ライナー・チムニク(1930年~)はドイツの作家。絵と文章が一体となった絵物語を得意としています。寓意が含まれた作品も多く、時代を超えて訴える要素も強いです。邦訳書の中からいくつか紹介していきましょう。
> ライナー・チムニク『熊とにんげん』(上田真而子訳 徳間書店)
熊を連れて、村から村へと芸をしてまわる男がいました。踊る熊を連れていたことから、彼は「熊おじさん」を呼ばれていました。夜になると「熊おじさん」は、熊に物語を語り、角笛をふく、という生活を続けていましたが…。
チムニクのデビュー作で、人間の男と熊の友情を描いた作品です。 芸でお金を稼ぎながら旅をする男とその相棒である熊を描いた作品です。熊は踊りで、「熊おじさん」は七つのまりのお手玉芸を見せることによって、日々の糧を得ていました。彼らに嫉妬する同業者の策略や、襲ってくる野犬の群れなど、トラブルが起きながらも、二人の日々の穏やかな生活と、その「友情」が描かれていく部分が魅力です。 長年の共同生活で意志の疎通ができるとはされていますが、擬人化はほとんどされず、あくまで熊が「動物」として描かれているところも特徴です。またそれゆえに、人間と熊、種族の違う二人の友情がかけがえのないものとして感じられるようになっていますね。 熊は、後半同じ種族の熊たちに出会うことにもなりますが、それまでの生活ゆえに野生にも戻れず、かといって人間社会に入ることもできない、というその葛藤も描かれることになります。熊にとって、単純に「自然に戻る」ことが幸せ、とはされず、「熊おじさん」と過ごした日々が幸福な記憶として熊に残る…という部分には、読んでいて感動があります。その一方、二人が過ごした日々も時代も移り変わってしまうという、酷薄な時間の流れが語られる部分には哀愁もあります。 幸福感と、ほんの少しの寂寥感のある、味わい深い絵物語となっています。ちなみに、襲ってくる野犬をはじめ、熊の宿敵として犬たちが登場します。犬がこれほど「悪役」として描かれる作品も珍しいですね。
ライナー・チムニク『クレーン男』(矢川澄子訳 パロル社)
町が広がるにつれ、さばききれなくなった荷物の上げ下ろしのために作られた巨大なクレーン。クレーン建設に従事していた、青い羽つき帽子の若い男はクレーンに惚れ込んでしまいます。ふとしたことからクレーンの操作の上手さを披露した男は、クレーンの運転手に任命され、そこで働くことになります。 しかしクレーンを愛するあまり、クレーンオトコは地上49メートルあるクレーンの上部から降りようとせず、そこで暮らし始めます。暴れる動物を取り押さえたり、盗賊を退治したりと、手柄を上げたクレーンオトコは皆から尊敬されるようになりますが、戦争が起き、町からは人がいなくなっていきます。やがて堤防が決壊し、クレーンは海の中で孤立してしまいますが、クレーンオトコはクレーンを離れようとせず、そこで暮らし続けていました…。
クレーンを愛するあまり、クレーンの上で生涯を過ごすことになった男を描く、寓話的なファンタジー作品です。 最初は必要品を地上から運んでもらっていたものの、戦争が原因で人がいなくなり、さらには海の中で孤立してしまってからは、一人で食料を手に入れたり、クレーンの整備をしていくことになります。 クレーンオトコは、あまり人となれ合わないタイプのようなのですが、戦争前では人間の親友レクトロ、海に孤立してからはある動物の「相棒」の協力を得ることになります。それゆえ、客観的には孤独な状態のときでも、あまり主人公の「孤独」が強調されてはいません。飽くまでクレーンと生涯を共にすることになった男の「仕事ぶり」を描く「お仕事小説」的な側面が強いですね。 戦争前の状態を描いた前半でも、主人公のクレーンへの執着は徹底しているのですが、その本領が描かれるのはやはり後半。さびつきはじめた鉄骨を磨いて、釣り上げた魚の油をさしてメンテナンスをしたり、クレーンを壊そうとするサメたちを撃退したりと、本当にクレーンのために「尽くす」様子が描かれます。 何が彼をしてクレーンにそこまで執着させるのかについては語られないのですが、その信頼というか信仰に近いほどのクレーンへの愛情は、読んでいて感動するものがありますね。クレーンに関わる部分では常時、現実的な展開なのですが、時折超自然的な現象が起きている節もあって、そのあたりの感触も不思議な味わいです。 なにかの寓意を読み取ることもできそうなのですが、物語をそのまま素直に読んでも、とても面白い作品となっています。 クレーンオトコの親友として登場するレクトロは、チムニクの別作品『レクトロ物語』(福音館文庫)では、主人公として活躍しています。こちらは、様々な職業についてはすぐ首になってしまうレクトロの職業遍歴が語られるという作品になっています。 あと、指摘している人がいるかは寡聞にして知らないのですが、荒木飛呂彦のマンガ作品『ジョジョの奇妙な冒険』4部に、鉄塔の上で暮らす鋼田一豊大(かねだいちとよひろ)というキャラクターが登場します。これ、発想元がチムニクの『クレーン』ではないかと、昔から思ってるのですが…。
