震災
【図々しい】叔父「義実家さんにも毎年精米したての米を送ろうか?」トメ&コトメ『九州の米?タイ米みたいにポソポソしてそうw食べられるの?』でも震災で東北ブランド米が・・・
800 :鬼女日記 2011/08/05(金) 08:25:16 0
心狭いかもしれないけど、かなりスカッとした。
結婚して最初の年、九州で農家を営む叔父から
「よければ毎年精米したての米を送ろうか?」
と、義実家の分まで米を送ってくれるという申し出があった。
でトメ&コトメにそういうと、コトメがぎゃはぎゃは笑いながら、九州の米?
なにそれ?タイ米みたいにポソポソしてそうw食べられるの?と、馬鹿にした。
トメも隣で「そうよねぇwお気持ちだけいただいとくわ」と、諌めもしない。
義実家は東北のブランド米を毎年頼んでいるから、そんな『得体の知れない米』
は、只でもいらないそうだ。
で、最近の原〇騒ぎで、義実家で毎年購入してた米が、非常に心配な状態に。
もしかして...と思ってたら案の定、トメから電話が来た。
トメ「あなたの叔父さん、お米はまだ作っているわよね、あの米ね...」
私「あ、コトメさんが言ってたタイ米のことですね?ポソポソしてそうだとか
食べられるの?とか言ってた。まだ作ってますが何か?」
トメ「いや、コトメがねぇ...あの子、子供がいるでしょう?」
私「得体の知れない米とも言ってましたよね?で何か?」
トメ「...そうよねぇ、怒ってるわよねぇ。また掛け直します」
夫にはコトメからおねだりメールが来てたらしいが、「あんだけ馬鹿にしといて
何図々しい事いってんの?まずは謝罪だろ。」と返したらしいw
これからトメ&コトメがそう出てくるか楽しみです。
結婚して最初の年、九州で農家を営む叔父から
「よければ毎年精米したての米を送ろうか?」
と、義実家の分まで米を送ってくれるという申し出があった。
でトメ&コトメにそういうと、コトメがぎゃはぎゃは笑いながら、九州の米?
なにそれ?タイ米みたいにポソポソしてそうw食べられるの?と、馬鹿にした。
トメも隣で「そうよねぇwお気持ちだけいただいとくわ」と、諌めもしない。
義実家は東北のブランド米を毎年頼んでいるから、そんな『得体の知れない米』
は、只でもいらないそうだ。
で、最近の原〇騒ぎで、義実家で毎年購入してた米が、非常に心配な状態に。
もしかして...と思ってたら案の定、トメから電話が来た。
トメ「あなたの叔父さん、お米はまだ作っているわよね、あの米ね...」
私「あ、コトメさんが言ってたタイ米のことですね?ポソポソしてそうだとか
食べられるの?とか言ってた。まだ作ってますが何か?」
トメ「いや、コトメがねぇ...あの子、子供がいるでしょう?」
私「得体の知れない米とも言ってましたよね?で何か?」
トメ「...そうよねぇ、怒ってるわよねぇ。また掛け直します」
夫にはコトメからおねだりメールが来てたらしいが、「あんだけ馬鹿にしといて
何図々しい事いってんの?まずは謝罪だろ。」と返したらしいw
これからトメ&コトメがそう出てくるか楽しみです。
義兄の息子の誕生日は、大震災が起こった日。義兄嫁「悲しんでいる人がいるから」と他の兄弟の誕生会は賑やかにやるのに、甥だけしなかった。そんな甥が入籍でも義兄嫁は・・・
137 :鬼女日記 2019/01/17(木) 09:54:22 0.net
義兄の息子は今日が27歳の誕生日
震災の日は3歳の誕生日で
義兄家は関西在住でもないのにお誕生会を中止にしたそうだ
それ以降も義兄嫁は「悲しんでる人がいるから」と言って
甥の誕生会をしなかった
他の兄弟の誕生会は祖父母やいとこを読んで賑やかにやってた
周囲は甥の誕生日も普通にやってあげてと言っても無視
見かねた義両親や私の夫が食事に連れて行ったりしてた(小学校卒業くらいまで)
正月に甥が昨夏に入籍したお嫁さんを連れて義実家に来た
何も知らされていなかった義兄嫁はムンクの叫びみたいな顔になってた
実は入籍したのは彼女以外はみんな知ってて
お祝いの食事会も済ませてあった
義兄は下の子が大学を卒業したら離婚する気らしい
