奇妙な世界の片隅で 2022年06月
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「異常」な物語  エルヴェ・ル・テリエ『異常 アノマリー』
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 エルヴェ・ル・テリエの長篇『異常 アノマリー』(加藤かおり訳 早川書房)は、パリからニューヨークに向かうエールフランス006便に乗り合わせた様々な人間の人生が、ある事件に境に変わっていくことになる…という、不思議な手触りのスリラー作品です。

 妻子を持つ事業家にして裏では殺し屋の顔を持つ男ブレイク、翻訳も請け負う売れない作家ヴィクトル・ミゼル、恋におちながらも既に破綻しかかっている映像編集者リュシーと初老の建築家アンドレ、医者である兄ポールに末期癌であることを宣告されたデイヴィッド、元軍人の乱暴な父を持つ少女ソフィア、大富豪の顧問の仕事を手に入れたやり手の黒人女性弁護士ジョアンナ、新作の歌が大ヒットしたナイジェリア出身の歌手スリムボーイ…。
 一見共通点のない彼らの共通点とは、3か月前、パリからニューヨークに向かうエールフランス006便に乗り合わせたことと、そこで異常な乱気流に巻きこまれたということでした…。

 ある飛行機に乗り合わせた複数の人物たちの人生が描かれ、ある事件を境に、彼らの人生が新たな決断を迫られていく…というスリラー作品です。
 この「ある事件」というのが作品の肝なので、それが何かは書けないのですが、常識の範囲内では解釈できない事件、ということだけは書いておきましょう。
 国家的なレベルで「事件」に対応していくこととなり、それらの対応策が描かれる部分は災害パニック小説の趣もあって面白いのですが、メインとなるのは、「事件」を経て、人生の決断を迫られることになる人々の人生模様が描かれる部分です。
 「事件」の影響で、周囲の人々との関係が変わってしまったり、恋愛関係が崩れてしまったりと、人生の形が大きく変わってしまうのです。その過程で、人々の過去の「選択」が正しかったのか? そしてこれからすべき「決断」は正しいのか? という問いが生まれることにもなります。
 個々の人物が描かれるエピソードはそれだけで充分魅力的なのですが、この作品の面白いところは、それが普通の「人間模様」に留まらず、現実ではありえない再考を迫られるというところ。哲学などで使われる「思考実験」という概念がありますが、あれが実際に起きたら、という感触が近いでしょうか。
 ゴンクール賞受賞作ということで、文学的な味わいが強いのですが、そこにSF的・幻想的な仮定を持ち込んでおり、そうした事態に遭遇した人間たちの人生はどうなっていくのか、という面白さのある作品です。エンタメとしても読みごたえのある秀作ですね。


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7月の気になる新刊と6月の新刊補遺
6月29日発売 『ナイトランド・クォータリーvol.29』(アトリエサード 予価1980円)
6月29日刊 ジーン・リース『あの人たちが本を焼いた日 ジーン・リース短篇集』(西崎憲編、安藤しを他訳 亜紀書房 予価2200円)
7月6日刊 スチュアート・タートン『イヴリン嬢は七回殺される』(三角和代訳 文春文庫 予価1408円)
7月6日刊 ガブリエル・ガルシア=マルケス『ガルシア=マルケス中短篇傑作選』(野谷文昭訳 河出文庫 予価1320円)
7月11日刊 横田順彌『平成古書奇談』(日下三蔵編 ちくま文庫 予価990円)
7月12日刊 岡本綺堂『お住の霊 岡本綺堂怪異小品集』(東雅夫編 平凡社ライブラリー 予価1980円)
7月12日刊 エドワード・ケアリー『呑み込まれた男』(古屋美登里訳 東京創元社 予価2310円)
7月13日刊 フランツ・カフカ『田舎医者/断食芸人/流刑地で』(丘沢静也訳 光文社古典新訳文庫 予価946円)
7月14日刊 越前敏弥、金原瑞人、三辺律子『はじめて読む海外文学ブックガイド』(河出書房新社 予価1540円)
7月19日刊 ジョー・ヒル『ブラック・フォン』(白石朗、大森望、安野玲、玉木亨訳 ハーパーBOOKS 予価1210円)
7月20日刊 ミスター・クリーピーパスタ『【閲覧注意】ネットの怖い話 クリーピーパスタ』(倉田真木、岡田ウェンディ訳 ハヤカワ文庫NV 予価880円)
7月21日刊 柴田宵曲『完本 妖異博物館』(角川ソフィア文庫 予価1694円)
7月21日刊 橘外男『橘外男日本怪談集 蒲団』(仮題)(中公文庫 予価1100円)
7月21日刊 ショーン・タン『いぬ』(岸本佐知子訳 河出書房新社 予価1980円)
7月21日刊 ジャネット・ウィンターソン『フランキスシュタイン ある愛の物語』(木原善彦訳 河出書房新社 予価4290円)
7月21日刊 ピエール・マッコルラン『北の橋の舞踏会・世界を駆けるヴィーナス』
(太田浩一、永田千奈、平岡敦訳 国書刊行会 
7月25日刊 ジョン・ケネディ・トゥール『愚か者同盟』(木原善彦訳 国書刊行会 予価4180円)
7月26日刊 E・T・A・ホフマン『ホフマン小説集成 下』(国書刊行会 予価7700円)
7月28日刊 H・P・ラヴクラフト『アウトサイダー』(南條竹則訳 新潮文庫 予価649円)
7月28日刊 ドナルド・E・ウェストレイク『ギャンブラーが多すぎる』(木村二郎訳 新潮文庫 予価880円)
7月29日刊 アリス・フィーニー『彼は彼女の顔が見えない』(越智睦訳 創元推理文庫 予価1298円)
7月下旬刊 パミラ・ブランチ『ようこそウェストエンドの悲喜劇へ』(大下英津子訳 論創社 予価3740円)


 『呑み込まれた男』はエドワード・ケアリーの邦訳最新刊。ピノッキオがテーマになった作品だそうです。

 ジョー・ヒル『ブラック・フォン』は、かって小学館文庫から『20世紀の幽霊たち』というタイトルで出ていた短篇集の改題復刊。名短篇集なのでこれは慶賀すべきですね。

 ミスター・クリーピーパスタ『【閲覧注意】ネットの怖い話 クリーピーパスタ』は、ネットの都市伝説から生まれたたホラージャンル「クリーピーパスタ」から、15篇を選んだもの。これは気になりますね。

 ピエール・マッコルラン『北の橋の舞踏会・世界を駆けるヴィーナス』は、〈マッコルラン・コレクション〉の第二弾。『北の橋の舞踏会』『世界を駆けるヴィーナス』『薔薇王』を収録。『薔薇王』は、澁澤龍彦の短篇「マドンナの真珠」の元となった作品だとのことです。

 ジョン・ケネディ・トゥール『愚か者同盟』は、「奇人変人たちが暴走する、爆笑《労働ブラックコメディ》」だそうで、ちょっと気になります。

 『アウトサイダー』は、南條竹則訳ラヴクラフト作品集の新刊。「アウトサイダー」「銀の鍵」「魔女屋敷で見た夢」など15編を収録。

 パミラ・ブランチ『ようこそウェストエンドの悲喜劇へ』は初めて名前を聞く作家なのですが、なかなか面白そうなあらすじですね。引用します。
 「ひょんな事からコラムニストの代筆を務める事になったバレエダンサーのレックス・トラヴァースは、雑誌『ユー』の編集部へ向かう途中、ビルのエレベーターに閉じ込められてしまう。そのタイミングで『ユー』編集部への殴り込み事件が発生した。雑誌によって運命を狂わされた人々の悲喜交々をブラックユーモアたっぷりに描く、パメラ・ブランチ最後の長編」とのこと。

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あり得ない色  バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』
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 バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』(徳永康元訳 岩波少年文庫)は、不思議な花から作った絵の具『ほんとうの空色』によって、不思議な出来事が起こるというファンタジー作品です。

 せんたく屋を営む母親と貧しい生活を送る少年カルマール・フェルコーは、母親の手伝いで宿題をする時間も取れず、学校では劣等生とされていました。絵の得意なフェルコーは、金持ちの少年チェル・カリに、絵を描いてあげると持ち掛け、彼から絵の具と画用紙を借りることになります。
 家で絵を描いている途中でお使いを頼まれたフェルコーが戻ってみると、あい色の絵の具がなくなっていることに気づきます。飼い猫のツィンツが動かしたのかとも思いますが、絵の具は見当たりません。フェルコーは用具を返すのを引き延ばそうとしますが、チェル・カリは盗んだと騒ぎ出します。
 町はずれの野原に咲く青い花を見つけたフェルコーは、用務員のおじさんから、その花は、昼に一分間しか咲かない『ほんとうの空色』という花だと教えられ、その花を摘んで絵の具を作ることにします。絵の具を作ったフェルコーは、描きかけの絵の空を『ほんとうの空色』で塗りますが、その絵には不思議な出来事が起こっていました…。