ライナー・チムニク『タイコたたきの夢』(矢川澄子訳 徳間書店)
ある日、一人の男が町の通りで、タイコを叩きながら叫び出します。「ゆこう どこかにあるはずだ もっとよいくに よいくらし!」。彼に影響され、同じようにタイコを持った人々が現れ始めます。最初は牢屋に入れたり罰を与えて押さえようとしますが、人々の数は膨れ始め、やがて押さえが聞かなくなります。大勢のタイコたたきたちは、町を出て、よりよい国を目指して旅に出ることになりますが…。
タイコと共に理想の暮らしを夢見て旅を続ける人々を描いた、寓話的ファンタジー作品です。面白いのは「タイコたたき」は個人ではなく、集団であるところ。最初にタイコを叩き始めた人物はいるものの、その行動が伝染し、同じような行動をする人間が見る間に増えていきます。固有名詞は出てこず、飽くまで「タイコたたきたち」と複数形で表現されるのが興味深いですね。 「タイコたたきたち」は、より良い暮らしを求める民衆たちなのですが、彼らの試みは次々と困難にぶつかります。一時的には多大な人数を抱えるものの、どんどんと数が減ってしまうのです。一方的に攻撃をしかけられ、戦争になってしまうことも。次々に死者が出たりと、結構血なまぐさいエピソードも含まれています。 また、面白いのは「タイコたたきたち」がタイコだけでなく、一人一人が角材を持って前進するところです。それを使って橋や船を作ったり、門を押し通るための杭にすることもあります。 作者チムニクが絵の方も描いているのですが、大勢の「タイコたたきたち」が「工事」をするシーンも描かれており、そちらも楽しく見れます。主人公が大人数なこともあり、絵に描かれるシーンも鳥瞰図的な構図が多くなっています。それゆえスケール感も大きくなっていますね。 「タイコたたきたち」は自由や平等を求める人間の象徴とも取れ、実際自分たちの権利を求めて前進を続けるのですが、むやみやたらと進み続けることによって葛藤を引き起こしたり、他人と争いになったりもしてしまいます。後半では、軍隊相手に無茶な戦いに突入してしまうことにもなります。「正義」や「善」のイメージで「タイコたたきたち」を応援していた読者も、後半になってくると、彼らの行動に疑問を覚え始めてくる人もいるかと思います。自分たちの幸福を求める行動は良しとしても、あまりに考え無しに進みすぎなのではないか、と。 人生を象徴・寓意したとも取れるお話で、そうした意味合いを求めて読むこともできますし、純粋に物語として読んでも面白い作品です。様々な読み方ができる、懐の拾い作品ではないでしょうか。
ライナー・チムニク『くまのオートバイのり』(大塚勇三訳 佑学社)
ルンプルラート・サーカスのふとった、ちゃいろのくまにはオートバイに乗れるという特技がありました。しかし、見世物としては、オートバイでぐるぐる回るだけ、という行為を繰り返していました。ある日、観客の子どもから「ばか」だと挑発されたくまは、オートバイに乗ったままサーカスのテントを飛び出し、町の中を走り回ることになります…。
オートバイに乗ったくまを描く絵本作品です。 子どもにばかにされたくまが、オートバイで町中を貼りしまわる…という、ただそれだけのシンプルなストーリーなのですが、だれもくまに追いつけず疾走し続ける、という展開には爽快感がありますね。素朴でユーモラスなチムニクの絵にも味わいがあります。
ライナー・チムニク『ビルのふうせんりょこう』(尾崎賢治訳 アリス館)
空を飛ぶことに憧れる少年ビルは、風船を6個買い家の屋根から飛んでみますが、そのまま落ちて足の骨を折ってしまいます。あきらめきれないビルは「自分の誕生日に風船を1つか2つ持ってきてください」と100人に招待状を送ります。 招待客たちが持ってきてくれた大量の風船をベッドに結び付けていたところ、ベッドごとビルは空に浮かび上がっていきますが…。
飛ぶことに憧れる少年が、大量の風船で空を飛ぶことになる…という絵本です。風船がたくさんあれば空を飛べるかもしれない、という子どもの空想をそのまま絵本にしたような作品ですね。空飛ぶベッドから地上の光景が小さく見えていて、浮遊感と爽快感が感じられます。
テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学
|