震災の日は3歳の誕生日で
義兄家は関西在住でもないのにお誕生会を中止にしたそうだ
それ以降も義兄嫁は「悲しんでる人がいるから」と言って
甥の誕生会をしなかった
他の兄弟の誕生会は祖父母やいとこを読んで賑やかにやってた
周囲は甥の誕生日も普通にやってあげてと言っても無視
見かねた義両親や私の夫が食事に連れて行ったりしてた(小学校卒業くらいまで)
正月に甥が昨夏に入籍したお嫁さんを連れて義実家に来た
何も知らされていなかった義兄嫁はムンクの叫びみたいな顔になってた
実は入籍したのは彼女以外はみんな知ってて
お祝いの食事会も済ませてあった
義兄は下の子が大学を卒業したら離婚する気らしい
結婚前提の彼女が、震災で一時帰郷。彼女「安否を確認して会ってるうちにお互い好きになっちゃった。別れて」俺「その男連れて来い!」酒飲んで起きたら、どうでもよくなってた。でも
88 :鬼女日記 2015/05/21(木) 16:35:20 ID:tvm
浮氣して別れた彼女との話書き捨てる
勢いで書くから長くなったらごめんよ
震災のあった年、同じ大学の女の子と付き合ってた
入学直後のオリエンテーションで仲良くなって付き合うことになった
当時二年以上付き合ってたことになる
卒業して就職したら結婚しようか、なんて今思えば青臭いことを言い合って
お互いの親とも仲良くやってたよ
そんな日々にあの震災があった
彼女はちょっと北(原発問題のあった県)の出身でちょっと実家に帰るね、と帰っていった
すぐに彼女から被害はなくて大丈夫だったと電話があって安心した
で、しばらく親と一緒にいるね、と言われたのであっさり納得した
勢いで書くから長くなったらごめんよ
震災のあった年、同じ大学の女の子と付き合ってた
入学直後のオリエンテーションで仲良くなって付き合うことになった
当時二年以上付き合ってたことになる
卒業して就職したら結婚しようか、なんて今思えば青臭いことを言い合って
お互いの親とも仲良くやってたよ
そんな日々にあの震災があった
彼女はちょっと北(原発問題のあった県)の出身でちょっと実家に帰るね、と帰っていった
すぐに彼女から被害はなくて大丈夫だったと電話があって安心した
で、しばらく親と一緒にいるね、と言われたのであっさり納得した
元々仲が悪く、震災時に必タヒの形相で非難呼びかける私に「大袈裟な!」と言い放ったa子と友ヤメ。でもa子が病気になって病状聞いて回ったらb「a子を心配するんだw」
641 :鬼女日記 2017/01/14(土) 15:03:50 ID:81b
私と凄く仲が悪いa子
今思い出しても腹が立ってくるぐらいに険悪
特に地震が起こったときに必タヒの形相で避難を呼び掛ける私に「大袈裟な!」と悪態をついてきたのが決定打になり完全に決裂してしまった
これが第一の友やめ
そんな彼女がなにか病気になってしまった
いくら嫌いとはいえ流石に病気になると心配になってきてa子の病状について聞いて回ったり目に涙を浮かべたりした
それを見たbが勝ち誇ったような表情で「なんだかんだ言ってa子を心配するんだwww」とニヤァ~って笑いながら言ってきたのが物凄く腹が立って友やめした
トラウマになりそう
なんだか物凄く恥ずかしく思えてa子に対する同情すらも消えてしまった
今思い出しても腹が立ってくるぐらいに険悪
特に地震が起こったときに必タヒの形相で避難を呼び掛ける私に「大袈裟な!」と悪態をついてきたのが決定打になり完全に決裂してしまった
これが第一の友やめ
そんな彼女がなにか病気になってしまった
いくら嫌いとはいえ流石に病気になると心配になってきてa子の病状について聞いて回ったり目に涙を浮かべたりした
それを見たbが勝ち誇ったような表情で「なんだかんだ言ってa子を心配するんだwww」とニヤァ~って笑いながら言ってきたのが物凄く腹が立って友やめした
トラウマになりそう
なんだか物凄く恥ずかしく思えてa子に対する同情すらも消えてしまった
震災で家を無くした親戚一家が、東京の我が家に転がり込んで一年。父「出ていけ」親戚「東京は家賃が高くて~」と言い訳ばかりなので、父が強硬手段に打って出たら・・・