 少年が見つけた不思議な花から作った絵の具『ほんとうの空色』。その絵の具を塗ったものには不思議な出来事が起こる…というファンタジー作品です。
 『ほんとうの空色』で描かれたものは現実と同じ効果を発揮するようなのです。描かれた空は曇ったり晴れたりします。月が出ていればその光が出たり、太陽が出ていればその熱や熱さを感じ取ることもできるのです。その効果を利用して体を温めたり、火をつけたり、といったシーンが出てくるのも面白いところですね。
 不思議な魔法の力が描かれる一方、主人公の少年フェルコーが置かれた現実生活はかなりシビアです。経済的に苦しい家庭なのはもちろん、それが理由で勉強もできず、劣等生になってしまうのです。
 趣味である絵に使う道具も、まともに買うことができません。いじわるな少年チェル・カリを始め、同級生にはフェルコーを馬鹿にする者たちも多いほか、教師もそうした事情を顧みない高圧的な存在として描かれています。唯一、フェルコーに好意を寄せるのは女生徒ダーン・ジュジだけで、彼女とチェル・カリに関しては、フェルコーと『ほんとうの空色』 をめぐるあれこれに絡んでくることになります。

 フェルコーをめぐる現実生活が厳しくシビアに描かれることによって、逆に『ほんとうの空色』 の魔法がロマンティックに見える…という効果も働いているようですね。
 興味深いのは、主人公フェルコーが不思議な力を手に入れながらも、それによって現実を変えるとか、人生を一変させる…という方向には話が進まないところです。飽くまで、一時的な魔法の力を楽しむ、という感じなのですよね。そのあたりの感触もあって、題材は完全なファンタジーでありながら、「現実」の香りが強い物語になっているのも特徴でしょうか。
 それを示すように、後半では、『ほんとうの空色』 の原材料が少なくなり、魔法の力がだんだんと弱まっていくという展開にもなっています。

 キャラクターとして印象深いのはは、フェルコーの飼い猫ツィンツ。青い絵の具を食べたねずみを食べて青色になってしまいます。自分を売らせてお金を家族に与えた後に、逃げ出してまた戻ってきてしまいます。この猫のキャラにも、シビアな現実が反映しているようですね。

 バラージュ・ベーラ(一八八四年~一九四九年)はハンガリーの作家。映画理論家として有名な人ですが、創作もいくつか残しています。『ほんとうの空色』はその中でも名作の評価が高いものです。

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不可思議なカラス  ジョーン・エイキン『かってなカラスおおてがら』『カラスゆうかいじけん』
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 ジョーン・エイキンの童話作品『かってなカラスおおてがら』『カラスゆうかいじけん』(猪熊葉子訳 岩波書店)は、食いしん坊で面倒くさがりのカラスのモーチマーとその飼い主の少女アラベルの活躍を描くシリーズ作品です。

 タクシーの運転手ジョーンズさんは、ある日歩いていたカラスがオートバイに轢かれる場面に遭遇し、そのカラスを連れ帰って治療をしてやります。目の覚めたカラスは家の食料を食べ尽くしてしまい、奥さんは憤慨しますが、ジョーンズさんの娘アラベルはカラスが気に入り、彼にモーチマーと名付け、ペットとして可愛がることになります…。

 食いしん坊で面倒くさがりのカラス、モーチマーをめぐる騒動を描いたコミカルな童話作品です。このモーチマーの食欲は凄くて、普通の食べ物はおろか、階段すら食べてしまうという貪欲さ。面倒くさがりのため、飛ぶのは一年に二回程度、歩いて移動するという不精者でもあります。
 モーチマーの口癖は「ぜったいだめ!」。ちなみに原文は「Nevermore」だそうで、これはエドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」の台詞を借りたものだそうです。

 モーチマー登場編となる『かってなカラスおおてがら』では、彼の破天荒な性格と活動が描かれます。ジョーンズさんのおじさんガムレル老人が勤める地下鉄の駅で、エスカレーターを食いちぎって破壊したりと、その行動は迷惑極まりないのですが、ひょんなことから悪人退治に一役買うことになります。

 『カラスゆうかいじけん』では、両親がパーティーに行く間、子守のクリスと共に過ごしていたアラベルとモーチマーが騒動に巻き込まれます。
 クリスのトランペットに頭を突っ込んだモーチマーが、終盤までそのままで行動する、というあたりも楽しいです。
 モーチマーの顔が見えなくなったため富豪が飼う九官鳥と勘違いされ狙われたり、また娘たちを心配した両親が急いで帰宅したという話に尾ひれが付いて周囲の人には大騒動として伝わってしまう、というあたりは抱腹絶倒ですね。
 とぼけたモーチマーのキャラクターはもちろん、エイキンの持ち味であるコミカルな展開も相まって楽しく読める作品となっています。

 邦訳があるのは二作品のみですが、未訳のシリーズ作品はまだたくさんあるそうです。


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怪奇幻想読書倶楽部 第34回読書会 参加者募集です
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 2022年7月17日(日)に「怪奇幻想読書倶楽部 第34回読書会」を開催いたします。若干名の参加メンバーを募集しますので、参加したい方がおられたら、メールにて連絡をいただきたいと思います。
 連絡いただきましたら、改めて詳細をメールにてお送りいたします。

お問い合わせは、下記アドレスまでお願いいたします。
kimyonasekai@amail.plala.or.jp
問い合わせメールの件名は「読書会参加希望の件」などとしていただければOKです。

開催日:2022年7月17日(日)
開 始:午前10:00
終 了:午後13:00
場 所:JR巣鴨駅周辺のカフェ(東京)
参加費:1500円(予定)
課題書
第一部 ジョイス・キャロル・オーツ『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』(栩木玲子訳 河出文庫)
第二部 パトリシア・ハイスミス『11の物語』(小倉多加志訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)

※「怪奇幻想読書倶楽部」は、怪奇小説、幻想文学およびファンタスティックな作品(主に翻訳もの)についてのフリートークの読書会です。
※対面型の読書会です。
※オフ会のような雰囲気の会ですので、人見知りの方でも安心して参加できると思います。
※「怪奇幻想読書倶楽部」のよくある質問については、こちらを参考にしてください。


 今回は、それぞれ独自の作風を持つ個性的な作家、オーツとハイスミスの作品を取り上げます。心理サスペンス的な要素も強く、そうした方向性で読んでいくのも面白いかと思います。


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少女たちの数奇な冒険  ジョーン・エイキン『ウィロビー・チェースのオオカミ』
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 ジョーン・エイキンの長篇『ウィロビー・チェースのオオカミ』(こだま ともこ訳  冨山房)は、両親の不在時に、屋敷を家庭教師に乗っ取られてしまった少女たちの冒険を描く作品です。

 物語の舞台は、実際の歴史にはない架空の時代のイギリス。1832年にジェームズ三世が即位し、英仏海峡トンネルが完成したこの世界では、ヨーロッパからトンネルを通ってイギリスにオオカミが流れ込み、日常的に人々の安全を脅かしていました。
 ウィロビー高原に立つ屋敷ウィロビー・チェースの主人サー・ウィロビーは、体の悪い妻のため、妻と共に静養に出かけることになります。一人娘のボニー・グリーンの世話は屋敷の管理と合わせ、遠縁である家庭教師スライカープ先生を迎えて、彼女に一任されることになっていました。
 また、孤児であるボニーのいとこシルヴィアは、サー・ウィロビーの姉ジェーンの元で育てられていましたが、ジェーンが高齢であるため、ボニーと一緒に暮らすことになります。
 両親が不在となった途端、スライカープ先生は、使用人を勝手に解雇し、屋敷を思うがままに采配し始めます。シルヴィアと列車で知り合いになった男グリムショーもまた、スライカープと共に勝手な行動を取り始めますが…。

 両親の不在を狙い、悪人たちに屋敷を乗っ取られてしまったいとこ同士の少女たちが、屋敷を取り戻すまでを描いたサスペンス作品です。悪人によるお家乗っ取り、という伝統的なテーマではあるのですが、面白いのは、この物語の世界設定です。
 本来の歴史ではいなかった王が戴冠したことで、英仏の間にトンネルができ、それがゆえにイギリスに大量のオオカミが流入してしまったという、架空の歴史を経たイギリスが舞台になっているのです。日常的にオオカミに襲われる危険性があるため、家々ではそのための防備を固めていたり、子どもに至るまで射撃の訓練をしたりしているのです。
 事実、主人公となるボニーとシルヴィアもところどころでオオカミに遭遇することになります。序盤、ウィロビー・チェースに向かう列車の中で、シルヴィアがオオカミに襲われる…というシーンは衝撃的ですね。

 さて、物語のメインは、家庭教師として屋敷に入り込んだスライカープが、屋敷の実権をあっという間に握ってしまい、ボニーとシルヴィアにつらく当たるばかりか、とうとう二人を屋敷の外に追い出してしまうほどにもなります。二人の少女が屋敷に戻り、悪人たちを追い出せるのか、と言った部分が読みどころになっています。
 明るく誰とでも友人になれる性格で、正義心の強いボニー、穏やかで引っ込み思案ながら優しく細やかなシルヴィア、二人の少女が様々な困難に遭いながらも成長し、自らの権利を取り戻す…という正統派の冒険物語です。
 ところどころで、主人公二人の協力者となる人物も現れるのですが、全篇を通して活躍するのがガチョウ飼いの少年サイモン。身寄りのないところをサー・ウィロビーの温情で領地に置いてもらえることになり、ガチョウを増やして暮らしているという生活力旺盛な少年です。時には自ら共に旅をするなど、ボニーとシルヴィアに対するサイモンの協力は二人の苦難を救うことにもなります。

