が読んでいる本のことだけでなく、現実世界の比喩のようでもあり、世界全体をフィクションとして捉えているとも取れたりと、解釈が難しいところではありますね。
「アイランド博士の死」 頭に傷跡のある少年ニコラスは、とある島にいることに気付きます。波や自然の事物がたびたび彼に話しかけてきますが、どうやら島自体が「アイランド博士」なる存在によって管理されているようなのです。 島には、ニコラスを始め精神に問題を抱える人物が集められているようで、ニコラスの他に、殺人癖があるという青年イグナシオ、緊張病の少女ダイアンがいました。ニコラスは食物を手に入れるため、魚取りの技術を持つイグナシオに接近しますが…。 人工知能のような存在アイランド博士は何者なのか?なぜ数人の男女のみが島に滞在させられているのか?といった謎が序盤から提示され、段々とその真相が明らかになっていきます。 全知全能のようなアイランド博士は話しかけてはくるものの、生存に必要なことはしてくれず、ニコラスは生きるために食物を手に入れようとします。食物を手に入れるためには、その手段を知るイグナシオに近づかざるをえないのですが、彼は突然ニコラスを殺そうとするなど非常に危険な人物。 島自体が人工的な作りになっているようで、アイランド博士は何らかの意図を持って人間を配置していることが推測できるのですが、その意図が分かったときの「不道徳さ」が強烈ですね。発作を防ぐためにニコラスの脳は左右が切断されていることが言及されるのですが、それが伏線になっているところにも感心します。
「死の島の博士」 アルヴァードは友人を殺害した罪で服役している最中に不治のガンになります。治療可能な時代が来るまで冷凍睡眠を受けることになりますが、40年後目を覚まされたときには、病の治療どころかあ不老不死が実現していました。物理的に損傷しない限り、肉体は処置を受けたときのままだといいます。 また未来では、本に埋め込まれた装置によって本が自ら話す技術が発展していました。しかもその技術はかってアルヴァードが開発した技術の発展形だったのです…。 人々がほぼ不死となった世界に放り込まれた男が体験する物語なのですが、その未来がまだ関係者が生きている40年後、という舞台設定が絶妙です。かっての妻や知人が生きており、その時代を眠っていたことからくるカルチャーギャップや、その見かけの年齢差から来る齟齬(嫉妬の念もあるようです)などが描かれます。 後半では、未来の「本」による災害が描かれ、破滅を予感させる物語ともなっていますね。アルヴァードは死を恐れているようで、その象徴が死ぬ人間の元に現れると噂されるマーゴット博士。結末付近で現れる博士はアルヴァードの死の予兆とも取れます。
「アメリカの七夜」 近未来、遺伝子損傷により凋落したアメリカを訪れた、イランの富裕な青年ナダン。現地で観た芝居に出演していた女優エレンに魅了された青年は、彼女と知り合おうとしますが…。 近未来の凋落したアメリカで、イランの青年が体験する奇妙な出来事を描く幻想小説です。現地の女優エレンに一目惚れしたナダンが、彼女と知り合おうとし、実際にそれに成功するのですが、結局は悲恋に終わってしまいます。ただその別れに際して、ナダンの体験に超自然的な香りがまつわりついているのです。 というのも「七夜」とタイトルにはありつつ、語られるのは「六夜」のみなのです。これはナダンが現地で入手した幻覚剤を六つの卵菓子の一つにしみ込ませ、ランダムに食べていくという行為から来ており、体験した出来事が幻覚の可能性があるのです。語られていない一日だけでなく、語られたうちの、どの一日も「幻覚」であってもおかしくない、という、いわゆる「信頼できない語り手」が語る物語となっています。 さらに青年の話自体が、彼を心配した家族に依頼された男ハサン・ケルベライが入手した日記だということで、その真実性も疑われてくるという、目くるめくような作品です。
「眼閃の奇蹟」 国民の情報が人間の網膜のチェックで管理される時代、盲目で網膜がないため戸籍も存在しない幼い少年リトル・ティブは、さ迷い歩いているところを元教育長を名乗る頭のおかしな男パーカーとその使用人を務める男ニッティと出会い、旅を共にすることになります。どうやらリトル・ティブには人間を癒す力があるようなのですが…。 盲目の少年の視点で語られるファンタジー作品です。目が見えないためリトル・ティブが感じ取る世界は非常に抽象的なのですが、それに加え、彼は時折「幻想」や「想像」を見ているようなのです。他の人には見えない空想上の人物が現れ、リトル・ティブに話しかける部分は完全にファンタジーの様相を呈していますね。しかもその空想が本当は空想でないかもしれない…というあたりも魅力的です。 ファンタジーとはいいつつ、後半では物語のSF的な背景が明かされ、俄然SF色が強くなります。ただその一方でリトル・ティブの力は超自然的な要素が強く、彼が「救世主」であるかのような描写もされています。その意味で宗教色もある作品ですね。
テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学
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