【元彼武勇伝】身長180体重96のガチムチ男。気弱で「体は強くなってもヘタレは治らない」と溢していた。でも3.11の震災で真実の姿が明らかになった!逃してなるものか(笑)
【衝撃】311の直後、避難所のお手伝いに。夜番をしていたら昇降口の外に人影が見えた→その親子3人に「寒いから中へどうぞ」と声をかけたら・・・
86 :鬼女日記 2015/04/19(日) 22:48:07 ID:rUK
311のときのお話です。
モロに見た話なのでご注意ください。
311の直後、避難所になった近所の学校にお手伝いに行きました。
夫は教員で、自分の学校の避難所運営で帰宅できないので、
ひとりでいるより集団でいるほうが安心だったので、単純にお手伝いに行った次第。
当時はまだ高速も閉鎖されており、遠方から身柄引受に来る人が真夜中に来たりするので
運営スタッフも24時間体制で対応してました。
震災2日目の夜、たまたま夜番の人が1人足りなかったので、いい経験かと私は朝まで
避難所のお手伝いをすることにしました。
停電している上、灯油もないため、わずかな灯りを囲んで皆毛布に包まって起きて
あれこれ喋ってました。
時間ははっきり覚えてないけど、真夜中、昇降口の外に人影が見えたので
あ、誰か来た!と昇降口の扉に向かいました。
親子3人が手荷物もなく、薄汚れた格好で昇降口の外に佇んでます。
扉を開けて「こんばんは、寒いから中へどうぞ(当時、雪が積もってました)」と声をかけました。
しかし応答がありません。というより反応がないの。
あれ?と思って、どうされました?中に入れますよ。食べ物もお分けできますから、というけど
全く反応がない。
すると後ろから、どうしたの?とスタッフの声が。
いや、この方々がね…と改めて見ると…。誰もいませんでした。
スタッフの方いわく「突然、あなたが昇降口に行くからトイレかと思ったんだけど
何か喋ってるから、あれ?と出てみたら、あなた闇に向かって話してたよ…」
冷静に考えると、当時は停電、街灯もなし、昇降口の足元だけ小型のランタンがあっただけです。
外に立ってる人が薄汚れた格好なんて、わかるはずもないんですよね。
平時なら怖い!と騒動になるんだけど、当時、ああいう状況だったから
私を含め、みなさん冷静に手を合わせることができました。
以上です。
モロに見た話なのでご注意ください。
311の直後、避難所になった近所の学校にお手伝いに行きました。
夫は教員で、自分の学校の避難所運営で帰宅できないので、
ひとりでいるより集団でいるほうが安心だったので、単純にお手伝いに行った次第。
当時はまだ高速も閉鎖されており、遠方から身柄引受に来る人が真夜中に来たりするので
運営スタッフも24時間体制で対応してました。
震災2日目の夜、たまたま夜番の人が1人足りなかったので、いい経験かと私は朝まで
避難所のお手伝いをすることにしました。
停電している上、灯油もないため、わずかな灯りを囲んで皆毛布に包まって起きて
あれこれ喋ってました。
時間ははっきり覚えてないけど、真夜中、昇降口の外に人影が見えたので
あ、誰か来た!と昇降口の扉に向かいました。
親子3人が手荷物もなく、薄汚れた格好で昇降口の外に佇んでます。
扉を開けて「こんばんは、寒いから中へどうぞ(当時、雪が積もってました)」と声をかけました。
しかし応答がありません。というより反応がないの。
あれ?と思って、どうされました?中に入れますよ。食べ物もお分けできますから、というけど
全く反応がない。
すると後ろから、どうしたの?とスタッフの声が。
いや、この方々がね…と改めて見ると…。誰もいませんでした。
スタッフの方いわく「突然、あなたが昇降口に行くからトイレかと思ったんだけど
何か喋ってるから、あれ?と出てみたら、あなた闇に向かって話してたよ…」
冷静に考えると、当時は停電、街灯もなし、昇降口の足元だけ小型のランタンがあっただけです。
外に立ってる人が薄汚れた格好なんて、わかるはずもないんですよね。