 性格の違いはあれど、主人公の少女二人が思いやり深く、常に他の人間のことを考える人物で、それが巡り巡って彼女たちを助けることになる…というのも良いですね。
 ボニーに関しては正義感の強さも印象的です。初対面のスライカープが使用人をたたくのを見て、とっさに彼女のためにスライカープを叱咤するシーンなどは、彼女の性格が良く出た名シーンですね。
 令嬢の身分だったはずの少女たちが、虐げられ、不幸な状況に陥ってしまう、というお話で、彼女たちが元の立場に戻れるのか…というところで、ハラハラドキドキ感の強い物語です。

 主人公たちを虐げる悪人たちの陰謀部分もちろん興味深いのですが、屋敷の外、外界がオオカミだらけの危険な場所でもあり、その不穏さも物語に魅力を添えていますね。
 オオカミが日常的に襲ってくる世界観は物語の舞台として魅力的で、こちらをメインテーマにしてしまっても面白かったと思うのですが、あくまで、屋敷乗っ取りをめぐる悪人たちとの戦いがメインになっているのも、ある意味潔いですね。


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愛情と炎  ケヴィン・ウィルソン『リリアンと燃える双子の終わらない夏』
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 ケヴィン・ウィルソンの長篇『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(芹澤恵訳 集英社)は、興奮すると体から炎を出してしまう「発火体質」の双子のベビーシッターをすることになった女性を描く作品です。

 うだつが上がらない生活をしていた二八歳の女性リリアンは、学生時代の友人マディソンから、自分向きの仕事があるとの知らせを受けて、彼女の家を訪れます。マディソンは、大統領候補とも噂されるジャスパー・ロバーツ上院議員と結婚し、息子のティモシーも生まれていました。
 マディソンの話では、夫には、過去に別れた前妻ジェーンと双子の男の子と女の子がいました。ジェーンが亡くなったため、双子を引き取る必要があり、その世話をリリアンに任せたいというのです。
 しかし双子には特殊な事情がありました。興奮したり動揺すると、体に火が付き燃えてしまうという「発火体質」だというのです。リリアンと双子のローランドとベッシー、三人の奇妙な同居生活が始まることになりますが…。

 興奮すると体から炎を出してしまうという「発火体質」の双子の男女。彼らのベビーシッターをすることになった女性を描く、不思議な味わいの作品です。
 双子のローランドとベッシーの父親であるロバーツ上院議員は、不倫騒動を起こしたり、離婚して妻子を放り出したりと、かなり自分勝手な人物。双子が引き取られた祖父母も問題のある人物で、双子は恵まれない生活を送っていました。自らも、問題のある母親との関係において不遇な人生を送ってきたと自認するリリアンは、そんな彼らに同情し、子どもたちを育てようと決心することになります。
 そもそも依頼を引き受ける気になったのも「親友」マディソンの助けになりたいからで、リリアンはマディソンのことをある種、崇拝しているのです。学生時代、問題を起こしたマディソンの罪をかぶる形で放校されたリリアンが、それでもマディソンに対する憧れと崇拝の念を持ち続けていることが語られます一方、マディソンの方も、自分勝手な考え方ではあるものの、リリアンを友人と考えてはいるのです。双子の子育て部分だけでなく、リリアンとマディソンの子ども時代に端を発する微妙な関係が、再会してからも葛藤をもたらす…という部分にも読み応えがありますね。

 「発火体質」の双子は、興奮したり、動揺したり、怒ったりすると、発火してしまい、自分ではその火を押さえられなくなってしまいます。リリアンは、物理的に火を押さえるのと、心理的に発火を押さえるのと、外的・内的アプローチを考えていくことになります。人間嫌いで、鬱屈したものを抱えるリリアンが、しかしその裏表のなさで双子の信頼を勝ち取り、絆が深まっていく…という流れも良いですね。
 双子が父親のもとに引き取られた、といっても、父親は終始不在。本妻であるマディソンとその息子ティモシーとは、別の場所で生活を余儀なくされる、という不遇な状況なのです。父親が双子を引き取った動機も政治的・打算的なもので、リリアンは、双子の境遇に自らの過去を重ねることにもなります。
 主人公リリアンと双子との間だけでなく、実の母親との関係、そして友人であるマディソンとの関係など、複数の人生が交錯する様が描かれており、厚みのある物語になっています。
 実のところ、母親にせよ、マディソンとその夫にせよ、リリアンの周囲の人物は自分勝手な人物が多く、リリアンの不遇な現在も周囲の人物の「身勝手」の結果起こっており、リリアンは「境遇の犠牲者」的な面が強いです。双子の世話も本来リリアンの義務ではなく、マディソンにいいように使われているのでは…と思ってしまうのですが、逆に打算ではない愛情を注ぐことによって、子どもたちの信頼を得ることになる、という展開になるのも興味深いですね。

 不思議な味わいのヒューマン・ストーリーであり、家族小説でもあるという作品です。主人公リリアンがマディソンのような資産家でもなく、双子たちのように特殊な能力を持つわけでもない、屈託を抱えた本当に「普通」の人間として描かれており、それだけに共感を呼ぶ物語になっているのではないでしょうか。超自然的なスパイスも非常に良い味を出しています。


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滅びゆく世界 アンドルス・キヴィラフク『蛇の言葉を話した男』
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 エストニアの作家アンドルス・キヴィラフク『蛇の言葉を話した男』(関口涼子訳 河出書房新社)は、動物と会話し、従えさせることのできる不思議な言語「蛇の言葉」を身に付けた少年の人生が語られていく、スケールの大きなファンタジー作品です。

 エストニアの森には、古来から伝わる蛇の言葉を話す人々が住んでいました。その言葉を使えば動物と会話をし、あるいは意のままに従えることができます。その名の通り、蛇たちとの会話にも使われます。話者が一万人集まりその言葉を唱えれば、伝説の怪物サラマンドルを目覚めさせることができるという伝承もありました。
 しかし、森の民の間でも、蛇の言葉を信奉する者は減っており、その言葉を完璧に話す最後の人間と言われていたヴォートレは、甥のレーメットにその言葉を伝授することになります。蛇の言葉を身に付けたレーメットは、王族の蛇の子どもインツと友人になります。
 森から村に移り住む人間が多くなっていくなか、蛇の言葉と森の生活に誇りを持つレーメットは、村の司祭ヨハネスとその美しい娘マグダレーナに出会い、自分たちとは異なる生活に触れることになりますが…。

 森の民に代々伝わる不思議な言語「蛇の言葉」を身に付けた少年の人生が語られていくという、壮大なスケールのファンタジー作品です。
 おじのヴォートレから、ほぼ完璧な蛇の言語を伝授された少年レーメットは、その言葉と森での生活に誇りを持っていました。その反動として、外部の村での農耕生活やキリスト教的な思想に反感を持ちますが、時代はすでに文明化の方向に進んでおり、森の民たちもほとんどが村に移住してしまいます。
 森で暮らし続ける者たちの中にも、蛇の言葉を軽視し、独自の「精霊」を祭る者たちがおり、そうした人間たちを見たレーメットは、森での生活にも疑問を抱くことになるのです。
 そもそもレーメットが生まれた時点で、蛇の言葉はほぼ絶滅の危機に瀕しており、森の民たちもまた同様なのです。すでに滅びゆく世界に属しながらも、「新しい」キリスト教的世界に溶け込むこともできない…。
 レーメットとその家族たちの揺らぐ世界観が描かれていき、物語の大きなテーマともなっています。

 中盤からは、滅びゆく蛇の言葉とその伝統を残したいというレーメットの行動が描かれていきますが、その試みはことごとく潰されてしまうのです。
 奥底には、右記のように真摯なテーマが通底して流れていく一方、物語の表面では、奇想天外なキャラクターや事件が次々と現れ、エンターテインメントとしても魅力的な作品になっています。不可思議な蛇の言葉、眠りにつくサラマンドルの伝承、誇り高き蛇の一族、会話をし人間と結婚する好色な熊、毒牙を持つ人間、巨大シラミを飼う猿人たち、耳をふさがれ狂暴になった狼たち…。次から次へと奇想天外なモチーフが現れ、飽きさせない構成になっていますね。
 人や動物が次々と死んでしまうのも特徴で、主要な登場人物があっさりと死んだり殺されてしまうことも珍しくありません。レーメットをめぐる周囲の人物もまた同様で、彼が愛した人物たちもまた次々といなくなってしまいます。森での生活や人々が「前時代」のものとなり、滅びていく中で、彼が感じる諦観と厭世観には非常に説得力があります。

