≪怪奇幻想の文学≫(新人物往来社)、≪世界幻想文学大系≫(国書刊行会)など、紀田順一郎とともに、日本における幻想文学の紹介を行ってきた荒俣宏。彼が取り組んだ企画の中でも、もっとも愛すべきシリーズといえるのが、≪妖精文庫≫(月刊ペン社)です。 1970年代後半から1980年代前半にかけて刊行されたこのシリーズ、その名の通り、ファンタジーを集めた叢書です。ただ、この場合の「ファンタジー」とは広い意味で捉えられています。空想の世界を舞台にした、いわゆる「ハイ・ファンタジー」だけでなく、純文学に近い作品もあれば、ナンセンスな童話もあり、モダンな幻想小説もありと、多彩な作品が集められているのです。 まずは、ラインナップを見てみましょう。
第一期 ジョージ・マクドナルド『リリス (上)』(荒俣宏訳)→ちくま文庫(上下合本)で復刊 ジョージ・マクドナルド『リリス (下)』(荒俣宏訳)→ちくま文庫 (上下合本)で復刊 ピーター・S・ビーグル『心地よく秘密めいたところ (上)』(山崎淳訳)→創元推理文庫(上下合本)で復刊 ピーター・S・ビーグル『心地よく秘密めいたところ (下)』(山崎淳訳)→創元推理文庫(上下合本)で復刊 アルジャーノン・ブラックウッド『ケンタウルス』(八十島薫訳) ロード・ダンセイニ『エルフランドの王女』(原葵訳)→沖積舎で復刊 クレメンス・ブレンターノ『ゴッケル物語』(矢川澄子訳)→王国社 他に岩波文庫で別訳あり ジョージ・マクドナルド『黄金の鍵』(吉田新一訳)→ちくま文庫で復刊 W・B・イエイツ『ケルト幻想物語集 I』(井村君江訳)→ちくま文庫で再編版が刊行 W・B・イエイツ『ケルト幻想物語集 II』(井村君江訳)→ちくま文庫で再編版が刊行 W・B・イエイツ『ケルト幻想物語集 III』(井村君江訳)→ちくま文庫で再編版が刊行 ウイリアム・モリス『サンダリング・フラッド』(中桐雅夫訳)→平凡社ライブラリーで復刊 別巻 荒俣宏『別世界通信』→ちくま文庫→イーストプレスで新版が刊行
第二期 E・R・エディスン『ウロボロス (上)』(山崎淳訳)→創元推理文庫(上下合本)で刊行 E・R・エディスン『ウロボロス (下)』(未刊)→創元推理文庫(上下合本)で刊行 ウイリアム・ホープ・ホジスン『ナイトランド (上)』(荒俣宏訳)→原書房で復刊 ウイリアム・ホープ・ホジスン『ナイトランド (下)』(荒俣宏訳)→原書房で復刊 レオノーラ・カリントン『耳らっぱ』(嶋岡晨訳)→工作社で新訳刊行 アレクサンドル・グリーン『輝く世界』(沼野充義訳)→沖積舎で復刊 ジャン・レイ『マルペルチュイ』(篠田知和基訳) シルヴィア・タウンゼント・ウォーナー『妖精たちの王国』(八十島薫訳) ウィルヘルム・ブッシュ『エドワルドの夢』(矢川澄子訳) ロード・ダンセイニ『影の谷年代記』(原葵訳)→ちくま文庫で復刊 アルジャーノン・ブラックウッド『ジンボー』(北村太郎訳) 別巻 荒俣宏編 『妖精画廊I』(光風社出版から新装版が刊行)
第三期 ジュール・シュペルヴィエル『火山を運ぶ男』(嶋岡晨訳) ロード・ダンセイニ『牧神の祝福』(杉山洋子訳) ヴェニアミン・カヴェーリン『師匠たちと弟子たち』(沼野充義訳) シャーロット・ゲスト『マギノビオン』(未刊) レオノーラ・カリントン『「美妙な死体」の物語』(嶋岡晨訳)→別訳者によるカリントン短篇集が工作舎より刊行 イルゼ・アイヒンガー『より大きな希望』(矢島昂訳)→東宣出版で新訳刊行 ジャン・ロラン『フォカス氏』(篠田知和基訳) フィオナ・マクラウド『ケルト民話集』(荒俣宏訳)→ちくま文庫で復刊 アルジャーノン・ブラックウッド『妖精郷の囚われ人 (上)』(高橋邦彦訳) アルジャーノン・ブラックウッド『妖精郷の囚われ人 (下)』(高橋邦彦訳) ジョン・クーパー・ポーイス『モーウィン』(未刊)→創元推理文庫で刊行 別巻 荒俣宏編『妖精画廊II』 (光風社出版で新装版が刊行)
大きく三期に渡って刊行されていますが、それぞれの期によって、内容の傾向も多少異なっています。一期は、正統派のファンタジー、二期は毛色の変わった異色作、三期は文学味の強いもの、といった感じでしょうか。