平時なら怖い!と騒動になるんだけど、当時、ああいう状況だったから
私を含め、みなさん冷静に手を合わせることができました。
以上です。
被災して1年ばかりのときに私が結婚。式に親族が東北からツアーを組んでやってきた!地元の風習は、祝い事のとき「男は上げろ、女は下げろの男尊女卑」→結果…
332 :鬼女日記 2017/03/02(木) 05:30:04 ID:zjg
ごめん、長い上に書き慣れてないから読みにくかったらごめん。
この時期になると思い出す。
私は都内に就職して住んでて、田舎は東北の被災地域。
震災が起こって1年か2年で、結婚話が出た。
両家の親と都内近郊の親戚で式。
披露は、それに会社関係と友達を呼んですることにしてた。
当時は被災して1年ばかりで、ご近所は避難、親戚は仮設住まいか居候だった。
だから、私の結婚式があるという事を聞いた地元の人や親戚は舞い上がり、
東京観光ついでに出席すると言い出した。
そして、周りにいい顔したい母がこれを引き受けてしまった。
田舎からくる人の方が多いくらいで、ツアーも組まれた。
前提として、
うちの田舎の祝い事は、男は上げろ、女は下げろの男尊女卑。
主役はけなされ、身内はとにかく謙遜通り越して卑屈になる。
なんでかって言うと、
助け合い精神で、大きな家は不幸があった家に全財産叩いて同情しなきゃならない。
それで潰れたり、衰退した家が何軒もある。
だから家族以外には、いつも不幸だって言わないといけない。
幸せな人は、自分の都合は後回しでも周りに尽くさなければならない。
まず披露宴前日、東京案内をさせられた。
当日は、ホテルから披露宴会場まで花嫁が迎えに行き、支度のある田舎の親戚をお連れした。
親の手前もあるし、親戚にあったことを考えれば、ここまでは仕方ないかと私も思った。
「花嫁なんか後回しでいいんだから先にしろ。待ってる間に化粧が崩れた」、と、
花嫁控え室に親戚が来る来る。式場は控え室を急遽変更し、警備員を置くはめに。
ついでに母も出入り禁止にしてもらった。
「みっともなくない? 着物、似合ってる? 恥ずかしいわね。緊張しちゃう」を連発。
お前の式じゃねぇ!! って、かなりイラついたからだ。
この時期になると思い出す。
私は都内に就職して住んでて、田舎は東北の被災地域。
震災が起こって1年か2年で、結婚話が出た。
両家の親と都内近郊の親戚で式。
披露は、それに会社関係と友達を呼んですることにしてた。
当時は被災して1年ばかりで、ご近所は避難、親戚は仮設住まいか居候だった。
だから、私の結婚式があるという事を聞いた地元の人や親戚は舞い上がり、
東京観光ついでに出席すると言い出した。
そして、周りにいい顔したい母がこれを引き受けてしまった。
田舎からくる人の方が多いくらいで、ツアーも組まれた。
前提として、
うちの田舎の祝い事は、男は上げろ、女は下げろの男尊女卑。
主役はけなされ、身内はとにかく謙遜通り越して卑屈になる。
なんでかって言うと、
助け合い精神で、大きな家は不幸があった家に全財産叩いて同情しなきゃならない。
それで潰れたり、衰退した家が何軒もある。
だから家族以外には、いつも不幸だって言わないといけない。
幸せな人は、自分の都合は後回しでも周りに尽くさなければならない。
まず披露宴前日、東京案内をさせられた。
当日は、ホテルから披露宴会場まで花嫁が迎えに行き、支度のある田舎の親戚をお連れした。
親の手前もあるし、親戚にあったことを考えれば、ここまでは仕方ないかと私も思った。
「花嫁なんか後回しでいいんだから先にしろ。待ってる間に化粧が崩れた」、と、
花嫁控え室に親戚が来る来る。式場は控え室を急遽変更し、警備員を置くはめに。
ついでに母も出入り禁止にしてもらった。
「みっともなくない? 着物、似合ってる? 恥ずかしいわね。緊張しちゃう」を連発。
お前の式じゃねぇ!! って、かなりイラついたからだ。
被災したある町は、海から少し離れたところの土地を嵩上げして街を作る計画らしい。→被災者「あんなところに町はいらん」私「・・・あの時寄付しなきゃよかった」