 装いは別として、テーマ的には一見、滅びゆく共同体に属するマイノリティの物語と見えますが、単純にそうした話にはなっていません。主人公レーメットが属する森の生活も一様ではなく、その生活が「善」でもないことは、レーメット自身が自覚しているのです。
 その一方、外部の生活はさらに受け入れがたいものであり、彼の居場所を求める「遍歴」が描かれていく過程には、悲哀が感じられます。
 奇想天外でコミカルでありながら、悲哀に満ちた人生の一代記でもある…。様々な要素を含んだ傑作ファンタジーといえますね。


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奇跡と予感  ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』
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 ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』(関口英子訳 光文社古典新訳文庫)は、ブッツァーティの短篇を集めた傑作選。著者特有のブラックなお話も多いですが、優しいタッチの作品も混ざっています。原著は学生向きに編まれた作品集だそうで、それもあって、ソフトな感触の短編集に仕上がっている印象です。神や聖人を扱った作品が多いのも、意図的な編集なのでしょうか。
 読みやすい短篇が収められているのはもちろん、解説や年譜等も充実しており、ブッツァーティ入門としては最適な短篇集となっています。


「天地創造」
 全能の神のもとに、天使オドゥノムが携えてきたのは、ある惑星を創造するプロジェクトでした。惑星ならばもう沢山作ったという神に、天使たちは様々な生物のアイディアを示し、神はそれらを快く承認していきます。
しかし、一人だけ、高慢さで同僚たちにも疎まれている天使が示した案には承認をしかねていました。猿に似たその生物の名前は「人間」といいました…。
 人間の誕生を描く天地創造のファンタジーです。神にも渋られていた人間がなぜ誕生したのか、そもそもそれが良いことだったのか悪いことだったのか…? 風刺の効いた作品となっていますね。

「コロンブレ」
 船長である父親のもとに生まれ、海への憧れを持つようになった少年ステファノ・ロイ。しかし初めての船旅で、伝説の魚、恐ろしい鮫である「コロンブレ」を目撃します。父親によれば「コロンブレ」に目を付けられたら最後、相手を呑み込むまで、何年も付け狙われるというのです。
 二度と海には関わるなと忠告されたステファノでしたが、海への憧れは絶ちがたく、コロンブレへの不安を抱きながらも、積極的に海の仕事に関わっていくことになります…。
 恐ろしい怪物コロンブレを避け続けながら生きる男を描いた、寓話的な作品です。コロンブレの正体に気付いたときには、すでに人生は終わる寸前だった…という、「取り返しのつかなさ」感は強烈ですね。
 コロンブレは、餌食になる人間とその家族にしか見えない、という設定も意味深です。

「アインシュタインとの約束」
 プリンストンの街を散歩中のアインシュタイン博士は、見知らぬ黒人から声をかけられます。悪魔だと名乗る黒人は、彼の命をもらいに来たというのです。あと一か月あれば、研究が完成する、という博士の言葉を受けて、悪魔は博士に猶予を与えます。そして約束の期日が経ちますが…。
 「悪魔との契約」テーマの作品なのですが、二段階のオチが待ち構えています。悪魔は、なぜアインシュタインのもとを訪れたのか? 皮肉の効いたラストは見事ですね。

「戦の歌」
 王の軍隊は、勝利を重ね続け、山のような戦利品を手に入れていました。しかし兵士たちは、どこか悲し気な響きの歌を歌います。かってないほどの武運に恵まれ、悲しむ理由もないにも関わらず、兵士たちは歌を歌い続けます…。
 勝利に次ぐ勝利を重ねる軍隊の兵士たちが、それにもかかわらず悲しみの歌を歌い続ける、という物語。進軍に成功しながらも一方的に進むだけで、凱旋はすることがない…というあたりに、ブッツァーティ特有のテーマが見えますね。
 ブッツァーティ独特の「反戦小説」とも取れるでしょうか。

「七階」
 七階建てのその専門病院は独自のシステムを取り入れていました。入院患者たちは、病気の程度によって各階に振り分けられていたのです。最も軽症の患者は七階、症状が重くなるに従って下の階に行き、一階ともなると、ほぼ望みのない重症患者が収容されていました。
 最初は七階の病室に入れられたジュゼッペ・コルテは、病院の手続きや取り違えによって、次々と下の階に移されていきますが…。
 最初は軽症だった男が、ひょんなことから、重症患者が入るべき下の階に移されていってしまうという不条理味強めのブラック・ユーモア短篇です。下の階に移っていく過程で実際に体調が悪くなったり、別の症状が出たりしているようで、その意味では精神的な不安が身体に影響しているようです。
 主人公がかかっている病気(病院が専門としている病気でもありますが)が伏せられているのも、寓意的な要素を強くしていますね。
 システムや組織の「手違い」で人間が「抹殺」されてしまう…という非人間性を読み取ることもできますし、病気とは何なのか? 純粋に肉体的なものだといえるのか? といったテーマを読み取ることもできそうです。
 その不気味さと同時に、いろいろな解釈が可能な名作短篇ですね。

「聖人たち」
 生前は普通の農夫だったものの、数百年を経て評価が高まり、聖人となった聖ガンチッロは、聖人たちが住む海沿いの家にやってきます。捌ききれないほどの請願を受けている同僚たちを見て、自分も何かしたいと考えるガンチッロは、ささやかな奇跡を起こしていきますが、人々はそれらをガンチッロの奇跡として受け取ってくれません…。
 地味で実直な聖人が奇跡を起こしますが、なかなか認めてもらえない、という、微笑ましいファンタジー作品です。同僚の聖人マルコリーノと食卓を共にするシーンには味わいがありますね。
 聖人たちが住む場所の、海水や煙までが神の一部である、という描写には、汎神論的な思想が窺えて、日本人読者には親しみが持てるところでしょうか。

「グランドホテルの廊下」
 ホテルに宿泊していた「私」は、夜も更けてからトイレに行きたくなり、部屋の外に出ます。トイレに向かう途中でガウン姿の鬚の男と鉢合わせになりますが、目の前でトイレに入ることに気後れを感じた「私」はそのまま通り過ぎてしまいます。しかも鬚の男も同じような行動をしているらしいのです。
 部屋のドアの前の引っ込んだスペースに身を隠した「私」は再度トイレに向かいますが、またしても鬚の男と鉢合わせしてしまい、トイレに入れずじまいになってしまいます。二人は互いの行動をうかがっていましたが…。
 相手の目を気にしてトイレをやり過ごしてしまった二人の男が、互いの行動を牽制し合う…という、冗談の塊のような作品です。ただ、この感覚、読んでいて非常に共感できるもので、人間の日常感覚を上手く作品に落とし込んだ感じではありますね。結末の「やり過ぎ感」も楽しいです。

「神を見た犬」
 ティスの村でパン屋を営むデフェンデンテは、伯父から財産を相続する際、その条件として、貧しい者たちに毎日50キロのパンを施すことを義務づけられ、嫌々ながらそれに従っていました。ある日人間に混じってパンをくわえてゆく犬を見つけたデフェンデンテは後を追いかけますが、その行き先は村のはずれの廃墟で暮らす隠修士シルヴェストロのもとでした。
 彼と知り合いになったデフェンデンテは、その後、犬のガレオーネがパンをくわえていくのを黙認していましたが、シルヴェストロが亡くなった後はそれも惜しくなっていきます。人々は、主人が亡くなった後も村に現れ続けるガレオーネのことを、神を見た犬として、怖がり始めますが…。
 主人である隠修士亡き後、神を見た犬として恐れられるようになった犬をめぐる奇談です。もともとモラルに欠けていた町の人々が、犬の目を意識してその行状を改めていきます。犬が本当に超自然的な存在なのか、神の威光に触れたのかどうか、については、はっきりしないのですが、殺されたはずなのに蘇っているように見えるシーンもあるなど、神秘的なヴェールに包まれている部分があり、いろいろ考えさせる作品になっています。

「風船」
 オネートとセグレタリオ、二人の聖人は、地上ではだれひとり幸せでない、ということについて賭けを行います。オネートは、下界から貧しく幼い女の子の姿を見つけ出します。母親から風船を買ってもらった彼女の喜びは、まさしく幸せそのものでした。
 しかし、通りがかった三人組の若者たちは、その喜びをぶち壊してしまいます…。
 幼いがゆえの純粋な幸福感と、それに伴う絶望感を描いた作品です。風船を壊してしまう若者たちのタバコと、聖人が吸っているタバコが対比的に描かれているのも見事ですね。詩的な美しさのある作品です。

「護送大隊襲撃」
 三年間の収監から解放された山賊の頭プラネッタは、仲間たちがいるかっての砦を訪れます。様変わりしてしまっていたため、本人だと気付かれなかったプラネッタは、同房の囚人のふりをして話をしますが、自分がもはや彼らの頭ではないことを実感し、そこを去ります。
 一人で小屋に隠れ住むようになったプラネッタは、ある日現れた山賊志望の若者ピエトロを、まだ頭であるふりをして弟子とします。
 プラネッタはピエトロの手前、ほとんど誰も成功したことがない護送大隊を襲撃する計画を立てていることを話します。護送大隊には莫大な租税を運ぶために、武装した大人数の護衛がいるのです。ピエトロはプラネッタを止めようとしますが…。
 収監とそれによる体調の悪化から、その地位を追われてしまった山賊の元首領が、自らの意地をかけて護送大隊を襲撃しようとする物語です。
 無謀な計画であり、実際に失敗してしまうのですが、そこに現れたのはある「救い」だった…という、哀感あふれるお話になっています。結末の情景はまるで叙事詩のような美しさに溢れていますね。

