さすらい講師の極私的日常 関西のグルメと紀行・音楽・芸能・社会時評 時々毒舌も 最初は大変
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最初は大変

田中美奈子「涙の太陽」(1989年7月26日)

幾度もカバーされたため 世代によって「この曲を誰が歌ってるのかという」イメージ
の違う曲 

1965年4月20日発売がエミー・ジャクソン版
1973年7月 5日発売が安西マリア版
1989年7月26日発売が田中美奈子版

そもそも
エミージャクソン「Crying in a Storm(涙の太陽)」は「和製ポップス」の第一号と
言われる曲である。ポップスと言えばそれまでは洋楽か その日本語カバーを指して
いた、そんな中で日本で作られたということを隠して「洋楽のレーベル」から発売
された日本の曲なのである。(日本コロムビアの洋楽部門CBSコロムビアからの
発売 しかもこのレーベル今はソニーが買収・・・・ややこしい)

洋楽っぽく見せるために歌手も ラジオ関東のDJ番組「グランドヒットパレード」
のアシスタントであったエミージャクソンとなった。
この「涙の太陽」の作詞はH・Riverとなっているがこれはエミージャクソンを見いだした
湯川れい子のこと。R.H.River (レイコ・ホット・リバー) ダジャレみたいな名前
http://www.emyjackson.com/newpage5.htm





因みにエミージャクソンのアルバムの演奏を担当していたのがジャッキー吉川とブルー
コメッツ、グループサウンズブームの先駆けのグループ

※1955-6年頃は、戦後の日本音楽史における転換期
日本における、いわゆるシンガーソングライターの嚆矢が加山雄三と言ってもいいだろうか
(弾厚作というペンネームで作曲)その加山の「君といつまでも」(1965年12月5日)が
大ヒットしたのが1966年。
ジャッキー吉川とブルーコメッツ「青い瞳」(1966年3月20日)も最初は英語版が実験的に
CBSコロムビアからの発売された。
それも当時、フジテレビのディレクターだったすぎやまこういちが
尽力したおかげ
それだけ当時は「自分で作った曲を自分で演奏し 歌う」ということが
認知されたものではなかった。今では当たり前の形なんだけれど

ついでに 辻希美版
http://jp.youtube.com/watch?v=smjb71RfOjU


カバー曲というと


(続く)
2007/07/26 23:37|音楽

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