-
- カテゴリ:
- 愚痴
583 :鬼女日記 2016/03/06(日) 12:57:16 ID:coM
リアルでは言えないので吐き出させてください。
酷い暴言かも知れません。不愉快になられる方もいらっしゃると思います。
最初に謝っておきます。ごめんなさい。
震災から5年と言う事で、被災者の現在の心境等が各局で流されている。
その中で防潮堤についての町の人々の不満があった。
町の景観がとか海が見えないとか・・・気持ちは分かる。
きっと以前は素晴らしい景色の中で生活してたんだろうし。
でも「あんなもんいらん」という言葉にイラッとした。
その町は海から少し離れたところの土地を嵩上げして町を作る計画で
切り崩した山の土を運んで住宅地を造ろうとしているのだが、
それについても「あんなところに町はいらん」と。
私なんかには分からない複雑な気持ちもあるんだろうとは思う。
でも。
震災の直後、幸運にも夫が買った宝くじが当たった。
2等1000万。
リアルで言えないのは、この件もあるからなんだけど
私たちはそれを2つの団体に寄付した。
惜しくなかったと言えば嘘になる。
でも夫と話し合って、まさか本当に当たるとは思ってなかったし
アテにしていたお金ではないから、なくても生活に支障はない。
いわば“あぶく銭”。だったら寄付しようってことに。
ところが、それから半年後、息子の難病が発覚した。
その為に私はパートを辞めざるをえなかった。
ああ、寄付なんてするんじゃなかったという思いと
そんなふうに思ってしまう自分の心の狭さに葛藤もした。
それでもあの1000万がきっと役に立っていると思ったから
あれで良かったんだと思うことができた。
それは強制されたわけでもなく、私たちが自分の意思でやったことだから
恩に着せるつもりもないけれど、
多くの寄付金や多くの税金を投入して、
二度とあれだけの犠牲者を出さないようにとやっていることに対して
「あんなもん」「あんなところ」という言い方をされてしまうと
復興が遅いだのなんだの文句も言うなと思ってしまう。
言い過ぎだったらごめんなさい。
酷い暴言かも知れません。不愉快になられる方もいらっしゃると思います。
最初に謝っておきます。ごめんなさい。
震災から5年と言う事で、被災者の現在の心境等が各局で流されている。
その中で防潮堤についての町の人々の不満があった。
町の景観がとか海が見えないとか・・・気持ちは分かる。
きっと以前は素晴らしい景色の中で生活してたんだろうし。
でも「あんなもんいらん」という言葉にイラッとした。
その町は海から少し離れたところの土地を嵩上げして町を作る計画で
切り崩した山の土を運んで住宅地を造ろうとしているのだが、
それについても「あんなところに町はいらん」と。
私なんかには分からない複雑な気持ちもあるんだろうとは思う。
でも。
震災の直後、幸運にも夫が買った宝くじが当たった。
2等1000万。
リアルで言えないのは、この件もあるからなんだけど
私たちはそれを2つの団体に寄付した。
惜しくなかったと言えば嘘になる。
でも夫と話し合って、まさか本当に当たるとは思ってなかったし
アテにしていたお金ではないから、なくても生活に支障はない。
いわば“あぶく銭”。だったら寄付しようってことに。
ところが、それから半年後、息子の難病が発覚した。
その為に私はパートを辞めざるをえなかった。
ああ、寄付なんてするんじゃなかったという思いと
そんなふうに思ってしまう自分の心の狭さに葛藤もした。
それでもあの1000万がきっと役に立っていると思ったから
あれで良かったんだと思うことができた。
それは強制されたわけでもなく、私たちが自分の意思でやったことだから
恩に着せるつもりもないけれど、
多くの寄付金や多くの税金を投入して、
二度とあれだけの犠牲者を出さないようにとやっていることに対して
「あんなもん」「あんなところ」という言い方をされてしまうと
復興が遅いだのなんだの文句も言うなと思ってしまう。
言い過ぎだったらごめんなさい。