「呪われた背広」
 とあるパーティで、見事なスーツを着ている男と知り合いになった「私」は、そのスーツがコルティチェッラという仕立屋の手になることを知ります。さっそく仕立屋を訪ね、スーツを作ったもらった「私」ですが、その見事な出来にも関わらず、妙な不快感を感じ、なかなか身につける気になりません。
 ようやく身につけた際に、右ポケットに手を入れると、そこには一万リラ札がありました。仕立屋の忘れ物かと思いきや、ポケットに手を入れる度に一万リラ札が出てくるのです。欲に囚われた「私」は、忙しなく紙幣を取り出しにかかりますが…。
 悪魔的な仕立屋が作った「呪われた背広」。際限なく金が引き出せるかのように見えますが、そこには邪悪な落とし穴が待っていた…という物語です。ろくなことにならないということが分かってからも、その誘惑には勝てない、という人間の愚かさが描かれており、風刺的な味わいも強いですね。

「一九八〇年の教訓」
 冷戦の最中、ソ連の最高指導者クルーリンが急死します。西側陣営がほっとしたのもつかの間、アメリカ大統領フレデリクソンも心筋梗塞で死去してしまいます。その後も要職に就いている人物が次々と死に見舞われます。
 どうやら人知を超えた力によって、地球上で権力者と見なされた人物は殺されているようなのです。命が惜しくなった人々は、進んで地位を投げ出すようになります…。
 権力者たちが命惜しさに地位を投げ出すようになり、その結果、平和がもたらされる…という風刺的なアイディア・ストーリーです。ふてぶてしく権力者の地位に居座るド・ゴールが、それにも関わらず相手にされていない、という部分はブラック・ユーモアたっぷりですね。

「秘密兵器」
 アメリカとソ連の対立は頂点に達し、ついにソ連はアメリカに向けて大量のミサイルを発射します。その直後、アメリカもソ連に向けてミサイルを発射します。世界の終わりを覚悟した人々は、ミサイルが白い煙のみを吐き出すのを見て安堵しますが、それは究極の「秘密兵器」でした…。
 究極の「秘密兵器」の効果とは…? 互いに開発していた、冷戦を終わらせるための兵器が、結局は双方の立場を入れ替えるものに過ぎず、冷戦の構造は全く変わらなかった、という作品です。

「小さな暴君」
 ジョルジュ少年は甘やかされた結果、小さな暴君といえる存在になっていました。おもちゃを買い与えても、ろくに見向きもせず、見せびらかしたいがためにそれらを集めていました。ジョルジュが出かけた際、少年の祖父は彼のトラックのおもちゃを触り壊してしまいます。
 ジョルジュがおもちゃの破損にいつ気がつくか、家族は戦々恐々と見守っていましたが…。
 わがままでつむじ曲がりの少年のおもちゃを祖父が壊してしまい、戦々恐々とするという物語。ドメスティックなテーマですが、どこか共感を覚える読者もいるのでは。

「天国からの脱落」
 神のもとで永遠の幸福を約束された聖人たち。しかし、ふと下界の光景をのぞき見た聖エルモジェネは羨望の念に囚われます。そこには、夢と希望にあふれた若者たちが集う姿が見えていたのです。
 永遠の幸福を捨ててでも、地上でやり直したいと、エルモジェネは神に懇願することになりますが…。
 神に祝福された聖人が、若者たちの夢と希望を羨望し、地上で生活をやり直そうとする、という物語です。変化のない永遠の幸福よりも、失敗する危険があろうとも夢や希望を追い続けたい、というポジティブなお話になっています。

「わずらわしい男」
 レモラと名乗る男が、勤務中のフェニスティのもとに面会に訪れます。聞いたこともないリモンタなる男の紹介で訪れたというレモラは、延々と自分の窮状を訴えます。あまりのわずらわしさに、フェニスティは、紙幣を渡してレモラを追い返すことになりますが…。
 その「わずらわしさ」によって、人々からお金を巻き上げる詐欺師の物語、と思いきや、後半では事態はエスカレートしていきます。教会で同じ事を繰り返し、なんと神や聖人さえ彼を嫌がって逃げ出してしまうのです。ブラック・ユーモアたっぷりのファンタジー短篇です。

「病院というところ」
 血だらけの彼女を抱きかかえた「僕」は、裏の門から病院の敷地内に入り助けを求めます。しかし、看護士は書類がなければ受け入れられないと突っぱねます。現れた医師もまた、入ってきた門について文句を言い始めますが…。
 人の命がかかった状態でありながら、病院の入り方や受付など、独自のルールを言い立てて、状況を全く考慮しない医療関係者たちを描いた作品です。形は違えど、現実社会にもあり得る事態をデフォルメして描かれたと思しいですね。

「驕らぬ心」
 都会の一角、廃車になったトラックで告解を始めたチェレスティーノ修道士のもとに、まだ若い司祭が告解に訪れます。彼は自分が「司祭さま」と呼ばれることに喜びを感じ、それが高慢の罪に当たるのではないかと心配していました。チェレスティーノは快く若者を赦します。
 数年後再び訪れた若者は、今度は「司教さま」と呼ばれることに罪を感じているというのです…。
 高慢の罪の告解に訪れた若い司祭が、訪れる度に地位がどんどん上がっていく…という物語。ささやかな「高慢」に罪を感じる若者の純真さに修道士は苦笑いしますが、その純真さゆえに、彼が評価されていくようになった、ということでもありましょうか。

「クリスマスの物語」
 クリスマスの夜、神と共に過ごす大司教のために、司教館を整えていた秘書のドン・ヴァレンティーノ。みすぼらしい男が現れて、その場所に感嘆します。自分にも少し神を分けてくださいという男に、大司教さまから神を奪おうというのか、とドン・ヴァレンティーノは怒りますが、
 その瞬間、建物の中から神が消えてなくなってしまいます。大司教のために、神を分けてもらおうと、外に出たドン・ヴァレンティーノでしたが…。
 大司教のための「神」を無くしてしまった秘書が、それを探し回る…というファンタジー作品。この作品に登場する「神」は、神の威光を帯びた空気のような存在として描かれています。善人のそばに発生するようなのですが、我欲や吝嗇といった気持ちを抱くと消えてしまいます。
 「神」を求めていく先々で、どんどんと「神」が失われていってしまう、というあたり、ファンタジーではありながら、シビアな雰囲気がありますね。本当に大事なものとは何なのか? という寓話的なメッセージも込められているようです。

「マジシャン」
 作家の「私」は、家に帰る途中で、知り合いのスキアッシ教授に出会います。彼の素性ははっきりせず、マジシャンだと噂する者もいました。近況を訊かれた「私」は、疲れもあり、自信なさげに応答しますが、スキアッシは、現代において作家という職業は本当に必要なのかと、議論をふっかけてきます…。
 現代における作家とその役割について、冷徹に語るスキアッシと、その言葉に滅入ってしまう作家の「私」の対話が描かれる作品です。
 スキアッシの言葉の妥当性にはうなずきながらも「私」が自らの作家としての使命感と意味に目覚める後半の展開には爽快感がありますね。
 ブッツァーティの作家としての矜持も窺えるようで、その意味でも興味深い作品です。

「戦艦《死(トート)》」
 第二次大戦時、フーゴ・レグルス海軍少佐は「作戦第9000号」と題された秘密作戦が存在し、部下だったウンターマイヤーを始めとした多くの人間がそのプロジェクトに駆り出されていくのを目にしていました。しかし極秘のその作戦の内容は全く知らされず、戦後に至っても、その内容は明かされていませんでした。
 レグルスはその作戦を調べていきますが、そのうちにそれは巨大な戦艦の建造計画だったのではないかと考えるようになります。折しも、行方不明だったウンターマイヤーが発見されます。
 ウンターマイヤーは自殺未遂をし、死を迎える前の短い間に、戦艦フリードリヒ二世号のその後のことを断片的に語ります。終戦時にすでに完成していた戦艦は、投降することを良しとせず、そのまま運行を続けていたというのですが…。
 その存在が秘匿されて続けていた、謎の巨大戦艦。終戦後も動き続けていた彼らは、いったい何と戦っていたのか? 一部の軍人の狂気から発した行動かと思いきや、実際に「敵」が現れ戦いを始める戦艦の姿に驚愕します。「敵」の正体は亡霊なのか、それとも異次元の存在なのか…。
 神秘的な雰囲気に包まれた、戦争奇談です。