一期の作品は、我々が「ファンタジー」と言われて思い浮かべるような、正統派の西洋ファンタジーが集められています。ドイツロマン派のメルヘン『ゴッケル物語』(クレメンス・ブレンターノ)、イギリスファンタジーの源流ともいうべき『リリス』(ジョージ・マクドナルド)など。 中で一つだけ異彩を放っているのが、ブラックウッドの『ケンタウルス』でしょうか。秘教的な色彩の濃い作品で、このラインナップの中に入れたのは、かなり冒険だったような気がします。
二期は、一期よりもバラエティに富んでいて、ヒロイック・ファンタジーの大作『ウロボロス』(E・R・エディスン)、SF味の強い『ナイトランド』(ウイリアム・ホープ・ホジスン)、シュルレアリスム作家カリントンの『耳らっぱ』、ほぼ怪奇小説といっていい『マルペルチュイ』(ジャン・レイ)、皮肉とユーモアの効いたモダン・フェアリー・テイル集『妖精たちの王国』(シルヴィア・タウンゼント・ウォーナー)など、充実度が半端ではありません。
三期は、かなり文学味が強く、前衛的な作品が多く集められていますね。とくに『より大きな希望』(イルゼ・アイヒンガー)や『フォカス氏』(ジャン・ロラン)あたりは、「幻想文学」の範疇だとは思いますが、ファンタジーの叢書に入れるには相当きつい作品だと思います。 一期、二期ともに入っているダンセイニは、三期には異色作である『牧神の祝福』が入っていますね。 三期の収穫としては、ナンセンス味の強い『火山を運ぶ男』(ジュール・シュペルヴィエル)、突飛な発想で先の読めない連作短篇集『師匠たちと弟子たち』(ヴェニアミン・カヴェーリン)が挙げられるでしょうか。 上下刊のブラックウッド『妖精郷の囚われ人』は、愛すべき大作ファンタジー。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』とも似たモチーフを持った作品です。この作品に関しては、作曲家エドワード・エルガーによる、劇付随音楽『スターライト・エクスプレス』も有名ですね。
この叢書、内容に劣らず魅力的だったのが、その装丁・ブックデザインです。三期を担当した、奥村靱正によるデザインも、モダンかつシャープで格好良いのですが、やはり白眉はシリーズの二期。表紙を担当した、「まりの・るうにい」による画が素晴らしいのです。 以前より、稲垣足穂作品のブックデザインなどで見せていた、星や月や宇宙などをモチーフにした画も巣晴らしかったですが、妖精文庫の表紙で見せた、ファンタジーの世界もまた違った良さを持っていました。 ≪妖精文庫≫という叢書の代表的イメージは、「まりの・るうにい」によるものと言っていいのではないでしょうか。
あと特筆したいのは、それぞれの期の別巻です。一期の別巻、荒俣宏『別世界通信』はファンタジーの案内書で、当時はこうしたファンタジーのブックガイド的なものが少なかったので、ジャンル愛好者には歓迎されたのではないでしょうか。ちくま文庫版、イースト・プレス版と、改訂新版が出ており、今でもその価値は失われていません。 二期と三期の別巻は、ファンタジー的な絵画やイラストレーションを集めた画集 『妖精画廊』。妖精画やファンタジー画だけでなく、博物学の図譜なども交えて紹介しているところが、さすが荒俣宏といった感じです。 毎号ついていた月報も楽しいものでした。作家の紹介文、既刊本のブックガイド、ファンタジー画の紹介など、変化に富んだ内容で、本体作品より面白かったこともあるぐらいです。
この叢書、出版元の倒産により、完結前に途絶してしまいます。何冊か、未刊行のものもありました。とくに『ウロボロス』の下巻が未刊行だったのは有名な話ですが、これは後に、完訳が創元推理文庫に収められることになります。 この『ウロボロス』に限らず、少なからぬタイトルが、後に何らかの形で再刊されています。これはやはり、読みつがれるべき名作が多く含まれていたということでしょう。≪妖精文庫≫は、日本にファンタジーが根付くうえで、重要な意味を果たした叢書だといえます。
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