エルクマン-シャトリアンは、アルザス・ロレーヌ地方出身である、エミール・エルクマンとアレクサンドル・シャトリアンの二人からなる合作作家のペンネームです。19世紀後半に、主に地方色豊かな大衆小説で人気を得ました。 本邦では、彼らとしては余技だった、短編怪奇小説の書き手として認識されているようです。とくに平井呈一の訳になる『見えない眼』(『恐怖の愉しみ』創元推理文庫収録)は、読者に強い印象を残しています。ただ、邦訳短編の数は数編にとどまり、彼らの怪奇短編を俯瞰するには難しい状況が続いていました。 今回、同人出版という形ではありますが、エルクマン-シャトリアン『怪奇幻想短編集』(小林晋訳 ROM叢書)が刊行されたことは、じつに意義のあることと言わねばなりません。 以下、主だった作品を紹介していきたいと思います。
『謎のスケッチ』 経済的に困窮していた画家の「私」は、ある夜、衝動に突き動かされてスケッチを描きあげます。それは殺人の場面を描いた陰鬱な作品でした。しかしスケッチに描かれた情景は、実際に起きた殺人事件の犯人しか知り得ないとして、「私」は投獄されてしまうのです…。 神秘的な力に突き動かされて描いたスケッチ。それは得難い能力なのか、それとも…。怪奇現象の理由がまったく説明されないところが、不安感を高めています。
『ハンス・シュナプスの遠眼鏡』 変人として知られる薬剤師ハンス・シュナプス。彼の作り出した遠眼鏡には不思議な力がありました。見るものの心のままに、望む世界を見せてくれるのです…。 短めの作品ながら、なんとも魅力的なレンズ嗜好の一品。
『梟の耳』 梟の耳と呼ばれる廃墟に、何者かが潜んでいるという報を受けた村長は、その場所で不審な小男をとらえます。しかし事情を聞く前に、男は首を吊って死んでしまいます。男が潜んでいた場所から発見された文書にはある秘密が…。 文書に描かれた秘密は本当なのか、それとも男の妄想なのか? 曖昧な結末が味を出しています。『ハンス・シュナプス』同様、SF味のある作品。
『親方の懐中時計』 一稼ぎにやってきた楽士の二人組が、泊まった旅籠で殺人事件に遭遇します。遺留品の懐中時計を証拠として捕まった相棒の嫌疑を晴らそうと、「私」は奔走しますが…。 犯人はいったい誰なのか? サスペンス風味豊かな一編。
『三つの魂』 狷介な学者ヴォルフガング・シャルフには、一つの持論がありました。人間には三つの魂がある。植物魂、動物魂、そして人間魂。この仮説を証明するために、彼はカトリーヌ婆さんを監禁し、飢えさせていました。シャルフは、その事実を知った「私」までも監禁しようとしますが…。 狂気の人体実験を繰り返す学者。監禁された人間の描写は、じつにリアル。今読んでも、迫力のあるサスペンス作品です。
『ハンス・シュトルクス』 聖歌隊指揮者の職を得て、ようやく名士となった「私」は、旅の途中で、ハンス・シュトルクスと名乗る測量技師と出会います。学問的情熱に燃える彼は、化石の蒐集をしていました。シュトルクスに蒐集品を身に来ないかと誘われた「私」が聞いたのは、彼が殺人を犯したという知らせでした…。 情熱の対象を奪われた不遇な男が起こした事件とは…。哀愁感ただよう、スケッチ風小品です。
『蟹蜘蛛』 温泉地で発見された白骨死体は、原因不明の事件として処理されていました。「私」と友人のサー・トーマスは、洞窟のそばの池を訪れますが、サー・トーマスは死体となって発見されます。「私」は、後見人であるヴェーバー医師に助けを求めますが…。 奥地に怪物が潜んでいたという、典型的な怪物ホラー。ただ怪物の造形にはインパクトがあります。
『鴉のレクイエム』 音楽家のツァハリアス伯父は、スランプに悩んでいました。彼は仕事の邪魔をする鴉を悪魔の化身だと信じていたのです。奇人のハーゼルノス医師は、伯父の飼っている猫と引き換えに、彼の悩みを解消しようと申し出ますが…。 ツァハリアス伯父といい、ハーゼルノス医師といい、登場人物がコミカルかつ情感豊かに描写されるのが、じつに魅力的。終始ユーモラスな調子のスラップスティックな作品です。
『見えない眼』 屋根裏部屋に住む画家のクリスティアンは、窓から見える旅籠屋で首吊りを目撃します。しかも首吊りは、これが最初ではないというのです。旅籠屋の向かいの家に住む奇怪な老婆が、首吊りの原因なのではないかと疑うクリスティアンは、ある対策を考えますが…。 平井呈一の既訳がある作品ですが、英語からの重訳ではなく、フランス語からの翻訳になります。何度読んでも迫力のある、名作短編といえます。
『壜詰めの村長』 ぱっとしない宿で口にしたワインに感銘を受けた友人のヒッペルは、その夜、悪夢にうなされて目を覚まします。なんと彼は夢の中で、とある村の村長だったというのです。強欲な村長が死ぬまでを体験したというヒッペルの言葉に、「私」は半信半疑でしたが、実際に夢に見た村にたどり着くに及んで、彼の言葉を信じ始めます…。 夢の中で他人の人生を生きるという、テーマだけを見れば目新しさのない作品ですが、夢の中で語られる村長の人物描写がリアルで読みごたえがあります。客観的には嫌われ者の村長と一体化したために、彼をあくまで良く見てしまうヒッペルの姿に、皮肉なユーモアが感じられます。
『絞首人のヴァイオリン』 才能はありながらも、オリジナリティに欠けるという師の言葉を受けて、ハーフィッツは、それを克服する旅に出ます。ふと立ち寄った宿屋で、彼は不審の念にかられます。狂ったような娘の言葉、野ざらしになった絞首人によく似た亭主、そして深夜に聞こえるヴァイオリンの音…。 硬派なゴースト・ストーリー。出現する幽霊の立ち回りの描写が、実に繊細で素晴らしいです。
『蜜蜂の女王』 アルプスの山を訪れた植物学者のエネティウスは、山の中で三人で暮らす親子に出会い、彼らの家に世話になることになります。純朴な家族に親愛の念を抱くエネティウスでしたが、なかでも盲目の幼い娘レーゼルにひときわ惹かれます。彼女は盲目にもかかわらず、山の天候や様子を正確に言い当てるのです…。 蜜蜂との共感能力を持つ娘を描いた作品です。終始やさしい雰囲気で描かれた、心あたたまる一編。
タイトルに「怪奇幻想」とはありつつも、厳密には「怪奇幻想」でないものも含まれています。共通するのは、味のある人物描写と繊細な情景描写。ユーモアや哀感を盛り込む手腕はじつに巧みです。派手さには欠けるものの、読んでいて楽しい作品集になっています。 訳文も上質で、古き良き怪奇小説のファンには、ぜひ読んでいただきたいですね。
テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学
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