「この世の終わり」
 ある朝、とてつもなく巨大な握りこぶしが町の上空に現れます。それが神による世界の終わりだと考えた人々は、あわてて告解をして救われようと、若い司祭を取り囲みますが…。
 世界の終わりに直面した人々のエゴイズムを描いた作品です。それが本当に世界の終わりなのか、司祭に告解をしたところで救われるのか、全く分からない状態ながら、極限状況で何かにすがろうとする人間たちの心理が描かれており、迫力がありますね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

ささやかな不安  ディーノ・ブッツァーティ『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』
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 ディーノ・ブッツァーティ『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』(脇功訳 岩波文庫)は、原著短篇集『六〇物語』(1958年)から15篇を精選した作品集です。ブッツァーティの代表作が集められており、彼の作品を概観するには便利な短篇集になっています。
 「七人の使者」「七階」「なにかが起こった」などに代表されるように、突然起きる不条理な状況から人間の不安が抉り出される、というのがブッツァーティ固有の作風なのですが、その一方「大護送隊襲撃」「マント」「竜退治」など、感傷的な要素が強い物語もあります。共通するのは、人間存在の悲哀、といったところでしょうか。物語は取り返しのつかない状況や悲劇を迎えることが多いのですが、そこには奇妙なユーモアがあって、「陰鬱な話」にはならないのもブッツァーティ作品の美点ですね。

「七人の使者」
 父の治める王国を踏査しようと、国境を目指して旅に出た「私」。国と連絡を取れるよう、七人の伝令役を連れた「私」は順番に彼らを送り出します。かし数年の月日が経っても国境は見えてきません。使者が戻ってくる間隔も段々と長くなっていきますが…。
 国境調査の旅に出た王子が、いつまで経っても国境に辿り着けない…という象徴的・寓意的な作品です。使者たちが戻ってくる間隔がどんどんと長くなり、数年、やがては生命のある間に戻ってこれない可能性もあるなど、その時間的スケールが、一人の人間の人生を超えてしまうのです。
 「私」が目的地にたどり着けない可能性を考えながらも、希望を失わないところには、不条理でありながらも、奇妙な明るさがありますね。

「大護送隊襲撃」
 三年間の囚人生活を終えた山賊の首領ガスパーレ・プラネッタは様変わりしており、かっての仲間たちのもとに戻るものの、首領本人であるとは認めてもらえません。山賊たちはすでにアンドレアを次の首領としていました。
 一人暮らしを始めたプラネッタは、山賊に憧れる青年ピエトロと一緒に暮らし始めますが、彼の手前、大護送隊を襲撃することを宣言します。大量の租税を運び、それゆえ大人数の護衛が付く大護送隊襲撃には誰も成功したことがないのです。ピエトロは止めますが、プラネッタは本気だと話します…。
 囚人生活で山賊の首領からすべりおちてしまった男が、到底不可能な大護送隊襲撃を計画する…という物語。実際、悲劇的な結末を迎えることになるのですが、そこには「救い」があります。ある意味でハッピーエンド作品ともいえましょうか。

「七階」
 列車に乗って、七階建ての専門病院を訪れたジュゼッペ・コルテ。彼が入院することになったその病院には独自の仕組みがありました。症状の重さにしたがって、それぞれの階に患者が振り分けられるというのです。七階が最も症状の軽い者、下の階に行くにしたがって症状は重くなり、一階はもはや見込みのない者が収容されているといいます。
 最も病状の軽い者が行く七階に落ち着いたコルテは、病院の手違いで、次々と下の階に移されていくことになりますが…。
 軽症であったはずの男が、病院の手違いから次々と重症患者が入るはずの階に移されていってしまう、という不条理極まりないブラック・ユーモア短篇です。
 下の階に行くにしたがって、実際の症状も悪くなっているようで、実際にこのまま行くと死が待っているのではないか…と予測させる展開は非常に怖いです。
 窓のブラインドがゆっくりとおりていく…という結末の描写は非常に象徴的でインパクトがありますね。

「それでも戸を叩く」
 夜遅く、グロン一家の住む屋敷を訪ねてきた、知り合いの青年マッシゲール。彼が言うには雨で堤防が崩れ、この屋敷から避難しないと危ないというのです。しかしグロン夫人を始め、屋敷の人々は意に介そうとしません…。
 危機的な状況を耳にしながらも、一向に動こうとしない家族を描く作品です。家族の中でもグロン夫人は日常を脅かす事態を認識したくないようで、このあたり、寓意的な持たせられているようですね。
 直接物語の展開には関与しないのですが、序盤で登場する、貴重な古代の像を気に入らないという理由で捨ててしまうというエピソードは、グロン夫人の性格を示すうえでも面白いところですね。

「マント」
 二年ぶりに戦争から家に帰ってきた青年ジョヴァンニは、母親の哀願にも関わらず、すぐにまた出立しないといけないと話します。外に連れを待たせているというのです。しかも彼はずっとマントで体を覆い、それを脱ごうとしません…。
 青年がマントを脱ごうとしないのは何故なのか? 彼が待たせている男は何者なのか? 怪談的なシチュエーションを扱った幻想短篇です。

「竜退治」
 谷あいに竜が住んでおり、地元の者が山羊を供えていると聞いたジェロル伯爵は、その竜を狩ろうと、友人たちを連れて出かけます。実際に竜を見つけた伯爵はそれを殺そうとしますが…。
 実在の生物として竜が登場する作品です。楽しみで竜を残酷にいたぶる伯爵に対して、それまで一緒に楽しんでいた友人たちも領民たちも、竜に同情を感じるようになっていきます。痛々しさがあり、後味が悪という「嫌な話」ではありますね。

「水滴」
 ある日突然、その水滴は、自然法則を無視して階段を昇ってくるようになりますが…。
 階段を逆に昇ってくる水滴が描かれるだけのお話なのですが、それに対しての人々の不安もが描かれるという異色の作品です。水滴が何かの「寓意」とか「象徴」なのではと考えるあたり、メタフィクショナルな香りもしますね。

「神を見た犬」
 パン屋のデフェンデンテは、叔父の遺産相続の条件として大量のパンを毎日貧しい人に配らなければならないことになっていました。パンを持ち去る野良犬を見つけたサポーリが後を付けると、その犬は老隠者にパンを運んでいたことが分かります。隠者が亡くなった後も犬が町をうろついているのが目撃されますが…。
 隠者と一緒にいたことから、神から霊妙な力を授かったと信じられている犬が、人々から恐れられることになるという作品です。
 実際に犬に超自然的な力があったのかどうかは別として、人々がそう信じ込むことによって、ある種の倫理的規範が広がる…というところが面白いですね。

「なにかが起こった」
 北に向かう列車の中から、外で人々が慌てて南へ逃げ出していく様を目撃した「私」。しかし彼らが何に慌てているのかは全く分かりません…。
 列車の窓越しになにかが起こり、人々が逃げまどう様を目撃しながらも、それが皆目分からず、しかもその原因となっているであろう方向にどんどん進んでいく…という、人間の不安を凝縮したような作品です。途中で新聞の切れはしを入手するも、それも断片で何が何だか分からない…というのも不安を煽りますね。
 ブッツァーティ作品の本質を示すような短篇で、彼の代表作といってもいい作品だと思います。

「山崩れ」
 大きな山崩れが起こったと編集長から知らされ、記事執筆のためにゴーロの町を訪れた記者のジョヴァンニ。しかし現地ではそんな災難は起こっていないと聞かされます。少年からもっと上の村サンテルモではないかという話を耳にしたジョヴァンニはそちらに向かいますが…。
 山崩れを取材に訪れた記者の男がその事実を確認できず、うろつき回ることになる…という作品です。噂だけが拡大されて広まってしまう、という人間社会を諷刺した作品であるともいえるのでしょうか。
実 際には災難などなかった、という形に落ち着きながらも、それが実際に起こるかもしれない…という不安を煽るようなラストも不気味です。

「円盤が舞い下りた」
 教会の屋根に止まった円盤から降りて来た異星人と会話を交わすことになった司祭ドン・ピエトロ。十字架の意味が分からないという彼らに、ドン・ピエトロは神について語ります。しかし、彼らはそもそも禁断の木の実に手を出さなかったというのです…
 異星人の目から、神を信じている人間の態度を諷刺するという作品です。信仰している神や人間の態度が、第三者からは馬鹿げて見えてしまう…というところがシニカルですね。「原罪」を背負わなかった異星人に対し、人間は卑しくても、神に言葉をかけようともしない異星人よりましだ…と述懐する司祭の様子は、論理が破綻してはいるものの、ある種の人間らしさを示しているようです。
 宗教というものに対してのブッツァーティの考え方の一端を見るようで興味深いですね。

「道路開通式」
 首都と、孤立した場所にある町サン・ピエロとを結ぶ八十キロの新しい道路が開通し、その開通式が行われます。式典に参加した内務大臣モルティメール伯爵は、他の者と共に開通祝賀の旅に参加しますが、最後のニ十キロが石ころ道のままだったため、無理にその道を進むことになります。
 馬車も進めなくなり、徒歩になっても進もうとしますが、一人また一人と脱落していきます…。
 いつまで経ってもたどり着けない町を描いた、ブッツァーティお得意のテーマで描かれた作品です。この作品では道路が開通しきっていないことや、徒歩ではあまりに時間がかかる…ということから、飽くまで物理的な困難が描かれているのですが、そのうちに目的の町自体は本当に実在するのかどうか? という疑問までもが出てくることになります。
死を覚悟してまで進み続ける伯爵の姿が描かれる結末には、ある種の感動までもが感じられますね。

