ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転 心霊小説傑作選』(南條竹則、坂本あおい訳 創元推理文庫)は、代表的中篇「ねじの回転」を始め、ジェイムズのゴースト・ストーリーを集めた傑作集です。
「ねじの回転」 クリスマス・イブに古い屋敷で幽霊話がされていたところ、客の一人ダグラスは本当に恐ろしい物語だと前置きして、ある幽霊話を語り始めます。それは彼の妹の家庭教師をしていた女性が書き残した原稿だといいます。 貧しい田舎牧師の末娘で二十歳になった「わたし」は、両親を亡くして伯父の庇護下にある幼い兄妹マイルズとフローラの家庭教師を務めることになります。子供たちの面倒を見ているグロースさんによれば、前任の家庭教師ジェスルと使用人クウィントは既に死んでいるというのですが、彼らは兄妹に悪い影響を与えていたといいます。 「わたし」は、やがてジェスルとクウィントらしき霊を繰り返し見るようになります。彼らが死後も子供たちに影響を与えようとしていると考えた「わたし」は子供たちを守ろうとしますが…。 家庭教師の女性が、教え子の兄妹が霊に襲われていると信じ、その霊たちから守ろうとする…という暗示に満ちた幽霊物語です。 霊たちは、前任の家庭教師ジェスルと使用人クウィント。彼らが「悪い」人物であったことは語られますが、一体何をしたのか、というところは仄めかされるだけで、具体的なところは語られません。彼らが生前子供たちに何をしたのか、どんな悪影響を及ぼしたのか、というところも分かりません。兄のマイルズは学校を退学にされていますが、これもまた原因は謎です。 幽霊が出現してから、「わたし」は彼らの実在に関して疑いを抱いていないのですが、これも霊が実在するのかは正直分からないのです。兄のマイルズは霊の存在を肯定するような発言をしますが、妹のフローラは逆に霊が視えていないかのように振る舞うシーンもあります。 一方、家政婦のグロースさんは「わたし」の言うことを信じて、霊の存在を信じているようなのですが、彼女にも霊の姿は視えていないようです。「わたし」の精神状態を案じて信じているふりをしているのか、本当に信じているのか、といったところも曖昧です。 全篇に渡って具体的なところが語られず、暗示にとどめられるため、多様な解釈が可能な幻想小説となっています。幽霊は実際はおらず、精神状態を崩した「わたし」の妄想、という、超自然抜きの解釈も可能なようになっています。ただ、マイルズの死に関しては、それまで彼の健康状態について問題があることが語られていない以上、その死に超自然性がまつわりついていることは確かなようで、その意味で幽霊はいたのではないか、とも取れますね。 幽霊は実在するものの、それが見えている人間とそうでない人間がいる、という解釈もとれそうです。「わたし」の妄想だとしても、「わたし」がそうした精神的な問題を抱えている可能性があるとか、過去の来歴が語られないため、こちらも如何様にも解釈が可能なようです。 読んだ人によって本当に解釈が多様であるという、魅力的な幻想小説といえましょうか。
「古衣装の物語(ロマンス)」 英国で勉強していた青年バーナードは、故郷に友人アーサー・ロイドを連れ帰ります。魅力的な青年アーサーに、バーナードの二人の妹ロザリンドとパーディタは夢中になります。アーサーはパーディタと結婚することになりますが、ロザリンドは嫉妬の炎を燃やしていました…。 とある青年をめぐって姉妹同士が憎しみ合うようになる…という物語です。妹への嫉妬を隠さないロザリンドだけでなく、自身の死後も姉が夫を奪うことに不安を抱くパーディタもまた、情念の濃さという面では相当ですね。その「怨念」が示される結末の情景には迫力があります。
「幽霊貸家」 神学を勉強していた「わたし」は、ある日幽霊屋敷のような家を見つけ興味を持ちます。小柄な老人と知り合いますが、その老人が件の家の主であることを知った「わたし」は、知り合いのデボラ嬢から老人について聞くことになります。娘の恋路を邪魔して死に追いやってしまった老人は、娘の幽霊から家を追い出されたというのです。物乞いの真似をしていた老人を哀れに思った娘は、定期的に家賃を老人に払うことになり、彼は三か月ごとに家賃をもらいに行っているというのですが…。 かって死に追いやった娘の幽霊から家賃を払ってもらっているという老人を描いたゴースト・ストーリーです。老人にとっては何年も繰り返している家賃を受け取る行為が「贖罪」になっているといいますが、その真相はどうなっているのか?というところで、後半に意外な事実が明かされることになります。 予期せぬ人生を送ることになった人間たちの、不思議な心理が描かれる部分に妙味がありますね。
「オーエン・ウィングレイヴ」 軍人志望者の指導教師スペンサー・コイルは、将来有望で聡明な青年オーエン・ウィングレイヴが軍人になることを拒否し始めたことを知って驚き、オーエンの庇護者である伯母に相談することになります。ウィングレイヴ家に、オーエンの友人レッチミア青年と共に招かれたコイルはオーエンに翻意を促そうとしますが…。 軍人になる意志を翻した青年を周囲が説得しようとするなかで、途中から怪奇話が出てくるという奇妙な味わいのゴースト・ストーリーです。オーエンの婚約者的存在のジュリアン嬢が青年につらく当たる様が描かれていき、本来は一番オーエンを軍人にしたいはずのコイルが、オーエンに同情的になっていく…という心理も面白いですね。 臆病なのかとなじられたオーエンがその勇気を証明したことが示される結末も悲劇的でありながら象徴的です。
「本当の正しい事」 大作家アシュトン・ドインが亡くなり、その夫人から伝記の執筆を依頼されたジョージ・ウィザモアは喜んでその仕事に取り掛かります。ドインの部屋で作業を進めるうちに、彼の霊的な存在を感じ取ったウィザモアは、ドインに歓迎されていると感じますが、やがて作業が滞り始めることになります…。 伝記を書く作業を通して、ウィザモアとドイン夫人は霊の存在を感じ取ることになります。ドインと夫人との間が生前どうだったのか、といったあたりは具体的に語られないのですが、良好な関係ではなかったであろうことが間接的に語られることになります。 ウィザモア自身はドインから恨まれる筋合いはないようなのですが、夫人との関係性において彼も巻き添えを食っている感じなのでしょうか。生前にせよ死後にせよ、ドイン自身の「意図」がどのようなものだったのかについては語られないのですが、その霊的な存在感と圧力で、結果的に人々に影響を及ぼすことになる、という異色の幽霊物語となっています。
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