「急行列車」
 急行列車に登場していた「私」は列車のスピードが遅くなっていることに気付きます。数十分の遅れで着いた駅では恋人とも会えず、次の駅には数か月、更にその次には数年の遅れまでもが出ていることが発覚しますが…。
 急行列車であるはずの列車がどんどんと遅れ、最大数年までもの遅れが出てしまう、という作品です。数十分程度であきらめて帰ってしまう恋人に比べ、数年間も待ち続ける母親が描かれるあたりに、著者の母親への深い愛情が現れているとも取れるでしょうか。
 終着点に辿り着くことができるのか…という不安に満ちたラストも著者らしい味わいですね。

「聖者たち」
 生前は百姓で、長い時をかけて評価の高まってきた、地味な聖人ガンチッロ。何か仕事をしなければという思いに駆られた彼は、ささやかな奇跡をいくつか起こしますが、誰も彼の仕業だとは気づいてくれません…。
 天上で暮らす地味な聖者の日常が描かれるという、微笑ましいファンタジー作品です。
 聖者が主人公であるだけに、ブラックな結末にならないところも好感触です。聖者の身の回りのものがみな「神」である…という汎神論的な描写が見られるところも面白いですね。

「自動車のペスト」
 排気ガスを通じて感染し、感染するとエンジンが気管支炎みたいな音を立て、接続部分が瘤のように腫れ上がる、塗装面がかさぶたに覆われるなどの症状がある自動車のペストが流行り出していました。病気が発覚した車は回収され、焼かれてしまうのです。
 フィナモーレ侯爵夫人のお抱え運転手である「私」は、運転する黒いロールスロイスを愛していましたが、車に病気の兆候が出始めたことに気付いていました…。
 車に病気(ペスト)が発生する世界を描いた作品です。愛車に病気の兆候を発見した語り手が、何とかそれを治そうとするものの、悲劇的な結末を迎えてしまいます。
 他の作品でもそうですが、人間以外の生物や無生物に対する同情的な視点が現れていて、ブッツァーティの「優しさ」が感じられる作品ともなっています。



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生き物さまざま  ディーノ・ブッツァーティ『動物奇譚集』
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 ディーノ・ブッツァーティ『動物奇譚集』(長野徹訳 東宣出版)は、著者の没後、1991年に刊行された原著作品集『動物譚』より短篇36篇が訳出された作品集です。
 全て、動物をテーマにした作品となっています。書かれた年代は様々で、1930年代から晩年の1970年代初頭まで、長期間にわたっています。年代順に作品が配置されていて、奇しくもブッツァーティの作家的な軌跡を見ることもできる作品集なのですが、最初から最後まで作風がほとんど変わっていないところに驚きます。というよりも、最初から作風が完成されているというべきなのでしょうか。

 ホテルの解体により、そこに住み着いていたネズミたちが追われてしまうという「ホテルの解体」、仲間を求めて孤独に生き続ける怪物を描く「ひとりぼっちの海蛇」、かって閉じ込めてしまった犬の死に様を精霊から聞かされるという「いつもの場所で」、軍艦内での小さなゴキブリの果てしない挑戦を描く「驚くべき生き物」、船上で可愛がられていた犬が自分の扱いの変化に戸惑う「船上の犬の不安」、スイスの科学者によって蠅が全滅間際に追い詰められるという「蠅」、人間に反感を持つ鷲がその生涯を振り返る「鷲」、犬に飼われる夢を見た警官の物語「警官の夢」、死後もその骨から長期間にわたって良質な出汁を出し続ける豚の物語「豚」、殺虫剤が効かず、人間の言葉を話す蠅を描いた「しぶとい蠅」、共産主義にかぶれた犬を描く諷刺的な「進歩的な犬」、舞台の才能を持つ者を見抜き、光り出す猫の物語「興行師の秘密」、愛犬を殺された男が神にも等しい力を発揮するという「憎しみの力」、ネズミに残酷な実験を続ける科学者を描く「実験」、前世が犬だった男と、犬たちとの関係を描いた「出世主義者」、皇帝庭園の警備を任ぜられた兵士が上司たちの違反に戸惑うことになる「衛士の場合」、奇怪な魚と三人の魔女たちの物語「海の魔女」、その写真がチーズの売り上げに貢献したことからモデル料を自らつりあげるメスのネズミを描く「恐るべきルチエッタ」、死を間近に迎えた犬が永遠の救いを求める「犬霊」、巨大な塔の建設を決意した石工が、鳥たちの助けを借りて建設を進めるという「塔の建設」などを面白く読みました。

 全体的に悲劇的な結末をたどる動物たちが多いのですが、その一方、ユーモラスな姿を見せたり、したたかな姿を見せる動物も登場していますね。共産主義にかぶれた犬が東側に行ってしまうものの、結局しおれて帰ってくる「進歩的な犬」や、自分の価値を知ってどんどんと報酬を釣り上げるネズミの登場する「恐るべきルチエッタ」などでは、そのしたたかさが描かれています。

 ブッツァーティは愛犬家だったらしく、それもあるのでしょうが、動物の中でも犬の登場する率が高くなっています。かといって、犬が幸福になる話が多いかと言えばその逆、というところもシニカルですね。屋敷に閉じ込めら得てしまった犬がじわじわと衰弱していく様を描いた「いつもの場所で」、死を間近に迎えた犬が永遠の救いを求めるも、その願いはかなわないという「犬霊」など、かなり救いのない物語もあります。

 集中でも、妙な幸福感のある不思議な物語が「豚」です。戦争の過酷だった1944年、ナーネ・ファメガの農場で飼われていた豚ボンペーオは、その素晴らしい肉で人々を喜ばせます。八年後、ナーネのもとを再訪した「私」は、ボンペーオの残した骨がいまだ良質な出汁を出し続け、周囲の家庭に貸し出されていることを知ります…。
 死後も、何年にもわたって、その骨から良質な出汁を出し続ける豚の物語で、豚当人は食べられてしまっているのに、死後も周囲の人々に幸せを与え続けている…という奇妙な幸福感のある物語になっています。

 寓話的な「塔の建設」も面白いですね。若い石工のアントニオ・シッタは、町の塔を見て、自分一人で塔を立ててやろうと思いつきます。レンガを焼き始めるものの、一人ではなかなか進みません。そこへ鳥たちが次々とレンガを持ち寄り、作業が進むことになりますが、レンガ工や労働組合の人間たちはアントニオの作業の邪魔をします。夜に夜行性の鳥の助けを借りたうえで、長期間の作業を経て塔は完成しますが、検査委員会の委員長は規則違反だとして、塔を壊すと言い出します…。
 鳥たちの助けを借り塔を建設する…という流れもファンタスティックなのですが、完成した塔を壊されまいとして、アントニオが守りに入る後半も思いもかけない展開で驚かされますね。

 物事の結末がつかず、不安な状態のまま終わる…というブッツァーティのお得意のパターンの作品ももちろんありますが、ポジティブな形であれネガティブな形であれ(大体ネガティブですが…)、明確に「結末」のつくお話が多くなっている印象です。
 その意味で、他のブッツァーティ作品集を読んでいると、逆に新鮮な側面を味わえるのではないかと思います。


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失われたものたち  黒史郎『失物屋マヨヒガ』
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 落としたり、無くしたりした物を、別のある物と引き換えに交換してくれる不思議な駄菓子屋マヨヒガ。対価を払いさえすれば、あらゆる物が戻ってくるのです。例え、その対象が「人」であったとしても…。
 黒史郎『失物屋マヨヒガ』(幽ブックス)は、対価を払いさえすれば、あらゆる「物」が返ってくるという不思議な駄菓子屋マヨヒガと、それをめぐる人々の物語が描かれていく幻想的な連作集です。

 人々が求めるのは、過去に失った品物が多いのですが、中には失った「感覚」であるとか、死なせてしまった「家族」など、その対象が人間であることもあります。品物が大掛かりなものであるほど、その対価も大きいものになり、失ってしまうものも大きくなるのです。
 上手い取引で品物を取り戻せた者、品物をかすめ取ろうとして失敗する者、家族を取り戻そうとする者など、様々な形でマヨヒガをめぐるエピソードが描かれます。
 あらすじを聞くと、一見ノスタルジックなテーマの作品と思えるのですが、意想外にダークなタッチの作品となっています。というのも、マヨヒガには善悪の概念は特にないようで、飽くまで取引とその対価のみにしか関心がないようなのです。その対価のせいで人生が破綻してしまったり、第三者が不幸になってしまうことさえあるのです。短いエピソードが集積する形の構成になっていますが、後半に現れるエピソードは暗い情念のものが多くなっていますね。

 エピソード間のつながりもあちこちに仕掛けられています。序盤で登場した脇役のその後が他のエピソードで語られたり、前のエピソードそのものの由来が、別のエピソードで判明したりと、関連性を読み解いてくのも楽しい作業です。エピソードが進むにしたがって、マヨヒガの秘密やそのルールが判明していくのも面白いところですね。
 物語の背景として、昭和時代の風俗やおもちゃが登場するのも、その時代を知る人にとっては懐かしいところでしょうか。ダークな物語ではあれど、その意味ではノスタルジックな味わいもあります。

 いわゆる「魔法のお店」テーマの作品なのですが、死者をも蘇らせる巨大な力、非人間的な対価を要求するシステム、人間の暗い情念とが相まって、全体にブラックなトーンの物語になっています。
 一つ一つのエピソードは<奇妙な味>風味が強く、さらに、通して読むとまた大きな物語が見えてくるなど、一粒で二度おいしい作品です。


テーマ:怪談/ホラー - ジャンル:小説・文学

6月の気になる新刊
6月3日刊 ケヴィン・ウィルソン『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(芹澤恵訳 集英社 予価2750円)
6月7日刊 ジェス・キッド『壜のなかの永遠』(木下淳子訳 小学館文庫 予価1364円)
6月8日刊 竹本健治選『変格ミステリ傑作選 戦後篇Ⅰ』(行舟文庫 予価1430円)
6月13日刊 E・M・フォースター『E・M・フォースター短篇集』(井上義夫訳 ちくま文庫 予価990円)
6月14日刊 オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』(藤井光訳 河出書房新社 予価2475円)
6月14日刊 星野太朗『月刊ムー書評大全』(青土社 予価2640円)
6月22日刊 R・L・リプレー『信じようと信じまいと』(庄司浅水訳 河出書房新社 予価1980円)
6月25日刊 カート・ヴォネガット&スザンヌ・マッコーネル『読者に憐れみを ヴォネガットが教える「書くことについて」』(金原瑞人、石田文子訳 フィルムアート社 予価3740円)
6月30日刊 牧原勝志編、紀田順一郎・荒俣宏監修『新編 怪奇幻想の文学1 怪物』 (新紀元社 予価2750円)
6月30日刊 ロバート・E・ハワード『愛蔵版 英雄コナン全集1 風雲篇』(宇野利泰、中村融訳 新紀元社 予価2420円)
6月30日刊 東雅夫編『吸血鬼文学名作選』(創元推理文庫 予価1100円)

 ケヴィン・ウィルソン『リリアンと燃える双子の終わらない夏』は、興奮すると〈発火〉する特異体質の子供たちを描いたファンタスティックな作品だとのことで、これは面白そう。

 ジェス・キッド『壜のなかの永遠』は「アイルランドの人魚伝説とビクトリア期ロンドンの誘拐事件をファンタジックに描く、時空を超えた歴史ミステリ。」とのことで、非常に気になります。

 竹本健治選『変格ミステリ傑作選 戦後篇Ⅰ』は、以前に出たアンソロジーの続篇。戦後発表のものから変格作品を選んでいます。収録作は以下のもの。

香山滋「処女水」
大坪砂男「天狗」
橘外男「陰獣トリステサ」
山田風太郎「死者の呼び声」
土屋隆夫「経営者入門」
日影丈吉「鵺の来歴」
陳舜臣「方壺園」
戸川昌子「塩の羊」
小松左京「共喰い―ホロスコープ誘拐事件」
中井英夫「空しい音―愛読者をさがす登場人物」

 牧原勝志編『新編 怪奇幻想の文学1 怪物』は、かって新人物往来社より刊行された怪奇幻想小説の名アンソロジー『怪奇幻想の文学』の新版シリーズ。旧シリーズの編者である紀田順一郎、荒俣宏を監修に迎えています。いわゆる「名作」を新訳でまとめ、いくつかの初訳作品を混ぜ込む、というコンセプトのようです。これは楽しみなシリーズですね。
収録作は以下の通り。

シェリー「変化(へんげ)」
エルクマン-シャトリアン「狼ヒューグ」(本邦初訳)
ビアス「怪物」
ホジスン「夜の声」
ラヴクラフト「壁の中の鼠」
ベンスン「“かくてさえずる鳥はなく”」
リーイ「アムンセンのテント」
ホワイトヘッド「黒いけだもの」
コリア「みどりの想い」
ウェルマン「ヤンドロの小屋」

 ロバート・E・ハワード『愛蔵版 英雄コナン全集1』は、かって創元推理文庫でも刊行されていた、ハワードの代表作シリーズの邦訳全集の愛蔵版。全4巻で刊行とのこと。文庫版も手に入りにくくなっていたので、これは慶賀すべきでしょうか。

 英米の古典吸血鬼小説を集めたアンソロジー『吸血鬼ラスヴァン』(東京創元社)が刊行されたばかりですが、東雅夫編『吸血鬼文学名作選』は、日本篇といった趣でしょうか。こちらも楽しみですね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

フランケンシュタインの真実  ブライアン・W・オールディス『解放されたフランケンシュタイン』
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 ブライアン・W・オールディスの長篇『解放されたフランケンシュタイン』(藤井かよ訳 早川書房)は、タイム・スリップ現象で過去のスイスに転移してしまった男が、その地でフランケンシュタインとその怪物に出会う…という物語です。

 2020年、西側、南アメリカ、第三世界の三つの勢力の争いにより、世界に戦争による破滅の危機が近づいていました。さらに、一時的に、土地ごと人間が別の時代にタイム・スリップしてしまうという現象が相次いでいました。
 妻のマイナと離れ、孫と共に過ごしていた元大統領顧問ジョーゼフ・ボーデンランドは、家ごとタイム・スリップ現象に巻き込まれてしまいます。好奇心から車で遠出をしますが、その間に土地は元の時代に戻り、一人、過去の時代に取り残されてしまいます。その時代は、19世紀初頭のスイスでした。
 ボーデンランドは、ふと出会った男がフランケンシュタインという名前であり、彼の作り出した怪物も実在することを知ります。怪物によって引き起こされた殺人の罪により、無辜の娘が死刑に処されそうになっているのを知ったボーデンランドは、彼女を救おうと考えますが…。

 タイム・スリップにより、フランケンシュタインと彼の作り出した怪物が実在する過去の世界に紛れ込んでしまった男を描く物語です。
 本来フィクションの登場人物であるフランケンシュタインと彼が作り出した怪物、フランケンシュタイン家の関係者などが存在する時点で、ただの「過去」ではないのですが、さらに複雑なのは、小説『フランケンシュタイン』の作者であるメアリ・シェリーも同じ世界に実在するところです。
 しかも、メアリの『フランケンシュタイン』はまだ世に出されておらず、書きかけの状態だというのだから、眩暈がしてきてしまいます。
 フランケンシュタインと出会ったボーデンランドが、怪物のせいで処刑されようとしている娘を助けようとして奔走するのですが、上手く行かず、そのうちに作者自身であるメアリ・シェリーと出会って、彼女と恋に落ちてしまう…という展開にも驚いてしまいますね。

 序盤で提示された未来世界の話は、ボーデンランドが過去に転移してからはほぼ触れられず、タイム・スリップ現象についても説明はほとんどされません。過去に転移してからは、ほとんど「実録フランケンシュタイン」というか伝奇小説的な味わいが強くなっています。
 作者のメアリと、彼女の創作物たちが同居する世界観についても説明は特にされません。むしろボーデンランドによって真実を知らされたメアリが逆に驚いてしまうほど。「説明されない」という点では主人公ボーデンランドの行動原理もそれで、正義感にかられて行動したかと思うと、出会ったばかりのメアリに一目ぼれしてしまったり、フランケンシュタインを追いかけたりと、あまり一貫性がありません。
 さらに過去の時代で突然時間が「跳ぶ」現象が発生したりなど、ある意味世界観はごちゃごちゃなのですが、読んでいて妙な魅力があるのは確かなのですよね。

 一番面白いところは、ボーデンランドが接触した、フランケンシュタインの関係者たちの人物像が、フィクションで描かれているのとは少し異なっていること、彼らの物語にボーデンランドが介入することによって、実際の小説とは異なった展開になっていくこと、といったあたりでしょうか。
 その意味では、原典の『フランケンシュタイン』を読んでおかないと、十分に面白さを味わえない作品ではあると思います。
 「ごちゃごちゃした」とは言いましたが、この、メタフィクショナルというか、フィクションと現実を意図的に混ぜ合わせたような世界観はユニークで、一読の価値のある作品だと思います。
 序盤こそSFの衣をまとっていますが、全体的にパロディ風味の強い幻想伝奇小説といった感じの作品ですね。


テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学



プロフィール

kazuou

Author:kazuou
男性。本好き、短篇好き、異色作家好き、怪奇小説好き。
ブログでは主に翻訳小説を紹介していますが、たまに映像作品をとりあげることもあります。怪奇幻想小説専門の読書会「怪奇幻想読書倶楽部」主宰。
ブックガイド系同人誌もいろいろ作成しています。



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